それからの日々は予定通り、順調に過ぎていった。  
夏が始まる前には、この学校の不良と呼ばれる連中は全て俺の傘下に入り、影番としての地位を確立していた。  
 
(結乃がいるから慎重にやらざるを得なかったがな)  
 
それなのに平和ボケしているのか、結乃が俺の動きに気がつくことはなかった。  
 
ほぼ、澄空における俺の立場が確立しだした初夏の日……。  
俺は生徒会の役員の欠員の代わりに役員になった。  
結乃の生活の中心である生徒会。  
そこを徹底的に壊すための、内部潜入だった。  
 
まずは情報収集。  
そのためには、生徒会でも信頼される存在になる必要がある。  
夏が終わるまで、俺は真面目に生徒会の活動に精を出していた。  
 
会長である志雄にも、それなりに信頼を得ていた。  
結乃とのノロケ話を聞かされるのは勘弁して欲しかったが、貴重な情報を得ることもできた。  
 
中でも俺に結乃の正体を確信させたもの。  
それは……会長が話してくれた決定的な情報。  
 
バイクを華麗に駆り、絶対に間に合わないはずの時間に『二人乗り』で間に合わせたという話だった。  
 
ラジオコンクールがどうとか言っていたが、そんなことはどうでもいい。  
志雄から、結乃のドライビングの様子を聞けば聞くほど。  
『疾風の結乃』の面影を感じざるを得なかった。  
 
復讐の準備を進める間に季節は過ぎ去り……。  
秋の気配が、澄空を包み出す頃……。  
ついに待ちに待ったチャンスがやってきた。  
 
週末を控えた金曜日に志雄が体調不良で欠席。そう生徒会の役員には伝えられた。  
それでも生徒会は結乃の指揮により通常通りに運営はされていた。  
 
会長が休んでも、結乃は1人で生徒会室に残り、いつものように仕事を片付けていた。  
 
「牧村君。手伝ってくれるのはありがたいけど、もう帰って大丈夫だよ?」  
「ここまでやったんだから、最後までつきあわせてよ」  
 
今日までかぶり続けた仮面を、さらに慎重にかぶって結乃に笑みを返す。  
他の生徒会のメンバーは帰り、今この部屋に残っているのは結乃と俺だけだった。  
 
今まで真面目な生徒会の役員を演じてきているだけに、結乃だけではなく生徒会の面々の信頼はしっかりと得ている自信はある。  
だから……俺と結乃だけをこの部屋に残すことに警戒を抱くものなどいなかったはずだ。  
 
「春日さんこそいいの? 会長のお見舞いにいかないで?」  
「う〜ん、じつはこれが終わったらいくつもりなの」  
「終わったらって……もう結構遅いよ?」  
「んと、ほら……志雄先輩は、1人暮らしだから……」  
 
結乃の視線は、自分の荷物に向かう。  
学校に来るだけにしては随分と大げさなボストンバックが指定のカバンと一所に置かれていた。  
 
「ああ。週末だし泊りがけか。いいなぁ、ラブラブで」  
「み、みんなには内緒だからね? 牧村君だから教えたんだから」  
「分かってるよ」  
 
生徒会の役員としてはあるまじき行為を、俺に多少頬を染めながら教えてくる。  
 
(ち……あの野郎……)  
 
お気楽そうな会長に、俺は初めて殺意を抱く。  
気軽に泊まりに行く間柄が何を意味するかなど明白だ。  
獲物を先取りされていたことに俺は舌打ちしたい気持ちを堪えていた。  
 
(まあ、いい。会長もタダじゃ済ますつもりはないしな)  
 
結乃の周りにいる人間は全て不幸にしてやるのが俺の目的だ。  
これから行うことは、俺の遠大な計画の序章に過ぎない。  
 
「お茶いれたよ。少し息抜きしたほうがいいと思うぜ?」  
「ありがとう。う〜ん、いい香り」  
 
何の疑問も抱かずに結乃は俺がいれた紅茶を口にする。  
貼り付けた笑みとは別の笑みが漏れそうになるのを俺は、懸命に堪えていた。  
 
「手伝ってくれてありがとうね。おかげで、少しは早く終わりそう」  
「いいっていいって。俺だって生徒会役員なんだから」  
 
さすがに親に『彼氏の家に泊まる』とは言えないだろうから、アリバイは作ってあるのだろう。  
と、言うことはここで何があっても……明日の朝まで不審に思う奴は誰もいない。  
俺の計画にはさらに追い風が吹いたと言っていい。  
 
