※パラレル設定  
 
 
 
「――七那……」  
 
 放課後、夕日の差し込む廊下の中。  
 歩くその先に、一人の少女の姿があった。  
 彼女がこちらに向かってくるのを見つめながら、私は足を止めた。  
 
 視線が交わる。  
 
 あの時は、不安げに揺れたり嬉しそうに細められていた瞳は、鋭く私を貫いた。  
 そこに込められた感情は何なのだろうか。  
 怒り? ……それとも。  
 
 少女は、同い年の私の大切な親友の彼女は、足を止めることなくすれ違っていった。  
「………」  
 私はただ彼女の後姿を見送った。  
 自分でも、笑っているのか泣きそうなのかは判らなかった。  
 でもこれは、私のせいだから。  
 だから別にいいのだ。  
 それが、私への最初の依頼。  
 
 通り過ぎる間際に言われた言葉が、まだ耳の中に響いていた。  
 
「――――きらりのバカ……」  
 
 
 ――――――  
 
 
「……あの、あそこですか?」  
 隣で共に歩いていた少女に声をかけられて、五十里野きらりは思考を現実へと引き戻された。  
 少し疲れているのだろうか。  
 ちょっとした依頼の最中だとしても、ボーっと考え事をしてしまうなんて、サービス業としてはあまり良い事とは言えない。  
 きらりは急いで少女の言った言葉を反芻すると、答えを告げた。  
「はい。あそこから出てるバスに乗っていけばすぐにでも辿り着けるはずです」  
「そうですか。良かった……」  
 少女はほっとしたように顔をほころばせた。  
 それは少し前のこと。  
 人気の無い道を、ぼんやりと歩いている少女がいた。  
 小柄でどこか儚い空気を纏った少女を、まさかきらりが放って置くことなど出来はしなかった。  
 声をかけると、道に迷ってしまったのだという。  
 ――久しぶりに帰ってきたので……。  
 聞くと、少女は昔住んでいた街へと帰る途中だと言う。  
 都心部にも来た事はあったけれど、それが昔のことであったり、だいぶ様変わりしていたために迷ってしまったらしい。  
 そして今、その町へと通るバスの停留所まで案内してきたところだった。  
「あの、ありがとうございました。なんだかすごくお世話になっちゃって……」  
 少女が深々とお辞儀をした。  
「いえ。でもお会いできて良かったです。あの辺りは最近、危険だって言われているものですから」  
「そうなんですか……? ――あ」  
 バスが到着した。行き先は、彼女の帰る町、そしてきらりの住む街の名前を差している。  
「あ、あの本当にありがとうございましたっ!」  
 わたわたと慌てながら、少女が言う。そんな姿に苦笑しながら、きらりは言葉を返す。  
「では、また……」  
「え? あ、はい」  
 何度も振り向いてはお辞儀をしながら、少女はバスへと乗り込んでいった。  
 エンジンを吹かしながら、遠ざかるバス。  
 きらりは小さくため息を吐いた。  
 実際は、こんな事をしている場合などではないのだ。  
 もっと重要な“依頼”の最中なのだから。  
 親友のために出来る事。  
 自分にしか出来ないこと。  
 あの人と、約束したのだから。  
 きらりはもう一度、人の行き交う雑踏の中へと歩き出した。  
 
 
 ――――――  
 
 
 ――つい先日。  
「…………呼び出し、ですか?」  
 いつも気だるそうな担任から受け取ったのは、一枚の封筒だった。  
 差出人は、理事長。  
「何をやらかしたか知らんが、……出来る限りのことはするぞ」  
 そう先生は、まるでこれから標的に止めを刺すような口調で淡々と告げていた。  
 彼女を見ていつも思うのは、美術を受け持っているというのにその服は無いんではないのだろうかということ。  
 だがそんなことは、自分の学生生活のために胸にしまっておき、いつもどおり一礼して職員室を後にした。  
 多分この呼び出しは、彼女が思っているようなことではないと思う。  
 想像できるのは、あの人から引き継いだ“仕事”のこと。  
 ――便利屋。  
 といっても、何も事務所を構えているわけではない。  
 学園内で起こるトラブルから、ちょっとした恋愛相談まで、幅広く活動している。  
 お金は取らない、完全な慈善事業だ。  
 元はあの人――二つ上の先輩が何でも頼みごとを引き受けていくうちに、いつのまにかそう呼ばれるようになっていたのだと言う。  
 けれど今は、きらりが便利屋を名乗っている。  
 あの人は、今はこの学園には居ないから……。  
 きらりのことも、いつのまにか学校内で有名になり始めていた。  
 多少の原因は判っている。  
 つい先日、友達とのトラブルで揉めたという、中等部三年の少女の依頼をこなしたことがあったのだけれども、またその少女がやっかいで。  
 まず交友関係が広い。そして無駄にテンションが高く、クラスのトラブルメーカーと言われればすぐにでも納得出来そうな性格。  
 噂が広がっていくのは時間の問題だ。  
 更にそれ以来、彼女――田央萌々は良くきらりのもとへ訪れるようになっていた。  
 最近では自ら助手と名乗っては、自分の仕事の手伝いまでするようになっている。  
 彼女と居るのは楽しい。  
 少しなりとも失ったものの代わりを果たしてくれるから。  
 でも、  
「………」  
 きらりの顔が曇る。  
 一つ心配な事があった。  
 一週間ほど前にあったあの時以来、萌々は何かを必死に調べまわっているようなのだ。  
 出来れば何も起きなければいいのだけれども……。  
 なんとなく、いやな予感が胸を締め付けた。  
 
