家には他に誰もいないのはわかっているが、ふたりはとっ散らかっていた下着とパジャマを   
律儀にきちっと身にまとってから部屋を出て、階下の浴室に向かった。  
 
 熱いシャワーがまるで体の表面にまだ残っている肉欲の燃え滓を洗い流していくようだ。  
 ふたりは心身ともにサッパリとして晴れやかな表情で、着替えを済ませておフロ場をあと  
にした。忍は例によって楓の部屋に預けてある何着かの私服のどれかに着替えるのだが、この  
間のデートの際に着たものを選んだ。そのときの甘い気分を思い出して浸っていたかったからだ。  
それは楓にしても同じだった。  
「……あぁ、きもちい〜! なんだか生まれかわったみたいな気分!」  
「う〜ん! わたしもです〜!」  
 そろって気伸びをするふたり。  
「……でも、ほんとに生まれかわったって感じです♥ ……今日からのわたしたちは、昨日  
までのわたしたちとはもう違っちゃってるんですよね……」  
「……うん……そうだよね……」  
 楓は頷いて、忍の手を握った。  
「さ、朝ゴハンの用意するね。わたしが作るから、忍ちゃんは座って待っててね」  
 忍の手を取ったまま楓はテーブルに忍をいざなった。  
「あ、わたしもお手伝いしますっ」  
「いーからいーから。座ってて♥ あ、新聞取ってくるね」  
 イスに座らせた忍の両肩に両手を乗せる楓。忍をテーブルにつかせると楓はエプロンを身につけ、  
新聞を取りに玄関に行ったり、冷蔵庫から食材を取り出したりと、ぱたぱたと朝食の準備に  
とりかかった。  
 
 テーブルについた忍は、手に取った新聞に目もくれず、キッチンで朝食を作っている楓の  
背中を見つめていた。楓がまとっている白い清楚なエプロンには肩や裾にふわっとフリルが  
あしらわれており、後ろからきゅっと抱きしめたくなるくらい可愛らしかったのだ。  
(わわっ……これってなんだか……楓さんがわたしの……)  
「うふっ、なんだかこうしてると、わたし、忍ちゃんの奥さんになったみたいね♥」  
 まるで忍の心の中を見透かしていたかのように、楓が忍に背を向けたままクスッと笑って  
言った。  
「あっ! あははっ! 楓さ〜ん……。………うれしい………」  
 
 忍をあまり待たせたくないのもあって、楓は実に手際よく、簡素ではあるがおいしそうな朝食を  
作り終えた。  
「はい、おまたせ!」  
「わぁ♥ おいしそうですぅ!」  
 フレンチトーストとベーコンエッグ、サラダ、そしてミルクなどの飲み物がテーブルに並ぶ。  
「ホントはご飯とお味噌汁の方をつくりたかったんだけどね……。時間かかるし、そっちはまだ  
自信もなかったから……。忍ちゃん、ご飯党でしょ?」  
「い、いーえ、そんな、そんなこと! お、お気遣いなく! 楓さんの手料理ですもの〜!」  
 ちょっぴり申し訳なさそうな楓に忍はあわてて首を横に振った。  
「……ありがと。じゃ、食べよっか。あっ、はい、おハシ」  
「あ、どうもっ。では、遠慮なく……。いただきます!」  
「いただきまーす!」  
 和気あいあいとした朝食。そういえばふたりっきりでの朝食というのはこれが初めてだった。  
「もぐもぐ、おいしいですぅ、楓さん」  
「そう? ありがと♥ でも多分、シアワセ〜な気分がおいしく感じさせてるってのもある  
かもね。わたしも自分で作っててなんだけど、いつもよりおいしいって感じてるもの」  
 
