「くっ……、うぅ……」
善吉が重い瞼をようやく上げたのはそれから3時間も後のことだった
外には夜とまでは言わずとも日が闇に霞んだ、夕暮れの極みとも呼べる光景が広がっている
(綺麗だなぁ……)
ぼんやりした頭に叩き込まれるように刻まれる風景に抱いた感想はそれだった
(でもそろそろ帰らないとまた母さんがうるさいな。 母さん……? 母さんって言えば何かあった気がしなくもないけど……、はて?)
寝ぼけ眼を擦ろうとして−−しかしそれはできなくて−−初めて善吉の脳は覚醒した
「……ッ!」
善吉はガタガタと歯の奥を震わせながら自分の右手に顔を向ける
案の定、その掌は螺子により壁に拘束されていた
右手だけではなく、左手も、脚も、腹にまで存在し、まるでこれから処刑される聖人のような姿勢で善吉は縛られていた
たった一滴の血も流さずに、ほんの少しの痛みも感じずに
このような芸当が出来る人間はこの世に何人も居て良いハズが無い
少なくとも自分をこのような状況に追い込む理由がある人間は1人しか居ないだろう
「く、球磨川ッ! 球磨川ァッ! ちくしょう、そもそも俺は何されたんだよ!」
「あっ、ダメだよ善吉くん。 暴れたら球磨川さんの螺子が取れちゃうじゃない」
背筋が凍るような声だった
そういえば、今善吉がこのような状況に陥った原因はこの声の持ち主だった気がする
「え……、江迎……」
「イヤだなぁ、善吉くんは。 私は怒江で良いって言ってるじゃない。 だって私達恋人同士なんだよ?」
冷や汗が止まらない
その少女は純真無垢な愛語っているだけなのに、吐き気を催してしまう
逃げたい、行き先が地の果てでも大気圏外良い、だからこの子の手の届かない場所まで逃げたい
「大丈夫だよ善吉くん。 私、分かってる。 だって恋人だもの。 善吉くんが何も言わなくても私、分かってるんだよ」
恋人、というキーワードが出た時点で既に彼女の頭の中では現実とは全く違う善吉像が組み上がっているのは間違いない
(ってか、何で俺は今球磨川に拘束されて江迎の求愛を受け手んだよ。 確か……)
善吉は錯乱した頭をフルで稼働し、過去を振り返る
危うく江迎に無理矢理手籠めにされかけ、そこに瞳が駆け付け……
そう、その後、背後から現れた球磨川に瞳は倒され、また善吉も敗れたのだ
そこで、記憶は途切れ現在にいたる
「ねぇ、善吉くん。 私、考えたの。 善吉くんが私を避ける理由は恥ずかしいからだよね? その顔は図星でしょ? 私、冴えてる」
いえ、部分点すら上げられない答えです
「別に責めてるんじゃないよ、私も恥ずかしいもん。 だからね。 普通ならこんなことをいきなりはしないけど私達、……、その……、子作りをすべきだと思うの」
「は、……はぁ?」
善吉は江迎の言葉に耳を疑った
「やっぱり驚くよね、無理は無いよ。 でもね、私達の愛の強さを考えたらそれだって不思議なことじゃないんだよ? だからね……、えっと……、しよ?」
恥じらいながらそう言葉を紡ぐ江迎
普通の女子にそんなことを言われたら思わずめだかの事が頭から離れてしまいそうなほどの破壊力を感じるだろうが、この言葉を紡いだのは江迎だ。 善吉にとっては死刑宣告以外何者でもない
江迎が身体を善吉の胸に預ける
柔らかい、しかし冷たい。 冷たい冷たい冷たい冷たい冷たい冷たい冷たい冷たい
身体の芯まで凍てつきそうな程冷たい
そのまま江迎は顎をくいっと上に上げ、上目遣いに真っ直ぐ善吉を見つめた
これはマズイ、間違いなくアレが来る
案の定、江迎は目を閉じた
不慣れなのか緊張しているのか、心なしか江迎の瞼は震えていた
その瞼を見たとき……、善吉のあまりよろしくない長所が疼いてしまった
善吉は名前に違わずお人よしである
例え敵でもそれは変わらない
そう、『過負荷』もまた然り
女子を−−例え『過負荷』でも、例えこんなに醜悪な存在でも−−善吉は震えさせるわけにはいかない
あろうことか善吉は迫る唇に自からその唇を重ねた
「……、んむぅっ!?」
善吉の行動に驚嘆を隠せない江迎わその目をカッと見開く
やがて、自分は受け入れられたのだとその目尻から涙を零した
あぁ、もっと欲しいと懇願したい衝動に駆られ、江迎はその手を善吉に伸ばしかけるがサッと手を引く
自分の能力に『無責任』ではあるが『無知』ではない
江迎はその衝動に任せれば自分の恋人がどうなるか知っていた
だが、その恋人は江迎の要求を感じ取っていた
答えよう……、でなければまたこの子は震えてしまう
善吉は自分の舌をそーっと重ねた唇に這わせた
びくびくっと身体を歓喜に打ち震わせ、江迎はその口を開いて舌を招き入れた……、否、引きずり込んだ
こうして入り込んだ獲物に自分の舌を絡ませる
じゅぷじゅぷと卑猥な水音が2人の間から絶え間無く聞こえる
ツッと、江迎の口の端から液体が漏れる
自分と愛する者の体液が混ざり合った液体、その液体が顎を通る干渉を感じながら江迎はその服に液体を染み込ませていった
「ぷはっ、はぁ、はぁ……」
善吉にとっては色々と込み上げてきそうになりながらも、耐え、応えてきたキス
江迎の唇から震えを感じなくなった善吉はその唇を離した
これで江迎が解放してくれるだろう
だが、善吉は『ヤンデレ』が何たるかをキチンと知らなかった
善吉にとって究極の地獄が足音を立てて近付いてきた……
「なぁ、江迎……、これ外し……」
「善吉くんが自分からキスしてくれた。 私と善吉くんの距離から考えてそれしかないわよね。
それに、し……、舌まで私と絡ませてくれた。 私の身体に体液が染み付くような激しいキスをしてくれた。
やっぱり私達運命で結ばれてるんだわ。 あんなに避けていた善吉くんがいざとなれば自分からキスしてくれたんだもの間違いないわ」
「えーっと、江迎?」
「あぁ、善吉くんが呼んでくれてる。 まだ名前じゃないけどきっと恥じらいが拭いきれていないのよ。
それでも私達は恋人同士なんだから、その証拠がさっきのキスなんだから。
大丈夫、もう何の一つの不安も無い。 このまま……、最後まで……」
江迎の想像は増幅し、善吉の知らない場所で既に暴走と呼べるレベルに達しつつある
「そうよ、私は、私達は……、善吉くん!」
江迎が善吉に振り返る、その顔は満面の笑みだった……
……、その部屋の扉の影からカメラが覗いていることに2人は気が付かない
「『やっぱり本屋に行かなくて良かった。 エロ本よりもよっぽど安上がりで激しいものが撮れそうだもの。 ……、あ! もしかして人吉先生はここまで見越して僕のデートを断ったんですか? 流石は僕の初恋の人だ♪』」
「ひゃ……、うぅ……、あぁん!」
片手でカメラを回しながら、片手で廊下の壁に張り付けられた42歳の少女の秘所を弄る少年、球磨川禊
「『ありがとう、人吉先生』」
その笑顔はとても『過負荷』とは思えないほど爽やかで潤いに満ちていたので、逆に気持ち悪かったと後に人吉瞳は語るのであった