「ナーエーさん!」
乱雑に物が置かれたガレージに、元気な声が響き渡った。
「あら、イッキくん。いらっしゃい。」
整備道具がぎっしりと詰まった車両の中からひょっこりと顔を出し、
ナエはいつもの挨拶をイッキへ向けた。
「あれ?今日はメタビーは一緒じゃないの?」
「アイツ、今日はかーさんと買い物。」
「そっか。待ってね、今飲み物持って来るから」
そう言うと、ナエはぱたぱたとガレージの奥へと消えていった。
手持ち無沙汰になった、何をするでもなく傍の椅子へ腰をかける。
見回したガレージは、確かに建物自体は決して新しくはなかったが、
中に置いてある工具類は一目で最新式だと分かった。
日頃何気なくメタビーの整備を任せてはいるが、実際問題、
ここのメンテナンスはかなり上等なものなのではないだろうか?
そんなことをぼんやりと考えていると、ナエが2つグラスの乗ったトレイを持って戻ってきた。
「ありがとう、ナエさん」
礼を言いながら、イッキはテーブルの上に置かれたグラスに手を伸ばす。
うっすらと結露しはじめたグラスの、冷たい感触が心地よい。
「………っぷはー!いや〜、ナエさんの淹れてくれる麦茶は最高だなあ!」
「また、相変わらずね。それ、10パック100円の水出し麦茶よ?」
イッキの変わらない軽口に軽く苦笑しながら、ナエは自分の分のグラスにも手をつけた。
「…………ふう。でも、ホント、これだけ暑いと冷たいものも恋しくなるわね」
ガレージの前の、駐車場に使えそうなほどの敷地は目に痛いくらいに太陽光を反射し、
道路の向かい側の風景は僅かだが陽炎に揺れている。
「ホントだよ。こう暑いと、ロボトルする気力もなくなっちゃうよ。」
「そうね。それに、あんまり暑い中でメダロットを動かすと、ラジエーターが故障しちゃうかも知れないわ。」
「ナエさん、そのラジエーターって何?」
「分かりやすくいえば、メダロットの中にあるクーラーみたいなものね。
機械は動いてると熱を出すから、それを冷やさないといけないの。そのための機械よ。」
「ふ〜ん、さっすがナエさん」
感心するような相槌を打ちながら、イッキはグラスに残っていた麦茶を一気に飲み干した。
その様子を見て、ナエはぽんと手を叩いた。
「そうだ。イッキくん、かき氷食べる?」
「かき氷!?食べる食べる!!」
「じゃあ、こっちに来て。ここじゃすぐ溶けちゃうから。」
「あ!でもナエさん、お店はいいの?」
ナエは、苦笑いを浮かべた。
「たぶん平気だと思うわ。元々、あんまり人も来ないから。」
*
「ここがナエさんの部屋かあ……」
ガレージから繋がる通路を抜けるとすぐ、ナエが普段生活をしている部屋があった。
表のガレージとは打って変わって、白を基調に統一された部屋の内装は、
イッキが心の奥でナエに対して持っているイメージとうまく調和するものだった。
「そこ、座っててね。すぐ持ってくるから。」
ナエはつなぎの上だけを脱いで、台所へと消える。
暫くすると、氷削機の回る独特の音が聞こえてきた。
またもや手持ち無沙汰になってしまったイッキは、ナエが戻ってくるまでの間、
部屋の中をじっくりと観察してみることにした。
仮にも、ここは自分が思慕する女性の私室なのだ。
押し開くタイプの四つ窓は大きく開け放たれていて、
すぐ横にかけられているカレンダーが時折ページを揺らしていた。
台所へ入る間口の隣にはスモークガラスの張られたドア。
おそらくはそこが風呂場なのだろう。
一瞬だけよこしまな想像がイッキの脳裏を掠める。
どこを見渡しても、やはり清潔感が溢れている部屋だった。
外のガレージが雑多な分、自分の生活するスペースはまめに片付けているのだろうか。
台所からは、時折冷蔵庫を開け閉めする音が聞こえる。
そろそろ、かき氷の出来上がりだろうか?
