「ふぅ」
溜め息をついて右手に持った袋を見る。
飲み物を切らしてしまったことに夜中気づいた姫乃は、喉の渇きに勝てずコンビニへと出かけた。
真夜中ということもあって少し怖かったが、「割と近い場所だし」と明神に声を掛けずに出てきた。
「…ついてきてもらえば良かったな」
買い物を済ませてコンビニを出た途端、明神に声を掛けずに来たことを後悔した。
辺りを見回すと先程よりも暗闇が濃いように感じる。
明るいコンビニから出たせいなのだろうか。
ぶるると身を震わせながらも足を踏み出す。どの道進まなければ帰れないし。
風が木々をざわめかせて、いかにも何かが出そうな雰囲気の中おずおずと歩く。
コンビニから離れていくほど辺りは静かで、人の気配すら感じない。
「…大丈夫。何も出ないよ姫乃。幽霊なんか怖くない〜」
静けさを誤魔化すために声を出してみたけど、余計に静寂を強調しただけだった。
ざわざわざわ。
風が木々を揺らす音がする。
コツコツコツ。
自分の足音がする。
ひたひたひた。
空気が緩やかに動く音がする。
びくりとして振り返る。誰も居ない。
ホッとして前を向くとガクが居た。
文字通り10cmほど飛び上がったような気がする。
「ひめのん。夜道の一人歩きは危ない。俺が送るよ。」
昼でもちょっと暗めのオーラを放出しているガクを夜中に見ると尚怖い。
バクバクと音をたてる心臓を抑えながら姫乃は深呼吸した。
「ガガ…ガクさん!びっくりしたじゃないですか!」
後退りしつつ思わず出た涙を拭いとる。
「酷いなひめのん。そんなに驚くことないじゃないか。」
ニヤリと笑いながら近づいてくるガクから、無意識に足が遠ざかろうとする。
(…あ。でも…)
ふと何かを思いついたようにして足が止まる。
「…ガクさん、送ってくれるんですか?」
「ああ。ひめのんに手出すやつは俺が叩き潰すから安心して。」
「いや、叩き潰さなくてもいいんですけど…じゃあうたかた壮までお願いします。」
嬉しそうに笑うガクを見ていると、暗闇が少し和らいだ気がした。
「ツキタケ君はどうしたんですか?」
「うたかた壮でエージを遊んでるよ。」
すこし距離を置きながらぽつぽつと話をする。
普段はあまり近づきたくない相手でも、こんな時には出会えたことが嬉しい。
話の間の静寂も、穏やかな空気が流れていて落ち着く。
半歩先を歩く彼の背中を見る。
月明かりに照らされて、仄かに輝いているように見えた。
「…ガクさん。」
歩を止めて呼びかけた。
振り向いたガクと目が合う。
「ありがとうございます。…迎えに来てくれて。」
ガクは迎えに来た、とは言っていない。
ただ、そう感じたからお礼が言いたかった。
「…なんだ。ばれてたのか。」
ポリポリと頬をかいてニヤリと笑った。
続け様にガクが言う。
「怒った顔もいいけどやっぱりひめのんは笑った顔が一番いいな。」
「え?」
その言葉で自分が微笑んでいたことに気づいた。
(え…あ、あれ?何で笑ってるんだろう。…ガクさんが来てくれて安心したのかな‥)
ふと頬に空気の動きを感じて目をやるとガクが手を伸ばして頬に触れていた。
触れられないはずなのに、暖かさが伝わってくるような気さえして姫乃は戸惑った。
「ガ‥ガクさん」
「愛してるよひめのん、一緒の墓に入ってくれ。もうあるから」
「遠慮しときます。」
どこかで聞いたような言葉を聞いて、姫乃は思わずまた笑った。
そうこうしている内に二人はうたかた壮へと辿り着いた。
ふぅと一息ついて姫乃はガクを振り返る。
「ガクさん、ありがとうございました。
…ほんとのこと言うと一人じゃ怖かったから。ガクさん来てくれて嬉しかったです。」
月明かりがほんのりと二人を照らす。
「いや、俺もひめのんとデートできて嬉しかったよ。」
「デートじゃないです。」
すかさず突っ込まれて落ち込んでいるミスター・ガラスのハート。
背景には「ガーン」という字が見えるような気がするが特に気にせず姫乃は考えていた。
(何か…お礼したいな。何かできることあるかな。)
ガクを見ていると未だに落ち込んでいる。
「…そうだ」
タタッとガクに走りよってほっぺにキスをした。
触れられないので気持ちだけ、ということになるが。
「おやすみガクさん。今日はありがとう。」
呆気に取られたガクが見た姫乃は月明かりに照らされてとてもキレイだった。
「ひ…ひめ…ひめのん」
パクパクと口を空けて言葉を紡ごうとするが、頭が真っ白で何も浮かんでこない。
姫乃はくるりと踵を返して小走りでうたかた荘へと駆け込んだ。
追ってこないところをみるとまだ玄関前でへたり込んでいるのだろうか。
部屋に戻ってドアを閉める。唇を両手で押さえて深呼吸する。
まだドキドキしている心を抑えながら、ガクはどんな顔をしているのだろうと想像してみた。
あの呆気に取られた顔を思い出すとクスリと笑みがこぼれる。
大胆かなとは思うが、あの顔を見れただけで満足だ。
意外とガクを嫌いじゃない自分に気がついて、姫乃は嬉しくなった。
ふと喉の渇きを思い出して、右手の袋から飲み物を取り出した。
こくこくと飲み干して一息つくと、布団へと潜り込んで眠りにつく。
触れられないはずなのに。唇にはガクのほっぺの暖かさが残っているような気がして。
まどろみの中で、ガクのことが以外に好きな自分に気がついて、姫乃は嬉しくなった。
(明日からは怖がらないで、何だかいい友達になっていけそう)
そんなことを考えながら姫乃は眠った。
翌日。明神が例の曲芸並みの寝相で外で目を覚ましたとき
真っ赤な顔でへたり込んでいるガクを眼前で見て仰天したという。
おわり