秋の夜長のまだ宵の口。  
庭の鈴虫の合唱が洩れ聞こえる管理人室で、小声で押し問答を続ける生者が2人。  
(なあ、ダイジョブだって・・・!)  
(い・や・だ・!)  
一人はサングラスをかけたうたかた荘の管理人。  
(だってもう2週間・・・)  
(まだ10日じゃない!水増ししても無駄!!)  
もう一人はこのボロアパート唯一の生きた住人・現役女子高生。  
後ろからシャツの襟元に伸ばされた手をピシャリと叩いて、姫乃は明神を睨み付けた。  
(今日はガクリンもツキタケ君もみんないるでしょ!無理!!)  
(いや、でもさ・・・)  
それでも食い下がっている所に・・・  
「ミョ――ウジ―――ン!!」  
いきなり赤い怪獣が襲来した。  
立ったまま、姫乃の肩に手をかけた格好で明神が固まっていると、アズミが不思議そうに聞いてきた。  
「・・・?何してるの、ヒメノ?」  
「ア・・・アズミ、これは・・・ウッ」  
慌てる明神の鳩尾に鋭い肘を食らわせ、姫乃はにっこり笑う。  
「肩たたきだよ。勉強しすぎで凝っちゃて」  
「ふーん」  
アズミはそれで納得したようだ。  
「ヒメノ、ご本読んで!!」  
「うん。じゃあリビング行こっか!」  
痛む腹を抱える自分を他所に、姫乃はアズミと楽しそうに管理人室を出て行く。  
「・・・・・ひめのーん・・・」  
未練垂らしく呟くと、ドアが閉まる直前、ぽいっと言い捨てられた。  
「じゃあ、みんなに気付かれない方法考えて。話はそれからだよ」  
バタンと扉が閉まると板越しに、何話してるのー?んー何でもなーい、なんて会話が聞こえてくる。  
明神はがっくりと肩を落とし、盛大なため息をついた。  
 
確かに、姫乃が言うことは尤もなのだ。  
この状況、住人勢ぞろいの今日ヤるのは自分でもどうかと思う。・・・確かに。  
(だけどもう10日だぜ!?)  
ガクとツキタケは一度出て行ったものの、前に比べたらずっと早い期間で戻ってきたし、  
エージも最近修行の旅に出ていない。アズミは言わずもがなである。  
それでもガクらが遠くまで散歩に行った時や、エージが修行で疲れて早々に寝入った時を見計らっては抱いていた訳だが、このところ住人にスキが無い。  
以前なら考えられない。  
姫乃が来てからは、住人が皆そろう事も珍しくなくなった。  
おかげで姫乃に拒否られる。  
だけど姫乃が来なければ、そもそもこんな状況に悩む事自体が無かった訳だ。  
撞着した言い訳を繰り返しても問題は解決しない。本当の課題は、  
「アイツらにバレない策ねぇ・・・」  
正直、あると思えない。  
だが捻り出さなければ、強情な姫乃に1ヶ月でも2ヶ月でもおあずけを食らうのは目に見えている。  
 
越え無ければいけない壁は3つ。  
1・アズミの主な寝床はココ、管理人室。よってアズミがいる限り、この部屋は使えそうに無い。  
2・姫乃の部屋の位置。両隣にエージとツキタケ、下にはガクの部屋がある。姫乃の部屋も使えない。  
3・ガクの敏感さ。神経質なのか愛ゆえか、姫乃のたてた物音にはやけに反応する。  
 
もちろん、ホテルに行く金なんぞ無い。  
さて―――どうしたものか。  
 
―――翌日。  
姫乃を送り出したあと、庭で素振りをしていたエージは、明神に管理人室まで呼びつけられた。  
「なあエージ・・・頼みがあるんだが・・・」  
開口一番に言われた言葉に、なんとなーく嫌な予感がする。  
怪訝な顔をするエージの機嫌を取るように、明神はゆっくり切り出した。  
「あのさ・・・今夜ヒマ?」  
「・・・は?」  
 
