落ち着いて考えてみれば、後二年と数ヶ月の我慢だ、とも言える。
けれども同時に、そして逆に、そもそも何で我慢しなきゃいけないんだ、
という考えも頭の中を過る。
向こうだって好き勝手にしているのだから、
こちらも好き勝手に応対して、何ら不都合な事はあるまい。
何なら卒業まで待つまでもなく、退学に追い込んでしまう手だってあるのだ。
そんな物騒な考えが沸き起こる度、宮本るりは嘆息した。
コミュニティの中で生きていく以上、好かない者相手でも
我慢して関わりを持たねばならないという法則性は、
およそ捻じ曲げる事が出来ない。
どこぞの国の王様にでもなれば、強権発動で嫌いな相手を更迭も出来よう。
だがそうした強引な手段を、庶民である彼女に採択出来る筈は無かった。
大人はよく、子供の悩みというものを軽んじたがる傾向にある。
けれども、こと人間関係に対する悩みについて言うならば、
大人だろうと子供だろうと、その重さに差は無いというのが、
彼女の持論ではあった。
「ねぇねぇ、るりちゃん。今度の日曜日の予定なんだけどさぁ」
忌々しい声が、思索にふける彼女の耳小骨に割り込んでくる。
字面だけ捉えるならば、極めて友好的な声かけだ。
字面だけ捉えるならば、まるで友人と交わす会話のようだ。
だがその言葉を彼女にかけてきたのは、小野寺小咲でもなければ、
桐崎千棘でもない……どころか、一条楽でも、鶫誠士郎でもなかった。
宮本るりに対して、こんな口調で語りかける人間は、
小咲と千棘を除けば、一人しか居なかった。
「るりちゃんって呼んで良いなんて許可、与えた覚えは無いわよ」
剣呑とした彼女を前に、小咲が少し焦燥する。
だが声の主は、構わずるりに喋り続けた。
「まぁまぁ良いじゃん。んでさ、今度の日曜の予定についてなんだけど。
ほら、楽達と試験対策勉強する日」
舞子集は相も変わらず、妙に馴れ馴れしく彼女に話しかける。
下の名で呼んで良いという許可を与えた覚えも無ければ、
そもそも話しかけて良いという許可すら、るりは与えた覚えが無い。
彼と関わっていると、どうにも厄介な目にしか遭えない。
楽と千棘、そして小咲という三人を中心としたコミュニティに属する以上、
常に金魚の糞のごとくそれについて回る集とるりも、
必然的に最低限の関わりを持たねばならない。
小咲が楽に惚れてさえいなければ、こんな男とは絶対に関わらないのに……
と、るりは何度も考えてきた。
「俺らも何度か楽の家にお邪魔してっけどさ、
ぼちぼち手土産の一つも持ってかないと、失礼かなって思うわけよ」
集の言い分は、るりにも納得のいくものだった。
高校生が、友人の家に上がるのに、手土産持参という話は中々聞かない。
しかし行く度に茶や菓子を振る舞ってもらっておいて、
何の返礼もしないというのも、そろそろ気まずいものがある。
相手がヤクザの家だからとかいった事とは無関係に、
あと数年で成人を迎える身としては、いい加減礼儀を身につけても良い頃だった。
「そうだね。一条君はそんなの気にしないで良いって言ってたけど」
「まぁ、マナーの問題でもあるし……それじゃあ今度私と小咲で、
前日の土曜日にお菓子の詰め合わせでも買いに行って――」
「それじゃあ結局、俺は何も一条家に対してお返し出来てないって事じゃん。
俺もついてくよ。ってか俺も割り勘するよ」
面倒な事を言う奴だ。
何で会わなくても良い日にまでアンタと会わなきゃいけないのよ、
というストレートな感想を、るりは隠しもせず口にした。
「うわ、るりちゃんヒッデぇ……」
「この先一条君の家にお邪魔する機会は、一度や二度じゃないでしょ。
アンタからのお礼は、また今度の機会にでも回せば良いじゃない。
今回は私と小咲で負担しとくからさ」
言った後で、るりは舌打ちしかけた。
自分の発言の中に、ミスが混じっていた事に気付いたからだ。
と言うより、彼女自身は何もミスをしていない。
失言をしたわけでも、墓穴を掘ったわけでもない。
ただ、舞子集という男が、予想外の角度から
キャッチボールを返してくる男である、というだけだった。
彼がどんな言葉を返してくるか、予想のついてしまう事が、
るりにとっては殊更に苛立たしく思えた。
「んじゃあ今回はるりちゃんと小野寺に任せるとして、
次回は俺と誠士郎ちゃんで買いに行くかぁ。
つってもその次回ってのが、いつになるか分かんねぇけど」
「駄目。絶対駄目。鶫を巻き込まずに、アンタ一人で行きなさい」
「ま、巻き込むって……お前、俺を不発弾か何かみたいに……」
るりは、うっかりしていた。
以前楽の家で勉強会をした時と違って、今はこの仲良しグループの中に、
鶫誠士郎という絶世の美女が組み込まれている。
まだ鶫がグループに入っていなかった頃なら、
集も大人しく一人で手土産を買いに行ったかも知れないが、
今の彼が鶫を誘おうとするのは、考えてみれば当たり前の事だった。
対面上千棘が楽の彼女である以上、集が千棘を休日の買い物に誘う事は無い。
言い方は悪いが、余り物同士で誘い合うのは、自然な流れと思えた。
とは言え、そうそう集の考える通りにはいかない事にも気付く。
「まぁ、彼女がアンタの誘いに乗って休日に出掛けるなんて、有り得ないわよね」
「確かに……。誠士郎ちゃん、俺の事嫌ってそうだもんなぁ」
彼女だけじゃなく、私だってアンタの事は嫌ってるわよ。
――その言葉だけは、るりは喉の奥でぐっと堪えた。
るりが集を嫌っている事を、恐らく集自身も分かっている。
ボンクラのくせに、何故かそういう洞察力だけはピカイチの彼だ。
しかし自分が彼を嫌っているという事を公言してしまえば、
神経のあまり太くない小咲がそれを気にして、
落ち込んでしまうかも知れない……という所まで、るりは予想していた。
こういう対人関係での悩みは、つくづくもって、大人の世界と大差無い。
和を乱さぬ為に、或いは輪を乱さぬ為に。
嫌いな相手の事を素直に嫌いと言えない面倒臭さは、
少なくとも小学生の頃には殆ど無かった葛藤だった。
大抵の人間は、恋い慕う相手に対して、一体自分が
いつから恋心を抱いていたかを、明確に記憶してはいない。
殆どの好意は「気が付いたらいつの間にか」が通常仕様だ。
ピンチの時に助けてもらったからとか、会った瞬間の一目惚れだとか、
そうした事例は存外に少ない方だろう。
それと同様に、誰かを嫌う感情というのもまた、
「気が付けばいつの間にか嫌いになっていた」というパターンが多い。
るりにとって、集に対する嫌悪感は、そのパターンから外れるものではなかった。
「るりちゃん、何考え込んでるの?」
午前の授業を終えて机を並べ、持参した弁当に箸をつけていると、
小咲がるりの顔を覗き込んできた。
女同士で仲良く食事している時にまで集の事を考えていたという事実に気付かされ、
るりは集に対しても、何より自分自身に対しても辟易させられた。
「別に。今度の定期考査、憂鬱だなぁって」
「ふぅん……。るりちゃんでも、試験で悩む事ってあるのね」
自分からしてみれば段違いの学力を持っている筈のるりが、
勉強の事で悩んでいるというのが、小咲にとっては新鮮な驚きだった。
だが実の所、るりが悩んでいたのは、勉強の事などではない。
土台彼女は、別に悩んでいたわけですらない。
一体いつから自分が舞子集を疎んでいたか、記憶を辿っていただけだ。
思い出せる限りにおいて一番最初の記憶は、プールだ。
水着を着た千棘、小咲、るりの居並ぶ前で、
呼んでもいないのに勝手に現れた集は、品定めするような目を向けた。
そして事もあろうに、るりの貧相なボディラインを見て、溜息さえついた。
その時蹴飛ばしてプールに墜落させてやって以来、
るりは何かにつけて、集に暴力を振るう機会が多くなっていた。
その全てにおいて、原因は集の方にあるのだけれど。
(いや……或いは、もっと前から……?)