 
「――調査、ですか?」  
 理事長室。  
 デスクと全面ガラス張りの窓との間に、この学園の理事長、らしき人が立っていた。  
 土師圭吾。  
 らしき、と言っても肩書きはしっかりと理事長という事になっている。  
 眼鏡をかけ、なんだかいつも人を食ったような表情をしており、顔に浮かぶ笑みはひどく皮肉げだ。  
「ああ。とある人物について、ね」  
「……それなら私なんかではなくて、専門の方に頼んだほうが良いのではないですか?」  
 あの人からは十分に仕込まれているとはいえ、所詮はアマチュアだ。  
 彼みたいな人なら、そういったコネなども相当あるはずなのだが。  
「いや、これはキミに頼みたいんだよ。彼女の後役がどうなのかも気になるが、何よりもこれは……キミにも関係あることだろうからね」  
「私に……?」  
 きらりは首をかしげた。  
 土師はそんな姿を見てニヤリと笑いつつ、言葉を続ける。  
「碑守ダイスケという人間を、知ってはいないかい?」  
「………」  
 きらりは大きく目を見開いた。  
「彼はこの学園に通っている少年でね、キミとは一つ年上になる。なにやら最近物騒なことに巻き込まれているようだけれど、こちらにもいろいろと事情があってどうにかしたいと思っているんだよ」  
「………」  
「引き受けてくれるかい?」  
 
 ――それは、一週間ほど前のこと。  
 萌々と共に一つの依頼をこなして、一緒に帰る途中。  
 彼女が見つけたのは、一人の少年。  
 地面に座り込んだ彼は傷だらけで、何かに巻き込まれている事が一目瞭然だった。  
 そして――。  
 
