俺の名前は島山朋《モエ》。女みたいな名前だがれっきとした男だ。
面構えはまあまあの部類かな。
身体が細いせいか弱そうに見えるが、これでも空手三段の実力者だ。
杉山豪一みたいな力だけが取り得の野郎だったら簡単に捻じ伏せてやるぜ。
――自己紹介はこのくらいで止めておこう。本筋ともあまり関係のない話だし。
俺はとあるスキー場から見てさらに山奥、山頂付近の広大な屋敷にいた。
いや――
規模を考えると、屋敷と云うよりは宮殿と云った方が正確だろうか。
敷地には○京マリンくらいのドデカいプールが備えられ、椰子の木が整然と植えられている。
そのど真ん中に立てられたトルコ帝国の宮殿みたいな建物に、俺は滞在していた。
――え、俺が作り話をしてる? 何でだよ。
スキー場が開設できるような雪山の頂上に、椰子の木が生えてる訳ないって?
そう思うのも無理はない。まるでマンガみたいな設定だろうからな。
だけどこの程度の話が信じられないんなら、こっから先の話を聞く必要はない。
俺はもっと信じられないような出来事を語る事になるだろうから。
それはマンガじゃない、現実にあった話なんだ――
カラカラ帝が作ったかと思うほど豪華で広い浴場で俺はシャワーを浴びる。
ライオンの口から湯が出ていて、それが鍾乳洞みたいな段状の湯船に注ぎ込まれている。
どうでもいいが、あれがゲロ吐いてるみたいに見えるのは俺だけか?
リッチな光景を台無しにする下品な事を考えながら、俺は視線を下の方にやる。
空手で鍛えた身体の下に、その塊はあった。
――氷
俺自身はもう見慣れてしまったが、見る者が見ればそれは異様な光景に映ったことだろう。
スキー客だった俺がたまたまこの宮殿に滞在した際、俺のチン――失礼、もといナニは
ここの主こと雪の女王によって氷漬けの呪いを受けてしまった。
しかも萎えた状態でだ。これじゃ彼女も出来やしない。
熱い湯が直接かかっているにも関わらず、この氷は一向に解けなかった。本来驚くべき事ではあるが、
俺は何の感慨もなしにそれを眺めていた。氷を解かそうと、それまでに色々な方法を試して来たのだ。
全部徒労に終わったけどな。
呪いを受けたのは俺だけじゃなかった。
女王様の怒りに触れ、多くの男がチ――またやっちまった失礼、ナニを氷付けにされ、
宮殿の地下にある牢獄へと幽閉されていたのだ。
そこで出会った勇者と一緒に脱走して色々あった訳だが、詳しい話は省略させて貰いたい。
寒い話はもう"こおりごおり"だからな。
結局俺達の努力の甲斐あって女王様は改心し、呪いを受けた連中の呪いは解けた。
あの勇者も、今頃はポニテの彼女とよろしくやってるんだろう。俺好みじゃなかったけど、
中々可愛い娘だったし。あの娘気が強そうだから、勇者の奴は尻に敷かれてるかもな。
俺はふと氷付けにされていた彼のナニを思い出して、彼の通り名を考える。
――勇者タートル
俺は自分の寒い思い付きに吹き出し、すぐに愕然となった。
これでは杉山の奴を馬鹿に出来ないじゃねえか。
あの野郎でかい図体してながら、ギャグのセンスはひ弱なネクラ四天王と同じだったっけ。
今の俺はそのレベルまでズレてるって訳か。
シャワーの栓を捻って湯を止める。
大理石の床を通って脱衣所に向かい、バスタオルを頭から被る。
髪をに続いて全身の水気を拭き取るとドライヤーを手にする。髪はパンクスの命だ。
髪の乾燥は自然まかせだなんて、髪が痛む上にハゲの遠因となるので絶対出来ない。
入念に髪を乾かすと、準備そろそろOK。バスローブを羽織って、景観の良い中庭を横目に
長い回廊を歩く。
目指すは、女王の待つ玉座の間――
今から俺は彼女の手で、氷漬けにされたナニの呪いを解いてもらうのだ。
階段を上って天守閣の真下に位置するその部屋の前に俺が辿り着くと、
上半分がアーチ状となった城門のような重い扉が勝手に開いた。
俺は部屋へ一歩踏み込み、その異様な光景に目を見張る。
豪華な調度品の数々が目に入る。ソファより座り心地の悪そうな玉座、天井付きの
キングサイズベッド、これらは以前と変わらない。だが部屋の壁を見渡すと一面に
――ミドリガメ
――象
大小あわせて数百枚もの写真やらポスターやらが貼り付けられていた。写真の中の
亀や象が俺を凝視してるみたいで、正直気持ち悪い。
「天井にもかよ」
上を仰ぎながら呟いていると、低く掠れた女の声がベッドから聞こえた。
「いらっしゃい」
俺は視線を豪華なベッドに戻す。下着も付けずにシースルーのガウンを羽織った髪の長い女が一人。
目鼻立ちの整った南方系の顔に、全身ムラなく日に焼けたコパトーンの肌。
シーツの上で横たわり、肘枕をしながら部屋の入り口に恥ずかしそうな視線を送っている。
