「キサマ、名は何という」  
 
鳥の姿をした異形の霊があたしに問いかける。頭部は鳥だが首から下は人という、奇妙な姿。  
あたしはそいつに捕らえられていた。  
顎を掴まれ、持ち上げられている。全体重が首筋にかかり、今にももげそうなほど痛い。  
抵抗しようにも、あたしの方からは触ることすら出来ない。まるで人形のように扱われている  
自分の無力さをかみしめる。  
 
「な、何よっ! 何なのよアンタっ!!!」  
 
手も足も出ない状態で、それでもあたしは強がってみせる。  
こんな奴に弱みを見せる訳にはいかない、というのももちろんあるが、せめて虚勢でも  
張っていないと恐怖に押し潰されかねないから、というのが本当のところだった。  
 
「威勢だけは十分のようだな、だが・・・」  
 
顎を掴む手に力が加わる。  
 
「あぐっ・・・うああああっ!!」  
「その気になればキサマの顎を砕くなど容易いことだ。意地を張らないほうが身のためだと思うが?」  
 
凄まじい痛みと骨の軋む感触に視界は霞み、涙がこぼれる。  
 
「もう一度聞く。女、名は何という?」  
「ヒ・・・メノ・・・ おっ、桶川・・・姫乃・・・よっ!」  
 
とても喋れる状態ではなかったが、何とか言葉を絞り出す。黙っていたら本当に顎を  
握り潰されそうだったからだ。  
すると意外なことに、あたしの答えにそいつが反応を示した。  
 
「女、もっとよく顔を見せろ」  
 
顎を掴む手が少し緩んだ。助かった、とやっとのことで息をつく。  
そいつは何かを探るように、あたしの瞳を覗き込んだ。最初は訝しげだった視線が、  
やがて得心の、そして満足の笑みへと変化していく。  
 
「・・・成る程な、道理で気付けるものではないわ」  
ぞっとするような、おぞましい薄笑い。  
 
「予想外の掘り出し物かも知れん・・・よもやこんなところでお目にかかれるとは  
思わなかったぞ。これほどの代物、コモンやキヌマに渡してしまうなど勿体無い。  
おい、女」  
 
何の前触れもなく、私の顎を掴んでいた手をいきなり離す。着地した瞬間にたたらを踏むが、  
何とか持ちこたえた。  
 
「気が変わった。キサマを今この場で頂くことにする・・・  
正確には、キサマの中の『それ』をだがな」  
 
強烈な視線に射抜かれ、思わず身をすくめる。目を逸らすことが出来ない。  
逃げようにも足が動かない。どのみち逃げたところで逃げ切れやしないことは  
既に思い知らされている。  
とにかく明神さんが助けに来てくれるまで、何とか時間を稼がなくては。  
震える自分を励まして、あたしはそいつの視線を受け止めた。勇気を振り絞って睨み返す。  
 
「あ、アンタ、一体誰よ? 何が目的なわけ?」  
 
ただの時間稼ぎのつもりだったが、口にしてみて気がついた。  
そうなのだ。さっきからこの鳥の化け物は、あたしの何に執着しているのだろうか?  
最初はただどこかに連れ去ろうとしていただけのようだった。でも今は様子が違う。  
あたしの中に何かを見つけ、そして奪おうとしている。それは一体、何?  
しかし、そいつはこともなげに問い返してきた。  
 
「知ってどうするつもりだ、女」  
「ど、どうって・・・」  
「知ったところで、どうせキサマは逃れることなど出来ないのだ。そうだろう?」  
「・・・・・・・・・!!!」  
 
怪物が一歩前に進み出た。  
本能的に身の危険を察知し、あたしはじりじりと後ずさる。けれど、数歩も動かない間に、  
壁に背中が触れた。  
 
「だが、まあいい。教えてやろう。女、オレの考えが正しければ、キサマは―――――だ。  
今からそれを確かめる」  
 
意味ありげに言葉を切って、薄く笑う。これからあたしをどうするつもりなのだろう、  
まったく想像もつかない。  
 
「服は、邪魔だ」  
 
そいつの手が一閃するのと、千切れたセーラー服のリボンが宙に舞うのはほぼ同時だった。  
 
次の瞬間、鋭い刃物にでも切り裂かれたかのように制服の前身頃がブラごと大きく割れ、  
スカートが一枚の布切れとなって地面に滑り落ちた。  
 
・・・嘘。  
 
一瞬にして半裸となった自分の身体を茫然と見下ろす。冷たい外気に素肌が晒され、  
下着姿の下半身に鳥肌がたつ。しばらくの逡巡の後に、ようやく自分がいったい  
何をされたのかを理解して、一気に血の気が引いた。  
 
