Day 6 10/22 Monday  
 
 
俺は執行部の部室で沼田の書類整理を手伝っていた。今日は未だトラブルの報告は無い。  
毎日がそうであれば……そう考えるのは無意味だが、どうしても願ってしまうのは何時もの事だ。  
だが、今は過去とは違う。単なる問題処理の役職という言葉では済ませるわけにはいかない。  
プライドがある。信念がある。そして、信頼出来る仲間が居る。  
それだけでいい、そう教えてくれた人がいる。その人を大切にしたいと強く想っている自分がいる。  
今は無理でも…何時かは平穏な学校生活を迎えることが出来る、そう願い精進するだけしか出来ないが、その行為や意志に嘘偽りは無い。  
 
 
「永井くん、ありがとう。今日は早めに終われそうね」  
「ああ。週末明けだったが、すんなり終われそうだ」  
騒ぎの無い時間が多ければ多い程、学校の規律は守られている。  
そう思うと安心できるし、沼田もそう思ってくれているみたいだった。  
彼女はもう、あの時のような泣き顔は見せてはいない。寧ろ笑顔が増え、交わす会話も増えた。  
ほんの数日での大きな変化は、目に見えて分かる。それが俺の言葉で強くなってくれたなら、凄く嬉しい。  
そしてその事に安心感を持っている気がする。彼女の笑顔は、俺を癒してくれている……執行部全体を包んでいる。  
一歩距離を置いて客観的に観ると、その空気は容易に感じ取ることが出来た。  
だから……もう壊させはしない。  
 
今まで多くの仲間に助けられて此処まで来た。支部長としてやるべきことはやって来たつもりだ。  
ロッキーに頼っていた昔のような威厳を自分が出すのは大変だった。威厳というよりも脅迫に近いかもしれない。  
それでも、上に立つ者としての立ち回りや統率が組織には最重要だった。  
他の部員には、そんなことは愚痴ったりは出来ない。態度と行動で示す。そうあるべきだと思っていた。  
そして、あれから半年。人見知りは無くなり、特に気を止めることなく気兼ね無く話せるようになった。  
相変わらず滑塚さんにはダメ出しを食らうが、「お前は良い意味で変わったよ」と言ってくれた。  
他人から指摘されて初めて気づいた……変化や成長は意外と気づかないものだ。  
表面上での組織としての理解と秩序ばかりで、俺は他人を何も理解してはいなかった。沼田のことも、伊勢のことも。  
 
俺達は全員、強い志を持って執行部に入部した。ただ、当時は伊勢だけが突出してその意志を行動に示していた。  
未だ入部して間もない俺は、生徒に権利を振るう方法も、態度も、その行為を際限無く執行する精神力も持ち合わせては居なかった。  
それが当時二年生の違反した先輩達に行使することにさえ未だ実感さえ、躊躇いさえ少なくは感じていた。  
だから誰よりも、先輩達よりも前線に出て執行する伊勢の後ろ姿を俺は必死で追っていた。  
伊勢と二人で公務をやり遂げる毎日が続き、漸く俺達の世代の活動も軌道に乗り出していく刻……部長からある議題が持ち上がった。  
俺は伊勢に配慮し、伊勢の代理として休部届けを提出した。  
余計な御世話だったのは分かっている。それがきっかけで事態を悪化させたことも分かっている。  
軽率だった。だが俺は制裁が下る前に、伊勢自身に気づいて欲しかった。そう……伝えるだけで良かった。  
でも今は違う。強く何かを護りたいと思ったことは初めてだった。だから、今なら……やり直す事が出来る。  
 
今日。もう一度謝罪しよう。  
もう伊勢には必要ない事かもしれないが、居場所を奪ったのは俺だ。  
俺は話せることは全て話したが、伊勢は未だちゃんと腹を割ってくれてはいない。  
もし…未だその意志が少しでもあるなら……。  
 
 
「はい。魔法執行部」  
沼田の声が部室に響く。問題発生か、平穏は何時も急に崩される。  
だがその静寂を再び取り戻すのが俺達の仕事だ。  
「……トラブルか」  
「うん。美術室側の廊下で魔法を使用しているそうよ」  
俺はすぐさま部室を後にしようとする。その当たり前の行動が、今日は何故か印象に残っている。  
緊張感が足りない所為だろうか。だとしたらマズイ、こういう時こそ気を引き締めないと。  
「もしかしたら玲が近くに居るかもしれないから、合流できたら一緒に向かってね」  
「ああ。わかった」  
 
 
 
 
 
