「ただいま〜」
廊下に夫の声が響く。
奥から妻がパタパタと小走りに近づいて来る。
「お帰りなさい、あなた」
見慣れた非対称の髪型でにっこりと笑い、鞄を受け取った。
「あぁ、ただいま」
楽は靴を脱ぎ、小咲を抱き寄せ、お帰りのキスをした。
顔を離すと照れたように頬を染め、楽の顔を見上げ、ふっと微笑む。
少し目が潤んでいて、楽は一瞬見惚れて固まってしまった。
「どうかしたの?私の顔になんか付いてる?」
じっと顔を見つめられ、小咲は不思議そうに首を傾げる。
「…あぁ、いや…何でも、無いよ」
「そう?ならいいけど…」
またにこっと笑い、踵を返した。
その笑顔が、いつも楽の心臓を鷲掴みにしている事は露程も知らない。
昔からずっと、たった今も。
小咲は鞄を抱き抱え、嬉しそうに廊下を歩く。
「ご飯とお風呂と、どっちにする?」
「あ〜…そうだなぁ…」
楽はネクタイを外し、後ろに付いて歩きながら、小咲の背中を見つめる。
高校の頃、肩口辺りだった髪は、今は背中まで伸びている。
時折見える項は、楽には扇情的に思われた。
「…小咲」
「ん?なぁに、あなた?」
名前を呼ばれ、足を止めて振り返る。
瞬間、目の前が何かで塞がれ、真っ暗になった。
(えっ?!)
びっくりしたが、直ぐに理解した。
楽の胸板――小咲にとっては、いつも安らげる温もり。
背中に両腕が回り、彼女は抱きしめられた。
背中と頭を撫でられ、気持ちがいい。
いつもの癖で目を瞑り、顔を埋めた。
すりすりと額と頬を擦りつけ、体温と匂いを感じる。
自然と口元が綻び、状況を忘れそうになった。
「あっ…」
やっと気づいたようで、もぞもぞと体を動かし、首を曲げる。
「…で、なぁに?」
楽を見上げ、また満面の笑みで聞いた。
「あっ…いや…」
予想外の反応に、楽の顔が少し赤くなる。その笑顔は反則だろう。
呼んだつもりでは無かったのだが。下半身が熱くなる。
間に鞄が有るから、気付かれてはいないようだ。
小咲と視線が絡む。楽の脈がどくんと跳ねた。
腕に力を籠め、首を曲げる。
「んっ…!?」
唇を奪うと、小咲は一瞬目を丸くし…直ぐに目を閉じた。
舌を絡め、突っつきあう。
数秒官能に浸り、顔を離した。
抱きしめたまま、もう一度小咲の顔を見下ろす。
唇が湿り、頬が紅潮し、潤った瞳が楽を捕える。
「…ど、どうしたのいきなり…?」
鞄と一緒に手をもじもじさせながら、上目使いに楽を睨む。
口を尖らせ抗議するが、満更でも無い様子で体を預ける。正直鞄が邪魔だ。
楽は一旦体を離し、小咲から荷物を奪い取ると、ネクタイと一緒にリビングの入り口から奥に向かって放り投げた。
ドサッと乱暴な音がして、小咲は不安な顔をして鞄を見る。
「あっ、い、いいの?」
「あぁ…大した物は入って無いから…」
そう言うと、楽はもう一度小咲を抱きしめ、耳元で囁いた。
――まず小咲が欲しいな――
「へっ?あっんっっ…!」
理解するより先に耳たぶを甘噛みされ、ビクッと体を震わせる。
体の内側から熱が発生し、じんじんと疼く。
(そこダメッ…感じ…ちゃう…)
体のスイッチが切り替わった。
項や首筋にキスマークを付けられ、その度に火照りが増幅される。
楽の手が、背中や頭、腰を撫で回す。弄られる感触が小咲の熱を呼び起こす。