気になって、イッキが台所の様子を伺おうとしたその時、
突然悲鳴にも似た叫びが部屋に響いた。
何事かと、イッキは急いで台所へと駆けつける。
「ナエさん!!」
台所に入ると、そこには器の上に見事に山盛りになったかき氷が1皿。
そして床には、よく製氷の為に使われる白い容器が転がっていた。
「ごめんね、驚かせちゃった?」
「な、何かあったの?」
「別に、大したことじゃないの。もう凍ってると思って、冷蔵庫から容器を出したら、まだ凍ってなくて。
それで、この通り、濡れちゃったってわけ。」
「なんだ、そうだったのか…。急に大きな声がしたら、オレ、何かと思ったよ。」
「びっくりさせてごめんね。…あーあ、シャツもびしょびしょ。」
言われて、イッキも初めて気がついた。
ナエの着ている浅緑のTシャツは、水を吸ったせいでだいぶ色を暗く落としていた。
しかも、元々サイズ的にピッタリだったせいなのか、ナエの体に吸い付くように張り付いて、
特に胸のあたりの輪郭をしっかりと映し出していた。
イッキも、思わずそれに見入ってしまう。
「私、ちょっと着替えてくるね。ごめんね、待たせてばっかりで。」
「え、あ、いや!!べ、別にぜんぜん大丈夫!!」
「そう、ありがとう。じゃあ、ちょっと待っててね。すぐ戻るから。」
そう言って、ナエは慌しく駆けていった。
イッキは、大きく、ごくりと唾を飲み込んだ。
台所に散らかったかき氷の片づけを終え、
イッキはリビングに置かれたあつらえのいいソファーに身をうずめるように座り込みながら、
ふつふつと沸き上がる悶々とした気持ちに葛藤していた。
視線は空ろに室内をさまよい、時折脳裏に浮かぶのは先ほどのナエの姿。上着越しに浮かんだ乳房の形。
乳頭こそ浮かび上がりはしなかったが、張り付いたTシャツ越しに見えたそれは、
イッキくらいの年齢の男子ににとっては十分刺激的なものだった。
やがて、イッキははっと我に返る。
いつの間にか視界の端にナエが立っていたからだ。
「おまたせ、イッキくん。」
現れたナエが着ていたのはノースリーブのシャツだった。
真白い生地と胸のあたりにワンポイントだけがつけられたものだ。
決してしゃれ込んでいるような服装ではなかったが、
ナエの私服といえばいつも機械油のついた作業服姿と、
その下に来ていた浅緑のシャツしか知らないイッキにとっては、
それすらも十分魅力的に見えていた。
「ごめんね、ごたごたしちゃって」
言いながらナエはイッキの横へ歩み寄る。
「いいって別に。ナエさんのせいじゃないよ」
「ありがと。でも、もうかき氷は無理かもしれないわね…」
ナエは至極残念そうな表情で、
少し離れたダイニングにぽつんと置かれている主導の砕氷機に目をやった。。
「しょうがないって、ナエさん。よくあることだよ」
「そう?うーん、でも、何も出さないのはちょっとなあ」
やはり心苦しく思っているのか、
ナエはぼやきながらかなり大型の冷蔵庫へ寄っていった。
ドアを開け、中を見回す。
「うーん。あ、普通の棒アイスならあるんだけど…」
ドアの影から顔を出してイッキに問いかける。
「ぜんっぜんオッケー!」
「じゃあ、これにしよっか。なんだかグレードダウンしちゃって、ごめんね」
「いいって、いいって」
苦笑するナエに、イッキは調子よく返事をした。
ナエはソファーに座り込むイッキに、冷凍庫から出してきた棒アイスを1本差し渡す。
「ほんとに、こんなのでもいいの?」
「平気だって。俺は、ナエさんとおやつが食べられれば、それでいいから」
イッキは、いつもの浮ついた調子の声で言ってみせた。
「あら、嬉しい」
ナエもそれに応え、曇りのない笑顔を浮かべた。
ナエはソファーに並んで座り、かき氷の代替である棒アイスを食べながら
しばらくイッキとの会話に花を咲かせていた。
「でも、なんだかんだいっても、メタビーくんはイッキくんの親友よね。」
「そりゃーもちろん。俺とメタビーは、メダロッチがなくったって闘えるくらいだから」
ついばむようにアイスを食べながら、イッキは応えた。
ロボロボ団との戦い、全国の強豪たちとの戦い、そして世界大会での大激闘。
思い返せばどの戦いの中でも常にイッキとメタビーは、
決して他人には理解できないような境地の中にある絆で結ばれていたように思える。
いや、そうでなければ決して、これまでの彼の戦歴は彼のような若年では達成できない偉業でもあった。
「昔ね、イッキくんとそっくりな人がいたの」
「へえ、俺と?」
「そう。イッキくんみたいにいつも自信に満ち溢れてた人じゃなかったけれど。
でも、イッキくんと同じように、とっても強かった。」
感慨深げな口調で言い、ナエは優しくイッキを見つめた。
「イッキくんと同じように、どんなに苦しい戦いでも、ぜったいに諦めない人だった。」
「ふーん………。その人って、今もメダロッターなの?」
棒にこびりついたアイスを舐め取りながら聞いた。
「たぶん、そうだと思う。この町にも、ちょっと前まで住んでたって聞いたけど」
「そうなの?!でも、全然聞いたことはないなあ…。
あれ、そういえば、ナエさんって引っ越して来た、って言ってたよね?」
「うん、そう。前に住んでたところは、大きくて、とっても華やかな街だったかな。」
「なんでさ、そんないいとこに住んでたのに、わざわざギンジョウ町に来たの?」
イッキは、手元に残った薄い木の棒を振りながら聞いた。
「なんでかなあ。別に、前の街が嫌いだったわけじゃないのよ。
でもね、今みたいに毎日が充実してるわけじゃなかった。
時間に振り回されて、ときどき回りに振り回されて。
くたくたに疲れて帰ったら、また明日も同じことを繰り返さなきゃいけない。
なんか、そんな風に考えたら、ばかばかしくなっちゃって」
ナエの口からそんな言葉が出たことに、少なからずイッキは驚いた。
イッキはナエのことw、いつでも笑顔を浮かべていて、
明るくて、絶対に後ろ向きな言葉は口に出さない人だと思っていたからだ。
「うーん……」
ナエの告白にイッキは戸惑いを隠し切れず、
ただ唸るような言葉を返すことしか出来なかった。
「あ、ごめんね、なんだか暗い話になっちゃって」
「いや、俺はぜんぜん平気なんだけどさ」
「私ね、あんまり、自分のことを話すのって好きじゃないの。
でも、なんだかこの町に来て、少しずつ変わってるような気がする」
「いいことだと思うよ、俺は。たまにはそういうのも悪くないって!」
軽妙な笑顔を浮かべながら、イッキは毎度の調子で言い切ってみせた。
「そうかもね。…ふふ、なんか、イッキくんに助けられちゃった感じ」
「こんなことでよければ、いつでも俺に話してよ。ナエさんの頼みとあらばなんでも聞くよ、俺は」
「相変わらずね、イッキくんは。」
あえて調子に乗ったような振る舞いをするイッキを見て、ナエはいつもの笑顔を取り戻した。