「そうだね……。奏雲祭が終わったら先輩方は引退だから。わたし達が頑張らないといけないんだよね」  
「頼むよ、次期会長」  
「もう……牧村君までそんなこと言わないでよ」  
 
すねてみせる結乃だが、俺の見る限り生徒会で結乃ほど会長に相応しい人間はいない。  
このまま行けば、間違いなく会長の任は結乃に引き継がれることだろう。  
 
(このまま行けば、な)  
 
俺は、結乃が紅茶を飲みきるのを確認する。  
ついに……俺の計画を実行に移すときがやってきた。  
 
「さあ。息抜きもしたし仕事に……」  
「あ、春日さん。その前にちょっと……いいかな?」  
 
俺は深刻な表情を作って、仕事に戻ろうとする結乃を引き止めた。  
 
「どう、したの?」  
 
ただならぬ俺の様子に、結乃の顔にも緊張が浮かぶ。  
俺は厳しい表情を崩さないまま……結乃に数枚の写真を差し出した。  
 
「……!!」  
 
写真を見た瞬間、結乃の顔が青ざめていく。  
 
「そんな……どうして?」  
 
特攻服に身を包み、凛々しい姿で立つ結乃。  
大柄な男を、華麗な蹴りでKOする結乃。  
暴走集団の先頭をバイクで疾走する結乃。  
 
写真に写っているのは、結乃が澄空に転校する前に捨ててきたはずの過去の全てだった。  
 
「どうしてって……決まってるだろ?」  
 
ようやく……俺は仮面を外すことができる。  
もう、隠す必要もない、俺の素顔をついに結乃に晒す。  
 
人のいいクラスメート。  
その仮面の下には、これから獲物をどうやっていたぶるかを心待ちにする獣の笑みがあった。  
 
「俺も、同類なんだよ。あんたよりはずっとうまくやってるから、未だに現役だけどな」  
「な……んですって?」  
 
「俺の転校前の高校は、晴嵐高校……って言えば分かるか?」  
「……!!」  
 
過去は捨てても記憶の片隅には残っていたらしい。  
結乃の高校と、何度も抗争を繰り返していた高校の名前を忘れるはずはない。  
 
「強かったね、あんたは。あんたの入学で、あっという間に流れは変わっちまうくらいにね」  
 
俺たちが入学するまでは、両校の力関係はやや俺の学校のほうが上だった。  
だが、戦況はひっくり返り……結乃が転校しなければ、結乃の学校が俺の学校を制圧するのは時間の問題だったはずだ。  
 
「これ、覚えてるか?」  
 
俺は、制服の長袖を捲り上げ、腕に残ったままの傷を結乃に見せてやる。  
まだ衣替え前なのに、長袖のシャツを着る俺のことは生徒会でもクラスでも話題になってはいた。  
 
「だから、夏でも長袖だったんだ……」  
「あんたがつけた傷なんだけどな」  
「悪いけど、覚えてない。でも、わたしがしたことなんだよね。ごめん……」  
 
結乃は俺に向かって深々と頭を下げる。  
こういう世界から遠ざかって……相手を傷つけたことを素直に謝れる。  
結乃が本当に恵まれた世界へと戻っていたことを俺は痛感する。  
 
「ざけんな! 踏み潰した虫けらなんか覚えてないってか!」  
「そ、そんなことは……」  
「そうだよなぁ。あんた、冗談じゃすまない数の生徒を病院送りにしてたからな?」  
 
近くの椅子を蹴り上げる俺に、結乃は狼狽した様子を見せる。  
もはやまるでかつての姿を感じさせない、か弱い女の子にしか見えなかった。  
 
「さて、と。わざわざこんなものを見せた意味、分かるよな?」  
 
写真を結乃のほうに押し出し、俺は顔を近づける。  
 
「これ、会長に渡したらどう思うかな? いや、校長に直接ってのもありだよな?」  
「……! お願い! それはやめて! 謝るから……」  
「やったことも覚えてねーことを、どうやって謝るってんだ? おい!」  
「そ、それは……」  
「あんただって、せっかく得た幸せな生活を壊したくないだろ?」  
 