「きゃああああっ!」  
 
ほとんど意味がないと知りつつも、条件反射で制服の前をかき合わせる。なぜかこの時  
真っ先にあたしの頭をよぎったのは、生命の危機でも貞操の危機でもなく、  
このあられもない姿を他人に見られることだった。  
もし仮にいま明神さんが助けに来てくれても、こんな格好を見られたら、きっと恥ずかしくて  
死んでしまう・・・  
 
「騒ぐな、女」  
 
突然、強い力で腕を引っ張られた。不意打ちをくらったかたちでバランスを失った身体が、  
そいつの胸に倒れ込む。そのままくるりと反転させられ、あたしは奴に背後から  
抱きかかえられる体勢になった。  
 
「キサマの体を裂いて取り出すことだって出来るのだぞ?」  
 
喉元に手刀を突きつけられ、あたしは息を呑む。ただの脅しだとは思えない。  
その気になれば躊躇なく実行しそうだ。絶対絶命の窮地とは、きっとこんな状況のことを  
いうのだろう、と思った。  
パニック状態の中、じわじわと恐怖に浸食されていく。張り詰めた神経の細い糸が、  
今にも切れてしまいそうだ。  
 
「だが、それでは意味がないのでな。命が惜しければ、黙っていろ」  
 
言われなくてももう、喋ることなんて出来ない。身体を強ばらせ、貝のように口を閉ざして  
黙り込む。  
 
「・・・そうだ、おとなしくしていれば手荒な真似はしない」  
 
口調の穏やかさとはうらはらに冷たい声。喉元に当てられていたそいつの手が、ゆっくりと  
臍の方に降りてくるのを見て、全身が総毛立った。この状態で何をされるとしても、  
どうせろくでもないことに決まっている。  
 
・・・助けて・・・お願いだから、誰か来て・・・  
声にならない祈り。  
奴の手が、あたしの下腹部に触れる。  
もうだめだ、と思った。  
 
しかし―――――  
意外なことに、その手はあたしの肌に触れたまま、それ以上何かをしてこようとはしなかった。  
覚悟していたような暴力も辱めもない。ただ、そこに手を置いているだけ。  
よく分からないが、最悪の事態は避けられたみたいだ、そう安堵した時、手を置かれて  
いる場所がぼんやりと温かいことに気づく。いや、はっきりと熱を持ち始めている。  
熱い。  
内側が、じんじんする・・・  
 
「・・・な・・・に、これ・・・」  
 
怖いのも忘れて、思わず口を開いた。おかしいほど声が掠れている。  
まるであたしの声じゃないみたいだ。  
奴もあたしの異変に気がついたようだった。  
 
「ほう、キサマも感じるのか。やはりただの女ではなかったらしいな」  
 
下腹部から始まっているあたしの熱は、今や全身を駆け巡っている。身体の芯から  
形容し難い疼きと火照りが広がり、切ない気分に襲われる。  
 
「オレの本能がキサマの『それ』を呼び、キサマ自身がオレに応えているのだ」  
 
身体の異常はもう耐え難いほどのところまできていた。熱と疼きが出口を求めて  
荒れ狂っている。触れられればその瞬間に爆発してしまいそうだ。  
抱きかかえられているため密着している背中から腰にかけての部分が汗ばんで、  
更なる接触を求めている。  
不意に、そいつの手が動いた。  
 
