「もう、止めてぇー。」
工房都市、ペジテ。
地下深く掘られた坑道からエンジンや機械の類を掘り出し
それらを僅かに残され伝えられた技術で組み合わせ、修復する事によってこれまでその独立を守ってきた。
武器も発掘されるが、火薬の材料は他国との交易でしか手に入らなかったが
国境は遥かに遠く、盟約によって守られた周辺の辺境諸族、諸国家との関係も友好的で
数年に一度、その産物を狙って散発的に襲撃する賊相手には十分な武器と戦闘員が揃っていた。
だが、それがよく訓練された軍隊ともなれば話は違ってくる。
しかもそれがヴ王の軍隊、それもトルメキア軍の中でも精鋭を持って鳴る第3皇女クシャナ率いる親衛軍ともなるとその懸絶した軍事力の差はペジテ市街に目を覆いたくなるような惨状をもたらしつつあった。
(あくまで抵抗するならばそれで良い、その身をもって我が兵士達を鎮めるがいい。
我が前に立ちはだかろうとする者は全て我が刃に倒されよう。それこそが我が生ける全てだ。
それに・・・もはやそなたらの運命は我が手の届かぬところで決まっているのだ・・・。)
憎悪に燃える目で市街地の狂乱を睨み付けるクシャナの傍らに立つ分厚い装甲服を来た兵士が指指す。
「殿下、あれを。」
遠眼鏡で覗くと半ば崩れた城壁の上に少女が一人、両手を広げて立ち、叫んでいる。
その後ろでは射すくめられたペジテの男共が慌てふためき、自軍の兵士も撃つのを躊躇っている様子であった。
「攻撃を一時中断、言い分を聞こう。あの者を連れて参れ。」
「しかし・・・よろしいので?」
「私の声が聞こえなかった訳ではあるまい。そなたが行かぬなら私が直接行っても良いのだぞ。」
攻撃の際には常にその先頭に立ち、撤退の際には最後尾にあって彼女の兵士達を叱咤するのを常とするクシャナだったが市街戦、特にペジテ市のように入り組み錯綜した地形での戦闘に
指揮官たるクシャナの身の安全を危惧した部下達の必死の嘆願を聞き入れ
やや後方で指揮を執るのに苛立ちを隠せないクシャナは直にも手綱を取ろうとする。
「行くなラステル、罠だ」
「父様、私なら大丈夫です。
それよりもこの隙に皆を連れてブリッグで逃げて下さい。」
「しかしラステル・・・。」
「大丈夫、きっとアスベルお兄様がガンシップで助けに来て下さいます。」
「生きているかも分からんのだぞ?」
「兄さんは・・アスベルお兄様は生きています!!
だからお願い、父様・・・。このままじゃ皆殺されてしまいます。だからお願い!!」
「・・・あの娘・・・」
かつて、戦場で見た男の顔を、瞳の、最後の瞬間を想い出す。
植民都市ノミトス。
かつては陸続きであったものが今ではトルメキア本国とは内海と腐海、
2つの海によって隔てられた土鬼と隣り合わせになっているトルメキア領土。
その国境沿いの町ミトスに程近い地で、目の前で死んでいった、男。
死に際に発せられた言葉。
あの男と、あの言葉と、そしてあの名誉とは無縁の戦いで死んでいった男達が居なければ今の自分は有り得ないだろう・・・。
「なっ!!」
戦場で、いや危機に臨んでの指揮官の無能がどれほどの罪悪あるか、クシャナは痛い程に知った。
そしてそれがどれほどの惨禍をもたらすのか、それはすぐにでも分かるだろう。
彼女の部下の血が流される事によって。
だが、無能を無能とも弁えず、ただ貴族の家柄であるというだけで指揮官の地位にいる男を糾弾している暇はない。
今、クシャナがせねばならぬのは部下を危地から救い出すこと。
ただそれだけだった。
あの無能は一昨日、確かに言った、1個中隊を出動させた、と。
だが国境から遥か後方の町で一番の宿を借りきった豪華な司令部から兵営に戻ると
そこには出撃しているべき部隊が不安顔で屯していた。
そして彼等がそんな顔をしている理由はすぐに分かった。
あの無能は、手近にいた部隊にのみ出動を命じ、支援部隊も後衛もない僅かな騎兵のみを出撃させ
段列も持たない部隊は僅かな携行糧食を持つのみで補給も受けていないのだ。
そして今も絶え間なく戦闘音が轟く国境沿いの集落には
常に戦旗と共にクシャナの側に有り、その偉容を高からしめ、
一命を以って彼女の命を守るべき護衛小隊が血に塗れた戦いを続けているのだ。
”あの男を喪失うわけにはいかない・・・。
あの男を喪失えば、これから一体どうして生きてゆけば良いのだ・・・。
なんとしても救い出さねば。”
「殿下」
町の中心部の広場に出撃準備を整えて整列していた部隊の幾人かがクシャナに駆け寄る。
だが暗い顔をした他の多くの者はそこかしこに小さな集団を作り喋るでもなく、ただ俯いている。
『他部隊の応援を待って出撃する、それまでの増援、救援は一切認めず』
無能なだけでなく愚かな男が下した命令。
(駆け集まった兵も私に忠実な訳ではなく、ただ僅かな命令変更の希望に縋りたいだけなのだ。
この地に駐屯する部隊は全てあの兄共の息の掛かった部隊。
我が命に従い、命を投げ出し戦う者はいまい。
・・・だが、それでも。
私一人ででも、私は、我が忠勇なる部下を死地から救い出さねばならぬ。
あの男を生きて救い出さねばならぬ。)
「殿下!!」
「命令は変わらぬ。各員持ち場に戻れ。」
(優秀なる腰巾着。だがお前はお前の信じるあの薄汚い主に捨てられる時にもその態度を続けられるのか?