「支部長! こっちこっち!」  
わたしは支部長と合流し現場に向かう。やっと都合良く二人になれた。  
「ねえねえ、ハルカとはどこまでイッたの?」  
「なっ!!……何言ってるんだ……」  
「フフっ、分かりやすいわね〜。もうハルカから聞いてるわよ?」  
「……あれは……お前の嘘の所為だ」  
「いいアシストだったでしょ? ニブイからね、支部長って」  
「いや、俺はそんな不純な……」  
「不純なことしたんだ〜……」  
「沼田から聞いたんじゃないのか?」  
「ほらまた嘘にひっかかってる! 支部長ったら、かわいい♪」  
支部長はわたしを無視して前を行く。怒ると無口になるみたい……ハルカに言っておかないとね。  
心配していたハルカの精神は安定していて良かった。支部長にたくさん気を使ってもらったみたい。  
支部長にしてはやるじゃない。  
少し似た物同士の二人だから、上手く相手の気持ちを引き出してあげているか心配だったけど…もう大丈夫みたいで良かったわ。  
 
さて……あいつはなにやってんのよ。  
ちゃんと来なさいって書いたのに……どうせ無視したんでしょうけど、なんかむかつく。  
別に復帰してなんて無理は言わないのに、顔出すくらいいいじゃない。誰もアンタのこと手嫌いなんてして無いわよ。  
でも、良かれと思ってやってきたことだけど、そんな簡単なものじゃなかったわね。でも支部長も待っていると思う。  
一人欠けたままでこのままこの校舎を去りたくないってみんなが思っている。  
わたしの想いが多分一番大きいのもあるけどさ……なにしてんのよ。早く来て……。  
 
「さあ、もうすぐ現場だ」  
支部長の声が聞こえ、わたしは支部長に追いつき現場に到着する。現場には生徒が二人。  
よくある攻撃魔法の試射を行っている最中だった。アクシデントなら仕方ないけど、遊びで魔法を使う連中には容赦はしない。  
「は〜い、執行部の支部長と副支部長のお出ましよ! 観念なさい!」  
 
 
わたしを助けてくれた伊勢の姿がすぐ側にあったあの頃。  
私より先に現場に駆けつけて、美味しい所を全部持っていく伊勢が居たあの頃。  
……慣れることが一番苦痛だった。伊勢のいない執行部が当たり前になって、その人物が皆の中から消えていくのをじっと見守るしか出来なかった事。わたしはそれを悔いている。  
そして、帰ってきて欲しいと心から願っている。  
本人の前じゃそんな事は言えないけど……「あんたの居た頃をふと思い出すと、相当精神的に来るのよ?」って、あいつに言ってやりたい。  
「あんたの所為で苦しんでいる人がいるのよ!」って、あいつに問い詰めたい。  
事件の所為でそれは出来なかったし、あんな焦燥としたあいつにそんなこと言えなかった。  
あいつなりの悩みや痛みがあるし、それは触れて理解した。傷口に触れて。体温を感じ取って。言葉を何度も交わして。  
 
―――……もっとわたし達を信じて。貴方が思っているほど、私たち執行部は脆くないわ。  
わたしは、目の前に移る伊勢の影にそう伝えながら生徒を捕獲する。わたしは何時までも待っている。もう直接伝えはしない。  
あいつ自身の脚で帰ってくることに意味があるから……きっとそれまではずっと辛いのかな…。  
それでも、あいつや支部長やハルカに比べたら、わたしなんて大した事ないわ。  
だから……わたしは何時までも待っている。ふっと現れて……そしたらキツく抱きついてやるんだから。  
 
 
 
 
 
相変わらず校内は賑やかだった。久しぶりの此処の空気は悪くない。深呼吸すると心が休まる……それが嬉しい。  
俺は修練棟の側にいた。此処には結構色々な思い出がある。一年の時の魔法試験は此処で一日を過ごした。  
俺の記憶の中には、毎日魔法の上達しか興味の無かった俺と永井が常に主役だった。  
魔法試験は、シルバープレートを競っていた俺達なら難なく解けるレベルだった。だが、俺は永井には成績では上に行こうと必死だった。  
結局永井がそれからずっと学年トップだったけどな。何時も俺は二番だった。今だったら……当時よりももっと悔しいだろうな。  
 
