「…げふう。」
イッキは、深く椅子に腰掛けながら、
傍目から見ても満腹であることが分かるほどに張った腹をさすり、臆面もなくげっぷをしてみせた。
「…下品ねー。ちょっとは場を考えなさいよ。」
アリカは訝しげな表情をしてイッキをたしなめた。
「ふふ。満足してもらえたようで何よりだよ。」
ユウキは手を組んだまま微笑を浮かべた。
「満腹ですー…」
「…はぁー。もう、少しはこっちの身にもなりなさいって…」
そうぼやきながら、アリカはイッキの頭を小突いた。
「アリカ、もっと食べたらよかったのに…あ、まさかダイエット中とか?」
アリカは、思いっきりイッキの頭をはたいた。
「いたっ!なにすんだよ!」
「普通そーゆーこと女の子に向かって言う?!」
アリカがいつもの剣幕で怒鳴る。
二人は周囲の目など気にせず、席を立ち上がり、いつものようにじゃれ合い始めた。
それを見て、ユウキが軽快に笑い出す。
「あっはっは! いやいや、君たちは本当に見ていて飽きないね。」
必死に笑いを堪えようとしていたが、その表情は完全に緩みきっていた。
「ユウキさんも一発言ってやってくださいよー、この鈍感バカに!」
「ど、鈍感バカってなんだよ!」
「あーら、鈍感ともだちバカの方が良かったー?」
まるで山の手の貴婦人のような口調で、いやらしくアリカは言う。
「くううう…!」
イッキは悔しそうに拳を握り締めてアリカをにらむが、
涼しそうな顔で受け流されるだけだった。
一方のユウキは、そんなやり取りについに堪えきれなくなったのか、隠すそぶりもなく笑っていた。
「ははは……パディにも見せてやりたいよ、本当に。」
そう言って、ユウキは腕時計を一瞥する。
「…しまった!今日は総会か……!」
「時間?」
イッキがすっとんきょうな声で訊いた。
「そう。株主総会に……と言ってもわからないか。」
「か、カブ?」
「そう、株さ。それを所有してる人たちとの……まあ、意見交換会みたいなものかな?」
ユウキは珍しく曖昧な笑顔を浮かべた。
「へえ……八百屋さんとかですか?」
「…うん?」
「…バカ。」
全く話の腰を掴んでいないイッキに、アリカは深いため息混じりに言った。
「…………?」
いまだ表情からクエスチョンの抜けきらないイッキを見て、
ユウキはまた口元を緩めた。
「…もう。ほら、とっとと行くわよ、イッキ。ユウキさんだって忙しいんだから。」
「すまないね、見学のほうも案内できればよかったんだけど。」
ユウキはバツが悪そうに微笑んだ。
「いやぁ…そんな。」
「いえ、いいんです。昼食をごちそうしてもらえただけで、もう充分過ぎるくらいでしたから。」
お茶を濁すような礼を言うイッキに代わり、アリカが凛とした感じで謝辞を述べる。
ユウキは思いのほかにしっかりと礼を言われてしまったので、その様子に感心したような表情を浮かべた。
「そうかい? 」
*
「じゃあ、僕はここで。メダロット社の中には他にも色々と見れるものもあるから、楽しんでいくといいよ。」
そう言い残して、ユウキはエレベーターへ乗り込んでいった。ドアが閉まるまで、手を振りながら。
「行っちゃったねー」
イッキは少し残念そうに言った。
「副社長だからねー。…いくらヒマだっていっても、やっぱり色々あるんでしょ。」
「うーん……」
渋面を浮かべるイッキを見てアリカは、しょうがないヤツ、という風に苦笑した。
「どーするイッキ? 他にも見ていく?」
「あー…、なんか疲れちゃったよ。」
イッキはけだるそうな表情を浮かべ、肩を落とす。
「体力ないわねえ、男のくせに。……って言いたいところだけど、私もちょっと疲れたかな…」
「…じゃ、帰る?」
「そうしよっか。あ、そうそう。帰ったらアリカ新聞書くからそのつもりでね。」
「うぇー」
あからさまに嫌そうな表情を浮かべるイッキを無視し、アリカはすたすたと歩いていった。
駅から家まで続く川べりの道を、小さい影が二つ、仲良く並びながら帰る。
「…」
「……」
いつもなら、性差など微塵も感じさせないような雰囲気で会話に華が咲く彼らだったが、
さすがに人ごみにもまれて何十分も電車の中で立ちっ放し、というのは少々きつかったらしく、
