Day 1 5/XX Unknown   
 
 
入部当初の頃は、伊勢くんは誰よりも率先して仕事をこなしていた。見た目とのギャップもあって……わたしは憧れていた。  
あんな風に強くなれたら。魔法じゃなく、使う者の強さ。前に出て率先して活動するのが苦手だったわたしには、伊勢くんが輝いて見えた。  
 
彼が慕っていた同学年の生徒は、永井龍堂という長髪の男子だった。  
執行部に入る以前からも親しくしていたようで、入部も二人で決めたそうだ。  
だけど彼は他人と距離を常に置いていた。わたしは話しかけたくても、話すことは出来なかった。  
そんな彼に気さくに玲は話しかけていた。当時一年で女子はわたしと玲しかいなかったから、玲とは直ぐに友達になった。  
そんな彼女が、憧れの人と話している。羨ましくて……複雑だった。二人の中に割って入るなんて出来なかった。  
―――二人は付き合ってるの?玲は伊勢くんのことが好きなの?  
 
そんなことを考え悩んでいたら、日毎に伊勢くんに対する不満が先輩達から漏れるようになった。  
そして……伊勢くんの休部。  
あんなに活躍していたのに、どうしてなの。先輩に話を聞くと、執行時に加える暴行が問題になっていた。  
伊勢くんはそんなことはしない―――そう自分に言い聞かせていた。  
 
わたしの願いは崩れ去った。彼は永井くんと衝突し、それ以来部室に顔を出す事は無くなった。  
 
 
 
原因を玲に聞いた。でもわたしが聞いたことと同じで、伊勢くんの暴走、という事になっている。  
わたしは本当のことが知りたかった……永井くんなら。伊勢くんと唯一知り合いだった永井くんなら知ってるのだろうか。  
わたしは永井くんに話を聞いた。  
「永井くん。この前のことなんだけど……」  
「…ごめん……いそがしいから……」  
彼は何処か影を落としていた。親友と喧嘩したんだから、当然なのは分かってる。  
でも、何時もの腹黒い方の永井くんは、わたしの前では見せなかった。眼を合わせることなく、会話はいつも終わってしまう。  
永井くんは支部長として一生懸命頑張っていた。でも帽子が喋るときは、口がすごく悪くていい印象を持っていない。  
玲に何度もブスって言ってたのには、内心腹が立っていた。  
 
……本当はこの人の所為なんじゃないのか。伊勢くんを追いやったのは、この人じゃないのか。  
そして彼への疑念は次第に募り―――現在に至る。  
 
 
 
執行部に連絡が入る。何時ものようにわたしはアラームが三度鳴る前に素早く受話器を取った。  
「はい、こちら魔法執行部」  
「なんか、屋上で騒ぎがあるみたいなんですけど」  
「屋上ですね……人数は分かりますか?」  
「執行部の人は何人か見ました。支部長とGPの人、あと伊勢さんらしき人も」  
伊勢くん?どうして……嫌な予感がした。組み合わせの時点で既に不吉な予感は充分漂っている。  
「わかりました。すぐに部員を向かわせます」  
「な〜に? ハルカ、また仕事?」  
玲になんて言えばいいんだろうか。余計な事は言わない方がいいのかな……そういう風に仕事に私情を挟んでしまう自分が嫌だった。  
「屋上で騒ぎが発生したそうよ」  
「おっけー。八条、行くわよ!」  
「はいはい」  
玲と八条くんは屋上に向かった。里谷くんは別の仕事で出ていて、部室にはわたし一人だけが残された。  
 
それから玲たちが帰ってくるまでの時間は、とても長く感じた。  
事務の仕事が一区切りしていたために、じっと壁に掛けてある時計の秒針が一定の間隔で刻むのを眺めていた。  
興味や好奇心よりもずっと不安や心配の方が圧倒的に大きくて、わたしは胸が苦しい。  
一人で何も出来ずに待っているのが……苦痛で堪らなかった。  
 
 
 
下校時間に近づいた頃、漸く玲たちが帰ってきた。九澄くんや永井くんも一緒だった。  
「九澄! アンタ魔法使ったんですって!? なんでわたしに見せなかったのよ!」  
「だァー!! だから抱きつくのやめろって!」  
玲は何事も無かった様に振舞っていた。雰囲気も刺々しいものではなく、何時もの空気が流れている。  
わたしは永井くんに事情を尋ねる。そういえば、永井くんは帽子を被っていない。手に持ったままだ。  
「屋上での騒動は、なんだったの?」  
「ああ……伊勢と色々あって……九澄に…助けてもらったよ」  
「色々って?」  
「それはわたしが答えるわ。ハルカ」  
わたしが気になって追求しそうになった時、玲が話し出した。  
 