初めて集に暴力を振るったのは確かにプールの時だが、
嫌悪感を抱き始めたのは、更に以前に遡る事を、彼女は思い出した。
一条邸で勉強会を開いた時の事だ。
その時もやはり、集は呼ばれてもないのに勝手について来ていた。
そして、楽と小咲をくっつけようとするるりの努力を嘲笑うかのように、
楽と千棘に対して「なんだなんだお前ら仲良しだな〜」だの
「お前らってぶっちゃけどこまで行ってんの?」だのと言っていた。
人の努力を踏みにじるその態度に、るりは神経を逆撫でされた。
それにこの頃から、集はるりの事を、勝手に下の名で呼び始めた。
(↑二巻オマケ漫画参照)
勉強会でたまたま二人きりになった時などは、手酷くからかわれもした。
(そうか……私はあの頃から、アイツの事が嫌いになり始めてたのね……)
水泳部の活動を終えて帰宅する最中まで、彼女は集の事を考え続けていた。
「好き」の反対は「嫌い」ではなく「無関心」とはよく言ったもので、
るりは集の事を嫌っているが故に、寝ても覚めても彼の事ばかり考えていた。
無関心であったなら、こうまで彼の存在に思考を埋められる事は無かった。
ベクトルこそ違うが、彼女の中での存在感と言う意味では、
集は楽よりも遥かにウェイトが大きい程だ。
そしてそんな疎ましい男と、恐らくは卒業まで関わり続けなければならない。
楽と千棘が卒業までカップルの振りをしなければならない以上、
小咲が楽に告白して成功したとしても、堂々と付き合えるのもまた、
卒業まで待たねばならない、という事になる。
そうなると、小咲を応援している立場のるりとしては、
必然的に楽ともそれなりの交流を続ける事になるわけで……
つまりそこには、あの舞子集も、付録としてついてきてしまうのだった。
「どうにかしてあのバカを退学に追い込めないかしらね」
自宅に戻ってからも、るりは物騒な事を考え続けた。
林間学校の時に女部屋を覗こうとした事もある程の集だから、
放っておけばその内公然猥褻か何かで逮捕されてくれそうな気もする。
ただ、そうなると女子の誰かが迷惑を被ってしまう。
加害者として集が捕まる、或いは退学になると言う事は、
どこかに被害者が生まれてしまう、という事を意味するのだ。
それを防ぐ為に立ち回っているるり自身のせいもあって、
今のところ彼は犯罪者にならずに済んでしまっていた。
「私自身が被害者になってアイツを告発する、って手もあるけど……。
多分、そうそううまくはいかないわね……」
集は恐らく、るり個人を相手にセクハラをするつもりは無い。
水着を着たるりを眼中に入れなかった事からも、それは明白だ。
生意気な事に、相手を選ぶだけの余裕はあるつもりらしい。
だから例えば、るりがわざとらしく集の前で女子更衣室に一人で入室しようと、
彼が彼女の着替えを覗くような事は、有り得ないわけだ。
「……腹立たしい。あのエロメガネ、私を女として見てないって事じゃないの」
そこに気付かされ、るりはベッドの上の枕をサマソで蹴飛ばした。
ここに本物の集が居たらもっと容赦なく蹴飛ばしてやりたいところだ。
憐れにもとばっちりで犠牲になった枕を壁際から拾い上げて、るりは溜息をついた。
「ま。別にあんな奴に女の子扱いされなくても、問題無いんだけど」
殊更に口に出してそう言ってしまう時点で、
自分の負けを認めてしまう気がして、それはそれで悔しかった。
そんな彼女に変化が訪れたのは、翌々日の事だった。
定期考査を来週に控えている割には、生徒達から緊張感が抜けている。
一週間の中でも金曜日という一日は、最も人々が弛緩する日だと言えた。
明後日の日曜日は、一条邸にて勉強会。
月曜からは定期考査が始まり、それは水曜日までの三日間続く。
この大事な時期に体調を崩すなど、自己管理の出来ない腑抜けでしかない、
とるりは言い放った。
「そんな言い方しなくても……」
「るりちゃん、舞子君にはかなり冷たいわね」
小咲と千棘が口々に言う。
馬鹿は風邪をひかないというのは大嘘らしく、
集はその日、病欠で学校を休んでいた。
彼の居ない教室は存外に静かで、楽と千棘が不必要にからかわれる事も無く、
休み時間であれ放課後であれ、久し振りに平穏な時が流れた。
るりとしても、事あるごとに集を殴ったり蹴ったりする必要が無い分、
いささかパワーを持て余し気味になっている実感があった。
「彼が居ない一日って、こんなに平和だったのね」
午後の体育の為に更衣室で手早く着替えながら、るりは呟いた。
「彼って、舞子君の事? るりちゃんにとって舞子君は天敵なんだね」
「天敵? 冗談じゃないわよ、あんなの。
そんなハイレベルな障害物じゃないじゃない」
るりにとって集は、敵とさえ呼べない程だった。
嫌悪感はあるが、それは彼女にとって、蝿や蚊に対するものと同じの筈だった。
目の前にちらつかれると鬱陶しいから潰すだけのものでしかない。
天敵と言うのは、例えば鹿にとっての獅子のようなものだ。
或いは楽にとってのクロード、と言っても良いかも知れない。
倒す倒さない以前に、まず第一に逃げ回らねばならないものを言う。
逃亡が不可ならば、せめて触発しないように注意を払わねばならないものを言う。
現状るりにとって集は避けるべき対象ではなく、ボコボコにすべき対象だ。
こんなものは天敵などとは呼べない、というのが彼女の認識だった。
体操服などという物の、一体どこに色気を男は感じるのか。
スクール水着ならまだしも、体操服にエロスを感じる男はおかしい。
例え男連中がどう言おうと、それがるりの考えだ。
けれども今のところは、取り立ててその事に思索を巡らす必要が無い。
女子の体操着姿を見て興奮する筆頭とも言うべき男が、今日は居ないからだ。
集の欠けた男子陣は、体育の授業中いつもそうしているように、
今日も女子の体操着姿を見ては鼻の下を伸ばしている。
けれども集が居ない分、どこかリビドーに勢いが無い。
つまりはそれだけ、集は普段、男子達を調子づかせていたという事だ。
もう少し授業が進んで緊張感が緩んでくれば、男子達もまた
いつものように女子を眺めては、腰だの尻だの騒ぎ始めるかも知れない。
だがそれは、あくまで「緊張感が緩んでくれば」の話だ。
最初から男子達の緊張感を(悪い意味で)解してしまう舞子集という男が居ないと、
他の男子達も平生程の助平根性は発揮しきれないように見えた。
「あ、悪ぃっ! 宮本、ボール取ってくれー!」
どこからか男子の声が聞こえる。
少し離れたコートでフットサルをしていたチームの方から、
弾かれたボールが女子の方まで転がって来たらしかった。
「あぁ、ハイハイ」
足元に吸い込まれるように転がって来たボールに、るりは爪先をぶち込んだ。
「どわっ!? お、おい宮本、やり過ぎだろ!」
「しまった……」
軽く小突いてボールを蹴り返してやろうとした彼女は、
思いの外蹴り足に力が入っていた事に、自分自身驚かされた。
まるで自分の足が、集を蹴飛ばすという日課に恵まれず持て余したパワーを、
気晴らしでボール相手に発散しようとしたかのようだった。
ボールは男子達のコートの上を鋭く横断し、その向こうにまで飛んで行った。
「つい舞子君を蹴る時の感覚でやっちゃったわね」
それではあたかも、自分が彼を蹴りたがっているようだ、と思い直す。
悪いジョークだ。
自分は集を、蹴りたくて蹴ってるんじゃない。
彼がムカっ腹の立つ振る舞いをするから、仕方なく蹴っているだけだ。
そう自分に言い聞かせはするが、実際集と諍いを起こさずに済む一日は、
気楽に思える反面、どこかに物足りなさを覚えてしまうのも事実だった。
授業と言えど、クラス全員が一度にゲームに参加出来るわけではない。
他の学年の生徒達も同じ時間に同じグラウンドで体育を行っているので、
るり達がフットサルに使わせてもらえる面積は、そう手広くない。
コートは男女で一つずつだったから、何度か途中で選手を入れ替えなければ、
クラス全員に順番を回す事は出来なかった。
つまりどの時間帯においても必ず、見学者が存在する事になる。
楽が他の九名の男子達とゲームをしている間、それとほぼ同数の男子達が、
コート脇で退屈そうに見学に回っていた。
そしてこの年頃の男子というものは、考える事は似たり寄ったりである。
集が居ない分トップスピードは緩やかだったものの、
そろそろ下半身の欲求に加速がつき始めてきた頃合いらしかった。
「桐崎さんのボディライン、結構ソソるよなぁ」
「俺は小野寺さん派だね。あの素朴な味わい、たまんねぇ」
「デュフフwww僕は宮本さんのちっぱいも中々捨てがたいwww」
ちっぱい、という言葉の意味は分からないまでも、
あまり褒められているわけではない事は、るりにも分かった。
こっちはこっちで見学中だと言うのに、男子達の助平トークが耳障りだ。
これが舞子君だったら容赦なく蹴り殺してやるのに……と考えたところで、
彼女はふと、自分自身の考えに違和感らしきものを覚えた。
「……うーん?」
「どうしたの、るりちゃん」
横で同じく見学に回っていた千棘が問いかける。
小咲はコートの中でボールや他選手達の動きに右往左往の真っ最中だ。
「いや、大した事じゃないんだけどね。
何で私、舞子君以外の男子は目の敵にしようと思わないんだろう、って」
集が他の男子より抜きん出て一際助平だから、とは言うまい。
他の男子連中を余計に調子づかせる素養があるから、というのは一理ある。
