みつめてナイト  

雪解けの白  

D暦31年1月5日ーーー  

戦争終了と同時に施行された外国人排斥法により、彼がこの国を去ってから、既に3年近い歳月が流れていた。  
外国人、それもこの国では珍しい東洋人の傭兵であった彼は、ソフィアを、意に添わない結婚式がら救い出してくれた。  
けれど私は決めたのだ。生まれて初めて、憧れの舞台で歌いながら。  
ーーーこの人についていく訳にはいかない、と。  
そう告げた時、彼はとても悲しそうな目をした。それが脳裏に焼き付いて離れない。  
「・・・ジョアンと結婚はしません。けれど、父や母を、家族を見捨てて、自分だけのうのうと幸せになる訳にはいきません」  
・・・あなたについていきたい。  
言葉を理性でかみ殺し、たどたどしく、言う。  
「私、頑張ります。・・・そして、歌い続けます。あなたが勇気をくれたから、私は・・・」  
最も言いたかった言葉はかすれて、声にならなかった。  

 

花嫁略奪事件の時はさすがにもめたが、結局、ジョアンとの婚約は無期延期という形に落ち着いた。  
それから1年半後。ただでさえ不安定だったプロキア新政権が崩壊。休戦協定が紙クズ同然となった時、突如としてゲルタニアが攻めてきたのだ。  
仕方なく法を急きょ緩和したが、素晴らしい戦果をあげた傭兵すら少ない恩賞で追い出した、と悪評のおさまらないドルファンに来たがる傭兵などいる筈もない。  
近隣諸国も外国人排斥法によって突如難民がなだれこみ、国民も政府の心証も悪化していた。  
今回の戦争では静観を決め込むこと。それはドルファンを見捨てることだと誰もが判っていたが、助けの手を伸べる者は誰もいなかった。  
3年に渡る戦争の傷跡も生々しいドルファンに単独で抵抗する術などある訳もなく、国家は崩壊し、国王ならびに王女、すべての貴族階級の者が断頭台の露へと消えた。  
結局、自分は庶民のままで、命拾いをした訳だ。  
ジョアンとの婚約も借金も、すべてはうやむやになってしまった・・・。   

 

「お父さん、どうしたの?」  
弟に呼ばれて居間にいくと、父は不機嫌そうに座っていた。暖炉には火が入り、父の姿を赤くゆらしている。  
その背中を見ていると、父も老けたな、と思ってしまう。エリータス家が消滅してから、彼の老いは速度を増しているように思えた。  
小さいころ見上げた背丈も、今では並んで大差ない。  
「・・・ソフィア、お前に客だ」  
「・・・・・・?」  
誰だろう?思ったが、すぐに父の様子がおかしいことに気づいた。案の定、肝臓を悪くしてからやめたはずのブランデーが、手の内にある。  
「お父さん!お酒は飲んじゃ駄目だってお医者さまが」  
「客だと言っている!!」  
酒でかすれた声で怒鳴る。私はぴくり、と身を震わせた。  

玄関から声がした。静かで、落ち着いたーーーその響きに似つかわしくない、若い男の声。  
「娘さんを怒鳴らないでもらえますか。僕が急に来たのがいけないんですから」  
私は、この声を知っている。2年あまりの間、忘れたことのない声。私に勇気をくれた、あの人の。今は思い出に眠る・・・。  
ドアがゆっくりと開いた。私はそれを見守るしかなかった。  
「・・・やあ、ソフィア。久しぶり」  
彼は軍服姿で立っていた。  
少しやせただろうか。柔らかさが消えて、26という年齢にふさわしい精悍な顔立ちになった。だが、はにかんだ笑みの優しさは変わらない。  
「・・・戻ってこられたんですか・・・!」  
口をおさえる。それだけしか言葉が出てこない。  
「なんとか。でも、苦労したかいがあったな。・・・きれいになったソフィアも見られたことだし」  
「そ、そんな・・・」  
頬が紅潮するのがわかる。彼の目が優しいから、よけいに身の置き処がなくなってしまう。  
私こそ、どれだけ会いたかったことか。再会を夢見ていたことか。自分からさよならを告げておきながら、夜毎身を切る辛さに歯噛みして、心を殺していたことかーーー  
ふん、と父が鼻息も荒くふたりの間に割って入った。  
「ソフィア、この黄色い騎士さまはなあ、ハンガリアの軍事顧問補佐に就任したそうだ。はっ、世も末だねぇ」  
「お父さん!!・・・そ、そうだったんですか。おめでとうございます・・・」  
言いながらも、複雑な気持ちで階級章を見た。  
ハンガリアの軍服は、下っぱの兵士の服装しか見たことがないので見分けがつかなかったが、確かにかの国の国旗である虎の文様が描かれている。  
ハンガリアの軍事顧問補佐。ドルファンを潰した国の。  
ふたりの間に、気まずい沈黙が流れる。  