 楓もしばらくもくもくと食べていたが、ミルクを一口飲んでいったん手をとめると、もじ  
もじと話を切り出した。  
「……ね、食べながらでいいから……。忍ちゃん、さっきの話の続きなんだケド……」  
 今朝、起きたときに忍が少し触れた話題だ。くノ一の淫技の修行のこと……。  
「もぐもぐ……あ、はい、そうでしたね。……楓さんもそういうコトに興味あるんですね……。なんだか  
安心したっていうか……」  
「んもうっ!」  
 頬を赤らめる楓。  
「あは、すみません。えっと、どっから話そうかな……」  
 忍もミルクを一口飲んで一息つくと、ゆっくりと話し始めた。  
「忍者学園の中でもわたしたち忍者学部の女の子……つまりくノ一はですね、さっきも言ったように、  
ひとことでいうとエッチなことも勉強するんです。もちろん選択科目ですが。わたしの所属して  
いる『い組』では、くノ一はわたしひとりだけで、そのわたしが履修してませんから、ないも  
同然ですね。もっとも、『い組』には実技指導の免許を持ってる先生がいないんですけどね」  
「それって、も、もしかして、おん…『い組』の頭領がその免許持ってたら、忍ちゃん、実習で……  
その……しちゃうの? 頭領と……」  
 当然ながら心配そうな面持ちで楓は質問する。  
「いいえ、それはありえないです。この科目を教える免許はくノ一にしか取れない決まりになって  
るんです。男の人はどうしてもいやらしい気持ちが混じっちゃうからダメなんです。まぁ、わたしは  
もともと選択してませんけどね。教科書を少しかじっただけで……」  
「つまり、女どうしでって……ことね。ちょっとホッとしたような……。ううん、女どうしでも、修行の  
ためでも、忍ちゃんがそんなコトするの……やっぱヤだな……」  
 忍はそんな楓の言葉が嬉しかった。  
 
 楓は忍が修行とはいえ、自分以外の誰かに体を許す危険性がないことを知ると、安心した  
のか、再びフォークを持つ手を動かし始めた。忍の方はというと、今の楓の言葉が嬉しくって、  
もうぱくぱくと食べるのをとっくに再開していた。  
「……あ、でも、男の人を相手にするための修行なのに、先生がくノ一っておかしくない?」  
「ええ、ごもっともです。ですから、先生のくノ一は……とてもレベルの高い術なんですけど……  
その術で……男の人の……アレを……自分のアソコに……生やしちゃうんです……」  
 忍のそれまでの流暢な口調が一転して、恥ずかしそうに小声でおずおずとしたものになった。  
そのショッキングな内容に楓もさすがに驚きを隠せなかった。  
「え!? ええっ? 生やしちゃうって……? アレを!?」  
「はい……。効き目は実習の間だけの1〜2時間程度ですが……。厳密に言うとその術は忍術  
ではなくて呪術の分野なんです。忍術の免許皆伝を許されたくノ一がさらに呪術もある程度  
勉強しないと会得できないというわけですから、この実習の免許を取るのは全科目の中でも  
とりわけ難度が高いと言えるでしょうね」   
「そ……そうだったんだ……。わたし、忍ちゃんから、修行の内容のこと、こんなに詳しく聞いたの  
初めてだけど……。いま聞いた話は驚いたわ……」  
 ふと気がつくと、忍は料理のほとんどを平らげていた。話しながら食べていたというのに、  
忍の話に聞き入っていた楓より早く食べ終えようとしていた。  
「最後にもうひとつきくけど……、たとえばさ、泉先生のとこの『ろ組』とか、頭領の泉先生が  
くノ一だし、生徒もくノ一の子が多いよね。もしかして泉先生って、その免許……」  
「う〜ん、他の組のことなので、わたしもはっきりとしたことは知りませんが……可能性がない  
わけではないかも……。楓さん、そんなに気になるんですかぁ? その術のこと……」  
 忍は水の注がれたグラスを両手で持って口につけながら、ちょっぴりからかうような眼差しで  
楓を見つめた。  
 
「え? ううん、そんなこと……ないよ、あははっ……」  
 忍の視線をかわして、楓はわずかに残るフレンチトーストを頬張った。  
 楓は忍の話に聞き入るあまり、よくできたと自負していたはずの朝食の味もほとんど憶えて  
いなかったが、テーブルを共に囲んでいる忍がとてもおいしそうに食べてくれているのは見て  
いてやっぱり嬉しかった。  
「ごちそうさまでした、楓さん。とってもおいしかったです♥」  
 
 ふたりともつい忘れかけていたが、今日はお留守番なのだ。ゆえに朝食後、ふたりは1階の  
リビングでくつろぐことにした。見るような番組もないテレビをとりあえずつけて、寄り添う  
ようにソファに並んで腰かけている楓と忍。  
「う〜ん……今日はよく降るわね〜。お昼は外でって考えてたけど、この降り方じゃあね……。  
お昼はなんか取るってのでもいい?」   
「はい、おまかせします♥」  
 忍は楓の肩に軽くもたれてこたえる。  
「考えようによっちゃあ、今日は雨が降っててむしろよかったかもね。お留守番の日に天気  
よかったら、外に出かけたくてウズウズしちゃってるはずだもんね」  
「えへへ〜♥ 天気がいい日にお外でデートもいいですけど、でも、雨の日にこうして  
楓さんとおうちの中でゆっくりふたりっきりでいるのもシアワセ気分いっぱいですよ♪」  
「そうね。なんにもすることなくっても、わたしもこうして忍ちゃんといっしょにいるだけで  
とても満たされてるって感じよ」  
 楓は忍の肩を抱きよせる。  
 
