暖かい土曜日の午後、セーヌ川へと繋がる狭い運河に沿って、年のころは13・4歳の初々しい少年と少女が歩いていた。  
歩道は整備されておらず、人通りなどまるで見当たらない運河沿いの小道。  
その先に船を通すため運河の水位を調整する堰が見える。周りには広葉樹の小さな林が広がっていた。  
 ・・ふわっ・・  
穏やかな風が少女の髪と胸の赤いリボンをそよがせる。少女は胸に手を添えてくすぐったそうに微笑む。  
横目でその様子を覗き見ていた少年は堰に差し掛かると立ち止まった。  
「・・・マリー・・・」  
少女の背に少年の手がまわる。  
マリーと呼ばれた少女は、少年の逞しさとは程遠い胸へと抱き寄せてられてゆく。  
幼さをありありと残す身体が少年に絡め取られる。少女はそのまま胸に顔を埋めた。  
くっと抱きしめられて少女は顔を上げ、爪先立ちになって瞳を閉じた。  
柔らかさを残す手がマリーの頬に触れる。  
そっと首をかしげると、少年の唇が少女のふっくらとした唇をついばむ。  
少年の舌がマリーの唇を濡らす。そのまま舌を割り入れるように舐める。  
少女は求めに応じて、おずおずと唇を開いた。  
「・・・んっ!・・」  
マリーの口腔を少年の舌がねっとりと這う。  
誘うかのように少女の舌をまさぐる。  
マリーの身体が火照り始めた。  
少年の背にまわしたてに力がこもる。  
少女は舌を絡み合わせた。  
・・・ちゅぷっ・・くちゅっ・・じゅっ・・・  
淫靡な水音が少女の心を捉え惑わせてゆく。  
少年は唇を離すとマリーの手を握り、広葉樹の林へと分け入った。  
 
「・・あっ・・・だめ・・・」  
刈り取られた麦の落穂を拾う小鳥達が、何事かと林へ顔を向ける。  
かさかさと、落ち葉を踏みしめ乱す音。  
そして衣擦れの音。  
少年の手がマリーの衣を解いてゆく。  
クリーム色をした薄手のカーディガンが梢にかけられる。  
しなやかに伸びた太股を少年の手が這う。  
やがて緑に赤のチェックが入ったフレアスカートの留め具がはずれ、ふわっと足元へ落ちる。  
ブラウスの上から薄い胸が揉みしだかれ、撫であげられた。  
赤いリボンがとかれ、白いブラウスのボタンが一つ、また一つと外されてゆく。  
そして今マリーが纏うのは、ゆったりとしたキャミソールとフリルを飾ったショーツのみ。  
(ここで・・しちゃうのかな。あたし、それで良いのかな・・)  
そんな疑問が少女の脳裏をよぎる。  
だが、そんな事には構いもせずに少年の手がキャミソールの中に潜り込んだ。  
脇から背へと乱暴に手が這い進む。  
拙い性急な愛撫。  
それは、いまだブラを付けていない薄い乳房へと移る。  
固い乳房を強引に握られた。  
「っ!・・・・やぁ・・・痛いっ・・」  
鈍く、そして身を竦めるほど強い痛みに、マリーは声を上げた。  
少年は慌てて手を広げる。  
だが愛撫を緩めようとはせず、指の腹でクリクリと乳首を転がす。  
先ほどの痛みは引いていない。少年の指が動くたびに辛さでビクビクと身体が跳ねる。  
それでも小指の先ほども無い小さな乳首が固く起き上がってゆく。  
「んっ!・・・もっと、優しくして・・」  
首をすくめ、身をよじらせて痛みを逸らし呟く。  
少年はゴクっと喉を鳴らした。  
 
「ご・・ごめん・・・えっと・・・これくらいかな・・」  
指を離し、手のひらで触れるか触れないかのところで、すうっと撫であげられた。  
でも心地良さは訪れなかった。  
「・・うん、だいじょうぶ・・」  
想像していたのとはまるで違う。  
マリーは少し戸惑いながらも、少年を拒みはしなかった。  
柔らかな触れかたで、手が下へと降りて行く。  
少年の足がマリーの太股をわり開く。  
不安がつのり、少女は後ろへ下がる。  
ブナの幹に背を取られて逃げ場をなくすと、少年は覆いかぶさってきた。  
キャミソールをたくし上げられて乳房があらわになり、薄桃色の乳首を唇でついばみ舌で転がされる。  
あまりにも性急な行為。  
マリーは少年の肩に手を押し当てあがらう。だが簡単に押し退けられてしまった。  
そして抵抗されたことが悔しくて、彼は乳首から唇を離し少女に深く口付けた。  
舌がマリーの口を舐る。強引に舌を絡められてしまう。唾液が流し込まれる。  
コクンと少年の唾液を飲み込むと、彼は満足そうに唇を離し、再び乳房へと顔を近づけた。  
そして片手をマリーの内腿に這わせ、すっとショーツへと摺り上げる。  
彼にとって、はじめての女のところ。幼くて、まるで熟していない少女のそれ。  
固く閉ざして何の準備も整っていない場所に、少年の指が辿りついた。  
ショーツの上から秘裂に沿って撫でられる。  
ひくっと身体が振れる。  
「・・あっ!・・」  
小さく喘ぎ声が口から漏れてしまう。  
少年の愛撫が激しさを増してゆく。  
 
再び乳首が唇に含まれ、舌で舐められ、そして吸いたてられる。  
「んっ!・・ふぁ・・・やぁ・・」  
今までとは違い、思わず身が震えてしまった。はっきりと喘ぎ声をあげてしまった。  
マリーは口元に手を当てて声を押し留める。  
そのあいだにも、少年の愛撫は進んでいた。  
でも快感とは感じられなかった。身体は確かに反応している。それでも彼女自身は心地良いと思えなかった。  
マリーは違和感を感じる。  
少年のことを好きだと思っていた。少なくとも、憎からず思っていたはず。  
それなのに、彼の手の動きや体の重みがまるで嬉しくない。  
戸惑いともちがう、この気持ち。  
だんだんと大きくなってゆく違和感。  
マリーの心は混乱を極めていた。  
 
そのとき、少年がショーツの中に手を挿し入れてきた。  
指を女の場所に当て、押し開くように潜り込ませようとした。  
  くちゅっ  
秘所に小さな水音がたつ。  
(・・・濡れてるの? いまの、あたしの音? 淫らな音。いやらしくて恥ずかしいあたし。何でこの子に見せてるのかな)  
ぶるっと身体が震えた。  
少年との行為が醜悪なものに思えて、身体中に悪寒が走った。  
「・・・こんなの・・違ってる・・・」  
我知らず、拒否の言葉が口をつく。身を丸くして少年の愛撫を拒む。  
「マリー、どうしたの?」  
手を取り、尻を撫であげ、もう一度身体を開かせようとする少年。  
 