この女が雪の女王様だ。
名前を解凍雪と云う。
思いっきりトロピカルな印象を受けるが、俺たちが云う処の雪女って奴だ。
「何でこんなに一杯写真貼ってるんだよ?」
相手は女王様にも関わらず、俺はタメ口で彼女に問いかけた。
女王様は俺の言葉遣いを一向に気にしない。以前だったら「無礼者」とか云われてナニどころか
全身氷漬けにされてた所だが、大分心を許してくれているみたいだ。女王様は少女のように
はにかみながら、俺の質問に答えた。
「ラッキーとタートルに見守ってもらうのよ、私が男嫌いを治す所を」
――えーと。
電波な台詞が出て来たので少し補足しよう。雪の女王様は男嫌いだった。
その理由は男を見ると、幼い頃飼っていたペットとの悲しい別離を思い出すからだそうだ。
ラッキーとタートルって云うのは、ペットだった象とミドリガメの名前である。
何で男を見ると象とミドリガメを思い出すのかって? そりゃ自分で考えろよ。
とにかく。
女王様は男と付き合う事を決意した。男嫌いを治すついでに、子孫を残す上で必要な
お婿さんをゲットしてしまおうと云う魂胆らしい。
その相手として俺が指名された。俺の呪いだけが解けなかったのは、女王様が指名した
お婿さん候補だったからかも知れないと後に本人から訊いた。
それから始まった二人の関係は、それはもう高校生か中学生くらいにプラトニックなモンだった。
別に俺が奥手だった訳ではなく、ナニがナニだけに肉体関係の持ちようがなかったのだ。
さっき云った事と内容が重なるが、女王様は俺の呪いだけは解かなかった。男嫌いを治す為に
付き合うといっても、いきなり身体の関係を迫られたら怖いのだと彼女は云った。
それだけではなく、俺が呪いだけ解いて貰って逃げ出しても困る、というのが彼女の言い分らしい。
確かに呪いさえ解ければ、俺はこの宮殿に用はなかった。キレイなねーちゃんとお付き合いが
出来るのは嬉しいが、だからと云ってこんな山奥で仙人みたいな暮らしを送るのは御免蒙りたい。
俺はパンクスに生きるのだ。そして女の子にもモテたいのだ。ナニが氷漬けのままだと、
そんなささやかな俺の願いも叶わない。
かくして俺は三ヶ月もこの宮殿に滞在して、交換日記やらデートやら矢鱈甘酸っぱい事を
やっていた。女王様はその度に、子供に戻ったように喜んで見せた。
だがそれも今日で終わる。ナニの呪いを解いて貰って。
「ちょっと、何あさっての方を見てぼーっとしてるのよ?」
雪女王様の不機嫌な声で、俺は我を取り戻した。女王様はシーツの上で横座りしながら
俺を睨んでいる。
「もう、女が呼んでるのに来ないなんて」
「ああそうだった。女王様――」
呼び掛けて、俺はすぐにしまったと内心舌打ちした。俺達は一応恋人という事になっている。
それが「女王様」なんてよそよそしく呼んでしまったら、せっかく三ヶ月も掛けて築いた
関係が台無しになってしまう。
ヤバい、釣り上がった女王様の目に涙が溜まっている。彼女の怒りを買えば、ナニどころか
全身氷漬けにされちまう――
「――雪」
女王様はほんの少し、気分を召されたらしい。氷漬けは寸での処で免れたようだ。
俺は彼女の機嫌が損なわれなかった事に胸を撫で下ろしてベッドに歩み寄る。
端に腰掛けたが、ベッドのスプリングが押し返して来て座り心地としてはあまり宜しくない。
女王様――雪が俺の後ろから、腕を俺の胸元に回して抱き付いて来た。
薄手のガウン越しに、俺の背中へと豊かな胸が押し当てられる。
「ってか大丈夫なのか? 男嫌いだって云ってたじゃないか」
「それだってもう三ヶ月も前の話よ」
女王様は俺の耳元へと息を吹きかけるようにそう云った。
「男の人と付き合うって決めたんだもの。それにこんなスキンシップ自体は初めてじゃないし」
「女の子とかい?」
少し身震いをしながら俺は返した。
以前の女王様は男嫌いだったので、女の子とべったりしていたのだった。ポニテの娘は
イヤがっていたし、魔物使いの堀井優子に至っては、愛(レズ)を受け入れなかったばっけりに
男だらけの地下牢――といっても貞操は保障されていた――に放り込まれる始末だった。
全くもって迷惑な話だ。ただし。
これから始まる夜を過ごそうと、雪女王様は俺に頬擦りしている。彼女は男そのものが
生理的に嫌だという訳ではなさそうだ。その点は救いとなりそうだが。
「ええ。それにしてもこうやってると、つくづく男の人って女の子と違うな、って実感できるし」
どう違うんだと俺は訊ねる。彼女は掌を俺の胸板に滑らせながら答える。
「やっぱり女の子と違ってなんか全体的にがっしりしてる。それにこうしてるだけで何か幸せ」
俺はちっとも幸せじゃない、そう叫びたくなる気持ちをじっと堪える。