私は・・・)
クシャナはゆっくりと愛馬に跨がる。
「出撃する。」
俯き暗い顔をした男共が僅かに顔を動かす。
「殿下、それは命令違反です。軍法会議ものですぞ。」
「敵中に戦友の屍を残し、陵辱されるがままに晒されるのを潔しとせぬなら我に続け。
私は我が部下を恥辱の際から救えるのならば我が身の恥辱をいといはせぬ。
そなたらが来ぬというならそれも良い。
これは我が戦い、我一人で救い出す。」
(生きていてくれ・・・。)
血腥いそこはまさに血の海だった。
呻き声を上げる重傷者と物言わぬ死者の間で幽鬼の様に戦いつづける一握りの男達。
その一画、切り裂け、ボロ布のようになった戦旗と共にかつてのクシャナの忠勇な部下達はいた。
部下の名を叫ぶクシャナの目に男の姿が写る。
「○×、しっかりしろ。いま助けてやる。」
「殿下・・・あなたは・・・ここに来られるべきではなかった・・。」
「何を言う、気を強く持て、すぐに応援が来る。」
「・・・いいえ・・・これは仕組まれていたのです・・・何もかも・・・。
応援は来ないでしょう・・我々は殿下を呼び寄せる罠なのですから・・・。
私も。」
「・・・それはどういう事だ。」
「私は・・・私も・・お仕えした時より・・殿下の動向を見張る役割を・・・仰せつかっていたのです・・・。」
「それでは、お前は・・・お前の言葉は、態度はすべて偽りだったと言うのか!!」
「・・・御信じ下されぬかもしれませんが・・・ですが殿下・・・。」
静まりかえっていた戦場の静寂を破るかのように砲声が響き
それを追うように敵兵が雄叫びと共に接近してくる。
「・・・殿下、私の最期の・・衷心よりの願いを・・お聞き届け下さい。
どうか・・殿下は御早く御退きください・・。」
「何を言う、部下を、そなたを見捨てて退けるものか。」
「殿下・・・私は、あなたを裏切った。もはやあなたの部下では・・・。」
「馬鹿者っ。そなたの、そなたらの屍をむざむざ敵に渡せるものか!!」
僅かに残り、応戦する兵士達の間に重い沈黙の時が流れる。
「殿下、あなたは死んではならない、ここで死ぬべきはありません。
我等のように、暴虐と暴慢によって死ぬ者をこれ以上増やさない為にも。」
「・・・殿下、我等、死して時を稼ぎます。殿下。」
「殿下、我が命、殿下に御預けします。」
「これより生きて脱され、増援軍を率いてこの地に戻り我等が忠誠を御覧ぜられよ。」
傷付き、横たわっていた者も銃を執り立ち上がり、口々に叫ぶ。
「・・・必ず、助けに戻る。それまで死ぬな。」
命令に反し出撃し苦闘を続けていた部隊を掌握したクシャナが前面の敵を横撃、駆逐し、戻った時、
そこに残されていたのは陣地の中央に立てられ、かつての栄光と輝きを失った戦旗と
その周囲に横たわる数多の屍と僅かに息のある重傷者のみだった・・・。
命令無視、軍規違反。
その結果などクシャナにはもはや関心が無かった。
残ったのは忠実な部下を失い、
そして幼い頃から慕い、信じていた男の裏切りと、
その男が死をもって示した忠誠と、愛情。
そして最後の言葉。
(あの娘も自らの生命と引替えにしても守り、救いたいものがあったのだろうか・・・。
・・・だがその願いはもはや叶う事も、知る事すらあるまい。
だが、我があの憎むべき兄共への復讐を知るが良い。
それが命を懸けた者へ、私が出来る唯一つの・・・。)
「引き渡せ、だと?」
「巨神兵と共に本国へ送れとの事です。」
「あの下衆共が!!」
怒りに歪むクシャナに躊躇らいながらもその職務を果たすべく、告げる。
「・・・それで、その、皇子殿下の許より専門の『尋問役』が来られておりまして、身柄を直ぐに引き渡せ、と・・・。」
トルメキア王家の闇に古くから伝わる秘薬によって精神を溶かされ、身動きも取れず、
ただ鼻に通された管によって生命を繋ぎ止められたまま
夢と現の境を曖昧に行き来しつつ、もはや何も考えられない。
陵辱され、声を漏らすまい、何も感じまいとしていた声も、やがて嗚咽が漏れ、
いまやそれが自分の声なのかとはしたなくもすら思わず
快楽に脳を、身体を溶かされ、ただだらしなく、はしたなく、獣のように・・・
全てが苦痛で、全てが嫌で、全てが哀しかった。
ラステルを支えているのは生きているのかも分からない兄、アスベル。
ただそれだけ・・・。
本国差回しの輸送艦に巨神兵の積み込みを始めとする出発準備の作業の間に積み込まれる少女の姿からは
かつてクシャナが見たの凛とした気品と、満腔に満ちた尊厳は消え去っていた。
(・・・どれだけの人間の運命を弄べば気が済むというのだ。
我が母と、その娘の人生だけでは物足らぬというのか。
我が人生の全てを掛けても、あの男の、幾百もの我が兵士の無念を晴し
貴様等に、尊厳とは程遠い死を、報いを与えてやる。)
廊下が騒ぎ、部屋を訪れては去って行った、どこの誰とも知れない、幾つもの足音が慌ただしく駈け行き
漏れ聞こえる蟲の恐怖に怯える声ももはや彼女にとって、関係の無い事柄だった。
ただ暗闇の中に浮かぶ星々を眺める窓を通り過ぎた自分と似た年格好の少女。
そして・・・・・ラステルの最期の願い・・・・。