生まれて初めて「どうしても手に入れたい」と思ったものが「どうしても手に入らない」ものだなんてとんだ皮肉だそんなのアリか。  
 西日の差し込む美術準備室で、彰は窓際の信子を見やった。  
 眩しそうに目を細めながら何を見ているかなんて、確認しなくてもわかっている。  
 彼女は修二を見ているのだ。  
 そんなことはもうとっくに気付いていた。  
 気付いてしまった、と言うほうが正しい。  
 信子が修二を見ていたように、彰は信子を見ていたのだから。  
「野ーブター」  
 そうやって呼びかければ彼女は振り向く。  
 沈みかけた太陽の光は信子のシルエットを強く網膜に灼き付けた。  
 軽く眩暈を覚えて頭を振る。残像は消えない。  
「……どう、したの?」  
 水を浴びた仔犬のように頭を振り続けていた彰を見て、信子は不思議そうに問いかける。  
 その瞬間、彰は心の一部が冷えていくのと沸騰するのが同時に起きたような感覚に陥った。  
 違う。違うんだ。  
 その目じゃない。  
「…野ブタはー、『あらしのよるに』って知ってるナリ?」  
 信子は微かに頷いた。  
 それを視界の端で捉えて彰は信子との距離を詰める。  
「俺っち今ちょっとそんな気分」  
 あまりの近さに後退りながら信子は首を傾げ、彰は更に一歩踏み出す。  
 あっという間に壁まで追いやって、両腕の柵で閉じ込めた。  
「んでも、彰君はあんまり我慢強くないのですよ」  
 たべてはいけない。これはともだち。  
 いくら言い聞かせても治まることはない渇きと飢え。  
 
「く、さの、く」  
 信子の細い声は途切れ途切れに彼の名を呼んだ。  
 大きな目が更に大きく見開かれ、その黒い瞳に映ったのは自分の凄惨な笑顔。  
 ひどく痛む心に気付かない振りをして、彰は白い首筋に噛み付いた。  
「――――っ!!」  
 小さな身体がびくりと震える。  
 赤いネクタイを緩める指は止めずに、彰はどこか投げやりに問いかけた。  
「抵抗しないの?」  
 髪の毛の先までぴりぴりと張り詰めた気配を漂わせた信子は、それでもたいした抵抗もせずに、そこにいる。  
 ひゅっ、と息を吸い込む音が聞こえた。  
「………く、草野君が、泣いてるからっ」  
 一瞬彰はぽかんとして、それから訝しげに何度も瞬いた。  
 そうして一応確認してから、泣いてないよ、と言おうと口を開けると彼女の声がそれを遮った。  
「こころがっ」  
 草野君の心が、泣いている。  
 そう言って信子は涙の滲んだ瞳で彰を見つめた。  
 彰は、心の傷口が新たな血を流すのを他人事のように感じていた。  
「泣いてるからって好きでもない男に大人しく犯されてあげんの?野ブタちゃんやっさしいナリ〜」  
 いつもの口調でいつもの明るい声で、けれどそこに隠した小さな痛み。  
 いつものように笑えなかったことぐらいは、さすがに自分でもわかった。  
「でも知ってる?そーいうの」  
 覗き込んできた彰の、信子が好きな黒く光る瞳はあまりに複雑な色で滲んだ。  
 それは痛みで、怒りで、悲しみで、けれど優しさで。  
「すっげー、ザンコク、なのよ?」  
 そんな優しさとか、哀れみなんていらない。  
 そんなキレイな透明なものはいらないんだ。  
 あいつと同じものなんて、そこまで望みはしないから。  
 憎しみでも恐怖でも何でもいいからせめて同じ温度のそれで、俺を見て。  
 今だけでいい、だから、俺だけ。  
 ――好きなんだ。もう、どうしようもなく。  
 けれどそれを口にすることだけは反則のような気がして、情けなく震える指先で優しい頬に触れた。  
 
*  
 
「や、だっ……!」  
 胸元までシャツのボタンを開けられた段階になってさすがに信子は逃げるように身体を捻った。  
 それでも脳裏で渦を巻く疑問符のせいで積極的な抵抗に出ることはできない。  
 どうして、どうして、どうして。  
「草野君…っ」  
 それは願いに似た呼びかけで、彰の心はまた血を流す。  
 その痛みを振り払うように露わになった肌に口唇を押し付けた。  
「っ、や…」  
 赤い跡を残して、少し楽しくなって彰は笑った。  
 雪の降った朝に誰にも踏まれていない地面を踏んだような。  
「……やっ、やめ、て」  
「そう思うならもっと必死に逃げればいいじゃんか」  
 信子は泣きたい気分で首を振る。  
 わからない。  
 どうして自分は逃げられないのか。  
 どうして、そんな傷付いた目で彰が自分を見るのか。  
「…引っぱたいて逃げ出して、修二君にでも泣きつけばいいじゃんか」  
 そう言って笑う彰を見た途端、理由もわからないまま、彼女は逃げることを放棄した。  
 悲しくはなくて、ただ涙が流れて落ちた。  
 その涙を拭った指の優しさにまた泣きたくなった。  
 