「・・・ひ・・・あぁ・・・んっ」  
 
首筋を薄く撫でられたあたしの口から発せられたのは、耳を疑いたくなるような  
甘ったるい喘ぎ声だった・・・  
あたしの背中で、怪物がククッと喉を鳴らす。  
 
「肉体(うつわ)と魂(なかみ)は表裏一体、というわけか・・・  
ならば、両方とも頂くだけのこと」  
 
勢いを得たそいつの手が、身体中の至るところを這い回る。どんなに堪えようとしても、  
一度火のついた身体はもう逆らえない。微妙な手の動きに、あたしは吐息混じりの喘ぎで  
応えてしまう。自分の身体が自分の思い通りにならない悔しさ。  
そんなあたしを見て、奴はこの状況を楽しんでいるようですらあった。  
 
「そうだ、もっともっと反応しろ。そして・・・俺のものに、なれ」  
 
胸元をなぞっていた手が、いつしか先端の赤い突起に辿り着く。指先が触れたその瞬間、  
電流が走ったような衝撃を感じて、あたしの背が弓なりにのけぞった。  
 
「やあ・・・っ!」  
 
意思とは無関係に腰が大きくくねり、背中越しに身体を預ける形になる。  
そんなあたしの反応を確かめるように、そいつの手が集中的にその部分を責め始めた。  
「い・・・あ・・・やっ・・・はあ・・・っ、やんっ・・・!」  
擦る、弾く、摘む、押し潰す。手を変え品を変え、指先がそこを翻弄する。時には強く、  
時には弱く。甘美な奔流に流されて、その度にあたしは嬌声を上げ、身を捩る。  
 
執拗に責められて、いよいよ体重を支えきれなくなった足腰が崩れ落ちようとした時、  
すっと体勢が入れ替わった。背中の支えを失い地面にへたり込んだところを、  
上から組み敷かれる。禍々しい鳥の顔が、すぐ目の前に近付いていた。  
 
「反応は悪くない。が・・・どうも少し違うようだな」  
 
奴の手が胸を離れ、再びあたしの身体を這う。なだらかな曲線を描いて腹部を通り過ぎ、  
ショーツに覆われた茂みの辺りにまで辿り着いた。その先がうっすらと湿り気を  
帯びていることに、どうやら気づいてしまったみたいだ。  
 
「成る程、ここか」  
 
先程の愛撫――それを愛撫と呼ぶのであれば――で高揚した状態にさせられているとはいえ、  
初めて他人にそんなところを見られることに、さすがに快感よりも緊張が勝った。  
 
やっぱり・・・避けられないのだろうか?  
 
あたしだって子供じゃない、これから起こることの想像くらいつく。このままじゃ確実に、  
あたしのバージンブレイクを鳥の化け物に捧げる羽目になるってことくらい。  
けれどもう、あたしにはどうする術もない。今度こそ、本当に絶対絶命だ。  
 
結局、誰も助けに来てくれなかったな・・・  
そんな恨み言がちらりと頭をかすめた。勝手な言い分なのは自分でもよく分かってる。  
でも、最後まで信じていたかった。  
 
下着越しに、奴があたしのその場所に触れようとしていた。一か八か、両足を固く閉じ、  
最後の抵抗を試みてみる。が、案の定、あたしの行為は何の効果ももたらさなかった。  
やすやすと割り込まれ、大きく開かされる。あたしは目を閉じて、来るべき蹂躙に備えた。  
 
その時だった―――――  
 
「ゴーストバスター ストラァァァァイクッッ!!!」  
 
甲高いかけ声と共に、奴の後頭部で爆発が起こった。まばゆい閃光が辺りを照らし、  
思わず目を開く。  
 
「ホハッ!?」  
 
決して小さくはない衝撃に、あたしを突き放して怪物が飛びすさる。解放されたあたしは  
上半身を起こして目を凝らし、何が起きているのかを確かめようとした。  
・・・あれは、人影?  
 
「助けに来たぞ、ヒメノ!」  
 
エージ君!  
その声を聞いて、あたしは涙が出そうになった。  
助けにきてくれたんだ・・・!  
 