しかし全ての男子の中で、集一人が抜きん出たエロさを持っているとは言えない。
エロさの度合いで言うなら、女湯に聞き耳を立てていた男子達全員、
レベルにおいてそれ程の差は無いとさえ思う。
むしろ集より遥かに卑猥な目で女子を見ている男子だって見受ける程だ。
その中にあって、何故自分は特に舞子集だけを敵視しているのか。
それまで考えた事も無かった疑問に、るりは直面させられた。
舞子集以外の男子を殴る気にはなれない。
舞子集以外の男子を蹴る気にはなれない。
一度、楽を逆さ吊りにした事はあったが、あれは集のついでだ。
あくまでメインディッシュは集でしかなかった。
どうして自分は、舞子集だけを殊更にターゲットにしたがるのか。
答えは簡単……の筈だった。
彼を嫌っているからだ。
他の男子達がどれだけ女子を下卑た目で見ようと、
それらは彼女にとって、眼中に入れる程の関心も無いからだ。
「好き」の対義語が「無関心」なら、「嫌い」の対義語も「無関心」だ。
彼女は集以外の男子には、さらさら興味が無かった。
こう言って良ければ、楽にすら別に興味は無い。
親友である小咲の恋の相手だから気にかけて観察してやっているだけだ。
るりはかぶりを振った。
(……まるで、私が舞子君に個人的に興味を持ってるみたいじゃないの)
結論、そこに行き着いてしまう。
それを認めるわけにはいかないからこそ、この問題は簡単ではなかった。
「あぁ宮本、丁度良かった」
体育の授業を終えて着替えを済ませ、教室に向かっている最中。
階段に上がる廊下の角で鉢合わせた楽が、るりに声をかけてきた。
「授業中に集の奴からメールが来ててさぁ。
大した風邪じゃないらしいんだけど、来週の試験に備えて大事を取ったらしい。
そういうわけで、明後日の勉強会も欠席しとくってさ。
風邪が悪化するのもマズいし、俺らに感染させたくもないからって」
「そう。ホッとするわ。彼が居ないとスムーズに勉強出来るでしょうし」
集の友人である楽の前でこう言うのは不躾かとも思ったが、
楽相手なら隠し立てする必要は無い、と彼女は判断した。
楽ならこの事を他人に触れ回りはしないだろうから、小咲にもバレまい。
小咲は今、日直の仕事で体育の後片付けを命ぜられていて、ここには居ない。
るりが集を軽んじる発言をすると、思った通り、楽は怪訝な顔をした。
あんな助平でも一応友人なのだから、それを見下される事は、
楽にしてみれば快いものではないのだろう、とるりは推察した。
けれども楽が表情を変えたのは、実はそうした理由からではなかった。
「へぇ……何か意外だな、宮本がそう言うのって」
「そう?」
「うん。だって宮本なら、集が勉強会を欠席しようと何しようと、
『興味無いからどうでも良い』とか言い返しそうだと思ったもん」
言われてみれば……と彼女も気付いた。
それは癪な事だった。
るりは知らなかったが、楽は以前、友達ノートを作っていた。
それだけに彼の他者を観察する目には、集には劣るものの、確かなものがある。
その彼から見て、宮本るりという女は、興味の無い事や物には
徹底的に存在を無視してしまう、言ってみれば薄情なところがある筈だった。
丁度、先程の体育の授業で、女子を眺めてニヤつく男子達に、
何らの敵愾心も抱かなかった時のように。
その分、強い興味を抱く対象――例えば小咲――に対しては、
逆に無類の面倒見の良さを発揮するのも、彼女の特徴なのだが。
土曜日。
るりと小咲は予定通り、一条邸を訪れる為の手土産を買いに行った。
日曜日。
舞子集不在の勉強会は特に波乱も無く、安穏と片付いた。
途中でヤクザやギャング達が、楽と千棘に余計なお節介を働いていたが、
それを除けば大した問題は無く、るりの心が乱される事も無かった。
集が居たら、また彼女の平常心が掻き乱されるところだったろう。
「よーっす! おはようお前ら!」
翌日の月曜日、集は風邪も完治したらしく、普通に登校して来た。
だがるりは、敢えて彼には攻撃を加えなかった。
これは彼女のちょっとした実験だ。
集に殴る蹴るの暴行を加えないまま数日過ごした場合、
自分の心境は一体どういう風に変化するだろう、と思ったのだ。
流石にテスト期間中の集は普段より大人しく、楽や千棘に対してちょっかいも控えていた。
普段は休み時間の度に誰かをおちょくっている彼だが、
テスト期間中ともなれば、休み時間すらも予習に手を割く者が多い。
そんな教室の中でいつも通りの馬鹿騒ぎを出来る程、彼も馬鹿ではないらしい。
そうして月曜日、火曜日、水曜日と経過し、とうとう全ての考査が終了した。
「いっやー、参ったぜ楽ゥ! 今日の地学、俺のヤマが外れちまったよー」
「ヤマや勘で試験対策なんかすっから、そういう事になるんだよ。
俺みたいに普段から堅実に勉強してりゃ、そんな事にはなんねーの」
「ふふん、随分偉そうじゃない、ダーリン。
舞子君相手に偉ぶる前に、まず私の点数を抜いてご覧なさいな」
「さすがお嬢です! その余裕たっぷりのスタンス、敬服致します」
「まぁ舞子君は金曜の授業も日曜の勉強会も欠席してたからね。
金曜の授業で試験範囲が発表されてたのを知らなかったワケだし」
それを分かっていたのであれば、誰かが集にメールでもして、
地学の出題範囲を教えてやっていれば良かったんじゃないだろうか。
るりはふとそんな事を考えたが、誰あろう彼女自身、
集に対してそんな面倒を見てやっていない。
人の事を言える立場ではなかった。
「ヒッデェよなぁ皆。試験範囲分かってたんなら、教えてくれたって良いじゃん」
「でも一条君の言う通りよ。普段から真面目に勉強してれば困らないんだから。
試験範囲を発表してくれない先生も多いんだし、文句言わないの」
「うっわ、るりちゃん冷てぇ。
同じメガネのよしみで、手助けしてくれても良かったじゃんか」
ボカッ。
るりの鉄拳が、久し振りに集の眼鏡のブリッジに食い込んだ。
「勝手に変なカテゴライズしないでって、何度も言ってるじゃないの」
「い、痛ぇ……。まさかこの程度で殴られるとは……」
この程度、と言われれば確かにその通りだ。
集がエロい事を言ったり実行したりした時は兎も角、今までるりは、
彼がただ彼女を同族扱いした程度では、一度も殴った事など無かった。
この三日間――金曜日からも含めれば、実に六日間にも及ぶ――
早く彼を殴りたくて、体がウズウズしていた自覚もある。
久し振りに集を殴れた感触に、るりはほんの少し、充足感のようなものを感じた。
試験期間中は部活も無く、早めに帰宅出来る。
それは試験最終日であっても同様だった。
多くの生徒達がそうであるように、楽達一行もまた、
堅苦しい試験を終えた解放感から、下校時の買い食いに赴いた。
「あぁ、試験が終わった今のこの気分の、軽やかな事と言ったら。
何の変哲もないチーズバーガーがやけに美味く感じるぜ」
「大袈裟だな、集は。まぁでも気持ちは分かる」
「高校卒業までずっとテストに怯えなきゃいけない日々が続くなんて、
かったるくてやってらんねぇよ、マジで」
「社会人になったら多分もっとキツいぜ。
高校の試験なんか、比べ物にならないくらい」
「楽は相変わらずそういうトコロ堅物だよなぁ。
俺なんか、そんな先の事までいちいち考えてらんねぇよ。
今はただ、この勉強まみれの生活にあと二年と数ヶ月耐えなきゃいけない事が、
憂鬱で憂鬱で仕方ないって感じだぜ」
「そんな言う程お前勉強してねぇじゃんかよ」
とりとめの無い楽と集の会話に、るりはコーラを啜りながら、ふと気付く。
あと二年と数ヶ月。
方向性は全く違うが、この「二年と数ヶ月」という期間を、
自分も集も同じように苦行と捉えていた事に気付かされたのだ。
自分と彼は変なところで似ているな、と思い至らされ、るりは機嫌を損ねた。
似ていると言えば、他にも似ている。
楽と千棘が本物の恋人同士でない事に気付く洞察力。
親友の恋を応援するお節介さ。
アッパー系の集に対し、ダウナー系のるりという違いはあるが、
妙なところで共通点が多い事を、彼女は自覚させられた。
(こんな男と共通項に恵まれたって、良い事なんか何一つ無いのに)
るりは陰鬱な気分になった。
「……おい、るりちゃん。どうかしたの?」
「……だから、るりちゃって呼ばないでって言ってるでしょうに」
洞察力に優れる集は、るりの心境の変化を、目敏く発見した。
「別に大した事じゃないわ。舞子君との付き合いも、
あと二年と数ヶ月の辛抱だなぁ、って思っただけよ」
「あ、何ナニ? 俺とじゃれ合うのもあと二年と数ヶ月だと思うと、
突然寂しくなってきちゃったのかなー?」
アンタは「辛抱」という単語だけ都合良く聞き逃したのか、
とツッコミたくなる代わりに、るりは思わず手が出そうになった。
「……ここがマックじゃなかったら、ギッタギタにしてやるトコロだわ」
憎たらしい程笑顔で話す集とは裏腹に、るりは仏頂面のままポテトを啄んだ。
大手ハンバーガーチェーン店マック&ダニエルでの食事を終え、
楽も千棘も、小咲も鶫も、それぞれ帰路に着いた。
そしてるりと集も、それぞれの家路を目指す。
今日のところは、これでお開きになる筈だった。
ただ一つの計算外は、るりがふと、眼鏡屋に立ち寄ろうとした時に、
何故か集がついて来ようとした事だった。
「何で舞子君がついて来るのよ」
「度が合わなくなってきてんだろ?
