「なんでしょうか」  
「あいつ、報酬がどうこうじゃなくて、殺戮をするためにここに居るのよ」  
「さっ、さつりく……ですか。あぶない人なんですか」  
「だから、生きるためにドルファンに来た。そんな感じがしたの」  
「じゃあ、すごい人なんですね」  
 クレールがぽんと割り込んでくる。ミューは眉間に皺を寄せる。場の雰囲気を  
どうにかしたいという心遣いもわかったが、おかまいなしに続けた。  
今すぐ気持ちを吐き出してしまいたかった。  
「そうみたい。でも、たったひとりの人間がすることなんて、たかがしれているわ」  
「私もそう思います」  
「けれど、あいつは違うのかも」  
「長年の勘ってやつですね」  
 クレールは茶化したつもりの言葉にミューの真実を思い出し、悪寒を感じていた。  
「ドルファンの災厄になるのかもしれない」  
「そんな気味悪いことをいわないでくださいよ」  
 クレールとロアナが口を揃える。  
「そうね。もう、よしましょ。さあ、私たちも行くとしましょう」  
「はい」  
 ミューは顔を上げ青空に浮かんでいる千切れ雲を眺め、この国がどうなるのかを  
思っていた。  
「生きるため……か……」  
 ため息を深くついていた。人の存在が儚きものなら、国もまたおなじなのだろうかとも。  
「で、ミューさん。あの人に光りのこと、訊いてみましたか」  
「わすれていた。出国する頃にでも訊いてみるわ。私にも運があったのなら」  
(ドルファンのみんなが戦渦に巻き込まれないよう……。末永く暮らせますように)  
 
 マジョラム夫妻は高台にある墓地から去ると、徒歩でシーエアー駅方面へと向かった。  
ヤングは兵舎に立ち寄り、クレアは酒場に向かって下ごしらえの準備の手伝いをする。  
そういう段取りになっていた。  
 墓地から下りたところにある、サンディア岬駅から馬車に乗ればドルファン港までは  
すぐだった。  
 クロッシング・ポイントまで、いっしょの時間を過したくて、ふたりで歩いてはいたが、  
ダナン陥落は暗い影を落とす。  
 ヤングの腕にしがみ付きながら、クレアは啜り泣きをやめなかった。クレアの重みに  
ヤングは微かな痛みを覚えていた。心の痛み。そして、もうひとつ。それぞれに  
違いはあっても、信じる祈りに揺らぐヤングとクレア。  
 夫の言った事は伊達ではなく本心なのだと妻は理解していても、忍び寄る死の影が  
心をどうしょうもないくらいに掻き乱す。  
 
 
『クレア、ダナン陥落の一報が入った。病院の連中が動いているんだ。たいへんなことに  
なっているらしい』  
 納入業者の一人が知らせを持ってやって来た。危うくグラスを落としそうになって。  
『まさか……』  
『ドルファンの兵はどうなった』  
 酒場に居た客が男に訊くとざわめきは途絶えて静まり返った。  
『気をしっかりと持って、クレア』  
『はい、すみません』  
『敗走しているらしいんだ』  
『なんだって』  
『楽勝だったんじゃないのか』  
『いったい、どうなっているんだ』  
 テーブルをジョッキの底で叩き、音が重なり合う。どんどん拡がっていった。  
 
『傭兵も補充して、十二分に勝てるっていってたよな』  
 蜂の巣をつっついた騒ぎになって、最後には為政者への不満が湧き起こる。  
中にはドアベルを鳴らして慌てて外へ出て行く客もいた。  
『クレア、今日はもういいから、帰りなさい』  
『それはできません』  
 きっぱりとクレアは断った。  
『クレア……』  
『私にお仕事を最後までさせてください。どうか続けさせてください』  
『そうまでいうのなら、私は構わないが、そう無理せずとも』  
 不安そうな眼差しで右手を胸元に置き、手の甲を擦っていた。  
『わかった、わかった。そんな貌をしないでくれ』  
 両の掌を立てて二三回、クレアを宥め小刻みに中空で揺すってみせる。  
『すみません、マスター』  
『まあ、すぐにレッドゲートに……兵が……』  
 敗走の軍と出そうになって困惑した。  
『着く訳がありませんものね』  
『すまん、クレア』  
『いいんです、わたし――』  
 クレアは遅くの就業時間まで居てから、ケープを仕事着のまま着て、一生懸命に走った。  
レッドゲートにはテントが既に張られ、医師や看護婦、警備兵が待機していた。市民も  
幾らかいて様子を遠巻きに見守っていた。  
 ひとりの少女が張られたロープをくぐって行く。  
『きみ、ドルファン学園の生徒だろ。こんな遅くに出歩いてちゃいけないよ』  
『すみません、ダナンの人たちも軍といっしょに避難して来ているのでしょうか!  
教えてください!教えて、おねがいいたします!』  
『ごっ、ごめん。軍事行動中のことは市民には他言無用という規則になっているんだ』  
 