30分後、何やら相談を終えたエージが部屋を出て行くと、明神は部屋の隅にある本棚からいくつか文献を取り出した。  
「あー・・・ここで剄をあーしてこーして・・・ん?ちょっと待て・・・あれ?・・・あー・・・んん?」  
手の中の小さな雑貨をうんうん唸りつつ弄り続けること約2時間。  
「だああああ!!!!やっと出来たぜちくしょうッ!!これは専門外なんだつーのッ!!」  
完成した道具を可愛らしい袋に入れて、ハートのシールを貼りながら、明神は唾棄するように言う。  
 
・・・だが準備は整った。  
後は姫乃の帰りを待つだけだ。  
 
「ガクリン、ちょっと・・・いい?」  
夕食の後、姫乃はガクを廊下に呼び出した。  
ひょこひょこついてきたガクにピンクの小さな包みを差し出す。  
「・・・?・・・ひめのん、これは?」  
「もうすぐでしょ?誕生日。だから・・・プレゼント。」  
ガクは一瞬嬉しそうな顔をするが、すぐにがくりと肩を落とす。  
「駄目だよひめのん・・・触れないから・・・」  
「と思うでしょ?だけどねー・・・手、出して」  
姫乃は袋をカサカサ開封しすると、袋の口をガクの掌に向けて振った。  
「!!・・・?・・・・・ひめのん、これ・・・」  
袋の中身は床に落ちることなく、ガクの手に収まっている。  
 
ころん、と出てきたのは水色をした小さな耳栓。  
 
「えへへ。明神さんに剄を入れて触れるようにしてもらったんだー」  
「あ・・・ありがとうッ!ひめのん!!・・・だけど」  
 
―――なんで耳栓?  
 
ガクの言外の問いに、姫乃は慌てて言い足した。  
「え、えっと・・・ほら!ガクリンすごく繊細じゃない!?夜に物音するとすぐ目が覚めちゃうって言ってたでしょ!?  
 私の部屋の下だし、私の立てた物音で毎回起しちゃったら悪いか、なー・・・って・・・・・」  
すぼまっていく語尾と連動して自然と上目遣いになる。  
ガクは耳栓を握り締め、小刻みに震えていた。  
(・・・あーもう!やっぱりバレちゃったじゃない!!)  
明神さんのバカ!  
「あ・・・あのね、ガクリ」  
「いや、いいんだひめのん。つまりこれは・・・結婚指輪の代わり、なんだな?」  
「・・・はい?」  
何処を如何取ったらそうなるのか。  
「待っててくれ。とびきりの愛のフレーズを考えておく。思いついた暁には・・・結婚してくれ、マイワイフ」  
突っ込み所はあるものの、ゆらりと自室に戻るガクを見て安堵の息を吐く。  
とりあえず、明神から自分に課せられたミッションはあとひとつ。  
 
「・・・じゃあ俺行くぞ?」  
「ああ。―――悪いなエージ。サンキュ」  
遊び疲れて眠り込んだアズミを腕に抱えると、エージは管理人室の床から立ち上がった。  
「別に。・・・前から何となく感じてたし。当事者同士が良いんなら、俺の出る幕じゃねーよ」  
そっぽを向いて、不貞腐れるように言われても、言葉の中身は暖かい。  
「ンじゃーなー。・・・泣かすなよ。」  
「ああ。―――ありがとう」  
あまりに素直な管理人の言葉に一瞬目を見開くが、これがこの男の本心なのだろう。  
任せてもいい。心からそう思えた。  
ヘッと小さく笑うと、エージはアズミと共に壁の向こうに溶けていった。  
 
ぎし・・・床が鳴るが、それでもいつもよりはずっと小さい音だ。  
(これ・・・結構キツい・・・)  
そろりそろりと、忍び足でゆっくり歩を進める。  
明神が打ち立てて来た方案の最終仕上げ。  
これさえ乗り切れば―――。  
 
