「力だけじゃ奴らに勝てねぇ。でもオレ達は必ず平和を取り戻せる。……信じてるぜ」
負傷したテディがそう言って気を失うように眠った後、ロイドが握った拳をさらに強く軋ませたのをあたしは見ていた。
「お帰りなさい。また一緒に戦えるわね」
「ぼくはもう逃げないよ、アナ。」
「――――――ええ。頼りにしてる」
短く交わしたやり取りをまるで無視するかのようにニンテンが先に進む。あたし達二人は彼の背中を追い、山を登っていく。
「ニンテン、少し、話がある」
ロイドがそう切り出したのは登り始めて二時間ほど経ってからだったろうか。一休みに岩の上に腰掛けていたニンテンは少し眉を顰めてあたしの顔を垣間見るようにして視線を元に戻す。
「……なんだよ」
「ここに取り出したるはアナが作ってくれた特製の冷めてもおいしいハンバーガー。
出発前にアナから貰って、今ぼくが持ってる。本来なら黙って食べちゃうんだけど、紳士協定を遵守してキミに声を掛けておくよ。
ぼ く は こ れ を た べ て も い い ね ?」
あたしは最初、ロイドが何を意図してそんなつまんない事を言い出したのかさっぱり解らなかった。お腹が空いた人が好きに食べればいいのに、そんなことを何故わざわざ宣言するの?
あたしは目をぱちくりさせているだろうハズのニンテンの顔を見た。彼は果たして笑ってなどいないのだ。真剣な視線で、でもつまらなさそうな表情を作ってロイドを睨んでいる。
「……俺、食欲とかねーんだよ。
食いたいなら食えば?俺は別に構わない。」
「――――――わかった。」
ふいっと顔を逸らし岩から降りてどこかへテクテク歩いてゆくニンテンから、ロイドは決して視線を動かさずに、ただ一言そう言った。
あたしは二人のムードを険悪と勘違いして間に入ろうと立ち上がってロイドの正面に回りこんだ。何を言おうとしたのか、自分でももう覚えていない。
ロイドの言葉に頭の角から角まできれいさっぱり言葉の全てを吹っ飛ばされたから。
「アナ。ぼくは君が好きだ。アナはぼくのことを好きかい?」
真っ直ぐの目は眼鏡の向こう側にあったけれど、とても真摯な色をしていてクリアーだった。あたしはぱくぱく酸素の足りない金魚みたいに口を動かすだけで何も声にならない。
視界の端っこから消えそうになるニンテンの背を焦点にあわせて視線で追いかけるつもりなのに、ちっとも意識がニンテンの方を向かなかった。
「……な、なんで、急にそんなこと、言うの?」
「ごめんね。でも、言っとかなくちゃいけないような気がしたんだ。……この旅が終わる前に。
――――――ニンテンが居る前で。」
ロイドはいつの間にか精悍な顔の男の子になっていた。もう微塵も第一印象に感じた手の掛かる弟って雰囲気がしない。たたかうおとこのこの目をしている。
あたしはそれが無性に嬉しかった。
嬉しいのに、何故か涙が出てくる。
頑固で、負けず嫌いで、気は弱いけど、たたかうおとこのこ。なんて勇敢な男の子。
「あ、あたしも、すきよ……ロイドのこと、すきよ」
「……うれしいよ……とても。今まで生きてきたなかで、多分いちばん、うれしい」
うそ、なら何故そんな悲しそうな声を出すのよ。どうしてそんなに沈んだ声を出すのよ。言えない言葉を何度も何度も飲み込んで、あたしはそれの代わりに涙を地面に降らせた。ぽたぽた草間に吸い込まれてゆく雫。
「泣かないで、アナ。……ごめんね。」
「なぜ謝るのよ、あなた何も悪いことしてないでしょう」
「したよ。……キミの気持ちを知っているのに、こんなことを彼の前で言うなんて。紳士協定が聞いて飽きれるね」