『そっ、そうなんですか……』  
 踵を返し、両肩を落とす後ろ姿が痛々しい。必死な訴えに応えてやりたくとも  
術の無いもどかしさ。少女の手がロープに触れる。  
『待ってくれ、きみ』  
『はい、なんですか』  
 警備兵は少女の顔に近づいて囁いた。  
『覚悟はしていてくれ。それしか、僕からは言えない』  
 テントの傍で焚かれている、松明の火の粉が天上に昇っていって闇にふっと掻き消される。  
小脇に抱えていた物を離してしまった。  
『かっ、覚悟……』  
 スケッチブックを拾い上げて少女に手渡す。酒場でマスターの赦しを得てカウンターに座って  
素描をしていた少女。楽しそうにそして居る人たちの顔を描き留めて。なのに今は消えた  
いくつもの命の予感に向き合っていた。  
『ほら、落ちたよ』  
『ありがとう、兵隊さん』  
 
わたくし――ヤングの妻としての覚悟はしていますから。  
いま踏みしめている地が瞬時に沼に変わり、ずぶずふと沈むようなめまいに襲われた。  
『クレアさん』  
『はっ、はい。なんでしょう』 (男なの……かしら)  
クレアは驚いて振り返っていた。悪い報せを持ってくる、神父や兵士ではなかった。  
それに、報せが入ってからまだ間もないのだから、いくらなんでも首尾よく立ち回れる  
わけがないと安心はしたものの。  
革のベルトを詰めてバンダナにした、銀髪の女に声を掛けられていた。  
『店のオーナーから、あなたを家まで送るようにと言われて来ました』  
 
『おくる?』  
『オレ、御者です』  
『あっ、ああ、そうなんですか。でも、私は結構ですから。すみません』  
『料金は頂いていますよ』  
『……』  
『クレアさん。それにここにいても、ご主人には逢えないと思いますよ』  
『どうしてなんでしょうか』  
『外人部隊はレッドゲートをくぐっては着ません。だから』  
『でしたら、暫らく私はここに居ます。帰ってもらってもかまいませんから』  
『でも』  
『居たいんです。ごめんなさい』  
『それなら、暫らくしてからキープの城壁に沿って帰りましょう。マリーゴールド地区方面に  
外人部隊が遠回りしてまで着くとは思えませんから』  
『よろしいのですか』  
『言ったでしょう。代金は貰っていますって』  
『ええ……』  
『感謝するなら店のオーナーにね』  
『はっ、はい』  
 
 訓練場から城壁沿いを時計回りに馬車を駆った。見えてくる松明がクレアをせつなくし、  
ドルファンの慌しくなった眺めを涙で霞ませる。  
 揺られながらヤングとの思い出にたゆたうクレア・マジョラム。  
 
 雷鳴が轟いてぱたぱたと音がする。やがて大げさな音になって屋根を叩き始めた。  
『クレアさん、いらっしゃいませんか』  
 ドアをしつこくノックする音がそれに混じって。  
 
『はい、いま開けますから』  
 普段はしない大声で応えても、ドアノックは収まらなかった。  
『ちょっと待っていてください。いま、煮物をしていて』  
『ヤング・マジョラムです。すぐにここを開けてください!』  
『わかりました!』  
木で掛けていた鉄鍋を下ろすと、エントランスへと走った。  
『いらっしゃい、ヤング。どうぞ中にはいってください』  
『きみにこれを渡しに来た。すぐに読んだほうがいいと思う』  
 革グローブを取ってマントの下から茶色の油紙に包まれた物を差し出しす。  
『あのひとからの……手紙なんですね』  
 ヤングは応えなかった。  
 紙を受け取って封筒を裏返し、赤蝋の刻印を確認すると、すぐに封を切る。  
手紙に急いで眼を通すと、両手は顫え、次第に蒼ざめていった。  
 手紙を握り締めたまま、ドアの前に立っているヤングの躰を突き飛ばし、豪雨の中に  
躍り出た。  
 ヤングは追いかけ、ずぶ濡れになってしまったクレアに自分のマントを掛けてやる。  
クレアは立ち止まってヤングのすることを放心状態で眺めていた。  
 マントの紐を結ぶ指が縺れていたのを。  
 馬を連れて戻ったヤングが馬からクレアに手を差し伸べる。  
『早く、乗って』  
『……』  
『乗るんだ』  
『はい』  
 クレアが乗ろうとすると馬はいなないて暴れ始める。  
『どう、どう。大丈夫だから。まだ、間に合う、クレア!』  
 
