こんなつもりじゃなかったのに。
不安と、後悔。形のさだまらない感情に、よしこは全身を強ばらせ、所在なさげに小さくみじろぎをした。
落ち着きなく視線を動かすと、嫌でも目に入ってくる複数の男女の楽しそうな笑顔。
ちいさな部屋には、両耳を塞ぎたくなるほどの大音量で絶え間なく音楽が流れ続けている。
つまり、カラオケボックスでの合コンの真っ最中なのだ。
(か、帰りたいようっ)
友達に、帰りに付き合ってほしいところがあると頼まれたのが、ほんの二時間前。
御村の家に行儀みならいにあがっている手前、なかなか友達とも遊びに行けない。今日はたまたまお休みを貰った日だったし、普段の埋め合わせのつもりで承諾したのだが、それがいけなかったらしい。
いわゆる合コンの頭数会わせだとしったときにはすで両端を固められ、動けない状態になっていた。
(こわいよ、託也お兄ちゃんっ)
気がつけば御村に恋をしていて、気がつけば御村の許嫁となっていたよしこには、十八になる今まで家族以外の異性とろくに関わりを持ったことがない。
もちろんこういう場も初めてであるし、両端から送られてくる視線にも、たまに振られる会話にも、どう対処していいのかもわからない。
何より、許嫁であり、つい最近心が通じ合ったばかりの思い人への罪悪感で胸が潰れてしまいそうだった。
「大丈夫?」
じっと下を向いてうつむいてしまってしたよしこに、右隣に座っていた男が声をかけてきた。
よしこは顔をあげ、何とも言えず、ただ曖昧に笑う。
「顔色わるいよ? ちょっと休憩した方がいいんじゃないかな?」
「え……」
「トイレいく? つき合うよ」
チャンスだ。
ふいによしこの心に光が射す。そのまま抜け出して、こっそり帰ってしまえばいいのだ。
「うんっ」
力いっぱい頷くと、男は爽やかに笑ってよしこの手をとる。
そして、何とか部屋を後にすることができたのだ。
小さく礼をいうと、男は笑顔を顔に張り付けたまま「いいよ」と 返してくれる。
いくらか歩いた先にあったトイレは、男女共用のものがひとつきり。
先にどうぞと言われたので入ったら、なぜか男も一緒に入ってきた。
(なんで?)
疑問に思ったのは男が後ろ手に扉の鍵を閉めた後だった。
「よしこちゃんだっけ、可愛いよなぁ」
「あ、あの…っ」
「一緒に来てくれたってことは、いいってことだよねぇ?」
いいって何が!?
なんて質問は到底できる雰囲気ではなく、じりじりと迫って来る相手に、本能的に後退する。
涙が出そうだった。
でもこんなわけのわからない男のために、貴重な水分を放出するのはたまらない。
「一ノ宮の制服って、可愛いよなぁ」
何しろ小さなトイレの中だから、間はすぐに詰められてしまう。
男の腕が伸びてきて、よしこのスカートをめくる。
抵抗したいのに、体がうごかない。
「や、いやっ」
「もしかして初めて?」
御村ですら触ったことのない、スカートの奥のふとももに手が伸びふれた瞬間、よしこの中で恐怖の糸が切れた。
「いやぁっ! 助けて、御村のあんちゃん、助けて、いやーっ!」
必死に手足をばたつかせ、声のかぎりに叫ぶ。男はそれを押さえつけながら、イラついた表情を浮かべた。
「無駄だって、こんなうるさいとこで声なんかとど……っ」
届かない。
けれど男は最後まで言葉を紡ぐことはできなかった。
鍵を閉めたはずの扉が、バンっといきなり大きな音をたてた後、突然開いたからである。
正確には開いたのではなく、壊れたのだが。
「託也お兄ちゃん!」
「何やってるの?」
壊れた扉の向こうには、御村の姿があった。
「な、なんだよお前っ」
声に御村は視線をよしこから男にうつす。 乱れたよしこの服装と男の手の位置を確認したあと、御村は静かに二人に近づいた。
そしておもむろに拳を振り上げ、男を殴りつけた。
「お茶が立てられなくなったら、責任をとるように」