力みが取れ、全身が弛緩していく。楽の肩を掴み、必死に耐える。
「はっ、んっ…ま、待って、ここ、じゃ…」
流石に廊下は恥ずかしいらしい。掠れた声で楽に訴える。
「せ、せめて、ベッド、に…」
「悪い、待てねぇ」
楽は小咲の意見を無視し、再び唇を奪った。
肩を抱き、お尻を擦りながら、唾液を送り込む。
小咲の肌が上気し、楽を見つめる眼差しが蕩けてきた。
楽の首に腕を回し、全てを任せ、目を瞑る。
全身の感覚が溶けていく。
充分に堪能すると、楽が顔を離した。
「あっ…」
喪失感を覚え、目を開ける。
目の前に楽の顔が飛び込む。穏やかに笑いかけていた。
見た瞬間、また体が熱くなった。一瞬後、ふわりと体が浮いた。
お姫様抱っこでリビングに運ばれ、ソファに寝かされる。
「あなた…」
圧し掛かる楽の体温を全身で感じ取り、無意識に妖艶な笑みを浮かべた。
それは楽に興奮を想起させ、本能を増大させる。
「小咲…」
両手の指を絡ませ、口づけを交わす。
たっぷり十数秒、感触を愉しみ、また耳たぶや首筋に噛み付いた。
「んっ!はぁっ…!」
背筋が反り、開いた口から、甘い吐息が溢れる。
指を離し、服のボタンに手を掛ける。
少しずつ服がはだけ、キスマークの範囲もそれに合わせて拡大していく。
上半身を裸にし、豊かな胸を揉み上げる。
弾力の有る塊が手を受け止め、指がそのままめり込み、双丘の形を変える。
「あっ、はっ、ぅんっ」
面白いように小咲の体が反応する。
胸元に吸い付き、谷間や乳房にもその証を刻んでいく。
指も口も頂点を避け、焦らすように二つの膨らみに痕を付ける。
「はっ、はぁっ…あ、なたぁ…」
少し苦しそうに声を出し、楽を見つめた。
「ん〜?何?」
一旦愛撫を止め、顔を上げる。小咲と目が合った。
「じ、焦らさ、ない、で…」
小刻みに震えながら、恥ずかしそうに顔を背ける。
不意に悪戯心が湧いてきた。
「何を?」
愛撫を再開し、また先端を放置する。
「んっ、あっ、はぁっ…い、いじ、わ、るぅ…」
少し恨めしそうに眉根を顰め、楽を見る。
艶めかしい雰囲気は、楽の我慢をいとも容易く崩した。
楽が乳首にしゃぶり付き、小咲の体に快感が走る。
「あんっ!」
舌と歯で吸ったり突ついたりしながら、もう片方を指で摘み、捏ね回す。
刺激を受ける度に小咲の体がぶるっと反応し、息が激しくなる。
「あっ、はぁっ、あんっ…んぁっ、ら、らく、くぅん」
快楽に飲み込まれ、朦朧とした意識の中で、昔の呼び方を記憶の底から引っ張り出した。
甘えた声は楽の胸を穿ち、理性を押し退ける。
小咲のスカートと下着を剥ぎ取り、自分も服を脱ぎ捨て、全裸になった。
両脚を開かせ、腰を掴み上げる。
秘所は既に濡れそぼり、蜜が溢れている。前戯の必要は無いらしい。
小咲は硬くなった楽の性器を見つめ、愉悦の表情を浮かべた。
この後の快楽を期待し、牝の顔になっている。
楽は口の端を歪め、小咲の腰を引き寄せた。
先端が割れ目に触れ、二人の体がぶるっと反応する。
首が肉襞を押し分け、内部に侵入した。
つぷっ、と音がして、滑らかに飲み込まれていく。
「あっ…はぁっ、あっ」
小咲は口をパクパクと開け、首を仰け反らせる。
悦に入った表情で吐息を荒くし、されるがままに楽を迎え入れる。
半分ほど挿入した所で、楽が動きを止めた。
「はぁ、はぁ…んっ…らく…くん…?」
