人間は傍で見ている以上に、頭の中では何を考えている分からない。
取り分け思春期ともなると、表面上はどんなに澄ましていても、
空想癖や妄想癖が脳を水槽のように満たしているものだ。
水槽のように――と表現したのは、それが、揺蕩うものであるからだ。
ちょっと外側から小突いただけで波打ち、
ちょっと上から小石を投じただけで波立つものだからだ。
皮肉な事にその水の質も、揺らぎも、本人の表層的な振る舞いに反比例する。
取り澄ました者ほど内面では激しい妄想をかき抱いているし、
わざとらしくリビドーを曝け出す者ほど内面は淡白であったりする。
後者の例は、例えて言うなら、舞子集だ。
普段は男子達から一目置かれ、女子達から辟易されるスケベ根性の彼だが、
その実、常に一歩も二歩も引いていて、決して深みに嵌ろうとしていない。
では逆に、前者――いわゆるムッツリとか、隠れスケベと呼ばれる者――
の、代表格と言えば誰になるだろうか?
それは、言うまでも無い事だろう
『ただいま〜』
その晩小野寺小咲は、妄想に憑りつかれていた。
『はーい。おかえりなさい、あなた』
ただ憑りつかれているとは言っても、あくまで夢の中だったが。
『お食事の準備出来てますよ。お風呂も湧いてるけど、どっちが良い?』
しかし一つだけ、例え夢とは言え、惜しい事があった。
『う〜ん、先にご飯かな』
ここだ。
夢の中とは言え、妄想の夫、一条楽は、気が利かなかった。
いや、彼としては気を利かせたのだろう。
風呂は今時、古い浴槽でもなければ、全自動で保温される。
せっかくの食事が冷めるのを良しとせず、楽は食事を優先してくれた。
だが小咲としては、ここで早速楽に入浴して貰いたかった。
そうであったなら、もっと早く、彼と蜜月の時間に没入出来た。
時間切れで目が覚め、惜しい所で朝を迎えずに済んだ筈だった。
「……私ったら何て夢を……」
破廉恥な夢に思わず跳ね起きた小咲だったが、同時に後悔もしていた。
もう後一分でも遅く起きていたなら、もっと続きが見られたのに……と。
或いは食事より入浴の方を楽が優先してくれていたなら、もっと……と。
まさか同じ夢を、ほんの少し短く、楽の方も見ていたとは知らず。
いつまでも悶々としていても仕方ない。
母親の用意してくれた朝食を手早く摂り終え、歯磨きと洗顔を済ませ、
化粧にもろくに頓着しないまま、年相応なナチュラルな顔で家を出る。
クラスの女子にはもう少しメイクの上手い女子達も居たが、
生憎と小咲はそういった事が得意な方ではなかった。
化粧水を肌につけるので精一杯と言ったところで、
睫毛を弄るだの何だのは、試した事すらろくに無い。
それに、今の年代はそれで十分だと、彼女は思っていた。
そういうのはもっと大人になって、最低でも大学生くらいになってからで遅くない。
中学を卒業して半年も経過していない彼女には、大人の世界はまだ遠い事のように思えた。
「行ってきまーす!」
和菓子屋を営む母の見送りに元気の良い挨拶を返してから、彼女は通学路を歩き始めた。
最初は何と言う事の無い道を歩くだけだが、母校へ近付くにつれて、
同校の生徒達の姿をちらほらと見かけるようになっていく。
こうして少しずつ学校の空気に近付いていく時間と空間が、彼女は好きだった。
「お早う、小咲」
今日も今日とて、宮本るりは無表情で小咲に挨拶した。
「おはよう、るりちゃん!」
「……? 何か今朝はやけに元気ね」
「え、そう?」
「何か良い夢でも見たの?」
「どひぇっ!? あわえあゆゆゆ夢なんか見てないよっ!!」
「……分かり易い子ね、あなた」
同じ頃、楽もまた、集に似たような指摘を賜っていた。
「いやそそそっそんなお前アハハハ夢だなんて馬鹿言うなよお前お前」
「わっかりやすいなー楽は。嘘つくのが下手なんだろうなぁ」
幼稚園の頃からの幼馴染である楽と集は勿論だが、
中学が同じである小咲とるりもまた、家はそれ程離れていない。
勿論「高校の同窓生」として見た場合であり、隣近所と言う程近くはないが、
中学時代は同じ校区に居た以上、教室に、いや校門に辿り着くまでの間に、
どこかでばったり鉢合わせると言うパターンは、それ程珍しくはなかった。
毎日毎日遭遇するわけではないが、その日はたまたま、
正門へと続く片側一車線の車道の脇の歩道の交差点で、彼等は出くわした。
「おっはよーるりちゃん! 小野寺!」
「あなたにるりちゃんなんて呼ばれる筋合い無いわよ。お早う一条君」
「あるぇ!? るりちゃん俺には挨拶無し!?」
「余所余所しく宮本さんと呼んでくれるなら考えたげる」
コイツらひょっとして実は仲良いんじゃないのか、
というツッコミも、今の楽の精神状態では不可能だった。
今朝夢に現れた張本人、小咲が目の前に立っていたのだから。
「お、おはよう小野寺……と、宮本」
おい、私はついでか。等と言うツッコミは、るりもしない。
「おおお、おはやう、一条君……」
落ち着け小野寺、噛んだせいで古文みたいになってるぞ、と集が指摘する。
付き合ってもないくせに初々しい二人は、それぞれの緊張を誤魔化すように、
取ってつけたように余り物の二人にも挨拶した。
「おはよう、宮本」
「私には普通に挨拶出来るクセに、この男は本当に……」
「え、何か言った?」
「何でもないわよ、ヘタレ」
小咲も慌てて集に声をかける。
「おはよう、舞子君」
「おー! お早う、小野寺。それにしても、楽には噛んで俺には噛まないのは何……」
刹那、るりちゃんドロップキックが集の腹に炸裂した。
「いらん事言わんで良い、アンタは」
「ごふっ……お、お前だって楽をおちょくったくせに……」
「一条君がおちょくられるのはどうでも良いけど、小咲をおちょくるのは私が許さん」
「不条理な……」
そうしてるりと集は、さっさと教室へと向かって歩いて行った……早足で。
「お、おいちょっと待てってお前ら!」
「るりちゃん、置いて行かな……っ」
小咲は気付いた。
あぁ、わざとだ。
るりはわざと早歩きをして、小咲と楽を少しでも二人きりにしようとしている。
同じ事には、楽も気付いていた。
集がわざとるりに追い縋る振りをして、楽と小咲に甘い一時を堪能させようとした事は。
「えと……そいじゃ行くか、小野寺」
「う、うん」
楽と小咲は少し頬を染めながら、ぎこちない足取りで校門へと向かう事になった。
「こんのもやしぃーっ!」
「ぶべらぁっ!?」
「まぁ大変ですわ楽さま。ささ、私が保健室に連れて行って差し上げます」
「ムッ、何よ! 仕方ないからダーリンは私が保健室に……」
「あらあら。ご自分でフッ飛ばしておいてよく仰いますわ」
「お待ち下さいお嬢。お嬢の手など煩わせるまでもなく、ここは私が」
「あっれぇ? 誠士郎ちゃん、いつからそんなに楽に献身的になったワケ?」
