国枝は廊下を歩く。  
顔にはコーヒーがかかったままだったし、シャツはコゲ茶色に変色していた。  
 
計算外であった。  
自分が高圧的に依頼すれば通ると思っていた。  
自分の認識は甘かったのだろうか。  
いずれにせよ、もはや自分自身で誘い出すことは不可能。  
ならば、選択肢は限られるだろう。  
リアクションを読みきれなかった自分が甘かったのだ。  
国枝はそう結論付けた。  
 
国枝は国枝で山部と違ったプランを用意していた。  
山部はレイプに懐疑的であったが、国枝はレイプに拘った。  
精神的にも肉体的にも追い詰めるのには、特に西之園萌絵のような女ならばなおさらだ。  
こういってはなんだが、間違いなく純潔を守り通しているだろう西之園萌絵にとって、  
見ず知らずの男に奪われ辱めを受けたならば恐らく自殺する。  
希望的観測であったが、  
被害者意識が優勢な西之園萌絵ならば当然選択するであろう結末である。  
 
国枝は廊下を無表情で歩く。  
相変わらず男なのか女なのか良く解らない国枝であるが、学生時代は実は髪も延びていたし、付き合っている男もいた。  
そして最近のベリーショートに関しては単なる気まぐれである。  
そろそろ伸ばしても構わないと思っているが、今更女の格好をするのも気が引ける。  
しかし、そんな事を言っているから何時までも犀川の気を引けないのだ。  
犀川は否定するかもしれないが、西之園萌絵に対する優しさはその類まれなる容姿によるものも大きいだろう。  
で、あるからには自分も少しは気を付けなければいけない。  
そうだ、西之園萌絵を排除したら髪を伸ばしてワンピースを着てみよう。  
犀川は驚くに違いない。  
国枝は笑った、かのように見えた。  
もちろん錯覚である。  
 
こういった手の込んだ事はしたくなかったが仕方がない。  
もはや自分自身で誘えない以上もはや動けない。  
かといって、山部は西之園萌絵を誘えない。  
ならば西之園萌絵が信頼を置く人物をこちらの奴隷にしするもしくわ、西之園萌絵を拉致するという選択肢しか残されていない。  
先ほどの西之園萌絵の態度を思い出すに手段を選んでいる場合ではないと国枝は決心を固めていた。  
 
できれば拉致は行いたくなかった。  
なにせ拉致するには相手が悪い。  
西之園萌絵はその特殊な家庭環境上執事の諏訪野が萌絵の生活を管理しているといっても差し障り無い。  
その事を考慮するならば、ある日突然連絡がつかなくなると言う事態は避けたほうが懸命。  
あくまで西之園萌絵自身に納得して撮影場所まで来て貰わなければならない。  
それはつまり諏訪野もその予定に関して納得済みという事の査証だからだ。  
それで初めて脅迫は成立する。  
レイプの後、何事も無かったように振舞えと強要する。  
見ず知らずの男5,6人に代わる代わる犯されるビデオを握られている以上、  
何も出来ないだろう。  
そして精神の均衡を保てず自殺するのだ。  
もしくは案外快楽に味を覚えて溺れて行くのかもしれない。  
そうだ、何も殺さなくても溺れさすだけで良いのではないか・・・  
その方が余程安全ではある。  
それならば二度と犀川に近づくことも無い。  
第一、犀川では溺れた女を満足させれないであろう。  
なんと低俗な発想であろう。  
 
国枝は自分が今まで殺すことを念頭に考えすぎていた不明を恥じた。  
いつのまにか自主退学から殺人へとシフトしていた。  
溺れさすのならば薬物を使用するのが効果的だ。  
覚醒剤は何処で入手すれば良いのだろう。  
ところで、こういった形態の方法を採用するのならば山部は不要である。  
山部の変態性は西之園萌絵にとって最大の陵辱になるが、  
そのような殺人的な行為はもはや必要が無い。  
国枝に新たな頭痛の種が増えた。  
自業自得とは言え山部をどう処理するか・・・  
 
その無表情は強張り国枝の思考は回転を増して行った。  
 
山部は最大の障害に接していた。  
つまり、革命的な創作意欲のため生じてしまった最大の障害。  
西之園萌絵に了解を得るという障害である。  
 
この縛りの為に既に3日間大学に行っていなかった。  
別に引きこもっていた訳ではなく、外をブラブラしたり電車に乗ったり、とそんな逃避行を繰り返していたのである。  
とても大学に行っている場合ではなく、山部は思索に耽っていたかった。  
山部は座って居るよりも歩いている時の方が集中出来る性質である。  
この三日間というもの、いったい何キロ歩いたか解らなかった。  
幾つが構想が練れたが、どれも実現に至るには何かが足りなかった。  
そして、大まかな構想が出来ないと細部を詰めれない。  
もう一つ問題があった。  
ここ最近国枝と連絡がとれないのである。  
山部から連絡をとる事は固く禁止されている。  
で、あるので国枝からの連絡を待つしかないのだが、一向に連絡をよこさない。  
この計画自体は国枝と山部の共同作戦なので、山部が一方的に何かを練っても国枝が承知しなければ不発に終わる。  
国枝の連絡先一覧は一応知ってはいるが、自分から連絡をとる度胸は山部には無かった。  
そういった猥雑な問題を多数抱えているためとても山部は大学に行けなかったのだ。  
 