「やめてよ! もう触らないでっ!」  
マリーは少年の手を払いのけ、たくし上げられたキャミソールを戻す。  
そして白いブラウスを拾い上げ、それで胸元を隠した。  
これからという時に拒まれた少年は、やり場の無くなった性欲と失った面子の行き場をマリーに向ける。  
「なんだよ、急に! マリーだってその気なんだろ? だったら良いじゃないか!」  
あどけない肢体を湿った落ち葉の上へと強引に押し倒し、少年はマリーの胸を押さえ、下着の肩紐をずらし、初々しい乳首を吸い、転がし、そして噛む。  
細く白い足を押し開き、ショーツを毟り取ろうと白く薄い生地に手を掛ける。少女がバタバタと足を振ってもがくので、膝に体重を乗せて太股を押さえて無理矢理細い足を開き、もう片方の膝をショーツに押し当てて撫で上げた。マリーは女の部分だけは守ろうと必死に暴れた。  
少年は手を尻にまわして力ずくで揉む。もう愛撫などではなかった。それは力任せに握りしめるだけの行為だった。  
ついに少年はガチャガチャと音を立て、片手で不器用にズボンを脱ぎはじめた。無理な姿勢ながらも指でショーツの上から少女の秘裂をまさぐると、グチュグチュとそこが音を立てた。  
だが、その音はマリーの中の何かを弾けさせる。悲鳴・・否、絶叫が少女の喉を吐く。  
「やめてよ、気持ち悪いよ、やだよ、やだ、やだ、いやなの、絶対にいやーーーーっ!」  
聞いたことも無い拒絶の言葉、そして絶叫に少年は怯む。  
その隙にマリーは全身をバネのように動かして少年の体から離れた。  
ブラウスを胸元にあて、スカートを拾い上げ、そのまま走り出す。  
一刻も早く少年のいない場所へ行きたかった。なにより早く家に帰りたかった。  
必ず助けてくれる父親・・・何があろうと絶対に守ってくれる男が待つ場所へ帰りたかった。  
 
 
運河沿いの小道をはなれ、少年が追いかけてこないのを確かめると、マリーは下着姿の自分に気付く。  
木立の影に隠れて、ブラウスとスカートを身に付け、ほこりを払って髪を整えた。  
それでも服は泥に汚れて、髪はバサバサ。何かあったことは一目瞭然だ。  
マリーは思う。今日のことはお父さんに知られたくないと。  
他の誰に知られても構わない。町中の人が知っていても良い。  
だけど、お父さんだけには絶対に知られたくない。  
そう思うと、嗚咽が込み上がりそうになる。マリーは唇を固く結び、家路を急いだ。  
 
 
(良かった・・・お父さん出かけているみたい)  
ようやく辿りついた我が家には、幸いなことに父親がいなかった。  
急いで湯を沸かし、汚れた服と下着を脱ぎ捨てる。  
お湯の沸くまでの間に水を張った桶へ服を浸し、少し多めの洗剤で生地を痛めないよう丁寧に泡を立てながら洗う。  
(白いブラウスに赤いリボン。そしてチェックのフレアスカートにクリーム色のカーディガン。お父さんと一緒に選んだ服。  
お父さんが可愛いと言ってくれた組み合わせ。明日、カーディガンを取りに行かなくちゃ・・・)  
本当は、こんな服捨ててしまいたい。少年に脱がされた服なんて見たくも無い。  
でも、マリーにはどうしても捨てられなかった。  
素裸の自分の身体を見る。  
そこかしこに傷や痣が残っていた。たまらなく汚れているように思えてならなかった。  
洗い終わった服を陰干しするころ、バスタブに湯が満ちる。  
少女は急いで湯に浸かり、身体中を洗う。  
少年に触れられたところ全てを洗い流すように、二度三度と身体の隅々まで洗い流す。  
髪も三回洗った。油気が抜けてしまい、パサパサとしている。  
歯も磨く。少年の舌の感触が蘇ったのか、しきりにうがいを繰り返している。  
そして全身を磨き終えた。バスタブはすっかり泡だらけになった。  
それでもマリーは自分が汚れているように思えていた。  
浴室の窓から射し込む陽の光が紅く色付きはじめていた。  
 
「ただいま。マリー、帰ってるか?」  
(お父さん!どうしよう、お父さん帰ってきちゃった・・・きっと、あたしが変だって気付くわ)  
隠れる場所を求めて、マリーはあたりを伺う。  
「・・おかしいな、戻っていると思うんだが」  
バタン・・・バタン・・・バタン  
父親は家中のドアを開いて娘を探し始めた。  
「マリー・・・おい、マリー・・・・」  
 ・・カチャ・・  
小さな金属音が廊下から聞こえたような気がした。なぜか、遠い昔どこかで聞いた音のように思えた。  
「まだ帰ってないのか? 仕方が無い、外を探すか」  
・・・ぎいっ・・・・バタン・・・  
そして玄関のドアの音。  
 ちゃぽんっ  
安堵した少女は湯の中に頭まで浸かった。  
(あたし、何やってるんだろ)  
マリーは湯の中で目を開けて、ぼおっと水面の泡がはじけて行く様を見つめる。  
・・・カラ・・・・カラ・・・・カラ・・・・  
脱衣所の引き戸がゆっくりと開き、からからと静かにドアの動く音がした。だが頭まで湯に浸かるマリーには何も聞こえない。  
「・・・ああ・・良かった・・・ここにいたか・・・」  
ダークグレーのスーツが濡れるのも厭わず、バスタブの横に父親が座る。  
彼は手にしていた重量感のある金属塊をベルトの間に押し込むと、いまだ自分に気付かない娘を見つめ、悪戯っぽく笑う。  
「こら・・・足が見えてるぞ?」  
ちょんっ、ちょんっ、と娘の膝を指先で突付く。  
「ひゃあっ!」  
 じゃぶっ  
マリーは悲鳴をあげながら、慌ててバスタブの中で立ち上がった。  
「おいチビ。なんで居ないふりなんかしたんだ?」  
バスタブに腕を持たれかけながら父親はマリーを見上げる。少女は訳も分からず、微笑を浮かべる父親に視線を向けた。  
「きゃっ、お父さん!」  
両手で乳房を隠し、再びバスタブに身を沈める。  
父親は苦く笑うと、マリーの額に手を当て、顔にかかる髪を左右に分けて整えた。  
 