 左手に握り締めていた手紙が水を吸って、インクが溶け出していた。たいせつなものが。  
『ヤング、もういいわ。ありがとう』  
 風も強くなっていた。  
『なんて、いったんだ。クレア。聞こえないよ』  
『だから、ありがとう』  
『さあ、急ごう』  
 不安定な体勢と素手であることもあって、しっかりと掴んでいたと思った手が  
ほとけてしまう。  
 所々に出来た水溜りにクレアの躰は投げ出され転げた。ヤングは暴れる馬を宥めるのに  
手いっぱいだった。倒れているクレアを踏みつけてしまわないように。  
 泥だらけになった顔を上げ、汚れた手紙が飛び込んでくる。嗚咽を洩らしていた。  
『クレア。だいじょうぶか!』  
 クレアは立ち上がって走り出す。  
『待て、クレア。方向が……、そっちじゃ』  
 馬から飛び降り、受身から回転してクレアを追った。ヤングの愛馬はそのまま、  
どこかへと駆け出して行った。  
『いっ、痛いわ。離して』  
 雨脚は更に強くなって、クレアの蒼い頬や頸筋にながい髪が貼りついていた。  
白い衣服はたっぷりと水を吸って、柔肌にぴったりと貼りつき透けて見えていた。  
『離すわけにはいかない』  
 手の力がクレアの手首にきつく食い込んでくる。  
『離して。離してったら』  
 赫い唇がいっぱいに開いて雨が入り込んだ。腰を落として背を丸め、ちからいっぱいに  
引っ張る。ヤングは愛馬カフィの思念がクレアに憑依したとさえ思った。  
『逃げるな、クレア!』  
 
 言葉に反応して、クレアは左脚を後方にやって踏ん張ると掴んでいたヤングの  
左腕を離して懐に飛び込んで、頬に平手打ちをかましていた。  
『離してって言っているでしょ!』  
 もういちど、男の頬を叩こうとする。  
 天空を破る轟音とともに、稲光の白閃光が漆黒の闇夜を引き裂いた。  
 男は避けることも、ガードすらせずにクレアの平手打ちをまともに受けた。  
『どうして……。どうして、あなたがあんな手紙を渡しに来るの。渡しに来たのよ!』  
『愛している』  
『なっ、なにを言って』  
『だから、俺はきみを愛している。だから見過ごすわけにはいかなかった』  
『離しなさいってばっ!離しなさい、ヤング!』  
 顔を叩く豪雨が等しく男と女の躰を凍えさす。数瞬、眼を細めながらも、お互いを  
みつめあっていた。  
 クレアの全身から力が抜けて糸が切れたように軟体化して、ヤングの手が冷え切った  
躰を今度こそ、ぐいっと自分に引き寄せた。  
『もういいから、おねがい……。ほっといて。ほっといてくださいっ!』  
 ヤングの両腕が衣服から透けたクレアの乳房をひしゃげさせ、交差して震える両肩を  
掴んで抱き締めた。ちからいっぱい。  
『ああ……』  
『こんなことでしか想いを伝えられなかった愚か者だ』  
 乳房からヤングの腕にクレアの鼓動が伝わる。  
『だっ、だから、なんなのよッ!』  
『こんな思いをするのは、たくさんだ。たくさんなんだ……』  
 深い悲しみに沈んだ低い声が耳元で聞こえた。  
 
