黄昏時の王都トラス。  
渡り廊下を通ると西日の眩しさに一瞬、目が眩みそうになった。  
おまけに今日はなんだかとても暑い。うっすらと汗ばむが、風通しがよいのが救いで、さほど不快ではなかった。  
…しっかしまぁ、狭くて薄暗い部屋でこもりきりで、報告書を仕上げるのに丸一日使っちまったのか。  
やれやれ、とクロトワは独り言ちる。  
 
あの地獄のような戦役と混乱はひとまず終結したが、その爪痕はあまりにも深く大きい。  
クシャナは少しでもトルメキアを立て直そうと必死に、あの頃とは違う意味で常に戦っている。  
そしてクロトワは軍参謀ではなく補佐官として、あちこちを駆け巡りながら雑務に追われる毎日を送っていた。  
 
「殿下、クロトワです」  
クシャナの執務室をノックするが応答がない。  
「…殿下?」  
ドアに手をかけようとしたその時、  
「クロトワ」  
背後から聞き慣れた声がした。  
「いやあぁ、俺があんまり遅いんで、ご立腹されて出掛けられたのかと思いましたよ」  
「暑かったのでな。少し水浴びをしてきただけだ」  
と、素っ気無く答えるのが、この女(ひと)らしい。  
確かに、よく見れば金色の髪の毛の先に滴がしたたり、首筋に張り付いている。  
あのざっくりと切られた髪形はだいぶ伸びてきたが、まだ編み込むほどの長さには足りない。  
「仕事が一段落済んだところだろうが、少し手伝ってくれぬか?」  
「は、なんなりとお申し付けください」  
 
狭いコルベットの室内で戦略を聞かされていた時、クシャナの顔は実の前にあった。  
澄んでいて、強い眼差し。戦火を潜り抜けてきたとは思えない白く柔らかな肌。  
はっきりとした口調で語る唇に、あと少し、あと少しだけ顔を近づければ触れることができる。  
だがしかし、それは決して許されない行為だ。  
一番近くにいながら、見えない壁がクロトワを阻む。  
 
 
「こんな雑用を押し付けて。すまないな」  
机の上には、書簡に書類に書物が、山のように積み上げられている。  
机の周りには箱、箱、箱。  
「いーえ。これだけの量、貴女の細腕では運び切れますまい」  
「…皮肉か?」  
「そんな、とんでもない」  
実際、クシャナの腕は女そのものだ。これでよくまぁ剣を振り回せたもんだと思う。  
もしこの腕を掴んでみたら、どうなる事だろうか。  
そしてそのまま押し倒して、組み敷いてみたら…  
 
…よくてブタ箱、下手すりゃ処刑かな。あの頃と結局何も変わりゃしない。  
物理的な距離が近かっただけ、コルベットにいた頃のがマシかもしれんが。  
 
 
まだ西の空にはうっすらと明るさが残っているにもかかわらず、クロトワは場末の酒場ですっかり酔っていた。  
 
「お客さん、今日は随分飲みますね。なんかあったんですかい」  
禿頭の店主が親切であり御節介な言葉をかけてくる。  
「嫌なこと、ねぇ…」  
 
もともと手に入るはずもないのに、欲しいと思ってしまった事がそもそも間違いなんだ。  
 
確かに、この腕でクシャナを抱きしめた。(鎧越しだったが)  
狭い船室で二人きり、ふと甘い女の匂いがした。(直後に銃をつきつけられたっけ)  
 
たまたま、自分の目の前にぶらさがっているものだから、手が届くかのような錯覚をしてしまったんだ…。  
そうだ、そうなんだよな・・・。  
「おっさん…最後にもう一杯くれ…」  
「旦那、大丈夫ですかい?」  
「飲んだら帰る…」  
 
