「あーつーいー…」  
「もうあついって言うな……また気温が上がったみたいに感じるだろ…」  
イッキがそう呟いた瞬間、何かがパリンと破裂する音がした。  
 
「…なに?」  
「……?」  
イッキはやっとの動作で立ち上がり、その音の正体を確かめようとぐるりと居間を見渡す。  
すると、ある柱のすぐ手前に、ガラスの破片が散らばっていた。  
 
「……げ!アリカ、温度計が割れたみたいだ!」  
「えー!?うそでしょ?!」  
がばっとアリカも立ち上がり、イッキと視線が交差する。  
 
すると、…確かにそこにはあった。  
無残な姿で佇む、さっきまでは確かに温度計だったその残骸が。  
 
「まずいわね、中に入ってる水銀は体に良くないって聞いたことあるわ」  
「うぇ!じゃあ、どうするんだよ?!」  
「放っておいて気化されると面倒だし……イッキ、あんた片付けてよ」  
「お、俺?!」  
「女の子にそんな危ないことやらせる気ー!?ホウキか何かで外に出すだけで良いんだから、 
そのくらいやりなさいって!」  
「うう…わかったよ。」  
先ほどまでとは打って変わり、いつもの口調でイッキを言いこめるアリカ。  
 
渋々ながらも、アリカに言われたとおり、イッキは長めの箒で破片ごと外の庭へと掃き出し  
た。  
それと庭の隅の方へ柄の長さで押しやり、ひとまずは事なきを得る二人。  
 
「よく出来ました」  
満足そうに微笑みながら言うアリカ。  
「あれで大丈夫なのかよ、ホントに」  
「近づかなきゃ平気よ」  
「それ、平気って言うのかよ…」  
 
彼らがそんなやり取りをしている中にも、気温はどんどんと上がっているらしかった。  
こめかみや額に噴出していた汗が、時折露となってつーっと頬を伝う。  
 
「あー、それにしてもあっつい……」  
「あついって言わないでくれる?なんか余計暑くなったみたいじゃない…」  
「……へーい…」  
「まったく…はー、それにしてもあついわねぇ……」  
「…………………」  
 
*  
 
「ね、イッキ」  
障子の横から、ひょっこりと顔を出すアリカ。  
イッキはその呼びかけに答える造作もなく、  
もうすっかり暑さにへばった様子で、少しでも涼感を味わおうと木の卓に突っ伏していた。  
「…なにー…」  
やはり生気のない返事。  
「森とかならさあ、少しは涼しいんじゃない?」  
「森ぃー…?」  
「そ、森よ森。じゃーん」  
そう言って、アリカは自慢げに、短冊のような形で折りたたまれた冊子のようなものを取り  
出した。  
「…なにこれ?」  
いかにも興味の無い反応をしつつ、イッキは  
さもどうでも良さそうに卓に顎を乗せたままそれに目をやる。  
「地図よ。これがタコヤキに見える?」  
少し憮然とした表情で、アリカはその地図を広げてみせた。  
 
「なんだこれ?ずいぶん適当な地図だな」  
冊子に載っていたのは、市販の地図と比べればかなり簡略化されていたが、  
点在するいくつかの地名を見るに、どうやら村一帯の地図だった。  
「ほら、ここ」  
アリカが指した冊子のすみっこには、「地域振興課 編纂」と古めかしい書体で印字されて  
いた。  
「ちいきしんこうか、へん……なんて読むんだ、コレ?」  
「へんさん。要するに、地域振興科ってところが作りました、ってコト」  
「アリカ、よくこんなの読めるな…」  
「ふふん、ジャーナリストとして当然よ」  
得意げに顔を上げるアリカを、イッキは心底感心した面持ちで見た。  
 
「で、ほら、ここ見て。」  
アリカが地図のほぼ中心にある一点を指差す。  
「…なんだこれ、遺跡の森?」  
「たぶん、遺跡って、メダル発掘現場の遺跡のことじゃない?」  
「ほんとだ。確かに、メダルのマークになってるな」  
「でしょ?たぶん、メダロット博士はここの遺跡も研究してたのよ」  
「なーるほどねえ…確かに、そうでもなかったらこんなとこ、わざわざ住まないよなあ」  
「で、さ、村のパンフレットに載せるくらいだから、それなりの名所なんだと思わない?」  
イッキは思わず固まった。  
話がここまで進み、ようやくアリカの言わんとしていることを把握出来たからだ。  
 