互いに無表情で黙りこくったまま、ただ淡々と歩き続けていた。
そんな様子のまま歩き続けているうちに、二人はようやくそれぞれの家の前まで到着した。
元々家が隣同士なので、基本的に帰りはギリギリまで一緒だ。
じゃあまたね、と言ってそそくさと家の中に入ろうとするイッキの肩を掴み、アリカは低めの声で言った。
「アリカ新聞書くから、座布団とお茶とお菓子を用意しておいてね。」
「…………はい。」
「じゃ、よろしくー!」
それだけ伝えると、アリカは脱兎のごとき勢いで家の中へ入っていった。
凄まじい勢いで閉められた隣家のドアを前に、イッキはがっくりとうな垂れた。
(……元気だなあ…。)
だが、何ゆえか。
イッキの口元は緩んでいた。
※場面変更:キララ
それは、彼女にとって分水嶺というところだったのかもしれない。
昼間、メダロット本社のカフェでナエに言われた言葉の数々は、
冷静になって考えてみると、よく言えたものだと深々と感心してしまうものばかりだった。
ナエの浮かべた、緩みのない、凛とした大人の表情。
自虐でもなければ自嘲でもなかった。
しかし余計な気遣いなど一切なかった。
過大でもなければ過小でもない。
ひとりの、一個の等身大の人間として話した。そういう感じを彼女は受けていた。
自分がアルバイトをしている部署に戻っても、彼女はぼうっとした気持ちのままだった。
友人の前で涙を流してしまったことと、自分の本当の気持ちを看破されてしまったこと、
そして彼女の想いを知ってしまったことなど、あの短時間の間に起きた出来事を、まだ整理できていないのだ。
彼女が考えあぐね、思いつめた結果、それはある一つに回帰した。
…ヒカル。
ヒカルに会おう。
そこには理論的な思考なんて、一切存在しなかった。
ただ、会わなければならないという、どこから来るのかもわからない
漠然とした使命感に駆られたのだった。
そう発起してからのキララの行動力は、見上げたものだった。
口からすらすらと適当な言い訳を並べ立て、
それに大げさに相槌を打って感嘆を示す上司をやり過ごし、
ロッカールームで私服に着替えたのち、足早に職場を後にする。
社員の行きかう廊下を急ぎ足で駆けてゆき、正面ロビーの休憩席に座り込む。
当のヒカルの場所はわからなかったが、それはたいした問題ではなかった。
高校生ともなればもう携帯電話は必携、更に番号もアドレスも知っていれば、どこにいるかなどまるで関係がないからだ。
…しかし、それほどまでに素晴らしい行動力を発揮してはみたものの、
いざ携帯の液晶画面に表示された「アガタ ヒカル」の名前をみると、どうしても煮え切らない彼女がいた。
通話ボタンを何度も何度も押しかけたが、どうしてもその踏ん切りをつけられない。
バイトを途中で抜け出すいいわけは、あれほどすらすらと考え付いたのに、
幼馴染のヒカルと会うためのいいわけは、これほど考え込んでも出てこないのか。
キララは、心底自分自身が腹立たしかった。
(ナエちゃんに言われて、涙を流して、やらなきゃと思って。
…結局直前になって、私は臆病風に吹かれている。
こんなところで足踏みをしていいわけない。大丈夫。やれる、私はやれるよ…)
そんな自分の意志を表すように、キララは大きく息を吸って深呼吸をする。
そして、「通話」と書かれたボタンを押そうというその時、あまりにも聞きなれた声が彼女の耳に入った。
「…キララ? こんなとこでなにやってんの?」
上目で見上げたその先には、ヒカルが立っていた。
「まだバイト中なの?」
ヒカルは、何食わぬ顔でキララの隣に座る。
「え、う、ううん。もう終ったよ。」
「ふうん。そっか。」
そう言って軽く頷き、腕時計をみやる。
「もう三時過ぎかあ」
視線を中に上げ、ヒカルは独り言のように言った。
「参ったよ…博士にこき使われっぱなしで。」
「…ひょっとして、朝からずっと?」
「まあね。お陰で昼飯も食べてないし…。」
苦笑いを浮かべながら、ヒカルは腹をさすった。
「…ふふ。」
「…何?どうしたの?」
突然微笑んだ幼馴染に、ヒカルは眉をしかめて訝しげな表情を浮かべる。