だがその分、以前よりも色々な物が見えてきた。自分のこと、執行部のこと、宇和井のこと……宇和井については、まあいい。  
執行部に関しては大きい。これだけ異常な学校だ、それなりの組織が必要なのも人材の選出の厳しさも今なら納得できる。  
滑塚さんに入部当初から扱かれたのも懐かしいな、執行部の振る舞いとか態度はあの人が一番風格あった。執行部の鑑のような人だ。  
俺はすぐに慣れたが、永井は何処か加減した執行でいつも厳しく対応しろと注意されていた。  
あの人は厳しいが、俺と永井にはいつも良くしてくれた。感謝している。  
ただ滑塚さんはどう思っているのだろうか……俺が執行部を休部したこと。  
二学期の始業式の日に久しぶりに会った時はネタで喋っていたが、まあもう校舎も組織も別だからな。  
 
それに……もう少しで三年生。今更戻っても仕方無い。これは、執行部を思ってやっていることだ。  
 
「ここは立ち入り禁止区域よ」  
後ろで声がした。振り返ると、一人の執行部員が立っていた。その姿に俺は見覚えがある。  
「沼田か……」  
「一応、この前に事件のあった場所だから……気になって」  
沼田と話したことは殆ど無い。だが宇和井と仲が良いのは知っている。  
そして……この前の事件の時にいたことも憶えている。  
 
 
 
 
 
偶然だった。伊勢くんがいるとは思ってもいなかった。  
 
わたしはふと試練棟のことを思い出し、心配になって脚を運んだ。  
突然の出会いだけど、以前よりは気持ちの整理も一区切り出来ているから、変に緊張せずに居られそう。  
それに、実際の伊勢くんを見ると雰囲気は大分柔らかくなっている気がする。言葉では上手く言えないけど……それでも表情や態度で感じ取れる。  
「玲に逢ってくれたみたいで…良かった」  
「ああ。ウザかったけどな」  
言葉とは裏腹の表情を見る限りは、迷惑はしてない様で一先ず安心する。  
「とりあえず施錠が甘いんじゃないか? もっと強固な魔法で鍵をかけないと、俺なら難なく壊せるぞ」  
「うん。それを見に来たの……ちょっと見せて」  
修練棟の入り口は磁場漏れの事故以来閉鎖されていたけど、伊勢くんの指摘通り、施錠魔法は緩んでいた。  
先生の施錠魔法は決して低クラスの物では無かったけど、磁場が未だ不安定な為に解除されている。  
わたしは応急処置で施錠魔法唱え、ロックを上書きしておく。  
後で先生に報告はしておくけど、未だ磁場は完全じゃないようで定期的な確認が必要な様だった。  
「そんな魔法も持ってんのか」  
伊勢くんはわたしの魔法を感慨深げに見ていた。少し恥ずかしくて手元が狂いそうになったのは……内緒。  
「誰もこんな魔法、率先して覚えようなんて思わないからね」  
「そんなこと言ってねえけど」  
「いいの。わたしが覚えたくてインストールしたから」  
施錠が終わり、わたしはプレートをポケットに入れる。伊勢くんは良く分からない、といった表情だった。  
「座りましょうよ。色々……お話とかしたいから」  
わたしは伊勢くんと修練棟の入り口にある階段に座る。  
 
 
こんな風景を……わたしは過去に憧れていた。でも今はもう好きな人が居る。他の執行部員の皆とは違った感情がある。  
それでも、そんな過去の自分を今なら取り戻せると思う。勿論、今でも彼を尊敬している。  
玲を助けてくれたことは、今でも感謝しているから。  
 
「何でわざわざこんな実用性の無い魔法を、って思うかな……やっぱり」  
「何をインストールしても使用者の勝手だが、まあ確かにそう思う」  
「伊勢くんはいつも鎖だよね……やっぱり愛着があるから?」  
「別に……使いやすいから使ってる」  
伊勢くんはウォレットチェーンを触っていた。ゴツゴツした装飾がカッコイイ。  
触ると傷つきそうで……初めて見たときはその装飾がナイフのように鋭利で怖かった。  
でも、率先して活動する彼にわたしは素直に驚いていた。自分の彼への価値観が大きく変化したきっかけだった。  
わたしの使った施錠魔法も、その頃には既にインストールしていた。  
「ふつう、魔法って自分の趣向にあった物をインストールするでしょ? でも、わたしには無かったの」  
「一つくらいはあるだろ? 使いたいっていう魔法は無かったのか?」  
「……自分がどうしたいかなんて考えてなくて。でも執行部を目指す為に、執行部に必要な魔法は憶えたの」  
 