何故止めたのか、非難の目を楽に向ける。
「なぁ、ちょっと気になったんだけどさぁ…」
「んっ…なぁ、に…?」
こんな状況で何を聞くのか。宙ぶらりんの熱が消化不良のまま居座っている。
「…いつから…感じてたんだ?」
「えっ…?」
予想外の質問に、小咲の目が点になった。
楽が腰を揺らし、内壁をくすぐる。
「はんっ!」
興奮を刺激され、小咲の体が反り返った。
子宮が蠢動し、新たな愛液が分泌される。
「気になって集中出来ないんだ」
楽がニヤッと笑い、また腰を揺すると、小咲が再び仰け反った。
「ふぁっ、あんっ!…い、言わなきゃ、ダメ…?」
恥ずかしそうに顔を赤くし、楽を見上げる。
「教えてくれよ、小咲」
いつもの何か物を頼む時の顔をして、一気に貫いた。
衝撃と共に快感が脳天まで突き抜け、小咲の肢体がビクンと跳ねる。
「あはぁあっ」
思わず声を出し、首を反らせ、ガクガクと震えた。
女の喜悦を全面に出したような笑みを浮かべ、楽の嗜虐心を煽る。
「教えて♪」
少年のような笑顔で、最奥まで突き刺した状態で、腰を上下左右にぐりぐりと回す。
「ひゃんっ!あっ、ぅんっ!ま、待って、イ、イッちゃうぅ…」
小咲が熱く荒い息で懇願すると、楽は動きを中断し、体を倒して唇を奪った。
啄むような軽いキスをすると、そのまま圧し掛かり、両手の指を小咲の手に絡める。
「頼むよ…」
鼻先が触れ合うような距離で穏やかに微笑む。
(うっ…その顔、反則…)
小咲の胸が高鳴り、子宮が蠢いた。
(やべぇ…キツイ…)
絞り上げるようなうねりに、楽は必死で耐える。
「小咲…」
快楽に抗い、衝動を抑え込み、耳打ちした。
「…ろ、廊下、で…」
「…で?」
先を促すように腰を引き、一回突き上げる。
「はぁっ!…み、耳たぶに、キ、キス、されて…」
「それから?」
腰を回し、小咲の顔を覗き込んだ。
「あっ、やっ、はんっ!……そ、その時、から…感じ、ちゃって…」
快感に喘ぎ、羞恥心で顔を真っ赤にしながら言葉を紡ぐ。
悦楽の表情は楽の理性を崩壊させ、興奮を膨らませた。
吸い込まれるようにキスをすると、そのまま行為を再開する。
握った指に力を籠め、舌を絡め取りながら腰を動かし、子宮を蹂躙していく。
小咲は目を瞑り、楽に身を委ね、快楽に酔い痴れる。
「んっ、ふっ、んくっ…」
握られた手に力を込め、足を絡めて自ら腰を振る。
襞が絡み付き、内壁がうねり、楽を絶頂へと導いていく。
だがまだ達してはいけない。
僅かに残った理性を振り絞り、射精感を抑え込んだ。
往復運動を加速させ、小咲を突き上げる。
二人の鼻息が荒くなり、虚空に響く。
ソファが揺れ、軋みが強くなる。
楽が手を離し、小咲の体を抱きしめ、顔を離して彼女の項に埋めた。
小咲の腕が楽の背中に巻き付く。
「はっ、うっ…こさ、きぃ…」
「あんっ、はぁっ、ら、らく、くぅん…」
互いの名を呼び合う。吐息がそれぞれの耳に掛かり、五感が溶けていく。
抑え込んだ本能が理性の壁を突き破る。なけなしの理性は頭から押し退けられた。
「うぐっ…わりぃ…そ、そろそろ、かも…」
掠れた声で楽が囁く。
「はっ、あふっ、んっ…き、来て…ぜ、全部…ちょぅ、だぃ…」
小咲が手足に力を籠め、楽を抱き寄せるように奥へといざなう。
