「…………………分かっている」
一度両脇に腕を通され上体を起こされた。くちびるが耳元に当たる、それだけでまた熱いものがシーツに落ちる。
亜紀の腹部を彼の手のひらが滑り、膨らみを確かめる。表情が曇った。
「悪いが、時間がない。ここから一気にカタをつけるぞ」
そういう声も掠れている。ただの前戯だけの体力消耗ではないことは明らかだった。
魔物はますます強い麝香の香を放ち、宿主を汚そうとする男を拒んでいた。
ふいに、彼の肩に熱い雫が落ちた。
「………っく」
細い背中を震わせて、亜紀は泣いていた。
先程までの生理的な涙ではない、心を削るような涙だった。
「………」
言葉が見つからず、その背を撫でる。
「ごめん………ごめん、私」
「お前が謝ることじゃない」
「さいあく、だ………ね。ばかみたいだ、最後の最後になって」
しがみつく腕はあまりに細い。
「……………………怖いか」
今更に、その脆さを思い知る。
「…………私は…自分が怖い」
滲んだ声は今迄に聞いたことがないくらい弱々しかった。
「じぶんが、壊れていくみたいで………苦しくて怖いのに気持ちよくて、あさましくて」
「最初に言ったろう、お前のせいじゃない」
「ちがう」
また息が上がり始めた。魘されるように彼女はつづけた。
「あの夜、こいつが入ってきた夜、私………あんたの夢を見てた」
こんなことを言いたいんじゃない、言ってはいけないと理性が叫んでいる。
しかし、もうそれは、他人の声にしか聞こえない。
「これは私が招いたんだ、私の醜い感情がこうなることを望んでた、
だってこうされてよろんでる自分がいる、私は、わたしは………」
あんたが好きだったから。
「おかしいよ、おかしいよねこんなの…無駄なのに、届かないのに、」
「木戸野……………」
堰を切ったように亜紀はないた。
「ごめん、私あんたが好きだ。どうしてかわかんない、どうしようもないの、ごめん、ごめんね」
泣きながらわらった。自傷的な笑い方だった。
カッターの刃をうずめるように、何度も何度も。
「ねえお願いだから好きって言って、たぶん私壊れちゃうから、おねがい、嘘でいいから」
「もういい、喋るな………」
激しく震えはじめる身体を、その中で爆ぜようとする何かを抑え込むように抱きしめた。
一言発するたびに彼女のいのちが一秒ずつ消えていくような気がした。
「いっそあのまま死んじゃえばよかったかな、ねえ…………」
「喋るな」
抱き起こして乱れた髪を掻きわける。
「お前は悪くない。なにも間違っていない」
胸の中を探す。恋とは何かなど分からなかった。
定義をいくつ知っても、どんな知識も役に立たない。
「俺にはお前の気持ちを理解できる自信はない。
お前の見ている赤と俺の見ている赤が同じとは証明できない、だが、」
魔女に真実を知らされた時、ただ闇雲に、彼女を助けたいとだけ思った。
「お前が死ぬのは嫌だ」
失いたくないという気持ちをもまた恋と呼ぶのなら、
「…………お前が好きだ」
亜紀の震えが、一瞬止まった。
そのままくちびるを捕らえて、片手を腿から秘所に這わせ丹念にほぐし慣らした。
指先で弄り、指の腹でぷくりとした芽を捏ねる。
「んっ、ん、んぁ、ああ、あっ……」
そのどれもが快感を刺激した。攻められるたびに体をそらし、びくんびくんと痙攣して反応した。
下だけではない。首筋、鎖骨、胸。わき腹、背中、腰のライン。
「いやだ、ぁ、こわい、きもち……いい、なんて、」
「こういうことするときみんなそうなる。 気持ちいいのは怖いことじゃない」
さすられ、撫で上げられてはしゃぶられる。
「受け入れろ」
手と手が絡む。倒れこんでさらに追い詰める。
「もうすぐ終わる、ここだけ越えれば楽になる」
「…………っ、ぁ、」
うまくうなずくことさえできない。
「力を抜いて…そう、それでいい」
ただ、行動で示す。わかっていると、覚悟はできていると言いたくて。
「突っ張っていると痛みが強くなるから、可能な限りその状態を維持しろ。
長くはかからない。噛もうが引っ掻こうが構わないから」