『あんなことになっちゃって、居れない。もう居れないわ……』  
『クレアがそんなんで、どうする』  
『私はただの女よ。張り合うのが嫌で舞台から降りたの。名誉や戦いが男にとって。  
それが、いったいなんだっていうんですか!』  
『また上がればいい』  
『そんなこと、できない。できるわけ……ありません……』  
 ヤングに抱かれながらクレアは顔を振り子のように揺する。雨が打ちのめした。  
『できる。きみなら、きっとできる。自信を持てばいい』  
 クレアの凍えた躰を突き離す。  
『行けぇ、クレア!』  
 肩を掴まれて前に押しやられ、よろめいて数歩進んだ。  
 歩きかけたクレアは振り返って咆えた。  
『私は逃げるの。強くなんかなれないっ!』  
『走れ、彼のところへ!』  
『あなただって、好きな人の想いをどれだけの時を掛けて引き摺っていたのよっ!  
言いなさい!答えなさいよっ!』  
『クレア、きみを守ってやれなかったことは、すまないと思っている。生涯忘れない』  
『どうして、どうしてっ!この期に及んでまでも格好つけているのよっ!  
信じない……。信じないもん!あなたの言葉なんてっ!ぜったいに、ぜったいに  
信じないんだからあぁぁぁ!』  
『これが、俺なんだ。こんな生き方しかできない』  
『私、強くなんかなれない!なれるわけないっ!』  
『なれる。望めば強くなれる。望まなければ……始まらないんだ』  
『うそ、うそ、うそおぉぉぉ!あなたも戦いに身を置きたい男なんでしょ。どうやって  
女は男に触れていったらいいのよっ。剣を捨てられるの?わたしのために捨てられるって  
いってごらんなさい!言えないんでしょ。どうして強くなれなんて言えんのよっ!教えてよ!』  
 
クレアは再度、地を蹴ってヤングの懐に飛び込み躰をぶつけた。雨でふたりの  
吐く息は夜霧になって絡み、交じって顔が近づいた。腕を折って両手でヤングの顔を  
こころの輪郭を確かめるように撫で回しながら包んで唇を奪っていた。  
クレアの気持ちは裸になっていった。ヤングの唇をついばんでクレアは離される。  
『よせっ』  
 抱擁というにはまだまだ遠くて、ヤングは良心の狭間で闘っていた。  
『……』  
『よせ』  
 細い指が強張ってヤングの頬肉を掴む。  
『あなたも男でしょ。肌にふれられたら、誰でも感じる。それでいいじゃない。  
だから心得違いをしないで』  
『クレア、たのむから』  
『慰めて。慰めてよ。どうしようもない淋しさから私を解き放って!』  
『やめろっ』  
『どうして。どうして?あなたは、わたしがほしかったのでしょ。欲しかったのよね』  
 ヤングの顔にクレアの唇が擦りつけられる。  
白閃光が闇を裂いた。  
雨のグロスを刷いて紫色になった唇でも、蕩けるような柔らかさと、プリッとした  
肉の質感をいっしょくたに圧し、クレアの蠱惑に震えた。  
開いた口を塞がれて命の証を求められていた。と思ったらゆるり離れ、天使の羽の  
感触をもって左右に顔を振って掃かれた。  
クレアの舌先がヤングの唇をまたなぞって、歯茎を舐め回しはじめた。顔から流れる  
雨水が入ってくる。  
 喘いだ隙にクレアの舌が深く入ってうねり、ヤングもとうとう応え攻勢に転じ舌を吸った。  
クレアもヤングについていって、頬を窄ませる。  
 
両肩を掴んでいたヤングは憐憫を捨て去り、駆けてきたクレアを突き放すことはなく  
重くなってしまったマントに抱かれたクレアの背と腰の括れを、ちからいっぱいに  
引き付けた。  
 腰の括れの下は衣服から透ける麻のショーツに守られたクレアの――、ヤングの両手が  
双臀の柔肉を鷲掴んだ。  
『んあっ、ああ』  
 唇がはずれクレアの濡れた呻きがこぼれた。  
『クレア、クレア』  
 喘ぐみたいに名を呼ばれつづけ肩に沁みて、温かくなって躰が痺れた。過去が引いて新たな波が  
クレアに向かって押し寄せる。  
 ヤングの頸に絡まって、ぶら下がるクレア。さむさと昂ぶりがごっちゃになって、  
乳首は硬くしこっていた。  
『お家に帰りましょう』   
(ネクセラリアとは別れるわ、ヤング)  
二人は抱擁を解いて離れた。終わりではなくはじまりに向かって、灯りの洩れる場所に  
歩き出す。クレアがヤングにマントの裾を掴んで差し出し、ヤングは少し屈む。  
濡れた乳房のかたちがあった。  
『どうかしたの?』  
 ヤングに笑顔を見せる。  
『なんでもない』  
『ばか』  
『なんか、言ったか』  
『なにも』  
 ぬかるんだ土に足を獲られ、よろめくとヤングがクレアの躰を受け止めていた。  
 