玲に事情を聞いた。わたしは永井くんを誤解していた。  
今すぐにでも謝りたかった。あの時の表情は、そんな簡単な理由じゃなかった。  
それでも謝罪することが出来なかったのは、このまま流れてしまえばいいな……そう思っていたから。  
だから、わたしだけ笑ってはいなかった。誰にも気づかれない様、必死で涙を堪えながら書類に眼を通していた。  
その日まとめた書類の中に……字が滲んでいる書類があることは誰にも言ってはいない。  
 
 
 
「永井くん」  
わたしは永井くんに話しかけた。二人しかいない、放課後の下駄箱。夕焼けは落ち、蒼黒く空が沈んでいくのが確認できた。  
「まだ……残ってたんだ。どうか…した?」  
「一緒に帰らない?」  
「僕が……沼田さん……と?」  
「うん。ダメかな? 話したいこととかあるから」  
永井くんは動揺していた。部室以外では話さないのにいきなり二人で帰るなんて……驚くはず。  
「沼田さんって……帰る方向……一緒だっけ」  
「うん。途中まで一緒ね」  
「わかった……もう外も暗いから……一人じゃ…危ないから」  
何度も心の中で復唱した言葉は、形を変えながらも相手に伝わった。  
そして永井くんの言葉が嬉しかった。その場凌ぎでも、本当の想いでも。  
 
校門をくぐる頃には、辺りはすっかり暗くなる。街灯の照らす歩道を二人並んで歩く。  
風が吹くと、互いの髪が靡いて揺れる。脇に眼をやれば、家々の明かりで溢れる。  
まだ白い息は出ないけど、肌を刺す寒さと乾いた空気が好き。雲の無い蒼の空に星が輝く。  
わたしと永井くんの間に流れる空気だけが、停まっている様に感じた。  
「ごめんね、いきなり誘っちゃって」  
「…女の子一人じゃ……心配だからね」  
歯切れの悪かった今までの話し方が、少しずつだけど優しく、強くなった気がする。  
やっぱり、玲の言ってた事は本当だったんだ。  
疑ってはいなかったけど、改めて聴くと……少し吹っ切れたのかな、永井くん。  
「その帽子、永井くんじゃなかったんだね」  
「ああ……さっきも皆の前で謝ったけど、執行部の皆を騙すような事をして…すまなかった……」  
永井くんは立ち止まり、わたしに向かって頭を下げる。わたしは永井くんの両腕を掴んでいた。  
「もういいの! 怒ってないよ。それに謝らなきゃいけないのは………」  
永井くんの顔が側にあった。身長差で見上げる形になるけど、凄く近くにある。  
かあっと顔が赤くなったわたしは、急いで掴んでいた両手を離す。  
「……ごめん」  
「いや、いいんだ」  
永井くんは歩き出す。わたしは遅れないようについて行った。  
 
 
それからは特に何も話さなかった。  
今日一日、たくさんのことがありすぎて、永井くんもわたしも疲れてたからだと思う。  
ホントは永井くん……ひとりになりたかったのだろうか。わたしが側にいるのが、迷惑になってるのかな。  
そう考えていたら、あっという間に時間は過ぎる。  
「じゃあ、此処で」  
「あっ……永井くん」  
わたしは精一杯の笑顔で言った。  
「また明日ね! バイバイ」  
「ああ……気をつけて」  
永井くんは背を向けて去っていく。わたしはその背中が見えなくなるまで見護っていた。  
 
 
わたしはただ“謝罪”という口実で度々彼に逢っていた。永井くんは嫌な顔一つせず一緒に帰ってくれた。  
口数の少なかったお互いの話題も増えた。いつも執行部のことばかりで、お互いの事なんて全然知らなかったから嬉しい。  
一回、一緒に帰ったら一つ。新しい永井くんに逢えた。わたしもたくさん伝えたくて、聞かれた事はなんでも答えた。  
だから、わたしの当初の命題は言えずにいた。  
もし言ったら、もうこうやって話せなくなるかもしれない……それが怖かった。  
もう多くは望まない。一緒に執行部で活動し、終わったら一緒に帰って、色んな事話して。  
そんな毎日が楽しかった。そんな日常を壊したくなかった。  
 
 
 
 
Day 2 10/12 Friday  
 
 
春、夏と季節は過ぎて十月。特に執行部が忙しい時期。  
「ハルカ、ちょっといい?」  
「どうしたの?」  
「……伊勢のことなんだけど」  
昼休みにわたしは玲に呼ばれる。執行部の部室には、わたしたち二人しかいない。  
 
実は玲からは前々から話は聞いていた。  
最初は玲のお節介だと思ってたけど、二人の為なら悪くないのかな……そう思った。  
二人には仲良くなって貰いたかった。それなら……いいのかなって。  
「玲、あんまり無茶したらダメだよ?」  
「大丈夫! さっき逢ってきたから」  
「えっ? でもさっきは違反者を捕まえに行ってたじゃない」  
「……アイツに助けてもらったのよ。だからお礼ついでにね。あとこれ、支部長には絶対内緒ね。伊勢にバレたら面倒だから」  
 