「いいえ、わかってないわ!あたしの気持ちなんて解るはずないじゃない!」
「……わかるさ。だっていつもキミを見てたから――――――わかるんだよ。」
ぼろぼろ零れる涙が遮って、もう地面がどこにあるのかさえ見えない。声を上げて泣きたいのに、あたしは必死で肩を震わせ声を殺してた。声を漏らすのはとても失礼な気がした。
ロイドはあたしが一人で顔を上げるまで、ずっと側に居てくれた。それが嬉しくて、ひどく苦しかった。
ようやく涙が止まって顔を上げると、いつの間にか少し離れた所にニンテンが居て、ハンカチを投げて寄越してくれた。ロイドがそれを広げてあたしの頬を拭う。ニンテンとロイドの匂いが混じって不思議な気持ちになった。
「アナに涙は似合わないってさ。」
ロイドが笑ってそう言った。それはまぶしいくらいの、いつも彼が照れたときにする笑い顔で、ようやく落ち着いた涙腺がまた言うことを聞かなくなる。
「ごめんなさい、ごめんなさい、あたし、気付かなくて、なにも、知らなくて、どうしていいのかわからなくて」
「ほら、泣くなって。な。大したことじゃないよ、よくあることさ」
ロイドがいつもにも増して優しくあたしに言葉を掛ける。それに痺れを切らしたかのようにニンテンが大きな声で言った。
「ロイド、お前弱虫なんかじゃねえよ。俺の方がよっぽど腰抜けでやな奴だ。
お前みたいに筋道立てて物考えらんないし、ケンカっ早いし……女の子も、泣かすし」
「……だからキミはぼくにアナを譲ってくれるとでも?」
「………冗談でも言うな、ンなこと」
「ニンテン、もしキミがアナをぼくより好きだって言うのなら確かめてみようじゃないか。
想う力が強ければ強くなれるんだろう?だったらぼくとケンカしたら絶対に勝てるはずだよねぇ。」
まさか逃げないよね、ニンテン。彼が彼らしくもない表情でそう言った。あたしはもう頭が破裂しそうだ。次から次へと理解できない問題が起きて、どんどん勝手に話が進んでいく。
ロイドがショックガンを構え、ニンテンは何も言わずにバットをケースから引っ張り出す。
「ちょ、ちょ……やめて!いったい、なんなのよあんたたち!!」
あたしの叫び声が合図になったように二人が攻撃の態勢に入った。ニンテンは間合いを詰め、ロイドは後方に下がって間合いを取る。
ショックガンの電極が輝くように鋭い光を放った。ニンテンはそのスパークを軽々と半身を捻ってかわす。そこを目がけてロイドは無慈悲に連射した。何発かニンテンの身体にクリーンヒットする。
「おいおい、手抜きしたらとっとと勝っちゃうよー?」
ニヒルに笑うロイドの顔が青くなったのはその数瞬後だった。ビリビリ帯電したままのニンテンがバットを振るって突進してきたのだ!
「ロイドぉー!おめーいつ油断できるほどエラくなったんだぁアン?ポリバケツから救ってやった恩も忘れやがってこの頑固モン!」
バキン!咄嗟に掲げたショックガンでニンテンのバットを防いだロイド。けれどそれをそのままニンテンが許すはずもない。
「ば、バケモンかキミは!しろくまでさえ心神喪失するほどの電圧だぞ!?」
マガジンラックに模した部分を蹴り上げるようにしてニンテンはロイドから攻撃手段を取り上げた。蹴り飛ばされたショックガンがくるくると回りながら弧を描いてあたしの足元に落ちる。
「ヒーリングβ使いにナニ寝ぼけたことヌカしてやがる!」
大きく振り上げられたバット。
ニンテンの目はあのときの目と同じだった。
あの、脳みそと戦ったときの、恐ろしい目。
「うっうっうわああああああ!!!」