―――記憶を辿れば、当時図書室で一生懸命勉強している姿が思い出される。  
其処には……若かりし頃の自分と、既にエリートだった永井くんと伊勢くんがいた。  
二人の実力はクラスマッチで既に立証済みだった。執行部に入ることになったら……この二人と一緒の部になるんだなぁ、って当時は思っていた。  
「執行部の入部対策に色々な魔法をインストールしたし、入ってからも覚えていったの。出来るだけ、他の部員には無い魔法を中心にね」  
「……なんつうか、それでいいのか?」  
「いいの。わたしの仕事だから」  
「自分の実力も、役割も分かっているつもりよ。腐ってやってきたわけじゃないの」  
「…………」  
「わたしにはわたしの役割があるから。永井くんみたいな部長でも、玲みたいな副部長でもない……事務としてのわたしの役割」  
 
 
わたしは伊勢くんに笑って見せた。伊勢くんは少し複雑な表情だったから。  
自分自身でも、自分を犠牲にしている感覚はあった。それでも、執行部を思ってやっていることと思えば気にはならなかった。  
多分、伊勢くんが一番嫌いなタイプの性格かもしれない。でも、少しでも伊勢くんにはわたし達の気持ちや考えを分かってほしくて……。  
玲だったらどう伝えているのかな。わたしの言葉で、彼の想いに近づけることができるだろうか。  
わたしは少しでも伊勢くんの役に立ちたい。もう玲との約束という口実じゃなく、自分がそうしたいと強く想っている。  
お節介なのかもしれない。どうしても無理なら、それでもいい。  
それでも。彼がもし何かしらの悩みや翳を胸に秘めているなら、その痛みを取ってあげたい。  
これ以上……辛い表情を見せる人を…伊勢くんを観たくないから……。  
 
 
 
 
 
沼田の台詞にはどうしても納得出来なかった。自分自身を殺しているように感じるのは……俺だからか?  
幾ら執行部の為だって言っても、自己犠牲が過ぎる。今はどうか分からないが、そんなので……いいのか?  
「わたしの魔法で喜んでくれる人が居る。必要としている人が居る。だから苦じゃないの、わたしも強さをみんなに分けて貰っているから……変だと思うかな」  
「ああ。沼田は他人が第一義になってるのが、良く分からないんだ」  
「今は伊勢くんと同じだよ、そんなの間違ってるってわたしも思う。だから、極力自分自身の力で頑張って……どうしても無理な時は、みんなで力を合わせて解決していく。それが正しいんだなって、漸く気づいたの」  
 
そんな事は分かっている。沼田が当たり前の事をこの場で言うのは……言葉通り、何か心境の変化があったのだろう。  
彼女の表情と瞳の輝きは、俺に直接訴えかけている。彼女の言葉は、一つひとつが俺に問いかけている。  
宇和井とは違ったぬくもりと安心感がある。俺自身がその続きを求め、沼田にかける言葉を頭の中で必死に推敲する。  
 
「……伊勢くんに戻ってきて欲しいの」  
俺は驚く。自分の台詞と同時に考えていた、沼田の真意には当たるが……彼女の口から出ると、今の俺がどうしても反応してしまう台詞だった。  
「ちょっと待てって。俺はもうあそこには帰らねえよ」  
「……伊勢くんには伊勢くんの役割がちゃんとあるよ」  
「なんだよ、役割って」  
「わたしの知っている伊勢くんは……誰よりも率先して現場に向かって、誰よりも真面目に執行部で頑張っていたよ」  
沼田のこんな真剣な表情を見るのは初めてだった。そして、沼田がこんな風に考えていたなんて思ってもいなかった。  
静かで真面目で……漫画やTVドラマに出て来る通りの優等生のように思っていた沼田は、誰よりも執行部を想っていてくれていた。  
俺がふと感じた組織への未練なんて比較にならないくらいに大きく、重い。当時も今も、生半可な気持ちではなかったが……甘かった。  
「わたしが憧れたのは……そんな伊勢くんだったの」  
「俺なんかが憧れかよ。沼田のほうが理想の執行部員じゃねえか」  
「伊勢くんは、わたしに無いもの、たくさん持っているから……」  
「持っても自慢できるものなんて何一つ無いけどな」  
「…そうじゃなくて…………」  
 
宇和井に接して散々知った事だ。何処か意固地になっている所があって、どうしても決断は下せなかった。  
突き放して、一人でいるのが当たり前になったら……空虚だけが残った。  
後悔や自責の前に帰属意識が芽生えるかと思ってはいたが、そうでもなかった。  
その所為で心に残る有耶無耶は未だ残っている。そして吐き出す場所を何時も求めていた。  
制御できなかったのは、俺自身だ。組織じゃない。永井の所為じゃない。  
沼田には、それが伝えられそうだ。そんな気がする。そうしたい自分がいる。  
「……来いよ」  
 
