聖創学院付属高校の校舎裏。
授業時間であるはずの時間に二人の男女がいた。
「ん、ダメってば」
髪を金色に染めた少女が、自分の首筋に顔を埋める少年に浮かれたような言葉をかける。
どことなく崩れた印象の二人は、一般的に不良≠ニ言われるタイプだ。
その二人を見つめる少女がいた。
臙脂色のケープをまとった十三、四歳くらいの、はかなげなの少女。
その少女は二人の間近にいるのに、二人はまったく気づいた様子はない。
少女はしばらく二人の様子を見ていたが、寂しそうにうつむくと、校舎の表の方に走っていった。
くす、くす
風に乗って、かすかな笑い声が舞った。
「ん〜、今日も終わったかぁ」
武巳は気の抜けた声で言った。
「そうだね」
「武巳、気を抜きすぎ」
稜子は笑って応え、亜紀は呆れたように突っ込む。俊也と空目はその様子を黙ってみている。
校舎の一階の出入り口で、文芸部の面々は気楽なおしゃべりをしていた。
ここしばらく、怪異≠ヘ身を潜めていた。 少なくとも、文芸部の面々が知る範囲では起こってはいない。
「だって、ここしばらくは何もないしさ。魔王様」
武巳は、空目恭一に話しかけ、尋常でない様子にギョッとする。
空目は、外を見ていた。その横顔は厳しい。
「恭の字!」「空目!」
いきなり外に走り出した空目に、亜紀と俊也が驚いて呼びかける。
武巳が空目の走り出した方向を見て、悟った。
いつものように空目を待つ場所にいるあやめ、そして――
魔女¥\叶詠子がいた。
「恭の字!」
亜紀は慌てて空目の後を追った。
亜紀にとってはあやめがどうなろうと構わないが、空目に何か起こるのを見過ごすわけにはいかない。
「何をしている」
「ふふ、こんにちは影′N。ガラスのケモノ≠ウんも、シェーファーフント′Nも元気そうだね」
邪気のない微笑みを浮かべる十叶詠子に、亜紀は底知れない物を感じて、自分でも表情が硬くなっているのを自覚する。
あやめは慌ただしく、魔女≠ニ空目達を交互に見ている。
空目を先頭に、亜紀と俊也が一歩離れた位置に。稜子と武巳が、少し離れた場所から心配そうにこちらを見ている。
「何をしている」
空目はもう一度、魔女≠ノ問う。
「ふふ、神隠し≠ウんとはね、女の子同士の話をしてたの」
あやめの方に笑いかける詠子。あやめは怯えたように一歩下がる。
女の子同士の話、という魔女の口から出るにはあまりに不似合いな言葉。
「女の子同士の話ね。似合わないことを言うね」
亜紀は切り捨てる。
人外の者同士が何を話していようが知ったことではないが、空目に害が及ぶことは許さない。亜紀は魔女を睨み付ける。
「怖いなぁ」
クスリと笑い、魔女≠ヘ空目に向き直る。
「もう少し、神隠し≠ウんに意味づけをしてあげた方がいいんじゃないかなぁ」
「何?」
「影′Nなら分かると思うけど。拾ってきたものならものなりに、ちゃんと責任を持たないとかわいそうだよ」
詠子は文芸部の皆を見回すと、人ならば持っているはずの何かが欠落しきった笑みを浮かべる。
「おい……」
俊也が声をかけようとするが、魔女≠ヘ身を翻すと、ゆっくりと離れていった。
「一体、何を話してたんだか……」
亜紀は苛立ちを隠せずにあやめをにらんだ。
「ご、ごめんなさい」
あやめは萎縮しきってあやまる。
「あやめ」
空目があやめに話しかける。
「十叶先輩と何を話した」
「ご、ごめんなさい。言えないんです」
空目を見るあやめの表情は、恥ずかしさと申し訳なさが浮かんでいた。
亜紀は空目を見つめるあやめの、その表情に落ち着かないもの感じた。
「あやめ」
「ご、ごめんなさい!」
あやめは空目から離れると、逃げるように駆けだしていった。
『あやめが自分から空目から離れていく』という信じられない姿に、亜紀も含めて皆が呆然となった。
「ま、魔王様……」
稜子が空目に声をかける。
「大丈夫だ」
