「だからね!女にも征服欲ってものがあるわけなのよ!!」  
バンッ!と、リビングに響き渡る音をたて、両手でテーブルを叩き立ち上がったマリーは、ナディアに向けて  
身を乗り出した。  
マリーの手元のティーカップががちゃりと動き、細身のケーキがぱたりと倒れて皿の上で横になった。  
「それで?」  
テーブルを叩いた音にも動じず、ナディアは香り立つ紅茶が注がれたティーカップを悠然と口元に運ぶ。  
ナディアの膝の上にちょこんと座ったジュニアは、目の前のケーキに目を輝かせ、口の回りをクリームだらけに  
しながら頬張っている。  
「恋する男女が、お互いをよく知りたいと思うのは自然でしょう!?ナディアもそう思うよね?」  
「そうね」  
ナディアの素っ気ない応えに毒気を抜かれて、マリーは力なくソファーに腰を落とした。  
「もう、ナディアったら、他人事だと思ってさぁ」  
マリーは左手で頬杖をつき、右手でフォークを持つと、何の気なしに倒れたケーキをいじり始め、  
不満気に頬を膨らませた。  
紅茶を味わい終わり、ふぅと一息つくと、ナディアはティーカップをソーサーに戻し、正面のマリーを見つめた。  
「それで?マリー、あなたは何を言いたいの?」  
「何って……それは……」  
真正面からナディアに見つめられて、マリーは思わず口籠る。  
「サンソンさんが抱いてくれない。サンソンさんを早く自分だけのものにしたいのに……ってとこかしら?」  
ナディアはマリーの心境を代弁するかのように、ゆっくりとした口調で言った。  
 
「……分かってるじゃん。ナディアの意地悪……」  
頬杖はそのままに、視線だけをちらりとナディアに向けると、マリーは拗ねた様子で続けた。  
「サンソンったら、マリーはいいよって言ってるのに、いっつもキス止まりなんだもん」  
「それは、サンソンさんが正しいわね」  
ケーキを食べつくして、満足そうにナディアを見つめて笑うジュニアの、クリームだらけの口元を拭きながら、  
はっきりとした物言いで、ナディアはマリーの味方にはならない事を伝えた。  
「どうして?マリーはサンソンの婚約者だよ?何がいけないの?」  
ナディアが味方になってくれないと悟ったマリーは、ナディアを視線の枠から外し、ぶちぶちと文句を言いつつ、  
手元のケーキをこねくり回す。  
「何でって、婚約したとはいえ、マリー、あなたはまだ十五歳。子供じゃないの」  
「ナディアもサンソンと同じ事言うのね。マリーはもう赤ちゃんだって産めるんだよ!子供じゃないもん!!」  
子供扱いされ、マリーは憤懣やる方ないといった表情で、再び視線をナディアに戻した。  
ナディアは、はぁ、と深い溜息を漏らしながら、目の前のマリーを見据えてきっぱりと言った。  
「マリー、頬杖は止めなさい。それとね、食べ物は遊ぶものじゃないの、それは子供のすることよ」  
ナディアの指摘に、マリーは慌てて手元のケーキを見ると、ケーキは原型を留めないほどぐちゃぐちゃに  
崩されていた。  
母となったナディアの迫力に気圧されて、マリーは何も言えなくなってしまった。  
 
――サンソン、大好き。  
幼い頃からのマリーの口癖だった。  
ネオ・アトランティスとの戦いに幕が下ろされた後も、しばらくは三人組と寝食を共にしていたマリーだったが、  
三人が別々に住まいを持つ事を決めた時、マリーはサンソンと共にいる事を望み、サンソンはその意思を尊重。  
グランディスもついにはそれを許した。  
笑いの絶えない穏やかな生活の中で、マリーの口癖だったその想いは、時をかけてゆっくりと醸され、形を変え、  
思春期を迎えたマリーの心に醇酒のごとく湧き上がった。  
そして、それはマリーの自覚と共に色外に表れ始め、ついにはサンソンの気付くところとなった。  
マリーが自分に想いを寄せるなどという、思いもつかないまさかの事態にサンソンは狼狽し、困惑の果てに  
自らの元からマリーを離した。  
それからのマリーの暴走ぶりと、サンソンの迷走ぶりは、仲間うちでは語り草にされるほどだったが、紆余曲折、  
サンソンの阿鼻叫喚の末に晴れて二人は婚約の運びとなり、二人はパリのサンソンの住まいでこれまでと同様、  
共に暮らす事となった。  
こうして、今までと同じように見えても、少し違う二人の暮らしが始まったのだった。  
 
 
「さて、ちょっと休憩にするか」  
ハンソンの声にサンソンとジャンは張り付いていた机から顔を上げた。  
部屋の時計は午後四時を回っていた。  
「そうだな、小腹も減った事だし、ここいらで一休みしようや」  
そう言うと、サンソンは机の上に散らばった設計図や資料の数々を、無造作に端へと動かし始めた。  
「相変らず、雑だねぇ」  
ジャンが笑いながらそう呟くと「決定稿じゃないから構いやしねえだろ」とサンソンは気にも留めない様子で、  
空いた机の上にバスケットを置いた。  
「何?これ?」  
そう言って、ジャンはバスケットを開くと、中にはサンドウィッチがぎっしりと詰め込まれていた。  
「うわぁ。これ?マリーが作ったの?」  
「腹へったら食えって、出掛けに持たせてくれた」  
「へぇ、もう、すっかり奥さんみたいだね」  
ジャンはバスケットからサンドウィッチを取り出しながら、微笑ましそうに目を細めた。  
「まぁな」  
ジャンの言葉にサンソンは照れ臭そうに肩を窄めた。  
「お待たせぇ」  
部屋の隣に備え付けられたキッチンから、ハンソンが三人分のコーヒーをトレイに乗せて戻ってきた。  
コーヒーの香ばしい香りが部屋を満たす。  
 
「悪かったなぁ、ジャン。せっかくの週末にル・アーブルから呼び出しちまって」  
ハンソンはそう言いながら、コーヒーをジャンに手渡す。  
「構わないよ。ジュニアも遠出が出来る歳になったし、ナディアもマリーと会いたがっていたしね。  
今頃はおしゃべりに花が咲いているんじゃないかな?」  
そう言うと、ジャンは鼻の前でカップを左右に振って、コーヒーの香りを楽しんだ。  
「ジュニアは幾つになったんだっけ?」  
ハンソンからコーヒーを受け取りながら、サンソンはジャンに尋ねた。  
「三歳になったよ」  
「そっかー、もうそんなになるのかぁ。月日ってぇのは、本当にあっとゆー間に過ぎていくなぁ」  
コーヒーを口元に運び、サンソンがしみじみと言うと「何、年寄り臭い事を言ってんのさ」と、ジャンは笑いながら  
サンソンを肘で突っついた。  
「なぁ、ジャン。お前、パリに来る気はないのか?お前にも仕事を手伝って貰えると助かるんだけどな……」  
ジャンの隣に座り、サンドウィッチを頬張ったハンソンが、おもむろに口を開いた。  
 
