基本的に事務作業の方が得意な私は、それほど忙しい時でなければ取り締まりには出かけない。だからいつも、みんなが取り締まりに出かけると私はひとり留守番をすることが多い。
「じゃ、ちょっと行ってくるわね〜!」
「うん。頑張ってね、みんな」
今日の放課後も立て続けに通報が入り、すぐさまみんなが出動して部室には私だけが残された。
一人残された部室はいつもよりも広く感じる。みんなが揃っているときは天井まで届きそうな資料棚や、ごちゃごちゃと色んなものを詰め込んで無造作に床に置いてあるダンボール箱が邪魔なくらいなのに。
気付けば、「みんな早く帰ってこないかな……」と、じっと出口の扉を見つめてしまう自分がいた。
最近どうも寂しがりになったような気がする。この前なんかは玲にも指摘されて、「もうっ、ちょっと一人にするくらいで捨てられた子犬みたいな目で見てくるのやめてよねーハルカ。なんか私が罪悪感覚えちゃうじゃない……」と、呆れたように言われてしまった。
そんなに寂しそうな目をしていたのだろうか?
たしかに心細い気持ちには自覚があった。ただ、その原因が何なのかわからない。
どうして?いつから?
心の中にぽっかりと大きな、でもキレイな丸形の空洞が空いてしまった感覚の原因が掴めない。
2年生に上がって、九澄くんも入部してきて……――永井君と伊勢君が仲直りして、そのお陰でぎくしゃくしていた部室の雰囲気も明るくなったのに。
……理由がわからないままでも、心の空洞は容赦なく冷たい風を通す。それがあまりにも寒くて、吹き荒ぶ理由もわからないのにとても心細くてたまらない。今日みたいに広い部室で一人になったときは、特に。
握っていたペンを取り落としてはっとした。
……何を考えていたのだろう。
大丈夫。今は一人きりでも、すぐにみんなが帰ってきてくれる。今日みたいに一人になる日なんて、執行部に入部した日からよくあった。慣れてるはず……なのに。
――ダメ、しっかりしなきゃ! 取り締まりに出かけたみんなは今ごろ危険と隣り合わせの仕事をしているんだから、留守番をしているだけの自分がさぼっていてはいけない。それに書類を書いていたらすぐに時間なんて忘れてしまうから。
自分に言い聞かせるようにして気を取り直し、再び書きかけの書類に向かった。
すると――
ピリリ ピリリ……
「あ……」
机の上に置いていた私のプレートが震えて鳴っている。
まだみんなが帰ってきていないのに、と頭の中を不安がよぎってわずかに逡巡したが、結局はプレートを手にとった。通話機能を呼び出して、耳に当てると向こうから切羽詰ったような声が聞こえてきた。
玲たちは帰ってこないし、通報相手は焦っていた。
それに魔法を使った喧嘩ではなくて、魔法の暴走という通報だったから、それくらいなら私一人でも治められると思った。玲たちには及ばないが、これでも執行部に所属して長いのでそれなりに場数も踏んでいる。
だから――……一人でも大丈夫だと、自分に言い聞かせるようにして、私は部室を後にした。
『魔法執行部よ!』
現場に行って声高に告げると、狭い廊下には天井に届かんばかりのロボットにも似た机と椅子の集合体が暴れまわっていた。
『こ……この魔法の使用者は誰なの!?』
あたり構わず壁や窓をその鈍重な身体で破壊している対象に一歩引きながら、周りの生徒たちに向かって尋ねた。通報者らしい人物が『それが、使った奴のびてて……』と廊下の隅で倒れている生徒を指した。
使用者の意識があればまだ何か対策が打てたかもしれないが、その道は潰えてしまった。
ZIP-LOCKで動きを封じるには対象が大きすぎる。
玲たちに助けを呼ぼうにも、みんなが向かった場所からは遠い。それにあっちもまだ片付いていないかもしれない。不用意に連絡して取り締まりの邪魔をしてしまってはいけない。
一般生徒たちの不安そうな視線を背中に感じながら、必死で対策を考えていると頭上を影が覆った。
「――――っ!!」
ガラガラと大きな音を立てて、巨体から1脚の椅子が零れ、私のすぐ横に落下した。
魔法の効力が弱まっているんだ――
もしここで魔法の効果が一斉に切れようものなら、沢山の椅子や机がこの狭い廊下で雪崩を起こすことになる。
まず周りの生徒を避難させなきゃ――でも倒れている人はどうすれば……!?