 
そう言って玲は出て行き……数分後、永井くんが部室にやってきた。  
「沼田一人だけか」  
「うん。もう授業始まっちゃうよ? どうかした?」  
「いや、此処を通りかかっただけだ。今日の放課後担当は?」  
「今日は……玲とわたしね」  
「そうか。最近シフトが変則的になってしまったな。九澄達は分室で頑張ってるみたいだから、二年生五人で上手く廻して行きたいんだが……」  
「二人でも大丈夫。ほとんどの生徒は部活動で忙しいし」  
「でも君には事務に加えて執行補佐まで……」  
「それがわたしの仕事だから、心配しないで」  
「……わかった。じゃあ放課後、よろしく頼む」  
永井くんは以前あった人見知りは改善され、帽子で話すことは殆ど無くなった。  
支部長として半年間、色々あったけど頑張ってきたと思う。  
心配してくれるのは嬉しい。わたしに気を使ってくれてるんだなって思う。  
 
 
その日の放課後、部室に連絡が入る。  
「はい、こちら魔法執行部」  
「なんか二年生の奴等が進入禁止区域に入ってったのを見たんだけど」  
「進入禁止区域……修練棟のことですか?」  
「そこそこ。一人しか居なかったけど、いかにもって感じだったから」  
「……わかりました」  
わたしは電話を切って、玲に伝える。  
「修練棟に生徒が侵入したって、人数は一人」  
「また? 先生達はちゃんと鍵してないのかしら」  
「どうする? わたしも行こうか?」  
「大丈夫、わたし一人で。部室を空けるわけにはいかないでしょ?」  
「……そうね。一応何かあるといけないから、永井くん呼ぶね」  
「おっけー、それじゃあ行って来ます」  
玲は部室を後にする。報告には一人と言っていたから大丈夫だと思う。玲に敵う人はこの校舎には……。  
 
わたしは一人の男子を思い出した。  
「伊勢……くん?」  
彼はそんな所に用なんて無い筈。でも彼は学校には来ているようだけど、いつも姿を見せない。  
じゃあ……もし伊勢くんは、あそこをいつも出入りしているんだろうか。伊勢くんなら修練棟の施錠を突破するのは難しくない。  
わたしは玲の報告を待っていた。でも中々携帯は鳴らない。部室でじっと椅子に座り、携帯画面を眺めていた。  
 
 
 
携帯が鳴る。わたしは瞬時に反応し画面を見ると、着信は玲からだ。  
「もしもし、玲?」  
「ハルカ!! マズイことになったわ……先生に連絡して、修練棟の磁場を抑……―――――」  
 
 
電話は其処で切れた。どうして嫌な予感はいつも当たってしまうんだろう。何度返信しても繋がらない。  
わたしは急いで部室を後にした。すると目の前を先生数人が走っているのを目撃する。  
只事じゃない雰囲気に、わたしは確信する。  
「すいません! もしかして……」  
「沼田か、ちょうどいい。さっき生徒から連絡があって、修練棟で騒ぎがあると聞いたんだが」  
「はい。此方も執行部員も一人向かったんですが……」  
「あそこはまだ磁場を解除していない。それにさっき調べたら微量ながら磁場漏れを起こしている。遊び半分で魔力を放出したら大変なことになるぞ」  
先生達は修練棟へと向かう。  
「わたしも行きます!」  
わたしは先生達の後を追った。考えよりも先に脚が動いた。  
 
校舎の廊下を走り抜け、修練棟への渡し廊下を進む。棟の玄関口は開いていた。  
中に入ると、明かりは点いていなかったから暗く、空気は磁場漏れの所為か澱んでいた。  
漂う空気に身を任せると……可笑しくなりそうなくらいの緊迫感が込み上げてくる。  
「地下で誰かが魔法を使用してるな、相当でかい」  
先生達の指摘を聞いた後すぐ、わたしは真っ先に地下に走る。  
「まて沼田!」  
先生達の声を無視し、階段を駆け下りる。地下二階に下りると……正面の扉が開いている。わたしはそっと中に入る。  
すると、中は蜘蛛の巣のように全方位に糸が張り巡らされていた。  
この魔法は玲のものだろうか。中央に収束する糸を眼で辿ると、中央に玲が絡まっている。  
そしてその下。必死で何かに向かって何度も殴り続ける男。その後ろ姿は……。  
「なんだこりゃ……」  
後から来た先生達が驚くのは無理もない。わたしも訳がわからなく、恐怖で其の場に座り込んでいた。  
……腰が上がらなかったのはそれだけではなかった。不安が文字通り的中してしまい、呆然としていた。  
眼は大きく見開き、手は胸の前で強く握ったまま硬直し、時折悪寒で微細に震えていた。  
 