騒がしい夜の街をフラフラと歩く。  
ここは飲み屋と娼館が立て続けに在る、トルメキアで唯一の歓楽街である。  
平時の時も、戦争中も、おそらく世界が滅びる最後の日ですら変わらずにありつづけるだろう。  
「こんちくしょー…!」  
独り言というよりもはや叫び声であった。  
「そこのお兄さん!!」  
いかにも、という風貌の客引きがクロトワに声かける。  
「うちで遊んで下さいよ!いいコいるから!絶対満足できますよ!」  
「ああぁん?」  
「いいタイミングで、今日入りたての初な娘がいるんすよ!」  
「はっ。おれぁロリコンじゃねーんだよ。若けりゃいいってもんじゃねえ」  
「それなら、お店に来て好みの女を選んで下さいって!よりどりみどり選び放題よ!」  
「……」  
そういやぁ、このところ忙しくて、女はご無沙汰だったよーな…。  
 
扉の小窓を開けると、数人の娼婦が客の相手を待ち構えているところだった。  
痩せぎすの女、豊満な女、田舎臭さが抜け切らない女、薄暗いのに厚化粧なのが丸わかりな女…。  
「…!?」  
奥の方で俯いて座ってる女に、目が奪われてしまった。  
(似ている…クシャナに似てやがる…)  
「なぁ、あの、奥のほうの、金髪の女居るだろ」  
「え、あれですか」  
店の男が渋い顔をする。  
「なんか訳ありなのかよ」  
「…ツラはあのとおりイイんですがね、なんせ愛想が悪くて…お客さんに終わった後で苦情言われるんですよ」  
「俺は別にかまわんぜ」  
 
狭い部屋の小さくて硬いベッドに腰掛けること数分。ゆっくりと扉が開き、その女が現れた。  
「…………」  
女は黙って扉の前に虚ろな目で突っ立っている。  
「…まぁ、座れよ」  
クロトワがそう言うと、躊躇う事なく隣に腰掛ける。  
(うーん…近くで見ると、あんまし似てねぇかもなぁ…)  
まぁ、いいか。あんなイイ女、そこらに居る訳がねえ。  
女の肩に腕を回して、ひきよせてみたが、特にこれといった反応はない。  
まだ慣れてないのか?それならそれで、ぎこちなく身体を震わせてみたりするのだろうが。  
こういう店に居る女は、親に売り飛ばされたか、身寄りを亡くしたか、なんらかの事情がある者ばかりだ。  
それでも大抵は、割り切って、客に媚びて、生き抜こうとするものだ。  
 
クロトワはそっと女を抱きしめてみる。一見細そう煮見えたが意外と肉付きはよく、柔らかな感触を感じた。  
 
 
数分、だろうか。そのまま動かない男を、女は不思議に思い、碧の瞳でクロトワの顔を覗き込む。  
「やっと、目を合わせてくれたな」  
言いながら女の頬に右手を添え、すべらせるように撫でる。  
「……しないの…?」  
「どうせなら、じっくり愉しみたいんでね」  
頬にあった手を首筋へ、鎖骨へ、乳房へと移す。女の体温が若干上がったようだ。  
 
乳房の上に置かれた手は、掴むというには弱く、触るというには強い加減でゆっくり動かした。  
女の表情はあまり変わらないが、その腕をクロトワの背中へと回した。  
自分を受け入れてくれたのだろうか。  
 
男としての本能、すなわち性欲は抑えがたい衝動的なものだ。攻撃性と結びつけば尚更たちが悪い。  
占領した街で頻繁に発生する陵辱行為を咎めたところで、どうにもならないのが分かりきっているから見ないふりをしていたが、  
どうにも胸くそ悪くなるのを感じていた。とてもじゃないが、そんなことを自ら進んで行う気なぼたんどなれない。  
惚れられて、受け入れられてこその快楽だろう?  
クシャナに手を出せないのは、処刑を恐れてるからじゃない。拒む彼女を無理やり犯すような真似をしたくないからだ。  
 
一度目のキスは唇が触れる程度、二度目に彼女の下唇を軽く咥え、三度目に舌を入れ口内を弄る。  
「ん…んん……」  
激しく舌と舌が絡み合い、女が身を捩じらす。  
 

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