俺は沼田に声をかけ、校舎の方へ歩く。其の場所は、此処のすぐ側だった。  
其の場所に近づく一歩一歩で、記憶が悲鳴を上げて蘇る。  
鳴き声は次第に大きくなり、相乗してゆっくりと胸の鼓動が速くなっていく。  
鳴き声が叫び声になったときには、既に現場に到着していた。其の声の主は……俺だ。  
 
 
 
「ここって……」  
俺が人生で一番、狂ったように暴れた場所だ。もう二度と来ないだろうと思っていた場所だったが、今日はそうでもなかった。  
一人で着ても嫌な思い出しか出てこないだろうが、今は沼田と二人だ。  
「もう結構前になるか。嫌な記憶しか無いけどな」  
「……まだ永井くんのこと怒ってる?」  
「もう、そういうのじゃねえよ」  
「それなら……」  
「その事と俺の休部とは関係無い。それ以前に俺のさじ加減でコロコロ入退出来る組織じゃねえだろ」  
「……そういう所は本当に真面目なのね」  
沼田は嬉しそうな、そして寂しそうな表情を交互に見せた。俺はそんな表情が一番苦手だ。  
宇和井のように何時も突っかかってくる奴は言い返すが、沼田のようなタイプは調子が狂う。  
どう返せばいいのか分からなくなる。思ったことをただ告げることが出来ないでいるのは少し辛い。  
宇和井といた時もそんなことを言っていたような気がするが……あいつとは違う。唯今は……そんな会話が新鮮で嬉しい。  
 
「伊勢くん」  
「……何だ」  
「遅くなったけど、玲を助けてくれてありがとう」  
沼田は深く頭を下げる。其処までされると少し照れてしまう。  
「……俺は気に食わない奴等を殴っただけだ」  
「聞いたよ、伊勢くんの友達から。指示をした後、修練棟に真っ先に走っていったって。執行部員が一人って言ったら目の色変えていたって」  
余計な事を言いやがって。あの野郎。  
「……ありがとう。玲は伊勢くんに未だ言って無いかもしれないけど、本当に感謝してるよ。わたしなんて……」  
「座り込んでたよな、入り口で」  
「えっ!? わたしが居たこと…知ってたんだ……」  
「沼田以外全員教員だったからな。まあ俺より後に来てよかったな」  
 
―――…………?  
その言葉に沼田は少し反応する。俯いて身体が小刻みに震えているように見える。俺の言葉に何処か不備があったのか。  
「おい……大丈夫か?」  
「……うん。少し思い出して…ごめんなさい」  
思い出す……そうか。此処に着いた頃には既に沼田の様子は変化していた。強くて温かい眼差しは、怯えた弱々しいそれに弱体化していった。  
俺は沼田に近づくが、少しでも強い言葉を今かけたら、寒気を助長させるだけじゃないだろうか。  
 
 
 
「……ね? ほら、大丈夫!」  
沼田はふっと笑顔を俺に見せる。身体で大きく表現する彼女の仕草は、少し滑稽で俺は不謹慎にも笑いそうになってしまう。  
「なんだよそれ……宇和井の真似か?」  
「うん! 『疲れたり、元気が無いときはこうやって……自分に活を入れてみたら?』って教わったから。伊勢くんもやってみてよ!」  
無理矢理沼田に後ろ手で両腕を掴まれ、大の字に広げる。傍から見ると物凄く間抜けだ。  
「いつも両手をポケットに入れてたら駄目だよ」  
「余計なお世話だ。つうか、もういいって」  
沼田は残念そうに両腕を解放する。ほんの一瞬で、先程までの悲壮感が払拭された沼田を見ると、夢を見ていたかのような感覚に陥る。  
「……なんか、沼田のイメージが変わった」  
「そうかな…でも、伊勢くんの中のわたしのイメージってどんなの?」  
「いや、俺がいた頃は大人しくて、先輩が付きっ切りだったからさ」  
「そうだったね。前に出て執行するのには、少し抵抗があったから……だから、わたしは伊勢くんに憧れてたの」  
「俺は当たり前のことをやってただけだ。別に気に食わない奴を指導する為にやってたわけじゃねえよ」  
「……うん。そうだね」  
再びの笑顔と悲哀。交互に入れ替えては、はっきりと普段の表情に戻っている。  
未だ…沼田自身も上手くコントロール出来て無いみたいだった―――違う。無理矢理変えようと努力している印象を受けた。  
宇和井の入れ知恵で空気を換えたり、俺の事を心配したりしてくれる沼田。  
既に想像していた俺の中の沼田の像は無くなっていたが、それでも未だ軸がぶれていて、俺は少し心配になる。  
だが、当人は俺を心配してくれている。  
 