「なっとらんわ馬鹿者ぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
「だ……誰でも良いから……肩貸してくれ……」
今日も今日とて、楽の周りは賑やかだった。
エロさを省いたラブひなのような騒々しさが、そこにはあった。
そんな中、その空気に馴染まぬるりは、少し離れたところで、
今朝のニヤニヤの理由を小咲から小声で問い質していた。
「ほぉーう。……ほぉぉぉぉぉぉぉぉぉう?」
「や、やめてよるりちゃん……そう何度も確認されると、恥ずかしいから……」
誤魔化しの下手な小咲は、全てを洗いざらい話してしまっていた。
楽との結婚生活を夢に見てしまった事。
ムシの良い事に、自分の料理の腕が夢の中では抜群に向上していた事。
そして、楽と二人で風呂に入る寸前で、目が覚めた事。
「よくもまぁそんな夢を見るものね。良い奥さんになりそうだわ、小咲って」
「え、え? 何で?」
昼は淑女、夜は娼婦。
それが男の理想の女性像であるらしいという事までは、るりは教えなかった。
男どものそんな都合の良い理想に付き合ってやる気は個人的には無いし、
また小咲をそっち方面に誘導してやる気もさらさらない。
余計な事を教えてしまうと、小咲の性格を考えると、悪影響が出てしまいかねない。
下世話な話を飄々と受け流すだけのスキルは、小咲には備わっていなかった。
もっとも集との絡みを振り返るに、るり自身にもそんなスキルは無いのだが。
「はぁ……それにしても、惜しかったなぁ……」
「何が?」
「……! ううん、何でもないっ!」
小咲は咄嗟に本音が漏れてしまった事を悔いた。
あともう少しで、夢の中とは言え、楽のカラダが見られたかも知れない。
そんな本音は、相手がるりと言えど打ち明けられるものではなかった。
彼女ら二人だけで輪から離れて話し込んでいると、
目敏く首を突っ込んでくるのは、集の悪い癖だ。
それは少しでも楽と小咲に話すキッカケを与えたいが故の、親切心でもあったのだが。
「二人とも何話してんのっと」
「何でもないわよ。小咲が今朝変な夢見たってだけの話」
「ちょっ、るりちゃん!?」
しかし集は、意外にもその話題にはあまり首を突っ込まなかった。
彼からしてみれば、楽の事には興味があるし、首も突っ込むが、
個人的に小咲に対して思い入れなどというものは全く無いのだ。
ただ楽の相思相愛の相手だから、二人の恋模様を見物しているだけに過ぎない。
小咲の焦燥は杞憂に終わり、集は「ふーん」とだけ素っ気なく返した。
だがこういう時、掘らなくて良い墓穴を掘るのが楽と言う男だった。
「いやぁ俺も今朝妙な夢見ちまって……ハッ!」
繰り返すが、集は小咲には興味が無いが、楽には非常に興味がある。
「ほーお。どんな夢見たんだ?」
「い、いやその……大した夢じゃねぇよ」
「大した夢じゃないなら、教えても良いんじゃねぇのぉ?」
「マジで本当に大した夢じゃないんだってば! もう内容なんか忘れちまったよ」
「たった今まで覚えてたくせに、いきなり忘れたのかよ」
「それは、ほほほ、ほらアレだ! 妙な夢を見たって事だけは印象として残ってるけど、
肝心の内容は忘れちまって、印象だけ残ってるって感じ!」
そういう経験は、集にも無いではなかった。
何か変な夢を見たような気がするが、起きて五分後にはもう忘れていて、
ただモヤモヤした気分だけが何となく残り続ける、あの感触。
楽がそう言い張るのなら、無粋に根掘り葉掘り聞くのは、
今は止しておく方が良いだろう。
今は、だが。
放課後、他に誰も居なくなった教室で、集は楽の前で馬鹿笑いしていた。
「ひゃっひゃははははひゃひぃやひゃひゃひゃっ!」
「お前……笑い過ぎだろ……」
「だってお前……プククッ……いやぁー、青春っスなぁ?」
「うるせぇ! どうせ寸前で夢から覚めたんだから、無罪だ無罪!」
「無罪も有罪もねぇよ。誰も悪いなんて言ってねぇじゃん」
勝手に小咲を夢に登場させ、勝手に卑猥なシーンに突入しかけていた事で、
楽は少しばかりの罪悪感を覚えていたわけだが、集はそれも見抜いていた。
見抜いた上での、コレなわけだ。
いつもいつも、集は楽を手玉に取ってしまう。
「それにしても、小野寺が服さえ脱ぐ前に夢から覚めちまうなんてなぁ。
いやぁ、惜しい惜しい。もうちょっと進んでたら、裸ぐらい見れたろうに」
「いっ、いらねぇよそんなの! 俺は夢の中で小野寺を穢す気は無ぇの!」
夢の中ですら穢せないような男が、現実で汚してやる度胸などあるまい。
楽のこの、肝心な局面での根性の無さは、本当に見ていて飽きない。
るりは「早くくっつけ、鬱陶しい」と思っていたが、集は逆に、
なるべく楽と小咲にはこの甘酸っぱい中途半端な時間を長く味わっていて欲しかった。
どう考えても、見てる側はそっちの方が楽しいのだから。
「ははは、いやぁ……久し振りに腹が痛くなる程笑わせてもらったぜ」
「何が久し振りだよ、集。
お前ついこないだの林間学校のバスん中でも腹筋痛める程笑ってたくせに」
「でもまぁ、アレだよな。お前が夢の中で小野寺の裸見られなかったのは、多分アレ。
実物を一度も見た事が無いから、想像すら出来なかったって事だろうよ」
「はぁ? 夢だったらそんなのお構いなしじゃねぇのかよ」
「そうでもないぜ? 夢は記憶を再構成してるって話だかんな。
見た事も考えた事もないものは、夢には登場させらんねぇんだよ。
一見すると見覚えの無い風景や展開でも、過去に見た番組だの何だのの影響があって、
必ずどこかでちらりとでも見た事があって、それを混ぜ合わせたものが夢ってワケ」
何でコイツはそんな心理学的な事に妙に詳しいんだ、とは言うまい。
助兵衛の集の事だ、恐らくはエロネタ方面から枝葉を広げ、
たまたまそういう知識を得ていただけだ。
一頻り親友にからかわれた後、楽はようやく鞄を拾い上げ、帰路に着いた。
水泳部の活動を終えた後、誰も居なくなった女子更衣室で、
小咲はるりにおちょくられていた。
「ふーん。一条君がトランクスに手をかけた所で夢から覚めたワケね」
楽よりほんの少しだけ長く同じ夢を見ていた小咲だったが、
彼女とて核心に迫る部分まで見られたわけではない。
夢の中では、まず先に楽が服を脱いでバスルームに向かい、
それから脱衣所で自分が服を脱いで、バスルームに入る、という段取りだった。
豪邸でもない限り、一軒家の脱衣所と言うものは、二人一緒に入れる程広くない。
夢の中の彼女は、楽が服を脱いでいくのを、廊下からひっそり見つめていたのだった。
だが、そこで夢が唐突に途切れたのだ。
「確かに、惜しかったわね。もうちょっとで一条君のあられもない姿が見られたのに」
「もうっ! るりちゃんったら!」
「でも小咲、少なくとも一条君の上半身は見れたのよね?」
