不意に、アリカの膝がイッキの下腹部のあたりに擦れた。
シュル、という衣擦れの音がした時、イッキは下半身を襲う一瞬の感覚にびくっと体を震えさせた。
言わずもがなであるが
好意を持った女性をその腕に抱いて自らの屹立に何の反応も起こさない男性はまずいない。
小学生とは言えど、イッキもまたご多分に漏れず、既に先程から自身を脊髄反射の赴くままにしていた。
また、胸元から足のあたりまでに感じるぼんやりとしたアリカの体温の所為か、イッキの体は平熱よりも若干火照っている。
不意の出来事とはいえど、布擦れによって一瞬性的な快感を味わったイッキは、
目の前の幼馴染に対して俄然劣情が湧き上がって来るのを感じた。
だが、どうすれば良いかが分からぬ彼には、ただその腕に力を込めることしか出来ない。
そのもどかしさは、確かに湧き上がってくる劣情を余計に煽る。
「……ちょっと、寒いわね。」
そう言いながら、アリカがいっそう体を寄せる。
「………」
イッキは、身を寄せてきたアリカを、無言で抱きしめる。
葛藤。
このままなし崩しに事を運んでしまおうか。
しかしどうすればいいのだろうか。
具体的にどうすれば良いかなど知らない。いや勿論、理屈として分からないことはない。
分からないことはないが、そんなことを無理矢理やってもいいものだろうか。
勿論したい。でも拒まれたらどうするか。
少しの蛮勇が、彼の心の中の劣情を煽る度、
彼が想像の中でアリカを押さえつける度、見たこともない筈の彼女の泣き顔が鮮明にちらつく。
そしてその度、彼は再び元の葛藤の渦の中へ戻ってゆく。有体に言えば堂々巡り。
腕の中に抱いたアリカの温もりだけでも、満足出来ないことはなかった。
しかし、性欲の高揚ゆえに感じる、独特の鬱憤にも似た感覚がどうしても退いていかないのだ。
「……ね、イッキ」
イッキが思案を巡らせていると、唐突にアリカが動き出した。
抱き枕のようにイッキの胴体に手を回したかと思えば、そのまま腕立て伏せをするような体制になって
ふっとイッキの上に覆いかぶさる格好になる。
「ア、アリカ?」
イッキは今頃になって、つい先ほどのやり取りを反芻していた。
『………ちゃんと、最後まで…………わかってる?』
『………うん。』
―最後まで。わかってる?
―うん。
――“うん。”
今更に悩む必要など無かったことに気づき、
イッキが自己完結に頷こうとした時、下半身に電撃的な感覚が走った。
「っくぅ?!」
「うわ…すっごい、こんなになるんだ」
イッキは脈絡もなくやってきたえも知れぬ感触に顔をゆがめながら、
自分の下半身を確認する。最も確認するまでも無いとは分かっていたのだが。
確かに、アリカの手が自分の股間に触れていた。
とりあえず触ってみたという感じに、親指以外の四本を添えるようにしていた。
「ね、ねえ、なんでこれ、かたいの?」
その硬直を確かめるように、指先でアリカは二、三回そこを押した。
「うぁっ!あ、アリカ、ちょっと…」
触れられたのは特に敏感な部分ではなかったが、
それを加味しても、幼馴染にその部分を触られるというのは、彼にとってそれだけで未曾有の快感に等しかった。
「え!?な、何?い…痛かった?」
好奇心に満ち溢れていた表情を一変させ、急に曇らせる。
「ち、違うんだけどさ……いきなり触られたから、なんか…よくわかんないんだけど」
「………気持ち良かった、…とか?」
「え………そ、そんな感じ…かな。」
「…じゃあさ、……ココとかは?」
「っく!あ、あり、っか、うぁうっ、っふ、あっ」
先走るものが出て、既に十二分に敏感になっていたものを、アリカがズボンの上からほぐす様にして揉む。
指のリズムに合わせて押し寄せる快楽に、イッキは言葉にもならない喘ぎ声を漏らす。
「…そ、そんなに、イイもんなの…?」
イッキがあまりにも抑揚の無い声を漏らすので、アリカはふと冷静になってそう訊いた。
「っ、はぁ………、…なんか、…ガマンできない感じになるんだ」
「それって……つまりは、気持ち良いってことよね?」
「ま、まあ…………うん。」
人間の真性における攻撃的気性―主に性的な意味に於いて―というのは、
もちろん性的な意味に限らなくてもおしなべてそうであるものだが、
多くは相手方の立場が自分よりも下である場合に発揮されるものだ。