 
……ああ、そうか。これが沼田の言った真意か。  
誰だって悩みはあるし、辛いことなんて日常に溢れている。俺は確かにそれを力で抑え、振る舞いで発散していた。  
意識は全く無くとも、部活動でそれは表面化した。恐らく、滑塚さんや部長は直ぐに気づいたんだろう。  
俺は良かれと思って厳しく取締りを続けた。  
公務に私情は挟んではいない……俺はそのつもりでも、組織や生徒から観れば職権乱用に見えた筈だ。  
気に食わないが、それが事実だ。  
 
沼田は、それを気づかせようとしているだけじゃない。  
沼田自身、誰かに自分の考えを表現するのは苦手な性格だ。俺は端的に伝え過ぎて、相手にはその言葉だけが残っている。  
沼田は俺に似ている。表現の仕方は真逆でも、内に秘めた思想や感情を噛み砕けずにいた。  
「わたし、無理してた。誰にも言えずに…そうやって振舞うのが当然と思ってた。もしね、伊勢くんも何か悩んだり、辛かったりしたら、話して欲しいの」  
何処かでその歓迎を待っていた俺がいる。そして、先日部室に入ったことを思い出す。  
あいつらは此処で必死に仕事して、校舎を走り回っているんだな……過去の自分がそうであったように。  
そうであった過去の自分のいない今。  
それでも宇和井は、そして沼田は俺を待っていると言ってくれている。そして、永井もあの時そう言ってくれた。  
 
「……伊勢くん?」  
「ありがとう、沼田」  
「…………えっ?」  
「もう時間だろ?」  
「そっ…そうだね。そろそろ帰らないと」  
沼田は少し不思議そうな表情で俺を見ている。胸の前で絡まった両手の指が解ける時……。  
 
「先に行っててくれ」  
 
 
俺が去り際に放った言葉。ほんの少しして……俺の背中に、沼田の声が投げかけられる。  
誰よりも眩しい彼女の声が聞こえた。  
その声は、笑顔で見なくても判る程に悦びに満ちたものだった。  
 
 
 
一番癒されるのは、こんな風にペンキをぶちまけた様に広がる天井を眺めている時だ。  
その天井の手前で行き交う雲の数を、形を、流れる速度を、其の行方をぼんやりと眺める。  
俺は沼田と別れて屋上に来ていた。  
 
普段は何時もの校舎隅の木に寄りかかっているが、あそこじゃこんな一面に空の景色が広がらない。  
どうしても校舎や木で額縁が小さくなるからだ。  
先程沼田から教えてもらったリラックス法は、こんな青空の下でならしてもいい。大きく伸びをすれば、少しだけ重荷が軽くなる。  
ほんの……少しだけ。そのほんの少しの負荷が無くなるだけで、俺は違った世界が少しずつ見えるようになる。  
そして此処に来たのは、ほんの少しだけ、心境整理がしたくてやって来た。沼田の姿が今でも印象に残っている。  
彼女の台詞が胸の病みを削り落としてくれている。  
厭味には聴こえなかった本音は、俺を少し勇気付けている。痛みはそれぞれが持っている。  
 
沼田だけじゃない。宇和井も…俺には意地でも診せたりはしないだろうが、未だ膝の怪我は完治していない。  
笑って振舞っていたあの日。あいつに触れて感じた記憶とぬくもりは、じりじりと脳と右手に蘇る。  
その笑顔にも様々な色や形が在った。  
心から喜んでいたデート中の笑顔、その日逢った最初に見せた痛々しい笑顔。  
抱いた時、月明かりで写った泣き顔のような笑顔。  
その全てが、宇和井が俺に見せた真意なら……恐らく俺も宇和井に読み取られているんだろう。  
俺の言動や声色、そして表情を読み取った上で、あいつは俺に書置きをした。敢えて何時もの口調で。  
 
そして、永井。屋上で言った台詞は……忘れてはいない。  
俺はあいつから謝罪ばかりを耳にした。単純に気に入らない。何時から俺たちはそんな関係になった?  
俺は未だ永井に何一つ恩を返してはいない。  
お互いを認め、好敵手として切磋琢磨して来た相手に……何度も謝罪され、頭を下げる仕草を観るのは良い気分ではない。  
言ってやりたいことはたくさんある。執行部の関する事、事務的な事。  
私情が殆どだが、それでも伝えないといけない事がたくさん在り過ぎる。  
都合が良過ぎるだろうか。あんなに否定していたんだ。  
返って帰還が困難にしたのは俺の所為だが……それも謝罪の許容範囲。  
 