結乃の肩に手を置いて、顔を覗き込む。  
俺から視線を逸らそうとするが、もう1つの手で顎を掴んで俺のほうを無理やり向かせてやる。  
 
「取引しようってんだよ。大人しくしてれば悪いようにはしねーよ」  
 
俺は結乃の肩に置いた手を首筋に向かって滑らせていく。  
同時に……結乃の顔を固定したままの唇を近づけていく。  
 
「まずは……逆らわないって証明をしてもらおうか?」  
「あ……」  
 
滑らかな首筋を、指は俺の想定より早く滑り鎖骨に達する。  
セーラーとの隙間に指を入れると結乃の身体がびくんと反応する。  
 
「朝まで……たっぷり相手してもらうぜ?」  
 
遠ざかっていた世界への恐怖か、結乃の唇は小刻みに震えている。  
 
「……もの」  
「ん? 何か言ったか?」  
 
だが、結乃の吐息がかかるほどに接近したときに……。  
結乃の唇の震えはぴたりと止まって、言葉が漏れ出す。  
 
「卑怯者……! って言ったのよ!」  
「っ!! てめ!!」  
 
同時に、乾いた音が響き渡り、俺の頬が跳ね上げられる。  
たたらを踏んで結乃から離れた俺は、何が起こったか理解するのにしばらくの時間を有した。  
 
「いいのか? 次期生徒会長様が暴力なんかふるって?」  
「……これは、ただの正当防衛。でも、この先は……その言い訳は通用しないでしょうね」  
 
生徒会役員同士の不祥事。  
知れたら、関係者全員に処分が下ることを結乃は理解していた。  
 
だから、結乃制服につけられた生徒会の役員証を引きちぎると、机の上にそっと置いた。  
俺を睨んで立つ結乃は、特攻服などなくとも前の学校で何度か対峙した、あの凛々しい姿そのものだった。  
 
「会長、悲しむぜ?」  
「全部話す。志雄先輩なら……きっと分かってくれる」  
「ふん。まあ、あのぼーっとした会長ならそうかもしれねーな」  
「分かってるなら、もうおしまいにして。それ以上やると……分かるわよね?」  
 
俺をにらみつけると、結乃は荷物を抱えて生徒会室を出て行こうとする。  
 
「おっと! そうはいかねーよ!」  
 
俺は結乃の進路を塞ぐように立ちはだかる。  
ここで外に出してしまえば……もうこんなチャンスは来ない。  
そして、結局、何事もなかったように結乃は幸せな日々へと戻っていくのだ。  
 
「このままで済むと思ってんのか?」  
「思ってないよ。この写真は、好きにするといいよ。処分は……覚悟してる」  
「……!!」  
「あなたも……新しい場所に来たんだから。一緒にやりなおそ?」  
 
怯えた様子は一切なくなっていた。  
あの頃の……いや、それ以上に強くなった結乃が俺を見る目は厳しくも優しかった。  
 
以前の俺なら、怯んで道を譲ったかもしれない。  
だが、俺は結乃の胸倉を掴むと、そのまま上に向けて力をこめる。  
小さな身体は、宙に浮くように伸び上がり、結乃は爪先立ちになる。  
 
「一緒には、同意する。だが、一緒に進むのは……堕ちる道だ!」  
「……はぁ、しょうがないなぁ」  
 
すっと、結乃は両手を俺の手に添える。  
この身体からは想像できないような力を俺はよく知っている。  
 
「少しだけ……昔に戻るよ?」  
「やれるならやってみろよ」  
 
強気の姿勢を崩さない俺だったが、言葉の端が微かに震える。  
以前の強さが変わらないのであれば、結乃に触られてしまった時点で勝負はありだ。  
投げ飛ばされるなり、腕を折られるなり……もはや、俺の無事の保障はどこにもない。  
 
(そろそろのはずだ……)  
 
ぐっと、互いの腕に力がこもる。  
俺はそのまま結乃を持ち上げにかかり、結乃は俺の腕をねじりあげ、強引に投げ飛ばそうとする。  
 
「な! うそ……! くぅ……!!」  
「バカめ。俺がお前を相手にするのに、なんの準備もしてないはずがないだろ」  
「くはぁ……ん……く、……あぅ」  
 
結乃の腕の力を制すると、俺はそのまま結乃を宙に浮き上がらせる。  
セーラーが首を絞め、ネックハンギング状態になり、結乃の口からは苦しげなうめき声が漏れる。  
 
「まさか……あの紅茶に?」  
 
結乃の腕は、俺の手を掴んだまま。  
その握力はまだ女としては相当なものだったが、俺が問題にするほどではない。  
 
「やっと気づいたか。一服もらせてもらったよ」  
「ひ……きょうもの……」  
 
苦しげな呼吸の中で、それでも結乃は俺を睨みつけながら、俺の正体を知ったときと同じ言葉を繰り返す。  
 
「いいね。やっぱりあんたはそうでなくっちゃな」  
 
俺の中の情欲はもはや抑えようがなくなっていく。  
敵意に満ちた目でさえ、俺の興奮を増していくだけだ。  
 
「く……はぁ……はな……」  
 
足をばたつかせ、腕は首にある俺の手を引き剥がそうとする。  
薬と呼吸困難によってその力が徐々に弱まっていく様子を俺は心底楽しんでいた。  
 
(あの結乃を……ついに屈服させられる)  
 