キレイなねーちゃんと個人的なスキンシップが出来るのは、ある意味願ったり叶ったりだ。
けど俺の股間はカチンコチンの氷漬けにされている。固い氷の下のナニは、どれだけ俺が
興奮しようとぴくりとも反応しない。美味しい場面に遭遇しながら、肝心のモノが使えない
状況というのは男として結構寒いものだと俺は思う。
性欲がない訳じゃない。けどムラムラ来てもナニが固くならない以上、自分で処理する事も
スノーマペット南国2号のお世話になる事も出来ねえ。
気が付くと、雪女王様の顔が俺に迫っていた。彼女は後ろから俺を愛撫するのを止めて、
俺の正面に座り直していた。
ガウンの胸元がはだけ、柔らかそうな小麦色の乳房が露になっている。ガウン越しに
つんと勃った乳首や下腹部の茂みまで見える。それでも氷漬けにされた俺のナニは
ぴくりとも反応しない。
雪の女王様は真っ直ぐに、俺を見ている。心配そうな目をしながら彼女はは云った。
「どうしたの朋?何だか怖い顔してるわよ」
「いや、その――」
云って俺は視線を自分の股間に移す。短いガウンの裾から姿を覗かせている、
氷漬けのソレが目に入った。
「ああ、あなたのラッキー君ね。もう呪いが解けてもおかしくないと思うんだけど」
女王様はそう云うと、困惑の溜息を吐いた。結構艶かしい表情だ。
人のナニを象に喩えるのは止めて欲しいんだが、この際呼び方はどうでも良い。
それよりも俺は、彼女が云った『解けてもおかしくない』という部分に引っ掛かりを覚えた。
「もしかして自然に解ける物なのかコレ?」
「そう。あなたが私の事を女として見てくれたら、その――中から――」
「早い話が、勃ったらOKって事なんだな?」
女王様の顔が真っ赤に染まった。俺から視線を逸らし、シーツの上を見ながら彼女は云う。
「もう!平気な顔して恥ずかしい事云わないでよ!」
人のナニを『ラッキー君』呼ばわりする事は恥ずかしくないのかよ、などとは突っ込まない。
雰囲気が壊れるからだ。
それよりも俺には、彼女の妖艶な容姿と初々しい反応のギャップが面白かった。
シーツの上に指を這わせたり、顔を覆ったりして一通り恥ずかしがった後、雪女王様は
ぽつりと云った。なんだか沈んだ声だ。
「つまり氷が割れないって事は――」
彼女は一瞬言葉に詰まる。頭を垂れ、震えるような声で女王様は云った。
「私は、女として魅力がないって事なのね」
声だけではなく、肩まで震わせている。
「ごめんねラッキー、――ごめんねタートル。私の男嫌い、やっぱり治らないのかな」
そんな事ある訳ねーだろ、と俺は素早く返した。
俺は雪女王様の肩を抱き寄せた。彼女に口付けて離れると、これ以上ないって位に真剣に云う。
「勃たないのは君のせいじゃない!君はものすごく可愛いし色っぽい!」
「うそ!」
「嘘なもんか! あそこにいるラッキー君とタートル君に懸けて誓う――」
俺は壁一面に貼られた写真やポスターの群れを指差した。そして
「アウッ!!」
すぐに目を瞑って顔を手で覆い、壁から首を逸らす。
何百もの視線が気持ち悪くて、写真を正視できなかった。
咄嗟に目に付いた物に懸けて誓いを立てるのは今度から止した方がいい。
だが女王様は、俺の態度を嘘つきのそれだと解釈したらしい。目に涙を溜め、怒りと
云うよりはヒステリックな口調で喚く。
「やっぱり嘘なんだ!私なんかその辺に立っているお地蔵さんとおんなじなんだ!」
「だから違うって云ってるだろ! いつもならとっくに勃ってるんだよ!」
「じゃあどうしてよ!」
「俺は勃ちにくいんだ!」
彼女が女としての自信を失くしかけていたからって、思わず恥ずかしい事を口走ってしまった。
途端に女王様は怒気を失い、目を丸くしてきょとんと俺を見て云う。
「勃ちにくいって――本当?」
「ああ――」
女王様から目を逸らして壁をいるのは、嘘をついているからじゃなくて単純に恥ずかしいだけだ。
だからっていつまでも写真の亀や象と睨めっこをするのも気分が悪い。
「だからもっと直に強い刺激が加わればいいんだが」
強い刺激、と俺の言葉を反芻して、女王様はふーむと唸った。彼女の様子を見守っていると、
すぐに何かを思い付いたらしく彼女は晴れやかな笑顔で俺に云う。
「私に任せて」
多分今度は俺の方がきょとんとした顔をしていたろう。彼女は俺から身を離し、
俺の股間をしげしげと眺めながら云った。
「待っててね、ラッキー君。今氷から解放してあげるから」
「ちょっと何をする気なんだ雪?」
彼女は俺の顔を見上げて、自分に任せろといった笑顔を俺に向けた。
「私に任せてって云ったでしょ。絶対大丈夫だから」
雪女王様の言葉と共に、細い指がすぅと氷に向かって伸びた。