このケース―天領イッキと甘酒アリカの情事―においても、その法則は十分に発現されていた。
「ねえ、ほら、いいんでしょ?」
「っふ、うあぅっ、ぁっ、あっ、いっ…ひっ」
それは丁度、母親が年端のいかぬ子供を寝かしつけるような体勢。
イッキはベッドの上に仰向けになり、アリカはその横で半身を起こしたまま添う様にしている。
薄い桃色のTシャツから伸びた白く華奢な腕は、イッキのハーフパンツの中へ入れ込まれ、
その生地越しに彼女が器用に手先を動かしているのが分かる。
「…やだあ……ヘンな音してるよ、イッキ…」
「っぁ、ア、アリカ……っくうっ!」
時には荒く、そして時には細やかにイッキの陽根を弄り回す。
包皮ごしに中の敏感な粘膜を擦り、時に指先で鈴口を撫でるように。
「…ね、そろそろ限界?」
子供独特の意地の悪さのある笑顔で、アリカはそう訊いた。
「…っ、はっ、………アリカ…」
イッキはその問いに答えず、手のひらで両目を覆い隠したまま、ただ一言だけ、彼女の名前を呼んだ。
アリカは、まともな答えこそ期待していなかったが、その反応に少しだけ気を悪くした。
何か「してやろうか」と少し意地の悪い考えも一瞬頭を過ぎったが、
目の前でただ息を荒げ、ひたすら快感に溺れているイッキの姿は、どうしてなかなか庇護欲をそそられるものだった。
だから彼女は、一言だけ呟いた。
「……エッチぃ。」
そうして、間髪も入れずにイッキの唇を自分のそれと重ね合わせ、
彼女の手の中で脈打つイッキ自身を、自分が精一杯、彼に快感を与えられると想像する手の動きで刺激する。
上では二人の唇から溢れる唾液がくちゅりくちゅりと淫猥に音を立て、
下ではイッキの男根から先走ったものが同じような音を立てる。
間近で感じる幼馴染―あるいはこれからそれ以上の関係になるべき相手―の体温、息遣い。
細くふわりとした睫毛、間近で見てもまるで劣らない少女の肌、頬にこそばゆく当たる柔らかい香りのする髪の毛。
イッキは、ずっと思い慕い続けてきたアリカという少女をその身いっぱいに感じ―やがて、電撃的に上りくる放精感に身を委ねた。
(………なによ…。言いたいことがあるなら、ハッキリ最後まで言いなさいよ。)
アリカは、不満げな表情をそのままに、少し乱暴にその場から立ち上がった。
「…ど、どうしたの?」
イッキはおそるおそるといった口調で尋ねる。
「……トイレ。」
不機嫌さを何ら隠さない口調だった。
イッキは、アリカが少なからず腹を立てていることを確信した。
日頃から、イッキはアリカには常に頭が上がらない。
でも、それは普段からの関係とアリカ生来の勝気な性格によるもので、
それ自身が別段アリカとの間柄の良し悪しに関係しているものではない。
だけど、長年一緒にいれば、何度かはお互いに気まずい空気になる時はある。
そういう時は、いつもは捲くし立てるアリカが決まって無口になるのだ。
イッキは何か言い繕おうと必死に言葉を探したが、何も言えぬまま
アリカはズカズカと歩いてドアも閉めずに部屋を出てしまった。
(…まずい。どうしよう………)
長年の付き合いの中でも、ニ、三度あったかないかの、
彼にとってみれば世紀末的な事態が、今目の前に生じている。
心当たりは、あった。
ただ、今回の場合はそうおいそれと出来るような事ではなかった。
言いかけた言葉の先を続けるには、今の彼にはあまりにも勇気が足りなかったから。
今や眼前の問題集などには目もくれず、
イッキの頭の中では禅問答よろしくひたすら同じ言葉が反芻されていた。
「(どうしようどうしようどうしよう…)」
そもそも何をどうすればいいのかさえ彼には不鮮明だった。
いや、考えてみれば彼に何をどうするべくもない。そもそも落ち度などないのだから。
全ては、アリカの子供じみた、しかし年齢相応の「わがまま」によるものなのだが、
今のイッキがそれを悟るにはあまりにも光明が足りない。
「(やっぱり言った方がいい…のかな……ていうか、そんな勇気ないし…
それにもし言ったとして、アリカがOKしてくれる保証なんてないし……)」
彼が心中でそう吐いたセリフは、ともすれば滑稽なものだった。
可能性などとうの昔にかなぐり捨て、パーセンテージなど不要の戦法によって
いくつもの激戦をくぐって来た、仮にも日本代表だったメダロッターが。
「保証がない」という理由で、ある種本能的な感情を押さえ込もうとしているのだから。
