さむい。
風がひゅるりと通り抜けて、信子は身体を丸めた。
さすがにこの時期の屋上は寒い。そろそろコートが必要だろうか。
それに唐突に気付いたのは数日前。
ちらりと、少し離れたところに座り込んでいる彰を見やる。
放課後に屋上に集まるのは毎日のこと。
修二が来るのを彰と二人で待つのも毎日のこと。
……草野君が遠いから、寒いんだ……
ぼんやりとそこに辿り着いて、信子はスカートを握り締めて俯いた。
誰にでも気安く触るスキンシップ過剰な彰。
信子もその例外ではなくて、いつも抱きつかれたりして。
なのに、今は、こんなに遠い。
……き、嫌われたのかな?
考えてみて一気に気分が落ち込んだ。
人懐こい彰。触りたがりの彰。優しい彰。
優しいから口には出さないけど、もしかして触りたくないくらい嫌われてるのかも。
なんだか温度が余計に下がった気がして縮こまる。
「のぶたんDOしたの。寒いでぃすかー?」
間延びした声が彼女のネガティブ思考回路を切断した。
顔を上げると首を傾げた彰がこちらを見ている。
「く、草野君はっ、寒くないの…?」
上着の下はシャツ一枚、それも鎖骨が見えるくらいボタンが開いている彰は明らかに信子より寒そうだ。
「俺っち寒いのには強いのよーん。コン」
…キタキツネだから?
彰の右手が化けた狐を見てそんなふうに思った。
「修二君遅いっちゃね」
そう言って立ち上がるとドアのほうを覗くふりをして。
「……風上…」
少しだけ肌に当たる風が弱くなったのに信子は気付いた。
気付いて、泣きそうになった。
「くさ、の、くん。は」
スカートを握った手に力を込める。
彰のきらきらした黒い目が信子を見る。
「わっ、私のこと、嫌いになったの?」
そんなことを涙目で言われた日には彰もびっくりだ。
思ってもみなかった台詞に軽く二、三秒固まっている間に信子は咳き込むように言葉を続けた。
「前はよくくっついてきてたのに、今とか、そんなに遠いしっ」
でも桐谷君には相変わらずくっついてるし。
それを聞いた彰は少し笑顔になって、可愛らしく人差し指を頬に当てて小首を傾げた。
「もしかしてー、野ブタもくっついてほしいっちゃ?」
「そんなんじゃなくてっ、急にどうしたのかなって…」
そんなんじゃないのか。
あまりに即座に否定されてしまったので軽くへこんだ。
「草野君、優しいから、何も言わないんじゃないかって…思って……」
言っているうちに俯いてしまった信子を見て、彰は気付かれないように息を吐いた。
大股で近づいて、顔を覗き込むようにして背を屈める。
「あんね。俺、野ブタに触るとヤケドすんの」
だから触んないの。
彰の言葉に信子が訝しげに眉根を寄せる。
「……私、熱いの?」
「んー、どっちかってーと、お熱なのは彰君のほうナリー」
ますますわけのわからなそうな表情になる。
それを見て、彰の悪戯心が顔を出した。
「…野ブタがそばにいると熱が上がっちゃうのよーん」
これでもし変な顔をされたら煙に巻いてなかったことにすればいいのだ。
そう、ただの、可愛いイタズラ。
けれどそんな彰の心は違った方向に裏切られた。
「……だ、大丈夫?風邪?」
心配されてしまった。
「にぶっ」
その呟きは信子には届かなかったようだ。
「…あ、じゃあ、離れたほうがいいよね……ごめん」
そんな見当違いのことを言い出すものだから、今度こそ彰は溜息を吐き出した。
「はいはいストップ。止まる止まる」
「え。でも、」
「いいからそこにいる、はい!」
不思議そうな顔をしながらも信子は足を止める。
彰はできるだけ間抜けな声を出して、信子の頬をつついた。
「野ブタがいなくなったら彰君は凍死しちゃうナリ〜」
彰の言葉の意味はわからなかったけど、なんとなく寒さは和らいでいる。
やっぱり草野君がいるとあったかい、ぼんやり信子は思った。
おわり。