 雨の日の日曜日の午前のおだやかな時間がゆっくり流れていく。ふたりは特に何をする  
こともなく、ただリビングでお留守番をするのだった。  
「……忍ちゃん、もうこんな話するのもなんだけど……。これから……その……したくなっちゃったら、  
どうしよう? わたしの部屋は家に誰もいないとダメだけど、今回みたいな場合はもうまずあり  
えないし、忍ちゃんの部屋だと誰もいないってのはもっとありえないし……」  
 楓はソファに腰かけている自分のひざにもたれて甘えている忍の頭をなでながら思案し始めた。  
忍はそんな楓の顔を見上げてこたえる。  
「実はわたしも今、同じこと考えてました……。そうですね……。誰にも気づかれないようにって  
考えるとやっぱりもう、そういうことをするところに行くしかないんじゃないでしょうか……」  
「……ホテル…ってこと? ……そういうことする……」  
 楓もそれしかないのではとは思っていたが、口には出せなかった。忍によい考えがないよう  
だったならそう言うつもりだったが、忍が先に同じことを考えて言ってくれたので、そのまま  
忍の意見に追従することにした。  
「念のため、出入りするところなんかを偶然誰かに見られたらいけないですから、ちょっと遠く  
まで足を延ばした方が無難ですよね。あ、でも、女の子どうしで入るの、恥ずかしさ倍増かも〜……」  
「あ、それならさ、忍ちゃん、ほら、いつか、変装して男の子の格好したことあったじゃない。  
それでだいじょうぶなんじゃない?」  
 忍に男装してもらうというアイディアも楓はとっくに思いついていたが、つい今ひらめいた  
かのようなフリをして提案した。  
 かつて、忍が戯れに男装して別人になりすまし、忍のいとこと称して楓を訪ねたことがあった。  
楓はそれが忍の変装だとは全く気づかず、そればかりかポーッとのぼせてしまったのだ。もちろん  
忍はヤキモチを焼いたが、楓は忍の変装だと知ったあとでも、男装した忍という、もうひとつの  
忍の姿をひそかに気に入ったままでいた。  
 
「あの格好ですかぁ……。男の子の姿をしていても、中身は忍なんだって思ってくれるんなら  
いいですよぉ」  
「もっ、もちろんじゃない! も〜う、忍ちゃんったら!」  
「うふふっ、だぁーってぇ……」  
 忍は言葉を途切れさせ、ひざまずいたまま甘えんぼうさんな子ネコのように楓のひざに  
頬ずりをするのだった。  
「……ね……。そんなに難しいの? ……カラダも……アソコだけ男の人になっちゃう術って……」  
 急に声を小さくして楓はぽつりとつぶやいた。  
 天然ボケな忍もさすがに楓の言っていることの意味に気づかないわけがなかった。  
「……ええ。それはさっき言ったとおりですけど……。でも……いつか……その術を会得したいです……。  
楓さんのためだけに……」  
 忍は再び、楓のそばに腰かけて、楓の手に自分の手をそっと重ねた。楓のほっぺが歓喜に  
みるみる紅潮していく。  
「……ありがと、忍ちゃん。その気持ち、うれしい。でも……もし、忍ちゃんがその術を使える  
ようになっても、外で勝手に使っちゃっていいの? それに、忍ちゃんが他のくノ一の子の  
相手をしなくちゃいけないってことにもなるし……」  
「だいじょうぶだいじょうぶ。気にしないで下さい。そんなこと、その時になってから考えたら  
いいんですよっ。それより、ね、楓さん、もう、約束しちゃいましょ」  
「えっ?」  
 楓の目を見つめ、少し間を置いてから忍は一息で言ってのけた。  
「わたしがいつか、その術を使えるようになって、楓さんの女の子をいただくという約束です♥」  
 ……と。  
「うん! 忍ちゃん……。約束する。わたし……待ってるからね」  
「あは……修行、がんばらなくっちゃ、ですね♥」  
 向き合ったふたりはほっぺとほっぺをすり合わせて、約束を交わした。  
 外の激しい雨の音も、茶の間のテレビの音もふたりの耳にはまるで入っていなかった。聞こ  
えるのは互いの声と息づかいだけだった。   
 
                                                   (おわり)  
 
 

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