新緑が美しい季節が始まろうとしていた。  
うーんうーんと唸りながら鏡の前で寝癖を直して、すらりと立ち上がった姫乃はもう  
どこからどう見ても普通の高校生に見えた。ほんの少し前までクラスに馴染みきれ  
ずにいた、なととは誰も思わないだろう。事実、怒涛のように新しい毎日は姫乃の  
日常に流れ込んでくる。  
新しいクラス、友達、勉強、そして目まぐるしい毎日…。  
今はこれでいいと思った。ただ流されるままにいかないと心までがどこかに置き去  
りにされそうな不安がいつもあったから。ただ、そうなってしまうと、こういった毎日  
に今度は慣れてしまうのが正直言って怖い。  
そんな揺れ動く思春期の中に、姫乃はいたのだ。  
 
ふわあ、とだらしないあくびをしながら明神は玄関先を掃いている。そろそろ毛虫  
が出てくる頃だ。何だか嫌だなあと思いながらも、姫乃はちらっと側の木立ちを見  
上げる。もし、突然襟元に毛虫が落ちてきたらとても正気ではいられない。  
「あ、登校時間か」  
姫乃を見つけるといつも通りの笑顔で、明神は笑った。  
「う、うん。じゃあ行ってきます」  
「勉強頑張れよー」  
激励のつもりか、ぶんぶんと手を振って声を上げる明神の顔が何故か最近見られ  
ないでいる。慌てたようにそそくさと頭を下げて側を通り過ぎるのがやっとだ。  
「ありゃー?」  
そんな姫乃の様子が気になるのか、明神も首を傾げながら頭を掻く。それが姫乃  
の心に刺さった。きっとあの呑気で優しい人は気分を悪くしているに違いない。け  
れど以前のようには接することが出来ないのだ、どうしても。  
最近、毎晩のように変な夢を見ているから。  
 
『ひめのん、可愛いよ』  
あのゾクゾクするような声で囁かれて、強く抱き締められるだけでもどうにかなり  
そうなのに、もっとすごいことをたくさんされた。夢の中でもずっとドキドキして幸せ  
で、触れられる度に心臓が壊れそうに思えた。  
逆に目が覚めた後は呆気ない現実がただあるだけで、とてもがっかりしたほど  
だった。  
それ以来、あのセクシャルな夢が頭から離れようとしない。  
現実派といえばただ淡々と過ぎていくだけで、明神は相変わらず気のない素振  
りでぼんやりとした顔をしている。まさか姫乃があんなにすごい夢を見たなんて  
信じられないに違いない。  
もし話しでもしたら軽蔑するだろうか。  
いやらしい夢を見るなんてと一笑するだろうか。  
ただの淡いイメージだけではなく、触れられている感覚までもがリアルなあの夢  
の情景が、日毎に鮮やかさを増している。  
いっそ話してしまおうか。  
そんな衝動が日を追うごとに強くなっていた。  
 
 
 
オワリ  
 

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