学校から帰ってすぐ、姫乃は管理人室に呼ばれた。  
「今日、アズミはエージが見てくれる。ガクには誕生日に託(かこつ)けてひめのんがこの耳栓を渡してくれればいい」  
ポンと小さな包みを投げられて、慌てて両手でキャッチする。  
「あいつの事だ。ひめのんから渡しゃ、喜んで使ってくれるだろ」  
まさか本当に住人の目を掠める方法を考えていたなんて。  
その熱意には感心しなくも無いものの、疑問は相変わらず残ったままだ。  
「・・・アズミちゃんとガクリンはわかった。―――で、ツキタケ君とエージ君はどうするの?」  
明神は痛いところを突かれたように、うっと呻いた。  
「あー・・・ツキタケは―――ひめのんが頑張って音を出さずに廊下渡って来て下さい。」  
「エェッ!?・・・ちょ、無理だよ、私ドジなのに!!」  
あの軋む床に、音を出させない歩き方なんてあるはずが無い。  
「いやもうわかってます!ハイ!!だけどツキタケだけはどうしようも・・・」  
「はあ・・・もういいよ。エージ君対策も同じでいいの?」  
言った瞬間、明神の顔色が一気に悪くなった。  
―――どうやら、今度こそ本当に急所を突いてしまったようだ。  
「エ・・・エージに、は・・・その・・・」  
「?」  
「は・・・話しました」  
「え?何を・・・」  
「全部。今回の作戦も、俺とひめのんの関係も・・・全部」  
言葉の意味が一瞬分からなかった。理解した後は頭が真っ白になる。・・・眩暈がした。  
「・・・部屋に帰る。バイバイ」  
「お、おいひめのん!待てって!!」  
出て行こうとする姫乃の腕を掴むと、彼女は勢い良く振り返ってきた。  
―――完璧に頭にきている顔で。  
「・・・明日から、ううん。今日からどんな顔でエージ君に会えって言うのよ!!」  
「いや、エージはああ見えてしっかりしてるんだって!」  
「どこに全部話す理由があるの!?信じらんない!!」  
「だからアズミの・・・」  
「知らない!帰る!!放し・・・」  
唐突に言葉が詰まった。  
「ゴメン」  
声が出ない。制服が皺になる程強く抱きしめられ、出かけた罵倒は途中で止まってしまった。  
「みょ・・・」  
「御免、もう無理。―――嫌なら今夜来なくていいから」  
姫乃は小さなため息をついた。半分は呆れから。だがもう半分は・・・  
(まったく・・・この人は。)  
苦労・・・しただろう。恐らく。  
不器用なくせに、わざわざ住人の一人に根回しして、今まで挑戦したことも無い剄の操作を拙いながらも成功させたのだ。  
―――自分のために。  
「・・・わかった。とにかく、ツキタケ君の部屋の前は出来るだけ廊下の端っこ歩くから。・・・管理人室、灯りつけといてね」  
 