「クッ・・・このガキが・・・っ!」  
「おっと、お前の相手はオレじゃねーよ」  
「何だと?」  
 
怪物が飛翔した。その視線は彼方に向けられている。あたしのことは眼中にないみたいだ。  
今なら、逃げられる!  
けれども、立ち上がりかけたあたしは思い出してしまった。  
こんな格好、絶対に見られたくない・・・!  
冷静に状況を考えればそんなことを言っている場合ではないのだが、やっぱりどうしても  
恥ずかしさの方が先に立ち、再び地面に座り込んでしまう。  
 
「ねーちゃん、大丈夫か!?」  
「ツキタケ君!」  
その時、風を切ってあたしのそばに降り立ったのはツキタケ君だった。  
ボロボロになったあたしの姿を見て、顔を歪める。  
 
「ひでぇ・・・アイツ、ねーちゃんにこんなことしやがって」  
 
思わず顔を伏せて自分自身を抱きしめるあたしに、ツキタケ君は手に持っていたコートを  
羽織らせてくれた。やたらに長くて大きい。あたしは驚いて、ツキタケ君の顔を見上げた。  
 
「これは・・・?」  
「アニキのコートだ。大丈夫、今ならねーちゃんにも着れる」  
 
そう言ってツキタケ君は、あたしの顔を不安そうに覗き込んだ。  
 
「動けるかい? ・・・と言っても自分で動いてくれないと困るんだけどさ。オイラ、  
肩貸したりとか、してあげられないから」  
 
ツキタケ君の心遣いが身にしみる。心配をかけないよう、あたしはコートを纏って立ち上がり、  
彼に微笑みかけた。  
「ありがとう・・・ツキタケ君」  
 
「お前ら、何グズグズしてんだ。さっさと行くぞ!」  
エージ君が走って来た。どうして怒っているのだろう? あの怪物はどうしたのだろう?  
そして、あたしにはもう一つ気になることがあった。  
さっきから感じるこの不穏な空気は一体、何だろう・・・  
あたしの不安を感じ取ったのか、エージ君が答える。  
 
「ガクがキレたんだよ! ・・・いやもう、キレたとかってレベルじゃねーよ、あれは。  
見ちまったからな、ヒメノが襲われてるところを」  
「ガクリンが・・・?」  
 
そう尋ねてはみたけれど、もう、あたしにも分かっていた。  
辺り一面に気配が漂い始めているのだ。  
彼がここに来ている。空気をも震わせるほど凄まじい、怒りのオーラを纏って。  
 
 
  俺の婚約者(フィアンセ)に、何しようとしてた―――――?  
 
 
「分かったろ? ここにいたらオレ達まで巻き込まれる。早く避難するんだよ!」  
「待って! ガクリン一人で・・・っ!」  
「ここまでキレたアニキはオイラだって見たことない。何が起こったっておかしくないんだ、  
ねーちゃん!」  
 
嘘、そんな・・・あたしのせいで・・・ガクリン、大丈夫なの!?  
思わず振り返る。よく見えないが、鳥の化け物と対峙している人影、あれがきっとガクリンだ。  
ガクリン! と呼びかけようとした瞬間、ツキタケ君に押し止められた。  
 
「ダメだ、ねーちゃん。逃げるんだ・・・もしねーちゃんを巻き込んで怪我でもさせたら、  
アニキは絶対に自分を許さない。だから、頼むよ・・・」  
「ツキタケ君・・・」  
 
あまりにも真摯な表情のツキタケ君の哀願に、あたしは、こくり、と頷いた。  
そうだ。二人の言う通り、今はとりあえず、ここから逃げ出さなきゃ。  
ガクリンのことは・・・信じよう。あたしの知っている彼なら大丈夫。案外、何事も  
なかった顔で戻ってきて、俺と結婚しよう、マイスウィート、などと言ってくるに違いない。  
きっとそうだ。  
 
だからガクリン・・・どうか死なないで、お願い・・・!!!  
 
二人に急かされて駆け出しながら、あたしはこっそりと彼のコートのファーに顔を埋めた。  
婚約者(フィアンセ)、というガクリンの言葉が、あの時確かに聞こえた・・・  
もしあたしが死んで、彼のお墓に一緒に入ったら、それが結婚ってことになるのかな?  
 
こんな時にそんな事を考えている自分がおかしくて、あたしはつい、クスっと笑ってしまった。  
 
Fin  
 

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