父はさらに彼につめよった。慌てて止めようと手をのばす。  
酒臭い息を吐きながら、ふらつく足元を必死でおさえている父と、泰然としている彼とでは、どちらが勝つか一目瞭然だった。  
「お父さん、やめて・・・」  
「いいかあ、ソフィア。この男はお前を欲しいんだそうだ。それなりの地位を手に入れたからってな!!」  
「お父さんっ!!」  
父のみじめったらしい言葉に悲鳴が洩れる。  
彼は口を開きかけたが、くちびるを噛みしめ・・・目を伏せた。  
「・・・本当、なんですか?」  
私は彼を見上げた。彼は悲しそうに私を見下ろす。反射的に、その頬を叩いていた。  
「あなたまで、そんなことを考えるなんて・・・最低です!」  

「ーーーソフィア!!」  
彼の呼び止める声を背に、家を飛び出す。冷たいものがふきつけてきた。白い、小さな・・・雪だ。  
「・・・う、ぐすっ、ひっく・・・」  
どうしてこんな時に。  
3年前、彼と歩いたクリスマスの夜にも、雪が降っていたーーー  

「きれい・・・何、これ・・・」  
空に向かってのばした白い手のひらの上で、消えてゆく雪。  
彼は優しくほほえむと、私の肩にガウンをかけてくれた。  
「雪、だよ。俺の郷里にもよく降った」  
「雪・・・これが雪・・・」  
白くはかない宝石が、空から舞い降りてくる。  
あの人の隣で、生まれて初めて知った、恋と雪・・・どちらもはかなく消えてしまったもの。  

 

彼が生きていたこと。そして、迎えに来てくれたこと。  
嬉しい。嬉しいのに、素直に喜べない自分が悲しかった。  
所詮自分の考えは感傷に過ぎない。少女と呼ばれる年齢を過ぎて、夢見がちなソフィアも本当は解っていた。  
女を迎えに来る時に、いい地位を持っていること。それは努力の証であり、愛の証。咎めるいわれなどあるはずもない。  
だがーーー思い出だけは汚されたくはなかった。  
あの人がどんな人でも、愛する自信はあるのに。軍事顧問補佐だの常勝無敗だのと、そんなものに私は頓着したりはしない。  
彼にだけは、判っていて欲しかったのに・・・!  

私は馬車に乗る。ここではない、遠くへ行くために。  

 
 

銀月の塔。  
いつからそう呼ばれることになったのか、ソフィアは社会の授業で習った。  
遠い昔、銀月信仰という、月を崇める信仰があったこと。  
祈りのために、何の技術もない時代に、ドルファン中を見渡せるような、高い高い塔を作ったこと。  
彼らの祈りは、今は形になって残るばかりだ。  
ソフィアは展望台の石畳に腰かけると、白く輝く月を見上げた。森の澄んだ空気にさらされ、白い衣をつけて空に浮かんでいる月を。粉雪は本降りになり、森の木木を白く染めあげている。  
雪と月があいまって、夜だというのに周囲はぼんやりと明るい。  
「お父さん、心配してるだろうな・・・」  
白い息を吐きながら、手をこすり合わせた。  
もっと厚着をしてくればよかった。思いながら、こんな美しい夜に凍え死ぬのなら、それでもいいやという気がしてくる。  
石畳は体温を奪うばかりで、暖めてはくれない・・・。  
階段を誰かが登ってくる音がした。私はそれを黙って聞いている。ぼうっとした頭で。  
「ソフィア・・・!」  
彼は私を見るなり、ひどく驚いた声をあげる。  

 
 
 

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