「…まさか…、……行くの?」  
顔をひきつらせながら、おそるおそる訊く。  
 
「ぴんぽーん!!」  
人差し指をびっと出し、アリカは強気な笑顔を浮かべた。  
 
「…えぇー……」  
「だって、どうせここにいても暇だし、暑いだけでしょ」  
「う…、…そりゃあそうかもしれないけど…」  
「決まり!」  
「………はぁ。」  
がくんと肩を落とし、俯くイッキ。  
毎度のことながら、反論しようという気概さえないようだった。  
 
 
*  
 
 
地図に描かれていた縮尺を頼りにすれば、  
その「森」は、イッキたちがいる家から約5キロほどの距離にあるらしい。  
5キロ、と口に出しただけではさほど難のない距離に思えるが、実際問題、  
真夏の炎天下を歩くというのは、たとえ数百メートルの距離であったとしても避けたいもの  
だ。  
 
ましてイッキとくれば、  
来る日も来る日もエアコンの効いた自室でゲームをする日々が続いていたもので、  
ご多分に漏れず、既に満身創痍の様子だった。  
 
「………」  
亡者のように両腕をだらしなく垂れ、首の座らない赤子のようにふらふらとしながら歩くイ  
ッキ。  
既に汗は噴出すのを通り越し、だらだらと全身を流れていた。  
 
「あぢい……」  
「…はあ。あんた、ほんっとにだらしないわねー…」  
アリカも、イッキがまさか元気満々でついてくるとは思ってはいなかった。  
思ってはいなかったが、よもやここまで疲労困憊するとも思っていなかった。  
 
 
両脇に広葉樹の森が広がる林道を連れたってあるく二人。  
林道は緩い坂になっていて、さすがに村のパンフレットに載せるだけのことはあり、両脇の  
林には人の手が入れられているようだった。  
 
気温はますます上昇しているようだったが、木陰のせいで幾分か日差しが遮られ、  
風は無かったが涼をとるにはそこでも充分なくらいだ。  
 
「なあアリカ、もうこの廻りがその「森」なんじゃねーのー…?」  
「地図によるともっと先。この先におっきい川があるみたいだから、それを越えてからよ」  
冊子を広げつつ、淡々とした口調で言った。  
 
「うぇ、まだ歩くのかよ…」  
「…アンタ、本当に体力ないわね……」  
呆れた表情を作りながら、すたすたと先を歩くアリカ。  
頭の後ろで手を組みながら、イッキもけだるそうにその背中についていく。  
「あ」  
唐突にそう言って、アリカが立ち止まった。  
「なんだよ、急に止まって」  
「あれ」  
そう言って、アリカはすっと道のむこうを指差した。  
先ほどアリカが言っていた川が見えてきたのだ。  
 
「川だ!ほら、イッキ、行くよ!」  
うなだれるイッキの手をとり、足取りも軽くアリカが走り出した。  
「ちょ、っと、アリカ、ひっぱんなって!」  
 
*  
 
 
「わー、すっごーい」  
川の流れは比較的ゆるやかだったが、深さは膝の少し下くらいまであるようだった。  
橋の上からでもしっかりと水底が見えるあたり、かなり水質は良いらしい。  
 
「降りてみようよ!ねっ!」  
イッキの返事も聞かず、アリカは一目散に川原へ下っていった。  
そのはしゃぎように、イッキは怒る気もなくなり、苦笑いした。  
 
アリカの後に続いて、イッキも川原へ降りる。  
まるで玉砂利のように丸い石がいくつもある河原は、真昼の太陽の照り返しで白んで見えた。  
 
「イッキ、こっちこっち!」  
ひとり元気にはしゃぎまわり、イッキを先導しようとするするアリカ。  
イッキも、そんな様子を見て、呆れながらもどこか楽しそうに笑う。  
 
「おいアリカ、あんまりはしゃいで、川に落ちてもしんねーぞ」  
少し離れたところにいるアリカに呼びかける。  
「イッキじゃあるまいし、そんなことしないって!」  
「…」  
人が心配してやってるのに、とイッキは心の中でつぶやいた。  
 
 
ふと川の向こう側を見ると、木々の立ち並ぶ森の間から、泉のようなものが見えていた。  
どうやらそれが地図にあった遺跡らしいが、どうも以前見たことのあるミヤマ遺跡とは雰囲気が違うようだった。  
遺跡にもいろいろがあるんだろうか。そんなことをイッキが考えていると、アリカが大声で呼んだ。  
 
