「困ったわ……300万フランなんて、三ヶ月で用意できるわけないわ」  
ナージャはセーヌ川のほとりを歩いていた。  
アントニオは、ダンデライオン一座の所有する劇場の権利書を手に入れ、  
ローンを一括で返済するよう要求してきた。  
それができなければ、ナージャ達一行は劇場を立ち退かなくてはならないのだ。  
誰にも迷惑をかけず一人前の踊り子になることを誓ったナージャは、  
公爵や母に頼ることもできず、すっかり困り果てていた。  
新しい仲間を迎えて浮かれる仲間達に打ち明ける事はできず、一人金策に思い悩む。  
 
うつむくナージャが、行く手を阻むように立っている男に気付いたのは、  
彼にぶつかりそうになる直前だった。  
「久しぶりだな、ナージャ」  
顔を上げると、懐かしい顔があった。  
ウィーンで別れてから数ヶ月、時折夢に思い描いていた、彼。  
「あなたは……フランシス!」  
ナージャは思わず声を上げたが、男はふっと目をそらして答えた。  
「……いや、キースの方だ」  
「……あ、ごめんなさい」  
「いいんだ、なんせ俺達はそっくりさんだからな」  
「……あ、あははははは」  
「それよりナージャ、どうしたんだ……君らしくないな、下をむいて歩くなんて」  
「それが……」  
 
ナージャは思わずキースに全てを打ち明けてしまった。  
「なるほど、そんなことが」  
「ええ、公演だけじゃ300万フランは稼げないし、どうしたらいいのか……」  
肩を落とすナージャに、キースは力強く言った。  
「よし、俺が力になろう」  
「え?」  
「君はいつもどおり過ごしていればいい。何日か待ってくれ」  
そう言ってキースは雑踏に姿を消した。  
ナージャは彼の残した言葉に疑問を感じたが、とりあえず劇場に戻る事にした。  
なにはなくとも、生活のためには働かなくてはならない。  
明日のために…  
 
そして数日が過ぎた。  
劇場の工事も進み、公演の手配も進んだ。練習もはかどっている。  
団員達は何も知らずに張り切っているが、例の借金の事を隠しているナージャは、  
毎日胃の痛みと戦っていた。  
その晩もまんじりともせず、個室のベッドの上で何度も寝返りを打っていた。  
「はあ……月の明かりがまぶしい」  
窓の外を見ると、満月に近い月が銀色の硬質な光を放っている。  
フランシスと踊った舞踏会の晩も、こんな月だった。  
「フランシスに会いたい…」  
そう独りごちた瞬間、窓から差し込む月光を影がさえぎった。  
物音もなく窓は開き、するりと入り込んできたのはキースだった。  
「キース!」  
「静かに。隣の部屋のお嬢さんたちが目を覚ます」  
ナージャは思わず自分の口を押さえた。  
隣の部屋にはリタ、そしてクリームとショコラが眠っているはずだ。  
 
「……キース、こんな夜更けにレディーの寝室に入ってくるなんて失礼だわ!」  
声を潜めてナージャは抗議する。  
「悪かったね。君にすぐにでもこれを届けた方がいいと思ったんだが」  
キースは小脇に抱えた紙のファイルを手にとって軽く掲げた。  
「余計なお世話だったかな?」  
「え?まさかそれは……」  
「君の欲しがっていた劇場の権利書だ」  
「……キース!それはいくらなんでも……」  
「静かに。これを欲しくないのかい?」  
キースは意地悪く笑った。  
「なら今からアントニオの滞在するホテルに戻って、これを同じ場所に  
 置いてくる。別に俺はそれでもかまわないよ」  
目の前でひらひらと権利書を振られると、ナージャの心は激しく揺らいだ。  
泥棒は悪い事だけど、私は支配人。  
団員の事を考えたら、今この劇場を失うわけには行かないわ……!  
それにアントニオは悪徳高利貸し。  
こっちがお行儀よく義理立てする必要はない。  
「分かったわ、ありがとうキース。それ、貰うわ」  
「そう、素直が一番さ」  
キースはファイルをナージャに差し出す。  
しかしナージャがいそいそと受け取ろうとすると、すっと  
ナージャの手から届かないように取り上げる。  
「キース?」  
「そうそう、ただとは言ってない」  
「ええ?!」  
「しー。お金を取るなんて言ってないさ」  
 