「そ、そうだけど……」
「多分それは小咲の記憶に、彼の上半身の映像が残ってるからよ。
水泳の時に彼の上半身は見てるワケだから、記憶に留まってたんだわ」
どうしてるりが突然こんな話をしたのか、小咲には分からなかった。
首を傾げる小咲の前で、るりは突拍子も無い事を言い出した。
「よし。アンタはどうにかして、一条君の下半身を見なさい」
「……ひゃいっ!?」
「そうすれば夢の中でも彼の全裸を拝めるわよ。
一緒にお風呂に入る夢、見たくないの?」
「あわえわわわわ。それそそそソレはいくら何でも……!」
るりは、焚き付けたのだった。
こんな事でまさか実際に小咲が何か行動を起こすとは思えないが、
もし行動を起こしてくれるなら儲け物だ。
少しでも前進しようと言う気になってくれるなら、こんなに良い事は無い。
るりは、小咲が今日にでも楽にメールをし、出来れば一ヶ月以内にでも
今よりもっと関係を深めてくれる事を期待した。
小咲の事だ、一ヶ月でも恐らくは足りまいが、発破をかけないよりは良い。
いい加減、楽と小咲のじれったさには、集と違って辟易していたのだから。
ところでこの日、水泳部の活動はいやに早く終わった。
顧問が午後から体育部の研究会の為に出張に行っており、
今日は部長を纏め役として簡単なミーティングだけを済ませて、
それでお開きと言う形になったのだ。
こうなる予定である事は先週から通達されていたので、
小咲もるりも、今日は水着を持って来てはいなかった。
校門へと向かう道々、るりはひたすら小咲を触発しようと試みていた。
「大体ね、夢に一条君が出てきたって事は、
一条君の方もアンタに会いたがってるって事なのよ?」
「そんなの、根拠のない迷信だよぉ……」
自分の夢に誰かが登場するのは、自分がその相手を求めているからではない。
相手が自分を求めているからだと言う通説は、小咲も聞いた事があった。
だがそれはまさしく、迷信としか思えない。
まさか彼が自分を欲してくれているなどと、小咲には到底考えられなかった。
そんな折、彼女らは校門前で、ばったりと出くわしたのだ。
一条楽と、舞子集に。
「あっ、よ、よう二人とも。……今帰りか?」
「う、うん! えぇっと、一条君達も?」
瞬間、集とるりの間でアイコンタクト交わされる。
「あー俺今日野暮用思い出したわ! じゃあなー楽!」
「あーなんか今日は走って帰りたい気分だわ、突然だけど」
「うぇっ!? おいちょっ、コラ集っ!」
「まっ、待ってよるりちゃぁぁあん!?」
バヒュン! という空気の揺れる音だけを残して、眼鏡二人は颯爽と姿を消して行った。
「何なんだ、アイツら……?」
「何なんだろうね、本当に……」
千棘も鶫もマリカも、それぞれ既に帰宅している。
正真正銘、ウブな二人組は二人きりでその場に取り残されてしまった。
互いに照れがあるため、二人きりになると、楽も小咲もまるで会話が弾まなかった。
途中までは帰る方向が同じだから、どうしても連れ立って歩く形になる。
それが嬉しく、また有り難いとも思う反面、逆に焦りも生み出した。
その焦りのせいで、彼等は余計に口がきけなくなっていた。
結局何も話せないまま、ただ無言で五分ばかり歩き通した頃、
ようやく小咲は話題を見つけた。
「あ、あのっ」
「なっ、何だ!?」
「いや、えぇと……一条君が今朝見た夢って、何だったんだろうねぇ、えへへ」
「あ、あぁ、その話か? いやあのホラ、別にその、何でもないっつーか」
書いてて思ったのだけれど、この二人のキャラクター性をそのまま再現しようとすると、
二人とも積極性に欠けるせいで、どうしても話が先に進まなくなる。
何となくコミィの苦労が偲ばれるが、SSで悠長に構えていても仕方がない。
そんな天の声を感じ取ったのか、楽は思わず口を滑らせてくれた。
「ホント、何でもねぇんだぜ? ただ単に小野寺が……」
「……私が?」
「っ!!」
言った後で楽は、しまった、というような顔をした。
「いやあの、ただ小野寺が出て来て、いつもみたいに他愛のない話しただけで」
焦っていたせいで、彼はミスを犯してしまっていた。
ただ単に小咲が夢に登場しただけの事を「変な夢」と言ってしまっているのだから、
それを受けた小咲が意気消沈してしまうのは、無理からぬ事だったのだ。
「そっか……私が夢に出ちゃったりしたら、そりゃあ変だよね……」
「ちがっ、違うって! そういう意味じゃなくてっ……!」
気まずい沈黙。
だが沈黙以上に、もっと気まずいものが、彼等を包み込んだ。
彼等はいつの間にか、歩みを止めてしまっていのだ。
どちらから足を止めたのかは、本人達にも分からなかった。
無自覚ながら常に思いのシンクロしている二人の事だから、
きっと「どちらから」ではなく「どちらとも同時に」足を止めていたに違いない。
そしてこうなると、無言の時間ばかりを重ねて誤魔化す事は出来なかった。
何かアクションを起こさねば、二人の時間は一向に進まなかった。
たっぷり三分迷った後、ようやく楽は口を開いた。
「いや、その……何かさ……小野寺と、一緒に住んでる夢を見て……」
これが彼の精一杯のフォローだった。
結婚していたとか、風呂に入ろうとしていたとか、そうした部分をカットして、
出来る限り詳細を省きつつ嘘を言わない為には、これしか方法が無かった。
これだけならまだ、夢の中で兄妹だった、で何とか押し通せない事も無い。
けれども同じ夢を見ていた小咲にとっては、心臓が貫かれた気分だった。
「わ、私も……夢の中で、一条君と……」
「……え?」
初夏の夕暮れは遅い。時計の針が五時を回っても、まだ空は明るかった。
だからこんな明るい内から、こんないかがわしい施設に来るのは、
経験の無い高校生二人にとっては、殊更に背徳を煽られるものだった。
制服のままでは流石に危ないから一旦自宅で私服に着替えてきたが、
内心では待ち合わせ場所で再会するまで、二人とも不安で仕方なかった。
もしも待ち合わせ場所に相手が来なかったらと思うと、気が気でなかった。
あまりにも突飛過ぎる流れは、相手に土壇場で裏切られるかも知れない、
という不安を青少年達に与えるには十分過ぎた。
客観的には二人とも、絶対に互いを裏切らない仲なのだから、杞憂に過ぎなかったが。
やがて待ち合わせ場所でちゃんと落ち合い、人目を忍びながら歓楽街に赴き、
フロントで受付を済ませると、彼等はエレベーターに乗って指定の部屋に辿り着いた。
「わ、私……こーゆートコ来るの、初めてで……」
「そんなの、俺だってそうだし……」
「そっか……。千棘ちゃんとも、流石に来てないんだね」
「まぁ、そりゃ。付き合ってるってのも、所詮演技だかんな……」
しかしいくら演技とは言え、小咲は気後れしていた。
何となくだが、千棘が楽に悪しからぬ感情を抱いている事は伝わる。