「イッキ!!はやく!」  
アリカはいつの間にか靴を脱ぎ、オーバーオールもめくりあげて水遊びを楽しんでいた。  
 
「おいアリカ…」  
アリカは一人、ばしゃばしゃと水しぶきを上げて楽しんでいた。  
 
イッキは、とっとと用事を済ませて戻りたかったのだが、  
アリカのそのはしゃぎようを見てそれを諦めたのか、深いため息をついた。  
 
普段イッキのことをしばしば子ども扱いすることのあるアリカだが、  
好奇心旺盛な本来の気質もあって、実際にはアリカがやや暴走気味になることもままあった。  
 
 
 
「きゃっ!」  
 
唐突に響いた悲鳴とともに、派手な音を立てて、水しぶきが中天高く舞い上がった。  
イッキは飛び跳ねるしぶきに思わず顔を手でかばう。  
 
「…もー、やだぁー…」  
ピンクのオーバーホールは完璧に水に濡れ、水を吸ったせいで、色も暗く淀んでしまっていた。  
下に着込んだシャツも当然水に濡れてしまっており、袖口はぴったりと肌に密着して、薄く透けていた。  
 
「…はぁ。ったく、アリカははしゃぎすぎなんだよ。ほら」  
イッキは、水面に顔を出していた手ごろ石に足をかけ、手を差し出す。  
アリカはしっかりとその手を掴んで、足場の悪さに多少手間取りつつも、どうにか立ち上がる。  
 
「…よいしょ、っと………あーあ、すっかり濡れちゃった…」  
アリカはオーバーオールの肩口をつまみ、水浸しになった服を眺める。  
「着替え、持ってきたんだろ?戻って着替えたほうが、いいと思うぜ」  
少しの揶揄を込めた口調でイッキが言う。  
「やーよ、今更めんどくさいし。あ、そうだ、あんたの服貸しなさいよ」  
「…な、何言ってんだよ!俺はどうすんだよ、俺は!」  
よもやその様な提案をされるとは思ってもみず、イッキは慌てて反駁する。  
行動力ゆえに飛び出るアリカのはちゃめちゃな理屈は、時折イッキを慄かせる。  
「いいじゃない、あんた男なんだから。」  
「そういう問題じゃねーだろ!」  
アリカはイッキの狼狽ぶりなどどこ吹く風で、平然と言い放つ。  
 
「もう、冗談だって。そんなに怒らなくてもいいじゃん」  
「…」  
イッキは、「アリカの場合、冗談にならないことが十分に有り得る」とは口に出さないで置いた。  
 
「ていうかさ、本当にそのままじゃカゼひいちまうぞ、アリカ。」  
「それは分かってるけど…。」  
アリカは眉を寄せて答えに給する。真夏の炎天下とはいえ、  
すっかり水を吸ってしまった服を着たまま歩き回るわけにもいかない。  
しかし、そうは分かっていても、今更来た道を戻るのも気が引ける。  
 
「ねえ、上だけでも貸してよ」  
「っ、だから、ダメだって!」  
「なんでよ、別に減るもんじゃないしいいじゃない。」  
「……お、お前な、これ、男の服だぞ?!」  
「別にいいわよ、着るものないんだし、仕方ないじゃない。」  
イッキが言いたかったのはそういうことではなかった。  
つまりは性差とか、気恥ずかしさとか、そういったものを意識して言ったのだったが。  
 
「だって、戻るにしたってこのままじゃ風邪ひいちゃうでしょ!」  
「…いや、まあ……」  
"戻る"という単語に押され、イッキは若干引き気味になった。  
帰れるものならすぐにでも帰りたいと、道すがら思い続けていたからだ。  
そもそもここに来ることになったのだって、まったくイッキの本意ではなかったのだから。  
「それにあんた、この間だって誰が宿題見せてあげたと思ってるわけ?」  
「…そ、それとこれとは」  
「"関係ない"って言うの?信じられない、それでも男なの?」  
「……うぅ…」  
「その前だってそう!だいたいあんた、自力で宿題やったことあった?!ないでしょ?」  
「………ぐ…」  
アリカによって飛躍する話を止める気力は既にイッキにはなく、  
アリカはアリカで日ごろイッキに対して抱いていた不満をぶちまけていた。  
ぶちまけたといっても、こうすればイッキが折れるだろう、  
という計略の元でのことで、特段感情的になっているわけではないが。  
 
