「…きっ…桐谷…くんも…やっ…やっぱり…され…る?」
ふと、思い立ったように野ブタがどもりながら切り出した。
以前よりは大分、スムーズに喋れるようになった気がする…あくまで以前よりはの話だけど。
屋上には珍しく、俺と野ブタの二人きり。あの馬鹿こと、草野は珍しくこの場には居ない。
だから知らないけど、ずっと下を向いてだんまりを決め込んでいた野ブタがいきなり、
俺の目の前に来て話しかけてきたのに少し驚いた…こいつは、何で突然喋りだすんだろ…。
一転集中…カクンと首をかしげながら俺の返答をじっと待ってる…
…いや、待たれても…
「え?何をだよ?」
主語が抜けてちゃ流石の、プロデューサー桐谷修二も対応できないわけ。
「…えー…っと…くっ…草…野…くん…から……」
ただでさえ、聞きとりにくいってのに、語尾が小さくて全然分かんねえ!
「もっとはきはき、大きな声で喋れ!で、草野が何だって?」
すると、しばらく言いにくそうにしていた野ブタが決心したように口を開いた。
俺が注目する中、野ブタから出てきた言葉は…
「だっ…だから…くっ…草…野…くん…から…よっよく…キッ…キス…され…たりす…る?」
『だっ…だから…くっ…草…野…くん…から…よっよく…キッ…キス…され…たりす…る』
『…草…野…くん…から…よっよく…キッ…キス…され…たりす…る』
『…よっよく…キッ…キス…され…たりす…る』
『…キッ…キス…され…たりす…る』
『…キッ…キス…』
野ブタの言葉が俺の頭にリフレインする中
はああああああ?!草野が野ブタにキスだあーーーーーー?!
俺は頭の中で絶叫した…頭がついていかない!何なんだよ!!
…てこいつ今何て言った?!『桐谷くんも』って言ったよな?!
んなわけあるかーーーー!!いくら、あの馬鹿でも男女の区別くらいついてるだろうし…
俺は、自分で聞いたはずの野ブタの言葉に疑いを持つ事にした。
「はっ?いつの間に野ブタ、冗談言う事を覚えたんだよ…はは!
…今度は 真 面 目 に答えろよ?
くっ、草野の…何?」
この桐谷修二とした事が、どもっちまったじゃねかっ!自分でも半分顔が引き攣ってるのが
よく分かる。俺は、精一杯の作り笑顔で野ブタに問いかけた。
俺の言葉に、野ブタは数秒固まり…その口をまたゆっくり開いた…
「わっ…私は…じょっ冗談なんて…いっ言ってない…こっ…この間…」
何かを思い出したように顔を上気させながら、ゆっくりとでも俺の目をじっと見ながら
話し始めた──────…
それは、さかのぼる事数日前の話───…
『の〜ぶたん♪俺にちょ〜っと付き合うっちゃ♪
モチのロンで答えはyesしか受付ないのよ〜ん!』
『あ…うっ…うん…なっ何?』
いつもの学校で、いつも通りの草野と信子の口調。ただいつもと違っていたのは、
その場にプロデューサーの修二が居合わせなかった事くらいだろうか。
草野に言われるがまま、自転車の後ろに乗せられそのまま学校を後にし
信子が草野に連れられてついた先は───…
『の〜ぶたんの好みのお部屋はどれでぃすか〜?俺はやっさしい〜から、好み合わせてあげるっちゃ♪』
人通りが少ない路地に自転車を停め、肩を組まれそのまま奥へと進んで行くとひっそり建つ建物が見えた。
外観こそ、今時の一見ビジネスホテルのようにもみれるが、[休憩・宿泊]の文字がしっかりと見えるわけで…
そこは紛れもないラブホテル。
『くっ…草…野く…ん…こっここは…はっ入る…の?』
いくら世間とはずれている信子でもこの場所が一般的に、どんな目的で使われるかぐらいは分かる。
頬を赤く染め、俯きながらだが信子は早口で草野に尋ねる。そんな、おどおどしてる信子の様子に構いもしないで、
この場所へと連れてきた、張本人の草野はいつもの能天気な表情を浮かべ…
『もっちのろ〜ん♪もう、ロビーまで入ってま〜す!早く好みのお部屋を決めちゃうのよ〜ん?