バスタブの中で全身を赤く染め、身体を丸めて恥じる娘。  
その様子がどうにも可愛くて、サンソンはマリーの頭に手を伸ばしてグリグリと撫でる。  
「あっ!」  
娘は小さく驚きの声をあげた。  
気持ち良かったから。  
ただ頭を撫でられただけなのに、少年の愛撫とは比べられないほど心地良く、そして安心できたから。  
「サンソン」  
ぽつりと少女が呟く。  
瞳が潤み、涙がぽろっと零れた。  
その涙を父親は歯を食いしばりながら見つめる。  
バスタブから立ち上がった娘の首筋や乳房そして太股に残る痣のような痕に気付いていたから。  
だが娘の前で取り乱したくはなかった。だから無理に平静を装う。  
「マリーに名前で呼ばれるのは久しぶりだな。どうしたチビ・・・今日のデートで彼と喧嘩でもしたのか?」  
父親は太い指で2年前から伸ばし始めた髪をくしけずり、涙を拭う。それから頬をムニムニと悪戯する。  
マリーは頬に添えられたサンソンの手に自分の手を重ねた。  
ごつごつした男の大きな手。一番安心できる大好きな手。少女は頬をサンソンの手にすりよせる。  
もう大丈夫、お父さんの傍にいれば怖いことなんか無い。そう思うと喉が震え、涙が瞳からあふれ出てしまう。  
「・・ぅっ・・ぁぁぁ・・うあぁぁぁぁぁぁっ・・・・」  
とても堪えきれず、マリーは裸のままサンソンに抱きついて、子供のように泣きじゃくった。  
「大丈夫、オレが付いてるだろ。恐くない、もう恐くないよ、マリー」  
涙をぬぐいもせず、マリーは顔をあげる。  
それは、ついさっき感じていたこと。そしていつか聞いた言葉。  
サンソンの顔をじっと見つめる。  
いつも傍にいてくれるひと。ずっと守ってくれたひと。ちょっと気障でHなおじさん。あたしのお父さんになってくれたひと。そういえば、いつからお父さんになったんだろ?  
 
 
・・・・!  
マリーは思い出した。  
気球の上で助けてくれたこと。無理にお願いしてグランディスさんを諦めさせたこと。あたしを守ってとお願いしたこと。  
裸になって、抱きついて、キスして・・・ずっと一緒に暮らしてとお願いしたこと。その約束全てをサンソンは守ってくれたこと。なにより、サンソンが大好きだったこと。  
「・・・サンソン」  
マリーはバスタブから身を乗り出して男と唇を重ねた。  
それだけでは物足りず、男の首に細い腕を回してキュッと抱きしめる。  
父親は戸惑いながらも娘の裸体をそっと抱いた。  
ふいにマリーはサンソンとの一体感を覚えた。  
もっともっと重なりあいたい。力いっぱい抱きしめられたい。  
マリーの中で、そんな欲求が膨らむ。  
娘は舌を伸ばして、ちょんちょんと父親の唇をくすぐった。  
父親は体がビクンと揺らす。目を開けて娘を覗き込む。  
マリーは頬を紅く染め、瞼を固く閉じていた。  
サンソンは眉をひそめ、手を震わせて躊躇う。  
だが、娘の目尻に浮かぶ涙が父親の中の何かを突き崩した。  
 
細い腰を強く引き寄せ、柔らかな髪に手を添え、そして娘の小さな舌に己の舌を絡める。  
マリーの舌裏に自分の舌先を付け、つうっ・・と這わせたあとで全体を舐るように重ねる。  
ねっとりと娘の唾液をまぶし取り、舌全体をねぶりながら味わい尽くす。  
己の唾液をマリーの中へトロトロと流し込み、娘の唾液と混ぜながら舌で口中に塗りたくる。  
マリーの顎を指で上げさせて、絡めた唾液を喉の奥へと導く。  
  こくん、こくん、こくん  
娘の喉が小さな音を立てて、ふたりの唾液を何度も飲み干した。  
ゆっくりとふたりの唇が離れる。  
 
「・・ふあぁ・・」  
娘は唇を少し開いたまま、陶然とした溜息をもらした。  
愛しげに父親の髪に触れ、指の合い間に髪を絡め取る。  
そして腕に力を込めて、くっと父の頭を裸の胸に抱きしめた。  
彼はマリーの素肌を頬に受け、その木目細やかな感触に酔う。  
 
「・・・おとうさぁん・・」  
娘は父の髪に顔を埋めて甘やかに囁いた。  
だが父親は舌を絡ませる深い口付けの裏側に男の影を見つけ、表情を歪ませる。  
彼は気力で強引に落ち着きを取り戻すと、薄い乳房に頬につけながら苦く笑う。  
「お前の胸、相変わらずペッタンコだな。毎日牛乳飲んでるか? チーズやヨーグルトも良いらしいぞ?」  
ぺしぺしと軽く娘の尻を叩くと、マリーはパッとサンソンの頭から手を離し、乳房と股間を隠そうと手を添えてバスタブの中にしゃがんだ。  
「彼と何があったのかは聞かない。でも仲直りするんだぞ・・・・彼のことが好きなんだろ?」  
!!  
突然、娘の顔色が変わった。  
慌てて己の乳房を見る。そこには少年の付けた口付けの痕と、きつく乳房を握られた痣があった。  
バシャっ!  
娘は立ち上がり、誤解を解こうと叫ぶ。  
「ちがう! ちがう! ちがう! あの子はそんなのじゃないの! ちがうのぉ!」  
祈るように両手を胸の前で合わせ、許しを請うように縋るマリー。しかし幼さを残す身体のいたるところに少年の痕跡が残っていた。  
そんなマリーを父親は悲しげに見つめる。  
娘の表情に絶望が宿る。少年の付けた痕を食いちぎりたい程悔いる。  
父親に女として見限られたくなかった。まだ清いのだと、あなたの娘なんだと知ってほしかった。  
彼女は己をさらけだすほか術が残されていないと思った。父親の前で身体を開くと決めた。  
視線を決して合わせようとせず、しかし意識しながらゆっくりと父の前で立ち上がってバスタブを跨ぐ。  
サンソンの目がバスタブを跨ぐ娘の腰と尻を追っている。  
 