新型エンジンの開発にあたって壁にぶち当たり、ル・アーブルに住むジャンの力が借りたいとハンソンから  
連絡があったのは一週間前。新型エンジンと聞いたジャンは、それは黙ってはいられないとばかりに週末を  
利用してパリに上京し、手伝う事となった。  
このような事はこれまでも度々あり、そのたびにジャンは独りで上京していたが、今回はナディアとジュニアも  
連れた家族旅行も兼ねていた。  
「うん、そうしたいのはやまやまだけど、おじさん夫婦も年だしね。ジュニアも環境の良い所で育てたいし。  
でも、将来的には僕もハンソンの仕事を手伝いたいと思ってるんだ。その時は、思う存分働かせて貰うよ」  
「そういう事なら、無理は言えないな。まぁ、楽しみに待ってるよ。けど、たまにはこうして力を貸してくれよな」  
ハンソンは力強くジャンの肩を叩いた。  
「もちろんさ!!」  
ジャンも力強くハンソンに応えた。  
「ところで、エーコーさんは?エーコーさんにも会えると思って楽しみにしていたんだけど……」  
ジャンはここにいるはずの、もう一人の名前を挙げて二人に尋ねた。  
ハンソンの会社では、元ノーチラス号の乗組員が経営に参画している例は少なくない。  
グランディス、サンソンはもとより、操舵長や航海長、そしてエーコーもその中の一人だった。  
「おまえ、四人の子持ちに休日出勤なんて酷な事言えるか?ましてや、もうすぐ五人目が出てくるんだぞ」  
そう言うと、話してばかりで食べる暇の無いジャンに、サンソンはサンドウィッチを突き出した。  
「そ、それもそうだね。それにしても五人目か、凄いね」  
ジャンは目の前に突き出されたサンドウィッチを受け取り、口に運んだ。  
 
「そーそー、エーコーと言えば、この間、サンソンとマリーと一緒にあいつの家に遊びに行ってさ――」  
美味い、美味いと言いながら、サンドウィッチを頬張っていたハンソンが、その時の事を話し始めた。  
エーコーとイコリーナ夫婦の間には、八歳を頭にして四人の子供がおり、遊びに行った三人を玄関で  
出迎えてくれたエーコーに、子供達が鈴なりになってぶら下がっていた事。  
イコリーナが心尽くしの食卓を整えて、もてなしてくれた事。  
マリーが子供達と一緒になって遊び、とりわけ、一番下の赤ん坊の世話を甲斐甲斐しくして、結局、帰るまで  
手放さなかった事。  
「マリーは子供好きだもんね。ジュニアもよく可愛がってくれるし」  
ハンソンの話を楽しそうに聞いていたジャンは、その光景を思い描くように言った。  
「はぁ……」  
ジャンの言葉に、サンソンは深い溜息をついて「そこなんだよなぁ、問題は」と、困ったように頭を掻いた。  
「なんだよ?問題って?」  
何個目かのサンドウィッチを口の中へ放り込んだハンソンが尋ね、ジャンもコーヒーを口元に運びながら、  
興味深そうにサンソンの次の言葉を待った。  
サンソンは再び深い溜息をつくと、ぽつりと言った。  
「マリーがな『マリーも赤ちゃんが欲しい!サンソン、赤ちゃん作ろう!!』ってな……」  
 
「ぶっ!!」  
「ぐっっ!!」  
サンソンの言葉を聞いて、ジャンはコーヒーを吹き出し、ハンソンは呑み下そうとしたサンドウィッチを  
喉に詰まらせた。  
「あいつ、エーコーんちに行ってから此の方、ずっとそんな調子でよぉ……」  
「……で?……作ろうとしたの?……」  
テーブルに吹き出たコーヒーをハンカチで拭きながら、ジャンは恐る恐るサンソンに訊いた。  
「バカ!子供が子供作ってどーすんだ!!」  
「お、お前にしては賢い選択だな」  
ハンソンは胸を叩きながら、詰まったサンドウィッチをコーヒーで押し流して涙目で言った。  
「ぬかせ!!最近のあいつときたら、俺のベッドに潜り込むわ、俺が風呂入ってるとこに乗り込んでくるわで、  
やる事がエスカレートしてきやがった。  
マリーに『まだ、早い!』って叱るとな『どうして?マリーもう子供じゃないのに、どうしてよ?』って、  
俺の言う事なんて聞きゃしねぇ……」  
憔悴しきった様子で、サンソンは日々繰り広げられる攻防戦を二人に語った。  
「うわぁ、出たの?マリーの『どうして?』攻撃が……」  
ジャンは思い出したように声を上げた。  
 
幼い頃のマリーは、分からない事があると、回りの大人を捕まえては『どーして?どーしてそうなるの?』と、  
納得がいくまで聞いて回った。最初は丁寧に説明してしいる大人達も、マリーの執拗な『どうして?』に閉口して、  
最後にはそそくさと逃げ出してしまう。  
そうして、大人達に逃げられたマリーは機嫌が悪くなり、時限爆弾さながらに除々に泣き顔になってくる。  
そうなると、サンソンの出番だった。  
『マリー、1+1はいくつだ?』  
『2だよ。マリー、しってるもん』  
『ところがだ!世の中では1+1が3になったり、4になったりする事があるんだ』  
『なぜ?どーして?どーしてそうなるの?1+1は2なのに。マリー、わかんないよ。』  
『マリーがそれを分かるには、いーっぱい算数の勉強をしなくちゃなんねーんだ。するか?勉強』  
『……マリー、べんきょうきらいだから、わかんなくていい……』と、サンソンはマリーを煙に巻いたものだった。  
が、当然、今のマリーにはもうその手は効かない。  
「お前は、まだ子供だ!」とサンソンが諭しても「もう、子供じゃない!」と自己申告されて話は堂々巡りし、  
出口は見つからなかった。  
「サンソンが女の人の事で、そんなに悩むところなんて初めて見たよ」  
サンソンの苦悩をよそに、ジャンはくすくすと笑った。  
「こいつにとって、マリーと姐さんは別格さ」  
胸の痞えがようやく取れたハンソンが少しおどけたように言うと、サンソンは、余計な事を言うな、という視線を  
ハンソンに送った。  
送られた視線をハンソンはあさっての方向を見るようにして、わざとらしく逸らした。  
 
「やっぱり、マリーに経験が無いのがいけないのかな?」  
ケーキでお腹がくちくなり、ぐずり始めたジュニアをマリーの部屋で寝かし付け、再びリビングに戻ったナディアに、  
マリーは待ち構えた様子で問いかけた。  
「マ、マリー?」  
マリーの突拍子もない問いに、ナディアは面食らった。  
「ほら、よく言うじゃない?遊び人は処女には手は出さないって」  
「そんな事、どこで覚えてくるの!」  
「雑誌とか、小説とか、あと、独自調査!!」  
マリーは人差し指を立てながら得意気な顔をした。  
「……どんな調査よ!まったく、マリーは昔っから耳年増なんだから!!」  
ナディアはあきれた様子でマリーを見た。  
「でも、サンソンも遊び人だもん……」  
「その事と、マリーの言っている問題とは関係ないと想うけど?それに、遊び人っていうのはマリーと婚約する  
前の話で――」  
「甘い!!」  
バンッと、再び両手でテーブルを叩き、マリーは口調を強めて言った。  
「サンソンはね!あまた咲く花々を端から手折りまくってきた男よ!きっと、マリーみたいな未熟な女じゃ  
物足りないのよ!!だから――」  
「マリー!!本気でそんなふうに思っているのっ!?」  
マリー以上に荒げたナディアの声が、マリーの言葉を遮った。  
 