先生達は彼の側に詰め寄り、彼を捕まえる。そして連行する彼をわたしはじっと見ていた。  
彼は抵抗しなかった。部屋の出口で彼とすれ違う時、手錠の拘束魔法に縛られた右手は傷だらけで血が滲んでいた。  
声なんて、掛けれなかった。  
 
後から来た百草先生が玲を救出し、抱きかかえて此方に戻って来る。玲の膝には痣があった。  
「宇和井さんは大丈夫よ。沼田さん、貴女も手伝って」  
百草先生の声で、漸く眼が覚めたような感覚を憶える。部屋で倒れていた生徒達は、後で駆けつけた先生達が運んだそうだ。  
一方わたしと百草先生は、玲を保健室に運び治療する。百草先生が治癒魔法を使えたのが幸いし、玲の怪我は快報に向かった。  
百草先生が去った後、玲が目覚めるまでわたしはずっと側にいた。手を握り目覚めを待つ。  
色々な事を考えないといけない所だったけど、上手く頭が廻らない。だから、今は玲の無事だけを願っていたかった。  
 
無理矢理にでも塗り潰したい人物画があった。でもどんなに黒い絵の具で塗りたくっても消えない。  
だから、せめて……今だけは…………。  
 
―――そう祈っていたら、わたしまでも眠りに落ちていた。  
 
 
「沼田!!」  
わたしは起こされる。呼んだのは永井くんだった。  
「大丈夫か?」  
わたしは身体を起こす。目の前を確認すると、まだ玲は眠っている。  
「……うん。わたしは大丈夫」  
「そうか。宇和井の容体は?」  
「百草先生が治療してくれたから大丈夫だと思う。でもまだ眠ったままで……」  
「私なら大丈夫よ」  
玲が答える。眼は瞑ったままだったけど、声は以前と変わらない。  
「玲! 大丈夫!?」  
「ちょっと脚が痛いけどね。支部長の声が大きかったから起きちゃった」  
無事で何よりだった。保健室の空気が急に明るくなる。玲の才能……かな。そんな玲が羨ましく思う。  
「お邪魔するが、宇和井の様子はどうだ?」  
柊先生が訪ねて来た。玲は先生に答える。  
「大丈夫です。さっき眼が覚めました」  
「そうか。眼が覚めて突然だが、今回の件についての詳しい状況説明が聞きたい」  
「柊先生。もう少し後でも……」  
「処分は即時行わないと、二次被害の恐れがある。永井、お前ならわかる筈だ」  
「……はい」  
「じゃあ、二人きりにさせてくれないか」  
 
わたしと永井くんは外に出て部室に戻る。此処に戻ってくると、急に事件の記憶が蘇ってくる。  
わたしは疲れていた。よほどさっきの光景に驚いて、衝撃を受けたからだった。  
嫌な記憶は何時までも消えないでいた……せめて今だけは現れないで。  
「すまない。電源を切っていて連絡に気づかなかった」  
「うん……」  
「犯人……見たのか?」  
わたしは知っている。でも永井くんに言っていいのだろうか。言ったら……永井くんはどう思うんだろう。  
そんなことは解ってた。答えも出ていた。そしてわたしは臆病者だった。  
 
「……見てないの」  
わたしは嘘をついた。もう一つ増えた。永井くんに謝らないといけないこと。  
「そうか。ならいいんだ」  
永井くんはそれ以上は詮索しなかった。処分が決まれば、永井くんは事件の犯人を知る。  
それをわたしが伝えるなんて出来なかった。  
 
玲の事情聴取が終わったみたいなので、わたし一人で保健室へ向かう。永井くんは柊先生のいる職員室へ向かった。  
保健室に入ると、玲はベッドから出て上着を着ていた。白いソックスの上から覗く右膝に残る痣が痛々しい。  
「ハルカは見たの?」  
第一声が直球な質問だったけど、わたしはゆっくりと言葉を選ぶ。  
「……うん」  
「柊先生から聞いたわ。アイツ……」  
「やっぱり伊勢くんが犯人なの?」  
「違うわ。犯人はわたしの側に倒れてた奴等。伊勢は……伊勢の知り合いも倒れてたから、知り合いに教えてもらって来たんだと思う」  
伊勢くんが犯人じゃない……良かった。  
「まだ支部長に言ってない?」  
「うん。言ってないよ」  
「良かったわ、誤解が伝わってたら、取り返しつかなかったかもしれないから。その様子じゃ、ハルカは伊勢が犯人だと思ってたんでしょ」  
わたしは頷く事しか出来なかった。誤解したのは、犯人が彼なんじゃないかと言う先入観と、眼に入った光景が一致したからだ。  
「ハルカの報告は一人だったから、それは多分後を追った伊勢の知り合いね。一人だけ部屋の中央で倒れていたわ。連中を追った最初の数人は扉を開けた直後に狙い撃ちされてる」  
「確かに、扉付近に三人ほど倒れていたわ」  
「柊先生に聞いても、連中の動きはそんな感じだって言ってた」  
わたしは記憶を辿る。あまり思い出したくない記憶だったけれど、仕方ない。  
 