押し当てられたものは熱く、固く、そしてぬるりと湿っていた。
本能的恐怖。抑え込んで息を詰めてそれに耐える。
一瞬ののち、圧倒的な質量が貫いた。
「やあぁぁぁんっぁぁぁあぁっ!」
ひと息に奥まで押し込まれる。
のけぞる体を押さえつけられ、唇を塞がれ呼吸まで奪われる。
熱くて痛くて熱くて熱くて、
痛くて切なくて苦しくて、
熱、痛み、血、快感、疼き、快感、涙、
それを上書きする、快感。
たまらず彼の背に爪を立てる。
痛みにか快感にか、抑え込んだ息を吐き出して腰を動かす。
粘膜がこすれる感覚にあげる声は悲鳴に近い。
「や、いやぁぁ、ひぁ、やめてっ! ……やめてぇ、動かさないでっ」
「き、どの」
ずちずち水音、、新たな痛みと快感が湧く。
彼女が喘げば喘ぐほど、空目は抱き潰さんばかりに強く抱え込む。
密着した肉と肉がひくひくと体内で痙攣する。脈打つ。
かき回されるいやらしい水音や口の端から溢れる唾液、
処理限界、処理限界、何がどうなっているのか分からなくなる。
「いや、いやぁ、やぁぁあ、もう……こわ、れ……」
「壊れない」
額が合わせられる。
むしろ同じ敵と戦う同志のように二人は見つめあった。
人工呼吸のような口づけ。
遠のく意識の中応じる。ちゅ、くちゅ、音だけは鮮明で。
ぐいぐい奥を突かれて、息ができない。突き上げられるたび漏れてしまう声に、呼吸を持っていかれてしまっているためだ。
「見ないで、見ないで、あっ……いやあっ」
「もう少しだ、ほら、こんなに熱くして、」
「ひあぁ、あぁっ……………!」
痛みと熱と快感に気が狂いそうだった。腹の中のばけものとともに。
打ち付ける力が強くなる。快感の波が大きくなる。
くんっとひときわ強く突き上げられた。
「ぁぁあ―――――っ!」
しがみつく。声にならない悲鳴を上げる。
それは亜紀のものか、滅ぼされようとする夢魔の断末魔か。
「きょうの、じっ……!」
骨が軋むほど握り合った手から、体から力が抜け――
代わりに甘い感覚が、浮遊感が走りぬけ――
悪魔の血のように潮が吐き出され、結合部を伝って流れ落ちた。
「きどの、」
空目がぎゅうぅっと抱きしめ返してきた。
動きが止まる。大きく震え、そして堰き止めていた欲望を解放した。
どくどくと注ぎ込まれるそれが、淫らな悪魔の這いずった後を消していくのを感じながら、
勝利のままに意識が飛んだ。
掻き消えていく麝香の香を、白く塗りつぶされる世界で嗅いだ気がした。
――――――目覚めると、悪夢の金曜は終わっていた。
瞼の上に、心地いい冷たさを感じて意識が浮上する。
「…………起きたか」
「恭の、字」
「よくやった、お前の勝ちだ」
固く絞ったタオルで額とほほを拭われる。
「……………終わったの」
無言で手をとられ腹に導かれる。布団の上からでももうふくらみがないのは分かった。
「飲めるか」
水と薬を渡される。含むとひどく甘く感じた。
「…………ありがとう」
しばらくの後、ぽつりとつぶやいた。
「ああ」
それだけで全てが了解された。
体中が痛かった。泣きたいくらいに切なかった。それでいてひどく穏やかな気分だった。
しばらくの後、空目が口を開いた。
「一ついいか」
「………………なに?」
「昨夜のことは全てなかったことだ」
亜紀は俯いた。それでいいはずだった。
なのに、かなしかった。
「……うん、そうだね」
努めて明るく言う。
「妙な夢を見た」
「そ、だね」
「ただ………」
そこで少し黙った。亜紀がためらいがちに見上げてきた。
「…………寝言は、真実を語っていたかも知れんが」
え、と声を上げそうな表情。それは、あの告白が――――――
一瞬目が合い、逸らすと同時に体温を感じた。
抱きしめられているのだと、今度は即座に理解した。
首筋に息を感じる。
「あの甘ったるい匂いで気付かなかったが」
どうしよう、どうしよう、鼓動だけが、うるさい。
ここまでが夢?―――――――いや、世界は、確かにそこにある。
「本当のお前はこんなにいい匂いがするんだな」
反則だ――――――
ぼやける視界のなか彼の存在だけが変わらない。
亜紀も静かに、腕をまわした。