同じメガネのよしみで、俺がフレーム見繕ってやるってば」
ヘラヘラ笑いながら集が言う。
普通の男子だったら、下心ありきと考えるべきだろう。
あわよくば疑似デートを楽しもうという腹積もりと見るべきだ。
だが相手が集である場合に限り、そして当事者がるりである以上、
集には何の下心も介在してないのは明白だった。
本当の本気で、ただ「同じメガネのよしみ」で、集はついて来ただけに違いない。
るりの方はこんなに集にウンザリしているのに、
当の集の方は、るりを殆ど眼中に入れていない。
それが彼女には、酷く腹立たしかった。
「それにしても楽の奴、いつになったら小野寺とくっつくんだか」
「……やっぱりアンタも気付いてたのね。あの二人が両想いって事」
「そりゃあなぁ。楽も小野寺も、バレバレだもん。
でも今んトコ気付いてるのは俺ら二人だけみたいだけど」
アンタと私を一括りにしないで、とるりは言いかけて止めた。
「人の事なんか考える前に、アンタは誰か好きな人とか居ないの?
恋の一つでもすれば、この高校生活ももう少し楽しくなるんじゃないの。
テストや成績に怯えるだけの日々も、少しは彩られるってモンよ」
「俺は楽をおちょくってるだけで十分楽しいから良いよ、別に。
るりちゃんこそ、恋の一つもしてみりゃ良いじゃん。
学校がつまらなさそうなのも、人の恋愛にちょっかい出してるのも、
俺とそう変わんねーんだからさ」
だから、一括りにしないでってば……と言いかけ、やはりるりは口を噤んだ。
一括りにされても仕方ないくらい、共通点が次から次へと湧き出てくる。
「なぁ、ところでさ。どこの眼鏡屋に行くんだ?」
「え? 駅前のZiffに……あ、しまった」
うっかり目的の店の前を通り過ぎていた事に気付かされ、るりは足を止めた。
「らしくねぇなぁ、るりちゃん。ボーッとしてたんじゃねえの?」
「舞子君と居ると私の平常心がミキサーにかけられちゃうのよ」
「えぇー、俺のせいかよ。まぁあと二年と数ヶ月の我慢だってば」
そう、あと二年と数ヶ月。
卒業してしまえば、大学が同じにでもならない限り、彼とはもう会わない。
同窓会などで顔を合わせる事はあるかも知れないが、それだけだ。
けれども、逆に言えば。
(コイツは最低でもあと二年と数ヶ月、私の傍に居る気だっての?)
途中でクラス替えなどがあろうとも、事あるごとに楽や小咲を通して、
るりとの交遊も続けるつもりであるという含意が、集の発言からは読み取れた。
だが、少なくとも二年と数ヶ月はこの男と関わり続けるという普遍性に、
どこか心が落ち着いてしまう面がある事も、るりは認めねばならなかった。
とりあえず集が手の届く範囲に居る間は、
枕やボールに八つ当たりをする必要性には迫られないのだから。
二年と数ヶ月。
それだけの期間が経過してしまえば、もう集の言動に悩まされる事も、
彼を暴行して手応えを感じる事も、二度と無くなる。
それはるりにとって、晴れやかな事の筈だった。
何事に心を掻き乱される事も無く、苛立ちを覚える事も無く、
当たり障りの無い日常を送る事が出来るようになる筈だった。
勿論高校を卒業したら卒業したで、その先もまだ悩みは生まれるだろう。
対人関係に悩んだり、バイトに悩んだり、仕事に悩んだりするだろう。
だが少なくとも、舞子集という男に悩まされる事は無くなる。
「……それはそれで、色々とつまらなくなりそうね」
「ん、何が?」
「舞子君の居ない生活よ。メリハリが無くなると言うか、刺激が無いと言うか。
アンタが欠席してた日もそうだったけど、張り合いが無いもの」
それはるりの、正直な感想だった。
もしこの場に楽や小咲が居たら、文意を履き違えられてしまっただろう。
るりが集に惚れている、などと素っ頓狂な勘違いをされてしまったかも知れない。
しかしそこはやはり、洞察力に優れる集という男。
るりが自分に惚れているわけではない事などお見通しだ。
そして、それを見通されていると分かった上だからこそ、
るりもこんな危ない発言が出来たのだ。
ある意味で彼女は、集の洞察力を信用さえしていた。
「気ぃつけた方が良いぜ、るりちゃん。それ、楽達の前で言ったら誤解招くぜ」
「でしょうね。アンタなら誤解しないって分かってたから言ったんだけど」
その時、正面から自転車が一台、彼女らの眼前に迫って来た。
自転車は歩道を通行してはならないと、道交法には定められている。
近年の報道でその事実もたっぷり世間に周知されてきている筈なのに、
違反する者は未だに後を絶たない。
自転車のスピードそのものは遅い方だったが、すぐ傍はガードレールで、
集がそれを避け切るには、どうしてもるりの方に体を寄せねばならなかった。
「おっと、ワリィ」
集の制服越しの二の腕が、るりの肩に触れる。
年頃の男女なら例え恋仲でなくとも、こういうのはいちいち気になるものだろうが、
この二人に限って言えば、互いに何ら意識しあう事など無かった。
その余裕が、るりには複雑な気分だった。
集に女扱いされたいという願望があるわけではないが、
体を近付ける事にこうまで何らの恥じらいも感じられないのは、
プライドのようなものを傷つけられた気分だ。
それに、今の今まで気付かなかったが、集のさり気ない気遣いも腹立たしい。
集は今までずっと、車道側を歩いていたのだ。
まるで、女性をエスコートする時に、紳士がそうするように。
「舞子君、一体私を女扱いしてるのかしてないのか、どっちなのよ」
「は? 何が?」
彼の洞察力なら、るりの言わんとするところは理解出来ていた筈だった。
それでも敢えてとぼける彼の余裕が、相変わらずるりには癪に障った。
眼鏡屋でフレームを物色する間、るりの思考はしかし、別の事に飛んでいた。
集と自分の関係性を的確に言い表す単語は何か無いか、そればかり考えていた。
友人と言ってしまえる程、互いに友情は感じていない。
集の方はどうだか知らないが、少なくともるりに、集に対する友情は無い。
では恋愛感情があるかと問われれば、そんなものはもっと無い。
目の前をちらつかれるだけで鬱陶しく、殴れば多少の気晴らしになり、
ではさりとて大嫌いなのかと言われれば、それも違うと今では分かる。
昨日までは間違いなく嫌いなのだと認識していたが、
彼の居ない生活に虚無感を覚えると言う事は、単純に嫌いなわけでもないのだろう。
彼が居なければ生活に張り合いが無いのは事実だ。
そして彼の洞察力に、それなりの信用も抱いている。
女として見て欲しいとは思わないが、女として見られない事に釈然としないものもある。
そういう複雑な関係性を一言で言い表すには、一体どんな言葉が適切だろうか?
友人でも、親友でもない。
恋でも愛でもなく、かと言って単純な嫌悪感とも違う。
目の前から居なくなれば気分が軽いのにと思いつつ、
本当に居なくなると、どこか物足りなさを感じてしまう。
「何だかそれって、好敵手みてぇだな」
何の気無しに集に話を振ってみたるりは、想定外の回答を返された。
「好敵手……って、一体何を張り合ってるってのよ」
「さぁ? でもそう考えると、しっくり来ないか?
俺はるりちゃんをおちょくる事に全力を注ぐし、
るりちゃんは俺に反撃する事に全力を注ぐ。
そういうコミュニケーションの在り方も、悪くないと思うけどな」
集は自分が買うわけでもないのに、フレームを試着しては鏡を覗き込んでいる。
高校生二人組での来店は冷やかしと思われているのか、店員は接客につかない。
るりには、束の間考え込む時間の余裕があった。
「コミュニケーション、ねぇ……今までそんな風に考えた事無かったわ」
だがるりも、その彼の説に、どこか納得してしまっていた。
続けざま、集は更にるりの心を揺さぶる事を言い放った。
「楽と桐崎さんの関係も、大まかには似たようなもんだろ?