 
俺は魔法を発動していた。鎖の感覚は上々だ。  
反射的に対象を捉える鎖を手繰り寄せる。そしてそれをクイックで切り替える一連の動作。  
酷似する。まるで過去の自分の真似をしているように感じる。  
永井と共に競い合い、切磋琢磨していたあの頃の自分と目の前の光景が重なる。  
当然だったあの頃の日常が蘇り、失った忌わしき過去の末端記憶と今が漸く繋がる。  
 
 
 
 
 
俺は宇和井と違反者を部室に連行する。部室に帰るまでは、宇和井の質問攻めを避けるのに精一杯だった。  
だが、そんな宇和井の空気は今の執行部には欠かせない存在だ。  
主に執行部は堅苦しいメンバーだが、彼女のような賑やかさで今の執行部の活気が維持されていると思う。  
だから、宇和井の振る舞いには苦笑いばかりではあるが、内心では嬉しい。そう。沼田の台詞だった。俺には俺のすべきことがある。  
部員の誰もが、互いの不足したものを補い、庇い、執行部をより強固な組織にしていく。  
実力だけじゃなく、組織としての連携だけじゃなく……互いの絆や意志を紡ぐ。単なる執行組織には囚われないように。  
重責とプレッシャー、そして伊勢のことでそれどころじゃなかった当時の自分には、その台詞は良く解らなかった。  
だが、その支部長に任命された時に送ってくれた滑塚さんと部長の言葉は、今なら理解できる。  
 
部室に入ると、何時もよりも人数が多い。  
俺、宇和井、沼田、八条、里谷、俺達が連行した生徒……そしてあと二人。  
「……永井くん!」  
沼田の声は何処か嬉しそうで、俺はこんな沼田の笑顔を仕事中に見たことは初めてだった。  
「よう……違反者、連行してやったぞ。屋上で練習なんて真面目な奴だが、違反は違反だからな。落ち零れの弟に見せてやりたかったな」  
声の主は瞬時に解った。まさか此処に現れるなんて思っても見なかったから、反応できずにいる。  
「な〜んだ、ちゃんと来てくれたんだ。よしよし」  
「触るな。お前のために来たんじゃねえよ」  
宇和井の台詞からして、みんなは知っていたのか? 誰も驚きや抵抗は無いように感じる。  
「魔法を無断で使用したから、これ。始末書な」  
書類を渡される。丁寧に書かれた始末書の字体は、何度も見た記憶のあるものだった。  
そう。良く二人で勉強していた時に何度も見た筆記体。  
字はその人物を表すとされているようだが、細く鋭いその筆先は確かに瓜二つだった。  
真似したくなるほどに綺麗な字体だが、何度もシャーペンの芯を折る仕草も同時に見せていた。  
それが……俺が感じ取れる唯一の警告だったのだろうか。  
いや、悪いのは俺だ。だから何度も謝った。だから今の状況は、嫌でも期待してしまう自分がいる。  
 
「……じゃあな、永井」  
「……!! 待て! 伊勢!」  
俺は部室を去る伊勢に咄嗟に声をかけた。過去の記憶や時間を回想するような余裕はもう無い。  
外に出ると、伊勢は既に廊下を歩いている。過ぎ去っていく親友の背中は……どんどん小さくなる。  
「また……来てくれるか?」  
伊勢に問う。俺の都合ばかりが頭の中で交錯していたが、そうじゃない。  
これから……ゆっくりでいい。でも、いつかはきっと戻ってくる。俺はそう信じている。  
「また執行部がヘマしたら来るかもな。嫌なら、しっかり活動するんだな」  
伊勢は背を向けたまま話し、歩みを止めることは無かった。  
 
包帯に包まれた右手が微かに揺れている。その仕草は、俺があの頃何時も見ていた伊勢の癖。  
そのハンドサインは“心配するな”という意思表示。  
 
そして……“また明日”という挨拶だった。  
 
 
 
 
 
Day 7 4/XX the Opening Ceremony  
 
 
今日は一学期の始業式。  
新一年生が緊張と興奮を胸いっぱいに秘めて此処、聖凪高校にやってくる。  
代わりに二年間この学び舎で育った二年生達は進級し、新たな校舎へと巣立っていった。  
魔法執行部A校舎の支部長だった永井は、そのポストを後輩の九澄大賀へと譲ることとなった。  
GPとしての実力も然ることながら、判断力や統率力もトップの資質には充分だと全部員一致の結果だった。  
当の本人は何故か嫌がっていたが、最後は素直に支部長のポストを受け継ぎ、歴代の支部長に恥じないよう頑張ると誓った。  
 