マリーの顔から血の気が引いてゆく。がくがくと膝が笑う。ぶるぶると身体が震える。  
いまにも崩れ落ちそうな自分を奮い立たせて、娘は父の前に裸体を晒す。  
そして娘は胸の前で合わせた手を開いた。  
己の何もかもを父に差し出した。  
すっかり茜色に染まった陽光が逆光となって娘の身体を浮き上がらせる。  
ふたりは身じろぎもせず見つめあった。  
沈黙を破るようにサンソンの手が傍らのバスタオルに伸びた。  
ビクッと身を震わせるマリー。  
父親は膝立ちになってバスタオルで娘の素裸の身体を拭い始める。  
娘はおとなしく父親の手に身を委ねた。  
肩に触れるくらいの長い髪を傷めないよう、丹念に水気を取る。  
髪の隙間から白い首筋が浮かび上がる。薄い蔭りのように口付けの痕が見えた。  
父親はそれから目を逸らした。  
顔から首にかけて、ぽんぽんとタオルではたくように拭ってゆく。  
肩まで拭き終わるとサンソンは独り言のように呟く。  
「腕をあげてくれ」  
その声に従い、マリーは腕を心持ちあげる。父の前で乳房が露になったが娘は眉ひとつ動かさない。  
細い腕を布地で包むようにして肩から滑らせ、無毛の脇を拭ってから娘に背中を向けさせた。  
小さな背中の染みひとつ無い肌に浮かぶ水滴をタオルでふき取り、腰から臀部に移ってゆく。  
わずかにくびれ始めた腰、こんもりとした尻。サンソンはバスタオルを広げて、女になりかけて行く娘を拭う。  
父親の手が小さな尻にかかる。今日、少年の手が揉みしだいたところ。  
マリーは父親の手が触れた場所だけ、なぜか肌に残る嫌な感触が薄れてゆくのを感じていた。  
 
「・・・もっとゆっくり・・丁寧に拭いて・・」  
尻の上でサンソンの手が止まった。時折ピクリと動くが、それ以上は動こうとはしなかった。  
「お願い」  
ようやく父親の手が娘の尻の上を這い始めた。  
撫でるでもなく、揉みしだくでもない。  
タオル越しに娘の形を確かめるように、柔らかなラインに沿ってゆっくりと動く。  
点々と小さな痣が残っている。尻を握り締めた指の跡。  
サンソンはタオルの上から丹念に痣を撫でていた。  
時間を掛けて小さな尻を拭き終えると、双丘の合い間に触れる。  
マリーは少しだけ躊躇うが、すぐに身体をバスタブへ向け、縁に手をかけて前屈みになり、尻を父親へと突き出した。  
サンソンは左手で尻の肉を開き、隠されたところをタオルで拭う。  
「・・・・・」  
誰にも見せたことの無い場所を、タオル越しとは言え触れられる恥ずかしさに耐える少女。  
隠された所を拭き終える頃、娘の吐息が小さく聞こえた。  
父親の手が腰を押さえ、マリーを自分へと向けさせる。娘は素直に父親を向いた。  
サンソンの目に薄い乳房が飛び込む。  
はっきりと残る指の跡。ところどころに薄い口付けの痕。小さな乳首に刻まれた傷。少年に乳首を噛まれた痕。  
彼は目を閉じて肩口から乳房をすっと拭き取り、腹部へと手を進ませる。だが、娘の手が父親の手を止めた。  
「もっと・・・ちゃんと拭いて」  
太い腕に手を添えて自分の薄い乳房に導きうながすと、父親の手がゆるゆると円を描くように乳房の上を這う。  
 っ!  
娘が息を詰める。父の手を離し、なすがままに任せる。刺激されてもいないのに豆粒のような乳首が僅かに起きあがる。  
父親も娘の変化をタオル越しに娘の変化を感じていた。  
しかし彼は娘をいたわるように柔らかく、あくまで優しく手を運ぶ。  
それでもタオルの生地が乳首の傷を擦りつける。  
 
「痛い!」  
マリーは顔をしかめ、あごを引く。  
サンソンは後ろを向いて、鏡の横の棚に常備してある剃刀負け用の軟膏を手にした。  
軟膏を指にまぶすと娘を振り向いて薄桃色の乳首に指を近づける。  
「少し染みるぞ」  
父の声に娘は頷き、乳房をつき出す。  
軟膏を乳首にまぶし、親指と中指で挟むように塗りこむ。  
 っ!  
痛みなのか、それ以外の刺激なのか、マリーは電気が走ったかのように肩を竦めた。  
・・・ふぅぁ・・・  
甘い吐息が聞こえる。サンソンはそれを無視していた。  
しかし可憐な色合いを見せる乳首が指の間でこれ以上無いほど膨らむ。  
それでも彼は、娘の身体を娘以外の何かとして見ようとはしなかった。  
マリーが瞳を閉じて首を仰け反らし腕を絡めようとする。サンソンは乳房から腹へと手を移した。  
もどかしそうに瞳を潤ませて父親を見つめる娘。それでも再び父の手を止めようとはしない。  
腹部から腰へ、そして太股を拭う。  
白い肌のうえに残る大きな痣と擦り傷が痛々しい。  
足先まで水気を取った後で軟膏をすくい取り、腰から太股に残る傷に塗りこむ。  
父親の視線が、太股の合い間、その上へと移って行く。  
マリーはきつく目を閉じ、こぶしを握って視線に耐える。  
そこはピッタリと閉じ、綺麗だった。  
まわりには痣や擦り傷が痛々しく残るのに、そこは綺麗な少女のままだった。  
サンソンは少し瞳を潤ませる。娘が懸命に抵抗したあとであろう痣や擦り傷にそっと軟膏を塗る。  
父親の手がマリーの内腿に触れた。そこに残る大きな擦り傷と痣。少年の膝が押さえつけた時に出来た傷。  
悔しさと悲しさで娘の瞳から涙が溢れた。だが、それだけではなかった。  
内腿の上部の傷に父親の手と指が伸びるのを、そして更に上へと伸びるのを娘は知らず知らずのうちに待ち望んでいた。  
 
 
・・トク・・トク・・  
なにかが身体の奥で蠢く  
なにかが溢れてくる  
そんな感じ  
 
内腿にまぶした軟膏を、父親が手のひらで撫でるように塗りこむ。  
そっと、優しく、柔らかく、こわれものを扱うように、愛しいひとを愛するように。  
内腿から外へ、そして再び内腿へ。少女のところに少しずつ近づきながら。  
 
  とくん  
娘の下腹部が波立つ。  
 
父親は娘の内股に手を添えたまま俯いていた。  
動けない。どうしても手を離せない。  
彼の震える手は、いつのまにか娘から溢れたもので濡れていた。  
娘のそれは、とめどなく溢れ続ける。  
手に娘の欲望を浴びてうな垂れる父親。彼の固く閉じた瞳から、ぽつりと水滴が零れた。  
 
「いやあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・・」  
 
 ドンっ  
マリーはサンソンを押し退けて浴室から逃げ出した。  
まだ乾かない下着と服を身につけ玄関を飛び出した。  
遠くなってゆく足音。  
父親は何も出来ず、床に膝をついてうずくまった。  
 
 
 
1890年  
旧ノーチラス号乗組員達はフランスにいた。  
市民達と共にパリの復興に力を尽くす一方、値の崩れた鉄鋼・造船・機械・化学・自動車といった重化学工業のめぼしい株を買いあさり、自らの物とした。足りない分野では新たな会社を興しもした。  
また、新聞・雑誌など情報産業へも人材を潜り込ませた。もちろん、軍部そして政界とて例外ではなかった。  
 
ひとつ問題がある。人種差別だ。旧ノーチラスには黄色・褐色・黒色の肌をした乗組員が多い。  
もちろん、乗組員達の間にそんなわだかまりは無い。だが、フランスという国に於いてはその限りではない。  
そして技術者達の多くが褐色や黒色の肌をしていた。  
これでは彼らの目的に差障りがある。そこで彼等は、ある噂を流した。  
  タルテソス王国  
空に浮かぶ島・レッドノアと対等に渡り合い、パリを救い、世界を救った船。  
これを操った者達の国。  
滅ぼされてしまったが、復讐を誓い戦い続けた者達の故郷。  
彼等は今、パリにいると。そして彼らの肌は黒色・褐色・黄色であると。  
 
翌年のある日、新興財閥の代表者達がフランス政府を訪れた。  
その財閥の製品は確かな品質、そして少しだけ先進的な技術で、その販路を国内はおろか海外へと広げようとしている。  
彼等は首都が崩壊した今、税収面だけでなく国力を持ち直すための頼もしい存在である。  
政府首脳たちは彼等を歓迎し、歓待した。  
そのとき財閥の代表者達は僅かな真実を首脳達に漏らした。  
この財閥は、あの船を操ったタルテソス王国の生き残り達が興したのだ。  
この国は、この世界は、有色人種たちの手によって救われたのだ。  
そして告げる。レッドノアと共に船は沈んだ。我々はこの国で生きる。そして、この国のために力を尽くすと。  
政府首脳たちの中に、異を述べる者は誰もいなかった。  
こうして、タルテソス王国という神話が生まれた。  
フランス産業界に於いて人種差別という問題はタブーになった。  
 
 
 
1892年  
旧ノーチラス乗組員達は総員・総力をあげて新興財閥の勢力を広げていた。  
グランディスは統括メンバーの一員として、そしてイタリア名門の血筋と気性を生かし、財閥の顔として抜擢されていた。  
サンソンは探偵社を興し、財閥の情報・裏工作などのダーティーな部分を担っている。  
ハンソンは財閥の稼ぎ頭である自動車会社の長。  
ジャンは財閥の技術開発室の一員になった。  
ナディアは財閥の裏の顔として、極一部の密接な関わりを持つ政府首脳や産業界との会合などで姿をあらわしていた。彼女はタルテソスの・・いや、アトランティスの姫なのだから。  
見世物のようなナディアの扱いに関して、グランディスは不平不満を隠そうともしなかった。ことある毎に誰彼無く噛み付き、その不当性を解き、普通の娘として育てようとやっきになった。そのたび、ナディアは嬉しげにグランディスに甘えた。  
それでグランディスの機嫌は直った。そして12月のある日、ナディアはジャンの部屋に行ったきり朝まで帰ってこなかった。グランディスは泣いた。  
 
彼らの工場はフランス各地に点在していた。これでは効率が悪い。そこである程度工場を集中させることにした。  
普通なら移転先として、フランス北東部のリール工業地帯を選ぶところである。  
だが己の技術を隠さなければならない。それには他の国々と隣接しているリールでは具合が悪い。そこでセーヌ川の下流のボルベックを移転先として選ぶ。  
港湾市ル・アーブルに程近いこの地で、原材料加工から精密部品製造に至るまで、ほとんどの機能を集約した工業地を作り出した。リールのように大規模では無いが、その品質は確かだった。  
それゆえ企業同士、時には国家間の後ろ暗い部分までもがこの地に集約してしまった。サンソンはあくまで裏に回って衝突を回避し、また時には知略と武力を持って(マリーという最大の弱点を抱えながらも)これを解決していた。  
 
マリーはサンソンと暮らしていた。戸籍はカールスバーグのまま、後見人としてエアトン、グランディス、サンソンがついた。そして公的にも仲間達にも認められた。この頃からマリーはサンソンを、おとうさん(御義父さん)と呼び始めた。  
 
 
 
1894年  
ある程度足場を固めた彼等の活動が本格的に開始された。  
輸出を始めた自動車会社の支店を各国に設け、それを足がかりとして軍需産業にオーバーテクノロジーが使われていないかを探り始めた。この時点で時代を超えるほどの技術が使われた様子はない。しかし、各国に精製及び精度の高すぎる材料や部品が現れていた。  
これを重く見た技術開発員達は詳細を知るべくアメリカ、ドイツ、イタリア、オーストリアへ潜入した。  
イタリアでは内燃機関の開発が急ピッチで進んでいた。ジャンも技術交換の名目でイタリアへ渡った。この地での技術革新は、職人芸ともいえる加工精度に支えられていた。ネオアトランティス技術者の影響は無いと知り、ジャンは緊張を解く。  
そしてイタリアの設計者そして金属加工職人と互いの技術を存分に交わし(もちろん話せる範囲で)帰国した。帰国後すぐにジャンとナディアは結婚した。ナディアは家を出る。グランディスはひとりになった。  
 
潜入調査の結果、疑うべきはドイツであると判明した。  
二年前のトゥアラグ戦争、一年前のマダガスカル戦争では、フランス軍も大きな人的被害を出した。それぞれの戦いでは、相手も十分な兵器を保有していた。各国の利害が複雑に入り組み、植民地支配はより複雑な様相を示し始めていることの証明となった。  
 
サンソンは32歳になっていた。男として最も充実した頃合だ。気力と体力も十二分に備わり、若さによる猛りを鞘に収めることができるほどに年も取っていた。それに加えて女の気を引くのに十分な容姿。周りが放って置くはずも無かった。  
近隣の付き合いで、職場で、酒場で、彼の周りには常に女性の影が付きまとっていた。  
この時、マリーは9歳。周囲の環境によるものか、耳年増に育っていた。ようするに焼きもちを焼きまくっていた。  
昼間は学校があるので父を見張っていられない。そこでサンソンの職場で仲良くなった経理のおばさんを抱きこみ、彼の様子を逐一報告してもらっていた。  
 