しかし、それもまた、逆にいえば。
「失敗したくない」とそれほどに強く思わせる、彼の好意の賜物なのかも知れない。
「(……アリカは………どうなんだろ…)」
イッキがそうして思案を巡らせている頃、同じように、アリカもまた葛藤の最中にあった。
「………はぁ。」
足す用もなく、アリカはぺたりと便器に座り込んだ。
「どーしてこう……なんだろ、アタシは…。」
内罰的な言葉とは裏腹に、アリカの心中は後悔と同時に期待にも沸いていた。
あの時、あの場面で。
もう少し、もう少しだけ。
「女の子らしく」振舞えていれば。
そうすれば、そうすればきっと―。
「「……なに考えてんだろ。」」
ただ一言が言えぬ二人は、未だ踏み出す勇気を持たなかった。
アリカがトイレから戻って来てから既に一時間近くが立ったが、
どちらからともなくお互いを避けているような雰囲気が部屋の中に立ち込めていた。
イッキはアリカに対する思いと、そして彼女の機嫌を伺うように
横目で時たま彼女を見やるだけで、決して話し掛けようとはしない。
とっくに終わっている筈の問題集をまた最初からやり直し、ひたすら時間を潰していた。
アリカはアリカで、そんなイッキの様子にどことなく気づいており、
未だにハッキリとした態度を見せない彼に苛つく節もあったが、
それはもちろん彼女も同じ話である。
恋愛において、「果報は寝て待て」の戦術ほど無意味なものはない。
この2人は、たとえ心中はそうでなくとも、結果的にはその戦術を地で行っている外にないのだ。
時計の針が、文字通り刻々と時間を刻む。
外も緩くではあるが、段々と西日が弱くなり始めており、
既に西の空に夜の帳が近づいていることを示していた。
イッキは、二周目の問題を解きながらも、決してその心中は穏やかではなく、
むしろ若干の焦りさえ感じ始めていた。
今、ここを逃したら、きっと、二度と言う事が出来ないような、そんな根拠のない焦りに駆られていた。
思えば、物心ついた頃からアリカとは一緒にいたが、果たしてその生活の中で、
自分がどれだけ彼女に「男の子」らしさを見せられただろうか。
確かに、メタビーがイッキの元に来てから、多少なりとも「らしさ」はあったかも知れない。
でもそれは、メタビーがそばにいて、一緒に戦えたから見せられた強さであって、
決してイッキ本来の強さと呼べるものではない。
メタビーが来る前の、更に長い時間の中で、イッキ自身は、
アリカの前でどれほど恥ずかしくない自分でいることが出来ただろうか。
アリカに対して、「男の子」で居られたのだろうか。
そう考えてみると、イッキは、自分がまるでロクでもない男子のように覚えてしまった。
ケンカも出来ない、度胸も人並みに届かない、運動が得意なわけでもない、
かといって勉強が出来るわけでもない……改めて頭の中で反芻してみると、
それは本当にロクでもないものだった。
しかし、人の気持ちが昂ぶるのは、何も順境だけの話ではない。
むしろ、逆境だからこそ、という話もある。
(だったら――)
(だったら、今しかない)
「アリカ」
先に沈黙を破ったのは、イッキだった。
「…なに?」
アリカは、できる限り平静を装って応えた。
「えっとさ……ちょっと聞いて欲しいことがあるんだけど」
「なによ。…もうそろそろ帰る時間だから、早めに済ませてよ?」
こんな時まで毒を吐いてしまう自分の素直ではないところを若干疎ましく思いつつも、
アリカは期待とも言える気持ちの昂ぶりを胸に秘め、言葉とは裏腹な心中でいた。
「そのさ…何かさ、考えてみたら、ずっと僕たちって一緒にいたじゃん」
「……そうかもね。まあ、家も近いから。幼なじみだしね。」
「うん…なんだけどさ。その…僕はずっとこのままっていうのはイヤなんだ。」
「…なにそれ。どういう意味?」
「だから、その………ず、ずっとアリカと気持ちの…その…」
「……」
「えっと……」
イッキのどもる様子に怒るわけでもなく、アリカはただ、じっとイッキの話に聞き入っていた。
「………ずっとアリカと一緒がいいっていうか……だからつまり…」
「だから、つまり?」
「あ、アリカのことが好きなんだ!!」
最後は、せきを切ったように、一番言いたかったことが口をついて出ていた。
イッキは、半ば肩で息を切るように、やや荒げな呼吸だった。
緊張と、またそれから開放された安堵感とで、額にも薄く汗を浮かべながら。