俺は女が正常位でされるように、仰向けに寝て足を開き、膝を立てていた。自分じゃ
間抜けな格好だとは思うが仕方ない。天井にも貼られた無数の写真を見たくなかったので、
俺は首を曲げ、自分の股間の方向に目をやった。
女王様の細い指が、氷塊の表面をなぞっている。
人差し指が、中指が薬指が表を。
親指がその裏を。
ソルトレークのフィギュアスケート優勝者みたいに、華麗に滑り。
離れて、優しく着地する。
こうやって表現すると結構詩的だが、しかし氷の下には――俺の萎えたナニが眠っている。
馬鹿馬鹿しい事この上ない光景だ。それでも笑うわけには行かない。
女王様の眼差しはこの上なく真剣だった。彼女は彼女なりに一生懸命なのだ。
時に優しく、時に激しく。
指の腹で、指先で。だが――
分厚い氷越しでは、女王様が与えようとしている刺激がナニまで伝わらない。
欲情していない訳ではない。キレイなお姉さんが一生懸命になっている姿には
確かにそそる物はある。あるのだが、直接的な刺激が伝わらない以上
残念ながら俺のナニは反応しない。
「おっかしいわね。こうすれば男の人は反応すると思ったんだけど」
女王様はそう云って、俺の氷を両掌で包むように挟んだ。おいおい何をする気だよ。
「えい――えいえいえい」
女王様は俺のナニを、原始人が火起こしをするような要領で捻った。
「いででででで!何するんだよオイ!」
ナニの根元に千切れるかと思うような激痛が走り、俺は腰の力で飛び上がった。
「え、気持ちよくなかったのコレ?」
女王様は手を止めて無邪気な顔で俺に聞いた。罪がない分始末が悪い。
「いい訳ないだろうが。あのな雪、確かに強い刺激って俺は云ったよ。
けど今のは強すぎた。痛いだけで全然気持ちよくならないよ」
俺は呆れ気味に云った。
「そうなの?男のラッキー君って扱いが難しいのね」
「そうだよ」
俺が云うと雪女王様は、納得の行かぬ表情を浮かべて自分の顎を指で触った。
「ならもう一つの方法があったはず。今からそれを試してみから、もう少し足開いてくれる?」
彼女に云われるままに、俺はオムツを換えられる介護老人みたいに足を開く。
畜生、これじゃケツの穴まで丸見えじゃねぇか。間抜けを通り越して腹立たしささえ
覚えた。雪女王様の顔が嬉しそうなのが、余計に腹立たしい。
彼女は氷塊に口を近付けて云う。
「あなた初めてするネコみたいな顔してるわよ」
「うるせー、猫に知り合いはいないぞ」
「じゃなくて、女同士で楽しむ時には受け役をネコってゆーの。知らないの?」
知らねーよ、と俺がぶっきらぼうに答えた時には、彼女はもう氷の塊に口付けていた。
ちゅぱ、ちゅぷと淫猥な音を立てて、雪女王様が氷を舐る。
氷の表面に舌を這わせ、吸い付いた唇が撫でる。
幼子が飴を舐るように。
彼女の顔にはえらく妖艶な赤みが差し、口は蠢き続ける。
こう表すと蠱惑的だが、しかし彼女が舐めている氷の下には――
やはり俺の萎えたナニ。
奇妙極まりない光景だった。女王様は氷塊を舐りながら云う。
「ほーりほあひはふふ」
「スマン舐めるか喋るかどっちかにしてくれ」
ちゅぽんと音を立て、女王様の唇は惜しそうに氷塊から離れた。
「氷の味がする、って云ったのよ」
そりゃそうだろう、氷なんだから。
塩だったら塩の味がするし、小麦粉だったら小麦粉の味って云ってた所だろう。
雪女王様は猫のチャ○ランみたいな目で、仰向けになった俺を見下ろした。
「ヘンな味がするかと思って、覚悟を決めてたんだけど」
「ところでさ雪」
何、と首を傾げた雪女王様に俺は云う。
「アンタ男と付き合った事はないって云ってたよな。なのに何でソレの舐め方とか
ナニがヘンな味だって知ってるんだよ」
「幾ら何でもこの年齢でしょ、それに雑誌。週刊誌とかによく特集が載ってたりするわ」
「へー、あれってTONY・TAWARA特集しかやらないと思ってたよ」
そうは云っても彼女の話は納得の行くものだった。
確かに少し前の少女マンガでは乳首を描いたら売れたそうだから、読者の年齢層が
それよりも高い女性週刊誌の中身なら推して知るべしという訳か。
雪女王様は必要な知識をそこから得たと云った。なるほど彼女は耳年増って奴なのだな。
彼女の歳を考えると『耳年増』という云い方にも違和感を覚えるが。
否もうそんな女性週刊誌だの耳年増だのと云った類の物事などどうでも良い。
肝心なのは俺のナニを封印する氷が一向に解ける気配を見せない事だった。
熱湯を掛けても焼き鏝を当ててもダメ、況や手コキフェラも効果がない。
どれ一つ俺の凍て付いた心(そしてナニ)を解かしてはくれなかった。
それもこれも全て――
「お前の所為だろうが!!」
俺は自棄になってつい怒鳴ってしまった。