「なーんでもない。」
そう言って、キララは足を伸ばした。
伝えなければいけないと、力みすぎていたのかも知れない。
先ほどまでこの上なく張り詰めていた彼女の心の琴線は、
幼馴染のいつもと変わらない仕草や表情を見て、随分と緩んだようだった。
螺子を締めすぎれば螺子山が潰れて使い物にならなくなってしまうように、
人の気もまた、ただ引き締めればいいということではない。
彼女は心の底で、そんなことをうっすらと実感していた。
そして、だからこそ、彼女から言い出せたのかも知れない。
「…ね。」
キララは、ヒカルの顔を覗き込むように向き直る。
「…今度は何?」
先ほどと同じように、ヒカルは眉をしかめた。
「今日さ、ヒカルの部屋行ってもいいかな」
「…えぇ?」
「今なら夕飯もセット。更に特別にキララおねーさんが勉強もみてあげます。」
「ううん……………まあ、いいけど。」
渋々ながら、ヒカルは納得した様子。
というよりも、自炊がいまだにうまく出来ないヒカルにとっては、
誰かが料理を作ってくれるということはこの上ない魅力だった。
加えて、博士からの呼び出しが多いせいで最近はろくろく勉強も出来ていない。
それらを考えれば、ヒカルがそれを承諾するのは至極当然のことだった。
「じゃ、早速。」
そう言って、キララは立ち上がった。
「え、今から?!」
「夜遅く行けるわけないでしょ?ほら、さっさといくよ。」
ヒカルは困ったように顔をしかめたが、その表情はどこか嬉しそうだった。
*
久々に入った部屋のなかは、かなり雑然としていた。
さすがに異臭はしなかったが、衣服などはかなり散らばっている。
それでもある程度の規則性を持って置いているつもりらしく、
片付けようとするとヒカルが制することもあった。
「これ、どう見ても洗ってないわよね?」
ベッドの上に置かれたTシャツを拾い上げる。
「いや、洗ったよ。畳んでないだけで。」
いたって真面目な顔で主張するヒカルだったが、
キララが持つそれには洗濯後の清潔感が全くなかった。
ぐちゃぐちゃに丸めた紙のように折り目がびっしりとつき、
いたるところに毛玉が付着していて、更によく見ると色移りまでしている。
「…これ、他の何かと一緒に洗ったでしょ?」
「…うん。」
はあ、とため息をつき、キララは洗濯機のある脱衣場へ向かった。
「いい? こーいう白いのはね、色ものと一緒に洗っちゃいけないの。」
よれよれのTシャツをネットに詰め込みながら言った。
「はぁー…なるほどー…。」
「こんなに色移りしてよく大丈夫だったわねー?」
「だって、制服着てるからわかんないし。」
そうだった、とキララは思い出した。
ヒカルは、同年代のそれと比べても、服に関しては圧倒的に無頓着だ。
高校生といえば、もっともお洒落に対する感性が磨きこまれる時期だと思うが、
ヒカルに限っていうならそれはまったくの例外。
ニ、三日同じものを洗って着回すことはザラだ。
そもそも彼が持っている服の数自体も決して豊富ではないから、
必然的にそうなってしまうわけだが。
「…これでよし、と。」
バタン、と洗濯機の蓋を閉めた。
「あとは、そのままほっとけば大丈夫。」
「はー…凄いねえ。」
「少しは覚えなさいよねー。…よくもまあ、これまで生活できたわね。」
「だって」
ヒカルはそこで間を置いた。
「だって…何?」
「キララがほとんどやってくれたからさ。」
頬が、少し紅潮したような気がした。
*
ヒカルの住むマンションに限らず、日本の集合住宅というのは須らく手狭だ。
最低限の生活空間を、限られた敷地の中で間取りしなければいけないわけだから、
そうなるのは全く持って無理がないことだ。
ダイニングキッチンのすぐ横に、リビングがある。
部屋の広さそのものは目見当で六畳ほどに見えるが、
そこに三人がけのソファーと食事用の卓、テレビやMDコンポなどが置かれてしまえば、
自由に出来るスペースなどその半分もない事は明らかだった。
おまけに、所狭しに置かれたパーツや工具などの
メダロット関係の備品のせいで、その広さはいっそう縮まっている。