罵倒したり殴られたりを繰り返しながら、ちょっとずつ関係を深めていってる。
俺は別に楽が小野寺と桐崎さんのどっちとくっつこうが構わないけど、
まぁあれはあれで、見てて飽きないよ」
「妙な事を言うわね。それじゃ私と舞子君も、このコミュニケーションを通して、
いずれもっと仲が良くなっちゃうみたいじゃないの」
「俺はそうなると思うよ? 俺ら多分、基本的に相性良いし」
(……だからどうしてアンタはそんな事を顔色一つ変えず平然と言えるのよ)
るりはこめかみに血管を浮き上がらせながら、そう言い返しそうになった。
相性が良い、という言葉に対しては反論しようとしていなかった自分に気付いて、
言い返す前に口を噤んでしまったのだが。
「私、アンタを殴るの、結構好きよ?
舞子君を殴れなかった数日間は、意外とつまらなかったし。
そんな女とでも、仲良くなりたいって思うの?」
「なはは、参ったねこりゃ。でも俺、それはそれで楽しんでるぜ。
俺が一度でも、るりちゃんの攻撃を避けた事があったか?」
それもそうね……と呟きつつ、るりはフレームを選んだ。
冷やかしの来店だと思っていた上に、会話の内容が内容だから、
気まずくて中々接客につこうとしていなかった店員は、慌てて受付をし始めた。
視力測定を済ませ、注文票を発行してもらい、その日はそれで終いとなった。
「うぉースッゲー! 湯船めちゃくちゃデケェよコレ!」
「カラオケまであるなんて……これが本当に宿泊施設なの?」
「いや、まぁ、カラオケがあるのも珍しくないってのは、
クラスの男子から聞いた事あったんだけどさ。
それにしてもこのバスルームの広さ、たまげたなぁ。
二人で入るのが普通だから、こんなに広く作ってあんのかな」
「ってか、この自販機の中身、卑猥過ぎて言葉も出ないわ……」
眼鏡の代金を支払った後、るりと集は、生まれて初めてラブホテルに訪れた。
相性が良いのは、もうこの際認める。
居ないと物足りなさを感じるのも、今更否定はしない。
だがそれが恋愛感情かと問われれば、どうも素直に認められない。
集を見ていても心臓がドキドキする事も無いし、
彼の前で良い格好をしようと取り繕う気にもなれない。
愛が無いのに、なし崩し的に付き合う事になったのは、
るりにとって思わぬ展開だった。
ましてや、付き合い始めの初日から、キスもまだなのにホテルに行くなど。
「念の為聞くけど、相手が私じゃなくても、舞子君は良かったの?」
「はい? んなワケねぇじゃん。るりちゃんとじゃなきゃ、こんなトコ来ねぇよ。
それとも俺が、誘われれば誠士郎ちゃんや桐崎さんとさえ、
こんな所に来るような見境無しの男に見えるわけ?」
うん、見える。
と言いかけたが、るりはそう言い返す代わりに、肩を竦めた。
少しもロマンチックなイントネーションを含まず、屈託のない笑顔で、
当たり前のように「お前じゃなきゃ嫌だ」と言い放つ集に、どこか安堵していた。
女として見られていないのだと今まで思っていたが、どうやらそうではなく、
彼はただるりの前で、自然体なだけであるらしかった。
自然体と言う意味では、小咲や千棘に対する接し方より、
るりに接する方が遥かに自然体でいてくれるようだ。
そしてそれは、るりにとっても似たようなものだった。
一言で言えば「遠慮をしないで良い間柄」。
ひょっとするとそれは、単純な恋愛すら超えているのではないか、と思えた。
「まさか小咲が一条君とくっつくより前に、
私と舞子君の方がもっと深い間柄になるなんてね」
るりは集のほっぺたをつねった。
「イタタタタっ!? 新技かよ!」
彼の頬をつねったまま、るりは唇を近付けた。
「も一つ、新技よ」
「ハハハ……斬新な攻撃だぜ」
記念すべき初めての口づけは、彼ら二人のサバサバした関係に似つかわしく、
やけにさっぱりと手短に終えられた。
眼鏡使い同士のキスは、思っていたよりレンズが接触する事は無かった。
何故自分がこうまで舞子集を目の敵にしていたのか、
その理由をるりは今になってようやく正確に把握出来るようになった。
助平だからではない。
人の心を掻き乱すからでもない。
それらは集という人間の本質ではなく、オマケのようなものだ。
彼の一番癪に障るところは、いつも崩れる事の無い、余裕なのだ。
「舞子君ってさ、誰かと付き合った事あるの?」
「あるワケねぇじゃん。俺がそんなにモテるように見える? 俺バッチリ童貞だぜ」
「だろうとは思ってたけど……」
その割には、女性に対する接し方に、余裕があり過ぎる。
同じ「主人公の親友」というポジションでも、
例えば『I”s』の寺谷なら、もっと露骨に発情しまくっていた。
『ToLOVEる』の猿山も同様だ。
だが集には、それが無い。
助平の割には、どこかでラインを引いていて、一歩下がっているように見える。
表面上の振る舞いにそぐわぬ内面のそのクールさで以て、
時には人をからかったり、時には人を心配したりする、
こういうところが自分は苦手だったのだと、やっとるりは理解した。
今だってそうだ。
普通童貞なら、もう少しアタフタしても良い筈だろうに。
ファーストキスを交わした今、集はいつもと変わらぬ笑顔で、るりを見ている。
るりの方はと言うと、ガラにも無く少し顔を赤らめている最中なのに。
「こっちは結構恥ずかしい思いをしてるのに、何で舞子君は平常心なのよ」
「いやぁ、何でって言われてもなぁ。そもそも別に平常心じゃないぜ?
ちゃんとドギマギしてるし、内心焦ってる面もあるし」
「とてもそうは見えないわね……」
もっと早くに気付くべきだった。
楽と千棘が付き合っていない事に気付いていながら、それを隠し通す性格。
要するに彼は、自分の本心や素を、あまり見せないタチなのだ。
そういうところまで、つくづく自分に似ていると、るりは思った。
るりが服を脱いでいる間も、集は平常心のまま……のように見えた。
確かに表面上は顔を赤らめてもいるし、嬉しそうにニヤついてもいる。
けれどもそれは、いつも楽や千棘をからかう時に彼が見せるのと同じ、
コテコテの演技で固められた表情だった。
「いやーこうして見ると中々良いモンですなー、るりちゃんバディも。
保護欲を掻き立てられるって言うか、思い切りハグしたくなるって言うか」
「……舞子君、本当に緊張とかしてんの?
全然そう見えないんだけど……」
「してるしてる! メチャクチャ緊張してるってばー。
目の前で女の子が服脱いでるのに緊張しない童貞が居るワケないだろー?」
もしそれが事実なら、この舞子集という男、相当な食わせ物だ。
内心の焦りを隠そうとするなら、普通の人間は、殊更に平静を装う。
集はそれとは逆に、敢えて必要以上に自分の内心をオーバーに表現している。
それを見せつけられる側のるりは、彼が平常心であると錯覚させられるのだ。
本心を隠す為にわざと本心をアピールすると言う、二重のフェイクだった。
そして、その事に一度気付いてしまうと、
今までも彼はずっとこうだったかも知れない、と気付くようにもなる。
初めてるりの事を「るりちゃん」と呼んだ時、(←二巻オマケ漫画参照)
集は顔を赤らめ、悪戯っぽく「まーまーいいじゃないの」と笑っていた。
プールでるりに足蹴にされていた時も「るりちゃんはノリが悪いな〜」と言いつつ、
同じように顔を赤らめて茶化すように笑っていた。
るりの事を「るりちゃん」と呼ぶ時、彼は何度か、頬を朱色に染めていた。
「るりちゃん」と呼ぶのが恥ずかしいからこそ、敢えてそれを隠さない事で、
逆に完璧に隠し通していた、というわけだ。
「何だ……。アンタ、ちゃんと私の事、女として見てたんじゃないの」
「俺が一度でもるりちゃんを女扱いしなかった事があったぁ?
やれやれ、心外だなぁ」
だったら最初からオーバーに振る舞わずに普通にしてろ、とるりは反論した。
この舞子集という男ときたら、生理現象である筈の勃起すらもが
ただの演技に見えるのだから恐ろしかった。
気付けてしまえば、この集という男は、意外と可愛い。
例えば楽などは、この先誰と付き合う事になるのかは分からないが、
初めて行為に及ぶ際には、服を脱ぐのにもいちいち赤面する事だろう。
下着を脱ぐ時などは、勃起真っ最中の陰茎を見せびらかすのが恥ずかしくて、
女みたいに手で必死に隠そうとする様が、手に取るように分かる。
しかしそれとは正反対に、集はむしろ、あけっぴろげに服を脱ぎ始めた。
相変わらず顔を真っ赤にしつつ、そしてオーバーにニヤけつつ、
「いやー参ったねー! 俺のムスコは早くもレッドゾーン振り切りそうだよ!」
などと主張しながら、テキパキとトランクスを脱いでいく。
本当は物凄く恥ずかしいくせに、それをカバーしようと必死になっているのが分かる。
「アンタひょっとして、私より恥ずかしがってんじゃないの……?」
「そりゃもう恥ずかしいの何のって!
女の子にチンコ見られるなんて、小学校低学年以来だぜー?