一度怒鳴ってしまえば、堰を切ったように雪女王様に対する昂ぶった感情が溢れて来る。
感情にそのまま流されて、俺は怒鳴り続ける。
「お前のせいで俺は一生不能だ!俺はもうぶっこくのも南国二号のお世話になるのも、
ましてや女とまともに付き合う事ももう無いんだ!」
吐き出してしまってから、俺は猛烈な後悔に襲われた。
俺を見上げる雪女王様の目に涙が溜まっているのを見てしまったのだ。
「そう――よね」
泣き笑いのような表情で雪は呟いた。
「私があなたのラッキー君を凍らせたのよね」
少し上ずった声でそう云い、雪は目線をシーツの上に落とす。長い髪に隠れて
顔は見えなかったが、雪の肩は小刻みに震えていた。
胸に小さな痛みを覚える。
何で俺が泣きそうにならなきゃいけないんだろう。そもそも彼女は俺のナニを
氷漬けにした張本人じゃないか。どれ程頑張っている姿を見せた所で、
俺が苦悶の日々を送った数ヶ月間の時間は戻らない。
その間にあんな子供みたいなデートなんかで喜んでくれた位で、好きだと云って
くれた位で、少し氷の呪いを解こうと俺のナニを触ったり舐めたりした位で――
雪女王様に対するそんな反発心を覚えながら、しかしなぜか年甲斐もなくはにかんだ
彼女の笑顔ばかり思い出してしまう。
気付いた時には俺は、彼女の肩を自分へと強く引き寄せてあやすように撫でていた。
「ごめんな――」
雪女王様の身体の震えが止まった頃、俺の口を自然と突いて出た言葉がそれだった。
不思議な物でその時の俺には、決して自分に顔を見せようとしない彼女の姿が、
ナニを氷漬けにされた事よりも重大な出来事のように思われたのだ。
やはり俺は甘ちゃんなのだろうか。
「酷い事云ってしまってごめんな」
「いいの」
顔を上げずに雪は答える。彼女と向き合ってしゃがみ込み、彼女の肩に手を置く。
「あれだけ色々試したのに――」
そこまで云って雪の様子が一変した。俺の目と鼻の先でいきなり顔を上げたので、
俺はビックリして少し身を後ろに引く。彼女はその分俺の方に踏み込み、俺の肩を
両腕で掴み返して真剣な眼差しを見せた。
「お願い、もう一回試させてくれない?」
少し目を腫らしてはいたものの、彼女はもう泣き止んでいた。
「いいんだよ、俺もう――ダメだ」
「そんな瀕死のエックスみたいな事云って諦めないで。まだよ――まだ行ける」
エックスとゼロを知らないとかなり寒いやり取りを交わし、女王様は扉を向いてパチンと指を鳴らす。
部屋の扉が重い軋みを立ててゆっくりと開く。
扉の向こう側から、女王様と同じような露出の多い格好をした女が両手に銀の盆を抱えて現れた。
銀の盆をベッドの枕元に置くと、女はそそくさと部屋を出て行ってしまった。
同時に部屋の重い扉も、開いた時と同じ軋み音を立てて閉じる。
まるで舞台装置のようだ。一体どういう仕掛けになっているのか、と雪女王様に聞こうと
思ったが、それは止める事にした。
当たり前の出来事を当たり前に受け止めている、泰然とした表情を浮かべていたのだ。
雪女王様は枕元までシーツの上を膝立ちで歩く。銀の盆に載せられた物を手に取ると、
俺の前にそれらを突き出した。
「さ、飲んでみて」
彼女の右手には水の入ったグラス、そして――
「これが最後の手段なのか?」
思わず訊いた俺の声は、自分の耳にも素っ頓狂な調子に聞こえた。
彼女の左手には薬方シートに包まれた青と白の錠剤があった。商品名を挙げると
地雷になりかねないので避けた方が良かろう。
ええそうよ――雪女王様は俺の問いにそう答えると、小首を傾げてにっこり微笑む。
「これで駄目なら私も諦めが付くわ。でも試さずに諦めるのはもっと良くないから」
俺は少し悩んだ。どちらかと云えば俺のナニは柔らかい部類に入るが、それでもコレの
お世話になった事は一度もない。
そもそも呪いだろこの氷って。大体コレを飲んだ所で本当に氷は解けるのか?
ず、と雪女王様が膝立ちで身を乗り出した。さらにグラスと薬方シートを
俺の目と鼻の先に突き出す。魚眼レンズかドアの防犯窓越しの風景を見ている
みたいだった。
にこやかな表情ながらも、彼女はどこか迫力ある雰囲気を醸し出していた。
「元は私の所為でそうなったのは解ってるし、悪い事をしたとも思ってるわ。
けど今は私もあなたの氷を解かしたいの。あなたはどうなの?」
俺は――俺の目の前には。
今二つの道が示されている。一つは薬を飲まない道。もう一つは薬を口にする道。
薬を飲んでも氷は解けないかも知れない。しかし飲まねば――
俺のナニは確実に一生氷付けだ。
身を乗り出し息を呑んだ所に、雪女王様のぽってりした唇が止めを刺すかのように動いた。
――なぜベストを尽くさないの?