『はやく、入りなさいって』  
『クレアが先に』  
 開け放たれていたドア。  
『いいから』  
 むりやり押し込むように、クレアはヤングの躰を家の中に入れる。  
 エントランスはびしょびしょになっていたが、暖炉の火は消えていなくて、暖気の  
カーテンをくぐると外より遥かに温かい。  
 クレアはドアを閉めてヤングに向き合うと、紐をほといてマントを床に落とした。  
ヤングの躰がクレアを覆う。クレアは大きな背に両手を廻して撫でた。涙があふれた。  
 部屋の明りがクレアの顔を薔薇色に見せてはいたが、まだ血色は戻っていなかった。  
 ヤングの手がクレアのスカートをたくし上げる。冷たい指がクレアの太腿の外側を這った。  
クレアの手がヤングの手に絡み、ズボンの膨らみを撫で擦った。  
 指が麻の小さなショーツに掛かっても、指が凍えていてうまく降ろせない。クレアの  
膨らみを擦る手もぎこちなかった。  
 顔を見合わせて、吹き出していた。しかし、クレアの喘ぐ胸元。ヤングの荒い息に  
二人の昂ぶりは止まらなかった。  
『おっぱいで温めて』  
『ああ』  
 遠征からの帰還兵の気分をヤングは理性で抑え、クレアの重い乳房を下から  
支えるように手を当ててほぐすように愛撫した。  
『肌に触れられたら……』  
『彼のことは忘れなくてもいい』  
『肌にふれて』  
『しているよ』  
『もっと、ふかくよ』  
 
 乳房を覆うように手が置かれ、指の狭間に尖った乳首があった。クレアはヤングの  
口吻を離して頤を引いた。ヤングの頬が擦れ耳元で愛していると囁かれる。唇は首筋に  
下りて来て仰け反らせ、ヤングの手でクレアは右肩を剥き出しにされた。  
 手は圧されるように昇ってきて、衿の外側にすべると、ふたたび乳房を包まれた。  
ヤングの凍えた手と火照りはじめた肌に躰は疼いた。  
 クレアの瞳に躰の反応の涙が張ってじんとする。  
『はあ、はあっ』  
 大きな躰の男が背を屈め、女の中の焔を呼び起そうとしている。傅いているのは  
男なのに、クレアは強き力と妖しき快美に誘われて、意識が従属し喘いで跳ねた。  
 両乳房を露わにされ衣服が落とされる。乳首を吸われて脾腹に何度か肋骨が浮き出た。  
ヤングの両手で挟まれ、胸元には深い鎖骨の描き出す窪み。髪にクレアの指が埋まって  
掻き毟っていた。  
 脾腹をすべって括れで止まる。ヤングの唇は乳房から離れ、上着を脱いでクレアの  
中心線を下りてくる。逞しい傷ついた躰を眼にし、たまらなくなって背をドアに  
あずけていたクレア。  
 太腿に中途半端に掛かっていたショーツが今のクレアの気持ちだった。部屋には  
ずぶ濡れの衣服が散乱していた。  
 ヤングの唇が縦溝の窪みから波打っている下腹に移動した。  
 ショーツと肌の境界に唇が圧され動悸が速くなっていった。  
『肌にふれられたら、誰でも感じるわ。だから心得違いをしないで』  
 クレアの凍えた肌をすべる手が動きを止めた。  
 稲光りが夜を裂く。  
『本気にならないでということだろ。俺は心得ているつもりだ』  
『ちがうのよ、ヤング』  
 ヤングにはクレアのやさしい声がなにを言わんとしているのかが理解できなかった。  
 
『海に浮かぶ夜の月。そして、今は昼の月』  
『なにをいっているんだ』  
(幼なじみだったの……)  
 クレアの両太腿の淡いに男の頭があった。ショーツを降ろされ片膝を上げクレアは  
手伝って片脚を上げ、抜き取られる。  
『あっ、よっ、夜になるまでは……。夜に輝くまでにはもっと、時を待たなくちゃいけないわ』  
『よくわからない……』  
『あなたの硬さを……。いますぐに感じさせて』  
(ずっといっしょにいたい、ヤング)  
『わかった』  
 クレアの股間から顔を上げ、腹部に移動させて、まろみある乳房がヤングのとまどいを感じ揺れていた。  
『連れてって』  
 抱きかかえられて寝室に入る。  
 クレアは裸身を仰臥してヤングが来るのを待った。  
『ありがとう。そして、ごめんなさい』  
 男は尚もクレアに顔を近づけてくる。逆手にした掌で雫を吐いている陰阜を撫で、  
波打っているやわらかな腹部に昇って、擦れ違いに白く細い指がヤングの下腹に伸びて  
肉の茎に絡みついていた。雨に冷えた躰を温め合う。  
『謝らなくともいい』  
『硬いわ。怒っているみたい』  
『いいのか、ほんとうに』  
『つづけてくれなきゃ。だから、すぐに埋めて。嘆くのはもう嫌……だから』  
 雫を吐いている秘所はひくつきながら、瞼を閉じて静かに肉棒を待っていた。  
 