だからどうしても、彼らは隣り合って座るしかなかった。
「……」
「…」
テレビでは、かつて人気だったドラマの再放送をやっていた。
映画を元にリメイクされた純愛もので、丁度彼らが小学生だった頃にブレイクし、
シナリオの秀逸さと豪華な俳優陣が話題を呼んだものだった。
その頃は猫も杓子もそれを見ているほどの流行り具合だったので、
特にドラマに興味のない年代だった彼らの記憶の中にも、うっすらと断片的なシーンは残っていた。
「……」
「…」
テレビの中では、顔立ちの整った男女が二人、夕暮れの海岸を歩いていた。
悲恋を題材にしたような筋書きの中では、ありがちな光景だな、と彼らは思っていた。
「…………」
「……」
特別興味をひかれるようなシーンではないが、
彼らは何となくそれに見入っていた。
だが、やがてドラマは、
主役らしき男性が真剣な顔をして女性の両肩を掴み、
自らの想いの丈を打ち明けるというシーンに差し掛かっていた。
当時、色々と過激なシーンの描写で問題になったことをうっすらと覚えていたキララは、
その先の展開を考えるとどことなくぎこちない気分になってきていた。
ちらりと横目でヒカルをみやるが、
眠そうな顔をしてテーブルに頬杖をついたままで、特に意識はしていないようだった。
画面の中では、懸命に訴えかける男性、しかし何ゆえかの事情によりそれを拒む女性…と、
既に物語がクライマックスに近い様相を呈していた。
やがて訪れるであろうシーンを考えると、
キララは今すぐにでもテレビを消したい衝動に駆られた。
加えていうなら、まるでそのドラマに急かされているような気がしていたからだ。
カメラワークのせいか時おり、テレビの中の主人公と目が合う。
その度に、早くしろと促されているような気分になって、ひどく落ち着かなかった。
彼女はぶんぶんと首を横に振って、その非現実的な考えを心から追い出そうとする。
「…どうしたの?」
「え?」
彼女は、隣に幼馴染がいるという事実を失念していた。
突然首を横に振ったキララを前に、ヒカルは不思議そうな顔をしていた。
「…あ、その、肩こったなあ、って。」
急場の言い訳にしては悪くない出来だ、と彼女は思った。
それに、別に肩がこっているというのは嘘じゃない。
折からの休みで毎日アルバイトの日程を入れていたため、
デスクワークによる慢性的な肩こりになっていたのは事実だった。
「アルバイトで疲れてるんじゃない?」
「たぶんね。そうだと思う。」
とんとんと肩を叩きながら相槌を打つ。
「僕も最近目が疲れてるよ。」
「…目? 博士からの頼まれごと?」
「そう。データの打ち込みなんだけどね。経費削減、とか言って電気つけさせてくれないんだ。おまけに毎日来いって言うし…」
「博士らしいわねー」
渋面を浮かべるヒカルに、キララは苦笑した。
「おかげで、最近は殆どキララと会えなかったよ。」
「あはははー…………… へ?」
突然の言葉にヒカルの顔を見ると、
まるで先ほどのドラマの男優のような真剣さをたたえた表情をしていた。
*
「んっ、っと……………」
キララは、どう返していいか困惑していた。
「………」
ヒカルは、キララの出方をうかがうように、じっと顔を見つめていた。
「…さ、最近は確かに会ってなかったかな……うん。」
まずは、ヒカルの発言に他意があるのかどうかを確認したかった。
言葉以上の意味がそこにあるなら、…それを受け入れる。
もしもそうでないなら。……自分から踏み出そう。
キララがそう決意を固めた時、それは突然に訪れる。
彼女のすぐ隣から伸びた腕が、華奢な体に回された。
ドラマは、ちょうど男が相手役の女性を抱き寄せたところだった。
「や…」
ヒカルが背後からそっと抱きしめると、キララは小さく声を上げた。
そしてキララの首元まで顔を近づけ、くん、と鼻を鳴らした。
「…」
時折聞こえる溜息のような呼吸に、ヒカルの心臓はますますに高鳴っていく。
かすかに触れ合う頬から感じる体温は、彼が昔母親の腕の中で感じたものと少し似ているようだった。
「……ダメ、かな。」
少しの間続いた沈黙を破り、ヒカルが呟くように言った。