「でも……」
「今回は俺だけで対処できる」
「恭の字がそういうのなら、そうなんだろうね」
亜紀はため息をつく。あやめの様子は気になったが、空目が自分だけでできるというのなら口を出すことはない。
俊也も武巳も稜子も空目を見つめたが、空目はいつも通りに平静な様子であやめの走っていった方向を見つめていた。
あやめは空目恭一の部屋の前で悩み、学校での出来事を思う。
「俺はお前が欲しい」
いつもの場所で空目を待つあやめ。ふと、初めて空目と出会った時にかけられた言葉を思い出す。トクン、と不思議な胸の高まりを感じながら、さっき見た二人の振る舞いを思っていた。
そのとき、呼びかけられたのだ。魔女¥\叶詠子に。
「神隠し≠ウんは、随分と人間になったね」
怯えるあやめに、魔女≠ヘ言葉を紡ぐ。
「でも、まだあなたは不安定。影≠ウんにもっと意味づけしてもらわないと。そう、自分で自分の存在を確認できるくらいのを」
その言葉はあやめの不安を突いていた。あやめは、ふとしたときに自分の存在が消えてしまうような感覚がある。それがここ最近、増えてきている。
「影≠ウんにああいうことしてほしいんだよね。さっき、覗いていたようなこと」
クスクス、と笑う詠子。あやめは真っ赤になってうつむく。
「ちょうどいいよ。影′Nの女って意味づけもらえば、自分で自分の存在を確認しやすくなるよ」
優しく、それでいてどこか得体の知れない微笑みを浮かべ、詠子は語る。
「これは魔女≠フ忠告。まあ、影′Nは気づいてると思うけど、あなたにも心の準備が必要だからね」
「あやめ!」
その時、空目の声がかけられたのだ。
ギィ
空目の部屋のドアを開けて、中に入るあやめ。
「あ……」
椅子に腰掛けている空目が自分の方を見ているのに気づいて少しうつむくが、いつものように彼の側に駆け寄っていく。
「あ、あの……」
「分かっている」
空目の手があやめの頭に載せられる。
「お前はそれでいいのか」
しばしの逡巡のあと、あやめはコクリ、とはっきりとうなずいた。
足下の臙脂色のケープの上に、最期の一枚が落ちた。
「ん……」
自分で脱ごうとしたが、羞恥で手が動かず、空目に脱がせてもらったことが恥ずかしい。自然に両腕が上がり、淡い膨らみを隠す。
どうしても顔を上げて空目を見ることができず、足下を見る。
「……そんなに、見られると……」
産まれて初めて感じる戸惑いと恐れに、あやめは座り込んでしまいたくなった。
あやめの次の言葉を待つ、無言という空目の促しに、あやめは消え入りそうな声で必死に言葉を紡ぐ。
「恥ずかしい……です」
次の瞬間、あやめは空目に抱きしめられていた。
「ん!」
頭の中が真っ白になった。決して強く抱きしめられているのではないが、空目の腕の暖かな感触に息が詰まる。
「執着だな……」
ぽつりと空目が言う。
「あ……」
あやめは空目に抱き上げられると、ベッドの上にと優しく横たえられた。
やはり空目の顔を見ることができず、壁を向いてしまう。
空目の服を脱ぐ衣擦れの音が耳に入り、どうしよう、という言葉ばかりが空回りする。
――ギシ
ベッドに上がる空目。その両腕が自分の両脇に置かれる。
「俺も初めてだ」
自分の内心を見通すような空目の声と共に、掌が頬に当てられ、ゆっくりと空目の方を向かされる。
「ん……」
思わず目をつぶってしまうあやめの唇に、空目はキスをした。
「ん!」
長い年月を『存在』していたあやめの初めての体験。それは想像していたよりも、切なく激しく狂おしいものだった。
あやめにとっては永遠にも等しく感じた時間の果てに、空目が顔を離した。
「泣いているのか」
その言葉で涙の感触を初めて知覚した。空目に誤解されることを恐れ、慌てて言う。
「悲しいから……じゃな……い、です。すごく……嬉しかったから」
途切れながらに、必死に告げた。