この時期すでに山部は国枝によって切り捨てられていた。  
そしてただ切り捨てる方法を国枝は模索していたのである。  
だが、その方法も状況を覆す決定的な事件が発生した為、自動的に決定した。  
 
国枝は出勤するときも無表情である。  
だが、少しばかり眠かったりもする。  
そしてソレが顔に表れないように注意しているが、  
僅かなりともそういった感情が顔面に干渉する。  
そういったとき、外部から国枝を観察した場合非常に不機嫌に観れるのだ。  
そういった理由で朝の国枝に近づくものは存在しない。  
そして上司の犀川も朝は漏電を起こしているのではないかと、疑いを持つくらいに動作が緩慢で意味不明な言葉を発するので同様に近づくものはいない。  
要するに、犀川の研究室には朝は決して近づく人間など存在しないのだ。  
そして、そんな二人の生理特性を全く無視して接する事が出来る唯一の人物。  
言わずと知れた西之園萌絵である。  
 
朝は犀川よりも30分も早く出勤する国枝は研究室の鍵開けの担当でもあった。  
これは自然の成り行きである。  
今日も昨日と変わらない風景がそこに存在すると思っていたが、研究室の前には何故か西之園萌絵がいる。  
何か非常に思いつめた表情をしいていた。  
昨日の事を謝罪しに来たのか?  
一瞬そんな甘い事を考えた自分を国枝は恥じた。  
むしろ、その逆で国枝に再度謝罪を要求してくるのでは?  
これなら筋が通る、全ての事象は自分の思いのままになる、と思い込んでいる西之園萌絵の事だ、十分に有り得る。  
そんな相手は無視するに限る、国枝は西之園萌絵に一瞥もくれず鍵を開けた。  
西之園萌絵は黙ったままだ。  
ドアを開けようとして凍りついた、何かがおかしい・・・  
 
昨日はあのまま家に帰ってしまった。  
そういえば机はコーヒーで汚れたままだ。  
誰か片付けてくれただろうか?  
片付けたとしたら誰が・・・院生や学生の連中はどんなに異変があったとしても国枝の机に触れるなどとは発想すら有り得ないだろう。  
それならば、犀川という線も即座に捨てなければならない、もしかして・・・  
この瞬間、国枝は全てを看破した。  
この場に西之園萌絵がいる理由、そしてわざわざ早朝の国枝と完全に二人きりになるシチュエーションを選んだ理由。  
自分が無視を決め込んでも余裕でやり過ごした理由、ホントにドアを開けて気付かなくてよかった、そんな間抜けを演じた日には完全に主導権を握られてしまうだろう。  
国枝は西之園萌絵に向き直った。頭は完全に冴え切っている、どのような事態にも対処するべく非常識なスピードでプランが練られていった。  
余裕の笑みを浮かべる西之園萌絵を国枝は、何故この場で萌絵を殺す事がままならない理不尽さに吐き気を催しそうになった。  
 
「流石ですね国枝先生・・・」  
 
国枝は自分の迂闊さに自殺したい心境だった。  
 
 
西之園萌絵は冷静な自分を維持するのに懸命だった。  
冷静に。  
そう、自分に言い聞かせなければならないほど浮き足立っていた。  
もはや立場に置いての劣等感は感じずに済みそうなのである。  
まさか国枝の机から、あのような物が出てくるとは夢にも思わなかった。  
 
コーヒーは机の表面を汚しただけではなく、抽斗にも侵入していた。  
今まで自分の部屋の整理すらも諏訪野に任せっきりだったので、  
具体的にどのように片付けて良いか解らなかったが、とりあえず、  
こぼれたコーヒーを拭いてしまおうと思って、さして深く考えず抽斗を開けた。  
 
今もこれからも国枝の机に手を出すなどと言う暴挙に及べるものは、やはり西之園萌絵しかいないであろう。  
国枝の盲点はここにあった。  
自分自身が作り上げたキャラクタを国枝は良く自覚していた。  
それゆえに、まさか自分自身の私物が荒らされる事など皆無だと考えていた。  
まさに死角である。  
で、あるからにして、国枝は迂闊にもカメラと現像写真一式を机の中に入れたままにしていた。  
勿論、毎日持って帰るのだが、状況が状況だったので、その日はそのままだったのだ。  
まさに命取りである。  
 
実の所、山部との取引は、以下の条件で交わされた。  
山部は国枝に対しあらゆる命令を実行する義務を有する。  
山部が義務を放棄した段階で、国枝は制裁を行う。  
命令が実行された段階でに置いて、  
山部は国枝から素材の提供を受ける。  
山部は素材に対し対価を払う。  
山部はこの契約を破棄出来ない。  
 