「……はい」  
 
 萌々はそれ以来、その彼のことを――ダイスケのことをずっと気にかけているのだった。  
 
 
 ――――――  
 
 
 ――“セントラル”という名前を、聞いたことは有るんじゃないかい?  
 きらりはあの時の土師との会話を思い出していた。  
 “セントラル”――ここ最近になって都市部で良く聞く集団の名前である。  
 簡潔に言ってしまえばただの少年グループなのだが、ここ最近はあまり良い噂があるとは言えなくなってきていた。  
 ――最近は何かと危険なことが多くてね……。学園側としても対処しておかないといけないんだよ。  
 つまりはスキャンダルを回避してくれということらしい。  
 ――キミには“調査”のみを依頼したい。現状が把握されれば、後はこちら側がどうにかするからね。  
 そう言って彼が、薄笑いを浮かべながら眼鏡のズレを直している姿が頭に浮かんだ。  
 ざわざわと人が賑わう繁華街の中で、きらりは携帯で時刻を確認する。  
 すでに彼と一旦合流しようと指定した時間になりかけているところだった。  
「――きらり」  
 人ごみの中から自分の名前を呼ばれる。  
 ――そうそう、それとキミ一人では危ないからね。優秀なボディーガードを付けておくよ。  
 振り返った先、こちらに向かってきたのは、一人の少年――きらりと同じ学年の、薬屋大助だった。  
 これといって特徴の無い顔に、地味な黒髪。目に止まるのはせいぜい顔の絆創膏くらいだろう。  
 ――巷で噂の“黒ゴーグルの男”、彼なら十分にその役目を果たしてくれるだろうからね。ああ、彼のことは思いっきりこき使ってやってくれて構わないよ。  
 ありふれた姿、といってもわざとそういうふうに“姉にさせられているらしい”が、本人もその格好変えるつもりはないらしい。  
 幼い頃から武術を習っていたらしく、その腕前はかなりのもので、確かにボディーガードとしては申し分ないだろう。  
 出来るならば、そんな事にはなって欲しくはないけれども。  
「どう……でしたか?」  
 大助は首を横に振った。  
「………」  
「何かがあるのは確かなんだけど、いまいちな……」  
 大助はやれやれといったふうに首をすくめた。  
 少年グループ、と言ってもそれほど統率が執れているというわけではないらしく、内部でも分裂までとはいかなくても複数の集団が出来ているようなのだ。  
 そのため情報が錯綜している。  
 碑守ダイスケが何かトラブルに巻き込まれているのは確かなようだが、その背景の事がいまいちわからないのだ。  
 本人に聞くことが出来れば一番良い方法なのだけれども、最近は学校にも通っていない。  
「これからどうするかな……」  
「………」  
 それほど急ぐ必要は無いのかもしれない。  
 でもきらりは焦っていた。  
 どうにも良くない事が起きそうで仕方ないのだ。  
 ――ダイスケのことはあたしがなんとかするから、きらりんは何も心配しなくて大丈夫だゼッ!  
 そう意気込んでいた親友の顔が浮かんだ。  
 ああいうときの彼女に何を言っても駄目だと言うのはわかっていたけれど、今更ながら止めておいたほうが良かったのではないかと後悔していた。  
「……今日、もう少しだけ調べてダメだったら、また何か別の手段を考えた方がいいかも……」  
 結局は、今出来る事をするしかない。  
 自分に出来る事なんて些細な事。  
 それでも誰かのために出来る事をしたい。  
 そう、あの人がそうしてきたように――。  
「そうだな。それじゃあオレは……」  
「………」  
「きらり?」  
「…………萌々ちゃん……?」  
「え?」  
 雑踏のはるか向こうに、鮮やかな原色の服を着こなした少女の姿が見えた。  
 あの個性的なファッションを見間違えるはずなど無い。  
 あれは――萌々だ。  
「おい、きらり!」  
 彼女の姿は、すぐに人波の中に流れていってしまった。  
 だが一瞬見えたその顔には、どこか焦りが含まれていて……。  
 嫌な予感が胸をよぎった。  
 大助の呼ぶ声にも耳を貸さず、きらりは人混みの中へと駆け出した。  
 
 
―――――――――――  
 
 
 ――きらり。  
 どこか遠くで、誰かが呼ぶ声が聞こえた。  
 
 
 
「――きらり」  
 声をかけられて、きらりは後ろを振り返った。  
「……ツカサ先輩」  
 夕日の落ちかける教室の入り口に立っていたのは、高等部に通う二つ年上の先輩――鬼道ツカサだった。  
 学園内では便利屋と呼ばれていて、人望も厚く、きらりにとっても尊敬できる先輩だ。  
 そして、どこか自分に似ているように思っていた。  
 口下手のところや、立ち回りが下手なところなんかに共感を覚えていたのかもしれない。  
 
「――どういう……、ことですか?」  
「………」  
 彼女は困ったように笑うだけだった。  
「半年もかからないと思うけど、それでもその間……」  
 そっと頭を撫でられた。  
「七那のこと、お願いしてもいいかな……」  
 
 手紙を一枚渡された。  
 それが、私が受けた最初の依頼。  
 でも……それは少しだけ、失敗してしまった。  
 やっぱり不器用で失敗ばかりの自分には、こんな仕事は合っていないのかもしれない。  
 それでも、自分にしか出来ないことがあるならば。  
 それが、誰かのためになるというのなら。  
 私はきっと、この“仕事”をずっと続けていくのだろう。  
 いつか彼女のようになるために。  
 
「――コアトル・コアトル・パラ・エミレ」  
「え……?」  
 ツカサがそっと囁いた。  
「なんでも叶う、魔法のおまじない。無理はしちゃ、ダメだからね……」  
 そう言って、“優しい”彼女はそっと微笑んだ。  
 
 
 
 そっと、微笑んでくれたような気がした。  
 
 
―――――――――――  
 
 
「――ら……っ!」  
 誰かが名前を呼んでいた。  
「――きらりんっ!」  
 目蓋をそっと開くと、目の前に一人の少女の姿が見えた。  
「……萌々ちゃん……」  
 傍には二人の少年もこちらを覗きこんでいる。  
 一人は黒いゴーグルを付けた少年。もう一人は――碑守ダイスケだった。  
 ――そっか……。  
 思い出す。  
 確かあの時、萌々に対して襲い掛かろうとしていた男から彼女を庇って、そのまま気絶してしまったのだ。  
 きらりが身を起こして周りを見回すと、ダイスケを取り囲んでいた男たちは残らず地に伏せていた。  
 おそらく大助たちがどうにかしてくれたのだろう。  
「……きらりん……良かった……」  
「………」  
 それはこちらの台詞だ。  
 一人で突っ走って、後先も何も考えないであんな事をしておいて……。  
 見上げると、二人の少年も苦笑いを浮かべていた。  
 ぐずぐずと鼻をすすり上げ、涙を流しながら抱きついてる萌々の背中にそっと手を回しながら、きらりはほっとため息を一つ吐いた――。  
 