わたしが思慮に耽っていたら、玲は既に帰宅する準備を終えていた。  
「もう…大丈夫なの?」  
「一応病院に寄ってく。百草先生の魔法で外傷は完治したけど、骨の異常とかは検査しないと分からないから」  
「そう……」  
「そんな顔しないの! 可愛い顔が台無しよ」  
「もう。こんな時に……」  
玲はそっとわたしを抱く。あったかくて優しい玲の抱擁は何時もわたしの味方だった。  
「私はいいから。心配なのはハルカ、アンタよ」  
玲に心配されると頑張らないと、って思える。でも伊勢くんのことを悪者だと思ってた自分が今でも嫌。  
わたしの憧れだった人。玲には言って無いけど、やっぱり分かってたのかな。  
 
玲は両親の車に乗って、病院へ向かった。わたしはそれを校門で見送っていた。  
普段の玲の振る舞いが、逆に無理してるんじゃないかと心配になってきた。でも当の玲はわたしを心配してくれる。  
擦れ違ってばかり。  
伊勢くんを疑ってしまった自分が嫌。玲の笑顔に素直に喜べない自分が嫌。  
永井くんに伝えられない……嫌、イヤ。もう……やだ。  
 
 
もう陽は沈みきって暗闇がわたしを覆う。深呼吸すると乾いた空気が、肺に取り込まれわたしは少し息吹を得る。  
「沼田」  
永井くんに呼ばれる。心配してたのは、ぼ〜っとしてて反応が遅かったからだったみたいだ。  
「大丈夫か?」  
「―――行こう、永井くん」  
必死で作った笑顔には、翳りが滲んでいた。自分でも分かるから、永井くんはきっと気づいている。  
わたしは永井くんの手を取る。自然に手が伸び、同時に必死で走った。  
 
誰もいない歩道。等間隔でそれを照らす街灯。車は一台も走らない。  
辺りに二人の駆ける音が響く。そしてわたしの吐息。  
運動オンチな二人は、目標も無く走った。  
秋空に無尽蔵に舞う乾いた空気を追って……頬を駆け抜ける風は冷たく痛い。  
その痛みで走れなくなるまで、わたし達は走った。  
 
 
「はあっ……はあっ……」  
「はっ……はあっ……どうしたんだ、いきなり……」  
膝をついてわたしは息をする。永井くんはガードレールに手を掛けて、かなり参ってる表情だった。  
「……ごめん…なんか……我慢……できなくて…」  
如何してかはわからなかった。走ることに意味なんてなかった。思いっきり大声で叫んでも良かった。  
ただ、膨れ上がっていた。それを解放しないと可笑しくなりそうだったからだと思う。  
わたしは未だ立ち上がることが出来ない。永井くんは呼吸を整え終え、わたしの側に膝をつける。  
わたしはじっと見つめる。彼の瞳に囚われ、未だ乱れる呼吸が回復せず胸が苦しい。  
「………わたしがこんなこと……いきなり……びっくりしたかな」  
「そんなこと無い。俺だって走って、すっきりした」  
「伊勢くんのこと……?」  
「伊勢のことは柊先生から聞いた。もう暴力には使わないと言ったんだが、今回は仕方ないと思ってる」  
「……怒りに任せてなの?……玲を護ろうとしてなの?」  
「それは……伊勢しか知らない。その伊勢は何も言わなかったそうだ。ただ連中を魔法で追い込み、暴行を加えたと証言した」  
わたしは真っ先に彼の処分が気になった。  
「伊勢くんの……処分は」  
「一週間の謹慎処分だそうだ。淡々と聞き入れ、一礼して後にしたそうだ」  
退学には為らずに済む事を聞いて、ほっとする。  
「……伊勢くんと話、したい?」  
「伊勢が赦さないだろう」  
「…………」  
危うく話してしまいそうだった。でもどの道、玲の計画なんて成功しない。こんな事件が起きたんだから。  
玲は怪我、伊勢くんは謹慎。残されたわたしたちは……どうすれば。  
 
永井くんがわたしを立たせてくれた。まだ脚が棒になっていてふらつく。  
「暫くは宇和井は治療に専念してもらうと思う。三日ほど大事をとって休むそうだ。執行部の仕事が忙しくなるが、俺達が何とかしないとな」  
「うん。そうだね……きゃあっ!!」  
永井くんに倒れこんでしまう。  
 