それを受けて、キララはほんの少しだが、確かに首を横に振った。
だがそれが精一杯だったらしく、頬をこれ以上にないくらい紅潮させたまま、押し黙ってしまう。
ヒカルはキララに拒絶の意思がないことを知って、抱きしめる腕に少し力を込めた。
その加減に気付いたのか、キララの体が、ぴくんと一瞬震えた。
「…僕は、……キララのことが好きだ。…キララは、…。」
ヒカルはそこで言葉を区切り、口を閉じた。
肯定の言葉をキララの口から言わせたいという、ほんの少しの意地悪に駆られていたのだ。
「……」
「………」
「……す、……好…き、だよ……。」
キララが呼吸と共に言葉を吐き出すような、小さな声で呟いた。
そして、自分を抱きしめるその腕にそっと手を触れる。
これまで、両親以外の誰にも抱かれたことのない幼馴染の体を
自分が抱いているという事実に、ヒカルは意識のどこかで、男性としての心理を刺激されていた。
そしてキララもまた、幼少より慕っていた異性が自分を抱きしめているという現実に、
女性としての満足感と、それ以上を求める本能的な欲求を刺激されていた。
だからそれは、どちらともなく、必然的に訪れることだった。
「……キララ。」
ヒカルは顔を前に出して、キララのすぐ横に寄せた。
いつの間にかキララは、ちょうどリクライニングのソファーのような形で、ヒカルに体を預けていた。
「…な、なに……ぃ、ひっ………」
ヒカルが、赤くなったキララの耳を一度はむと、
キララは声を押し殺すように、小さく声を上げた。
「ひ、…ひかる……」
まるで幼子が呼ぶような、たどたどしい口調。
吐息混じりに自分の名前を呼ばれ、
ヒカルは込みあがる劣情を抑えきれずにいた。
(いいかな……………いいよな………)
心の中で自分に言い聞かせると、
ヒカルは服の上からキララの乳房に軽く触れる。
丁度手のひらに収まるほどの大きさのそれを、
ゆっくりと包み込むように握る。
「っ!」
生まれて初めて体感するその感触に、キララは満足に声も上がらず喘いだ。
一度大きく息を吐くと全身がじわっと熱くなってゆき、
徐々に呼吸が早まっていく。
「…ひかる、……っか…る……」
キララは目をつぶったまま、荒く息をしながらヒカルの肩に顔をよせた。
自分の肩によりかかり、荒く呼吸を繰り返す幼馴染を前にして、最早ヒカルの理性は限界だった。
額に汗を浮かべ、目をつぶったまま自分によりかかるキララを、ヒカルは一旦自分の体から引き離す。
それに気付いて、キララがゆっくりと目を開ける。
焦点のぼやけたような視線で、キララはヒカルの顔を見つめた。
「……キララっ。」
そう一言、幼馴染の名前を呼ぶと、彼は唇を重ねた。
唇が触れ合う瞬間、ちゅぷっと唾液が混ざり合う音がした。
「ん……ふっ………」
ヒカルは赴くままに、舌を口内へと滑り込ませる。
にゅるにゅるとした内頬の感触を、舌でゆっくりと確かめる。
その淫猥な愛撫にキララは頬を更に紅く染め、眩しそうに目を細める。
まさに目と鼻の先にある幼馴染の顔。
お互いにとってこれまで経験したことのない、あまりにも近いその距離。
それがいっそう二人の気持ちを昂らせた。
呼吸が満足に出来ないことも、二人にとっては未知の快感となっていた。
時折接吻を止めて、荒く息継ぎをする。
しかしまたすぐに唇を重ね、お互いの唾液を流し込むように、深く唇を合わせる。
「くふっ……んぅ、……ぢゅる……」
ヒカルがねっとりと舌を絡ませると、
キララは背中を突っ張らせてびくんと反応した。
「ちゅく…ぢゅる、ぴちゃ……ふっ、ぅう……ぢゅ……」
二人の口内は、お互いの唾液でいっぱいだった。
ヒカルが少し唇を離した時に、
ヒカルに組み伏せられる形で横になったキララの口元から、すーっと唾液がこぼれた。
更にそのままゆっくりと唇を離していくと、ぬるっとした唾液が糸を引いて、キララの口元に垂れる。
「……ヒカル…」
消え入るような小さい声で、キララはその名を呼んだ。
まどろむような表情。
焦点の合わない瞳。
紅く染まった、柔らかそうな頬。
「キララ……、…か、」
「……か………?」