 
 ――――――  
 
 
 あれから――。  
 街角での“ケンカ騒ぎ”があってからは、取り立ててトラブルは起きていない。  
 ダイスケも普通に登校するようになっていた。  
 土師から連絡もあったが、おそらく全て片付いたのであろう。  
 またいつもの平凡な学園生活が戻ってきた。  
 
 朝。  
 ある人は眠そうに目蓋をこすり、またある人は友人と挨拶を交わす。  
 また今日という一日を、ゆっくりと始めていく。  
「――きらり」  
 校舎へとぼんやりと歩いていたきらりは、声をかけられて後ろを振り返った。  
 声の主は、薬屋大助。  
 こちらへと向かってくる彼の後ろには、幾人かの少女たちがこちらを見ていた。  
 その光景に少し苦笑ながら、きらりは大助に声をかける。  
「おはよう」  
「ん、ああ……。おはよう」  
 何気ない挨拶。  
 けれどこういうことすら楽しいと思えるのは、いいことなんだと思う。  
「もう大丈夫か? あの時の……」  
「?」  
 あのいざこざで、打たれたお腹のことだ。  
「あ、うん。もう十分良くなったみたい」  
 それほど大した怪我ではない。  
 気絶してしまったのも、ただ衝撃の方が強かっただけだから。  
「そっか……。なら良かった」  
 大助は一瞬表情を緩めたが、次にはそれを険しくし、  
「でも、もうあんな無茶はしないでくれよ……」  
 はぁ…、とため息を吐いた。  
 
「人助けもいいけど、もう少し自分のことも考えたほうがいいぞ」  
「………」  
「きらり?」  
「あ、ううん……」  
 ……なんとなく、わかった気もしないでもなかった。  
「ふふっ……」  
「なんだよ」  
 まるで拗ねている様な彼に向かって、きらりは微笑みかける。  
「次に危ないことが有りそうだったら、また大助さんにボディーガード、依頼しますね」  
「え、……あ、ああ」  
 なんとなく憮然としていた彼の向こう側から、大助を呼ぶ声が聞こえた。  
 先程の少女たちだ。  
「あー、じゃあオレ行くよ。あんまり無理はするなよ」  
 そう言って彼は、なんだか険悪なムード漂う集団のもとへと行ってしまった。  
「………」  
 ――さてと……。  
 騒がしく登校していく彼らを見送りながらも、きらりは視界の片隅に映る一人の少女が気になって仕方がなかった。  
 ぼんやりしているみたいな、どこか儚い空気を纏った少女。  
 制服を着てはいるが、まるで今日始めて登校したかのように周りを見渡している。  
 クスリと、きらりの顔に笑みが浮かんだ。  
 見上げた空は雲一つ無い。  
 暖かいけれど、どこか涼しい五月の空気が肌に触れた。  
 きっとこれからは、もっと楽しいことが待っているだろう。  
 友達とだって、すぐに仲直りできるはずだ。  
「――お困りですか?」  
 きらりは、あの時とまったく同じ言葉をその少女にかけた。  
「え? あ、あれ……」  
 少女は目を丸くして驚いている。  
 そんな彼女に微笑みながら、きらりは言葉を続ける。  
「杏本詩歌さん、ですよね?」  
「は、はい。へ、あ……名前……なんで……?」  
 小柄な少女は、さらに目を見開いてきらりのことを見つめる。  
 季節はずれの転校生。  
 なんとなく、きらりの胸に予感めいたものが走った。  
 何かが起こりそうな、胸を高揚とさせるような……。  
 そんな不思議な感覚。  
「また、案内させてもらってもいいですか?」  
「え……? あ、……良いんですか?」  
 彼女は申し訳なさそうに、でもどこかホッとしたように見えた。  
「はい。――あ……」  
「……?」  
 きらりはニッコリと微笑みを浮かべると、彼女に頭を下げた。  
「申し遅れました。私……」  
 困っている人は放っておけない。  
 頼ってくれるのなら全力を尽くす。  
 それが私に出来る事。  
 それだけが、私に出来る唯一のこと。  
「――“便利屋きらり☆”といいます」  
 
 いつかきっと、あの人のように。  
 ……ううん。  
 自分にしか出来ない事を、やり遂げるために。  
 私は今日も、そっと手を差し伸べる。  
 いつまでも、その人たちの絆を繋げるために――。  
 
「迅速確実をモットーに、私があなたをお助けします」  
 
 
 

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