その日の午後、オイラが台所に入ってみるとねーちゃんがいた。  
陽気に鼻歌なんか口ずさみながら、流しに向かって洗い物をしている。  
テーブルの上には、チョコレートでコーティングされたハート型のケーキ。  
かなり大きい、25cmはあるだろうか。バレンタイン用のものだと一目で分かる。  
すぐにピンと来た。おそらく、明神のダンナへのプレゼントだろう。  
…アニキも可哀想にな、と思う。  
ねーちゃんにベタ惚れのアニキのことだ。もしこんなモンをねーちゃんがダンナに渡してる  
ところなんか目撃した日には、アニキのテンションは地の底まで落ち込むに違いない。  
そのとばっちりはどうせ、オイラのところに飛んでくるんだよな、と考えて少し憂鬱になる。  
「あれ、ツキタケ君、来てたの? 声くらいかけてくれればいいのに」  
気配を感じたのか、ねーちゃんが振り返った。  
「…このケーキってさ、バレンタイン用?」  
「そうだよ、大きいでしょう。頑張って作ったんだから」  
そう言って自慢げに笑う。  
アニキも不憫だが、このサイズのケーキを一人で食う羽目になるダンナも相当な災難だ。  
それにしても、こうして屈託なく笑うねーちゃんの笑顔は本当に可愛い。  
なんというか、見ているこっちまで嬉しくなる。今だけこの笑顔はオイラが独り占めだな。  
そう思った時、ふっと全然別の考えが頭をかすめた。  
もし、オイラが死んでいなかったら、と。  
オイラが陽魂になってから、もうかなりの年月が経つ。  
生きていれば、おそらくねーちゃんと十分釣り合うだけの歳にはなっているだろう。  
もし、ねーちゃんと出会っていたら?  
チャンスさえあれば、ねーちゃんの彼氏になることだってあったかも知れないな。  
そしたら……………  
って、だーーーっっ!!! 何バカなこと考えてんだオイラ!  
カラフルなチョコレートのチューブペンを両手に持って楽しそうにケーキのデコレーションに  
取り掛かるねーちゃんをよそに、やけに具体的な方向に転がりだした妄想を必死で振り払う。  
…けど、真面目な話、もしねーちゃんに生きて出会えていたなら、少しは望みがあったんだろうか。  
オイラなら、ねーちゃんを幸せにすることができただろうか?  
例えばアニキのような愛し方、オイラには到底できない。  
無償の愛だとかそんな御大層なもの、残念ながら持ち合わせちゃいない。  
そんなオイラがねーちゃんを幸せにする為にできること、もしあるとしたらそれは何だろうか。  
そもそも、誰かを幸せにするってどういうことなんだろう…  
 
 
685 名前:名無しさん@ピンキー 投稿日:2006/02/16(木) 00:12:20 ID:NamXpnxo 
「…っと、完成!」  
出し抜けにねーちゃんの声がして我に返った。  
見れば、ケーキには「St.Valentine's Day」の文字が綺麗に描かれている。  
周りには色とりどりの花模様の飾り付きだ。器用だなぁ、と素直に感心する。  
…あれ?  
「ねーちゃん、ダンナの名前、入れなくていいの?」  
「え? 明神さん?」  
どうして? と不思議そうな顔でねーちゃんが尋ねてくる。  
「だってそれ、ダンナへのプレゼントだろ?」  
ねーちゃんは一瞬目を丸くして、次の瞬間プッと吹き出した。  
「…あはは、ごめんなさい。これは明神さん用じゃないの。みんなで分けようと思って作ったんだよ」  
こんな大きなケーキ、明神さん一人で食べきれるワケないでしょ? そう言ってまた笑う。  
意味がよく分からない。誰だ、みんなって。  
「もちろん、明神さんに私、エージ君、アズミちゃん、ガクリン…それにツキタケ君、あなたによ」  
ますます分からない。  
ダンナはともかくオイラ達にケーキなんかくれたところで一体どうしろってんだ。食えないのに。  
「みんなの分はね、みんなのお墓に供えようと思って」  
「墓って…ねーちゃん、オイラの墓がどこにあるのか知ってるの?」  
「ううん、知らないよ」  
盛大にずっこける。なんなんだこの天然娘は。  
「だから、教えてくれない? 一度みんなのお墓参りもしたいから」  
……………  
……………  
……………  
なんだかなー、とオイラは深い溜め息をついた。  
まあ、ねーちゃんの優しさは素直に嬉しい。エージもアズミも喜ぶだろう、もちろん明神のダンナも。  
ただアニキは絶対に何か勘違いするよな。ケーキひと切れにありもしない二人の愛の結晶でも見て、  
見境なく暴走しそうだ。そしてそのフォローはどうせオイラの役目になるんだろう。  
…なんだ、やっぱりオイラのところにとばっちりがくるんじゃないか、と苦笑する。  
ただし、さっきよりずっといい気分で。  
そう、ねーちゃんを幸せにするのはオイラの役目じゃない。  
それはオイラじゃない誰か、ねーちゃんが結ばれたいと願う誰かが考えればいいことだ。  
ただ、これからもずっとねーちゃんのこの笑顔を見ていられたらいいな、と。  
そんなことをオイラは、心の中で呟いた。  
 
終  
 

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