国枝はこの人生最大の危機になんとか対処すべく、持てる思考力を全て駆使して対応を試みていた。  
しかし、一向に打開策は見えてこない。  
第一頭をひねってどうにかなる問題ではないのだ。  
何か無い訳でもない。  
最低の案として、山部になにもかもぶちまけて、一蓮托生で対応する。  
つまり、打ち合わせの上で山部に警察に行ってもらう、つまり山部を人身御供に差し出すという方法である。  
この案が何故最低かと言えば、要するに最後まで山部が裏切らない保障が無いと言う点だ。  
厳しい取調べの過程で、山部が何もかも喋ってしまう可能性は捨てきれない。  
で、あるので却下。  
そして、もっと最低の案は今日撮影を決行するという案だ。  
これは魅力的だがあまりにも準備が無さ過ぎる・・・  
よって却下。  
何か都合の良い収集案は無いものか国枝は考え続ける。  
その顔があまりに怖かったのだろう。  
目の前の浜中は先程から今日の実験の説明をしていたのだが、足は恐怖で小刻みに震えていた。  
国枝は浜中が怯えているのを自覚すると、普段の無表情に戻った。  
こんな事をしていたのでは話にならない、時間は刻一刻と消費されている、貴重な時間が、だ。  
時計の秒針が刻まれるたびに破滅が近づいてくる。  
丈夫であるはずの胃も、恐らく潰瘍を起しているだろう。  
背中の冷や汗はここ一時間ほど止まっていない。  
浜中は相変わらず、小刻みに震えながら説明を繰り返している。  
試しに睨み付けてやったら、震えの振幅が増幅した。  
小動物の実験みたいで愉快だったが、そんな事は慰めにもならなかった。  
 
西之園萌絵は一コマ目の講義が終わり寛いでいた。  
その間にも今日の刺激的な予定が脳裏を支配する。  
尾行は初めての経験である。  
だから準備は怠らない。  
国枝は通常の勤務時間で帰宅するだろう。  
今日の講義は昼で終了なので、それから準備を始めれば問題ない。  
要するにレンタカーを借りたり、服を新調したり、目立たないサングラスを買ったり、といった事だ。  
国枝は電車で通勤している為、帰宅中を車で尾行することは出来ないが、  
国枝のマンションの近くに車を止めて準備しておかなくてはならない。  
徒歩で尾行していて、国枝が自宅から車で移動する事も十分考えられるからだ。  
理想は、帰宅する足でそのまま対象者の場所まで向かう事だが、その可能性は30%くらいだろう。  
そして、帰宅してそのまま暫く動かない可能性もあるので、是非近くに車を用意しておかなければならない。  
レンタカー等本来は乗りたくも無いが、それも致し方ないというものだ。  
その助手席に犀川が乗っていたらさぞかし刺激的だ、と一瞬考えたが、国枝を尾行すると知ったら全力で止められる事は明白なので、  
そのオプションは有り得なかった。  
それに、この状況を犀川になんと説明すれば良いのだろう?  
検討もつかなかった。  
 
山部は越えてはならない一線を越えてしまった。  
手の中にある物体が未だに信じられない。  
なんて事をしてしまったのだ!!  
全く信じられない、無我夢中だった。  
本当になんて事を・・・  
自分がこれほど大胆になれるとは、本当に驚きだった。  
散々悩んだ末の結論だった。  
致しかたが無かったのだ。  
これしか無かったのだ。  
どうあがいても、好意的に納得させる方法を遂に考案できなかった。  
だから、最初の撮影でぶっかけはしない。  
この驚異的な発想の転換は、山部にとって遂に一線を越えさせる契機になった。  
 
山部の手の中にはビニール袋が握られていた。  
その中に白が少し黄ばんだ粉末が入っていた。  
このビニール袋は通称パケと呼ばれている物体だ。  
そして、粉末の名称はクラックという。  
要するに麻薬だ。  
このパケの中に三回分が入っているという。  
もう、これだけで15万もしたのだ。  
日本ではあまり売られていないらしいので、  
非常に高価だったがどうしても必要だった。  
覚せい剤ならもっと安価に手に入ったのだろうが、  
どうしてもこのクラックが必要だった。  
何故ならクラックは一度で廃人になるという。  
つまり絶対にヤメられない。  
覚せい剤の常用者が更生するという話は良く耳にする。  
しかし、どの麻薬サイトを見ても、  
どの麻薬の本を読んでもクラックだけはヤメられないと書いてあった。  
そういったものが必要だった。  
 