背中と脚に感じた圧迫感が楽の欲望を爆発させた。
「ふぐっ!あ゛ぁああっ!」
「あっ、はんっ!んはあああっ…ああっ!」
熱い液体がドロドロと子宮内部を満たしていく。
二人ともその感触を貪り続け、絶頂を駆け上っていった――。
……………
………
…
…
………
……………
「――で、今の惚気話の、何処に悩みが有るって?」
マンションの一室で、テーブルに頬杖を突いたるりが、呆れた顔で小咲を睨む。
「え゛ぇっ!?の、のろ…!?」
るりの言葉は予想外だった。
小咲としてはそんなつもりは無いのだが。
「ああいや、あわわああえあ、えええっとおおぉ…」
こういう時に慌てふためく姿は、昔とちっとも変わって無い。
結婚して数ヶ月、少しは落ち着いたかと思ったが。
「何が悲しくて、あんたと旦那のいちゃついてる話を聞かされなくちゃいけないのよ」
そもそも電話してきたのはそっちだろう。
暗い口調だったから、もう離婚の危機かと思ってこうして呼んだというのに。
「い、いや、だって、ちゃんと説明した方がいいかと思って…」
どうやら掻い摘んで話すつもりだったらしい。
るりも、いつもの癖で根掘り葉掘り聞いてしまったようだ。
自分も昔と変わって無いのか。三つ子の魂何とやらか。
「で、悩みって何?」
るりは少し反省し、いつもの冷静な口調で先を促した。
いつものようにもじもじ照れながら、ぼそぼそと話す。
「え、えっとねえ、その、み、耳たぶ、なんだけど…」
「耳たぶ?」
「う、うん…あのね、普通性感帯ってさぁ、相手が誰でも感じるでしょ…」
「まあ大体は…」
話が妙な方向に行きそうだ。
「うん…でもね、私の耳たぶってね、楽君だけなんだ」
「はっ?」
イッタイナンノハナシダ
「あのね、他の人が触ってもただくすぐったいだけなんだけど…」
相変わらず照れたように頬を染め、出されたお茶を一口啜った。
「相手が楽君だとね、なんか体が熱くなってきて、あちこち敏感になってきて…」
思い出したのか、また耳まで赤くなってきた。
「あっ、で、でもね、二人っきりの時だけでね、外とか、友達が来てたりとかすると別に何も無いんだけど…」
慌てふためきながら、取って付けたように早口で喋る。
るりが苛立ってきたのか、指でテーブルをトントン叩く音が聞こえる。
「で、でね、その…るりちゃんとか他の人とかはさぁ、相手によって感じたり感じなかったりって…有るのかなぁ…って…」
語尾が小さくなってきた。少し恥ずかしいようで、もじもじと俯く。
「あのさぁ、小咲…」
ドスの効いたような低い声が聞こえる。
「へいっ!?」
思わず素っ頓狂な声で返事を返し、顔を上げた。
額に青筋が立ち、背後に怒りのオーラが見える。
おもむろにるりが口を開けた。
――知 る か ゴ ル ァ ! !――
るりの叫びが部屋中に響き渡り、窓ガラスがビリビリと震えた。
「きゃあああっ!ごごごごごめんなさぁい!」
耳を塞ぎ、涙目でるりに謝る。
「何を深刻に悩んでるかと思ったらそんな事かっ!」
「え〜ん、だだだってぇ」
「だっても糞も無い!そのままアイツと子供作ってろっ!」
既に旦那専用の体になっているなら何も問題は無い。
「全く…」
「ごめんなさい…」
腕を組んで睨みつけるるりと、しょぼくれて正座する小咲を、窓から射す光が包み込んでいた。
〜fin〜