学校が終われば、すぐに探偵社へ行く。仲の良い友達と遊んでいる暇など無い。父の周りに目を光らせ、女の匂いを嗅ぎ取れば必ず追い払った。父の仕事が終われば一緒に帰った。酒場には出来るだけ行かせなかった。どうしてもサンソンが駄々を捏ね、飲みに行くしかない場合には、マリーもついて行き女を追い払った。これが日常だった。マリーにとって日常とは、サンソンを我がものとしておく為の戦いなのだから。サンソンは苦笑しながらも、娘可愛さに全て許していた。  
しかし、サンソンの仕事はボルベックに居れば済むものではない。フランス国内に留まらず、国外へも足を伸ばすことが多かった。彼が家を空けるたび、マリーはグランディスの家やジャンとナディアの家に預けられた。それでもマリーは泣き言を言わずにじっと耐えた。『出張中、絶対女に手を出すな』・・マリーが古女房のようにクドイほどサンソンに釘を刺すのは恒例行事と成っていた。  
 
 
 
1899年  
ドイツ軍部では国の東部と西部両方へ一挙に兵を挙げて侵略するという極めて乱暴なプランが練られつつあった。  
東部方面に侵略して狙うのはオーストリア=ハンガリー二重帝国、東プロイセン、そしてロシア。西部方面を侵略する目標  
はフランス。万が一、このプランが発動すれば、欧州全をが戦火の渦に巻き込む大戦争になるだろう。  
このプランを早期のうちに察知したフランスの軍部は、対向措置として計画発動時に失地を回復し逆に侵攻する案を作り上げた。ドイツの侵略が始まり次第、電撃的に退路を断ち、本土防衛隊と挟み撃ちにして戦略軍を殲滅する作戦だった。  
ロシアもフランスに近い案を検討していた。  
いずれのプランも、兵員の輸送を自動車もしくは列車に頼り、極めて短時間のうちに侵略侵攻するという事では同様だった。  
技術の革新が戦争の様相を大きく変えようとしている時代の幕開けである。  
 
旧ノーチラス号の者達は、ドイツがこの案を立案するに当り、自動車を強く意識していると感じていた。  
世界で最も進んだ自動車産業を保有していると言う自負が、このプランを支えていると読んでいた。  
 
ならば、フランス自動車産業のレベルも一歩進める必要がある。ハンソンの自動車会社の生産性を向上させ、そして自動車の性能もドイツのそれに匹敵するだけのものにして、侵略プランそのものの正当性を骨抜きにするべく動き始めた。  
皆、世界に漂う戦いの影に怯えはじめていた。  
 
いつのまにかマリーはサンソンと距離を取りはじめていた。彼女の中でサンソンの存在は完全に父親であると誤解していたのが一因である。その他にも、反抗期を迎えたこと。異性を意識し始めたこと。最近では恋人のような存在を作ったことなども要因であろう。  
はじめから覚悟していたことだが、サンソンは寂しさを覚えていた。だが、彼はそれで良いと考えてもいた。サンソンの仕事は汚い部分が多すぎたのだ。汚れきった己を娘に知られるより、このまま離れて行ってくれたほうが良いとさえ思っていた。  
 
そこへきて今回の出来事。サンソンは混乱していた。娘の純潔がたわいも無い少年に奪われかけた。娘は美しく成長して少女を抜け出ようとしていた。娘が目の前で女を示した。娘は俺に欲望を向けていた。そして俺はマリーに・・・・  
サンソンは拳を固めて浴室の床を殴った。拳の痛みに我に返り、窓を見ればすっかり外は暗くなっている。  
父親は娘を探すために外へと駆け出した。  
 
 
 
・・・っぅぅ・・・・ぐしゅっ・・・うくっ・・・・・ぇぐっ・・・  
泣きながら暗い道をとぼとぼと歩き続ける。いつのまにか辺りは真っ暗だった。  
もう耐えられなかった。少年とのことを父親に知られてしまった。汚された身体も見られてしまった。  
マリーは後悔のあまり胸が押し潰されそうになる。  
(でも、身体中を拭いてくれた。優しく傷の手当てもしてくれた。あんなに強くキスもしてくれた!)  
そう思うと心が沸き立つような感じがする。しかし同時に絶望もする。  
(お父さんの目の前で・・・あたし・・・なんてことを・・・・・・・)  
淫らに濡れる己の身体が疎ましかった。  
そのかたわらで、ほんの少しだけ嬉しく思っている自分に気付いて戸惑う。  
(お父さんに見られた。恥ずかしくても大丈夫だった。心も身体も、全部お父さんに見せてあげられた)  
すべてを父親に差し出すことの出来た自分が、なぜか誇らしく思えてもいた。  
マリーは誰かに相談したかった。こんなことを話せる相手はナディアしかいない。  
少女はナディアの家に歩を向けた。  
 
 
ドン、ドン、ドン、ドンっ!  
住宅街から少し離れた広い畑の傍らにあるジャンとナディアの家のドアを叩く。  
「おいジャン、 開けてくれ! マリーが来てないか! ナディアっ、マリーを知らないか!」  
ダン、ダン、ダン、ダンっ!  
「マリー! いるんだろ、返事をしろマリーっ!」  
ガン、ガン、ガン、ガンっ!  
「・・・・いい加減にしてよサンソン。家のドアを壊すつもり?」  
呆れたような口調でジャンがドアを開けた。  
「まったく・・子供達が怯えるから静かにしてよね」  
文句を言いつつもジャンの顔は笑っていた。  
「それどころじゃねぇんだ、この馬鹿野・・・そうか、マリー来てるんだな?」  
怒鳴り散らそうとして、ジャンはそんな嫌味な男ではないと気付く。安心すると共に恥ずかしくなって頭を掻いた。  
 