といった内容の取引を交わした。  
不平等条約であるが、山部の方が圧倒的に立場が弱いのでどうしようもない。  
そして、本来律儀な国枝はこの取引に基づいて素材を収集していたのだ。  
最近ではカメラの扱いにも凝ってきて、萌絵が新しい服を着てくる度にアングルを色々と変更して撮ってみたり、より鮮明な画像を得るにはどのようにすれば良いか日夜思索を繰り返していた。  
そう、国枝は凝り性なのである。  
今までこれといった趣味を持たなかった国枝であるが、最近は自分の中の隠れた一面を発見したようで、驚いていた。  
何と言っても単なる写真撮影ではないのである、盗撮というスリリングな行為が国枝にこれまでにない感覚を味合わせていた。  
そして、取引と言う言葉を隠れ蓑にして自分の行為を今まで正当化していた。  
ミイラ取りがミイラになったとは、正にこのような状態である。  
 
そして、あろうことかその盗撮の証拠品一覧が国枝の目の前に今突き付けられていた。  
内心は顔面蒼白、足元も覚束なかった。  
なにより、これを犀川が知った時のリアクションを想像しただけで何かが崩れていく感覚が支配的になる。  
信じられない位に冷たい視線で軽蔑されるだろう。  
もはや自分は生きていけないのか。  
多分生きていけないだろう・・・  
と、内心では考えていたが、表面上は「それがどうかしたの?」という顔を維持していた。  
 
西之園萌絵にとっては、その表情を維持している(正確には眉が少しだけ釣り上がった)事が脅威であった。  
しかし、ここは攻めの一手だ。  
仮に、国枝でなくともこんな犯罪行為は許せない。  
何故、こんな愚かしい事をしたのか徹底的に追求するのだ。  
そして、萌絵にはこうして証拠が存在するのに、国枝がこの手の犯罪を犯すとは、とても信じられないのだ。  
国枝という人物は、こうやって何か人と云うものにここまで関心を払う人格だとは思えない。  
そして、被写体が男性であればともかく(最近自分が考える事が汚らわしくて仕方が無い)自分自身であるところも、現実感覚がなかった。  
ほんとうに、私を撮ってどうするつもりだったのか??  
明らかに不自然だった。  
それを訊きたくて、わざわざ早朝にこんな会見を持ったのである。  
これが、国枝以外で尚且つ男性の犯行ならば何も問題なく通報していた。  
 
「さあ国枝先生、どうか説明して頂きたいのです。  
 その・・・何故このような事を?」流石に萌絵は盗撮という単語を発声出来なかった。  
 
「・・・」  
 
「お願いです国枝先生、答えて下さい。  
 答えていただけないのならば、国枝先生を私は、通報しなければなりません。」  
 
「あなた、何を・・・」  
 
「国枝先生、先生はひょっとして誰かに脅迫されているのではありませんか?」  
 
「・・・」  
 
萌絵は唐突に思いついた可能性を口に出したが、よくよく考えてみれば、  
これが一番可能性が高い。  
それならば筋が通る。  
国枝は誰かに脅迫をされているのだ。  
そして、何故か私の写真をとるように強要されていたのだ。  
そして、昨日のあの強引な誘いは、その脅迫されている強要の一つなのだろう。  
その脅迫者は写真だけでは飽き足らず私と直接会いたかった??  
それならば、一年生の私に対する国枝の不自然な態度、  
そして無意味で強引な誘いも筋が通る。  
現に国枝は下を向いて俯いて、足は小刻みに震えていた。  
 
「・・・」  
 
「先生、どうか真実を仰って下さい。  
 私の叔父は警察です、ですから事情をすっかり話してしまえばきっと解決します。」  
 
「・・・」  
 
相変わらず国枝は黙っていたが、目からは涙が流れていた。  
 
「先生・・・」  
 
「きみ、済まなかった・・・こんな事を・・・」  
 
「先生、先生は脅迫されていた、そして私の写真を撮ったそういう事ですね。」  
 
微かに国枝は頷いた。  
 
「私は、私は・・・」  
 
「お願いです国枝先生、叔父様の所へ参りましょう。そして全部話してしまうのです、そうすれば、後は警察が解決してくれます」  
 
萌絵はその卑劣な脅迫者が許せなくなった。  
強気な国枝が涙を流すまで追い詰めた脅迫者を絶対に許せなかった。  
国枝自身がどのような経緯で脅迫されたかは定かではないが、極めて卑怯な手段が採られたに違いない。  
その脅迫者は私自身をよく調べていて、  
私に近い女性を脅迫し協力者に仕立て上げたのだ。  
幾ら国枝が男勝りとは言え、女性なのだ。  
無口すぎるきらいはあったが、それ以外ではクールで尊敬できる女性なのだ。  
やはり無闇に国枝を疑わなくて良かった。  
自分が不自然だと思う時は、なにかしらその判断が誤っている時である。  
今までもそうだった。  
萌絵は自分自身の直感を信じていたのだ。  
今回もその直感が当たったケースといっても良いだろう。  
 

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