「じゃあ、一体なにをすれば……」  
「そうだな」  
キースは面白がるようにナージャの全身を見た。  
「な、なによ」  
寝巻き姿のナージャは思わず自分の体を抱きしめ、  
少しでも身を隠そうと体をよじった。  
「そうだな……君はあの時、俺じゃなくてフランシスを選んだ」  
彼のからかうような軽い言い方に、ナージャも少なからず動揺した。  
「あの時の事、俺は忘れちゃいない」  
「……キース」  
「あの時のお返しさ」  
手の中でファイルを弄ぶキースは、薄く笑ってはいるがどこか寂しそうだ。  
ナージャは何も言えずしばらく自分のつま先に視線を落としていた。  
「ナージャ、こうしないか」  
「……」  
「俺の遊びに付き合ってもおうか。俺が満足したらこれを渡そうじゃないか。  
 付き合ってくれるね。ナージャ。一座のために」  
キースは少年のようにいたずらっぽく、そして妖しく笑った。  
 
 
ケンノスケが舞台のからくりの設置を終えたのは、丑三つ時を過ぎた頃だった。  
「はあーこんなもんか。明日みんなに見せたら驚くぞ〜」  
額ににじんだ汗を手ぬぐいでふき取る。  
今日の作業はこれで終わろう。ケンノスケは台所で体を拭くため、舞台を降り、  
劇場の奥手へと続く通路へむかった。  
劇場の奥手は、団員達の住まいとして機能している。  
以前は劇場で働く従業員達の楽屋や、物置として使われていた空間だ。  
10ヤードもない狭い部屋から、かなり大きな広間まで、  
地上に二階、地下に一階の三層構造の入り組んだ造りになっている。  
建て増しを繰り返したせいか、それぞれ階や部屋ごとに雰囲気も違う。  
団員達はそれぞれ自分の部屋を持つことが許され、  
ケンノスケはからくりの改造のため、大きく天井の高い部屋を一室を使っている。  
台所でぬらした手ぬぐいを使い体を簡単にぬぐうと、ケンノスケは自分の部屋に戻ろうと廊下へ出た。  
手にしたランプの明かりだけが、石造りの住まいを不気味に照らす。  
「古い建物ってのはどうも不気味だな……」  
ケンノスケの独り言が廊下に反響する。  
その音の向こうに、ひたひたと妙な足音を聞いた。  
「ん?なんだ?誰か起きているのかー?」  
明かり掲げて廊下の奥を照らす。  
足音はやんだ。  
「……なんだ、泥棒か?」  
ぞっとしてケンノスケは一瞬足を進めるのをためらった。  
その瞬間、廊下の柱の影から、白い人影が飛び出した。  
「うわあっ」  
 