「だって……」  
ナディアの語気の強さに驚いて、マリーはしょんぼりと俯いた。  
「サンソンさんはね、きっと、マリーが大人になるのを待っているのよ」  
ナディアはテーブルの上で握られたマリーの手に自らの手を重ねて、優しく言った。  
必死の目をしたマリーの訴えがナディアに向けられる。  
「じゃあ、教えて……どうしたら大人になれるの?自分は大人になったって、いつ、どういった時に分かるの?」  
「そ、それは……」  
さすがに、ナディアも返答に詰まった。  
女という生き物は、普通、子供から少女へ、少女から娘。そして大人の女へと、順に変化を遂げて行くものだが、  
一番、光輝くであろう娘時代を飛び越えて、いきなり女になってしまうのは、いくら何でも勿体無い。  
サンソンもそう考えて自重しているのだろうと、ナディアは思った。  
でも、それは、その時代を過ぎた者の感傷であって、渦中にいるマリーにそれを理解しろというのは、  
無理な話なのかもしれない。  
それに、マリーはその先にあるものを既に見つけてしまっている。サンソンという共に生きてゆく存在を……  
だからといって、マリーの希望に諸手を挙げて賛成はできない。マリーはまだ、十五歳なのだから。  
何とか解って貰おうと、ナディアは慎重に言葉を選んで伝えた。  
「そうね、物事や自分の言動に責任が取れる事。そして、それに対する覚悟を持つ。それが、大人ってものよ」  
 
 
「大人の定義ねぇ……」  
ハンソンは何かを探すような視線を、空に投げながら呟いた。  
「そういえば、『あの時は子供だった』と思う事はあっても『あの時から大人になった』って思う事は無いなぁ」  
ジャンは自らの経験を思いなぞるように言った。  
「大人っていっても、心の大人と身体の大人があって、同時に大人になるわけでもないし。  
まー、だいたいにおいて、心より身体の方が大人になるのが早いけどな」  
ハンソンの言葉に、サンソンは肩を落として項垂れた。  
実際、童顔ゆえの多少の幼さは残るとはいえ、すらりとした伸びやかな手足、身体の線のひとつひとつが  
丸みを帯びた細くしなやかなマリーの外見は、大人の女性の何者でもなかった。  
そして、その事がよりいっそうサンソンを悩ませた。  
「そ、そーいえば、ジャン。お前にもあったなぁ『僕は子供じゃない!!』って言ってた頃がさ」  
サンソンの落ち込みを見たハンソンは、話の矛先をジャンに向けた。  
「あったねぇ」  
ジャンは懐かしむように思い返しながら言った。  
「あの時は、サンソンには『大人なら自分の事は自分でしろ』って言われて、ハンソンには『子供は大人を頼れ』  
って言われて……結局、ハンソンに頼ってオートジャイロを完成させて……あの時、僕はまだ子供なんだって  
思い知ったよ。でもさ、今、マリーは当時の僕と同じ年齢になったけど、あの時の僕よりもずっと大人だと思うよ」  
 
「……そうか?」  
サンソンは項垂れていた頭を上げて、ジャンに訊いた。  
「うん。だってマリーは一緒に歩いていくべき人を見つけて、そのための行動を起こしたじゃない。  
マリーにしてみれば怖かったと思うよ、今までのサンソンとの関係をひっくり返す事になるしさ。  
でも、自分の想いが確かだと思ったから、サンソンに好きって言ったんでしょ?もし、サンソンに拒絶されても  
それをも受け止める覚悟で……それって自分の出来る事と、出来ない事を考えて起こした行動じゃないの?」  
「そうだな……」  
事のいきさつの一部始終を、側で見守っていたハンソンが言った。  
確かに、マリーに想いをぶつけられたサンソンが、悩みに悩んだ末に、自分にとってマリーはかけがえのない  
存在だと気付き、マリーにそう告げた時、マリーは泣いた。どうしようもなく怖かったと言って泣いた。  
 
「……怖いのは俺の方だ……」  
サンソンはそう呟いて続けた。  
「マリーはさ、俺にとって眩しすぎるんだよ。……こう、今のままのマリーを硝子で出来た宝箱の中に大事に  
しまっておきたいって気持ちがあってな、あいつの羽を俺みたいな人間が毟るなんて、そんな空恐ろしい事は  
出来ねえって……」  
サンソンは膝の上で丸めた手の平に愛おしそうな視線を注いだ。  
「……宝箱……羽……サンソンって、案外、ロマンチストなんだ……」  
ジャンは驚いた様子でサンソンを見た。  
「まっ、こいつはガキの頃から、そういうところはあったけどね……ホント、変わんないねぇ……」  
竹馬の友であるハンソンがしみじみとそう言うと、サンソンは決まり悪そうに嗤った。  
「でも、マリーは宝箱の中に入れておいて欲しいなんて思っていないと思うけどな……」  
ジャンの言葉を聞いて、サンソンの脳裡にマリーの青い瞳が浮かんだ。  
 
マリーは幼い頃から髪を触られるのが好きだった。  
サンソンの大きな手で、髪をわしゃわしゃと掻き混ぜるように撫でると、きゃっ、きゃっと言って喜んだ。  
今でも、さながら櫛のように手で髪を梳いてやると、マリーはまるで満足気な猫のようにサンソンの運指を楽しみ、  
手の平に頭を摺り寄せて、昔と変わらぬ笑顔をサンソンに向ける。  
そして、マリーがねだるままにキスをしてやり『はい、ここまで』と、サンソンが線を引くと、マリーの青い瞳が  
責めるようにサンソンを見つめる『どうして?』と、急に大人の女の目に変えて。  
子供と大人のスイッチを無意識のうちに切り替えるマリーに、サンソンの想いも釣られるように揺れ動く。  
――いつまでも、このままで  
いや、いっそこのまま――  
(人の気も知らねーで……)  
サンソンは手の平にマリーの髪の感触を思い出した。  
そして、いつもそうするように唇に運んだ。  
するはずのないマリーの、髪の香りがしたようにサンソンは思った。  
「……ソン……サンソンっ!!」  
ジャンの声にサンソンは、はっと、我に返った。  
「何、ぼーっとしてるのさ、仕事、始めるよ!」  
資料を手渡しながら、ジャンは不思議そうにサンソンを見た。  
「ああ、悪りぃ……」  
サンソンは未だ夢から覚めないように、手渡された資料に視線を落とした。  
「……早くコレを終わらせないと、愛しいマリーの元へは帰れないよ」  
サンソンの手元の資料を指先でとんとんと叩いて、ジャンは全てを見通すように、にやりと笑いながら言った。  
「お前も言うようになったモンだ」  
心の内を覗かれたサンソンは悔し紛れに呟くと「いつまでも、子供のままじゃないからね!」  
ジャンはそう言って、また笑った。  
 
 
「……責任……覚悟……」  
マリーは俯き、神妙な顔でナディアの言葉をなぞると、弾かれたように顔を上げた。  
「それなら大丈夫!だって、マリーはサンソンが好きって事に関しては、どんな責任でもとるつもりでいるもん!  
それだけは自信あるもん!!」  
ほころぶような笑顔をナディアに向けて、マリーは、そう、はっきりと言い切った。  
「マリー……」  
迷いのない笑顔を目の当たりにして、ナディアはマリーに出会った十年前の事を、昨日の事のように思い出した。  
――ネオ・アトランティスに殺された両親の墓の前で、自分に縋って泣いた小さなマリー。  
――キングと一緒に走り回っていた小さなマリー。  
そんな、幼かったはずのマリーが、恋を知り、想いを育て、実らせ、自分の目の前で愛を語る。  
輝くような娘になって……  
(いつの間に、こんなに大きくなったのだろう?)  
ナディアはマリーを見つめ、その中に幼い頃のマリーの姿を探してみた。  
そして、辿り着いた幼いマリーの面影と一緒に、その傍らにいる少女だった頃の自分の姿をも見つけて、はっとした。  
(そうね、あの私が母親になるくらいだものね……何が起こっても不思議じゃないわね)  
ナディアは、ふふっと、小さく笑った。  
「ナディア?」  
マリーを見つめたまま押し黙ったナディアに、マリーが心配そうに声をかける。  
「……マリーの好きになさい」  
「え?」  
「マリーの思うとおりにしなさいって、言ったの」  
「本当!?」  
「ええ、でも勘違いしないでね、あなたの味方になったわけじゃないわよ。これは二人の問題なんだから、  
ちゃんとサンソンさんと話し合って――って、ちょっと、マリー!聞いてるの?!」  
ナディアの言葉など耳に入らないといった様子ではしゃぐマリーに向かって「もう!」と、短く文句を言うと、  
ナディアは内心で呟いた。  
――この子はもう十分、大人だわ。  
 
