二人の出会いは、まさに偶然と呼ぶにふさわしいそれだった。
それは数年前の冬の出来事。
「彩花・・俺、ダメだった・・・・」
バケツ百個をまとめてひっくり返したような豪雨の中、少年−三上智也−は一人ベンチに座っていた。
周りからは奇異の視線が矢のように向けられ、またびしょ濡れの服と容赦なく叩きつける雨は、加速度的に彼の体温を奪い取っていく。
「・・・」
虚ろな笑みを浮かべ、それでも彼はその場を動こうとはしない。
最愛の少女−桧月彩花−を失って以来の恋愛。
だが、結末は彼に残酷だった。
−弟って感じよねー?−
智也が想いを寄せた年上のお姉さんは、そう言い放ったのだ。
・・・・結果として、智也は失恋。
最早生きることに意味を見出すことも困難となり、いっそ愛しい彼女のいる世界へ旅立とうと思ったのだ。
それを、一人の女性が見つけたのだ。
「・・貴方も風を失ったのね・・・」
「・・・・」
智也の返事は、ない。
意識が朦朧としており、なおかつ絶望に全てを任せている彼には、彼女の声など届きはしない。
「さぁ、行きましょう。まだ貴方は死ぬべきではないもの・・・」
「・・・・」
やはり返事はない。
彼女は薄く微笑むと、ベンチに座り込む智也に肩を貸したような格好で歩いていった。
・・・片手には白い傘、背には純白の翼を広げた少女がそこにいた。
先ほどまであった雨による寒さなどは全く感じず、その少女の笑顔に智也は胸の高ぶりを感じた。
−彩花、また会えたな−−・・・・・・・・・−
少女の口は開いているが、声は全く聞こえない。そしてその少女は悲しげに顔を歪め・・智也から離れてしまう。
「・・・か、・・・やか、彩花ぁっ!」
智也の叫びは彼女に届くことはなく。
伸ばした手も虚空を掴むことしか出来なかった。
彩花の背が消えた後、今度はとてつもない眩しさを感じる。
世界の全てを、光が包み・・・。
次に智也がみたのは、のぞき込む人の顔。
少し幼なめの顔立ちながら、美しいと感じさせる顔が、智也の顔をのぞきこんでいた。
「やっと起きたわね」
「・・っ痛ぅ」
立ち上がろうとした智也に、今度は頭痛が襲いかかる。
身体全体が別人のものであるかのような感じさえする。
「無理に立たないで。まだ寝ていた方がいいわ」「・・すいません」
女性の優しい声に安心したのか、智也は大人しく布団に戻った。
布団に入った状態で、智也は周りを見てみる。
花束や果物が置かれた台や一面白な感じさえあり、また独特の臭いがする。
十中八九病院だ。
「・・何で俺はここにいるんだ・・・?」
次に、疑問点を口にする。
意識を失う以前、確かに智也はベンチに座っていた。
そして生を自ら放棄し、しかし・・・。
「助けられたのか・・」「というより、唯の自己満足なのだけれど。貴方は、私と同じ失った人。・・・大切なモノをね」
「・・何で助けたんですか・・・?」
聞きたいことは多々有ったが、先ず智也の口が放ったのはその問いだった。
「雨に濡れた姿が・・夏の頃の私に似ていたからでは不服かしら?」
「・・・っ」
女性−つばめ−は、薄く自虐的な笑みを零す。
だが、智也の瞳にそれは美しく映った。
どこまでも吸い込まれそうな瞳の黒に、刹那ではあるが魅入られていた。
「まずはお互い名乗りましょう。私は南つばめ」「あぁ・・俺は三上智也だ」
つばめの言葉が智也の気を現実へと引き込む。
よく考えれば名前すら知らぬ相手と話していたんだと智也は気付く。
「その果物とかは誰が持ってきたんですか?」
「稲穂君や今坂っていう娘たちが来たときに」
「・・・あいつら」
悪友、そして幼なじみの名が出たとき、智也は不意に穏やかな顔をした。大切な・・心底大切な仲間たちということが、彼の態度からつばめにも見て取れた。
「後・・霧島という女の人からも手紙を預かっているわ」
「・・・っ!?」
再度智也の表情が変わる。
今度は・・激しい怒り。
「・・少し貸してください」
「ええ、構わないわ・・・これよ」
つばめが手紙を差し出したその手を見て、智也はやはり綺麗だと思う。
だが、そんなことは口にせずに手紙に目を通す。
その手紙には簡潔に弟扱いしたことへの謝罪と、智也さえ良ければ『よりを戻したい』と書いていた。
「貴方はどうするの?彼女を受け入れるのも否定するのも貴方次第よ?」「無理ですよ・・・もう、信じられないから」
実質彼女が彼を弟扱いするのは二回目。
彼はすでに彼女への信頼を捨てていた。
「・・貴方、私と一緒に来る気はあるかしら?」
幾ばくかの沈黙を破り、つばめはそう言った。
表情は、相変わらず。
「・・来る?」
「傷ついた者二人で、翼の傷を舐め合わないか・・・と言ったところね」
やはり表情は変わらない。
智也にはその言葉の真意までは分からなかったが・・・。
「取り合えず、傷ついた二人で恋人の真似事でもしようってんですか?」「ええ・・似た者同士、傷の舐めあいをしましょう・・・」
「・・・いいですね、面白そうだ・・」
智也も、知らぬ間に笑顔になっていた。
好奇心・・今の智也は、それが全てだった。
「そう・・じゃあ・・」
つばめが、不意に智也に口づけをする。
瞳の色は相変わらず、深い黒。
唇同士の触れあいから数瞬の後、つばめは次に舌で智也の口内を蹂躙しようと蠢かせる。
キスの時点で呆然としていた智也は、つばめの舌の動きを察知した刹那・・・彼女の舌に己のそれを絡めた。
互いにいつしか瞳を閉じ、ただ舌の動きのみで相手を感じ合う。
時折二人の唾液を出し、混ぜ、二人で飲み干す。
二人の唾液が混じったそれは、麻薬のような力があったに違いない。
とてつもない甘さの中に、背筋の立つような快楽が潜んでいる。
言葉など、言葉での契りなど必要ない。
今この場で手を握りあい、舌を絡め、吐息を感じ合う。
それが二人にとっての全てであり、誓いだった。
時間にして、30分。
二人はこの間飽きもせずに延々キスを続けた。
身体の繋がりも持ちたくはあったのだが、ここは病院だ。
そんなマネをすればどうなるか分からない程バカではなかったらしい。
とにもかくにも、それが智也とつばめの本当の始まりの時だった。
・・・そして、今。
智也とつばめは、小さな娘−大体五歳ぐらいだ−と共に三人で暮らしている。
さほど立派ではない家、裕福とは一概には言えない生活だが、二人は幸せだった。
傷つきながらも手に入れた、等身大の幸せ。
「・・・つばめ」
「智也・・・」
娘が寝静まった深夜、二人は今夜も愛し合う。
二人の翼は、誰よりも美しく開いたのだ・・・。