「すまねぇ・・・みっともない所を見せちまったな・・」  
サンソンは落ち着きを取り戻した。ジャンとナディアならば、マリーを預けても大丈夫と信頼しているからだ。  
ジャンは満面の笑みを浮かべて、歳の離れた友人を家の中に迎え入れる。  
「気にしないでよ。さあ、早く中に入って」  
いまさら体裁をどうこうする間柄ではないのだろう。サンソンは応接間ではなく居間にずけずけと入る。  
居間ではジャンの息子達がキングの子供と遊んでいた。しかし娘の姿は無い。  
「よう、チビたち。マリーはナディアと一緒か・・・なあジャン、あいつどんな様子だった?」  
サンソンのために濃い目のコーヒーを淹れていたジャンは、困ったように視線を浮かべた。  
「泣きじゃくっていたよ。あんなマリーは昔・・・はじめて会った島で見たっきりだ。今ナディアと話してるよ。なんとか落ち着いたみたいだ」  
ジャンはソファーに座るサンソンへコーヒーを渡した。礼を言いコーヒーを口に含む。  
「そうか・・・わかった。いつも世話をかけて済まんな」  
父親の顔をして頭を下げると、ジャンは照れながらも少し怒った様子だ。  
「何言ってるんだよ。そんなつまらない気を使わないでよね・・・僕だっていつも世話になってるんだから水臭いよ」  
技術部門は一番狙われやすい部門だ。それゆえサンソンは外敵から技術者達を守るため常に目を光らせている。  
ジャンはサンソンを信頼し、安心して研究に打ち込んでいた。  
互いが互いを信頼する仲で妙に気をまわすなとジャンは怒る。サンソンは顔を赤らめながらジャンに頼みごとをした。  
「マリーのことは何も聞かないでくれ。あいつも年頃だ・・色々とある。俺はがさつで馬鹿だから、あいつに何もしてやれない。だから女同士、ナディアに任せてやってほしいんだ」  
ほろ苦く顔をしかめるサンソンに、ジャンはとんでもないって表情で応じた。  
「あたりまえだよ。もし下手なことをしたら、僕はナディアに何をされるかわかったもんじゃない」  
女に振り回される悲哀を共有し、ふたりは顔を見合わせ溜息をつく。  
 
「サンソン、子供達もそろそろ寝る時間だから呑んでいかない? 今日はこれを開けたい気分なんだ」  
ジャンは熟成された未開封のアルマニャックを手にして、瓶を傾けるポーズを取る。  
顔は合わせなくとも一つ屋根の下にいたいだろう。サンソンを家に泊める為、酒を口実にしたジャンの心づかいだ。  
その気遣いが嬉しくてサンソンは御馳走になることにした。  
「ああ、明日は日曜日だし男同士で気兼ねなくやるか!」  
・・・・だが、呑む前に義務が残されていた。  
サンソンはジャンの息子達の手を引いて子供部屋に連れて行き、おとぎ話なんぞを語りつつポンポン体を優しく叩いて寝かしつける。ジャンは夕食の後片付けと酒のつまみを作るために台所に立つ。  
手馴れている。ふたりとも、あまりにも所帯じみている。  
何の抵抗もなく、極自然にそうできる彼等の背中はなんとなく丸く見えた。  
 ・  
 ・  
主夫達の仕事が終わった。  
「ナディアーっ!今日サンソンに泊まってもらうよ、一緒に居間で呑むからねー!」  
ジャンは二階の客間に向けて大声で叫び、そして小さな声で付け加える。  
「・・・あのアルマニャック開けちゃうからねー・・・・」  
ナディアから返事が戻る。  
「はーい、程々にしておくのよ〜〜〜!」  
これでとっておきの酒を開けて、おまけに飲み干す許可が出た。あした、夫婦の間でいさかいが起きるだろう。  
でも、サンソンをだしにすれば、いくらナディアとてそう強く文句を言えまい。  
ジャンはニヤリと笑う。  
本当はナディアがそんなことで苦言を抑えるような甘い女でないと知ってはいるのだ。  
でも、たまにはこんな悪戯もしてみたいのが男の性というものだった。  
 
「ジャンったらサンソンさんと一緒にお酒呑むんだって。きっとこれを口実にして、あの上等なお酒の封を切っちゃうわね」  
ナディアがクスクスと笑う。両手を伸ばして前で合わせて、ちょっと照れながら子供みたいに振り回す。  
「なんで呑んじゃったのって怒ってあげるんだから。でもね、キスしてもらって仲直りするの。ふふっ・・・楽しみだな」  
5歳と3歳の男の子を設けた二児の母とは思えない少女のような笑いと仕草。  
「羨ましいな。あたしもそんなこと言えるようになりたい・・・」  
下階から『かんぱ〜〜〜いっ!』と野郎どもの雄叫びが聞こえた。  
「・・・おとうさん・・・サンソン・・・」  
それを聞いたマリーが涙ぐむ。  
「・・・・マリー・・」  
客間のベッドに腰掛けて瞳を潤ませる少女が愛しかった。  
ナディアはマリーの肩を抱いて自分の体に引き寄せる。少女はナディアの胸に顔を埋めた。  
 
「おおよその事情はわかったわ。でもひとつだけ解らないの・・・・マリー、あんたはサンソンさんの事どう思ってるの?」  
驚いたようにナディアを見上げてから、ハンガーにかけたあの服に視線を移し、マリーは父親のことを考える。  
お父さんとふたりなのは嬉しいし楽しい。この年になって、『お父さん、お父さん』って言うと友達にからかわれる。  
あたしだって恥ずかしいと思ってる。でも、お父さんとふたりなのはやっぱり好き。だって父親なんだからあたりまえだ。  
「サンソンはお父さんだから大好き。ずうっと一緒にいてくれて、あたしを守ってくれたんだもん。大好きだよ」  
ナディアはマリーの髪を撫でて微笑む。  
「そう、サンソンさんは優しいお父さんだものね」  
少女が可愛らしく、そっぽを向いて俯く。  
「ときどきHで、おじさんで、だらしないの。スーツはきちっとしてるのに、他の服はみんなヨレヨレ。女の人にベタベタされるとデレーってしちゃうし、そのくせ威張りんぼで・・・でも、でも、ちょっとだけ可愛いよ。手を繋いだり腕を組むと真っ赤になって照れちゃって。それにね、この前なんて・・・」  
 