 
新型エンジンの問題点もなんとか解消し、サンソンが家に戻ったのは午後九時を回った頃だった。  
出迎えたマリーが夕飯の必要を聞くと、ジャン達と済ませてきたからいいと言って、サンソンはそのまま  
リビングへと向かいソファーに腰を下ろした。  
マリーはいつものようにサイドボードからウイスキーとグラスを取り出し、作っておいたつまみと一緒に  
テーブルの上に置く。  
「お疲れ様。お仕事の方はどう?」  
「ああ、ジャンのおかげで目星はついた。後は、俺とハンソンでなんとかなる」  
サンソンはシャツのボタンを二、三個外し、ふーっと、安堵したように息を吐いた。  
「良かった。これで、ジャンとナディアはゆっくりとパリ見物ができるわね」  
マリーは嬉しそうに言うと、グラスに注いだウイスキーをサンソンに差し出す。  
「ナディアとゆっくり話しは出来たか?」  
マリーから渡されたウイスキーをぐいっと一飲みして、サンソンはマリーに訊いた。  
「うん。久しぶりにいろいろと話が出来て楽しかったよ」  
「そうか、良かったな」  
「ジュニアも大きくなったわよ。マリーお姉ちゃんって言って凄く懐いてくれて、ホント、子供って可愛いわねぇ」  
マリーはちらりとサンソンの様子を探るように見ると、続けた。  
「ねえ、サンソン。やっぱりマリー、赤ちゃん欲しいなぁ」  
 
(――きやがったな)  
案の定の展開に、サンソンは聞こえなかった振りをして、テーブルの上にあった新聞を取り、開いた。  
「ねぇ、ねぇ」  
マリーはサンソンの足元に座り、両手でサンソンの膝をがくがくと揺らして、自分の話を聞くように促す。  
「だーめーだ!!」  
新聞から目を逸らさずにサンソンは応えた。  
「どーして!」  
「何度も言わせるなよ。お前はまだ子供だからだ!」  
「ホント、何度も同じ事。サンソンったら芸がないわよ」  
「なくて結構!」  
サンソンはけんもほろろといった調子で言い放った。  
「ねえ、サンソン。ここはさ、もう少し建設的かつ合理的に、現実を直視して考えてみない?」  
「どういう事だ?」  
サンソンは思わず新聞を閉じてマリーを見た。  
「マリーとサンソンの年齢差は?」  
「二十三」  
何を今更、とばかりにサンソンはマリーの問いに答えた。  
「そう、二十三歳違うの!マリーがサンソンの言う大人になるのを待ってたら、何年先になるか分からないし、  
その後に子供を作っても、その子が成人するまでサンソンが生きてるとは限らないじゃない?」  
「……勝手に殺すなよ」  
マリーの現実的な妄想にサンソンはげんなりとした様子で呟いた。  
「だからね!そうならないためにも早めに作った方がいいと思うのよ!」  
「そんな心配しねーでも、お前らが食うに困らないだけのモンは残すし、ハンソンや姐さん。それに、ジャンと  
ナディアもいるから安心しろ」  
「そーゆー問題じゃないわよ」  
言いたい事はそれだけか?という視線をマリーに投げると、サンソンは再び新聞を開いて読み始めた。  
 
やがて、くすんと鼻をすする音がサンソンに届いた。  
サンソンは新聞から少し目を外して足元に目をやると、マリーが両手で顔を覆い、しくしくと泣いている。  
「……ひどい。サンソンったら、マリーに一人で子供を育てろっていうのね……」  
「……マリー……」  
マリーのさめざめと泣く姿を見て、サンソンはしんみりした口調で呟くと、おもむろに視線を新聞に戻して、  
いつもの声柄で言った。  
「嘘泣きは、やめろ……」  
泣き声がぴたりと止んだ。  
「ちっ!ばれたか!」  
マリーは顔を両手から離し、少し横に逸らすと、呻くように呟いた。  
サンソンはふんっと鼻を鳴らして「お前の手なんぞお見通しなんだよ」と、せせら笑った。  
少しの沈黙が流れて、やれやれ、やっと諦めたかと、サンソンが安堵しかけた時、マリーは再び口を開いた。  
「サンソンはさ、マリーを見て何も思うところはないの?」  
マリーはサンソンの膝に頬を乗せて寄りかかると、つんつんと新聞を引っ張った。  
「なんだ?思うところって?」  
新聞に落とす視線はそのままにして、サンソンはマリーに訊いた。  
マリーは一瞬、口をつぐんだが、やがて、恥じらいを滲ませるように言った。  
「……マリーに対して、キス以上の事をしたいとか……その……抱きたい……とか……」  
新聞があって良かったと、サンソンは思った。自分の顔に動揺が走ったのがよく分かったからだ。  
これまで『赤ちゃんが欲しい、作ろう』などと、漠然とした訴えだけしかこなかったマリーが、  
初めて具体的な事を口にした。  
(正直に答えちまったら、今までの苦労は水の泡。最後だぞ)  
サンソンは焦りを鎮めるように内心に呟いた。  
 
「無いね。お前、まだまだ色気ねーし」  
努めて冷静を装いサンソンは答えた。  
「……やっぱり……」  
怒気を含んだ声に、サンソンは驚いて足元のマリーを見た。そこには、サンソンに向けられたマリーの、  
怒りに燃えた青い瞳があった。  
「やっぱり、サンソンはマリーじゃ物足りないのね!マリーが未熟だから!マリーが処女だから、抱いても  
面白くないって思ってるんでしょう?!ナディアは違うって言ったけど、やっぱり、そうだったんだわ!!」  
「マリー、何、言ってるんだ?お前、ナディアといったいどんな話をして――」  
混乱するサンソンの言葉を押さえ込むように、マリーは続ける。  
「いーわよ!サンソンがその気なら、処女なんて重たいだけのもの、捨ててくるわよ!」  
「す、捨ててくるって!お前!何やらかす気だ!?」  
「その辺の街角にでも立ってりゃ、どっかの物好きが拾ってくれるでしょうよ!!」  
そう言い捨てると、マリーは決然と立ち上がり、玄関に向けて歩き出そうとした。  
「ちょっ、ちょっと待て!馬鹿な事言うな!おい!!」  
サンソンは手元の新聞を放り投げ、ソファーから立ち上がると、部屋を出て行こうとするマリーの腕を掴んだ。  
マリーの動きが止まり、ゆっくりとサンソンを振り返る。  
「……考え直してくれる?」  
振り返ったマリーの目にはもう怒気は無く、むしろ笑みが湛えられていた。  
これ以上ないというくらいに小悪魔的な笑みが。  
――こいつ!!  
サンソンはマリーの腕を放すと、崩れるようにソファーに腰を落とし、項垂れた顔を右手で覆った。  
これは、もう、脅迫だ。と、サンソンは思った。  
「……危険だ……お前は、考え方が危険すぎる……」  
「だって、サンソンがマリーの話しを真剣に聞いてくれないんだもん」  
そう言って、マリーはえへへと、笑った。  
 