それは驚くケンノスケの虚を突いた。  
影はあっという間に廊下を右から左へ横切り、階段の方へ駆け抜け、  
ぺたぺたという人間らしくない足音を立てて二階へ消えていった。  
「なんだなんだ?」  
あの足音、靴を履いていない?  
それに、あのぼんやりとした白く、細いシルエットは……ナージャ?  
「でも、ナージャだとしたら何で逃げたんだ?」  
ケンノスケは疑問を感じ、白い影を追って自分も二階へ向かう。  
それに、今の人影、……服を着ていなかったような。  
二階にはナージャの寝室がある。昼間は日当たりの良い小綺麗な部屋だ。  
二階の廊下は静まり返っている。まるで先ほどの人影の気配を感じない。  
「おーい、ナージャ、起きてるか?」  
ナージャの部屋をノックする。  
すぐには反応はなかったが、人が動き出す気配がして、本の少しだけドアが開いた。  
ドアの隙間から、ナージャの顔だけがひょっこりのぞいた。  
「ケンノスケェ?どうしたの、こんな夜中に……」  
ナージャはいつもどおり白いナイトキャップをかぶったナージャは、いかにも眠そうだ。  
「今下の階の廊下で、ナージャみたいな人影を見かけたもんだから」  
「……ええ?私を?」  
「ああ、声を駆けたら走って逃げたように見えたから、心配になってさ」  
ナージャはあくびをしながら口で手を押さえた。  
「……ケンノスケ、何を言っているの?私はずっとこの部屋で寝てたわ……。夢でも見たんじゃない?」  
「そんなわけないだろ、オイラ確かに見たんだよ!」  
「しーっリタが起きちゃうわ。話は明日ね。おやすみなさい、ケンノスケ」  
そう言ってナージャは一方的にドアを閉じた。  
廊下に残されたケンノスケはキツネにつままれたような気分だった。  
「……ま、ナージャがそうだっていってるんだから、そうなんだよな」  
まさかあの人影が、小さなリタ……ましてやクリームやショコラということはないだろう。  
幻?古い劇場に幽霊でもいるんだろうか。  
ケンノスケは頭をかきながら自室へ向かった。  
 
ナージャはドアを勢い良く閉じた。震えわななく手で。  
「もうお終いか……」  
背後から押し殺した笑い声が、冷や水のように浴びせられる。  
ナージャは振り返ることもできず、ナイトキャップ以外に一糸まとわぬ体を  
自分の両腕で抱きしめてその場にしゃがみこんだ。  
「だって……」  
立ち去るケンノスケの足音が聞こえなくなるまで、ナージャはその場を動けなかった。  
「だって、もしケンノスケが……気がついたら」  
「君が裸だってことに?」  
ナージャはまだ発達しきっていない、ようやく女性らしい曲線を描き始めた  
体を隠そうと小さくうずくまる。  
「つまらないな。もう少し夜の散歩を楽しんで欲しかったのに」  
「……キース」  
ナージャは体の表側を見せないように、首だけで振り返った。  
羞恥に上気した頬が熱い。  
「もう十分でしょ。お願い、もう終わりにして」  
「冗談じゃない」  
鼻を鳴らしてキースは壁に背を預けた。  
「折角だし、ナージャにはその格好で表の通りに出てもらおうと思ってるのに」  
「そんな、キース!」  
ナージャは泣き出しそうになった。  
 
「そんな顔しないでくれ。これはゲームなんだから」  
ゆっくりとキースはナージャに歩み寄った。  
ナージャは顔を背けて、体を隠そうとする。その小さな背中に、キースの指が触れた。  
その指が背筋をなであげ、ナージャは押し殺したため息で悲鳴をあげた。  
「どうしたの、ナージャ。顔を上げることもできない?」  
何も応える事ができず、ナージャは唇をかみ締めた。  
誰にも……フランシスにすら見せた事のない裸体をこんな風に晒す事になるなんて。  
悪夢を見ている気分だ。  
「こっちを見て」  
ナージャは真っ赤に染まった顔をあげ、キースを見上げる。  
キースはこの状況を心底楽しんでいるらしい。悪魔のように嫣然と微笑んでいる。  
「可愛いナージャ」  
キースの手が、熱を持ったナージャの頬に触れる。  
その指先が汗でこめかみに張り付いた少女の金髪を優しくどける。  
震えながらナージャはその時が過ぎるのを待った。  
羞恥心と、恐怖感……ひどい混乱で頭は上手く働かない。  
ただ、キースの手のひらがひんやりと頬に気持ちよかった。  
「今日はこの辺にしておこうか。明日また遊びに来るよ……」  
 