俺は彼女の手から、錠剤の入った薬方シートを素早く引っ手繰った。
雪女王様は俺の勢いに跳ね飛ばされ、少し離れて横座りに俺の様子を見ている。
そんな彼女の様子をどこか遠い風景のように感じながら、俺は薬方から錠剤を取り出した。
普通は二錠で足りるけど、状態が状態なだけにもっと必要だろう。
俺の掌の上を、青と白の錠剤が四つ転がる。
「水」
呆気に取られて俺を見る雪女王様にそう云うと、彼女は焦ったようにグラスを俺に差し出した。
取り出した錠剤を口の中へと放り込む。水で一気に喉の奥へと流し込む。
冷たい塊が胃の腑に落ちると、何かが自分の中で音を立てて壊れたように感じた。
どくん――
地響きにも似た大きな心音が、俺の肉体の中で反響した。
どくん――
忘れていた力が俺の股間に蘇る感覚を、俺ははっきりと感じ取っていた。
地響きのような脈動が走り、部屋そのものを揺らしているような気分にさえする。
否――揺れているのは俺の身体の方か。
あまりの力に、俺とその部分との主客が転倒したかのようだ。
高々数ヶ月経験していなかっただけで、その力は時分を呑み込んでしまう程の物にも思われる。
どくん、どくん――
氷の表面に細かな亀裂が走る。亀裂は小さな氷の破片を零し、その長さも幅も広がって行く。
その度に新たな亀裂が次々に走る。それがまた広がり――数も大きさも爆発的に増す。
どくんどくんどくんどくんどくん――
「うおおぉぉぉおお……!!」
俺の雄叫びなのだが、それすら自分が発した物だとは俄かに信じられなかった。
まるで声の質が違うのだ。今まで自分がこんな声を出すという事さえ俺は知らなかった。
意識と無意識との端境で俺の喉笛から熱い物が込み上げる。
構わずにそれを叫び声へと変える。
「らいとにんぐ・ぶれいかあぁあ―――!!」
雪女王様はきゃっと短く叫んで目を瞑り、弾け飛んだ微細破片が彼女の姿を晦ませる。
写真の亀や象から降り注ぐ幾千もの視線が微細破片に反射させられて、
女王の間のあちこちにキラキラ散乱した。
強烈な衝撃が俺の腹筋に叩き付けられた。
俺の視界に雪女王様の姿が戻って来る。歳の割に弾力のある肌がの表面に、
霧に晒されたような細かい水滴が汗のように浮いていた。
雪女王様は口元を両手で押さえ、信じられないような物を見るような目つきで、
俺の下半身を見つめていた。
彼女の手から上ずった声が漏れる。
「ら――ラッキー君、じゃない?!」
ラッキー君が象だったと俺が思い出すより早く、彼女は次の言葉を告げた。
「――タートル君が巨大化した!?」
「え?」
俺は彼女の見つめる部分へと視線を落とす。
チン――もといナニが腹筋に張り付かんばかりの勢いで天を仰いでいる。
俺はその光景を一瞬現実の物だと捉える事が出来なかった。
「――お」
何ヶ月も俺を封印して来た氷が、あの薬を飲んだだけで内側から解けたのだ。
漫画のような出来事だったが、しかしその光景は漫画でもなければ物語の中での物でもない。
これは現実の光景なのだ。そう気付いた時の俺の感動と云ったら。
あまり明るくないオフコースの小田のように、嬉しくて嬉しくて言葉に出来ない位だった。
「――おぉ、――おおぉ」
俺の頭の中を、四天王のジジイ(享年七十六歳)が残した言葉が反響する。
――チンコは男のパワーの源なのじゃ!!
今ならジジイの気分がよく解る。
しかも俺はまだ若い。だからジジイのようにエロ本一冊で心臓発作を起こすなどという
間抜けな事態を気にせずに、復活したナニの真価を存分に発揮する事が出来る。
いや、それ以上だ。普段を凌駕する固さに加え、スタミナも半端じゃなく高まっている。
六〇年とは云わないまでも、通常ではあり得ない長い禁欲を強いられて来たのだから。
俺は視線をゆっくりと雪女王様に戻す。彼女の身体が一瞬びくっと震える。
彼女はまるで危険な物を見るような目で俺を見ていた。
「ちょっと朋、あなた目が血走ってるわよ?」
云いながら彼女は、三角座りの状態でゆっくりとシーツの上を後ずさる。
俺が一歩大きく踏み出す。
雪が後ずさる。
「ねえどうしちゃったの朋。朋?島山朋さーん?」
もしもーし、と俺を呼ぶ彼女の瞳が大きく開かれて――
彼女の黒い瞳に、荒々しい一角獣のような自分の姿が映っていたような気がした。
「雪――――!!」
俺はシーツぎりぎりの低空を飛び、雪女王様を組み敷いた。
彼女は一瞬何が起こったのか判らない様子だったが、ガウンの胸元に手を掛けた
俺の姿を見て悲鳴を上げた。
「キャァア――――ッ!!」
俺の胸板をぼかぼかと叩き、顔を引っ掻いて反撃する。
俺が脱がせるまでもなく、薄地のガウンの襟元がはだけて彼女の豊かな胸が零れる。
仰向けになっても尚ボリュームのあるその先端にむしゃぶり付くと、雪が小さく鳴いた。
「ちょっと――こんな乱暴なの――イヤ」
脚をばたばたとシーツの上で掻き、俺の顔を手で押し退けてようとするが。
「あうっ!!」
吸い付かれた乳首にさらなる刺激が加わり、雪女王様は仰け反った。男を知らない割に
えらく反応がいいのは、俺と付き合う前から女と乳繰り合っていたお蔭だろうか。
ともかく彼女の抵抗が止んでいる内に、俺はガウンを肌から剥ぎ取る。剥ぎ取って
覆い被さり、彼女が再び抵抗できないよう二の腕もろとも抱き込んだ。