マリーの無邪気な笑みを見て、サンソンは段々と腹が立ってくるのが分かった。  
(今まで、どれだけ俺が悩み、我慢してきたと思ってるんだ?誰のためだ?マリー、全部お前のためなのに、  
俺の想いも、苦労も、全然わかっちゃいねぇ!!)  
いくら、惚れた弱みとはいえ、四十に手が届く男が、十五の小娘に振り回されている。  
そんな自分をサンソンは情けなく思えてきた。  
(こいつは、大人を、大人の男を舐めきってる!)  
怒りが沸々と湧き上がり、頂点に達しようとしたその時、サンソンの脳裏にある案が浮かんだ。  
――そうだ、少し、痛い目を見せてやればいい。  
いくら、マリーが頭でっかちの耳年増でも、まだ、十五歳。いざ事に及べば、きっと怖がるに違いない。  
そうしたら、止めてやればいい――  
我ながら妙案だと思ったサンソンは、早速、行動に移した。  
「分かった!!お前の望むとおりにしてやる」  
サンソンは顔を上げると真剣な面持ちでマリーを見つめて言った。  
「本当!!」  
マリーの顔が喜びに輝く。  
「ああ、俺がお前に敵うわけがねーんだ。全てはマリー、お前の望むままに……」  
そう言って、サンソンはマリーの手を取ると、ぐいっと自らに引き寄せた。  
「きゃっ!」  
マリーは短くそう叫ぶと、サンソンの胸に倒れこんだ。  
「ちょ、ちょっと待ってサンソン、このままじゃ……あの……シャワーを……」  
慌てて立ち上がろうとするマリーを逃がさないように、サンソンはきつく抱きしめた。  
「そんなモン、必要ねぇ」  
サンソンが呟く。  
「でも!」  
マリーの願いを無視して、さらに強く抱きしめると、サンソンはマリーの耳元で言った。  
「俺は、ぎりぎりまで我慢したぞ、もう、止まれって言っても止まらねーからな……」  
いつもとは違う声色に、マリーは驚いてサンソンを見上げた。  
――知らない男だ。  
自分の目に映ったサンソンをマリーは直感的にそう思った。  
ごくり、とマリーは自分の息を呑む音を聞いた。  
 
「後悔しねーな?」  
「す、するわけないでしょ!」  
少し動揺しながらもマリーがそう答えると、「上等だ!」と言って、サンソンはマリーを勢いよく抱き上げた。  
「きゃっ!」  
いきなりのサンソンの行動に、マリーは再び小さく叫んだ。  
マリーを抱きかかえて歩き出したサンソンに「ちょ、ちょっと、どこに行くのよ?」とマリーは訊ねた。  
「俺の部屋に決まってるだろ」  
サンソンはそう言うと、リビングを後にした。  
 
リビングから続く廊下。出てすぐ右側にマリーの部屋。サンソンの部屋はその廊下のつきあたりにあった。  
「ほら、開けろよ」  
「えっ?な、何を?」  
サンソンの部屋の前で、部屋の主に抱きかかえられたマリーが聞き返した。  
「ドア。俺、手が塞がってるからよ」  
「あ、ああ、そ、そうね」  
マリーは弾かれたようにノブに手をかけ、ドアを開くと、蝶番がこすれて微かに軋む音がした。  
サンソンはマリーを抱きかかえたまま、部屋へと足を踏み入れる。  
薄白い月明かりが窓から差し込み、部屋の中を仄かに照らしていた。  
机の上には書類が散らばり、椅子には昨日着ていたサンソンの服が無造作に掛けられている。  
(そういえば、今日はナディアが来てたから、お掃除できなかったんだっけ……)  
なぜか、そんな事を思い出しながら、マリーは、ぼーっと部屋の中を見回した。  
ふいに、部屋の中央にあるサンソンのベッドが、マリーの視界に飛び込んできた。  
――ばくんっ。と、わけもなく心臓が波打ち、マリーは思わずベッドから視線を逸らした。  
(どうしたのマリー?いつも見てる部屋、いつも見てるベッドじゃない!落ち着くのよ!本だって色々と  
読んだじゃない!大丈夫!大丈夫よ、きっと……)  
平常心を保とうと、マリーは必死に内心に繰り返し呟いたが、思えば思う程、身体がくっと硬くなるのを  
感じて思わず目を閉じた。  
緊張は、マリーを抱きかかえているサンソンにも十分すぎるほど伝わっていた。  
(こりゃ、思ったより音を上げるのは早いかもしれなねぇな)  
サンソンは心の中で密かに笑った。  
 
サンソンはマリーをベッドに仰向けて静かに下ろした。そして、自らもベッドに上がるとベッドはぎしりと軋んだ。  
マリーの傍らに身体を横たえ、左肘で身体を支えながら、サンソンは右手でマリーの顎をくいと持ち上げる。  
その動作に、マリーの身体が微かに反応する。そして、マリーはそれまで固く閉じていた瞳を開いた。  
「サンソン?」  
無言で、硬い表情を崩さないサンソンに違和感を覚えたマリーは、思わずサンソンに問いかけたが、  
サンソンは答えず、代わりに荒々しく唇を重ねた。  
「んっ!」  
マリーは反射的に唇を閉ざそうとしたが、サンソンの舌が容赦なく口腔にねじ込まれた。  
「うっ!……んっ!!」  
サンソンの大きな舌がマリーの舌を捕らえ、嬲り、蹂躙するかのように口腔を激しく掻き乱す。  
「くっ…っ!……んっ!…っんん!!」  
息をする事も許さない、食らい尽くす様な口づけをサンソンはマリーに与え続ける。  
(こんなキス……知らない!このキスは、これは――)  
「……サ…ンソ……ン…っ、や――」  
『止めて』と言いかけて、マリーはその言葉を飲み込んだ。  
サンソンは怒っている。マリーはそう感じていた。  
(怒らせて当たり前の事をした。でも、それでもマリーは……)  
マリーは決意をしたようにシーツを握りしめると、サンソンの口づけを、ただ、ひたすら受け容れた。  
「怖いか……?」  
ようやく唇を開放したサンソンはマリーに訊いた。  
荒い息を整えながら、マリーは首を左右に小さく振る。  
「嘘つけ、こんなに身体、硬くしてるじゃねーか」  
「……ちょ…っと、びっくりしただけ……大丈夫……」  
そう言って、マリーはかすかな笑みを見せると、サンソンの頬に手を伸ばす。  
「何、強がりを――」と、サンソンが言いかけた時、マリーの指先がサンソンの頬に触れた。  
指先は微かに震え、驚くほど冷たい。  
その冷たさが、サンソンの頭に上っていた怒りの炎を瞬時に消し去った。  
そして、サンソンは改めてマリーを見た。マリーの瞳には怯えの色が滲み、涙で潤んでいた。  
 