こんな事になるなんて思ってなかったから、ゴムも持って来てないし!
あ、でも確かラブホって、枕元にゴムあるって聞いた事があるような――」
「ちょっとは落ち着きなさいよ、馬鹿。
無駄にハイテンション装わなきゃならない程、遠慮の要る関係じゃないでしょ?」
眼鏡を外し、髪も解いたるりは、溜息交じりにそう言った。
「タハハ……悪ぃ。結構マジで緊張してるんだわ、俺」
集は苦笑い混じりにそう返した。
「分かってるって。私だって緊張してんだから、オアイコよ」
「でもそれなら尚更、男である俺の方がゆとり持ってリードしなきゃ」
「アンタにそんなの期待してないから、別に良いわよ」
「うっ、ヒデェ……。なぁ、るりちゃん。もし痛かったりしたら、すぐ言えよな?」
「遠慮なんかしたら、ブチ殺すわよ。変な気遣いしないで頂戴」
「でも遠慮しなかったらしなかったで、後で散々文句垂れそうじゃん」
「そりゃ当然。罵って、足蹴にして、ひたすら責め立ててやるわよ。
そういうのが私達のコミュニケーションの在り方なんだって、
舞子君自身がさっきそう言ってたのよ?」
「遠慮しても遠慮しなくても批難されるのかよ。
……ま、その方が俺ららしいっちゃ、らしいけどね」
常にかかり続けるムーディなBGMが耳障りな部屋の中、
壁も床もベッドも全て、わざとらしいピンクの照明に彩られている。
るりは灯りを消す事を所望したが、集はそれをやんわりと断った。
「俺、遠慮しなくて良いんだよな?
るりちゃんの体しっかり見たいから、灯りは消さないよ」
「メガネ外してたら、どうせロクに見えないでしょうに」
「うん。だから、こんぐらい近付いたらちゃんと見えるんじゃね?」
そう言って集は、横たわるるりの顔を覗き込むように唇を近付けた。
彼はうっすら笑ってはいたが、目が怯えていた。
(男のくせにビビんなよ……)
そう言いかけたるりの言葉は、重ねられた唇で強制的に塞がれた。
「あふ……ん、あっ……」
唇を触れさせると同時に、いきなり舌がねじ込まれてくる。
最初はソフトタッチに触れさせて、徐々にディープに……
と考えていたるりのキスのイメージは、出鼻から挫かれた。
しかし遠慮をするなと言ったのは、るりの方だ。
この返礼は、後でたっぷり責め立ててやる事で解消するしか無い。
口づけに慣れぬ二人のディープキスは、ただ互いに舌を伸ばすのがせいぜいで、
それを絡ませるとか、吸い合うとか、歯を舐め合うとか、
そうしたテクニカルな部分は一切無かった。
最初はそれで良いのだ、とるりは思い直す。
これから回数を重ねていく内に、二人で少しずつ上手くなっていけば良いのだ。
どうせ相性抜群の二人の事、この先何度も愛し合うのは、もう確定事項なのだから。
「るりちゃんも、遠慮なんかしなくて良いんだぜ?」
冗談めかして集が言った。
「遠慮なんかしてないわよ、別に。
ただ、何をすれば良いか分かってないだけ。アンタと同じでね」
「……バレてたか」
集は苦笑した。
キスの次に何をすれば良いか分からないからこそ、
るりの方が何か行動を起こしてくれないかと期待して、
彼は「遠慮なんかしなくて良い」と言ってしまったのだ。
つまり、男らしくない。
つい先程、男である自分の方がリードしなければと言っていたくせに、
早くも掌返しをしていたわけだ。
けれどもそれは、るりにとっては心地良かった。
あぁ、コイツ本当に私が初めての相手なんだな……と確信出来たから。
「でも、そうね……遠慮しなくて良いってんなら、要求は幾つかあるわ」
「要求? 例えば?」
どんな無理難題をふっかけられるかと危惧した集の腰に、るりの両腕が回される。
「どわっ!?」
小柄な肢体に反して案外とパワーのある彼女の腕が、
集の下半身を強引に引き寄せようとしていた。
「ちょ、待っ、るりちゃん!?」
「先ずは一つ目の要求。もっと体くっつけなさい。
勃起したソレを私に触れさせるのが恥ずかしくて、
ずっと腰浮かせて膝と手で体重支えっ放しじゃないの、アンタ。
疲れるでしょ、その体勢」
「お見通しかよ……」
根負けして、集は膝から力を抜き、下半身をるりの太腿に密着させ始めた。
「直接肌に触れてみると、これ、結構怖い形してるのね」
「だから遠慮してたのに……るりちゃん、重くない?」
「思ってたよりは平気。って言うか、だから、遠慮なんかすんなっつーのに」
自分より遥かに重い集の体重すら全て受け止める覚悟が、るりにはあった。
今までずっと軽妙軽薄に振る舞ってきた彼が、
自分に対しては「重さ」を見せてくれるのなら、それはそれで面白い。
例えそれが、たかが体重であろうとも。
「んで、他の要求って何?」
「そうね……。二つ目は、呼び方」
「呼び方? るりちゃんって呼ばれるの、嫌いか?」
「逆よ。二人きりの時だけ、私もアンタの事、集って呼んで良い?」
「何だよ、そっちも遠慮しまくりなんじゃねぇの。
呼んで良いどころか、是非呼んでくれよ、むしろ」
「それじゃ、三つ目」
「何?」
るりは一呼吸置いて、一番言いにくい事を、覚悟を決めて口にした。
「私をメチャクチャにしなさい。
いつも集が私の心を掻き乱してるみたいに、私の体を掻き乱して。
こういうのが私達のコミュニケーションなんだって、強く私に思い知らせて」
それは童貞の集にとって、一番難易度の高い要求だった。
だが、無下には出来ない。
今までで一番顔を真っ赤にしながら、るりが言ってくれたのだ。
こうまで顔を赤くしている状態のるりなど、恐らく小咲ですら見た事無かろうに。
「……りょーかいっ。ノンストップで行くから、覚悟しろよ?」
「その分後でボロクソに文句言ってあげちゃうけどね」
メチャクチャにする、とは言ったものの、実際集には難し過ぎた。
慣れた男なら、もっとうまくやれるのだろう。
しかし経験皆無の彼には、一ヶ所に注力するのが精一杯だった。
「あっ、ふ……もっ、とぉ……もっと私を困らせなさいよ、馬鹿ぁ……」
「いやそんな事言われても、これ以上どうすりゃ良いんだか……」
仕方の無い事だが、集の攻め方は単調だった。
右の乳首を舐める時は、それにばかり気を取られ、左の乳首が疎かになる。
舌を動かしている時はそれしか頭に無く、唇を立てて吸うとか、
手や指でもう片方の乳首を責めるなどという余裕も無い。
常からオーバーリアクションで己を偽り続ける彼の、ひょっとするとこれが、
初めて誰かに見せる、余裕の無い状態かも知れなかった。
「なんか、もっとこうっ……指で弄るとか、頭使いなさいよ……っ」
舌で乳首を転がされているだけでも結構感じているのだが、
もっと上がある筈だと、るりは確信していた。
しかし集にとってはそう容易い話ではない。
言われるままに左の乳首を指で責め始めた途端、
右の乳首を弄んでいた舌の動きが止まってしまう。
彼の舌は、もはやただそこに在るだけ、といった状態になってしまった。
その事に気付いて慌てて舌を動かし始めると、今度は指の動きが止まる。
これはこれで可愛い奴だと言えなくもないが、るりとしてはいささか不完全燃焼だ。
「だぁあクソっ! 交替だ交替!」
おもむろに上半身を起こし、集は叫んだ。
「な、何よ、交替って」
「お前もやってみろよ! 二ヶ所以上同時に責めるのって、意外とムズいぜ!?」
「男のくせに、頼りない奴め……良いわよ、やってやるわよ。
集に吠え面かかせてやるのも、私の日課の内なんだしね」
二人はポジションを替え、今度は集が下、るりが上に覆い被さった。
ところがどっこい、これは想像していた以上に難しい話だと、
るりも認めざるを得なかった。
「んっ……じゅぷっ……」
「おいおい、どうしたぁ? 手の動きが止まってんぜ?」
「う、うるさいわね……今本腰入れてやろうと思ってたのよ」
ペニスの外見は触れるのも怖く感じられる程だったが、
るりは勇気を出して、手コキを開始していた……筈だったのだが、
同時進行でディープキスもするつもりが、中々うまくいかない。
キスに集中すると手コキが止まり、手コキをするとディープキスが中断される。
そもそも彼女は、キスも下手なら手コキも下手だ。
経験が無いのだから当たり前だが、握る力の加減も、摩擦のスピードも、
刺激と言うには程遠い程度のものにしかなっていない。
結局、童貞と処女のセックスで、テクニカルさなど望むべくも無い。
その事に気付いたるりは、ならばいっそ、一ヶ所に全力を注ぐべきだと判断した。
相性抜群なお陰で、集も同時に同じ考えに至っていた。
「なぁ、るりちゃん。シックスナイン、って知ってる?」
「……知ってるって答えるの、何か悔しいわね。
でも、私も丁度同じ事考えてたわ」
キスも無く、胸や乳首への攻めも無くなるが、代わりに最も敏感な部分に、
お互いに集中力を全振りする事が出来る。
先人は全く粋なプレイを考えついてくれていたものだ。
しかもこれを「69」と呼ぶなど、ネーミングセンスもズバ抜けている。
どこの天才がこんな名称を考えたのだろうか?
