そろそろ空気の冷たい季節。吹きっ曝しの屋上、信子は風に首をすくめる。
男子はズボンでいいなあ、と二人の男の子を見ながら思う。スカートは足が寒い。
「俺、落ちちゃったの!」
不思議少年が、まるで誇り高く宣言するようにそう言ったから、信子はワンテンポ遅れて修二と顔を見合わせた。
「……試験に?」
「……川に?」
「ちっがーう!」
二人とも違うらしい。
信子はちょっとの間考えて、もう一度修二と顔を見合わせた。
「……深い眠りに?」
「……マンホールの穴に?」
「だぁからちっげーの!」
またハズレ。
ややオーバーリアクションぎみに、彰は否定する。
違うといいつつ、彼の口元は楽しそうにつりあがっている。
そんな彼の行動はいつも突拍子もなくて、予想もつかなくて、でもお日様のような明るさがある。
見ていると楽しい気分になる、ような気がする。
暗闇に慣れてしまっていた信子の目にはまだ少し眩しいけれど、温かかった。
「じゃ、じゃあ、何か落としたの? 大切なもの? 一緒に探そうか?」
「野っブタちゃ〜ん、やっさし〜い! でも違うんだな。落ちたのはモノじゃなくて、俺」
よくわからない。それは修二も同じだったようで、二人して首をかしげた。
「だから、どこに落ちたんだよ。川じゃないなら池か、海か」
どこか苛つきぎみに修二が言った。ついていけないと思ったのかもしれない。
彰はにやりと笑った。よくぞ訊いてくれました、といった顔だ。
つられるように、信子も知らず身を乗り出す。
彰はびしりと指を差し、サタデーナイトフィーバーポーズをとった。
「恋だよ恋! フォーリーンラーブ!」
ひときわ強い風が吹いた。
信子はぶるりと震え、修二は呟いた。
「……アホらし」
「うわっ、つめてー! お友達に対してその態度はないんじゃなぁいの?」
うりうり、と彰は修二の頬をつつく。
修二は嫌そうに顔をしかめた。
「つーかお前、脈絡なさすぎ。もっと順序だてて話せよ」
「……びっくり箱」
信子は自分で呟いた言葉に目を瞬かせた。
そうだ、びっくり箱だ。
何が飛び出すかわからない彰はびっくり箱によく似ている。
「は? 野ブタ、なにがびっくり箱?」
その声にはっと顔を上げる。
気付けば、二人の男の子は信子をじっと見ていた。
ひとり言のつもりだったのに、しっかり聞きとがめられてしまったらしい。
仕方ないので、信子はしどろもどろに、思ったことを口にした。
「あ、ええと。く、草野君、が、似てるなって」
「俺っち?」
「あー、びっくり箱ね。確かに似てるかもな。何を始めてくれちゃうか、開けるまでわからん」
修二がうんうんと頷く。
彰は「ぶー」と言った。
それがブタの鳴きまねなのか、膨れていることを表現した音なのか、信子にはわからなかった。
「んじゃさぁ、俺が誰に恋したか聞いたらちょ〜う、驚くかーもーよ? なんせ、びっくり箱の恋だもんね」
彰は信子にまとわりついて、肩に手を回す。
びっくり箱と称されたことは、彰にとって不快ではなかったらしい。むしろ気に入ったようだ。
それがわかって、信子はほっと胸を撫で下ろした。彰の声が耳元をくすぐる。
「ねぇねぇ、聞きたい? 聞きたい?」
「き、聞きたくない」
思わず信子はそう言っていた。
だって、なんだか本当に聞きたくないのだ。彰の恋した相手の名前なんて、聞きたくない。そう思った。
「えぇ〜」
彰は不満そうに抗議してくる。駄々をこねられたって、嫌なものは嫌なのに。
なんでそんなに話したそうにしてくるんだろう。
彰は信子を逃がすまいとしているのか、さっきより密着度が上がった気がする。
信子の心臓がどきどきしてくる。
「ど、どうしても言いたいの」
「言いたい」
どきどきどきどき、彰の声を心臓の音がかき消してくれるといいのに。そうしたら聞かずにすむかもしれない。
いっそ耳を塞いでしまおうかと思ったとき、彰の声が信子の耳元に。
「一緒に落ちようね」
「――――え?」
うるさい心臓のせいで聞き間違えたのだろうか。
信子が言葉の中身を反芻する間に、彰の腕がするりと解かれる。
彰はそのまま信子の側を離れて、修二の横に移動した。
修二は面白くなさそうに彰に言った。
「屋上から蹴り落としたら死ぬよな」
「えっ、修二君ひょっとしてジェラってる? ジェラジェラ練るジェラ?」
「マジで蹴り落としてやろうか」
修二はぷいと横を向いて、呆れたように小声で呟いた。
「……びっくり箱っていうよりパンドラの箱かも」
それもやっぱりひとり言だったのだろうから、信子は聞こえなかったふりをした。
終わり。