 
ふとしたきっかけだった。糸が解ける。  
感情の波が臨界点から溢れ、止まらなくなる。抑えても抑えても流れ逝く。  
「………わたし………みんなに…支えられてばっかりだね………………ごめんな…さいっ………………ごめんね……永井……く…ん……」  
 
泣いていた。抑えられなかった。亀裂の入った器の破裂は、沈静も制御も効かなかった。  
わたしに出来たのは……彼にしがみ付くことだけだった。  
 
 
 
Day 3 10/15 Monday  
 
 
月曜日から仕事は予想通り忙しかったけど、玲の穴を九澄くんや柊さんに手伝ってもらう事になった。  
九澄くんには特に詳しいことは言っていない。柊さんは『事務作業の練習になるので平気です!』と言ってくれた。感謝しないといけない。  
そして普段は前線に出ないわたしも、前線に出る機会が多くなった。大変だったけど、電話で交わす玲の声が支えだった。  
「はやく帰ってきてね。みんな待ってるよ!」  
「も〜う、仕方ないなあ。月曜まで待っててよ〜」  
「宇和井さんがいねえから俺走りっぱなしなんですけど」  
「九澄!? わたしがいない所でサボってたら赦さないわよ!」  
いつもどおりの玲で安心した。玲は帰ってくるのは、丁度一週間後。  
怪我は外傷は大した事無いけど、骨へのダメージがあるそうで暫くは安静にしておきなさい……だそうだ。  
ホントは昨日玲の家に行って様子を見に行ったけど、その時はぐっすり眠ってたから、寝顔だけ見て帰った。  
「玲って……いつもはすぐ怒ったりするけど、寝顔は凄く可愛いんだよ」  
そう言ったら執行部のみんなは玲の寝顔想像して笑い、わたしは思い出してくすっと笑った。  
 
大丈夫よ、玲……こっちは大丈夫。いっぱい泣いて、すっきりしたから。  
永井くんがずっと頭を撫でてくれてた。だから次の日、眼を合わせるのが妙に恥ずかしくて。  
仕事の時、二人で違反者を捕まえることになって、この前のことを謝った方がいいのかなって思っている。  
永井くんを見ると、この前抱きついた時の感触とかぬくもりが思い出された。  
 
「たは〜〜! やっと終わった〜!」  
「ハルカ先輩、これで最後です」  
九澄くんと柊さんには臨時の助っ人として、放課後の書類整理に手伝ってもらった。  
「二人とも本当にありがとう。助かったわ」  
「そんなこと無いですよ! また何かあったら言ってください」  
「くぅ〜〜……デスクワークは苦手だなーやっぱり」  
「後はわたしがまとめるわ。おつかれさま」  
九澄くんと柊さんは部屋を後にする。  
「二人にはきつい作業をさせてしまったな」  
「うん……そうだね」  
永井くんの言葉にわたしは相槌を打ち、書類を整理する。  
膨大な量の始末書や関連資料をファイルにまとめる作業は、溜まれば溜まるほど困難になる。  
その為、逐一行わないといけない休日前の定期作業だった。  
何時もは残ってる部員でわたし中心に進める作業だったけど、柊さんの申し出で手伝ってもらった。  
途中から九澄くんも手伝ってくれた。二人のおかげで暗くなる前に作業が終わり、とても感謝している。  
今日はテスト期間に入ったので、生徒達はもうみんな下校している。最後の下校の生徒は、わたしと永井くんだった。  
 
わたし達は校舎を見回り、生徒が残ってないか確認に向かう。先生達はテスト作業に追われているので、この期間での見回りはわたしたちの仕事。  
静まり返った廊下を二人で歩く。日中、執行で走り回っていた所とは思えないような静寂が拡がっていた。  
「静かだな」  
「そうね。テスト期間だけの特典だから」  
忙しかった作業が終わり、解放された執行部員に与えられるほんの少しの幸福。  
早めの落陽から漏れ出す暖かな橙の光。窓を衝き抜け、わたしたちを照らす。  
「異常は無い様だな。いつもこんなに静かだったらいいんだが……」  
「問題さえなければね。賑やかなのは好きなんだけどな」  
「ああ。勿論そうだ」  
 
 
 
校舎をぐるっと廻って異常が無いことを確認した後、わたし達は部室に戻り、下校の支度をする。  
「永井くん、やっぱり真面目だね」  
「そうかな……沼田は如何して執行部に?」  
「わたし? わたしは……―――」  
 
