とある休日の昼下がり。
僕は今、ベーカリーに向かうべく、大通りを歩いていた。
「あれ?ピッキーじゃない?」
不意に声を掛けられ、僕は振り向いた。
「え?」
振り向いた先には、ニコニコと微笑む少女がいた。
「あ…こんにちは、トレーシー。」
つい彼女の笑顔に魅入ってしまい、少し間の抜けた返事をしてしまう。
だが、そんな事を気にする様子も無く、彼女は話しかけてきた。
「こんな所で何してるの?」
ちなみに、トレーシーは僕と同い年だ。家もすぐ隣だし、昔から、よく一緒に遊んでいる仲だ。
「ああ…今日は朝から家に誰もいなくてね、昼ご飯を買いに行くところだよ。」
朝起きて台所に行くと、夕方まで戻らないという内容のメモと少しのお金が置いてあった。まあ、いつもの事だ…。
「だったらさ、家に来ない?お昼まだだし。」
「でもそれじゃあ、おばさんに悪いよ。」
そういうと、うふふっと笑いながらトレーシーは言う。
「実はね、私も今日は一人なの。ママは出かけてて夕方まで戻らないのよ。」
しばらく考えたが、せっかく誘ってくれてるんだ。それに、お金も掛からないし断る事も無いか…。
「じゃあ、そうさせてもらうよ。」
うん、とトレーシーは頷き、二人で彼女の家へと向かった。
昼食を済ませ、僕はリビングのソファーでくつろいでいた。
トレーシーは昼食に使った食器を洗っている。
手伝おうと思ったが、
「ピッキーはお客さんなんだから、そんな事しなくていいよ。」
と、断られてしまったため、今はこうしてリビングにいた。
「おまたせー。」
洗い物が片付いたのか、トレーシーがやってきて、僕の隣に腰掛ける。
「今日はありがとう。」
「いいよ、お礼なんて。わたしも一人でたべるの退屈だったから…。」
退屈か…僕も初めの頃はそうだったな…最近はもう慣れてしまったけど。
「おばさんがいない時は、いつも一人で食べてるの?」
なにげない一言のつもりだったのだが、それを聞いたトレーシーの表情が少し曇る。
「いつもは、おにいちゃんと一緒に食べてたんだけどね…おにいちゃん旅に出ちゃったし…」
そうだった…隕石が落ちたあの日、ブンブーンから聞いた未来の話。伝説の少年達の一人として、ネス兄ちゃんは地球の未来を救うために旅に出たんだった。
トレーシーとネスは仲の良い兄妹だ。地球の未来のためとはいえ、突然離れ離れになったのだ。
普段は明るく振舞っているが、本当は寂しいのだろう。
「でも…地球の未来のためなんだし、しかたないよね。」
そう言って微笑むトレーシーだったが、僕には彼女が無理をしているように思えた。
「トレーシー…」
「なーに?」
僕は自然と言葉にしていた。
「無理しなくていいよ…」
「え…?」
「寂しいなら…無理に笑わなくていいよ…」
僕は彼女の笑顔が好きだ。彼女の微笑みを見ていると嫌な事も忘れてしまう。だから…そんな悲しそうに笑って欲しくなかった…。
「そんな悲しそうに笑わないで…僕の前では普通でいていいよ…」
「………」
トレーシーは無言で俯いていた。
「……ごめん、変な事言って…」
言ってから後悔した。僕は何を…。だが、
「……ありがと。」
トレーシーは笑っていた。目に涙を浮かべていたが、さっきの様な暗い笑顔ではなかった。
僕は彼女を抱き寄せた。彼女は、僕の胸元に顔をうずめ泣いていた。
「わたしだって…ほんとは寂しいよ…」
「トレーシー…」
優しく彼女の頭を撫でる。
僕は、彼女が泣き止むまでしばらくそうしていた。
しばらくして彼女は泣き止んだ。
その後は、他愛も無い会話をして過ごし、気が付くと夕方になっていた。
「じゃあ、僕はそろそろ帰るよ…」
「うん…今日はいろいろとありがとう…」
そうして、僕は玄関へと向かう。
ドアノブに手を掛けたところで、トレーシーに呼び止められた。
「え…?!」
振り返ったところで唇をふさがれた。
柔らかい感触が僕の唇を覆う。トレーシーの唇だ。
そうしてしばらくの間、僕たちはキスを続けた。
どちらからともなく唇を離す。
「……」
「……」
しばらく無言で見つめ合う二人。
「ごめんね引き止めて…」
最初に言葉を発したのはトレーシーだった。
「あ…うん…それじゃあ…」
そう言って僕は、トレーシーの家を跡にした。