――何、やってんだ!俺は!この、大馬鹿野郎がっ!!  
サンソンは自分自身に毒づいた。  
(マリーが、こいつが引くわけが無いんだ!どんなに怖くても、痛くても、こいつは引かない。  
躊躇いもしない。こいつはもう、肚をくくってる。そんな事は分かっていたハズじゃねぇか!!なのに――)  
マリーを受け止めきれずに、大人気ない方法でマリーを怯えさせてしまった自分をサンソンは恥じた。  
「サンソン?」  
押し黙るサンソンにマリーが問いかける。  
「……怖がらせて、ごめんな……ここまでだ……」  
そう言って、サンソンはマリーの額に優しく口づけると、マリーから身体を離して起き上がった。  
「どうしてっ!?」  
マリーも起き上がってサンソンを見つめた。サンソンはマリーの問いには答えず、続けた。  
「……お前は、自分の部屋に戻れ」  
「嫌よ!!」  
そう叫ぶと、マリーはサンソンの胸に飛び込んだ。  
「どうしてっ!どうして分かってくれないの!!サンソンのバカっ!!」  
マリーはサンソンのシャツを掴み、その拳を押し当てるようにして、俯きながら胸を叩く。  
「マリー……お前、そんなに赤ん坊が欲しいのか?……」  
マリーを胸に抱き留めながら、サンソンは訊いた。マリーの動きが止まった。  
「……違う……」  
マリーは俯いたまま呟いた。  
「違うって、じゃあ、どうしてそんなに急いで――」  
「違うの!赤ちゃんも欲しいけど、違うのっ!!それより、何より、マリーはサンソンが欲しいの!!」  
サンソンの言葉を遮り、マリーは叫んだ。そして、ゆっくりとサンソンを見上げた。  
射貫くようなマリーの瞳がサンソンの瞳に向けられた。  
「マリーはサンソンが欲しいのよ……心も、身体も、全部……」  
揺るぎの無い口調だった。  
「マ、マリー……」  
マリーの瞳に射竦められながら、サンソンは呟いた。  
「急いでなんていない、これがマリーの今の気持ちなの……その気持ちに嘘はつきたくない、逃げたくないの……」  
マリーはシャツを掴んでいた手を離すと、ぺたりと力尽きたように座りこんだ。  
 
「どうしてかな?マリーはサンソンの事になると、すごく欲張りになっちゃう……」  
サンソンを見つめて、マリーは今にも泣きそうな顔で微笑んだ。  
「……困らせてごめんね……でも、お願いだからマリーの事……嫌いに……ならないで……」  
最後は消え入りそうなくらい小さな声だった。  
サンソンは、もう、何も言えなかった。  
これほどまでに自分を求めてくれるマリーの想いに、サンソンの胸は熱くなった。  
思えば、マリーはいつでも自分に対しては真っ直ぐに、恐ろしいほどに真っ直ぐに飛び込んでくる。  
恐れも、迷いも、躊躇もせず、全身で想いをぶつけてくる。  
それに引き換え自分は、年を重ねて身に付いた脂肪のような、大人の分別とやらに支配されて、  
ただ、身動きが取れずにいた。  
何より、マリーの真っ直ぐな想いは綺麗すぎて、世の中の塵芥を浴びた過ぎた自分がそれを受け取るのは、  
大それた事のように思えてならなかった。  
(ざまぁねぇな……)サンソンはそんな自分を嗤った。  
そして、サンソンは自分に問いかけた。お前はどうしたい?今、マリーを抱きたいのか?と。  
――愚問だった。  
いつも心の奥底にあった。それを考えると決まって罪悪感に苛まれた。それが怖くて、今まで目を逸らしていた。  
(マリーを抱きたい。マリーの全てを俺だけのものにしたい)  
いつだってそう叫んでいた心に、サンソンはやっと向き合う事ができた。  
「……嫌いになるわけがないだろうが……」  
サンソンはマリーの頬にそっと手を添えた。  
「……ごめんな。本当に俺は意気地が無くて、お前を泣かせて……こんな俺で、いいのか?」  
「サンソンじゃなきゃ嫌よ……」  
サンソンを見つめるマリーの青い瞳から涙が溢れ、頬を伝った。  
「俺も、お前じゃないと嫌だ……」  
サンソンはマリーを抱きしめ、そして、口づけた。  
先ほどの口づけとは違う、優しく、包みこむような口づけだった。  
サンソンのキスだ――  
マリーはそう思いながら目を閉じた。  
 
月が薄明るく照らす部屋は、かすかな衣擦れの音と吐息が支配していた。  
サンソンはマリーに口づけを与え、服の上から軽い愛撫を贈りながら、身に付けているものを巧みに取り払っていった。  
服の上からは計り知ることの出来なかったマリーの全てが曝け出される。  
シーツの上に横たわるマリーの身体は透けるように白く、胸の膨らみは成熟した果実のような瑞々しさを放っていた。  
ただ、未だ所々に残る細い線が幼さを感じさせて、サンソンの胸を痛くしたが、少女と女が同居しているマリーの  
身体は、妙な艶めきをサンソンに感じさせ、昂ぶりを覚えさせたのも事実だった。  
その中でも、一番、幼気さが現れている鎖骨から肩口を、サンソンは労るように唇を這わせた。  
「ん……ふっ!ぁ…はっ、ぁっ!」  
既に服の上から愛撫を施されたマリーは、全身がむき出した神経のようにサンソンの唇を感知した。  
身体の奥底から湧き出る、蠢くような感覚がマリーの脊髄を駆け上がる。愛撫は耳朶、首筋へと休み無く注がれて、  
マリーは甘い吐息を漏らし続ける。  
その、自分のものとは思えないような声は、激しい羞恥心をマリーに感じさせた。  
「ん…くっ」  
マリーは唇を結び、吐息の溢れ出る口元を手の甲で塞いだ。吐息がくぐもった音に変わる。  
「声、我慢しなくていいんだぞ……」  
「……だっ…て、…はず…かしい…もん……」  
押し寄せる快楽の波に溺れそうな理性を引き戻すように、マリーはなおも唇を固く結んだ。  
「……聞かせろよ……お前の声……」  
サンソンはたわわな白い乳房に固く息づく蕾を指の腹で軽く掻いた。  
 
「う、あぁっ!!」  
マリーは胸をせり上げ、手はサンソンの肩を掴もうと空を舞う。サンソンはその双の手首を掴むと、  
胸を開かせるようにベッドに押し当てた。  
「もっとだ……」  
開かれた乳房にサンソンは交互に口づけを降らし、舌を這わせ蕾を弄った。  
「や、や、……あっ!はぅ…っ……ん、んっ…あっ!!」  
抵抗も空しくマリーの理性は波に浚われ、赤みを増した唇からは荒い息遣いと濡れた喘ぎが洩れる。  
「……それでいい。マリーの声はかわいいな……」そう言うと、サンソンはマリー腕を掴んでいた手を離し、  
双の乳房に這わせた。吸いつくような生肌の感触に揉みしだく手に熱がこもる。  
サンソンはやわやわと乳房を揉みしだきながら、指で蕾を挟み、弄び、もう片方を再び口に含んで舐り回した。  
執拗に蕾を弄られたマリーは凄まじい反応を見せた。  
口の中で、指の狭間で、蕾は更に固くしこり、大きく膨らみを増す。マリーは肩を竦め、顎を逸らし、  
あられもなく身をうねらせ、喘ぐ。  
「や、な…に……これ……ふ…あっ、やっ、もう、あっ、は、ぁああっ!」  
全身を駆け巡り、支配しようとする疼きを掃うかのように、マリーは首を左右に大きく振る。  
刹那に、熱く潤んだマリーの視線がサンソンの視線と絡んだ。ぞくり、とするような嬌羞を湛えた瞳だった。  
サンソンはその瞳に釣られてもたげた、この素直な身体をただ貪り尽くしたい、という劣情を必死で抑えた。  
そして、サンソンはマリーの腿の間に手を滑り込ませた。双の膝が引き寄せられ腿に力が込められる。  
サンソンは左手でマリーの腿を持ちあげると膝から腿の内側を付け根に向かって舌を這わせる。  
「ん、ん、んっ……」  
マリーの腿が小刻みに震えだす。  
 