「かわいいよっ……!」
そう言って、ヒカルはキララをぎゅっと、胸に押し付けるように抱きしめる。
「…あ、………っ」
腕の中で漏らされた吐息に、ヒカルはいっそうの愛おしさを覚えた。
まるで自分のにおいを染み付けるかのように、
ヒカルは念入りにキララの口内を愛撫する。
唇の触れ合いから、舌の絡み合いへと。
歯の、つるりとした無機質な感触すら愛しい。
もどかしそうに開かれた彼女の手に、自分の手を重ねるようにして置く。
キララの口内を一通り味わい、唇を離すと、
形のいい唇が小刻みに震えていた。
その端から顎へと、唾液がつーっと伝わっていく。
相変わらず眩しそうに目を細めたままのキララの吐息が、鼻をくすぐる。
ヒカルは、そっとキララの頬を撫でる。
キララは潤んだ瞳でヒカルを見つめた。
それは、情交の前戯の最中にあって、
子供同士のじゃれ合いを思わせるような、純潔さを感じさせる光景だった。
「…ヒカル、……しよ?」
薄紅色の唇が小さく動いて、そう言った。
お互い、いざという時にやってくる気恥ずかしさからか、
背中を向け合って服を脱いでいた。
静かな部屋の中に、衣擦れの音だけが響く。
「…ヒカル? …終ったよ。」
既に服を脱ぎ終えていたヒカルは、ゆっくりと首を後ろに向けようとする。
が、その直後にキララに制止された。
「ま、待って!」
「…な、何?」
急に叫ばれて、ヒカルは何事かと焦りの色を浮かべた。
「その……カーテン、閉めよ?」
「…わ、わかった。」
ヒカルは、自分の前方にある窓へ近づき、カーテンを閉めていく。
陽は既に傾き始めていて、部屋の中の採光が徐々に奪われていく。
やがて、カーテンを閉めていく途中に、ヒカルは気付いた。
窓ガラスに、幼馴染の一糸まとわぬ後姿が映りこんでいることに。
既に事を目前に控えた今、そんなものに見惚れる意味がないことは彼もよく分かっていた。
だが、そんな理屈では説明できない感情が彼を支配し、
カーテンを閉める手を止め、ヒカルはしばしそれに見入ってしまった。
「…ヒカル?」
いつまでもカーテンを閉め終えないことを不審に思い、キララは声をかけた。
「…え! あ、ああ、ごめん。」
ヒカルは慌ててカーテンを閉める。
そして、ふーっと息を吐き、精神の落ち着きを取り戻そうとした。
「…閉めた?」
僅かな間の後、キララは確認の意味を込めて訊いた。
「…うん。」
「じゃあ、…いいよ。」
キララが言い終わるか言い終わらないかのうちに、ヒカルは後ろを振り向く。
「……あれ?」
ヒカルは、その光景に戸惑った。
キララは、ベッドに入り、薄いショーツにくるまっていた。
てっきり、直立のまま待っているのかと思っていたヒカルは、一瞬困惑した。
「…なに?どうしたの?」
「どうしたの、って…あれ?」
つい先ほど、窓ガラスにその肢体が映りこんでいた筈。
なのに、当の本人はベッドの上にいる。
不思議に思って辺りを見回すと、
壁にかけられたカレンダーが目に入った。
そしてそこには、スタイルのいい女性の水着姿が映った写真。
「……まさか。」
ヒカルの中で、自分の猜疑を打ち消すひとつの結論が出された。
「……どうしたの?なんか、さっきから変だよ。窓のほう向いたまま、立ち尽くしたり…」
「……ううん、なんでもない。」
ヒカルは、自分の度量の小ささに少し落胆した。
「…それより、その……とりあえず、入ったら…?」
キララは頬を染めて、呟くように言った。
「え?」
そういわれて、ヒカルは自分の体を見おろす。
すっかり、自分が全裸であるということを失念していた。
俯くキララを察し、足早にベッドへ駆けていく。
「…えっと、……お待たせ。」
少しでも気の利いた言葉を言おうとしてひねり出されたのが、それだった。
「…うん。」
キララは、おかしそうに笑いながら頷いた。
その笑顔と仕草に、ヒカルはくすぐったい気持ちを覚えた。
ゆっくりと、キララの肩に手を回す。
思ったよりもずっと熱く、そして柔らかいその感触に、ヒカルは感嘆の吐息を漏らす。
「その……」
「…何?」
「痛く、しないでね?」
上目遣いに、キララは言った。