「……っふ、ぁ、」  
 手際よく脱がされていくシャツの隙間から差し込まれた手が滑らかな曲線を撫でる。  
 くすぐったくて身を引くと、その差を詰めた彰と身体が密着した。  
 その体温に少し驚く。  
「………あ、熱い、よ」  
 この状況でよくそんな呑気なことを言うものだと、彰はひっそりと口の端に笑みを浮かべた。  
 下着をずり上げて柔らかな膨らみを掌に納める。  
「…っ、」  
 信子の身体が小さく跳ね上がった。  
 その反応を見ながら彰は刺激を加えていく。  
「ん、ぁ、やあっ」  
 悲鳴のような声は、やがて熱を帯び、甘いものに変わる。  
 指の腹でその先端を擦ると、そこには確かな快楽の響きがあった。  
「はっ…あ、ぁあ…やっ……」  
「野ブタの声すっげえヤラシーイ」  
 感じちゃってますかー、イエースザッツライト、と彰は間抜けな声を出しながら手は止めない。  
 噛み付くようなキスを胸元にいくつか落として跡を残した。  
「あっ、あぁ…んっ…!」  
 触れられた場所は熱を持ち、彼女の思考能力を奪っていく。  
 熱で潤んだ視界に金茶の髪だけが揺れていた。  
「や、あっ、くさのく…ん、」  
 薄靄のかかったような頭で縋るようにその名を呼んだ。  
 掠れたその声はひどく官能的に響く。  
 どうせなら名前で呼んでくれればいいのに、と彰はまだ冷静な頭で思った。  
「ひ、あっ」  
 突然スカートの中に入り込んだ手に信子は高い声を上げた。  
 その指が内腿に触れて、ほぼ反射的に膝を閉じようとしたのを彰が足を割り入れて止めた。  
 つ、と指を滑らせて下着の隙間から差し入れる。  
 
「あ、ぁ…ん、あ、あ…っ!」  
「大分キちゃってんねー。やーらしいの」  
 指先に濡れた熱を感じ取って彰が笑った。  
 信子はそんな言葉など届いていない様子で、強すぎる快感に抗っていた。  
「あああっ! い、やぁ…っ、あ……っ」  
 敏感な場所を彼女自身の蜜で濡れた指が刺激する。  
 身体から力が抜け、足が震え出した。  
 それを片腕で支え直すと、彰は熟れた秘所に指を挿し込んだ。  
「……っ!…は………あ、ぅ……っ……っ」  
 快感よりも異物感、自分の身体の内側を掻き回される感覚に信子が悲鳴を上げる。  
 力なく首を振る彼女を横目に、さらに指を滑り込ませて内壁を擦り上げた。  
「あっ、ぁ……んんっ、くぅ……っ!」  
 びくん、と身体が跳ね上がる。  
 あまりの熱さに、そこからどろどろに溶けてしまうんじゃないかと思った。  
「野ブタん中、すげーヌルヌル」  
 笑いを含んだ声が耳元で響く。  
 のろりと顔を上げると口唇が触れ合いそうな距離に彰の顔があった。  
 キスされるかと思ったのに、彰は顔をずらして信子の耳朶に噛み付いた。  
 意識がそこに向いた瞬間、同時に指の動きが激しくなって信子は甘い声を出してしまう。  
「は、あっ…ん……んぁ……っ!」  
 声の色が変化したのを知って彰は内側を掻き回す動きから指を抜き差しする動きに切り替えた。  
 抜いては深く挿し込んで、激しく擦り上げて、めちゃくちゃに刺激する。  
「あ、あっ、ふ、ああぁっ!」  
 頭の中は真っ白になり、信子は熱と快感に支配されていく。  
 何かが弾けたのを、感じた。  
「……っあ、や、あ………ん、ぁ、ああぁあっ…!!」  
 一瞬張り詰めた後、糸が切れたように身体から力が抜ける。  
 崩れ落ちそうになった信子を支えたのは、信じられないくらい優しい彰の腕だった。  
 
*  
 
「俺、謝んないからね」  
 トイレットペーパーで濡れた信子の太腿と床を拭きながら彰は呟いた。  
 信子はまだ少しぼんやりした頭でそれを見ていた。  
 熱で潤んだ目で見つめられてしまって、やっぱり最後までやっとけば良かったかもしんない、と一瞬思ったけど振り払う。  
 こんなことをしておいて、それでもまだ彼女を傷付けたくないと思っているのだ、馬鹿みたいだ。  
「……草野君、」  
 耳に心地良い信子の声も、今だけは聞きたくなかった。  
 人差し指を彼女の口唇に押し付けて、塞いだ。  
 その柔らかさに眩暈がした。  
「…一人で、帰れるよね」  
 丸めた紙を投げ捨てる。  
 それは壁に跳ね返って見事にゴミ箱に入り、ナイッシュー、と彰は口の中で呟いた。  
 急に馬鹿らしくなって息を一つ吐いて、立ち上がった。  
「……っ、」  
 信子が何か言いかけたのは知っていたけど、知らない振りをしてすたすたと歩き出す。  
 それでもドアを開けてから、一度だけ振り返った。  
「…ばいせこー。だっちゃ」  
 ちゃんと笑えただろうか。それはわからない。  
 信子が口を開く前に、ドアを閉めた。  
 
 

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