…じゃなきゃ、俺が決めちゃうっちゃ☆』
のん気に、赤く染まった信子の頬をぷにぷにと人差し指で指す始末だ。
この行動にとうとう信子は下を向いて、だんまりを決め込んでしまった。
新しく入って来るカップルの注目を浴びその場に、立ち尽くすこと15分くらい経っただろうか…
信子の肩に顔を乗っけて、纏わり付いていた草野だったが、一向に顔を上げない信子に痺れを切らせたのか
『ぶっぶ〜!時間切れだ〜っちゃ!もう、俺が決めます!はいこの部屋ね!決定!決定!大決定〜!』
信子の腰をぐっと掴み、パネルからさっと部屋を決めると鍵を受け取り中へと足を進めて行った。
部屋に入るなり、真っ先に目に入った部屋の中心にあるベッドへ草野が信子を抱えたまま倒れこんだ。
あまりの素早さに信子は抵抗する事もできず、気が付くと目の前には普段の言動・行動とは反比例する
整った草野の顔がそこにはあった…
そこでようやく我に返ったのか、信子が両手で力いっぱい草野の肩を押し自分との距離を離そうとするが、
『はいは〜い!男の俺に腕力で適うわけないっしょ?大人しくいい子にするっちゃ☆』
この状況で大人しくなれる筈もないのだが、相手は草野。そんな理屈が通るわけがない。
信子は、抵抗するのを無駄だと判断したのかそっと手を離すと、草野をじっと見つめ、
『くっ…草野くん…わっ…私…にっ逃げないから…すっ少し…はなっ…離れ…て…』
相変わらず頬を赤く染めたまま、信子が振り絞るようにお願いをする。
その様子をしばらく見ていた草野だったが、にっと白い歯を見せながら無邪気に笑いながら
『いい子いい子☆の〜ぶたんはえらいっちゃ♪』
信子の髪を撫でながら、自分の体を起こし信子の手を掴むと信子の体も一緒に起こした。
華奢で大きな手が、信子の髪を梳くように撫でていると、ようやく、一定の距離を持てた事
と髪を撫でられる感触に安心感を感じたのか、信子に落ち着きが戻った。
そうして無言の時間が流れていたが、草野がその手を止め切り出した。
『今日は、こんなところに連れ込んじゃってごめんだっちゃ。でも、どうしても二人きりで
話したい事があったのよ〜ん。許して?」
滅多に見せない真剣な顔で、信子の顔を覗き込むように話す草野に、信子は思わず頷いたまま俯いてしまう。
そんな信子の様子を見て、草野はにんまりといつもの笑顔に戻った。
『うん!うん!そういう素直な所もとっても良いのよ〜ん♪
…話ってのは、ずばり!!…野ブタじゃなくて信子って呼ばせて欲しいっちゃ☆』
胸の前で両手を合わせるポーズで草野は言った。
信子は、そんな事を言う為にわざわざこんな所まで連れてきたのかと顔を上げると、
先ほどと同様の、真剣な草野の顔がそこにはあった。
喉元まで出掛かっていた言葉が咄嗟に引っ込んでしまい、情けないと思いながらも信子はまた頷いてしまうのだった。
信子の頷きを見届けた草野は、満面の笑顔のまま信子ごと再びベッドに飛び込む。
『ありがとうだ〜っちゃ 信 子 ☆』
そう言うと、信子の頬を両手で包み込むとそっと目を閉じた草野の整った顔が近づいて来た。
咄嗟に目を瞑ってしまった信子だが、唇に触れる柔らかくて、暖かい感触にそっと目を開けた。
目の前には草野の綺麗に影が落ちている睫毛が見えた。信子は目を瞑れずにそのままでいた。
厚めの草野の柔らかい唇に包まれるような、キスを受けてからどのくらい時間が過ぎたのだろうか…
草野の目がゆっくりと開き、信子と目が合った───…
瞬間、信子の頬にカッと血が集まり一瞬でその頬を赤く染めた。
『…今のは、お礼なのよ〜ん♪』
赤く染まった信子の頬に手を当てながら、草野は笑顔でそう言った。
『おっ…お礼…で…きっキ…ス…した…の…?』
信じられないといった表情で草野を見つめる信子に、草野はこう続けた
『そうだっちゃ☆俺からラ〜ブをリキ入れて込めまくったお礼なのよ〜ん♪』
人差し指で、自分の唇と信子の唇を交互に触れながら答えたのだった。
『ら…らぶ…でっでも…いきなり…きっキスする…のは…!』
信子が頬を染めたまま、抗議する様に言うと草野は今度は指を横に振りながらこう言ってのけた
『ちっちっちっ!わかってないっちゃね〜信子は。俺のラ〜ブはこう伝えるのよ〜ん♪
だ〜か〜ら〜、もちのろ〜んで修二くんにもしてるっちゃ☆』
『へっ?…そ…そうなんだ…じゃっ…じゃあ…友達の…
信子が言い切る前に、草野は
『そうだっちゃ♪だから〜、俺とラブホに入っても安心して良いのよ〜ん☆
…て事で、今日はここにお泊り決定!はい、決定!』
『え…でも…
また信子が疑問を投げかける前に草野は
『この間は、修二と泊まったのよ〜ん♪友情を深める為のお泊り会だ〜っちゃ☆ね、の〜ぶこっ♪』
信子は、まだ納得いかない様子だったが、草野の満面の笑顔に断る事ができずそのまま二人でホテルに泊まったのだった。
──────…
信子の話に耳を傾けながらも、途中から理解を超えた修二は全て話し終わり、じっと修二の言葉を待つ信子に
たっぷり間を空けて、言った一言は…
「………は?」
それもそのはず、どこからどうつっこめばいいのか修二の理解の容量を軽くオーバーしているのだから。
それでも一転集中といった様子で首をカクンとかしげながら、じっと見つめてくる野ブタに
修二は段々と込み上げてくるものを実感した…
なっ何言ってんだ目の前のこいつは?!信じらんねえ!!いくら、あの馬鹿と言えど、男だぞ男!!