副部長は柊愛花。玲とハルカの推薦で決まる。  
彼女も最初は困惑気味だったが、九澄との相性や魔法の実力、補佐からの下積みと長期経験を考えてのことだった。  
勿論、支部長だった永井は執行部部長に任命され、前よりも責任感の大きい役職に就くことになった。  
副部長も宇和井が務めることでメンバーもそのまま繰り上がりの形となり、大きな変革は何一つ無く新たな一年が始まろうとしていた。  
 
唯一。挙げるとするなら。  
 
 
「九澄くん!」  
愛花は九澄を呼んだ。まだ始業式前だが、二人は執行部の部室に足を運び新学期の準備をする。  
準備といっても、新一年生用と新二年生の名簿や学年毎のファイルの整理ぐらいだった。  
其の為、一仕事終える頃には、未だ始業式には充分間に合う頃合いとなる。  
「ふう……ったく、他の部員の奴らは何してんだよ」  
「ごめんね。急遽だったから、わたしだけでも良かったんだけど……」  
「柊一人でそんなの駄目だ! 一応支部長として、俺が頑張らないといけねえし」  
「ありがとう。九澄くん」  
九澄は少しあわてた様子だったのは、未だ支部長として過ごす学校生活に慣れていない事があったためだ。  
だが半年以上の期間、一年生の担当責任者として活動した経験で、執行部は今の所波乱も無く平穏を保っている。  
 
 
「先輩達、元気にしてるかな……」  
愛花は扉の側にある掲示板に飾られている写真に目をやりながら呟く。九澄は愛花の視線の先を一緒にじっと眺める。  
掲示板には、名残のある宇和井の殴り書きの部室ルールや、ハルカの作った執行部マニュアルの資料。  
そしてその片隅に……三学期の終業式に撮った様々な写真が飾ってあった。当時二年生の執行部員全員が写っている。  
集合写真。一人ひとりが大きく映る写真。どの写真の主役も笑顔で笑い、嫌そうに顔を隠すものと個性溢れる照像達。  
 
その写真の中に、男女四人の写真があった。  
集合写真とは別に撮ったその写真に写るのは……左から永井、ハルカ、聡史、そして宇和井。  
聡史に自然に腕を回す宇和井と、笑顔で写るハルカ。  
永井は此方を整った表情で見据え、聡史は宇和井の腕もあってか少し照れた表情だった――――。  
 
 
 
「あの刻、どうして遅れて来たの」  
「少し整理してたからな。ほんの少しだけ」  
「すごくうれしかったよ……あの刻の伊勢くんの台詞」  
「……宇和井には言うなよ。調子に乗るからな」  
「玲とは順調?」  
「沼田からも言ってくれ。襟を掴んで俺を振るのはやめてくれって」  
 
「なにしてるの〜!? 早く写真撮ろうよ〜!」  
 
「早く行きましょ! 玲が呼んでるわ」  
「写真は嫌いなんだよ」  
「玲とのプリクラなら大丈夫なのにね!」  
「……なんか宇和井に似てきたな」  
 
「それじゃあ、とりあえず全員で撮ります! 此処に並んでください!」  
「九澄! 大事な一枚なんだからちゃんと撮りなさいよ!」  
「わかってるって! 変にプレッシャーかけるなって!」  
「九澄くん大丈夫? わたしがやろうか?」  
 
 
「……照れるな。少し緊張する」  
「執行部部長が何言ってんだよ。示しがつかねえぞ」  
「ああ。そうだな」  
「お前は今迄通りでいい。まあ下らないプレッシャーに圧されて、俺達の仕事を増やさなきゃ俺は構わないんだけどな」  
「そんな事にはならない。大丈夫だ」  
「……それならいい」  
 
 
「それじゃ、撮りますよ…………はい! チーズ!」  
 
 
 
 
 
その瞬間まで……多くの時間と苦悩を費やした。  
単に校舎を離れるだけだと言えば、それまでの一日だった。其れ故の始まりが其処にあった。  
一人は失った過去を、一人は秩序と規律を、一人は慈愛と組織を、そして一人は感情と活気を。  
 
彼等の物語は未だ終わらない。再び新たなる一年間が始まる。  
そして、その物語は後輩達に受け継がれていく。  
 
「もう時間だよ! 行こうよ、九澄くん!」  
「ああ。今日から気合入れて頑張らないとな」  
 
 
 
そして。  
生徒会魔法執行部の物語は、彼等しか知らない。  
 
 
 

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