『強く抱きしめてもいいか』  
『して。うんと、してほしい。慰めて……ヤング。はあんっ、あんっ』  
 クレアの手は腕を昇っていって頸に絡まりヤングを曳きつける。逞しい胸板に乳房は  
ひしゃげた。自分の体を揺さぶって翻弄する臀に白い脚を掛け、しっかりと交差させていた。  
 律動はどんどんと加速していった。頂点の耀きに到達するだろう、前哨としての闇に  
クレアは包まれた。ヤングの手に掴まれて、シーツから剥がされる。  
 片手をシーツに残しながら、腰を振るのをクレアが受けた。  
 擦れて壊れるみたいなスピードに自分から背を丸めていって頸にひしっとしがみ付く。  
苦しい闇に包まれて、男のかたい髪が肌を撫でる。泣きながらクレアはヤングの躰を  
白い波に深く沈めた。腰はのたうつ白蛇か妖女にでもなって。  
 乳房はまたヤングの胸板に潰されてしまい、クレアはぐっと両手を付いて躰を  
起こそうとした。  
 うなじをヤングの手で獲られ、抑え付けられる。クレアは臀を騎上で爆発させるのを  
諦め、小娘のような歔き貌をヤングに晒しながら白閃光に向かって駆けていった。  
 
 朝になって、ひとりクレアはヤングを残して家を出た。靴を脱いで海辺を裸足で歩きながら、  
打ち寄せる波をみつめる。満潮が近づいているのだろうか。波が高くなっている。  
『カフィ!こっちにおいで。いい子だから』  
 砂丘の方からヤングの愛馬が姿を現し海辺へと走ってくる。それを追うように野性の  
馬の群れから白馬が一頭だけ離れる。  
 クレアは風に乱れる長い髪を耳後ろに掻き揚げて。黒い馬に追いつくようにとたてがみを  
たなびかせ、離されないように駆ける白い馬をやさしい眼で観ていた。  
 
 
『朝一に迎えに上がりますから』  
『……』  
『クレアさん。クレアさん!オレの話し聞いていますか?』  
『はい。なんでしょう』  
『あす、迎えに行きますから』  
『えっ』  
『その分も入っているんですよ』  
『す、すみません。止めていただけませんか』  
 負傷兵が担架に載せられて先に城門から入ってきた。馬車から飛び降りてクレアは  
駆け出したい衝動を抑えていた。帰還したヤングを認めても駆け寄るわけにはいかなかった。  
『傭兵だからなのか!』  
『ちっ、ちがいます』  
『彼らをしっかりと診てくれ。柄は悪いが正規軍に負けないくらいに敵と戦ったんだ。  
ドルファンのために必死に戦ったんだぞ!』  
『ヤングさん。もう死んでいますよ。それに処置できない兵士を診ることはできません』  
『きっ、きさまっ』  
『やめてください。ここでの騒ぎは困ります』  
 看護婦が医師とヤングの間に割って入って止めようとする。  
『人間なんだぞ。物か道具みたいに言うんじゃない。最期まで看てくれ。頼むから』  
『だめです。気分を害されたなら謝ります。しかし、生き残る見込みしかない兵士を  
優先的に診ることが私たちの務めなんです』  
 医師の胸倉を掴み上げた時にヤングは微かに顔をしかめていた。脇腹に針を刺すような  
痛みがあって息苦しさを感じていた。  
 クレアはヤングの激怒に接して蒼ざめていた。  
『きさまっ、人としての品格の欠片も持ち合わせていないのか!恥じを知れ!』  
『ヤングさん!』  
 看護婦は金切り声を上げて、それでも聞かないヤングに躰を引いて体当たりを仕掛ける。  
『テディーやめろ!』  
 医師の制止も聞かずに肩先をおもいっきりヤングへとぶつけていた。  
 

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