白い人影をみたのはケンノスケだけではなかったらしい。  
「私も夜中に変な足音を聞いたわ。でも、私は二人の足音を聞いたと思うの」  
朝食を囲むテーブルで、ケンノスケは幽霊の存在を主張したが、シルヴィーは軽く否定した。  
「ケンノスケの言うとおり、はだしみたいな変な足音と……男の靴の音だったわ」  
必死に平静を装うが、ナージャは思わずスープをすくう手がかくかく震えるのを感じた。  
「ゆうれいが靴をはくぅー?」  
パンをほおばりながらリタが笑った。  
「もし幽霊じゃないって言うなら、なんだんだ?まさか泥棒か?」  
ケンノスケは腕組みをして首をひねった。  
「こんなボロ……もとい、古びた劇場に、泥棒ねえ」  
トーマスも団長も懐疑的だ。  
「二人とも、誰かがトイレに起きた音を聞いたんだろ。寝ぼけていたから妙に聞こえただけさ」  
アーベルの言葉に、ケンノスケ以外の人間はそれで納得した様子だ。  
ナージャだけは凍りついたような作り笑いを浮かべて、その場をやりすごそうと必死だった。  
 
「私、自分の部屋でチラシの文章を考えるわ」  
食事後いそいそとナージャは自室に戻った。  
最近ようやく支配人としての自覚が芽生えたらしい。  
一座はそそくさとしたナージャのその様子を特におかしいとは感じなかった。  
ナージャが自分の部屋に戻ると、どこから入ったのか、キースがベッドの上にだらりと寝転がっていた。  
「やあナージャ支配人」  
「キース!」  
昨晩の出来事を思い出し、ナージャは再び顔を赤くする。  
「ひどいわ、……昨日のあれ、みんなに見つかりそうになってたのよ?」  
「スリルがあって面白いだろ」  
悪びれる事もなくキースはいい、上体を起こす。  
「で、ケンノスケ以外に誰が気付いてたんだ?」  
「シルヴィーよ……キースの足音も聞いたって言ってるわ」  
「ふうん、妙だな。シルヴィーとアーベルは同じ部屋のはずだろ」  
「そうよ、二人は夫婦だもの……あ」  
そういえば、昨晩裸のナージャと、そしてその後ろを少し離れてキースが歩いたのは、二階と一階だけだ。  
シルヴィーとアーベルは夫婦の寝室として地下の部屋を使用しているはず。  
「なんで地下にいるはずのシルヴィーが、一階の足音に気付いたんだ?」  
「……それは、歌姫で耳がいいから」  
「そんなわけないだろ。シルヴィーは夜中に、一階か……2階にいたってことになる」  
その意味が分からず、ナージャはきょとんとしていた。  
「面白い」  
キースは何かに興味を魅かれたらしい。ベッドを離れ、窓を開けた。  
「じゃあまた夜に遊びに来るよ、ナージャ」  
 
劇場の工事の采配をしたり、ケンノスケの新作カラクリの使い方の説明を受けたり、  
忙しく動き回っているうちにあっという間に夜が来た。  
ナージャは団員それぞれが自室に戻った後、ナージャはあれこれ自分に言い訳をするように  
小さな仕事をいくつかこなし、ぐずぐずと部屋に戻る時間を遅らせようとした。  
しかし夜も更け、暗くなった後ではできる作業にも限界がある。  
夕飯の食器もすっかり洗いおわり、工事中の劇場もひとまず一日の作業を終えて片付いており、  
いよいよやることがなくなると、もはや時間をつぶす事もできず、ためらいながら自室に向かう事となった。  
「今日は一体何をさせる気なのかしら」  
昨日のことを思い出すと、恥ずかしさのあまり頭に血が上り、悲鳴をあげたくなる。  
しかし、同時にぞくぞくするような興奮を味わったのも事実だった。  
初めて舞台で踊った時のような興奮。緊張感。  
恐る恐る自室のドアをあけるが、部屋にキースの姿はなかった。  
彼は既に来ていると思い込んでいたので、拍子抜けだった。  
ナージャはしばらく寝巻きに着替えず彼を待った。  
しかし、深夜を回る頃になっても彼は現れなかった。  
待ち疲れたナージャはベッドに横たわり、うとうとと浅い眠りを貪っていた。  
そして何か、淫らな夢を見た。はっきりしたイメージは思い出せないのだが、  
朝のまどろみが淫靡な快感を含んでいるように、つかみどころのない不定形な淫らさ。  
「……ナージャ、ナージャ、起きるんだ」  
「ん……」  
ぼんやりとした視界の先に、キースの顔があった。  
「き、キース!私、寝ちゃってたのね……」  
 