ダメだ、ニンテンが完全に戦闘モードに入っている。攻撃されてスイッチが入っちゃったんだ!そう思ったら頭がパニックを起す前にロイドの悲鳴にシンクロするが如くあたしの体が勝手に叫んでいた。
「やめてー!!ニンテンお願い止めてえぇえぇええぇ!!」
「……なぁんちって」
小さな声だったと思う。でも確かにあたしには聞こえたのだ。ロイドの不敵なセリフが。
そのセリフに一瞬正気を取り戻して視線をロイドに移した時には既に勝負は決していた。あの独特のねばねばした粘液を頭から被って放心しているニンテンと、どこに隠していたのかねばねばマシンを嬉しそうに手にしてるロイド。
「あはははははー!ハーイぼくのかちぃ!」
「…………てっ……てめぇ……!」
「イヒヒヒヒヒヒヒヒ!ニンテンきみサイコー!サイコー!直情バカ!ゲラゲラゲラゲラ!」
あたしは行き場のないテンションをどうしていいのか解らずに、あたりに響くロイドの大笑いする声をBGMに思わすその場にへたり込むのだった。
げーほげほげほ。背中を擦ってやるとロイドが涙目で何度かえずいて呼吸を整えた。
「はーはーはー……あ、あんまり上手くいくから罠かと思った」
それにしても…プーッ!ああ思い通りにいくと、うふふ、もうなんてゆうか、イヒヒヒ、いっそ清々しいよねあはあはは!まだ落ち着かぬ最高の笑顔でロイドが繰り返し吹き出す。
「……クソッタレ」
まだねばねばに絡め取られたまま、ニンテンが憮然とした顔でそっぽを向いている。あたしはなんと声をかけたらいいのか見当もつかない。
「解ったかいニンテン、自分の悪いとこ。
キミはアナが隣にいると異常に周りが見えなくなる。いいカッコしたいのは解るけど冷静になんなきゃとてもギーグには勝てないよ」
やっぱぼくが抜けたのが悪かったかな。いや、テディと張り合うほどニンテンがアナを意識するという目覚ましい成長を喜ぶべきだろうか。ロイドが口に両手を当ててププーとまた吹き出す。
「アナ、これからはこの抜き身の刀みたいなニンテンの鞘になってあげておくれよ」
じゃないと周りが困っちゃうから。キミたちいいコンビだよ、ぼくはとても敵わないや。そう笑ってロイドがあたしの顔を見た。その顔はとても嬉しそうで、ちっとも他の表情が見えない。
「邪魔者は散歩でもしてくるからさ、アナ、あの突撃バカのねばねば取ってやってよ」
「……ロイド、あたし、あたし……」
最後まで笑ってロイドはあたしに背を向ける。あたしはその背中に何か言葉を掛けようとしたんだけれども、どう声をかけても彼や自分自身が後悔してしまうような気がして、必死に声を飲み込んだ。
赤色のシャツが見えてくなってから、あたしはニンテンの方を向いた。それに気付いた彼が視線を背けながらぽつりと言う。
「……ロイドのとこ行けよ、俺負けたんだから」
あたしは全身の血が沸騰するかと思った。そして心の底から情けなくなる。悲しくなる。
「――――――ばかっ!!なんでそんな事しか言えないの!?」
あんたなんか、あんたなんか、ロイドの気持ちも!テディの気持ちも!あたしの気持ちも!なんにもわかんないくせに!!なんでそんなこと言うのよ!なんで何にも解ってないくせに物分りのいいフリするのよ!!
「……わかってるよ」
「分かってないわよバカッ!」
ああもうやだな、こんなことで泣きたくなんかないのに。止まらない。情けない。恥かしい。悔しい。全ての感情がネガティブな方向へ転がってもう頭の中メチャクチャ……
ひんひん泣きながらバカ、バカ、バカと繰り返す自分の口がなくなればいいと思った。違う、あたしが言いたいのはこんな事じゃないの。
「……あーえー……泣くなって。な。な?