二人は早速、その技を試してみる事にした。
集を仰向けにしたままで、るりの方だけ前後を入れ替える。
まじまじと眺めてみると、男根はやはりグロテスクな化け物に見えた。
「顔に似合わず、ゴツいの持っちゃって、まぁ……」
「いやぁ、男はみんなこんなモンだと思うぜ?
るりちゃんの方も、可愛らしい顔と体に似合わず、ここはこんなにエグ――」
「黙りなさい。口塞いで窒息死させるわよ?」
「るりちゃんのアソコで窒息出来るんなら本望だぜ!」
「減らず口ばっかり……ねぇ集、私の、変じゃないかな?」
「比較対象が無いから分かんないけど、そうだなぁ……
強いて言うと、ツルッツルなのが何かオモシレー」
「やっぱりアンタ黙りなさい。密かに気にしてんだから」
るりは長い髪を集の腰回りに柳のように垂らしながら、
見つめるだけでも恐ろしくなってくる醜悪な物体に顔を近付け、
ゆっくりと舌を突き出していった。
「うっわ……変な匂いするわ、変な味するわで、コレは……」
「癖になりそう?」
「馬鹿言ってんじゃないわよ。病み付きになりそう」
「一緒じゃん。いやむしろ重症じゃん」
「ブツクサ言ってないで、集も早く私の舐めなさい」
「ん、分かった。遠慮しないで良い、んだよな?」
年齢に不相応なくらい未成熟なるりの股間に、集の舌が突き出された。
テクのある男性なら、こんな激しいクンニはむしろ避けるかも知れない。
女性器と言うものは激しさよりも繊細さで以て愛すべきだと、
経験豊富な男なら分かってくれるだろう。
それでなくとも、AVなどの潮吹きは嘘っぱちだと、昨今では認知されつつある。
乱暴に貪るのではなく、丁寧に表面を撫でるだけの方が、
女にとっては余程気持ち良いというのが、世間の常識になりつつあるのだ。
だからその意味で、集のクンニは、セオリーから全く外れていた。
「ずじゅじゅっ、じゅぷっ、ぢゅぅぅっ」
わざと擬音を口走っているのではないかと思える程、わざとらしい水音。
穴の場所もよく分かっていない集の舌先は、尿道までをも蹂躙していた。
有体に言えば「下手糞」なのだが、るりはこれで良かった。
遠慮なく好き放題にメチャクチャに掻き乱して、と願ったのは彼女の方だ。
膣に割り込んでくるザラザラした舌の感触も、痒いがどこか気持ち良い。
「あっく、ふぁ……は、あ、あ……」
集の吐息と唾液が、るりの一番大事な部分に滑り込んで来る。
ついついフェラの方が疎かになりそうな程、るりの全神経はそこに収束していた。
「負けてっ……らんないん、だかっ、らっ……」
どう舐めるのが効果的か、相変わらず分からないまでも、構う事は無い。
遠慮なく、自分のやりたいようにやる。それが取り決めなのだから。
「おぼっ……おふ、んぐ……ぷはっ……ヤ、これ……息苦し……」
思わず彼女は集の男根から早くも口を離してしまった。
右手は男根に添えたまま、仕切り直しのように、左手で横髪を掻き上げる。
小咲もいつかはこれと同じ事をするのだろうと思うと、
るりは今から親友にエールを送りたい気持ちにさせられた。
しかしあぁ見えて小咲はムッツリスケベの素養があるから、
意外とすぐに順応してしまうのかも知れないが。
「ぢゅっ……ちゅぷ、ずひゅっ……」
今度は呼吸を堰き止められないよう、カリ首の辺りだけを重点的に攻める。
根元まで頬張って喉の奥を貫かれたいとも思ったるりだったが、
今はまだそんな事が出来る程、コツを身につけていない。
不慣れなのはお互い様だと割り切って、彼女はただひたすら、
カリ首だけを唇の内側で摩擦し続けた。
テクニシャンならここで舌を使って尿道を責めたりもするのかも知れないが。
(あったかい……でも、不味い……あっ、何か出てきた……)
異臭を放つ先端を口に含みながら、先走り汁が滲んできた事に気付かされる。
少し躊躇いはしたものの、このくらいなら舐めてやっても良いかと、
ここでようやくるりは尿道を舐め始めた。
彼らのシックスナインは、遠慮をしない割には、的確なポイントを外しまくっている。
引き際も特に見つからず、二人はその後たっぷり三十分、延々と互いを舐め続けた。
「うっわ、もう結構グショグショじゃん。マジで濡れるんだな、この部分って」
「大半が集の唾液だけどね。唾液って言うか、もう涎?」
シックスナインにも飽き、二人は座位で体を寄せ合った。
集の指が、彼の唾液で汚れたるりの股間に伸びる。
まだ性感の発達していないるりの股間からは、然程の愛液は分泌されていなかった。
まさしくそこが濡れているのは、大部分が集の唾液のせいだった。
しかし表面は兎も角、入り口から先は、うっすら体液が滲んできている。
指の一本を差し込むくらいなら、何とかなる程度には。
「不公平だわ。どう見ても私よりアンタの方が気持ち良くなってそうじゃない」
「そりゃあ男はそういうもんだからなぁ」
るりは集のそそり立つ男根の先端に人差し指を這わせた。
指先から尿道までを繋ぐように、粘性の液体が糸を引く。
これと同じ液体が、もう幾らかは自分の口の中に含まれていると思うと、
何となく彼女も気分が高揚してくるのだった。
「女の子のナカって、こんなゴリゴリしてんだなぁ。
体の表面はこんなに滑らかなのに、何か不思議な気分だぜ」
「いちいち口にすんな、ドスケベ。このセーシ、アンタの口ん中にねじ込むわよ?」
「うっ……そ、それはちょっと勘弁してくれないか……」
「だったらアンタは口ばっか動かしてないで、早く私をメチャクチャにしなさい。
いつもみたいに私を掻き乱して、私の平常心を揺るがせて、私を怒らせなさい」
「どっちが立場が上か、全然ワカんねぇな、それ」
「良いから、早く」
「へーいへい。そんじゃ、ま、容赦なくイキますよっと!」
突然、集はるりの肩を押し、無理矢理ベッドの上に押し倒した。
この瞬間だけを切り取って見るなら、レイプにも近い勢いだ。
「きゃっ!?」
「へへへ、可愛い声出すじゃねぇかお嬢ちゃん」
「……遠慮はするなと言ったけど、それじゃただのロリコンみたいよ?」
「だな。俺も本当はもっとナイスバディな女の子の方が好みな筈なんだけど。
どうしてか小野寺や桐崎さんより、るりちゃんのが劣情ソソられちまうわ」
「あなた、本気の変態じゃないの」
「あれ、知らなかった? 俺は本気の変態だぜ?」
集はるりの両膝を持ち上げ、強引に股を開かせた。
「ゆ……ゆっくり入れてよね……」
「遠慮すんなっつったのは、どこのどなたでしたっけ?」
彼等は互いに理解し合っていた。
るりが「ゆっくり入れて」と言ったのは、むしろ逆に、
乱暴に扱って欲しいが故の嘆願なのだと。
そうして後になって「ゆっくりしてって言ったでしょ!」と、
るりが反撃に及ぶ事までも含めて全てが、彼らのコミュニケーションの形なのだ。
彼女の本音に違わず、集は途中で止める事無く、いきなり先端を奥まで刺し貫いた。
それ程激しく濡れていなかったるりの膣は、処女膜の抵抗も相まって、
殺人的な痛覚を彼女にもたらした。
「ひぎっ!? い、がっ……あぁ、かはっ……」
「大丈夫か、るりちゃん?」
「だいっ……じょうぶな、ワケ……無いでしょうがっ……
生皮引っぺがされたくらい……痛いっつーのに……っ」
「そっか。しばらく休ませてやりたいトコだけど、
俺の方はちょっと我慢しきれそうにねぇわ」
「んだから、遠慮なんかすんなってばっ……」
るりは痛みに堪えながら、両脚を集の後ろ腰に回して絡めた。
休ませる必要など無いと主張するかのように、彼女の足は集をがっちり固定した。
両腕が集の首に伸びると、集の方も彼女の意を汲み取って、上半身を倒した。
正常位で繋がった彼らは、体全体を密着させ、互いを離すまいとする。
集の両腕はるりの背中に滑り込み、肩甲骨と肩、背骨を包み込んだ。
「動く、ぞ……?」
「いちいちっ……確認、すんな……ボンクラぁっ……!
