夢を見た気がした、内容は覚えていないけれど、いい夢じゃなかったことだけは
この寝覚めの悪さで分かる。時計を見るとやっと午前の1時を回ったところ、
外は静まり返ってなんの物音もしない。もう一度寝直そうと横になっても
いつまでたっても眠気はやってこなかった。
「困ったな・・・」
あんな無茶苦茶な学校でも入学して早々居眠りはまずいよね・・・、そう思って
あちこちへ寝返りをうったり羊の数を数えたりしてみたけれどいっこうに睡魔は襲って
来る様子もなく、とうとう諦めた姫乃は布団から抜け出してなるべく音を立てないよう
注意深く廊下へ続くドアを開けた。
「わ、すごいなぁ」
なんとなく外へ出てみると、空には月が煌々と輝き、その光を受けて白く浮かび上がって
見える桜が夢のように綺麗だった。
「綺麗・・・」
「ひめのんの方が綺麗だ」
「やだなぁ、そんなこと・・・って、わぁ!?」
いつの間にやら自分の隣に立っている長身の男、桜の咲く季節には似合わない
ロングコートが夜風に軽くはためく。
「ガク、さん・・・」
「こんな夜中に外に出たら危ないぞ、何に襲われるか分からない」
「・・・そうですね」
言いながらさり気なく距離を置く
「それとも俺が来るのを待って・・」
「ません!」
(どうしてこう思い込みが激しいんだろう・・・)と心の中で呟く。何に襲われるより
ガクと遭遇することが今のところ姫乃には一番怖い。尤も、彼は自分に
触れることはできないし、自分も彼に触れることはできない。いくら目の前に佇む
姿が鮮明に映っても、彼はすでにこの世の人ではないから。
(こんなにリアルに見えるのに)ちらりと顔を上げてみると、ガクはぼんやりと桜を
見ている、その顔が以外にも優しげなことに姫乃は驚いた。普段は陰気な表情しか
見せたことがないガクにもこんな顔ができるんだと思うとなんだか可笑しかった。
「・・・俺の顔になにか付いているのか?」
「えっ!!」
知らず知らずのうちに笑っていたようだ、姫乃は慌てて顔を背ける。
「な、なにも付いてないですよ!」
「・・・?そうか、けどひめのんには付いてるぞ」
「えぇ!?」
毛虫じゃないよね!?髪やら服やらをバタバタはたく。
「取れま・・・」
至近距離にガクの顔。あ、と思ったときにはもう離れていた。
「・・・そろそろ眠ったほうがいい」
それだけ言い残してガクは消えた、今までそこにいたのが嘘のように。
姫乃は呆然と立ち尽くしていたが、やがてへなへなとその場に座り込んだ。
重ねることなどできないはずの相手の唇の感触を感じた気がして
そっと唇に触れてみる、今更ながら顔が熱くなっていくのを感じて姫乃は
激しく動揺した。
「ど、どうしてこんな・・・」
とにかく部屋に帰ろう、まだ大きな音をたてる心臓を無理に落ち着かせて玄関のドアを
開ける。ふと振り返った先には変わらず咲き誇る桜の姿、それにダブるように桜を
見つめるガクの優しげな顔と唇の感触が蘇ってきて慌てて中に入る。
当分夜桜を観るのはよそう。そう思いながら自分の部屋に帰り布団をかぶる、さっき
とは違う理由で眠れなそうだ・・・。姫乃は深い溜息をついて目を閉じた。