それにマリカなどは、ストレートに楽への愛情を表現している。
そうした者達を差し置いて抜け駆けをするようで、どうしても罪悪感があった。
だがこれは、抜け駆けではない。
いや、抜け駆けするような事は決してやってはいけない。
彼女は努めて自分にそう言い聞かせた。
「えと……そ、それじゃあ……お風呂、入ろっか……?」
こういう時の度胸は、楽より小咲に軍配が上がる。
ラブホテルなら脱衣所は勿論、風呂場だって一軒家より広い。
二人きりなら、混浴するには十分なスペースだった。
「良い!? お互いに相手の体を見るだけ! 見るだけだからね!?」
「あ、うん……」
そんなに俺に手を出されるのが嫌なのか、と楽は落胆していたが、とんでもない誤解だ。
小咲は「今度似たような夢を見る時のリアリティの為」などと、
るりに吹き込まれた事をそのまま主張していたが、
それが大嘘である事までは、楽は気付いていなかった。
どころか、相手の体を確認する事で夢のリアリティを増すという小咲の提案は、
小咲自身が望んでいるものではなく、小咲が楽の為に犠牲になってくれているだけ、
とさえ思い込んでいた。
この期に及んでもまだ彼らは互いに愛の告白をしておらず、
言い訳で自分を守らねば、ホテルに部屋を取る事すら出来なかったのだ。
夢と同じように、楽がまず脱衣所で服を脱ぎ、先に風呂場に入る。
脱衣所と言うものは、大抵はドアなりカーテンなりが閉まるものだが、
団地やマンションになると、そうでもない場合も少なくない。
しかしホテルとなるとそれは別で、まず確実に、脱衣所にはドアがついている。
ベッドの上で悶々と合図を待ち続ける小咲は、あのドアの向こうで
一条君が服を脱いでいるんだなぁ……と空想しながら、
鏡に映った自分の緩み切った顔を見て、首をブンブンと振っていた。
「おーい。もう良いぞー」
楽からの合図だ。
この合図の後、十秒経ってから脱衣所に入るよう、楽と約束している。
風呂場からでは合図は聞こえないから、楽には脱衣所で声をかけて貰うようにしていた。
そのまますぐに脱衣所に入ったのでは全裸の楽と鉢合わせてしまいかねないから、
必ず十秒経ってから入るようにと、小咲は頑なに決め込んでいた。
……八、九、十。
酷く長く感じられた十秒を経て、小咲は脱衣所に入った。
一応見られても良いように、家で下着をなるべく可愛いものに替えて来ていたが、
果たして楽はどうなのだろうか?
男の子でも自分の下着とか気にするのかな、とは思うものの、確かめる術は無い。
脱衣籠に放り込まれた楽の服が目に留まり、小咲は再び赤面した。
楽の性格を考えると、わざととは思えない。
積み重なったシャツとジーンズの上、一番見える位置にトランクスがあったとて、
それはきっと、順番に着衣を脱いでいった際の、自然な積み重なり方だった。
小咲の目から自分の下着を隠そうなどという冷静な思考は、彼にはきっと無い。
小咲はそう納得しておく事にしたし、実際それは真実でもあったろう。
後になって楽は「あ、パンツを服で隠すの忘れてた」と気付く事になる。
「こ、これが、いいい、一条君の下着……」
思わず凝視してしまった小咲だったが、すぐに目を背ける。
我ながらこんなものを見つめてしまうとは淫ら過ぎる、と後悔しながら。
そして、そこで、はたと気付く。
脱衣籠は、一つしか無い。
「わ、私……一条君の服の上に、自分の服を置くの……?」
何と言う事のない普通の行いの筈なのだが、それすらも、
今の小咲にとっては大層いやらしい行いのように思えた。
服を脱ぐ順番が違っていたら、逆に楽の方が、
籠に放り込まれた小咲の服を見て同じ焦燥を感じていた筈だった。
「い、一条君の下着の上に、わ、私の服が、私の服が……」
小咲は判断に迷った。
自分の下着を隠す為には、自分の服をその上に重ねるのが良い。
けれどもそうすると、自分の下着が楽の下着と直接触れ合う事になる。
と言って、服を下にしてパンティやブラジャーを上にすると、
楽が風呂から上がった時に、自分の下着が丸見えになってしまう。
すっかり落ち着きを無くしている事に彼女が気付いたのは、五秒後だった。
よく考えたら、必ず下着か服のどちらかが上である必要は無いのだ。
ワンピースでまるっと下着を包み込んでしまえば良い。
そうすれば、楽が先に風呂を上がっても、自分の下着を見られずに済む。
いやそもそも、楽より先に自分の方が風呂を上がれば良いだけだ。
「そ、そうよね……冷静に、冷静に……」
だが彼女はまだ冷静ではなかった。
下着どころか、もっと凄いモノを今から見せ合う事になるのだと、
もうとうに忘れてしまっている。
それに、仮に自分の服で自分の下着を包み込んでいたとして、
そしてもし仮に楽が小咲より先に風呂から上がったなら、
当然楽は小咲の服をどけて自分の服を籠の底から引っ張り出すわけで、
その際に小咲の服がバラけて、下着が丸見えになる公算は高い。
彼女はパニックに陥る余り、そんな事にも気付けていなかった。
この磨りガラスの向こう側に楽が居るのだと意識しながら、
まるで直接見られているような恥ずかしさを覚えつつ、服を脱ぎ始める。
焦っているせいで服の襟が頭に引っ掛かり、ブラのホックもうまく外せず、
彼女が一糸纏わぬ姿になるまでには、酷く時間がかかっていた。
楽はその間湯船に浸かりながら「女子って着替えるの時間かかるのかなぁ」
などと考えていた。
既に彼のイチモツは湯船の中で、抑えようの無い程硬くそそり立っていた。
バスタオルで胸から下を隠した格好で、とうとう小咲がバスルームに足を踏み入れる。
「お邪魔しまー……す……」
「は、はい、どうぞ……」
ラブホテルで、しかも一緒に風呂に入るというこの段階になっても、
彼等のぎこちなさは少しも緩和されるところが無かった。
裸の付き合いというのも、言う程気楽なものではない。
バスルームは一般的な家庭の基準で言えばあまりに広く、
浴槽だけでも通常の二倍以上のサイズがあり、
シャワー周りはそれに劣らぬ程スペースに余裕があった。
その気になればここでプレイする事も出来るような設計なのだと、
今の彼等には気付く余裕は無かった。
「え、えへへ……何だか、恥ずかしいや……」
「ん……俺も……」
湯船に足をかけようとした小咲は、そこで固まってしまった。
いくらバスタオルで体を隠しているとは言え、湯船に入る為には、
必ず片足を上げなければならない。
これでは恥ずかしい部分が丸見えで、隠している意味が全く無い。
いやそもそも、これから見せ合う事になる体なのだから、最初から隠す必要は無いのだが。
ふと見ると、分厚い湯の層の奥下で、楽が腰にタオルも何も纏っていないのが分かった。
思わず目に飛び込んできた、水底で揺れる男根に、小咲は鼻血が出そうになった。