「嬉しいね、待っててくれたのか」  
「……か、勘違いしないで、約束だからよ!」  
ナージャはつんと顔を背けた。  
「ふふ、まあなんでもいい。これから一階へ行く。面白いものを見せてやるよ」  
「面白いもの?」  
「……そう、きっと君も気に入るよ。さて、その前に」  
「その前に?まさか、昨日みたいに裸で一階へ行くの?」  
思わず泣き出しそうになったナージャだが、キースは軽く否定した。  
「今日は下着だけ脱ぐんだ」  
「ええ?!」  
「それが嫌なら全部脱いでもいいんだよ」  
 
一階の台所まで向かったが、今晩は誰とも遭遇しなかった。  
今キースと二人で歩いている所を見られたら、仲間に何を言われるかわかったものではない。  
それに何も履いていないスカートの下も妙にスースーする。  
ナージャは風の音一つに過剰に反応しながら歩いた。  
「台所の奥へ」  
「え?そっちは物置とトーマスの部屋しかないわ」  
「その両方に用があるのさ」  
いぶかるナージャの肩をキースは抱いた。  
引き寄せられ、彼の肌の暖かさを背中に感じた。  
ナージャはそのぬくもりに胸が高鳴るのを感じた。  
一時はフランシスを選んだナージャだが、キースへの思いも完全に捨てたわけではない。  
(もしこれが、普通のデートだったら……もっとロマンチックな状況だったら良かったのに)  
 
「さあ、物置に」  
二人は物音を出さずに物置に入った。その部屋はわずか10ヤードほどの広さだ。  
カラクリ自動車から持ち出した大きな木箱が無造作においてあるほかは、何もおいていない。  
公園に使う道具は舞台の裏手においてあるし、団員の私物はそれぞれの部屋にある。  
そもそも物置におく必要のあるような道具は、移動生活を営む一座は持っていない。  
衣装を作った際でてきた端切れや、壊れて使い道のない小道具を無造作に詰め込んだ箱だけが残り、  
それをこの部屋に押し込んだのだ。  
部屋の中は暗い。  
「この部屋に一体何が……」  
「しっ。隣はトーマスの部屋だよ。声を出したら聞こえてしまう」  
そういいながらキースはナージャを後ろから抱きしめた。  
「んっ」  
そして手で優しく口を塞ぎ、驚くナージャの体を壁に押し付けた。  
ナージャは丁度壁とキースの体の間にはさまれた格好になった。  
「しーっ。その穴をのぞいてごらん」  
石造りの壁はいかにも古めかしかったが、一部漆喰がはがれ、わずかな隙間から隣の部屋の光が漏れている。  
(なにこれ?トーマスの部屋じゃないの)  
キースの意図を読めず戸惑ったものの、ナージャは素直にその隙間に視線を投じた。  
……部屋では、トーマスが誰かと話している。  
「うふふ、そんなにすねないでよ」  
(え?この声は……)  
なぜか、歌姫シルヴィーの声がする。ナージャは目を凝らした。  
トーマスはベッドに腰かけ、部屋の中を歩き回るシルヴィーと話しているようだ。  
「納得いかないよ。君が……アーベルと結婚してしまうなんて」  
「あらぁ、だって、女は熱烈に愛を伝えてくれる男が好きなのよ。  
 あなただって、アーベルより先に私にはっきり気持ちを伝えてくれればチャンスがあったのよ」  
シルヴィーは一枚、また一枚と着衣を脱いでいく。  
 