幼くはあったが、結乃は俺の学校でも、やはり有名になるほどの容姿だった。  
当然その身体を狙い、真っ先に標的にされる存在だった。  
だが、その全てを返り討ちにしてきた最強の少女。  
 
それが、俺の手に落ちるまでのカウントダウンのように結乃の目の焦点が合わなくなっていく。  
 
「どうした? もうおしまいか?」  
「ふざ……こんな……ぐ……あぁ……」  
 
空気を求めてパクパクとさせていた口からついに言葉が漏れなくなる。  
あわせるように、ばたつかせていた足も、俺の腕を掴んだ手も、その力を失う。  
 
「は……はははははははは! ついにやったぞ!」  
 
俺は結乃の首を掴んでいた手を緩め、その身体を放り出す場所を探して部屋を見回す。  
 
「はぁあああああ!!」  
 
その刹那。  
結乃の目に光が戻り、気合の掛け声と共にそのしなやかな足が俺の股間に向けて飛んでくる。  
 
「おっと」  
「え……?」  
 
だが、その足はいともあっさりと……俺の手に止められてしまう。  
 
「お前相手に油断するとでも思ったのか?」  
「そ、そんな……」  
 
結乃が万全であれば、虚をつかれた俺はガードさえ間に合わずに股間を蹴りつけられていたはずだ。  
仮にガードが間に合ったとしても、その手ごと潰されていただろう。  
 
「諦めろ。今のお前は普通の女以下なんだよ……」  
 
だが、その蹴りは本人が思っているより遥かに遅く軽く……。  
スローモーションのように飛んでくる足を俺がキャッチするのに何の苦労もな  
かった。  
 
「苦労したんだぜ? 意識をきちんと保ったままで筋弛緩させる薬を調合するのはさ」  
 
今の蹴りが象徴するような申し訳程度の抵抗は可能だ。  
そして意識はしっかりとある。  
これから起こる事で結乃に最大限の絶望を味あわせるために調合した特別性の薬だ。  
 
このために、多くの他の女を犠牲にしてきた。  
それに見合う成果に俺は満足する。  
 
「この、ひきょう……もの」  
「きちんと喋れるみたいだな。安心したよ」  
 
これから、結乃の口から漏れる声が朦朧としたものでは意味がない。  
恐怖と屈辱に染まった声を。そして、最後には淫らに染まった声を導き出してこそ、俺の目的は達せられる。  
目的を果たす部隊が整ったことを確認した俺は、結乃をそのまま抱き上げる。  
 
「や! やめ!」  
 
多くの男に決して触れさせることのなかったその身体は驚くほど軽い。  
そのパワーの源がどこにあるのか分からないほど華奢で柔らかな感触と、髪の匂いが俺の鼻をくすぐる。  
 
「どうだ? お姫様抱っこされる気分は?」  
「ふざけないで!」  
 
結乃は俺の胸を何度も拳で叩くが、全くダメージにならない。  
屈辱的な表情で俺の胸に収まる様子をしばらく観察すると、俺は生徒会室の中央のテーブルの上に結乃を無造作に放り投げる。  
 
「あぅ! く!」  
 
背中を強く打ち付けて結乃は顔をしかめる。  
それでも自由になった身体に鞭打って、机の上から降りようとする。  
 
「動いて……なんでよ、こんな……」  
 
圧倒的な身体能力を誇る結乃にはまだ自分の身体に起こった異常を信じられないようだった。  
自由の利かない身体を、支えることも難しく結乃はナメクジのように、這って動くことしか出来ない。  
いくら生徒会室の机が巨大でも、数歩で動ける距離が今の結乃には果てしなく遠い。  
 
「さて。本番だ」  
 
俺はそんな結乃の様子を冷ややかに見ながら、生徒会室のドアの鍵を閉めに行く。  
鍵がここにある以上、もう万が一にも邪魔が入ることはない。  
 
ガシャン  
 
「あぁ……」  
 
生徒会室に響く鍵の閉まる音は、結乃の絶望のステージの開始を告げるゴングの音だった。  
 

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