悪かったよ、俺が悪かった。だから泣くなよ。おめぇに泣かれると、なんかヤなんだ。胸んとこがイライラする。だからやめてくれよ」
情けないニンテンの声に頬を膨らして顔を上げると、あたしの怒り顔に多少ほっとしたのか、ねばねばの中でニンテンがちょっとだけ表情を緩めた。
「もっといい慰め方はないわけ?」
「う…仕方ねえだろ、今まで女に泣かれたことなんかねえんだから勘弁しろ」
「……ガキ。」
「ブス」
「なんですってぇえええ!!」
思わずニンテンの胸倉に掴みかかったあたしの手にべったりねばねばした粘液が絡みついた。
「わっバカバカバカ!おめーまで絡まったら誰が取るんだよコレ!」
グジュグジュしているゲル状の液体は粘着力がひどくて、おまけにニオイも青臭くてムカムカする結構キツい刺激臭だった。それが手についただけならともかく髪にも、服にも、顔にもちょっと動くたびに飛び散るのであたしは半ばパニックになる。
「いやー!気持ちわるぅいー!!」
「だから動くなって!」
「イヤーくさいーイヤー!」
いい加減痺れを切らしたニンテンはドロヌーバまみれの腕であたしをぎゅっと抱きしめて止めた。
「おっおめーが、暴れるから、し、仕方なく、してるんだからなっ」
あたしは彼の腕の強さにびっくりして頭の中の暴走がひとりでに止まったのに驚いた。
「……じゃあ、もっと暴れたら、ずっとこうしててくれるの?」
「ぶぁか」
「なによっ」
「好きな女なら、いつでもこうするよ、俺は」
「……ふうん」
もうニオイも気にならない。彼の肩に頬を乗せて視線を遠くにすると湖が木々の隙間に見えた。風が木の葉と水面を凪いでいてキラキラ光っている。
「……ふうんて……一応、こないだの山小屋の返事なんですけど」
「ねえ、あこそに湖あるんだけど、このねばねば洗ったら落ちないかな?」
「聞けよこのアマ」
ぶつぶつ言うニンテンの手を引いて湖のほとりまでたどり着く。広い広い大きな湖。
「山にこんなでかい湖があるとはね……見張ってってやっから先に洗って来いよ」
「いーじゃない、これだけ見晴らしがいいんだし一緒に入れば」
「……二人一緒に丸腰になってどーすんだ」
「ロイドとかテディなら丸腰になると攻撃手段ないけど、あんたはESP使えるでしょ」
あたしが指摘をすると漫画みたいにすがすがしい顔をして後ろ頭を掻いた。いいノリしてるわ。
「あっそっかぁ」
「うふふオロカねー」
「チガウ。俺おとこのこ。お前おんなのこ。一緒に入る、まずい」
「なんで片言なのよ」
「危機感ねーのかおめー」
「顔赤いわよ」
「うるさい黙れ」
じっとにらみ合いを続けながらあたしは頭のリボンの端っこを掴んでしゅるしゅる解いた。それを彼の視線が追うので、ワンピースのボタンをひとつ、ふたつ……と外してみた。
ギョッとした顔になってニンテンがあたしの手を止めようとでもしたのか手首ごと胸をつかんだ。
「なっなにすんのよ!!」
「ここここっちのセリフだ!何してんだおめーわ!」
「服を脱ぐのよ」
「羞恥心もねーのかー!!」
「女の子の胸を掴みながら言うようなセリフじゃないわね」
「ッ!!」
引きつった手がねばねばを撒き散らしながらものすごいスピードで離れる。彼の顔はもう真っ赤で見てるこっちが照れそうになった。
「……ご、ごめん…なさい……」
その隙にワンピースをずばっと脱いで、靴と靴下も大急ぎで脱いで、下着とスリップだけになる。ざっと鳴った一陣の風がスリップの端を弄んで抜けていった。
「ほら、ニンテンも早く脱いで洗わないとにおい取れなくなるわよ」
そう言ったあたしをニンテンが点目で見ている。
「…………サギだ」
「あんたまさかとは思うけど素っ裸になるとでも思ったんじゃないでしょうね」
このエロガキ。両膝と両手を大地に突き立てた格好(註:_| ̄|○)でガックリしているニンテンを苦笑いしながらちょっと蹴って、あたしは服と靴と靴下を掴んで湖のほとりでジャブジャブ洗い始めた。
しばらくするとニンテンもズボンだけになって帽子と靴とシャツをとなりで洗っている。
ねばねばの成分は水性だったようで、そう手間もかけずに落ちたのでほっとした。服に色も付いていないようだし、とニオイを確かめようとワンピースを鼻の近くに持っていったとき、視界の端っこに何かが見えた。
視線を何気なくそっちにやると、リボンがぷかぷか浮きながら沖へ流されていた。
「あっリボン!!」
そう思った時、体が勝手に動いていた。大切なリボン、うちから持ってきたお気に入り。
どぼん!
