きっかけは些細な事だった。
放課後島岡と一緒に職員室に呼び出されて説教されて。
教室に戻ったら寿々子が日直の仕事終えて帰る準備をしていて。
「今月分の金はどうした」「学費払えるんなら返済に回せ」とか言って。それが原因で口論になって。
その時何かカチンとくる事を言われたらしいが思い出せない。気がつくともう何かしちまった後だった。
俺の腕を掴んでいる島岡。拳に残る嫌な感触。
そして頬を赤く腫らせて床に倒れている寿々子。
女を殴るのは別に初めてじゃない。スケ番だの族の連中だのなら何人もボコってる。
でも普通の女を殴るのは初めてだった。
……普通?
いや違う、普通じゃない!こいつは自分の兄貴を何度も半殺しの目に合わせてるゴリラ女だ!
寿々子がゆっくり体を起こす。全身に悪寒が走る。殴っちゃいない島岡まで震え上がってる。だが。
何もしてこない。座り込んで、腫れた頬に手を当てて黙り込んでいる。
いや、ただ黙り込んでいるんじゃない。良く見ると目がかすかに潤んでる。殴ってない方の頬まで赤らんでる。
まさかこいつ、殴られて感じて……
と、寿々子がゆっくり立ち上がった。今度こそやり返す気かと身構える。が。
「……ハンカチ、貸してくれる?」
それだけだった。俺は黙ってハンカチを差し出した。
水道でハンカチを濡らし、頬に当てる寿々子。少しずつ腫れが退く。殴ってない方の頬の赤みも消える。目の潤みも。
いつもの寿々子だ。
「明日、お金持ってくるから」
ハンカチを洗って返すと、そう言って寿々子は帰っていった。
俺はしばらく立ち尽くして、寿々子の後姿を見送りながら考えていた。
もし島岡が止めていなかったら、俺は、いや寿々子は一体どうなっちまってたのだろうか?
「崎さん」島岡が声をかける。
「分かってる。もうしねぇよ」
俺はハンカチをごみ箱に捨てた。もう二度とあんな顔を見ずにすむよう願って。
翌日寿々子は金を持ってきた。また無駄使いしようとしていた兄貴を「説得」したという。
どう「説得」したかについてはあえて聞かなかったのは言うまでも無い。
全くあいつは普通じゃない女だ。