「馬鹿も休み休み言えよ!何言ってるんだよ野ブタ!あいつは男!お前は女!!
分かるだろう?!何で、そんなとこにのこのこ付いてってキスされて挙句の果てに一緒に泊まってんだよ!!アホかっ!!」
突然の修二の怒鳴り声に、とっさにびくつく信子。そんな様子が気に障ったのか、
「お前ねえ!あの馬鹿とつるんでるからか知らないけど、常識欠けてきてるじゃねえの?!普通、キスは友達とはしません!
ラブホにも行きません!ましてや、泊まりません!!嫌だったら、断れっつーの!!だいたっ…「いっ
大声で捲くし立てる修二の言葉を遮るように信子が言葉を発した。
「…いっ嫌…じゃ…なかったよ…くっ草野…くん…とっ友達…だし…らっ…ラブって…わっ…『私も彰くんラブなのよ〜ん♪』
この場に似つかわしくない、のん気な声が信子と修二の会話を遮ったのは──────…
「草野?!」
そう、この状況の中のん気にふざけた返答をするのは、修二が知る中でも信子が知る中でもおそらく、一人だけ
…―――草野 彰ぐらいだろう。
「修二くん怒っちゃやーよ☆信子が、びくついちゃってるっちゃ。ね?」
そう言いながら、草野は信子の横に立つと肩を抱きながら顔を覗き込み、信子に同意を求めた。
それに対し信子は、草野のに従順に答えるかのように、こくんと頷いたのだった。
一連のまるで連れ添ったような、やり取りに修二は今まで感じた事のない衝動に襲われ、瞬間、頭に血が上るのを自身で感じた。
なんだよ?!何なんだよ!!何で俺がこんな気分を味あわなきゃならないんだ!
修二は目の前の二人の存在も頭の片隅にいった様子で、理不尽な不快感と闘っている。
そんな修二の様子に気づいているのかいないのか、信子が草野に向き合い言葉を投げ掛けた
「きっ…桐谷…くん…くっ草野…くん…に…きっキスされ…た事…ないって…
…くっ…草野く…ん…うっ…嘘つい…たの…?」
いつもと変わらない表情にも見えるが、そう言い切った信子の目にはうっすらと涙が滲んでいた。
傷ついた様子の信子の髪を、この間してやったように優しく梳くように撫でながら草野は言った。
「修二くんは照れ屋さんだから、照れて本当の事言えないだけだっちゃ☆」
いつも通りの、のん気な笑顔を浮かべながら。
そんな草野の様子に半信半疑の視線を送っていた信子だったが、
にこにこと笑う草野にほだされてしまったのか、はたまた納得したのか、
「…そっそれ…ほっ…本当…?」
そう聞き返す信子に、草野は髪を撫でていた手を頬に移し、そっと包み込むと
「もっちのろ〜んだっちゃ♪俺が信子に嘘つくわけないでしょ!さっ、分かったら顔洗ってくるのよ〜ん☆
そのでっかいでっかい黒目が赤目になっちゃう前にいってらっしゃ〜い♪」
笑顔でそう答え、信子に顔を洗ってくるように促した。
信子が屋上を立ち去るのを確認すると、草野はゆらりと修二の背後から首を出し
「修二く〜ん?何イラついてるっちゃ?信子には優しくしないと
彰が怒っちゃうのよ〜ん☆」
耳元で囁いた。
今まで違う場所に追いやっていた意識が戻り、修二は草野の顔を払うように肩をあげ草野の顔を払った。
そんな修二の様子を気に留める事もなく、草野は『修二くんマジキレ?!うっひゃっひゃ』
などと奇声をあげはしゃいでいる。
そんな様子の草野に、修二は忘れていた怒りがふつふつと湧いてきたのだった。
「おい草野!お前本気でいい加減にしろよ?!あいつをからかうのも大概にしとけ!