考えることの多さに心が焦らされる。頭の中はもう真っ白で、名案どころか何も思い浮かばない。指先が震えてプレートすらも危うく取り落としそうになる。
立ちすくんでいると、ガチャガチャと耳障りな大音響を鳴らしながら木と鉄パイプで構成された巨体が不安定に大きく左右に揺れ始めた。
どうしよう、どうすればいいの、誰か――!!
「うわっ!? 崩れるぞ――」
背後から何人もの声が重なった悲鳴が聞こえた。それでも私の足はすくんで動かない。
瞼をぎゅっと閉じてプレートを胸に抱きしめる。そしてこの後に襲い掛かるであろう衝撃を、身を固くして待った。
――が、いつまで待っても身体に衝撃がくることはなかった。
恐る恐る目を開けて床を窺うと、廊下は静かなもので机の一つすら散乱していない。
その代わり、ぎちぎち、という金属が固く擦れている音が頭上から聞こえてきて、顔を上げる。
「――おい、俺が押さえてる間に早くソイツを起こして魔法解除させろ」
懐かしい、ぶっきらぼうな口調と金の髪が、私の上に降ってきた。
「……ごめんなさい。伊勢君に迷惑かけちゃって……」
伊勢君のお陰で無事、先ほどの魔法暴走事件は解決した。
その後、黙って去ろうとする伊勢君にお礼をしようと呼び止めてからは、自分でも驚くくらいの行動力だった。
誘った先は執行部室。それを聞いた途端、顔をしかめた伊勢君に「け、怪我してるかもしれないから手当てさせて欲しいの!」と言って無理矢理押し切ったなんて、今から思えば信じられない。
上手い言葉が見つからずに焦っていたのはわかるが、思い返すと顔から火が出そうになる。
そして部室に戻ってみると、まだ誰も帰ってきてはいなかったことに安堵した。その事実に肩の力を抜いた伊勢君に席を勧めて、お茶とお茶菓子を出す。
怪我の手当てを口実にしたが、伊勢君は当然のようにかすり傷ひとつ負っていなかったので、ちょっとでも長く執行部室に居てもらうために普段よりもゆっくりと時間を掛けてお茶を淹れたりしてみた。
伊勢君が部室を敬遠しているのは私も知っていた。もちろんお礼の気持ちが先にあったのだけど、もしかしたらこれをきっかけに戻ってきてくれるかも……という小さな期待が心の隅にあったことは否めない。
だからたとえ少しの時間だけでも、執行部との繋がりを持って欲しかった。 一緒の時間を過ごして欲しかった。
半年と数ヶ月前、私たちがまだ1年生で、伊勢君が居たころのことを思い出すと、いつも胸が温かいもので満たされる。きっと私はあの頃の空気が大好きだったのだろう。
けして今のみんなが好きじゃないという訳ではないのだけど、伊勢君がいてくれたときの方が今日みたいに心細い気持ちになったりなんて――……あれ?
それって、つまり……?
「別にこのくらいの事で気にするな。どうせ元同僚だしな」
空になった湯のみを机に置きながら、伊勢君が言った。
元、という単語がさっきまで温かいものでいっぱいになりかけていた胸にちくりと刺さる。
「伊勢君は……もう、執行部に戻るつもりはないの?」
刺された所に穴が空き、そこから温かい気持ちが急速にしぼんでゆく。あの空洞がまただんだんと形を表してきた。
いま、胸から出て行っているのは、冷たい風を通しているのは――いったい、何?