サンソンのことを嬉しそうに話すマリー。いつまでも語り続けてしまいそうなので、ナディアは呆れて手で制した。  
「はいはい、そのくらいで止めておいてちょうだい。このまま続けられたら朝になっちゃうわ」  
手をひらひらさせてからかわれ、マリーはムッとした視線をナディアに向けた。そんなマリーの子供じみた悪意を軽くいなしてナディアは話を続ける。  
「あんただって本当はわかってるんでしょ?」  
キョトンと目を丸くするマリー。  
「なにがわかってるの?」  
はぁ・・と、ひとつ溜息をつくナディア。  
「あんた、その子に乱暴される前に何を考えてた? いいえ、誰のことを思っていたの?」  
少女は憂いた目をして微笑む。  
「風でリボンが揺れて・・お父さんと一緒に服を選んだときのことを思い出してた」  
ナディアは微笑むマリーの頬を両手で挟み、目を見つめる。  
「そうでしょうね・・・ねぇ、あんたいつまで自分を誤魔化してるの? そんなだから男の子に乱暴されるのよ。いい加減になさいマリー」  
「ひどい! 全部あたしが悪いって言うの?」  
頬を挟む手に力を込めて、ナディアは正面からきつく睨み付けた。  
「サンソンさんの事を話すあんたの表情! 触れたら直ぐにも落ちそうって感じよ。そんな表情をされて誤解しない男の子なんかいないわ。ましてや、あんたも最初は抵抗しなかったんでしょ。それくらい気を許してた相手なんでしょ! その子が可哀想よ!」  
痛いところを突かれてマリーは視線を泳がせる。  
 
「私の目を見なさい! 一度きりしか言わないから良く聞くのよ。私はグランディスさんを愛してるわ。母親とか姉とかじゃなくて恋人としてグランディスさんが好きなの。ジャンと結婚して二人も子供を作った今でも、ずうっと愛してるの。  
でもね、グランディスさんは一度きりしか私を恋人として愛してくれなかった。いいえそれは違うわね、きっと今でも私を恋人として愛してくれている。だけど母としても私を愛している。だから一度しか抱いてくれなかったんだわ」  
ナディアは荒い呼吸を一度整えるために深く息をついた。  
マリーは思わぬナディアの告白に驚き、何も言えなくなっていた。  
 
「私、グラタンの中で抱かれたのよ。素敵だった。身体がバラバラになってしまうくらい愛してくれたわ。私もあのひとを抱いた、そして私よりずっと深く愛してくれた。思い出しただけで今でも濡れるくらいよ・・・なのに、それっきり。もう二度と愛してくれなかった。抱いてくれなかった。それでもね、私あのひとをずうっと想っていたのよ・・」  
自分の身体を強く抱きしめながら虚空を見つめて、行く先を失った想いに苦しむナディア。  
マリーは戸惑う。姉のように思っていた女性、悩みなんかまるで無いように思っていた女性の中に、こんな激情が秘められていたなんて想像も出来なかったから。  
「ご・・ごめんね、私みっともないね。そんな顔しなくても、もう大丈夫よ・・・あのひとはね、私に普通の女として幸せになってほしかったの。結婚して、家庭を築いて、子供を作る。そんな当たり前の女の幸せを私に掴んでほしかったのよ。  
それでもね、私一緒に暮らしてる間、あのひとの寝室のドアを何度も叩いたわ。その度にあのひと添い寝して言うの、『次はジャンのところへ行きな』って。酷いひと・・・私を愛してくれてるのに、愛されているのも知ってるくせにそんなこと言うのよ。あのひとを諦めるのに2年くらいかかったわ。やっと吹っ切れたと思ってジャンに抱かれたの。それなのにね、はじめてジャンに抱かれて朝帰りした私に言うのよ、おめでとうって。目を真っ赤にして、涙浮かべて、それでも泣かないように我慢しながら、おめでとうって・・・私のほうが大声で泣き出しちゃった。そしたら、あのひともポロポロ涙を零して・・・」  
 
マリーはもう聞いていられなかった。ナディアが何を伝えたいのかも良くわかった。マリーも本当はわかっていたから。  
「もういいよナディア・・・ありがとう、それに御免なさい。辛い話をさせちゃって本当に御免なさい・・・」  
ナディアの震える身体をマリーは抱きしめた。この女性に詫びるすべは無いし、慰めるのも無理だと解っていた。  
だからせめてもの罪滅ぼしにナディアを抱きしめてやるしかマリーにできることは無かった。  
だが、ナディアは顔を上げて鈍い視線をマリーに向ける。  
 
「それなら聞いて・・・私あんたが憎らしいの。サンソンさんはきっとあんたを抱いてくれるわ。そんなあんたが妬ましいの。  
悔しくて羨ましくて・・・なんであのひとは女だったの? なんで私は男じゃないの? ううん、女同士だって良いじゃない、愛してくれたって構わないじゃない! 愛しているの、愛しているの、愛しているの・・・こんなに愛しているのに、それだけじゃだめなの? あんたは良いわね、年が離れているだけなんだから! なんで私達はだめなのに、あんた達は一緒になれるの? あんたなんかよりずっと強く想っているのに・・・・今でもグランディスさんを・・あなたのことをこんなに愛してるのにぃっ・・・ぅぅっ・・ぁぁ・・うあああああぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・」  
そしてナディアはベッドの上に泣き崩れる。  
いつしかマリーも泣いていた。  
ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返しナディアに詫び続けていた。  
ナディアが泣き疲れて眠るまで、マリーは震える身体を後ろから抱きしめて謝り続けた。  
 
 
翌朝、ベッドで眠るナディアと、彼女に折り重なるようにして眠るマリーがいた。  
目を覚ましたマリーはゆっくりと起き上がり、涙のあとが目尻に残るナディアをそっと抱きしめる。  
「ごめんね・・ありがとう・・」  
ナディアの耳元でそう囁いてから、マリーは客間をあとにした。  
階下の居間では、サンソンとジャンが酔いつぶれてソファーで寝ていた。  
 
毛布を引っ張り出してふたりに掛けてから、サンソンの頬に両手を添える。  
「お父さん、もう直ぐわたし14歳になるわ。そうしたら、お父さんのことサンソンって呼ぶね」  
少女は父親の唇にかるくキスをして、パッと身を離す。  
「サンソンはいつまでもお父さんよ。でもね、わたしそれだけじゃ嫌。だから・・・いってきます!」  
父親で想い人。ふたつの方法で愛する人に告げる決心。  
そしてクルっと身をひるがえし玄関から外へ踊り出た。  
マリーは陽光の眩しさに目を細める。  
(ちゃんと彼に謝ろう。そして言うんだ。好きな人がいます、もうお付き合いできませんって。そのあとで頬を叩いちゃっても、ナディアは許してくれるよね?)  
ナディアの家を振り返り、マリーは綺麗な笑みを浮かべる。そのまま町へと駆けてゆく。  
 
客間の窓から泣きはらした瞳が少女のうしろ姿を見送っていた。  
彼女はぎこちなく微笑みを浮かべ、自分に言い聞かせるように呟く。  
「いってらっしゃい、マリー・・・」  
 
 
 
 
前編  終  
 

PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store

無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル