時は気づかぬうちにゆっくりと、しかし確実に流れ、昼の日射しの暑さは変わらずとも、夜風は新しい季節の始まりを告げている。スサノオは胡坐をかいて、少し欠けた月を見上げている。  
あの日以来、クシナダ姫は本来の落ち着きを取り戻し、何事もなかったようにスサノオに接している。自分を好いてくれていると思ったが違ったのだろうか。何度も確かめようとしたが、その度にはぐらかされ、上手くかわされている気がする。  
大体、天津神である自分を何だと思っているのだ、とだんだん腹立たしくなる。スサノオとしても我慢の限界である。いろんな意味で。元々気は短いのだ。  
しかし、どうしてこんなにあの娘が気にかかるのか分からない。器量はまぁ、悪くはないが、やはり高天原の女神達には敵うわけもなく、女というよりまだまだ子供で乳や尻は肉付きが薄く、色気というものが全く感じられない。  
初めて会った時もスサノオを畏れず、神の御子相手に啖呵を切り、可愛いげの無い女だと思った。暫く退屈しのぎに遊んでやろうと思ったが、姫の心は強くて揺れる事が無くて、ちっとも面白くなかった。そのうち、娘の命がもういくばくも残されていない事を知った。  
娘が生きようが死のうが、化け物に食われようが犯されようが知った事ではない。からかってやろうと助けてやると言った自分に命乞いもせず、覚悟は出来ていると言って笑った笑顔がますます面白くなかった。  
強かった・・・・、自分ではなく、他人のために、誰かのために。強かった。守るために、人を、村を。  
そのために娘の強さはあった。  
 
気がつくと何故か隣にいて笑っていた。ずっと一人で生きて来た。父も兄姉も八百万の神々からも、嫌われ、畏れられ、疎まれ、流離い生きてきた自分を受け止め、受け入れた始めての人だった。  
母のようだと思った。会った事はないけれど、本当の母ではないけれど、命を捨てて子供を産み黄泉の国へ行ってしまった伊邪那美命を想った。ずっと会いたいと願って来た母もこんんな人ではないかと思った。  
姫が死ぬのが面白くなかった。それだけだった。  
「………」  
憂鬱気味に息を吐く。  
らしくないのは自分が一番分かっている。  
「………」  
「………」  
 
 
クシナダ姫は  
「…そうよね〜、やっぱり埴輪のアレって…」  
と言う自身の声で眼をさました。寝言だ。  
(……埴輪?…何故…)  
まとまらない夢の思考を放棄して、二度寝しようと夜具を引き上げ、横向きに寝返りを打ったところで気がついた。  
背中に突き刺さるほどの視線と、室内に存在する自分以外の気配に。自分が一等高価な衣に裳をはき、帯を締めたまま、結い上げた髪にきらびやかな櫛を挿したまま眠っていた事に。  
(しまった・・・・)  
脳裏に蘇る記憶に姫は眠気と血の気が急速に引いて行くのを感じた。  
昼から盛大に執り行われたスサノオとクシナダ姫の婚礼の宴は、夜になってますます盛り上がり、始めは断っていた姫も勧められるままつい酒を口にしてしまったのだ。  
盃に一杯飲んだ程度だったが、……そこから記憶がない。  
すでに村人たちの声も聞えず、静寂が耳に痛い。暗いところを見るとまだ夜明けまでは時間がありそうだ。  
しかし、大事なのは今夜が間違いなく初夜であるということだ。  
何事も無く朝を迎える事は出来ないだろう。可能かもしれないが、……後の事を考えると、このまま狸寝いりを続けるか、否か。決断の時。  
敵は今の声で姫が目を覚ました事に気づいただろうか…。  
恐る恐る体を起こした姫が凍りついた。  
戸口の隙間からわずかに差し込む月光を背に、全裸で仁王立ちしている男の姿が眼に入ったからだ。っていうか上半身を起こした姫の視線の高さにある男の下半身が眼に入ったからだ。  
 
・・・・・・〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!  
声にならなかったが、間違いなく悲鳴を上げた。  
姫を押し倒し、顔を近づけて来るスサノオの肩を出来る限りに力で抑え、顔を背ける。  
 