抉って……掻き混ぜて……いつもみたいに私を困らせなさいよっ……」
「分かったよ、るり」
集は初めて、彼女を「ちゃん」付けせずに呼んだ。
これも、るりを乱暴に扱うぞと言う、メッセージのようなものだ。
決して可愛がらず、いたずらに混乱させ、怒らせさえするという意思表示。
それはるりにとって、望むところだった。
汗が飛び散り、吐息が荒げ、破瓜の血が集の肉棒に絡みつく。
そう言えばコンドームつけてなかったな……という事に彼らが気付くのは、まだ先だ。
今の彼らには、そんな事に意識を巡らせるリソースが無かった。
「あっ、ぐっ、痛っ、んんっ、あぅっ……」
「ははっ、はっ……はっ……るりのっ……困った顔っ……可愛いぜ……」
「おちょくるなっ……こんの、馬鹿……あっ……後で……シメてやるっ……」
「もう、シマってる……ってば……るりのココ、キツキツで……」
「そぉっ……ゆう、意味……じゃ、んふっ……」
集の背中に爪を立てながら、るりは彼の体温と体重とを一身に受け止めた。
互いに初めてながらも、彼等は内面どころか、肉体まで相性抜群だと分かった。
形がぴったり嵌り過ぎている。
集の長さも太さも、反りの角度までも、るりには全て丁度良かった。
根元まで挿入すれば少し先端が子宮口に食い込むくらいの長さ。
こう言っては悪いが、大き過ぎない良い塩梅の太さ。
出し入れする度に的確な箇所をなぞってくれる反り具合。
集の肉棒は、まるでるり専用に作られた特注品のようだった。
ただ一つの問題点としては、これは童貞だから仕方ないのだけれど、
集が絶頂に達するのはあまりに早過ぎた。
「うっ……あ、あぁっ……」
「ふぇ? ふぇ、ちょ、ちょっと……で、出てるの……?」
急に動きの止まった集に気付くや否や、るりの中に熱い液体が満たされていった。
予想以上に早く片付けられてしまった一回戦だが、
しかしるりにとって、それは悪いばかりの話ではなかった。
ヘトヘトに疲れている集を前にして、彼女の方にはまだ余力があったのだから。
「やっと私の番ね。覚悟しなさいよ、集」
「ちょ、ちょいタンマ……俺もう、動けねぇって……」
「何よ、一発くらいでだらしのない」
「お前も動いてみりゃ分かるって。これ結構しんどいぜ?」
「だから、次は私が動いてやるって言ってんでしょ。
アンタが私を怒らせて、私がアンタに反撃する。
私達の関係って、そういうのがデフォなんだから、今更ゴタゴタ言うな」
るりは疲弊しきった集を力技で押し倒した。
抵抗しようとする集の顎に一発爪先を放り込み、動きを封じる。
「お、お前、大丈夫なのかよ!? 初めてだったんだろ?」
「そう。だから二回目からは初めてじゃない、って事でしょ?」
るりは強がりを言った。
たった三分前まで処女だった少女にしては、肝っ玉が据わり過ぎている。
まさか人生二度目のセックスで、いきなり騎乗位にチャレンジしようとは。
散らされた純潔の証を太腿に滴らせたまま、るりは集に跨った。
「ひっ……ぐ、んっ……」
「無理すんなってば! まだ痛いんだろうが、お前!」
「うるっ……さいぃっ……」
膝に力を入れて踏ん張りつつ、るりはゆっくりと奥まで集を受け入れていった。
正常位とはまた違った角度で挿入された陰茎は、
けれどもそれはそれで、やはり最高の相性を示した。
よく出来たペニスだ、と褒めたくもある。
多分どんな体位で挿入しても、彼のムスコは、その都度的確に自分を穿ってくれる。
この男以上に相性の合う男とは、もう一生会えないだろうと、るりは確信した。
「集はぁっ……そこで、じっとしてなさいよ……
無抵抗のアンタを、ボロクソにすんのがっ……アタシの、生き甲斐なんだから……」
虐めっ子のような事を口走るるりだったが、顔だけ見れば、虐められているのは彼女の方だ。
けれどもそれも、すぐに逆転する。
処女がそう簡単にはイケない体である事を、彼女は逆用するつもりだった。
「な、なぁるり、マジ無理すんなって……え?」
ガシッ、という擬音と共に、集の両腕がシーツの上に押さえつけられた。
ただでさえ馬乗り状態なのに、これで集は、余計に身動きを奪われてしまった。
「ふ……ふっふっふ……泣いて喚いても、止めてあげないんだから……」
「あ、あの、るりさん? やっぱりちょっと遠慮してもらえると助か――」
「問答無用」
集を抑えつけたままで、るりは腰を振り始めた。
わざわざ時計を確認してはいられない。
そんな余裕は無いし、体内時計もそろそろ狂い始めている。
だが敢えて勘で言って良いのなら、もう多分、二十分は経過しただろうか?
その間るりは、何度か集の下半身の上で小休止を取りつつ、
ひたすら腰を上下させ続けていた。
「る、るりちゃん……マジ、ギブアップ……」
「黙れアホタレ」
集は既に三度も射精していた。正常位の分も含めると、四度だ。
三度目辺りからは出るものも出なくなり、ただ意識が
フッと消え入りそうになっていただけだが、るりは構う事が無かった。
怪力で集を抑えつけて反撃を封じ、好き勝手に動いて、
もう限界までイキ続けた彼を、まだ容赦なく虐め抜く。
途中からは破瓜の痛みもどこへやら、兎に角気持ち良いだけになった。
相性最高のペニスのお陰で、るりは騎乗位を開始して十分もする頃には、
もう痛みより快楽の方が上回り、信じられない程愛液が迸っていた。
もっとも、その十分の間までに、集の方は二度も発射させられていたのだが。
それから更に五分程経って本日四度目の精液が発射され、
今はそこから更に五分経過し、もうそろそろ五度目を迎えんとするところだ。
集は干からびかけており、尿道から血が出ているのではと錯覚する程だった。
「あぁっ! やん! んや、あふっ! ん、ひぃっ! おくっ……奥ゥっ!」
「ヤベっ……俺、もぉ……死にそう、なんだけどっ……」
既に何百回、尿道と子宮口がキスをしたか知れない。
子宮はおろか、膣の内壁の襞、その一つ一つまでも、集の白濁で染められている。
受け止めきれなかった一部が結合部から溢れ出し、集の睾丸を伝ってシーツを汚す。
妊娠に対する危機感は、もうどこかへ吹き飛んでいた。
そしてもうそろそろ、るりの方も人生初のアクメを迎えかけていた。
「あ、わ、わたひ……イケそうっ……集のおちんちんで、壊れちゃえそうらよぉっ……」
「あぁチクショウ! もうブッ壊れちまえよ! るりぃっ!」
もはや精液など一滴も出ない程絞り尽くされた集は、
それでも意識だけは、五度目の絶頂へと導かれた。
それと同時にるりの方も、徐々に高まってきたボルテージを最高潮に至らせた。
「は、あっっ、あぁ、あぁぁぁぁぁ……」
意識の途切れたるりは、そのまま前のめりに、集の胸板に倒れ込んだ。
二人で入っても十分過ぎる程のスペースを確保された湯船の中で、
まるで狭いとでも言わんばかりに、集とるりはぴったり密着していた。
「ねぇねぇるりちゃん、俺の事どんくらい好き?」
「……嫌い」
「あっはっは、照れんなってぇ。俺の事が好きで好きでたまんねーんだろぉ?」
「嫌い」
「だったら何で今も俺の指を受け入れてんのかなー?」
るりは背中を集の胸にもたれかけ、彼の指をマンコの中に出し入れされていた。
温かい湯が膣の内側に滑り込んできて、少し不快な気分さえする。
「だって集、今日はもう射精出来る元気無いんでしょ?
そうと分かってるのに、私を焦らす為に今もこうして私を虐めて。
そんな奴、大嫌いに決まってんじゃないの、馬鹿」
「そりゃあアレだよ、ほら、次回の為の布石?
今の内に焦らしまくってから数日間放置しておいたら、
次ヤる時のるりちゃんはもっと激しく俺を求めてくれるだろうしぃ」
「ン……馬鹿……タコ殴りにするわよ」
そう言ってるりは、集の余っていた方の手を、自分の乳房に誘導した。
「ねぇ集、やっぱりもう一回しない?」
「いや、あのぉ〜……もういくら何でも流石に今日は無理っつーか……」
「なるほど……今日は、ね……」
ならば明日の放課後、るりが部活を終えてから、もう一度。
口に出さずとも、洞察力に優れたこの二人の間では、十分意思疎通が出来た。
今回は集のオゴリだったが、毎回ラブホなどに行っていては、金がもたない。
高校生らしく、放課後の教室で事に及んでみようか、それとも更衣室か。
はたまた保健室や、体育倉庫と言うのも悪くない。
夜の校舎に忍び込んで……と言うのも、またオツなものだ。
るりは今からもう、あと二年と数ヶ月残された集との高校生活に、期待が収まらなかった。
そしてその先に待ち受けるかも知れない、同棲生活や、結婚生活までも。
終わりぃー。