「ギャー!ななななにやってんだアナー!!」
「リボンが流れちゃう!」
「バカヤロー!戻って来い!いま何月だと思ってんだボケー!」
ごぼごぼごぼ。耳に付くのはそんな音だけ。
ああ、沈む、沈む……手足が水の冷たさで言うことをきかない。身体のどこにも手応えがない。湖は池と違って思わぬところが急に深くなっているって本で読んだことがあったっけ……
ごぼごぼごぼ。それ以外なにも聞こえない。
気絶した時の夢みたい。あの時は落ちてく感じだったけど、今は沈んでる感じで……なんだか気が遠くなる……眠る寸前の夢みたい……
うつらうつらと瞼を閉じかけたときに、左手首を何か大きな生物に噛まれたような衝撃を感じて目を覚ました。
ゆらゆら揺れて視界が定かじゃない。ふらふらクラクラした頭はハッキリしない。なのに何故かあたしは“左手首を噛んだ”のはニンテンだと思った。
――――――……あ、そっか。あの時あたしの名前を呼んだのもあんただったんだ。
“左手首を噛まれた”まま無理矢理に水面に引っ張り上げられて近場の岸へ放り投げられる。呼吸が出来るのがこんなに嬉しいとは思わなかった。
「げほげほげひげひ」
「はあ、はぁ、はあ、はぁ……っ」
「げほげほげほ、はあはぁはぁ……し、死ぬかと思った」
「そりゃこっちのセリフだボケ!突拍子もない無茶苦茶ばっかりしやがって!」
「だってリボン……あっ!リボン!リボンは!?」
きょろきょろ見回してお気に入りを捜すあたしの頭に衝撃が降って来る。
ガン!
「いたあ!なんでグーで殴るのよ!」
思わず抗議の声を上げたあたしはそこで声も顔色も失った。
「……な、なんで泣……」
「死んだらどーすんだ馬鹿!!リボンなんかで死んだらどーすんだよ!!」
ギリギリ奥歯を鳴らすみたいなものすごい怒り顔。まるであたしのママみたいな。
「だってあれお母さんが買ってくれたお気に入りなのに!」
もうずっと会ってないママ。どこに居るかも解らないママ。たった一つの心の支え。あたしの心のつっかえ棒。
「あんなモン幾らでも俺が買ってやる!もっといいのいっぱい買ってやるよ!正気に戻れ!」
「……だって……お母さんが買ってくれたんだもん……代わりなんてないのに……」
「だから、そのお母さんを今から助けに行くんだろうが。……なにそんなに情緒不安定になってんの?おめーらしくもない」
ぐしゅっと鼻を啜り上げてニンテンが流れてた涙を拭った。
「……とにかく、風邪引くからヒーラーさんのとこまで戻ろうぜ。ロイド呼んでくるから服着とけ」
「ばっかじゃないのキミら」
ロイドの開口一番がそれだった。山小屋へ着いた頃にはさんざ笑い飛ばして軽く過呼吸に陥っていた。
ご好意で泊めてもらえることになったので用意してくれた簡易ベッドを三つ並べて眠ることにする。ロイドがアナは女の子なんですけど、とヒーラーさんに言おうとしたのをあたしが無理矢理口をふさいで止めたのだ。
「な、なんで」
「いーじゃないの、三人で寝るなんていつもの事でしょ」
「だってもうそんな訳にはいかないじゃないか。」
「もちょっと子供で居させて、オネガイ。」
「…まあ、キミがいいならぼくはいいけどさ」
見上げる天井は真っ黒で、なんだか普通の暗闇よりも恐ろしいような気がした。カーテンを閉めてしまった部屋は本物の闇で、瞼を閉じても開いても変わり映えしない。
「……ねえ、二人とも起きてる?」
「んあー?」
「ロイドもう寝ちゃった?」
彼からの返事はない。
「あんだよアナ、寝ないと体力回復しないぞ」
「……なんか暗いの怖くて。」
「ひひひ、恐怖のフライパン女王が繊細なこった」
ニンテンの引き笑いに少しムッとして彼の方を睨むと、視界のまるで利かない闇の向こうからふわっと彼の匂いがした。
「怖いならこっち来いよ、おにーさんがだっこしてやるぜ」
あたしはそれに反感などを覚えたけれど、闇の奥から大きな手が這い出してきてぎゅっとつかまれたら、自分のちっぽけな心なんかひとたまりもないような恐怖の妄想には勝てなかった。