「きゃぁぁぁぁぁっ、いやぁぁぁぁ!!!!」  
「てめぇっ、夫に向かって嫌とは何だ!初夜にぐっすり寝こけるなんざ、いい度胸してんじゃねぇか、ああ゛ん…?」  
(いや、それはそうですけども。反す言葉もございませんけども。でもっ・・・)  
ただでさえ凶悪な顔がさらに怒りを含み、こめかみに青筋が浮いて鬼のようだ。  
「さんざん待たせやがって…、躾直してやる…ふはははは!!!!!」  
「ひっ」  
本気だったのだ。腕がプルプルして来た、そう長く耐えられそうもない。こんな形で初夜を迎え、処女を失うことになるとは。もはや泣きそうだ。  
その時、スサノオの腕の力がゆるんだ。  
「そんなに嫌か…?」  
「えっ・・・・・んっ」  
やられた。  
不意の真面目な様子に動揺したところ、唇を奪われた。しかし、唇は軽く触れただけですぐに離れていく。  
スサノオの口許に意地悪げな笑みが浮かんでいる。  
なんだか、悔しい。  
すねてスサノオを睨みつけると、笑みが増すだけである。  
嫌なわけじゃない、覚悟は出来ている。ただ、少し・・・。  
「あっ・・・・んん・っ・・・・・」 先ほどの重ねるだけの口づけではなく、女として求められていることを実感させる、深い口づけ。スサノオの舌先が姫の唇を割って、口内に差し込まれる。  
「・・はっ・・む」  
舌がからめられ、吸われる。頬が紅く色づいたのは、上手く呼吸が出来ないせいだけじゃない。  
「・・・・・っはぁっはぁっ」  
長い口づけを終えて唇を離すと、やっぱりスサノオは意地悪そうに笑って、唾液で濡れた薄い唇をぺろりと舐めた。  
頭の中でうるさいくらい自分の心音が響く。  
(どうしよう、くちづけだけで、心臓破裂しそう‥)  
そんな姫の胸中などお構いなしに、スサノオは姫の帯を外し、腰紐を解いていく。  
「ちょっ・・・まって・・・」  
姫の抵抗などものともしない。慣れているのだろう、手際が良い。  
程なく、姫の素肌が晒される。肌は透けるように白いが、細くて未発達の少女の体だった。  
「ほっせぇなぁ・・・・」  
あからさまに直視され、恥ずかしくて顔を合わせられない。  
「・・・痩せました。この二月ほど、何かと村内で起こる騒ぎに振り回されまして」  
「オロチのせいだな。可哀想に」  
皮肉を言ったら同情された。  
 
(こんな時まで・・・)  
とあきれる姫をよそに、その肌に口づけを落としていく。  
耳元から首筋、鎖骨・・・・、口づけ、舌で愛撫される。  
「・・・・あっ・・・・」  
快感ではなかったが、声を上げてしまった事が恥ずかしくて、唇をかんだ。正直、素肌を軟体動物に這われているみたいだ。鳥肌がたつ。  
スサノオの舌は姫の鎖骨を下り、まだ形成されていない胸の谷間に到達する。スサノオの結い上げられる事のない髪がさわさわと肌に触れてくすぐったい。  
そこで、しばし姫の胸を注視していたスサノオは顔を上げると  
「大丈夫、心配すんな。俺がでっかくしてやっからな」  
と真顔で言った。  
あれ?何か今励まされた、私?  
その姫の慎ましい胸に手を伸ばし、ゆっくりと刺激する。スサノオの掌によって形を変えられる、不思議な感覚。そして、もう片方の乳房には舌はが這わされ、その紅い蕾を執拗に舐められ、吸われる。  
「やっ・・・・・」  
出そうになる声を噛み殺す。  
「あ、勃った」  
「えっ・・」  
呟いた声に顔を向けると、真っ赤に充血してピンと上向きになっている自分の乳首が目に入る。  
スサノオは嬉しそうにニヤッと笑うと、また舌を這わせ、甘噛みし、指で抓り、捏ねていく。  
これを快感と言うんだろうか。体が熱を持ったように熱いのに、体中の毛が逆立って。  
呼吸も早くて、腰の奥の方が痺れて、爪先と腕に力がこもる。  
こんなにも簡単に、スサノオによって引き出される感覚に不安になる。  
自分は何もかもが初めてで、戸惑って、どうしたらいいかわからない。泣きそうなくらい、怖いのに。  
スサノオは女を知っているのだ。もう何人の体を抱いてきたのだろう。幾人もの乙女と口づけを交し、その肌に触れ・・・・・。  
そう考えてると自然に涙が溢れる。  
「・・・・いや・・・」  
「どうした?痛かったか?」  
姫の声に心配そうに顔を上げたスサノオに姫は答える事もできず、ただ頭を振るばかり。  
「怖いのか」  
また首を振る。  
「どうしたんだよ、わかんねぇだろうが」  
そんなに優しくしないでほしい、どうせなら、いつものように無理矢理奪ってくれればいいのに、そんなに心配そうな顔しないで。  
 
無言で涙を流すクシナダ姫を抱き起こすと、姫ははだけた衣をかき合わせて、スサノオに抱きついた。  
「お願いです、少しだけ、このままでいてください」  
 
クシナダ姫の様子に戸惑いつつも、スサノオは姫の背中に腕を回しあやすようにぽんぽんとさすってやる。  
こんなに近くに、密着するのは初めてで、自分とは違うのだと改めて実感する。少し薄いが固い胸板に、抱きしめる腕の力強さに、匂いに。  
彼が男なのだと実感させられ、その腕の中にいる自分に頬が熱くなる。  
それと同時に黒髪にかすかにかかる吐息も、心音も、少し低い肌の温度も、時間と共に溶け合うようで、心地良くて安心する。  
「・・おい、また寝たんじゃねぇだろうな」  
「・・・・・・・・・」  
姫は諦めるように、自分を落ち着けるように大きく息を吐いた。  
「御子さまってきっとずうっと、そうなんでしょうね」  
言葉の意味が分からずに、スサノオは眉をしかめる。  
「私、あなたといると振り回されてばっかり。その調子できっとこの豊葦原の郷という郷、村という村に女を作って私を泣かせるのだわ・・・・」  
無い、とは言い切れない。  
まさかこの後に及んで本気で嫌だなどと言い出すのではないかと、スサノオは一瞬思った。  
「いいわ、見てらっしゃい。私、きっと女の子を産むわ。そして、あなたの手から他の男に奪われるのを楽しみにしています」  
スサノオは自分が父親になる事など到底想像できずに、複雑そうに思案している。  
その顔を見て、クシナダ姫はくすくす笑うとスサノオの首に腕を回した。  
「御子さま。どうぞ、よしなに、愛して下さいませ」  
 
 
夜具の上にだらしなく寝そべりながらスサノオは大きく息を吐いた。  
この数ヶ月間の生まれて初めての感情に、スサノオは満たされていた。幸せだと思う。自分以外の誰かを大事に思う事も、笑いかけてくれる他人がいる事も。  
しかし、満たされれば満たされる程、幸せだと思えば思う程……胸の奥底からチリチリと焦りにも似た声が沸き上がる。  
 
「これでいいのか」  
 
このまま、この郷で、クシナダ姫と共に生きていく事に何の不満がある。  
時々ケンカなんかしつつ、子供なんて生まれたりして平凡に、…そりゃあもう平々凡々と毎日過ごして…。  
いいじゃないか、そういうの、幸せじゃないか。  
何度も繰り返した自問自答は結局今回も同じ結論にたどり着く。そんな思いを振り払おうと、傍らで眠るクシナダ姫に手を伸ばす。  
「…ううん…」  
まどろみの中にいるクシナダ姫は迷惑そうにスサノオの腕を払う。  
それでもお構いなしにスサノオはクシナダ姫の首筋に舌を這わせ始めた。その感触にピクッと体を強張らせて、逃れるように顔を反らす。  
「‥‥ん‥ふっ…ふふっ‥やだ、くすぐったいって、あっ‥ちょっと‥」  
執拗に弱い場所を舐めまわすスサノオに遂にクシナダ姫も瞼をあける。  
「…御子様。‥んっ」  
ぼんやりしているところに唇を塞がれて、息が止まる。  
「‥あっ…は…んんっ‥‥」  
激しく唇を吸われて舌をねざ込まれるが、今では合間での呼吸の仕方を覚えた。  
「ぷはっ‥はぁ、はぁ…」  
離れた唇の間でも唾液はまだつながっていて、ひどくいやらしく感じる。  
息を整えながらクシナダ姫がスサノオを見つめると、いつも通りにその唇をペロリと舐めた。何度見てもクシナダ姫はその仕草に心拍数が上がってしまう。  
それを隠したくて、深い口付けの後はぎこちない態度をとってしまうのかもしれない。  
 
