特訓の帰りに、オレが通っていた学校の前を通りがかったのは偶然だった。  
足を止め、校門の上に腰掛けて誰もいないグラウンドを眺める。生きていた頃はここで毎日よく遊んだ。  
あの頃の仲間達はとっくの昔に卒業して、今はもういない。  
「そういや、ひと月前もここに来たよな…」  
あの日のことは今でも思い出せる。  
ヒメノからバレンタインのチョコレートケーキをもらったガクは何だか意味不明なことを絶叫し、有頂天になって  
「今世紀最高のプロポーズ」なるものをぶつぶつと考えていた。が、明神にも同じものが渡されるのを見るやいなや  
今度は激昂してハンマーを振り回し、いつもの二倍増しくらいの勢いで壮絶なバカゲンカが始まった。  
本来ならガクのフォローに入る筈のツキタケは、何故かこの日に限ってただ眺めていただけだった。  
気持ち悪いほど幸せそうな笑みを浮かべて、ちゃっかりヒメノの隣に陣取って。  
ヒメノはオレにもケーキをくれようとした。でも、オレは受け取らなかった。  
食えないのにもらったってしょうがないし、もともとバレンタインなんて女子供が騒ぐモンだ。オレには関係ない。  
生きてた頃から、そういうことにオレは一切興味がなかった。女と付き合うなんて軟弱な野郎のすることだ。  
いつもキャーキャーうるさくて、そのくせ何かあったらすぐべそべそ泣き出す女どもの相手なんかできるか。  
「エージ君」  
突然後ろから声がして驚いた。振り向くとヒメノがそこに立っていた。  
「…なんでこんなトコにいんだよ?」  
「明神さんに聞いてきたの。多分また特訓じゃないかって」  
「学校はどうしたんだ?」  
「あれ、言わなかった? ウチの学校、バレンタインとかホワイトデーとかそういうイベントの日は休校なの。  
校長の独断でそうなったんだって。クラスの子が言ってた」  
「は?」  
信じられない学校だ。だが、そうか、今日はホワイトデーか。まあどっちにしろオレには関係ないが。  
おかげでバレンタインにはみんなにケーキが作れたからいいけどね、とか、でもホワイトデーは暇だなぁ、とか、  
とりとめのないことをしゃべり続けるのを聞き流し、適当に相槌を打つ。  
オレがちゃんと聞いてないことを察したのか、ヒメノは俯いて唐突に話を切り、  
グラウンドの向こうにある校舎の窓をじっと見つめ、そしてまた唐突に話を始めた。  
 
「…小学校の時にね、クラスの男の子にチョコレートをあげようと思ったことがあったの。  
その子は明るくて元気で運動神経バツグンで、みんなにも好かれてて、いつもクラスの中心だったよ。  
私、その頃は大人しくて目立たない方で、そんな自分が好きじゃなかった。  
だからその子に憧れて、その子に近づければ自分も明るく振舞えるようになるんじゃないかって思ってた。  
でも普段は話しかける勇気がなかったから、バレンタインにかこつけて、チョコを渡す時に少しでも話ができればって。  
そうやってきっかけを作れば、友達になれるかもって考えて。  
だけどその日、たくさんの女の子に囲まれている彼を見たら、とても声なんかかけられなかったよ。  
…今でも思うんだけど、あの時もし勇気を出してたら、違う自分になれてたかな?」  
 
そう言って遠くに目を向ける。どこか懐かしいような表情で。  
普段の明るいヒメノからすればやや意外だった。バレンタインにそんな想いをかける奴がいることも初めて知った。  
そんなことが、あったのか…  
ヒメノの話を聞いて、あることに思い至った時、  
「そういえばね。その子、エージ君にちょっと似てたよ。エージ君も相当モテてたんじゃない?」  
急にヒメノがこっちを向いてそう言った。悪戯っぽい笑顔で。  
なんだ? もしかしてからかわれてるのか、オレ?  
ちょっと悔しくなった。そっちがそのつもりなら、言い返してやる。  
「そいつも助かったんじゃねぇか? 高校生になっても胸のない女にコクられなくてよ」  
「ちょっ…なにそれ!」  
ヒメノが怒る。オレは笑いながら門を飛び降り、走って逃げた。十分な距離を取ったところで振り返る。  
突っ立ってるヒメノに向かって叫んだ。  
「一度しか投げねぇからな! ちゃんと受け取れよ!」  
手のひらに念を集める。普段作り慣れないものはイメージするのが難しい。野球のボールなら簡単なんだが。  
それでもオレの手の中には、ちゃんと期待通りのものが出来上がった。エネルギーは弱いが、今はこれで十分だ。  
「えっ…やっ! 何!?」  
ヒメノに向かって投げつけた。完璧な放物線を描いて、それは腕の中に吸い込まれていく。  
手のひらで砕け散り、弾けてキラキラと光る様を、ヒメノはただ呆然と見つめる。  
「ねえっ! エージ君、これなぁに!?」  
やがて我に返ったヒメノが顔を上げた。  
「うっせーな、何でもいいだろ!」  
オレが作ったもの、それは水玉の包み紙に巻かれた小さな飴玉。  
ホワイトデーにしちゃショボ過ぎるプレゼントかも知れないが、今のオレにできるのはせいぜいこのくらいだ。  
せっかく作ってくれたバレンタインのケーキ。いらないなんて言って、悪いことしたからな…  
ひと月前にオレがケーキを断った時、ヒメノは目を伏せ、そっか、わかった、と小さく呟いた。  
変な奴だと思ったが、その時は特に気にもとめなかった。  
けど、今ならわかる気がする。  
オレが断ったことで、ヒメノは昔を思い出したんじゃないだろうか。  
仮にあの時勇気を出していても、結果は同じだったんじゃないか…とかなんとか。  
そいつがオレに似ていたというのなら尚更だ。罪滅ぼしにはならないが、こんなささやかなイベントがあってもいいだろう。  
「もー、何なのよ!」  
ヒメノが追いかけてくるのを見て、オレはまた走り出した。走りながら空を見上げる。飛行機雲が流れる。  
そうだ、今度の日曜日はヒメノも特訓に誘ってやろう。こないだ開発した新必殺技でも見せて驚かせてやれ。  
うたかた荘までの道を二人で追いかけっこしながら、オレはそう、心に決めた。  
 
終  
 
 

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