ベッドとベッドの境界線をずりずり移動しながらニンテンの毛布の中にもぐりこむ。
「……ほんとに来るかお前」
「なによっ自分が来いっつったんじゃないのよ」
「……いや、別にいいんだけど……ロ…ええい、好きにしろっ」
ぷいっと背を向けてニンテンが黙ってしまったので、あたしはその背中にぺったりとくっ付いて目を閉じた。心臓の鼓動、人の温度、彼の匂い。心が少し落ち着いたような気がする。
「……………………守ってやるよ、お前も、世界も。」
ふとニンテンが小さなささやき声でそう言った。その声は本当に小さかったけれど、頼もしかった。
その頼もしさが嬉しくて心強くて、あたしは勇気を貰ったような気がして。
「…じゃああたしはあんたを守ってあげるわ。ロイドもテディも地球も、みんな守ってあげるわよ」
守られてるだけなんて真っ平ごめんだわ、あたしだって戦えるのよ。あたしだって守れるんだから。
「素直に……ありがとうとか言えねーのか」
憮然としたような、飽きれ返ったようなニンテンの言葉の奥に何かが見えた気がした。ニンテンの本当と嘘。強がりと弱さ。かっこ良さとかっこ悪さ。二つの彼。裏と表の彼。
「あたしあんたの強引なとこ嫌いじゃないけどそういう自己中なとこはキラーイ」
ふふふふ、と笑うあたしに背を向けていた彼がくるりと反転して言った。
「なんだと?」
「だってあたしロイドのこと嫌いじゃないもの。
ロイドってすてきよ、頭いいし眼鏡取ったら意外にハンサムなの知ってる?誰かさんと違って女の子には優しいしね」
「…………クソ女!!」
ほほほほ。なんだか楽しくなってきた。ニンテンが怒っているのにどうして愉快なのかしら。
「でも、ロイドの一途さは魅力的だけど頑固つーか意固地なとこはちょっと御勘弁て感じ。
その点ニンテンは柔軟よね。頭の切り替えも気持ちの切り替えも早いのは尊敬するわ」
「……ぅヴ…」
ぐっと言葉に詰まったような、妙に照れたような、おかしな声が彼の唇から漏れる。
あたしはその唇にキスをした。
「あたし達は負けない。誰にも、何にも負けない。きっとみんなが助かる道があるわ」
あんたこそ勝手に全部背負ったような顔してないであたし達に分けてよその荷物。迷い道なら三人で出口を探せばいいじゃない。簡単なことでしょ?何を一人で難しい顔してんの。
忍び笑った途端に毛布の奥の闇から這い出してきた暖かい手があたしを抱きしめた。
「……じゃあ、すこし持ってくれ」
そんな言葉の後、闇の中に彼の短い嗚咽が響く。
何か言葉を発しているのは解るけれど、それを繋ぎ合わせても文章にはならない。
旅の始めから今まで一人で突っ張ってた彼の弱さを見た気がした。彼が暴力に走るのは、きっとこういう弱さを隠す為なんだなあとぼんやり考える。どこへもって行っていいのか分からない不安や苛立ちが暴力という形で外へ出ているんだと。
「……ばかね、どうして一人で我慢するのよ。ロイドもあたしもちゃんといるのに。」
返事はない。ただぎゅっと彼を抱きしめる。期待もしない。だから彼を抱きしめる。
「もう無理しないでちょうだい。約束だからね」
呟くと大急ぎで涙を拭ったニンテンがあたしの唇に長く熱いキスをした。
熱っぽくて
暴走する感情が篭った
ちょっと力の強いキス。
抱きしめられる肩が、腰が、熱を発している。
顔が熱い。
温かい彼の体温が心地いい。
なのにあたしはなんだか泣きそうになっている自分が不思議だった。怖くも痛くも悲しくもないのに、ましてや辛いことなんかないのに、瞼の裏に熱く痛いくらい涙が充填されている意味が分からずにいる。
おかしいな。
そこまで思ったら気が遠くなった。
でも今度は落ちもしないし、沈みもしない。怖くない。
あたしは初めて蕩ける、というのを言葉の意味ではくて身体と本能で理解した。
これが多分、テレパシーで一つになるということなんだろうなと思った。超能力でない、テレパシーで。