思い掛けない質問だった。わたしは執行部に入ったのは……。答えは明快だけど、伝える言葉が、共に籠める感情が難しかった。  
「……わたしは……弱いからかな」  
「弱い? そうは見えないけど」  
「そんなこと無いよ。魔法だけじゃなくて、身体的にも精神的にも強くなりたいの。ダメな事はダメって言って、それでも聞いてくれない人には魔法で……事故は仕方が無いんだけど、みんながみんな、規則守って使ってくれたらいいのに……」  
本音が出てしまった。余計なことを言ってしまっただろうか。でもわたしは続けた。  
「理想が高すぎて、無理なのは分かってるよ。魔法で魔法を使う人を抑え付ける様なことは、最初は抵抗あったの……でも、もうそんなことは言ってられない。入部した頃のわたし……幼かったかな。理想ばっかりで、綺麗事ばっかりで」  
永井は黙ってわたしの言葉を聴いていた。誰かに愚痴を言うのは嫌だった。  
玲にも弱い所は殆ど見せてはいない。見せたくないのは、自分の為でもあり、執行部の為でもあったから。  
でも、永井くんに言ってしまった。そんなに深くまで話すつもりは無かったんだけど、流れでつい零してしまった。  
「沼田は……其処まで考えていたのか。沼田のほうがよっぽど執行部員の鑑だな……なんて俺が言うのは、良くないんだろうな。それが当然だと思う」  
「そうなのかな。どんなに頑張っても違反は減らないから……神経質になってたね。変なこと言って……ごめんね」  
「いや…嬉しい。自分の甘さを再確認できた。ありがとう」  
 
 
わたしの会話で少し空気が変わる。気まずくなったから、今度はわたしが永井くんに同じ質問をすることに。  
「永井くんはどうして執行部に?」  
「俺は……伊勢と約束したんだ、どっちが先にシルバープレートを得るかっていう約束。そして入部してから、沼田と同じように規律を第一に働いた。加えて今は支部長としての役割を全うする義務がある立場だ。気の休まる時は無いが、充実はしてる」  
……伊勢くんとの約束。永井くんの言葉に反応してしまう。  
結果的には二人ともシルバープレートを手に入れることが出来たけど、伊勢くんはいない。  
永井くんは、どんな気持ちで今日まで支部長として頑張ってきたんだろう。そんな風に考えると、わたしは無視できなかった。  
「……気の休まることが無いんだったら、わたしに話して」  
わたしの口から自然に出た台詞。永井くんは静かに聴いていて、少し無言が続いた。  
「……沼田」  
「ごめん! “わたし達”…だったね」  
「そんなことは無い。沼田には言えない事も言える。ただ、一緒にいるのが当たり前になってるからなのか……わからないんだ」  
「わたしに……?」  
「ああ。上手く言葉に出来ないが……一緒にいてほしい」  
 
―――これって……もしかして。  
「そっ……それって……えっ……」  
「一緒に執行部を支えていこう。後半年でこの校舎から去ってしまう。それまでは俺達が、この校舎の治安を守っていかないとな」  
 
 
その事を後でこっそり玲に電話で話したら、玲は怒った口調で話した。  
「わたしに任せて!! 空気の読めない支部長に一発言ってあげるから!」  
それからハッキリしない気持ちがずっと続いた。でも永井くんはわたしのこと、そんな風には見てないと思う。  
そういうのって慣れて無いし、如何表現すればいいか解らない。でも、永井くんからそんな言葉が出て来たら……何て答えよう。  
「ううん。玲の期待してるようにはならないよ」  
玲にはそう言っておいたけど、相手を意識すると変な気持ちになる。男の人と付き合ったことなんて無いから、少し憧れがある。  
 
“憧れ”……其の単語は、何時も彼を指す言葉だった。心の内で密かに馳せていた想いも憧れだった。  
そして、都合の良い言葉でもあった。求めるものは総てその言葉で表していたから。  
 
 
 
Day 4 10/19 Friday   
 
 
今日も放課後遅くまで残って資料整理をしていた。ほっと休憩を入れたときに、玲からわたしにメールがあった。  
『伊勢連れてくから、九時にファミレスで! もちろん支部長には内緒でね♪』  
先に帰った玲からのメールに、わたしは少しドキドキする。二人を逢わせていいのかな……って。  
伊勢くんの処分期間は一応今日で終わりだった。事情はもう柊先生から聞いていた。  
彼が玲を護ったこと、わたしからも逢ってちゃんと感謝したい。  
ただ、永井くんと逢わせるのだけは怖かった。  
学校外だから魔法を使っての問題は無くても、再び不仲になるのは嫌……でも玲は遊びでやっているわけではない。  
わたしは玲を信じて、永井くんに連絡のメールを送った。  
永井くんは今、三年生の校舎にいる。先輩の呼び出し……つまり執行部本部の呼び出しだった。  
この前の滑塚さんのような顔出しじゃなく、支部の近況報告等の目的で呼ばれたみたい。  
 