「……確かに永井との誤解は解けたけどな。もうここは俺の居る場所じゃねえ」
伊勢君が椅子から立ち上がった。目を細めて感情なく部室を一瞥する。
けれど追想か離愁か、どこか隠しきれていないその表情に胸がぎゅっと握られたみたいに苦しくなった。
「そ……そんなことない! だって、私は……!」
伊勢君がいてくれたらって思うと――……
「――宇和井さんヒデェ! 二人で行ったのになんで俺ばっか働かせるんだよ」
「アンタの方が私よりプレートランクが上だからに決まってるじゃない! せっかくの執行部員なんだからどんどん魔法使っていきなさいよねー」
遠くから玲と九澄君の声が聞こえてきた。玲のよく通る声が、どんどん部室へと近づいてくる。
「! あ、玲と九澄君が……」
「……帰ってきたか。じゃあな」
玲たちと鉢合わせるのがやっぱり嫌なのか、伊勢くんが窓の方へと近づく。窓の鍵を開けて窓枠に手を掛けた。そこから出て行くつもりらしい。
「ま、待って伊勢君!!」
私は咄嗟にその手を――掴んでしまった。
「沼田!? おい放せ!」
「ダメ――『ZIP-LOCK』!」
空いた片方の手でポケットからプレートを取り出して、繋がれている伊勢君と私の手に魔法を掛ける。この手が外れないように。
――伊勢くんを放してはいけない。
チャンスは今しかない――そんな気がした。さっきまで心の隅にしかなかったものが、今では大部分を占めて私を突き動かす。
さっき言いかけたけれど、途切れてしまった言葉。
今度はちゃんと言わせて欲しい。伊勢君に届いて欲しい。
「私は……伊勢君に戻ってきて欲しい!」
伊勢君は呆然と私の方を見ていた。
驚いて見開かれている瞳を見つめて、言葉を続ける。
「私、ずっと寂しくて、その理由が今までわからなくて……!」
私の勝手な告白を聞いてどう思っているのだろう。伊勢君の都合も聞かずにこっちの都合を押し付けるなんて、自分勝手なやつだって思われてるかもしれない。でも、止められない。
だって――自覚してしまったから。
「でも……さっき伊勢君が出て行こうとしたときにわかったの!私……私は、伊勢君に――そばにいて欲しかったんだって!」
ZIP-LOCKに囲まれた中で、伊勢君の手をぎゅっと握り締める。今はこんなにも近くに伊勢君が居るけど、この手なんかじゃ足りないくらい、もっと、ずっとそばに居て欲しい。
窓枠に掛けていた手を外し、伊勢君が困っているような表情で頭を掻いた。
「沼田、俺は……」
口の中で続きにあぐねているのか言葉を途中で沈黙に代えて、伊勢君が私の方を見つめる。私は後に続く言葉を……待っていた。
「――いやー、結構やるわねぇハルカも」
「ハルカ先輩って大人しいと思ってたけど意外と度胸あるんだなー」
「沼田の意外な側面を見たな」
「ああ、……こんな……公衆の面前で……」
「ここまでされちゃ伊勢も覚悟するべきだよな」
いつの間にか、出掛けていたはずの他の5人が扉の付近に揃っていた。みんな一様ににやにやと笑いながら私たちを眺めている。
そんな中、永井君がすっと一歩踏み出して部室内に入る。支部長専用の席に近づき、ごそごそと何かを探っている。そんなに時間が掛かりもせず探し物が見つかったのか、丁寧に折りたたまれた白い紙を手にして嬉しそうに顔を上げた。
「それで……伊勢、休部届けはもう……破棄してもいいだろう?」
そう言ってこちらにかざす永井君の手には、ずっと前に自ら書いた伊勢君の休部届けがあった。
それは――部員全員が知っていた。それを永井君が机の引き出しの、一番上にずっと入れていたことを。たまに取り出しては、寂しそうに眺めていたことを。
「あの、伊勢君……?」
ずっと押し黙ったままの伊勢君に心配になり、声を掛けた。
もしかしたら、伊勢君は本気で戻ってきたくないのかもしれない。だとしたら私たちのわがままを押し付ける訳には……いかない。
ちら、と窺うと伊勢君と目が合った。すると迷っているような、照れているような色を浮かべた瞳が伏せられ、小さく溜め息が聞こえた。
「……チッ……仕方ねえか」
伊勢君が絞り出した一言はとても小さいものだったけど、部室にいるみんなに届いたらしい。沸き立つ執行部室の空気は、これまで経験したことがないくらい揺れていた。
――そういえば、ZIP-LOCKを解除していなかった。
みんなの前でずっと伊勢君の手を握っていたという事実に、今更だけど恥ずかしさが込み上げてくる。
小さく魔法解除と唱えると、私と伊勢君の手を覆っていた正方形のエリアが消滅した。それを確認してからそっと手を外そうとすると、強い力でぎゅっと握りこまれた。
伊勢君の方を見ると、これまで待ちわびてきた大ニュースに歓喜するみんなに向けて、照れ隠しに悪態をついている横顔がわずかに赤くなっていた。
……もう今更かもしれないけど、もう少しだけみんなに気付かれないようにと願いながら、男子らしい大きな手に私からもそっと指を絡ませた。
最初は6人、次は5人。
1人増えて6人。そして今、7人の執行部。
足りなかったものはたったの1ピースだったけど、私の心を占めるとても大きくて、とても重要なもの。
終わり