サンソンの右手は既に潤みを湛えているマリーのそこをまさぐり、息吹始めた芽を探しあて親指の腹で軽く押した。  
「あうっ――!」  
腰が浮き上がりそうになるマリーの脚を、自らの重みで抑え、サンソンは熱く潤んだ襞の中へと指を沈めた。  
「んぁっ!」  
入り込んだ異物の感触を拒むように、マリーは咄嗟に膝頭を合わせて脚を閉じようとする。  
「大丈夫だ…マリー、力を抜いて……」  
サンソンは掌を芽にあて、指を固く締め付けるそこと連動させながら、撫でるようにゆっくりと揉みほぐした。  
「っふ……ふぁ、あ…っぁ……」  
マリーの喘ぎと共に、それまで指を異物とみなして排除しようとしていたそこは、一転して根元まで飲み込もうと、  
貪るように収縮を始めた。  
「……そう、いい子だ……」  
サンソンの言葉に、いつもなら『子供扱いして』と鼻を膨らませて文句を言うマリーだったが、なぜだか今は  
その言葉が心を擽り、昇りくる快感と混じり合い、それは甘い吐息に姿を変えてサンソンに放たれる。  
マリーの吐息を受けて、サンソンはあえかな椿の花を愛でるかのような愛撫を続けた。  
その萼を落としてしまわぬよう、慎重に。  
 
やがて、ぐちゅりと淫靡な水音が部屋に響き始めた。  
「…な…んの…音?」  
吐息の下でマリーはきれぎれに訊くと、サンソンはマリーの手を取り、潤みの源へと誘った。  
「あ…」  
自らに触れたマリーは一瞬、躊躇いがちに手を引こうとしたが、潤みきった状態に驚いた様子でサンソンを見た。  
「なん…で?ど……うして?こん…な……」  
「こんな時まで『どうして?』か?…ん?」  
耳馴れた問いかけに、サンソンは微笑みながら、誘うように自らの鼻をマリーの鼻に摺り寄せた。  
「……だって……」  
マリーは少し顎を揺らしてサンソンの愛撫に応えると、恥ずかし気に目を伏せた。  
「これはな、マリーの準備ができたって証拠だよ……」  
「準…備?」  
「ああ、マリーの身体が俺を欲しいって言ってる。……マリーの中に入ってもいいか?」  
サンソンは少し憂いた表情でマリーに尋ねた。  
マリーはサンソンを見つめながら、内心に言い聞かせるように呟いた。  
――今日までは、このひとの背中を安息の目印として後を追ってきた。  
でも、これからは、傍らに共に並び、生きてゆくために――  
マリーは静かに目を閉じ、頷いた。  
 
サンソンはマリーの頭の側にあった枕を取り、マリーの腰の下にあてがいマリーが楽な体勢を作ると、  
膝を掴んで脚を深く折り込む。  
サンソンは開いた脚の間に身体を割り込ませると、激つ自身を潤む狭間にすり合わせてその滴りを纏わせた。  
初めて感じる硬く熱い漲りに、マリーはびくっと、身を強張らせる。  
サンソンはその緊張を逸らすようにマリーの首筋を舐め上げた。  
「…は…んっ……」  
その感触にマリーが気を取られた隙に、サンソンはゆっくりと腰を押し込こむと、尖端はずるりと  
マリーの中へと分け入った。  
「ひっ!!」  
マリーの背中がびくんっと、跳ね上がった。  
「ぐ…っっ――!あ、う…っく……っ…つ…!!」  
皮膚をつねる感覚とも、切るとも違う痛みの感覚。肉を割られるような身体の内の痛みに、マリーは呻いた。  
固く握りしめられたシーツは持つ手の掌を反し、渾身の力で持ち上げられる。  
サンソンを半分ほど収めたそこは、マリーの意識とは別の意思を持って異物を千切り出すようにきつく蠢いた。  
「マリー、力、抜いて、ゆっくり、息。吸って、吐いて……」  
サンソンの言葉に合わせて、マリーは呼吸を整える。吐き出す息さえも震えた。  
「マリー、愛してる……」サンソンが耳元で何度も囁き、宥めるように手でマリーの髪を梳き、額や頬、  
瞼に口づけを振らせて、マリーが落ち着くのを動かずに待った。  
少し経つとマリーの震える呼吸も段々と治まり、硬く寄せられた眉根が開かれていった。  
サンソンはマリーの強張った壁が少し緩むのを感じた。  
 
「……このまま、入ってもいいか?」  
「…うん…」  
マリーは睫を震わせ小さな声で応えた。マリーの応えを聞いて、サンソンは少しずつ腰を進める。  
十分に潤んでいるとはいえ、初めて異物を受け容れるそこは硬く行く手を阻み、熱い肉壁が自身を締め付け、  
絡みつく。  
「あ、う、…っつ、く…っ……」  
腰を進める度に、マリーの固く結ばれた唇から、耐え切れない声が小さく洩れた。  
その痛みに耐え抜く助けを借りるかのように、マリーはサンソンの首にしがみついた。  
マリーの細腕からとは思えない力が込められた。  
サンソンはマリーの身体の震えを感じながらも、奥底まで自身を沈めた。  
「ふっ」とサンソンが太く息を吐いた。  
「マリー……」  
サンソンは優しくマリーの名を呼ぶと、固く瞑られた瞼にそっと口づけた。  
「……全…部……入っ…たの?」  
マリーはゆっくりと瞳を開きサンソンを見つめると、震える声で訊いた。  
「ああ……全部、お前の中だ……分かるか?」  
マリーは自分の内のサンソンの存在を確かめた。  
「……うん…分か…る……サンソン…が…分かる…よ……」  
「……そうか」  
サンソンはマリーを抱きしめ口づけた。マリーもサンソンの背に手を回す。  
一つになったお互いの身体を確かめ合うように、二人はしばらくの間、抱き合った。  
「……少し動くけど、大丈夫か?」  
サンソンが尋ねると、マリーは頷いた。  
 
「我慢できなかったら言うんだぞ」そう言うと、サンソンはマリーの頭を挟むように両肘を立てて  
身体を支えながら、ゆっくりと腰を動かし始めた。  
硬い壁が徐々に自身に馴染み、サンソンを柔らかく包み込み始めた。  
マリーの首筋や耳朶に愛撫を施しながら、サンソンは少しずつ腰の動きを早める。  
「ふっ、うっ、ふっ、くっ、」  
サンソンの律動に合わせて吐き出されるマリーの吐息が、サンソンの頬に当たる。  
その吐息の感触と、自身にぴたりと吸い付く壁の蠕動が合わさり、サンソンの頭に痺れるような感覚をもたらす。  
ふいに、マリーがサンソンの耳朶を食んだ。  
サンソンは驚いてマリーを見た。  
眉根に少し皺を寄せながら、マリーはサンソンへ微かな笑みを向けた。  
(初めて男を受け容れ、まだ、悦びなど感じ取ることも出来ないだろうに……)  
サンソンはマリーの行為が狂おしいほど愛しく思え、歩き始めた赤ん坊の拙さにも似た愛撫を受けた全身は  
火がついたように昂ぶった。  
「マリー……愛してる…お前だけ…お前だけだ……」  
マリーはサンソンの言葉にただ頷き、サンソンに身を委ねる。  
(こいつの心も身体も俺にしか開かれない。無垢な心も身体も俺だけの――)  
そんな想いにサンソンの心は焚きつけられ、更に律動が早まる。  
そして、蠕動する壁に追い詰められ、極限を迎えたサンソンの目の奥で火花が散った。  
「くっ……っ……」  
サンソンはマリーの中に精の全てを放った。  
自分の内で、自分以外の脈動が刻まれるのをマリーは初めて聞いた。  
 