「……、し、シルヴィー?!」  
「ナージャ、静かに」  
「キース……!面白いものってまさか……」  
身をひねって、体を押さえるキースの方に向き直ろうとしたが、キースは思いのほか強い力でそれを拒んだ。  
「いいから、最後まで見守ろうじゃないか。この先どうなるか、ね」  
 
「アーベルより、私を愛してる?」  
「ああ、もちろんだよシルヴィー!」  
下着姿でしなをつくるシルヴィーを、トーマスは強引な動きでベッドに押し倒した。  
二人はもつれ合うように抱き合い、キスをし、体をまさぐりあっている。  
シルヴィーの体は、ナージャとは異なり、すっかり成熟している。  
スレンダーだが、存在感のある大きな胸、むっちりとしたお尻や太ももがいやらしい。  
トーマスは我を忘れた獣のようにその豊満な胸に唇を寄せ、野苺のような乳首にかじりつく。  
「ああん……トーマス、もっと優しくお願い」  
「シルヴィー、好きだよ、愛してるよシルヴィー」  
熱に浮かされた病人のように、トーマスは彼女の名前を繰り返した。  
彼は執拗にシルヴィーの胸に舌と器用な指先で愛撫をくわえ、歌姫に淫らな悲鳴をあげさせた。  
「なんて君は淫らなんだ……僕の気持ちを弄ぶ魔女だ」  
「うふふ……あなたも、私も、こうなる事を自分で選んだのよ」  
二人はキスを交わた。そして彼はシルヴィーの下着を剥ぎ取り、彼女の足の間に体を割り込ませた。  
 
(やだ、トーマスったら……シルヴィーったら。まさか、まさか……)  
ナージャは二人の激しい情交を見ているうちに、自分も妙な気分になってきている事に気づいた。  
下着を着けていない股のあたりがスースーする。  
そして、むずむずする。後ろから張り付いて体を押さえつけるキースの体温が無性に恋しい。  
(んっ……なに……これっ)  
 
「ああ、すごいよシルヴィー……っこんなにぬれてるっ……」  
トーマスはシルヴィーの太ももをつかんで腰を進め、腰を激しく使いはじめた。  
「はあん!いいっ、わっ……トーマス、いいわ」  
組み敷かれた歌姫は、あたりにはばからぬ大きな声で嬌声を上げ、トーマスの腰に足をからみつける。  
「もっと、もっとぉ……んっはあっ……あーっ!」  
トーマスが一段と深く腰を突き入れると、シルヴィーはひときわ高い声をあげ、  
細いのどをのけぞらした。  
「もっと……奥に頂戴、トーマス!」  
 
「どうしたのナージャ」  
「ふえ……」  
いつしかナージャは、もじもじと自分の腰を揺らし、背後のキースの体にお尻をこすりつけていたのだ。  
ほとんど無意識のうちにそうしていた。  
性器の辺りに熱いものを感じ、それをもっと深く味わおうとしているうちにそうしていたのだ。  
「興奮しちゃった?」  
キースの面白がる声にナージャは恥ずかしさのあまりうつむいた。  
そうこうしている間に、聞こえてくる二人の声はますますヒートアップしていく。  
目を離しているのがもどかしい。  
ナージャは顔をあげ、二人が絶頂へ上り詰めていく様子を凝視していた。  
耳元に感じるキースの吐息で、つま先から続々と妙な震えが襲ってくる。  
「盛り上がってきたようじゃないか」  
キースはそっとナージャのエプロンドレスの太ももあたりに手を伸ばしてきた。  
「や、やだっキース……」  
「静かに。」  
ナージャは自分の股間がじっとりと湿ってきていることに気がついていた。  
さらにキースに命じられ、下着は脱いできている。  
キースがスカートの下に手を差し入れれば、直接大事な場所を触れられてしまう。  
必死に体をこわばらせ、太ももを固く閉じた。  
「そんなに固くなるなよ、ナージャ」  
キースは少女の耳元で、面白がるようにささやいた。  
 