「いっ、一条君!? 隠してないの!?」
「わ、悪い! 隠してた方が良かったか!?」
「あ、あ、いや、えっと……そ、そうだよね……隠してちゃ、駄目だよね……」
二、三度深呼吸した後、小咲は覚悟を決めた。
「私も……全部、一条君に見せるね……?」
そういう約束なのだから、いずれはこうしなければならなかった。
コウモリが羽を広げるように、小咲は両手でゆっくりと、バスタオルを広げて見せた。
耳まで真っ赤にした楽が、目を皿のように丸くして見入る。
「えっとぉ……その……き、綺麗だよ……小野寺」
「……そんな事言われたら、恥ずかしいってばぁ……」
一瞬でも早く体を隠したくて、小咲は慌てて湯船に入り込んだ。
少しばかり派手に湯が弾け、体温より少し熱い水面が波打つ。
体操座りの格好で前を隠した上、楽は正面ではなく、真横に居る。
これなら凝視されてもまだ平気かな、と彼女は思った。
「私の夢……これで叶ったね、一条君」
それは小咲にとって、随分妥協した夢だった。
彼女の夢は、楽のお嫁さんになる事だ。ただ一緒に風呂に入るだけではない。
しかし楽の方は、それを違った意味で捉えた。
何しろまだ互いに告白もしていないし、この期に及んで彼は、
まさか小咲が自分を好いてくれているなどとは思ってさえいない。
小咲の言う「夢」が、文字通りの夢、夜中寝入っている時に見る夢だと勘違いした。
楽の体を曲がりなりにも見た以上、これで彼女の夢はリアリティを増すのだから、
その意味では小咲の夢は到達点を迎えたのだろうな、と楽は解釈した。
「ま、まぁ……俺なんかの夢で良かったら、いくらでも見てくれれば……」
そういう意味じゃないんだけどなぁ、と小咲は残念がったが、
自分を見つめる楽の視線がいつもと違う事に、すぐに気付いた。
「なぁ、小野寺……俺の夢の方は、まだ、その……」
「な、何?」
「まだじっくり小野寺の体見てなかったから、当分完全には叶いそうにないって言うか」
楽にはない小咲のアドバンテージ。
それは、彼女が楽の上半身だけなら見た事がある、という事だった。
しかし楽は、小咲の体を、下半身どころか上半身さえ今日初めて見たのだ。
その上小咲はバスタオルを取ってからほんの四秒ですぐ湯船に浸かった。
楽はまだ、小咲の胸しか見る事が出来ていなかったのだった。
いきなり股間に視線を向けられる程、楽も度胸は無かった。
だが湯船に浸かった後となれば、そうゆったりとしている場合でもない。
状況が、ではなく。精神状態が、彼等を加速させ始めていた。
「下も……見せてくれると、嬉しいかなぁ……なんて……」
「い、一条君……息、荒いってば……」
「ハッ! ご、ごめんっ! そんなつもりじゃ……っ」
あぁ、これで完全に嫌われた。
そう項垂れた楽を前に、小咲は逡巡の後、決意を固めた。
「良いよ、一条君。私の体、じっくり見てくれても」
「小野寺……」
湯船の中では光が大幅に屈折してしまうため、どうしてもリアリティが減衰する。
これはこれで生々しいけれども、やはり直接相手の体を検めたい。
そう考えていたのは、楽だけではなかった。
小咲もまた、湯によって歪められたものではない、ちゃんとした楽の体を見たがった。
どちらから言いだすでもなく、二人はすぐに湯船から上がり、
シャワーに見下される形で、壁際に立った。
小咲は背中を壁に預け、直立不動のまま、楽の視線を全身に受け止めた。
腰の横で密かにきゅっと握り締めた手が、緊張のせいで小刻みに震えている。
「スッゲ……改めて思うけど、マジで小野寺の体、キレーだ」
「うぅ……恥ずかしいよぉ……」
自分の体を見られる事も何よりだが、完全に勃起した楽のソレを見る事が、
何より小咲にとっては恥辱を煽られる気がした。
いつの間にか楽の両手が自分の肩に乗っている事に気付くのさえ遅れる程に。
「あなたの、スッゴイ大きいよぉ。いつもそんなの、ズボンの中に仕舞ってるの?」
この時小咲が楽を「一条君」ではなく「あなた」と呼んだ事に、
楽は違和感を覚えたものの、そう呼ばれた理由までは考えなかった。
そのまま「You」とさして変わらぬ意味で捉えてしまっていた。
だがすぐに気付く。
これは、夢の続きの再現なのだと。
夢にリアリティを持たせるのではなく、夢を実行する事を、小咲が望んでいるのだと。
「小野……いや、その……こさ、き……?」
「はい……あなた」
頷いてくれたからには、これで正解だったのだろう。
楽はそう確信し、無言で唇を彼女の顔に近付けた。
一瞬驚いた顔を見せた小咲だったが、静かに目を閉じ、受け入れ態勢を整える。
彼等のファーストキスは、ラブホテルのバスルームなどという、
前段階をいくつもすっ飛ばしたような状況で交わされる事となった。
もう千棘やマリカに対する遠慮など、小咲は考えようとはしなかった。
この日を境に、彼等の夢は、更なるリアリティを持つ事だろう。
見た目だけではなく、互いの感触や匂いまでも得る事が出来たのだから。
いやそれとも、もう夢など必要無いかも知れない。
現実に、体を触れ合せる事が出来たのだから。
「うふふ。あなたったら、赤ちゃんみたい」
「そ、そうか? ゴメン、こういう時どうやったら良いのかワカんなくて」
楽は、ただ小咲の乳首を舐めただけだ。
それは当たり前の前戯の一種だったのだが、楽には分からなかった。
ただオスの本能でそうしただけだったから、それを「赤ちゃんみたい」と言われれば、
自分がやった事は通常のセックスからかけ離れた事だったのかと勘違いしてしまう。
小咲にとっても、乳首を舐められる事が普通のプレイなのかどうか、
確信は持てていなかったが、悪い気分ではなかったから、彼をフォローした。
「良いのよ、あなた。あなたの好きなようにしてくれたら、私はそれで」
「うん。ありがとう、小咲」
「やっと名前で呼んでくれたのね、あなたったら」
「じゃあ小咲も、今一度俺の事、名前で呼んでくれよ」
一瞬照れた後、小咲は意を決した。
「うん……楽君」
乳首に吸い付く旦那の後頭部を、小咲は優しく撫でながら言った。
立ったままの小咲に対し、腰を屈めて楽が乳首を吸うという不格好さだったが、
二人ともそんな事は全く気にしていなかった。
ただせいぜい楽の方が、立ちっぱなしだと小咲が疲れるだろうと思った程度だ。
さりとてバスルームの床は堅い。その場で寝そべるには無理がある。
「部屋……行こっか、小咲」
「はい、あなた」
彼等は体の水分を取るのもそこそこに、裸のままでベッドルームへと向かった。
シーツが湯で濡れる事など、気にしてはいられなかった。
これ程気分が高まっているのに、今更落ち着いて体など拭いていられなかった。
今朝見た夢の続きは、どうなっていたのだろうか。
風呂場でしていたのだろうか? それとも一度部屋に戻ってから?