弾む息をどうにか整え、サンソンはマリーから自身を静かに引き抜くと、薄く紅い痕を見つけた。  
サンソンはぐったりと身体を横たえているマリーの額に口づけると、優しく髪を撫でた。  
「サンソン……」  
荒い息の下で、マリーはサンソンに向かって腕を伸ばす。  
サンソンはその腕に惹かれるようにマリーに向かって身体を屈めると、マリーはサンソンの首に手を回して  
自らに引き寄せた。サンソンの身体がマリーに重なる。  
「……少し、このままでいて……」  
「重くないか?」  
「うん……サンソンに溶けていくみたいで……気持ちいい……」  
マリーは自分に重なるサンソンの重みが、触れ合う肌の温もりが嬉しかった。  
サンソンはマリーを軽く抱きしめた。  
「……身体、大丈夫か?」  
「……ん……なんとか……」  
「すまんな……」  
サンソンはマリーの頭を撫でながら詫びた。  
「なんで謝るの?私がどうしても!って、我儘を言ったんだもん……それに、私、嬉しかったよ……」  
マリーはサンソンを見上げながら微笑んだ。  
その微笑が此の上も無く愛しく、サンソンはマリーの唇を軽く啄ばむと言った。  
「いいか、マリー。お前が欲しいって言うなら命だってくれてやる、俺の心も身体も全部、マリー、お前のものだ。  
それだけは、忘れるなよ……」  
サンソンを見つめる瞳を潤ませながら、マリーはこくりと小さく頷くと、  
「……私の心も身体も、全部サンソンのものだよ」そう言って、マリーはサンソンの頬に手を添えた。  
「知ってるよ……痛いほどな……」  
頬に添えられた手を握り、サンソンは再びマリーの唇に口づけた。  
体温と鼓動をお互いに預けて、二人は打ち寄せる眠りの波にのまれていった。  
 
 
「……ここ、どこ?……」  
いつもと違う風景にマリーは覚めやらぬ意識の中で呟いた。  
「悪りぃ、起こしちまったな」  
聞き覚えのある声にマリーは声の主を探すと、ベッドの脇にあるクローゼットの前で身支度を整えるサンソンの  
姿が目に映った。  
マリーはどうしてサンソンがいる部屋で自分が目覚めたのか、未だ覚めきらない頭で考えを巡らせた。  
(そうだ、昨日、サンソンと――)  
昨夜の出来事を思い出して急に気恥ずかしさが襲い、マリーは毛布を目の下まで引き上げてサンソンに問いかける。  
「どうしたの?こんなに早く、今日は日曜日だよ?」  
「仕事さ。昨日の続きだ。週明けには間に合わせねーといけなくてな。まあ、ジャンのおかげで後は楽なモンだ」  
「……そう、お仕事……」  
サンソンの言葉をなぞると、マリーは一気に目が覚めた。  
「たいへん!!朝ご飯の支度しなきゃ――」  
マリーは慌ててベッドから飛び出した。立ち上がった瞬間、膝が笑った。  
「きゃっ!」  
膝から身体が崩れ落ちそうになって、マリーは小さく悲鳴を上げる。  
「バカ!!」  
サンソンは咄嗟にマリーの腹に腕を回して、抱え上げるように身体を支えた。  
「あ、足に力が入らない、何?これ?」  
マリーは自分を支えているサンソンの腕にしがみつきながら、目を白黒させている。何とかマリーを支える事が  
できたサンソンは、ふーっと溜息をついた。  
「昨日の今日だ、無理するなって……」  
「そっか……昨日の……夜の……」  
マリーは自分の身体に起きている異変の理由を理解した。  
 
「ところで、お前は今、自分がどんな格好か分かってるか?」  
サンソンは意地悪気にマリーに訊いた。  
「えっ?」  
サンソンの言葉に、マリーは自らの身体に視線を向けた。  
「きゃあっっ!!」  
一糸纏わぬ姿でサンソンに支えられている事に気付いたマリーは、思わず叫んだ。  
きゃあ、きゃあと、サンソンの腕を抱え込むように身体を丸めて騒ぐマリーを、サンソンは片腕でひょいと、  
すくい上げるように抱えると、そのままベッドの上に下ろし、頭から毛布を被せた。  
みの虫のように毛布に包まり、顔だけ出したマリーが言った。  
「見たでしょ!?」  
「ああ!ばっちり!!」  
サンソンはくくっと笑った。  
「もう!サンソンのバカっ!!」  
「今更、何言ってんだ」  
「それはそれ!これはこれよ!」  
頬を染めた顔だけを毛布から出して、マリーは拗ねるように言うと、サンソンは両手を上げ、へいへい分かりました、と言わんばかりの仕草をしながら笑った。  
「まあ、とにかく、今日は休んでろ」  
「でも、朝ご飯は?」  
マリーが心配そうに訊く。  
「んなモンは適当に食っていくから心配すんな!」  
そう言って、サンソンは部屋のドアを開けた。  
「いいか!大人しく休んでるんだぞ!!」  
サンソンはもう一度、念を押すと部屋を後にした。  
 
簡単な朝食を済ませ、サンソンは出掛けようとソファーにかけてあったジャケットを手にした。  
「サンソン」  
自分を呼ぶ声に振り向くと、サンソンのシャツに身を包みリビングに入ってくるマリーの姿が目に入った。  
華奢なマリーにサンソンのシャツは大きく、肩幅を余らせ、袖からは指も出ず、裾はマリーの腿の辺りまで覆っている。  
「ったく、寝てろって言っただろが」  
「だって、まだ、おはようのキスも、いってらっしゃいのキスもしてないもん」  
マリーはシャツの袖をぶらぶらと揺らしながら、ねだるような視線をサンソンに送る。  
「そうだったけ?」  
サンソンがとぼけたように訊くと、「そうよ」と言ってマリーは頬を膨らませた。  
「へい、へい。そーでした」  
サンソンは笑いながらマリーの腰に手を回して抱き寄せ「おはよう」と言って、マリーの唇に口づけを贈った。  
要求が叶い、マリーは満足気な笑顔をサンソンに向けると「ねぇ、私、今日から一緒のベッドで寝てもいいのよね?」  
と尋ねた。「もちろん」と、サンソンはにこやかに応じた。  
「じゃあ、行ってくる」  
サンソンはジャケットの袖に腕を通しながら、マリーの額に口づけると玄関へ向かった。  
「いってらっしゃい」  
マリーはドアの向こうに消えるサンソンを見送った。  
アパートの階段を降りるサンソンの足音にマリーは耳を傾ける。  
そして、その音が耳に届かなくなるのを確認すると「さて、もう一眠りしようかな」そう言って、  
マリーは胸を張るように腕を広げて身体を伸ばした。  
「いっ、たたた……」  
体中の筋肉が悲鳴を上げ、マリーはその場に固まった。広げた腕をゆっくりと戻し、はぁ、と溜息をつきながら  
「どうにかならないものかしらね、この痛み……」マリーはそう独りごちると、よたよたとおぼつかない足取りで  
サンソンの部屋へと戻っていった。  
 
アパートの階段を降り、エントランスと出ると、朝の陽光がサンソンに降り注いだ。  
昨日となんら変わる事の無い陽光と、すがすがしい空気がサンソンを包む。  
昨夜の出来事は自分達にとっては一大事だったが、世の中はそんな事に構いもせずに、変わらぬ佇まいを  
見せているのがなぜか可笑しくて、サンソンはくすと笑った。  
そんなモンだな。と、思いながらも、昨夜の出来事を知る由も無いハンソンが、繰り広げられたであろう  
攻防戦の状況を尋ねてくるに違いない事は確かで、サンソンはどうやってそれを躱そうかと思案したが、  
良案は浮かばなかった。  
「まっ、何とかなるか」考える事を諦め、サンソンはそう言うと、いつもの道を歩き始めた。  
 
今までと同じように見えても、少し違う二人の暮らしは、まだしばらく続きそうだ。  
 
終わり。  
 

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