その間も彼の手はスカートの上からナージャの太ももや、下腹の辺りを丹念に撫で回している。  
彼の指先が動くたび、ナージャはぞくぞくするような、くすぐったさとは違うむずがゆさを感じて身をくねるしかなかった。  
「やだっ……キース!」  
「じゃあこっちは?」  
キースの手がナージャのまだ未発達な胸に触れた。  
「んっやあぁ」  
その指の動きはあくまでソフトだ。触れるか触れないかの微妙なタッチで、布越しに乳首を押され、  
ナージャの体が波打つ。  
膝が震え、両腕を壁に置いて体を支えないとへたり込んでしまいそうだ。  
「可愛いよ、ナージャ。もっともっと俺を楽しませてよ」  
「キース……だめよ、私……」  
キースの手が胸を離れる。  
そして突然スカートの後ろ側、お尻のあたりが外気に触れるのを感じた。  
「まさか、キース!」  
「気付かれたいのかい、ナージャ?それに権利書の事を忘れたの?」  
スカートを捲り上げられていた。  
キースの膝が足間に割りいれられ、ぐいぐいとナージャの開いた太ももを開かせた。  
「うそ……」  
「いいかい、振り返らないで。その穴から向こうの情事をのぞいていればいい。  
 見ているだけじゃ物足りないみたいだし、君も気に入るよ……」  
振り返って抵抗しようとしたナージャに壁の方を向かせ、キースの手がナージャのむき出しのお尻に触れる。  
まだ肉付きの薄い、つるりとした双丘はすべすべとしていて、すいつくような湿気を帯びている。  
「んんんっ……」  
まだ誰にも触られた事のない恥ずかしい場所を触れられると、なんともいえない快感―快感としか言い様のない  
感覚に支配された。  
「さあ、どうなってる?あの二人は……」  
 
キースの指先が徐々にナージャの濡れた割れ目に届こうとしている。  
「え、ええ……?」  
ぷちゅ。  
「うあぁっぁん!」  
ついに割れ目を指先でなぞられ、ナージャは甲高い悲鳴をあげてしまった。  
シルヴィー達に気付かれちゃう……!  
ぐらつく視界で穴の向こうを見ると、二人はそんなことに気付く暇はなさそうだった。  
獣のようにバックの体勢をとり、一段と激しい抽送を楽しんでいた。  
「思ったとおり、もうびしょびしょになってるよ、ナージャ」  
「やだ……違うの!これは……」  
「何が違うの?どこが、違うの?」  
「うあっそこは、やだっ……ああああっ」  
敏感なクリトリスを摘み上げられ、雷に打たれたかのようにナージャは大きく体をのけぞらした。  
「ふああ……」  
ナージャは涎をたらし、くたりと背後のキースにもたれかかった。  
「もういっちゃったのか。敏感なお豆だね」  
「……イク?私、いっちゃったの……?」  
「そうだよ。覗き見をしながら逝っちゃったんだよ。悪い子だ」  
耳元で彼は意地悪に囁く。  
ぼんやりかすんだ頭の中でその言葉がくるくる円舞した。  
「私……わたし……」  
いままで感じていた背徳感や罪悪感はどこかに消えてしまった。  
ただ体を支配する震えと、キースの体温、そして壁の向こうから聞こえてくる二人の嬌声だけが  
ナージャの思考の中で泳いでいる。  
 