覚せい剤ならば、努力すれば西之園萌絵でも入手可能だろう。  
それほど、日本ではポピュラーな薬だ。  
しかし、このクラックは違う。  
日本に卸される事は極稀である。  
本当に知っている人間でなければ入手は不可能である。  
このクラックの最も危険な使用法とは、クラックをキメながらヤリまくる事だった。  
クラック+セックスというのは信じられない程の快楽をもたらすらしい。  
どんな不感症の女でも一回で完全に狂ってしまう。  
そうなれば西之園萌絵は完全に奴隷だ。  
何せ西之園萌絵には手に入れれないので、山部に依存するしかない。  
そうしてから、撮影を申し込む。  
恐らく涎を垂らしながら賛成するだろう。  
山部の演技指導も喜んで受けるだろう。  
そういった女優の積極的姿勢が良い作品を生み出すのだ。  
閉塞された状況を一挙に打開できる魔法の薬クラック。  
山部はパケにキスをした。  
 
所で何故このクラックがそれ程凄いのか。  
覚せい剤はキメてからの効果が比較的長い。  
余程の粗悪品で無い限り、結構効果は持続するらしい。  
だから一晩の使用量は少量で済む。  
だが、このクラックは違う。  
基本はコカインなのだ。  
その粗悪品がクラックである。  
コカインも覚せい剤も基本的に似たような使用感をもたらすらしい。  
コカインと覚せい剤ならば差異は少ないが、お互いに物が劣化すると差異が明瞭になってくる。  
基本的に覚せい剤の劣化品とは混ぜ物があるかないか、である。  
だから単純に使用感が薄いのだ。  
これでは依存症になりにくい。  
しかし、クラックとはコカインにもう一度加工を施す事によって、多量に精製が可能で、製造コストを低く抑えた商品である。  
コカインに混ぜ物をした訳ではないので使用感は変化しない。  
最大の特徴は、持続時間が極めて短いという事であった。  
強烈な快楽の代償は深刻である。  
覚せい剤みたく、徐々に効果が切れるのならばまだしも、クラックは突然切れる。  
その反動をモロに受けなければならない。  
だから一晩に何回でも手を出す。  
一度出したら止まらず、薬が無くなったら、どのような事をしてでも薬を手に入れようと動き出す。  
欧米諸国では、このクラックが治安を急速に悪化させた。  
その凄惨な破滅の話には事欠かない。  
そういった悪魔の薬がクラックなのである。  
しかも、極めて安価な方法で精製可能なので、南米の組織はこぞって生産に日夜励んでいるのである。。  
 
これは、最後の手段である。  
あらゆる説得を最後まで試みて、その全てが失敗した場合、最後の手段でクラックなのだ。  
そして、依存性だけを高めさせるため注射はせずに、炙るだけに留める。  
これは、本当に廃人になられては、演技指導が出来ないからだ。  
注射をすれば本当に一度で廃人になるらしい。  
だが、炙ってもそれなりの効果は得られるらしい。  
もう後には引けない。  
国枝に何の相談もしていないが、もうこれ以上は待てない。  
山部は親切な友人に感謝した。  
だが、心配でもあった。  
なんと、このクラックは前代未聞の国産のクラックであった。  
山部にしか入手出来ない訳がここにある。  
薬学部に通っている友人が精製に成功したこのクラックは、つまり本当の所効果を疑っていた。  
友人は効果抜群だというが、実際に試していないのでなんとも言えない。  
薬学部がなんだと言っても所詮は素人が作った代物だ。  
友人は、これで何度も女を狂わせた、と豪語しているが、実際疑わしい。  
いざ、本番で全くの役立たずでは話にならない。  
そして、自分に使うなどもっての他だった。  
自分が万が一狂ってしまったら誰が西之園萌絵に演技指導をするというのか?  
誰が企画をあげて、撮影するというのか!  
そんな過ちを山部は犯しはしなかったが、どうにか、この効果を確かめなければならない・・・  
こういった問題は想定外である。  
 

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