朝起きて一番最初に見た(というか目の前にあった)のは、ぐうぐう幸せそうに眠るニンテンの顔。
「ぎゃっ」
思わず上げた声に自分がビックリして手を口に当ててそれ以上の声を押し戻した。
「……や、おはよ」
ギョッとしてその声に振り返るとロイドがコーヒーを片手に持って窓際のスツールに、そりゃあもう惚れ惚れするほどダンディなスタイルで腰かけていた。
「大胆だねぇ………『子供で居させてー』だぁ〜?……なぁにがぁー。」
「ちっちがう!!これは、その……あー、とにかく違うのよぅ!」
「なァんて可愛そうなぼく。ちょうブロークンハート」
皮肉っぽくニヒルに笑うロイドがコーヒーを一口。
「いや、その…」
「頭いいし眼鏡取ったら意外にハンサムで誰かさんと違って女の子に優しいのにブロークンハート。」
サアっと自分の顔色が変わるのが分かった。こういうのを“血の気が引く”って言うんだわ。
「きっ聞いてた、の?」
「あはーん?何の話ィ?ぼくは単なる事実を言っただけですよーだ」
べー、と舌を出して意地悪く笑うロイドに歯軋りをしながら赤くなって下を向くあたし。
「――――――ぼくは弱いけど出来る限りきみを守るよ。……だからアナもぼくを守ってね。」
ロイドがやさしい声でそう言った。顔を上げるとにっこり笑っている彼が、ほんの少し憂鬱そうに見えたのは……きっと気のせいなんかじゃない。
「あなたちっとも弱くなんかないわ。
強くてかっこいいナイトが三人も居るなんて、あたし贅沢なお姫様ね」
微笑んで言葉を返す胸の奥が少し痛んだ。この痛みの分だけ、あたしは強くならなければいけない。
震える足を無理に進め、彼の側に寄り添ってそばかすのある頬にキスをする。
「親愛のキスよ。あたしの心強いナイトへ」
「……うん。ありがとうお姫様」
あたしの手を取り、ロイドは手の甲に熱っぽいキスをくれた。ただ軽く握られてるだけの指先がビリビリ電気を持ったように痺れてくる。
「ロイドには、ずいぶん素直なんだな」
二人で彼の声にギョッとした。そーっと振り向くと、憮然としたニンテンがベッドの上で腕組しながらこちらを睨んでいる。
あたしが声を出そうとするより数秒早くロイドがあたしを抱きしめて言った。
「あったり前じゃんねー、ぼくらナカヨシだもーん」
「ひゃっ!」
「どっかの誰かさんとは違ってぼくはフェミニストだし、アナ、ぼくの方が絶対お買い得だよ〜」
ぎゅっとほっぺたをくっ付けて猫みたいにロイドがあたしに甘える格好をする。一瞬驚いたニンテンがギリギリ眉を吊り上げてシーツを引き裂かんばかりに怒りをあらわにした。
「アナを放せ!このヘンタイ根暗!」
「あーあ、ソンナコト言っちゃうんだ。むっつりスケベを怒らせると怖いよ、はっきりスケベ君」
「だっ誰がはっきりスケベだ!」
「さぁ?だーれでーしょねー。ぼくしぃらなぁい」
げらげら笑っているロイド、真っ赤になって怒鳴っているニンテン。
あたしはその二人を見ていてついに吹き出してしまった
「ぷぁはははは!あーんたたち、バーカみたい!うふふふ、あたしったらモテモテね、あはははは」
ぐっと詰まった二人の顔が面白くて可笑しくて、もう止まらない。
「なっなに笑ってるんだよ、アナ!ぼくら割と真剣なんですよ?」
「そーだそーだ、今ここでどっちかスッパリ決めることを要求する!」
怒りの矛先がこっちを向いたのであたしは少し怯んだけれど、ここで負けたとあっては女が廃る。細く長く息を吸い込んで態勢を整え、手招きして二人を並べる。
「な、なんだよ」
沈黙に耐えられなかったニンテンが言葉を発したのを合図にあたしは二人の頭をグーで殴った。
「この色ガキども!あんたらが今考えることはそーんなツマんない事じゃないでしょうがっ!」
『ずるい!はぐらかしたな!』
頭を押さえた二人が声を合わせて抗議する。あたしは耳を塞いで知らん顔。
「きこえなーい。さー、今日はホーリーローリーマウンテン攻略よー!
そら、あんたたちも顔洗ってさっさとお目目お覚ましったら!」
おわり。