胸同士がさらに密着して乳首同士が擦れる。肘から先でシーツをばたばた叩きながら
女王様は懇願した。
「こんなのヤだ!!もっと優しくしてぇ!!」
女の柔肌。久し振りに肌と肌とが触れ合うのは中々気持ちの良いものだ。
俺は硬くなったナニを雪女王様の太腿に押し付けた。
俺は馬乗りになった姿勢から雪を見下ろす。目を瞑り嫌々と首を振る彼女の表情は、
貫禄のある女王様と云うより女の子の顔に見えた。
「せめてキスくらいして!!お願いだから!!」
気持ちは分からないでもないが、しかし俺を突き動かしているのはこの猛り切った
ナニから溢れるパワーなのだ。
今の俺はナニをぴつたりと納める匣に過ぎない。匣は中身の為にあるものだ。
ナニと云う中身を抑える為の我慢は、匣にとってもう無理な相談だった。
――もう無理よ《もうりょう》の匣
どこか遠くで、心の四天王が寒いダジャレを吐いていた。
女王様は俺から抜け出そうとして身体をくねらせた。その様子は頬を赤らめた恥らいの
表情と相まってものすごく色っぽく見える。
ヤバい、彼女が抵抗する時のじたばたした動きだけでイッてしまいそうな位だ。
もう我慢の限界だ。
俺の意識はナニに突き動かされるまま、声を大にして正直な欲望を叫ぶ。
「責任取ってくれえ!!」
一旦彼女から離れる。雪女王様は薄目を開けて俺を見上げ、ほっと身体の力を緩めた。
その隙を狙い、俺は彼女の膝を掴んで脚を大きく開く。
手入れのされた陰毛の下から、少し褐色の肉が姿を現した。
「やーっ!!やっ、や――――っ!!」
当然の事ながら雪は脚を閉じようとするが、そうは問屋が卸すものか。
俺は自分のナニの腹を雪の秘裂に押し当てて数度往復させた。こうすれば――
「――あうっ――ねぇっ」
硬い突起が起き上がって俺のナニに反撃を加え始めた。同時に膝の抵抗が若干緩む。
これ幸いにと俺は、ナニを押し当てる圧力に強弱を付け始めた。
女王様の息が荒ぐ。裂け目の奥から蜜も漏れ出して俺のナニを濡らす。
例の薬で猛り切ったナニの先端で入り口を探る。それはすぐに見つかった。
「ちょっと朋、私まだ心の準備が――え?!」
女王様の秘裂は俺の先端を半分ほどを飲み込むと、中に小さな抵抗を覚える。
俺はそれを突破すべく、薬で硬くなったナニを強引に捻じ込む。
処女だからと予想していた以上に、呆気なく雪女王様の中に突入する――
雪女王様は俺の侵入と共に短い呻き声を上げた。
長い禁欲生活の後で、しかも生。俺はあっと云う間にぬめっと暖かく柔らかい彼女の中で果てる。
「え、何?何なのコレ?」
どくどくと打ち込まれる感覚に、雪は戸惑った様子で俺を不安そうに見上げた。
全然快感には繋がっていないようだ。
薬の所為か一向に硬さは解けず、俺は彼女と繋がったまま云った。
「これからスゴい物見せてやるからな、雪」
「え?」
俺自身溜まっていたお蔭で、一度くらいの射精では到底満足の行く物ではなかった。
彼女の中に入ったまま、俺は彼女を突き上げる。
彼女の胸が上下して、しゃっくりのような彼女の声が上がった。
「ふぁっ?!」
自分の声に戸惑いを見せる彼女をもう一度突く。もう一度その声が聞こえる。
一度動きを止める。彼女はシーツの上から、鳴き声の合間を縫って俺に訊ねた。
「あんっ……?!朋……朋ってば……んっ……?!」
「何だよ」
「何なのよ……っ、この感じ……?」
「気持ちいいのか?」
わかんないわよそんなの、と彼女は途切れ途切れ俺に返した。
全身を快感に支配されるようになるのはもう少し先の話か。
だが中の動きを確実に感じている分素質は十分ある。その時が楽しみだ。
雪の呼吸に合わせ、中が規則的に締め付けて来る。俺と彼女との分泌液で、
結合部が粘っこい水音を立てる。
俺は彼女の手を取って上半身を起こし、彼女は俺に凭れ掛かるように抱き付いた。
雪自身の体重で俺のナニがより深く沈む。奥に当たった時、彼女はまた短く叫んだ。
ベッドのスプリングを生かして、何度も奥を叩く。
その度に女王様は可愛い喘ぎ声を立てる。
限界はあっと云う間に近づいた。
再び彼女をシーツの上へと仰向けに寝かせ、俺は最後のスパートをかける。
腰を突かれる動きに合わせ、雪は腹の中を圧されたような声で喘ぎ、
「あ、あ、あ、あ――」
俺は薬で固くなったナニを、彼女の中で螺子締めのドライバーのようにぐいぐいと捻った。
これぞ正しく文字通りの――
「バイ○グラ・ドライバぁ――――――――っ!!」
ヤバいので一部伏せ字にして絶叫しながら、俺は二度目の絶頂を迎えた。
結局俺は氷の呪いが解けた後も雪の宮殿に居座った。
何となく居心地が良いのは確かだが、俺の中で決断が下せないのが最大の理由だった。
二人の関係はその一件以来、世間一般でのお付き合いと云った按配である。
身体の関係を結んだ以上、雪としては結婚を真剣に考えているようだが、
俺の方は彼女と比べて今一つだ。
パンクス演って女にモテたいのだが、こんな田舎ではライブハウスや女の子は勿論
バンドを組む仲間だって集まりはしない。どうしても演りたきゃ山を降りるのが上策だ。
さりとて彼女と別れたら、今後彼女ほど美人でスタイルも良く金持ちの女とは
現実的に考えて一生ご縁が無い、と云うのも自覚している。
雪はライブハウスで見たどの女の子よりも綺麗でいい女だし。