 
漸く事務処理が終わり、わたしは学校を出て一人で待ち合わせのファミレスに向かう。其処には一度だけ行ったことがあった。  
それは今の三年生、つまりわたしたちの先輩がA校舎を離れることになった時だった。  
今から七ヶ月前。正式に永井くんが支部長、玲が副支部長に任命された後に執行部員みんなで集まった場所だった。  
其処には伊勢くんはいなかった。誰もが彼の名前を伏せていた。  
少しでも其の場の楽しみを壊したくなかったからだと思う……わたしも黙っていた。  
―――みんなが揃っての執行部……最後まで一緒でいたいよ。  
誰に言うでもなく、自分にそう言い聞かせてる。だからすごいドキドキしてる。  
本当は決意なんて出来てないから、もう少し待って欲しい気持ちがある。  
出来れば偶然を装って……もしかして玲はそういう段取りで連れてくるのだろうか。  
永井くんには玲のことは言ったが、当然伊勢くんのことは言ってない。  
 
……ダメ。色々考えてたら疲れてしまう。ファミレスに着いたら何を注文するか考えて、気を紛らわせよう。  
 
時計の長針は、約束よりも90度進んでいた。わたしは外から中を窺う。どうやら永井くんだけしかいない……よかった。  
三人が揃ってから中に入るのが一番気まずいかっただろうから、わたしはほっとする。  
店内に入ると、中は暖房が利いてて暖かい。コートを脱いで永井くんの元へ。  
「ごめん! 遅くなっちゃって」  
「沼田も制服か……事務の仕事、遅くまでやってたみたいだな」  
永井くんも制服だった。わたしより先に帰ったはずなのに。  
「家に一回帰らなかったの?」  
「ああ。さっきまで学校にいたんだ。先輩に色々と言われて来たよ」  
永井くんはくたびれた様子で話してくれた。わたしは席について永井くんの話に耳を傾ける。  
「『もう少ししたら此処を締める立場になるんだからしっかりしろよ』とか、『後輩の跡継ぎは大丈夫か』とか……部長や滑塚さんに厳しく言われたよ」  
「口下手だけど心配性だからね、特に滑塚先輩」  
 
 
永井くんの話に耳を傾けていたら、十時を廻っていた。さっきまで晴れていた夜空から雨が降る。  
その音は次第に強くなり、窓ガラスに雫が大量に滴る。  
「……それで、宇和井はどうした?」  
「遅いね。ちょっと電話してみる」  
わたしは玲の携帯に電話をかける。ほんの数回のコールで玲は出た。  
「玲? 何してるのよ。永井くんと二人で待ってるのに」  
「ごめ〜ん、行けそうにないのよね」  
「えっ?? どういうことよ」  
『折角の週末だから二人きりにしてあげようかなって♪ 今日がチャンスよハルカ!』  
「……えっ? ちょっと……どういう……」  
『支部長は鈍くてシャイなんだから、ハルカがリードしないと始まらないわよ? それじゃあね〜』  
電話が一方的に切られる。わたしは呆然としていた、あっさりと騙されたからだ。  
「で、どうだった?」  
永井くんは騙された事を知らない。でも伝えたら……此処で解散になるかもしれない。  
「玲は…………」  
わたしは次の言葉が出ない。実は、永井くんに謝る機会を窺っていた。  
今更な所もあるかもしれないけど、このままだと黙ったままで二年生が終わってしまう。  
「……来れないみたいだな」  
永井くんは察してくれたみたい。わたしは心の中で彼に感謝する。  
「そうみたい。ごめんね永井くん……」  
「謝らなくていいよ。沼田と二人でこうやって話するなんて、久しぶりだから」  
さらっと言ってしまう永井くんは、わたしのことを意識しているんだろうか。玲の牽制で如何してもわたしが意識してしまう。  
 
「それじゃあ、これからどうしようか……」  
永井くんは強くなってきた雨を見つめながら言った。外を見ると、雨脚は段々と強くなる。  
わたしは玲の言葉が本当か聞いてみた。  
「永井くんの家って、此処の近所なの?」  
「ああ。此処から十分くらいかな……どうかした?」  
「ううん。なんでもないの」  
「……じゃあ、とりあえず俺の家に行かないか」  
「…………えっ!!?」  
「今の内なら雨の量も少ない。それに此処はガラの悪い連中の溜り場になりやすいから。両親を呼ぶのもその時でいいんじゃないか?」  
何処か展開が急な気がする。永井くんらしくない。  
男の子が女の子をこんな夜に家に誘うのって……如何なんだろう。  
なにか引っ掛かる…普段と違う。でも……特に断る理由は無かった。  
 
わたし達は永井くんの家に向かうことになる。外の雨が、何処か悲しげで何時もより冷たく感じた。  
 
 
 

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