やっていい事悪い事がある事くらい分かんだろうがっ!!あいつで遊ぶのも…「いつ?
修二の言葉を遮るように草野が投げ掛けた。
「何がだよ?!」
修二の声がまた響くが、草野は気に留める様子もなく言葉を続けた。
「いつ俺が〜信子で遊んだって言ってるのかって聞いてる…んだっちゃ」
いつもの能天気な声ではなく、聞いたこともないような草野の声に修二は押し黙った。
―…それに、こいつ今語尾を咄嗟に戻したよな?
だとしたら…
「…草野、お前それ作ってたのか。」
修二が草野を真っすぐ見据えて言うと
「ちぇっ、バレたらつまんないっちゃ☆
…なーんて。」
にやりと、口角だけ上げるように笑った草野の顔は初めて見る別人のようだった。
「草野、お前なんでわざわざそんなキャラ作ってたんだ…」
いつもの、馬鹿っぽい言動と行動を慎めば草野には十分に人気者になれる要素がある。
例えば、容姿。背は俺より高く細身の割りには筋肉質だ。顔は普段の締まりのない顔さえしなけりゃ、相当いい線いってる。
それに、経済力。後は、知性。こいつに最も足りてないものだと思ってたけど、どうやら違ったようだ。
馬鹿に馬鹿の振りは出来ない。考えてもみたら、こいつの親父さんは社長。
何百人、いや何千人か…そんな人数の上に立っている人間の子供が馬鹿なわけない。
幼い頃から、身につけさせられるだろうし子供ながら、色々と悟だろう。
…ってそんな事今はどうだって良い。今は何でこいつがキャラ作ってたのかっていう事と―…
「お前、何が目的か知らないけどあいつに近寄るな。」
俺がそう言うと、あいつは綺麗な笑顔を浮かべながら言った。
「お断わり〜。
俺、前に夢中になった事ないって言ったよね。でもね、俺は夢中になった事はなくても
手に入れられなかったものもないんだ。
信子をプロデュースする事で俺の学生生活でやりたい事は見つかった。
…でも俺欲張りだからね、信子も欲しくなっちゃったんだよね。」
その言葉に俺は自分でもセーブできないほど、怒りを感じた。頭のどこかでは冷静になれという言葉が過るが、
修二はそれを抑えることが出来なかった。
抑えようのない怒りに拳を震わせている修二の様子に、草野はにやりと笑って修二の背後にまわるとまた耳元で囁いた。
「先制布告だっちゃ☆
先に気持ちに気づいたのも先にキスしたのも一緒に泊まったのも俺が先なのよ〜ん♪
修二くんは〜このまま、気持ちに気づかないふりしててもいいっちゃよ?」
突然、いつもの調子に戻った草野に修二は面食らった表情で投げ掛ける。
「…気づくって何にだよ。」憮然とした様子の修二に草野は笑いながら続ける。
「そのまま、気づかないうちに俺が信子をガバチョッ☆いただいてウハウハ〜♪」
「…がっ…がばちょ…てなっ何…?…うっ…うはうはも…何…?」
「野ブタ?!」
いつの間にか、戻ってきていた信子の声に修二は驚きの声をあげるが、
草野は気づいていたのか、はたまた気に留めていないのか、修二の背後から今度は信子の背後にまわり、
「おんぶおばけだっちゃ☆」そう言いながら信子の小さな体を後ろから抱え込んでしまう。
「くっ草野くん…はっ離し…「ぶっぶ〜!
頬を赤く染め、言う信子の言葉を遮り草野が続けた。
「俺の事は、彰くんて呼ぶように言ったでしょ?」
抱き締める力を強くし、信子に告げるとますます頬を赤くそめた信子だった。
またしても、自分の存在を無視するかのように会話を続ける目の前の二人に、
修二は先程感じた不快感にまた襲われていた―…
理解できない不快感の中、修二は二人のやり取りを眺めていると
一向に離す様子を見せない草野に信子は意を決したように口を開き
「あっ…あき…彰くん…はっ離して…」
身動きの取れない信子は精一杯顔を上げて言った。
すると、今までぎゅっと抱え込んで離す様子を見せなかった草野が、満面の笑顔を浮かべ
上を向いている信子の唇に軽くちゅっと音を立てて口づけ、
「信子はやっぱりいい子だっちゃ♪」
それまで、二人のやり取りをぼうっと眺めていた修二が
信子の手を力一杯ひき、抱き抱え
「信子、信子って気やすく触るな!」
修二に抱き寄せられ、また頬の赤みを増した信子の様子に
今度は草野が顔をしかめ不快感を露にしたのだった
―――…