「‥御子様。毎晩あれだけなさっているのですから、寝込みを襲うような事までしないでください…」  
今回は本当に不満があるようだ。初夜の晩から数えきれないほど、肌を重ねている。  
新婚だからと言ってしまえばそれまでかもしれないが、時々クシナダ姫はスサノオの性欲に恐怖すら感じる事がある。  
実際、今夜も既に一度抱かれているのだ。  
「それだけ魅力があるってことだろ。喜べ。」  
「………」  
いつもさんざん乳がないだ、肉が薄いだ、色気がないだと言われているのだから、自分に性的魅力が無いことぐらい分かっている。  
それでも、体を求められるのは愛されている証だと思うと、正直嬉しくなくはない。  
スサノオがクシナダ姫の夜着をはだけると、その白い肌にはぽつぽつといくつもの小さな鬱血が残されている。  
スサノオによって夜毎に付けられるその紅い印は、クシナダ姫の感じる場所を正確に押さえていて、その上を今夜もまたスサノオの唇がなぞっていく。  
「あっ・んっ・やだっ…」  
既に両胸の先は紅く色づいて立ち上がり、腰が甘く痺れ始めて、声を上げないように唇を噛み締めているが、それでも体は正直に覚えたての快感を伝える。  
気を抜けば、なんとか持ち堪えている意識に靄がかかってしまいそうだ。  
「‥‥くっ・」  
胸の先端に触れられてゎ噛み殺した喘ぎが喉の奥でくぐもって震えた。優しく指でなぞり、掌で揉みながら、もう片方を舌先で転がす。  
「やぁん……」  
堪えきれずに上げてしまった自分の声が恥ずかしくて、よりいっそう強く唇を噛む。  
そんなクシナダ姫の様子に苦笑しながらスサノオは頬に軽く口付ける。  
「そんなにきつく噛んだら血が出るぞ。力んでどうすんだよ。」  
「‥だって…」  
初めてより、むしろいろいろ知ってしまった今の方が恥ずかしく、抵抗もあるのだ。  
乳房を玩んでいた手で秘所に触れると、くちゅりという音を立てた 。  
「濡れてるな‥そんなに良かったのか?」  
「やっ…まっ‥て」  
愛液を絡めながら上下にゆっくりと指を滑らせる。  
「あっ…はぁっ‥‥」  
目をつむっていやいやをするクシナダ姫の様子に唇の端を歪めながら、熱い胎内に指をゆっくりと挿し入れる。  
「っ…あぁっ…」  
肉壁が小さく収縮した。  
 
指を増やし、折り曲げて回し入れる。  
「んんんっ…!」  
「なんだかんだ言って、もうこんなになってるぞ。」  
わざとらしく音を立てるように指をを動かして、クシナダ姫の羞恥心を煽る。  
「ああ‥御子様っ…も‥だめ…」  
「いいよ、逝って。」  
耳元で呟いて、割れ目の上にある小さな突起をつまむとクシナダ姫はびくっと体を震わせてスサノオの指を締め付けた。  
「……あああっ!!!」  
「…………」  
うっすらと涙を浮かべ、熱い息を吐いているクシナダ姫をよそに、スサノオは自分の腰紐を解いて猛りきった自身を取り出すと、クシナダ姫に圧し掛った。  
「‥‥ちょっと…いや‥」  
「待てない」  
スサノオの行動を予想して慌てるクシナダ姫の腰を引き寄せて、太股を抱えて開くと、一気に貫いた。  
「あぁぁぁぁ…んんっ!!!」  
「…く…っ」  
何度も重ねていると言ってもほんの一月程前まで処女だったクシナダ姫の膣は、どれだけ濡れてもきつくスサノオを締め付けた。  
硬くて太い異物の挿入に軽く仰け反ったクシナダ姫の首に軽く口付けると、腰を打ち付ける。  
「あっあっあっああっ‥み‥こさ‥っ!」  
逝ったばかりの敏感な内部をじゅぶじゅぶと抉るようにかき回され、容赦ないスサノオの突き上げにクシナダ姫は言葉を発する事も出来ず喘ぐ。  
軋む体を堪えようとして指は無意識に夜具に爪を立てる。  
汗に濡れ光る肌に舌を這わせながら、スサノオの手がクシナダ姫のそれに重ねられ、終わりが近い事を告げている。  
最後の時、スサノオは必ず手を握ってくれる。  
「あっ…あっ…もっ…いっ‥」  
泣きだしそうに歪められた眉と、かすれた声を聞いて、スサノオがよりいっそう奥を貫いた。  
「あぁっ…やあぁぁぁぁぁぁ‥‥!!!!」  
クシナダ姫は体を弓なりに反らして一際高い声を上げるとスサノオの手を握りしめる。  
絡めた長い指にどれだけ力を込めてもスサノオは文句を言わなかった。  
スサノオも小さく呷くと痛い程締め付けるクシナダ姫の胎内に熱い体液を吐き出した。  
脱力した体をそのまま倒れ込ませ、クシナダ姫の肩口に顔を埋め、呼吸を整える。  
耳のすぐ側の呼吸はこそばゆく、スサノオの重さは少し苦しいが、クシナダ姫はこの時間が結構好きだった。  
いつもは抱かれるばかりの自分がこの瞬間だけは、彼を抱いてあげている気がするからだ。  
(実際はあまり体重をかけないよう、スサノオは気遣っているのだが)  
 