俺と彼女とで時々ケンカになるのも、元を正せば俺の優柔不断が原因だろう。
俺が思うに、例の商品名を伏せて然るべき薬をどこか他の場所で使ったのなら、
何も彼女を抱く必要はなかったのではないか。
そうすれば呪いが解けた後まで、雪の宮殿に引き止められて長々と居座る事も
なかっただろう。街に降りてロック三昧という選択肢をすんなり選べたはずだ。
ただ雪の宮殿に残る事が即ち間違っている、とも一概に言い切れない。
明るく積極的な素の彼女を見ていると、いつも幸せな気分になるのは確かだ。
もしヤリ逃げしたら彼女の笑顔ごと幸福感を捨て去る事になる。それに最近の雪は、
自分からも俺の事を積極的に求めて来るようになった。今離れるのは勿体無い。
俺は自由になりたい心と、彼女と一緒に居たい心の狭間で揺れていた。
雪を初めて抱いた時から数ヶ月経ったそんなある日の事――
ご飯作るねという雪の一言で、その日の晩飯は珍しく彼女のお手製と決まった。
使用人も数多くいて、普段雪は家事らしい事はあまりやらない。
庭のプールサイドでビーチパラソルなんか広げ、ドリンク片手にトロピカル三昧の
日々を味わっている。それでたまに隣接するスキー場や、所有する国内外の
リゾート施設と関係のありそうな決済書類に目を通している。
傍目には実にヒマそうに見える光景だが、正直な感想を雪に云ったら怒られた。
彼女の説明によれば、何でもなごり雪グループやらハイジコンツェルンやら
新規参入組の攻勢が激しく、目下それらと凌ぎを削っている状態なのだそうだ。
何もスキー天国サーフ天国と避暑地軽井沢とがケンカする必要はないと思うのだが――
閑話休題。
少し不規則なリズムで動く包丁の音に、雪の鼻歌が混じって聞こえる。
刻みたてのネギが放つ青臭い匂いが、暖まった味噌汁のそれに混じると
どうしてそんなに美味そうな物に変わるんだろうか。
さらにグリルから少し脂っぽい匂いが混じる。鰆の味噌漬けを焼いているらしいが、
ちゃんと切り身を上に皮を下にして焼いているんだろうな。焦がすなよ。
俺は畳敷きの四畳半で新聞の文化欄に目を通し、卓袱台に置いたコップにビールを
瓶から注ぎながらそんな風に考える――
えらく庶民的な光景だって?オレも確かにそう思う。
だが雪は自分で料理する時は、いつもこの安アパートみたいな小部屋を好んで使う。
食材をすぐに調達できるからという事で厨房の隣に増設された物だが、彼女はこの部屋の
恋人同士水入らずの雰囲気が好きなんだそうだ。全く金持ちの考える事は解らん。
ただ彼女の云う事にも一理はあるもので、それほど上手とは云えない彼女の手料理も
ここで食うと何だか暖かな味がする。だから俺もこの部屋をそれなりに気に入っていた。
包丁の音が不意に途切れた。
俺は彼女の後姿に目をやる。彼女はエプロンを身に着けていたのだが、普段の格好が
格好なだけに裸エプロンと大して変わりない。
ふつふつと湯気を立てる味噌汁鍋の隣で、おひたし用の大鍋がぐつぐつと音を上げている。
彼女の手が完全に止まっていた。料理の手順で分からない部分でも出たのだろうかと
心配になり、俺は声を掛けてみた。
「どうしたんだ雪」
ねえ朋、と振り返らずに雪が云う。穏やかでどこか暖かな幸せを含んだその声に、
俺は何かを感じて黙り込んでしまった。繰り返すように彼女は云う。
「ねえ、聞いてくれる」
突如として俺は、自分が感じた何かが違和感であった事に気付いた。
コンロの前に立つ彼女の尻がシースルーのガウン越しにまる見えだが、
今日に限って俺のナニが彼女の後姿に反応していない。
一体何故だ――
この平和な風景も何度か見ている。が、何かを確実に忘れている。
一体それは何の記憶だったのだろう。
そしていつ何処で見た物だったのか。
俺は奇妙な既視感の中、自分の記憶を懸命に探った。
とても近い記憶、精々がこの一年の間に見たはず。
平穏で幸せな空気。それと相反するようで実は密接なつながりを持った、
身を切られるような途轍もなく寒い風。岩石のような氷柱の数々。
まさか――
何かを朧気ながら掴みかけた時、俺の背筋に冷たい予感が走った。
心の警報機は最大音量で俺に何かを告げている。
――何カガ来ルヨ
潜在意識の奥深くに眠っていた危険な記憶が、徐々にその姿をはっきりと現して来る。
そんな俺の心の動きとは対照的に、雪はゆっくりと振り返って俺を見つめた。
彼女の穏やかな微笑みは、幸せを噛み締めているようにも見えた。
自分の中にある大切なものをゆっくりと確かめるように、彼女は呪文を紡ぎ出す。
俺が奇妙な既視感の正体を完全に思い出した時、既に全てが終わりを告げていた。
――アレ、一か月も遅れてるの。
四畳半の平穏な空気が、吹き荒ぶブリザードへと一瞬の内にすり替わる。
彼女が紡ぎ出したのは、最大級の冷却系呪文『アレ遅れてるの』だった。
――そう云えば四天王最強の女からこれを食らったっけ
同棲カップルみたいな風景に寒々しい予感を覚えたのも、なぜか氷柱の姿を思い浮かべたのも、
全部当時の記憶に繋がる出来事だったからだ。
いや。身に覚えが有り過ぎる以上、呪文の威力は当時に比べて大幅に増していた。
感覚と思考が、そして記憶が徐々に薄れて行く。俺はその場に流れる時間ごと
凍り付く――
<<終>>