 
廊下は全くの暗闇でもなかった。  
二階の部屋の電気は全て消えているものの、階段の下から微かながら明かりが見える。  
姫乃は片手を壁に付け、摺り足でゆっくりとツキタケの部屋の前を横切ろうとした。  
ギシリ  
(しまっ・・・)  
体重の移動に失敗して、床板が一度大きく鳴る。  
そろりとツキタケの部屋を伺うが、何かが動く気配も物音も聞こえない。  
ほっと息をついて、歩みの遅い前進を再開する。  
少しづつ。だけど確実に。  
(・・・私だって)  
やっと階段の前まで来れた。  
この階段も、かなりの曲者だ。  
姫乃は少しでも体重を分散させようと、壁にもたれるようにして1段1段、慎重に降りていった。  
ひとつ段差を越える度、洩れてくる明かりが次第に強まっていく。  
(私だって・・・)  
最後の一段から1階の床に殊更入念に降りて、管理人室の方を見れば、ガラス越しに蛍光灯の灯りが眩しい。  
駆けたくなる気持ちを抑え、ガクの部屋の前も丁寧に進む。  
管理人室のドアを叩こうとするとその前に、音を殺すようにしてゆっくり内側から開いた。  
「・・・お晩です」  
ひょっこり現れたいつも通りサングラスの顔に、姫乃はやっと緊張がほどけて行くのを感じる。  
「・・・お待たせ致しました」  
開いた時と同様、姫乃の後ろで音を立てず、ゆっくり扉が閉まった。  
「あー、何か飲む?」  
「ううん、いい」  
相変わらずゴミが散らかった室内を見回す。  
飲んでいたらしく、テーブルの上にフタの開いた缶ビールが置いてあった。  
「いや、ひめのん悪かったね。俺ひとりでつっぱし・・・っと」  
いきなり抱きつかれ、明神はバランスを崩しかける。  
「・・・私だって!」  
「・・・ひめのん?」  
「私だって・・・寂しかったよ・・・!」  
 
「ひめのん・・・」  
「・・・明神さん」  
あと少しで唇が触れる、その時。  
「・・・ハッ!―――明神さんストップ!!」  
「ぶっ!」  
思いがけずパァンと張られた掌にキスをして、明神は同時に打った鼻を押さえた。  
「ひ、ひめのん?」  
何が起こったのかわからず呆然とする明神を他所に、姫乃は放り出してあったゴミ袋を引っつかみ、  
カップめんやコンビニ弁当の容器を手当たり次第放り込む。  
「やーもう。ちょっとは片さなきゃ駄目だよー。明神さんってばー」  
「え、ちょ・・・えぇ?」  
明神が自体をを把握出来ず情け無い声を出した、その時。  
「み゛ょ―――じん―――!!!!」  
びーびーに泣いたアズミが飛び込んできた。  
「なんでアズミ、エージのとこいるの―――!?」  
「あ、アズミちゃん。こんばんはー」  
「ふぇ、ヒメノ?」  
「ごめんねー。明日はゴミの日なのに、明神さんがぐうたらだから、お部屋お掃除してたんだよー。」  
「だからアズミ、エージのとこいたの?」  
「うん。でも結局起しちゃったね。ごめんね」  
唖然とする明神に、いつの間にか隣にいたエージが申し訳なさそうに謝罪した。  
「悪ぃ・・・。起きたらいきなり泣き出して・・・止めたんだけど、無理だった・・・」  
「いや・・・うん・・・ああそうおおおぉぉッ!?」」  
呆然としているところに、背後からドアを勢い良く叩き開けられ、明神は背中を強かに打って転んだ。  
「おい明神ッ!!物音がするから心配になって来てみれば・・・よくも人の婚約者をたぶらかしやがったなッ!!?」  
「・・・・・・ガク・・・」  
管理人室の扉には大きなハンマーの痕がくっきり付いていた。  
「アニキ、良く見て下さいよ。ネーちゃん掃除してるだけっすよ」  
「あれー?ガクリンとツキタケ君までー。どうしたの?耳栓合わなかったかなぁ?」  
「あれは・・・マイスウィートが正式にマイワイフになるまで、大事にとって置く事に決めたんだ・・・」  
汗を浮かべる姫乃と赤面するガクをよそに、ツキタケはエージに食ってかかる。  
「つーかエージ!アズミの泣き声よかお前の『待て!』とか『行くなって!』の方がずっと五月蝿いわい!目ぇ覚めちまったよ!!」  
喧嘩を始めるエージとツキタケ。一人でお花畑に行っているガク。明神の布団の上でうとうとし始めたアズミ。  
 
ここまでやったのにこの惨憺たる結果。  
これでもかというほどに前途多難。  
 
明神と姫乃はお互いを見合わせると、体中の空気を吐き出すように、盛大なため息をついた。  
 

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