そんなちょっとした幸福感に浸りながらクシナダ姫はスサノオの背中に腕を回して、ゆっくりと瞳を閉じた。  
その様子を見ながら、スサノオは自分に言い聞かせた。  
ほら、こいつさえいれば俺はこんなにも満たされる。こんなにも幸せだ。  
 
 
 
 
 
 
ほんとうに?  
 
 
 
 
 
 
「……いつまで此処にいらっしゃるおつもりですか。」  
 
また少し欠け始めた月をぼんやり見上げるスサノオにクシナダ姫が声をかける。  
「後一月も経てば実りの季節は終わります。  
霜が降りる前に発たねば‥‥いくら御子様といえども、暗く険しい黄泉路を冬に越えることは難しくなるでしょう。」  
「!」  
「あなたは此処にいらっしゃった時、『高天原より天下り、母のいる根の国に参るところだ』とおっしゃいました。  
いつかはこの地を去る方と知りつつ、今日まで御子様のお優しさに甘えてしまいました。  
お許しください。」  
スサノオは月から視線をそらす事は無い。  
「……もういいんだ、それは。ずっと此処にいる。」  
クシナダ姫は眉根を寄せて厳しい表情を作った。  
「あなたは天津神の御子でございます。母神様と共に根の国を治めるのがあなたの宿命ではないのですか。  
そうやって、ずっと御自分を騙して生きて行くおつもりですか?」  
「気付いていたのか…」  
ようやく渋々と体を起こすとぐしゃぐしゃに頭を掻き回す。  
「豊葦原は御子様の生きる場所ではございません。」  
頭を掻く手を止めると視線だけをクシナダ姫に向ける。  
「じゃあ、春まで待とう。その方がお前も楽だろ?」  
そう言われてクシナダ姫は少し言葉に詰まってしまう。  
「‥‥私は、参りません。須賀に残ります。」  
困った笑顔を浮かべて、クシナダ姫はスサノオを見つめる。  
「行かないって……まぁ、黄泉津国だ。好んで行きたいって奴もいないだろうな。」  
軽く笑いながらいつもの調子で答えた。  
「あなたがこの豊葦原で生きて行けないように、私もまた、この地を離れては生きて行けないのです。  
明日にでもご出立出来るよう万事支度は調えてございます。」  
そう言うとクシナダ姫は立ち上がり、部屋を出ようとする。  
突然のクシナダ姫の態度にスサノオは慌てた。「どう言う事だよ。お前は俺の妻じゃないのか‥?」  
「……。古来より、人の娘が神の一夜妻になるなど良くある話でございます。」  
追うようなスサノオの言葉に振り返る事も無く、クシナダ姫はそっと戸口を閉めた。  
‥‥なんだよ、何なんだよそれ。この程度だったのか?こんなにあっさりと別れが決断できる程度、生まれ育った郷にも勝らない程度。  
所詮この程度か。愛があると思っていたなんて自分ののアホさ加減に笑えてくる。  
どうせなら、離れたくないとか、嘘でも口にして欲しかった。  
 
 
 
結局、自分の居場所などどこにもなかったのだ。  
 
 
 