アリカは、イッキの一世一代とも言える告白を聞いて、薄く眉を動かした。
そして、すっと立ち上がる。
そのまま、イッキの元まで歩き、目線を合わせるようしてしゃがむ。
そして、一言。
「ありがと」
それを言い終わるか言い終わらないかの内に、
アリカの細い腕がイッキの首筋に回された。
そしてそのまま、自分の体を密着させるように、イッキに抱き着く。
イッキは、何をどうしていいかわからず、ただ顔を上気させるだけだった。
「…………!!」
「……ありがと…イッキ。」
「……あ、いや………ど、どういたしまし、て……」
「……それと…ごめんね」
「え?」
「………たぶん、さっきからずっと言おうとしてたでしょ?」
「あ……うん…」
「だよね……ほんとはね、ずっと分かってたんだけど…」
「……」
「でもなんか…勇気出なくて、ずっとイッキが言ってくれるのを待ってた」
「…そう…なんだ……」
「…………」
イッキは、いつもとはまるで違うアリカの様子に戸惑いを覚えながらも、
段々と自分の体と密着している彼女の体温にも気が回るようになり、
少しずつではあるが興奮に似た感情が込み上げて来ていた。
「……えっと…それでさ……」
「…ん?…なに?」
「その………返事は……」
「…言うまでもないでしょ」
「あ…、だ、だよね」
「…ま……よく出来ました、ってカンジ?」
アリカは少しいつもの調子に戻り、強気な口調でそう言った。
「なんだよ、それ」
イッキもそれに苦笑ぎみに答え、一瞬ではあるが、「いつもの2人」に戻ったようだった。
しかし、それもつかの間で、イッキはまたすぐに現実に引き戻される。
自分の首のあたり、特に肩に感じる心地よい重み。
シャツ一枚越しには幼なじみの体がくっついていて、
しかも両手は自分の首筋に回されている、という現実。
アリカの、眠くなるような暖かさの体温を感じながら、
イッキは恐る恐る、ゆっくりと自分の手をアリカの背に回してみた。
触れることもなんとなく億劫になる幼なじみの体。
イッキがそっと手を回すと、心なしかアリカが、甘えるように少し体をずらした。
片方の手は肩に触れ、もう片方の手は背中に。
改めてそうしてみると、自分が今抱きしめている温もり、感触、
全てを自分の物にしてしまいたいような、そんな気持ちになった。
「…ねえ、ずっとこうしてるの?」
「ぇ、え? あ、いや、ごめん、苦しいよね」
「苦しいとかじゃないけどさ…ずっと同じ体勢だと疲れるでしょ」
「……確かに、そうかも」
「ちょっと、腕放してみてくれる?」
言われるがまま、イッキはアリカを抱きしめていた腕を解く。
すると、アリカはくるりと体を回し、イッキに対して、丁度椅子にもたれかかるような姿勢になった。
「こっちのほうが、イッキも楽なんじゃない?」
「あ………う、うん。」
確かに、体勢としてはその方が遥かに楽であることは確かだ。
しかし、手を回す方向が体の前面になったせいで、イッキは腕のやり所に困るようになった。
実際こうして体を預けられている状況とはいえ、
下手なところを触ればそれはあまりにも露骨な話になってしまう。
特に性モラルというものを教え込まれていない年齢ではあったが、
なんとなくそういうものが「いけないこと」であることは知っていた。
結局、イッキはアリカの胸の下、丁度お腹の真ん中あたりで手を組むようにした。
一方でアリカは、そんなイッキの苦労など知る由もなく、無邪気に頭をもたげてくる。
ここ暫くの懸念だった、イッキとカリンとの間柄についての悩みも晴れたせいか、
普段学校でイッキを引っ張り、姉御肌を見せている時とは少し雰囲気も違う。
「イッキってさ、結構間近で見るとかわいい顔してるよね」
「か、かわいい?」
「そ。なんかさ、やることやれば女の子でも通じるんじゃないの?」
「僕にそういう趣味はないって」
「分かってるわよ。たとえ話よ、たとえ話」
「アリカの場合、本気でやりかねないよ…」
「あはは、冗談だって。心配しなくても大丈夫よ」
そう言って、アリカは満足げに笑った。
時折、首を横に向けて、イッキの胸に頬を寄せる。
そんな仕草が、イッキにとってはたまらなく扇情的だった。
いや、今の状況では、例えどんなに些細な仕草であっても、
それ自体がアリカという「女の子」を表象するものに摩り替わってしまうだろう。