 
*  
 
 
「これ、変わった服ね…」  
イッキのトレードマークともいえる真っ赤なフリースを着込んだアリカ。  
まだ少し水気が気になるのか、襟元のボタンは外していた。  
 
「もう、なんでもいいから早く戻ろうぜ……」  
がっくりとうなだれて、イッキはアリカの後ろをとぼとぼと歩いていった。  
その背中には哀愁と形容できるような、独特の寂れた雰囲気が漂っていただろう。  
 
 
*  
 
 
メダロット博士の実家に着いて、イッキはすぐ縁側に足を投げ出したまま寝転んだ。  
アリカは気持ち悪いからシャワーを浴びるといって、イッキの上着を着たまま風呂場へ行ってしまった。  
 
「……疲れた…」  
 
じっとりと汗のにじんだシャツごしに感じる、ひんやりとした廊下の感触。  
撫でるように吹く風はひどく心地よく、揺らされる風鈴の音もひときわ優しく感じられた。  
 
目を覆うように片腕を顔に置く。まぶた裏には、先ほどまで晒されていた真夏の鮮烈な陽がちらついた。  
何を回想するでもなく、しばらくの間、イッキはただ呼吸をするだけだった。  
 
どのくらいの時間が経ったのかは分からないが、  
目を閉じまま感じる感覚は、いつの間にか肌寒さだけになっていた。  
 
さっきまで気持ちよく感じていたはずの背中の感触も冷たさを伴うようになり、  
イッキはどうにも寝入ってしまっていたようだった。  
 
ゆっくりと顔から手をどけ、まぶたを薄く開いていくと、最初に見えたのはゆれる風鈴の姿だった。  
その後ろには既に薄暗くなった空。見渡すと、所々には星が光って見えた。  
 
イッキは少しの間、寝惚けに思考を奪われていたが、  
ふと、台所のほうが何だか騒がしいことに気づいた。  
靴を脱いで確かめにいこうとした時、イッキの服がテーブルの下に、きれいに畳まれて置いてあるのに気づいた。  
 
イッキは、そういえばアリカに貸したんだっけ、などと人事のように思いつつ、  
じっと縁側で寝ていたせいで体は冷えていたので、それを着込んだ。  
 
 
*  
 
 
「…わ!おいしい!これ、どうやって作ったんですか?」  
「簡単だよ、そんなの。そうだ、あとでレシピをメモ帳に書いておこうか!」  
「え!ぜひお願いします!」  
 
台所に入ると、何やら甘いようなしょっぱいような、  
とにかく日本の家庭的な部分を象徴したようなにおいが立ち込めていた。  
この家のどこにそれだけの食器があったのかは不明だが、テーブルの上には  
既に何品かが並べられていて、どれも食欲を誘うような品ばかりだった。  
 
「あ、イッキ」  
「えーっと……そのひと、誰?」  
アリカはイッキの元へと駆けて、頭を一発小突いた。  
「いてっ!」  
「ちょっと、いきなりおばさんなんて失礼でしょ!  
 ほら、ふもとのスーパーにいた店員さん!覚えてないの?」  
「…あ!そうか…」  
そのやりとりを見てか、アリカに料理を教えていた女性はくすくすと笑った。  
 
「あっはっは。いつ見ても面白いね、あんたたちは」  
「あ、えーっと、俺は」  
「天領イッキくん、でしょ?アリカちゃんから聞いてるよ、なかなか頼りになるみたいじゃないかい」  
そう言うと、女性は含みのある笑いを浮かべ、アリカのほうを見る。  
 
「お、おばさん!」  
「あっはっは!さて、最後の仕上げをぱっぱっとやっちゃおうかい、アリカちゃん」  
「は、はい!」  
そう返事をするアリカの目は、嬉々としたものを宿していた。  
イッキは、何だか楽しそうな二人の雰囲気に気後れしつつ、何か手伝うべきだろうか、と逡巡した。  
 
「あ、あのー…」  
「ん?なんだい?」  
鍋をかき混ぜながら振り向く。  
 
「いや、えっと、お、俺もなんか手伝います」  
「なーにいってんだい、男子厨房に入るべからずっていうだろ」  
「え?」  
「いいから、あんたはそのへんでも適当にぶらぶらしてなって。」  
「……は、はい………」  
 
深い意味は分からなかったが、とにかく自分は手伝うべきではないことを察し、  
イッキは若干戸惑いながらも台所を出る。  
振り向きざまに見たアリカは、じっとまな板を見つめて、必死な様子だった。  
 

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