*******  
 
翌朝、スサノオを見送るため、アシナヅチの邸の前には多くの村人が集まった。  
突然の旅立ちにもかかわらず、社の大宮も知っていたかのように童女に手を引かれて表れたが、出発の刻限が迫ってもクシナダ姫は姿を見せなかった。  
それでも、不思議と怒りも悲しみもない。あるのはただ、諦めだけ。  
たった一晩での心境の変化に、自分でも驚くが、始めからこうなる運命だったのかもしれない。  
大きくため息をついて、スサノオが別れを告げようとすると、大宮が口を開いた。  
「そうお急ぎなさるな。姫も、じき来ますゆえ。」  
「いや、もう良い。あんな女に未練などない。」  
ぞんざいなスサノオの言い様にアシナヅチが表情を硬くした。  
「畏れながら、御子様。あの子は神の娘とは名ばかりのただの娘でございます。  
我らが根の国に参る時はこの命が終わる時。  
あの子と御子様は共に生きる事が出来ない宿命なのでございます。  
それを知っていながら御手をお付けになったのではないのですか?!」  
いつになく強い口調のアシナヅチと、言葉の内容にスサノオは面食らう。  
我が子の幸せを願わない親などいない。  
それも、ただ一人生き残った娘だ。本当ならもっと幸せな道を歩かせてやりたかった。  
「……そ…んな‥」  
「初めから、姫は全て承知であった。  
それでも、もしも一人の命ならば、我らがいくら止めてもその命を投げ出して貴方様に付いて行ったであろうの……」  
「大宮様!」  
そっと呟いた大宮の言葉をアシナヅチが制する。  
「おお、いやつい滑ってしまった。許しておくれ。」  
言葉とは裏腹に大宮に悪びれた様子はない。  
「‥‥どういう意味だ‥?」  
「いえ、何でもございません。」  
笑顔で答える大宮にスサノオが詰め寄った。  
「答えろ!!!」  
スサノオの剣幕に渋々といった形で大宮は口を開く。  
「はっきりとは申し上げられませぬ。あの子一人の体ではないという言葉でお察しくださいませ。」  
「まかさ……」  
 
その時、周りを取り囲んでいた村人の輪が割れて、クシナダ姫が現れた。  
瞳に強い意思を宿して。  
もしも、最初から、手に入れても失わなければならないと知っていたら。  
幸せにはしてやれないと分かっていたら、気持ちを押さえることが出来ただろうか。  
軽く頭を下げると、  
「尊い天津神でいらっしゃる建速須佐之男命様。  
この命と郷をお救い頂きました御恩は、子々孫々、末代まで決してお忘れ致しません。」  
と別れの口上をきりだした。  
「私も。きっとそなたの事は忘れない…」  
普段の粗野な口調を改めたスサノオに、クシナダ姫はふっと笑顔を見せる。  
「私の事などお忘れください。あなたにはもっとふさわしい女神がいらっしゃいます。そのままのあなたを愛してくださる方はきっといます。必要とされる方がきっといます。  
ですから、どうか……」  
「最後だと言うのに可愛気がないな…」  
いつものように意地悪く笑むと、クシナダ姫の腕を掴み、抱き寄せてそのまま口付けた。  
「あっ…」  
唇を離すと、クシナダ姫の結い上げられた髪に挿された爪櫛を引き抜く。  
 
「達者で暮らせ。」  
 
そう囁いた笑顔が見たことないくらい優しくて、クシナダ姫は必死に涙を堪える。  
風に吹かれるようにスッと離れたスサノオの体は、霞のように消え失せて、後には、流れ落ちる黒髪と共にその場に泣き崩れるクシナダ姫一人が残された。  
 
 
 
******  
全てのものには終わりがある。楽しいことも悲しいことも、必ず。  
あの頃の私は幼すぎて、あなたに甘えてばかりだった。あなたの弱さを私は知っていた筈なのに。  
私の御魂を鎮めてくれた事にも気付かずに、あなたを責めた私を許して欲しい。  
あなたに出会う以前の荒ぶる私では、根の国にたどり着く事は出来なかっただろう。  
あのまま、高天原にも、根の国にも受け入れられず人とも神ともつかぬものとなり、永久の時を流離い続けていたかもしれない。  
あの地で、あなたの手で禊を受け、けがれを祓い、天津神の一人となれた。  
あれからどれだけ過ぎたのだろうか。あなたはどのような日々を生きたのだろう。  
私の事など忘れ去って、新しい宿命を生きただろうか。  
私はあなたを思い出さない日は無い……。  
そう言えば、あなたは約束を守ったね。いつか、あなたの末裔が来たよ、私の娘を奪いに。  
あなたのように畏れる事無く真っ直ぐ私を見つめて。  
あの時の感情をどう表現すればいいのか分からないけれど、もしもあなたがいたのなら、あの夜のように悪戯めいた笑みを浮かべただろうか………。  
寂しいよ、あなたが隣にいなくて。  
いくつもの季節が廻ろうと、時が流れ、時代が移ろい、豊葦原がどれほど変わろうと、寄り添う人が出来ようとも。  
今もこの胸に、凛として咲き続ける、出雲の国は肥河の畔、須賀の郷、  
愛しい私の、櫛稲田比売。  
 
 

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