 
「あ……まだトーマスのおちんちんを……シルヴィーが口で……咥えたわ」  
「へえ、もう一回お楽しみってことか」  
キースは背後からナージャのピンク色の割れ目に顔をうずめ、舌先でその穢れのない粘膜を舐め上げる。  
「あはぁ……ん!」  
「ナージャ、ちゃんとどうなっているか教えてくれなきゃ困るな。俺は君のおまたをこうして可愛がってあげているんだから」  
「うぁっ……ご、ごめんなさい」  
一度軽い絶頂に達したナージャは素直にキースに従った。  
絶頂と混乱で麻痺した思考回路は一番身近にある快楽を選んだ。  
キースに従い、姦淫にふける事―それが今最も気持ちよくなれる選択肢だからだ。  
「シルヴィーが……っトーマスのおちんちんをっ、咥えて……」  
「それで?」  
「アイスキャンディー舐めるみたいに……んんっ」  
「みたいに?」  
「しゃぶってる…よ……っ!トーマスは、気持ちいいって言ってるっ……君のフェラチオは最高だって……い、いたあっ!!」  
突然キースの指先がナージャの狭い膣に差し入れられた。  
ぬれてとろんと緩んではいたが、異物を差し入れられるのは初めてだ。  
ナージャは鈍い痛みに悲鳴をあげる。  
「いたい〜……っキース!」  
「我慢して。さっきのシルヴィーを見ただろ。馴れたら彼女のように気持ちよく馴れるんだ」  
「でも、でも私っ……!」  
「さあ」  
キースは振り返るナージャの頭を壁の方に、幾分乱暴に押し付ける。  
「二人は、今、どうなっている?」  
一言一言区切るいい方には反論できぬような強さを感じた。  
ナージャはうずくような痛みに耐えながら彼らの情事の実況を再開させられた。  
 
「ううう……トーマスが、シルヴィーを押し倒したわ……  
 それから、トーマスが……んうっ!トーマスが、シルヴィーに……っ」  
「シルヴィーに?」  
「おちんちんを……いれて……お尻を振ってる!うああっ」  
キースの指が、ナージャの中で妖しくうごめき、ついにナージャは体を支える事ができなくなった。  
「もう、だめ、キース……立ってられないよぅ」  
涙目になって振り返ると、キースは笑っていた。やさしく、そして嬉しそうに。  
ふとその表情はフランシスを思い出させた。  
「もう、許して……」  
「わかったよ、ナージャ。じゃあ中途半端だとかわいそうだから最後までいくとしようか」  
「ぅあ……っ?」  
キースはナージャの体を軽々と抱き上げ、木箱の上にやさしく座らせる。  
「さあ、足を開いて」  
「やだっ恥ずかしいよ……」  
「ここは暗いし、みえやしない」  
確かに部屋は薄暗い。  
隣の部屋から漏れる明かり、窓から差し込む月の光だけではお互いの輪郭がぼんやり見えるぐらいだ。  
「さあ、足を開いて」  
それに、もっといやらしい行為をして欲しいという欲求もあった。  
一度快感を覚えた体は、絶頂に達するまでは満足しない。  
「ん……」  
ナージャはおずおずと座った姿勢のまま足をM字に開き、キースの前に濡れた性器を晒した。  
恥ずかしい……!  
キースは自分のベルトに手をかけ、ズボンをずり下ろしたようだった。  
 
「キース……ひょっとして……するの?」  
「だめかい?」  
「わかんないっ……私、初めては、本当に好きな人にあげたかったの……でも、するなら、優しくして下さい……」  
「ナージャ……」  
ナージャは恥ずかしさと恐怖で思わずうつむいたが、キースは少女のそのほっそりしたあごをつかんで前を向けさせた。  
そして、キス。  
パリで再会してから初めて交わす、キス。  
唇を重ね合わせるだけの淡く優しいキスだった。  
「これでおしまい」  
「え?」  
「もういいよ。十分楽しんだ」  
「キース……」  
 
キースは後ろを向いて、ぎこちない手つきで自分の着衣を直した。  
「虚しくなるな……君がフランシスを思いながら俺に抱かれるって思うとさ」  
「……キース」  
ナージャは何も言えず自分の足を閉じた。  
いつの間にかひんやりと体は冷え、情事の熱は過ぎ去っていた。  
「さて、君の部屋に戻るとするか」  
「うん……ありがとうキース。それに、ごめ……」  
「明日も来るからな、ナージャ!」  
突然キースはナージャの言葉をさえぎり、大きな声で言った。  
「え?……い、今、あなた終わりって……!」  
「今日のところは終わりって事さ。さて、明日はどうやって楽しませてもらおうかな」  
笑いながら振り返った彼は、いつもどおりのキースだった。   
 
終わり  
 

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