きっと後者だ、という確信が二人ともあった。
この現実は、夢の続きなのだ。
寸分たりと夢と食い違っているわけがない。
きっと夢の中の一条夫妻は、風呂を上がった後、寝室で事に及んだのだ。
そしてそれは今回のホテルに限った事ではなく。
きっと本当に結婚して、一つ屋根の下で暮らすようになってからも。
「でもこの次は、お風呂場でするのも良いかもね?」
「この次、か……。そうだな、うん」
もう既に小咲の中では「次」が確定しているらしかった。
愛妻をベッドの上に押し倒し、亭主は再び、乳首への愛撫を再開した。
今度は舐めるのではなく、両手の人差し指と親指で、先端を捏ね繰り回す。
口や舌はと言うと、こちらは乳首ではなく、小咲の唇をロックオンした。
技術の未熟なままの二人は、人生初のディープキスに没頭し始めた。
小咲は彼を離すまいとして、両腕で楽の首から上を抱き寄せた。
「んじゅるっ……れろ……ふぶっ……」
不格好な水音とくぐもった声が、二人の唇の接合点から漏れ出す。
意外にも小咲は――いや、楽以外の者にとっては別に意外でも何でも無いのだが――
やる時はかなりやる方で、一言で言えばかなり大胆だった。
初めてのディープキスだと言うのに、もう自ら舌を突き出し、動かしている。
楽にとってもこれがファーストディープキスだったから、これが普通なのかと思った。
千棘や鶫なら、相手にされるがままになって、
自分から舌を出す事など到底出来る筈が無い、などとは気付けなかった。
恐らくはマリカですら、土壇場になればこんな度胸は無いのに。
小咲は楽に身を委ねるどころか、自ら楽を貪ろうとしていた。
ムッツリスケベの本領発揮とでも言うべきか。
そうこうする間にも、楽の指は丹念に小咲の乳首を責め立てた。
楽の勃起にも劣らぬ程硬くなったそこを、転がしたり、弾いたり、押し潰したり。
無駄な肉の無い小咲の体は、恐らく血圧も低いのだろうが、
そのせいで楽がびっくりしてしまう程冷たく感じられた。
だがそれも、今だけだ。
程なく彼女の体は、比較にならない程温まっていく事になる。
興奮と疼きが、仲良く連携し合う事で。
初めてのセックスでここまでするカップルが、果たしてそんなに居るだろうか。
小咲がスケベな女だったからか、それとも体の相性が良過ぎて高まったからか、
彼等はどちらから発するでもなく、自然とシックスナインの体勢に移行していた。
分けても熱心だったのは小咲の方で、拙い舌遣いで以て、彼女は夫自身を可愛がった。
「はぁっ……あんむ……う、ぷひゅっ……」
その小さな口で懸命に、楽のモノを咥え込み、手探りで相手の反応を確かめる。
だが相手の反応を十全に読み取れる程、彼女に経験値があろう筈も無かった。
「ねぇ、あなたぁ……どこをイジって欲しいか、ちゃんと教えてね?
あなたが望むなら、私、何だってするからぁ……」
楽は彼女のマンコの方から声を返した。
「大胆だな、小咲って。どんな風にでも、小咲のやりたいようにやって良いよ」
「だめ! それじゃヤダ! 出来るだけあなたを気持ち良くさせてあげたいんだもん!」
奉仕精神からくるものではあったが、小咲はいつもより、強引になってきていた。
元々彼女は、心を許した相手に対しては多少遠慮が無いほうだ。
それはるりや母親に対する接し方から見ても分かる。
今までは楽との間に距離感があったせいで淑やかにしていたが、
これぞまさしく、るりの言う「夜は娼婦」というタイプだった。
まだ時刻は十八時を少し回ったところでしかなかったがから、夜と言うには早かったが。
「えと、それじゃあ……カリ首の辺りとか舐めて貰えると、嬉しいかな、って……」
「かりくび? ってどこ?」
小咲は大胆にはなっていたが、知識は何もしていないのに身につく程甘くない。
その方面の勉強が不足していた彼女には、楽の言う部位がどこか分からなかった。
首と言うからには根っこの方かと勘違いし、男根の根元に舌を這わせる。
これはこれで気持ち良かったから、楽はしばらく何も言わなかった。
それに図らずも小咲の舌が裏筋と睾丸の接合部に触れたから、より一層気持ちが良かった。
「うぉっ、小咲、それイイ!」
「えへへ。褒められちゃったぁ」
「小咲もさ、俺にどうして欲しいか、言ってみてくれよ」
「ふぇっ!? ヤ、ヤダよそんなの! 恥ずかしいもん!」
「アンフェアじゃん、それ。俺だって言ったんだぜ?」
「んんっ……もう、しょうがないなぁ」
小咲は少し考え込んだ後、おずおずと好みを口にした。
「クっ……クリトリス、とか……」
幸いな事に、集が余計なお世話で楽に知識を詰め込んでいたせいで、
楽にはそれがどこを差す単語なのか分かっていた。
こういう知識を(余計なお世話だが)与えてくれる分、集はるりよりも役立つ友だった。
「じゅじずずっ! ずひゅぅぶっ!」
「ひゃあンっ! ひょ、ひょれヤバひぃっ!?」
単に舐めてくれればそれで良かったのに、楽がクリトリスを吸ったものだから、
小咲はすぐさま昇天しかけてしまった。
シックスナインだけで、既に三十分。
いやに悠長な前戯だったが、お陰で効果はあった。
相手が楽である場合に限定してド淫乱に目覚めつつあった小咲は、
言われるまでもなく、自ずから楽の尿道を舌で責めるようになっていた。
最初は、ただの興味に過ぎなかった。
先端から滲み出した我慢汁を見て、最初はそれが尿だと思った程だ。
気持ちが悪い、とは思わなかった。
愛しい主人の滲ませた液体だ、飲めない筈が無い。いや飲んでみせる。
そんな覚悟さえ決めていた彼女には、アブノーマルの兆候さえあったかも知れない。
ただ、それでも怖い事は怖かったから、最初は舌で
ちょっと触れてみるだけにしようと思っていた。
それが逆効果で、と言うよりむしろ最高の効果を発揮していて、
楽は単純にバキュームフェラなどされるより、余程いじらしい刺激を受け取っていた。
「うっくお!? こさっ、き! それ凄くっ、良いっ!」
「ひょお? じゃあもっとやっへあげりゅぅ」
汚らしいものだという意識は粉微塵に吹き飛び、こうして少女は、
丹念に夫の尿道を責め始めたのだった。
しかしそうは言っても知識は皆無に等しかったから、
例えば手コキと連動してのフェラなどは、思いつきもしなかった。
そもそも手で擦ってやると気持ち良い、という事さえ彼女はまだ知らないのだ。
小咲がその事に気付くのはこのしばらく後、挿入し、ピストンしてからとなる。
他方、楽の方も、知識が無いなりに頑張ってはいたが、所詮はクンニだ。
舌を膣の中に出し入れしたり、陰唇のビラビラを吸ったりはしていたが、
これで小咲の奥の方まで刺激を与える事は、物理的に不可能だった。
もっとテクニシャンなら、これでも相手をイカせられたかも知れないが、
楽はそういう事が出来るようなキャラではない。
終着点の見えない二人のシックスナインは、その後更に三十分続き、
合算すればそれだけで一時間も時間を浪費してしまう結果となった。
ここまでくればしかし、童貞と処女とは言え、前戯は十分と言える。
楽のムスコは今すぐ暴発してもおかしくない状態だったし、
小咲の方も指が三本くらいなら何とか入る程度には柔らかくなっていた。
「ねぇ、あなた……そろそろ……」
まだ籍も入れていない新妻の哀願に、未来の新郎は快く従う事にした。
突然の話だったから、楽はコンドームなど勿論用意していなかった。
枕元にそれらしき包みが二つ乗ってはいたから、それで済ませようと思った。
だがそれを、小咲が拒絶した。
「良いよ、あなた。そんなのいらないから」
「で、でも小咲」
「お願い……」
取り返しのつかない事になるのではという恐れは、
今やすっかり収まりのつかなくなった性欲を堰き止めるにはあたらなかった。
小咲は改めて仰向けに寝そべると、自ら両足を広げて、ふしだらなポーズを取った。
「来て……あなた」
あれだけ長時間クンニしていたのだから、今更間違えようは無い。
楽はしっかりと狙いを定め、己の剛直した先端を小咲のナカに差し込んでいった。
あらかた解れてはいたものの、小咲の膣自体が狭かった事と、
楽のモノが予想以上に肥大化していた事で、カリ首まで入れるだけでも難儀した。
指が三本入るようになれば挿入出来ると楽は聞いていたから安心していたが、
彼に一つ計算ミスがあるとすれば、それは、彼がシックスナインの最中、
指を第一関節までしか入れていない事だった。
シックスナインという姿勢のせいもあって、
爪より少し奥まで程度しか挿入出来ていなかったのだ。
つまり小咲のナカは、本当は指など二本も入れば十分な程度にしかなっていなかった。
しかし今更後には引けない。
それに、小咲自身がもう入れて欲しいと願ってきたのだ。
正常位のままで体重をかけて、楽は少しずつ、小咲のナカに侵入していった。
「あぎっ!? ひぃ、イッ……!」
「痛いのか、小咲?」
「ら、らいじょうぶっ……」
明らかに大丈夫そうな顔ではない。
まだ処女膜にも到達していないのに、小咲は苦しそうに喘いだ。
本来ならゆっくり奥まで差し込んで慣れさせてやるべきだろうが、
それは小咲自身が拒んだ。
「良いからっ……あなたのを、一気に刺し貫いて……」
「で、でも小咲!」
「痛いくらいが、丁度良いの……。ゆっくり入れるのなんて、この先いくらでも出来る。
でも今あなたの感触を刻みつけて貰えるのは、人生でただ一度きりの貴重な事だから」
小咲は痛みを欲していた。
確かにゆっくり挿入すればその分痛みは無いだろうが、
だからと言ってその分気持ち良くなれるというものではない。
途中経過はまだしも、最後の瞬間の気持ち良さは変わらない。
……厳密にはそんな事は無く、女の体はもっと複雑でデリケートだから、
挿入の段階でまったり入れてやった方が小咲の為でもあったのだが、
知識が無いせいか、それとも知識があっても彼女はそう望んだのか、
いずれにせよ小咲自身は、痛みを刻み込まれる事を切望していた。
「……分かったよ、小咲」
バツン!
小咲の最後の壁が、楽によって乱暴に破られた。
やはりこれで良かった。
小咲はそう確信していた。
処女膜を破られて激痛に喘ぐ膣の中を、楽のムスコが摩擦する。
その痛みと、遠慮の無いピストン速度が、彼女に痛み以上の幸せをもたらしていた。
睾丸がピタピタと自分の尻にぶつかる感触すら愛おしい。
見えもしないのに、破瓜の血と愛液が混じり合っていくのが実感出来る。
彼女は今や体全体で楽を感じ、快感を感じていた。
もう目を閉じていても、楽がどんな表情をしているのか分かる。
恐らく耳栓をしていたって、楽がどんな風に息を荒げているのか分かる。
アシンメトリーの髪は乱れ揺れて、一本の髪が図らずも小咲の口に滑り込む。
乱れ髪……楽は日本史の授業で習った作品名を思い出していた。
「はうふっ、うっく、はっ、ひっ、はぁはっ、あっ、んふっ」
小咲は両手でシーツをしっかりと握って痛みに堪えていたが、
その内に痛覚が遠のいていき、快楽だけを選り分けて感じられるようになってきた。
痛みが無くなったわけではなく、痛みすらも快感になってきた、と言った方が正しい。
シーツを握っていた手が勿体なくて、彼女はそれを楽の首に回した。
「キッふ、きしゅ、してへぇっ」
「わ、分かった!」
激しく腰を打ち鳴らしながらも、楽は今一度、小咲とディープキスを交わした。
再び触れ合った唇はその後最後まで離れる事が無かった。
楽の方も両腕を小咲の背に回しており、もはや下半身どころか、上半身も密着状態。
小咲は蛙のように開いた両足をそのまま楽の太腿に絡めて、
死ぬまで彼を離さないつもりで全身を重ね合った。
掌サイズの形の良いバストが楽の胸板で圧迫され、
小振りな尻の中央に位置するアヌスが汁でしとどに濡れる。
ベッドはギシギシと音を立てて浮き沈みを繰り返し、飛び散る汗を吸い取っていった。
さっきまで自分の我慢汁を舐めていた舌とディープキスしている事など、
楽はもう気にしてはいなかったし、それは小咲も同様だ。
彼の口から自分の股間の臭いと味が漏れ出して来ても、
それさえこの空間に味付けを加えるスパイスにしかならなかった。
何度となく子宮口を尿道でノックされ、その内臓を抉られるような不快感すらもが、
今の小咲にとっては度を越した快感としか感じられない。
小咲はもはや、楽の鼻の穴すら舐めても良いくらいの気分だった。
嬉し涙が瞼からこぼれるが、むしろそればかりか、体表を滴り落ちる汗すらも、
本当は嬉し涙の一種なのではないかと錯覚出来る。
涙が意思を持っていて、まるで瞼だけでは出口が追い付かないとばかりに、
発汗器官からも這い出てきているようだ。
いや、違うな。
小咲はそう思った。
この全身から噴き出る汗は、行き場を見失った嬉し涙などではない。
これは、行き場を失った、むしろ愛液だ。
膣だけでは足りないのだとばかりに、愛液が瞼や体表から滲み出しているのだ。
この汗は単に運動で発散されているものではなく、
喜びに打ち震える体から流れ出しているものなのだ。
体全体が性器になっていると言っても過言ではない。
今や破瓜の血すらもが、ただの赤い愛液だったのではないかとさえ思えてくる。
尻のぶつかりあう「パン、パン」と言う音などは、まるで拍手ではないか。
普通なら淫靡な音としか捉えられないその音を、
小咲は祝福の音色の一つとして感じ入っていた。
それ程までに、楽と結ばれる事は喜びに満ちていた。
抜け駆けなどではない。
もう千棘にも、マリカにも、鶫にも、誰にもつけ込ませない。
こうなる運命だったのだと、小咲は確信していた。
「あぁンっ! あなたぁん! あなたぁっ!!」
「こさきぃっ! 出すぞっ! もっ、我慢、出来ねっ……!」
「我慢なんかしなくて良いからぁっ! 妊娠ひても良いかりゃ出ひてぇんっ!!」
ディープキスは継続中なのだから、囁き声でも互いに通じるのに、
それでも彼らは思いの丈を大きな声で張り上げた。
楽の腰のスピードが更に高まり……どころか既に、小咲の方から腰を動かしている。
背筋を使って懸命に下半身を持ち上げ、リズムを合わせ、
丁度良いタイミングで膣内キスがぶつかり合うようにしている。
内壁の無数の襞を掻き毟られながら、小咲はここぞというタイミングで、
一際深く、楽の先端を最奥に届かせた。
そして、小咲の錠の奥に、楽の鍵が白濁を迸らせた。
「うっ、出る!」
「イッ……クぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅんっ!!」
家を出る時、金は十分に持って来た。
直前にインターネットで相場もある程度調べた。
一万円もあれば、並みのラブホテルなら、一晩泊まっていても平気だ。
だから楽は、自分のケータイと、ついでの小咲のケータイの電源も勝手に切り、
長い長い余韻を誰にも邪魔される事無く味わい続ける事にした。
ただ一つの誤算は、小咲のケータイの電源を切る直前、
るりから電話がかかってきた事だったが。
「う……うーん……」
「あ、起きたか小咲?」
「はれぇ……? いちじょーくん」
寝起きの小咲は、まだ意識が漠然としていて、直前の記憶も思い出せていないらしかった。
直前と言っても、フィニッシュからもう三時間は経過しているのだが。
「……はひゃっ!? そ、そう言えば私、一条君と……
あ、いや、楽君と……じゃなくって、あなたと……っ」
混乱を来した小咲は、先程までの小咲とはまるで別人だった。
昼は淑女、というわけだ。
もっとも今は昼ではなく、二十二時なのだけれど。
「わたっ、私、ひょっとして今までずっと寝てたの!?」
「あんまり気持ち良さそうに寝てたから、ずっと寝顔見てたんだよ」
「あわわわわ……どうしよう、私、変な寝顔してなかった?」
「そんな事無いって。すっごく可愛い寝顔だったぜ」
面と向かって可愛いなどと言われると、小咲は今更照れてしまった。
もっと照れるような、いや恥ずかしいような事を、さっきやっていたのに。
「そ、そうだ! 家に連絡入れなきゃ! お母さん達心配してるかも!」
「あぁ、それなら多分平気だぜ。宮本に頼んどいたから」
「へっ、るりちゃんに!? 何て? って言うか何で?」
「さっき宮本から小咲のケータイに電話かかってきて、俺が出たんだけど」
「出たの!? 楽君が!?」
「宮本の奴、スゲェ驚いてたぜ」
「そりゃそうだよ! いきなり楽君が出たら驚くに決まってるじゃん!
それで、何て答えたの!?」
「何で小咲にかけたのに一条君が出てくるのって聞かれたから、その……
詳しい事情は教えなかったんだけど、小咲は宮本と勉強会してるって、
小咲の家に伝えるように頼んどいた」
その場凌ぎとしては、あまりに穴だらけで、場当たり的過ぎる。
まず第一、それではるりに対して何の誤魔化しにもなっていない。
るりは全てを悟ってしまっているだろう。
第二に、もし本当に勉強会で遅くなるなら、小咲自身が家に電話すべきだ。
楽を婿に迎え入れようとしていたあの母親の事だから、
恐らくそちらも、事情は察知してしまっているに違いなかった。
「どぉしよう……気持ち良過ぎて眠っちゃってたんだ、私……。
何か大変な事をしちゃったような気がしてきたよぅ……」
「まぁ、良いじゃん。俺も家には集と勉強会だって電話入れたから大丈夫だし、
集に口裏合わせるようにも頼んでるから、千棘の家にもバレねぇだろうし」
そうは言うが、楽も内心では及び腰なのが明白だった。
ただ小咲を起こしたくない、それだけの為に、彼はこんな綱渡りをしていたのだった。
どうせ帰りが遅くなると言ってあるのなら、もう一度くらい……
と考えかけた小咲だったが、それはまた今度の機会に回す事にした。
いくら何でも、高校生である以上、日付を跨ぐ前には帰りたい。
あまり遅過ぎると補導されそうだし、外泊をするなら前もって言っておくべきだ。
今日の所は、第二ラウンドは諦めて帰るが得策だった。
一度セックスしたせいで以前より素直になった小咲は、
脱衣所に置き去りにしていた服を着直しながら、思わず本音を吐露した。
「もう一回、したかったなぁ」
「……実は、俺も。でも仕方ないって。
結婚したら何回でも出来るんだから、しばらくお預けだな」
「そだね。楽君は千棘ちゃんとも偽恋してなきゃだし、卒業までは……」
こうして楽と小咲の、第二の偽恋が始まった。
ただし千棘とのそれとは違い、偽の恋を演じるのではなく、
恋をしていない風に自分達を偽る、という意味での偽だったが。
そして当面の間、それでも構わないと小咲は思っていた。
千棘達を騙すようになるのは少し申し訳ないが、
楽と堂々と付き合えないせいで感じる個人的な寂寥感は別問題だ。
夜になれば、また夢の中で出会える。夢の中で、一緒に入浴出来る。
リアルな楽の体、その味や形まで覚え込まされたのだから、
きっとそれは簡単な事だった。
翌朝、小咲は早速楽の夢を見ていた。
同じ夢を彼も見ていたらしい事は、出がけに交わしたメールで分かった。
そして、またしても二人ともほぼ同じ場面で夢が途切れた事も。
『今日の夢も、肝心な所で終わっちゃったって事だね』
『だな。やっぱリアルを知らないからかなぁ』
『だったら、夢にリアリティを持たせる為にも、やっぱり』……。
その週の土曜日、彼等は再びラブホテルに赴く事になる。
今度はアナルファックを達成する為に。