日が暮れた帰り道、草むらでうごめく二つの影を見付けた。  
声にならない喘ぎが重なって、辺りには艶臭が漂っている。  
少し浅黒い体に覆いかぶさった白い体が、無我夢中で腰を振り続けている。  
下の者が身をよじると、上の者が低く唸りながら首元に噛み付きさらに力を込めて下腹を押し込める。  
 
悪趣味だな。と、思った。  
 
ここは禁足地から僅かに出ているとはいえ、すぐ横にお山への参道が見える。  
わざわざ人に見られるのが良いというプレイなのかはわからないが、どちらにせよ見せられた方は気分が悪い。  
 
「……きゅ…ぅ」  
割って入って蹴ってやろうと思ったが、小さく啼いた薄茶色の雌を見て足が止まった。  
 
抱え込まれたまま、くたりとその身を地面に落とし小刻みに震えている。  
しかしその顔は柔和で恍惚としていて、そして、とても幸せそうだった。  
 
「おや次郎坊、今お帰りで?」  
うっかり雌の表情に惹き込まれていると、先に声を掛けられてしまった。  
「………ああ。相変わらずだな、五郎坊。」  
最中の雄白ウサギに目を合わせずに返事をすると、その声に驚いたのか薄茶の雌がピヤッと逃げてしまった。  
「あっっ!!!ああああ〜………わしはまだじゃのに〜………」  
五郎坊は雌ウサギが走り去った方向に手を伸ばし、恨めしそうな声をあげる。  
「覗きとはいいご趣味ですなぁ。」  
「これは、覗きとは言わん。場所を選ばないお前が悪い。」  
変態に変態呼ばわりされるとは心外だ。憮然として抗議する。  
「ははは。秋姫様の体もずいぶんと成長なさいましたからなぁー。」  
「まて。おい五郎坊。なぜそこであいつの名前が出てくるのだ?」  
各上者の讒言にヘラリと笑っているのはいつもの事だが、その内容は聞き捨てならなかった。  
「いやだって、さっきまでわしは姫様に抱きしめられとったんですよ。ほれこう、ぎゅーと。」  
……それは知っている。  
今日は週一の修行の日で、現に今、秋姫を家まで送った帰りだったのだ。  
このウサギは昔からの秋姫のお気に入りで、お山に来ると必ず抱きしめられ撫で回されていた。  
 
「まあまだ貧乳のようですが、あれだけ瑞々しい香りと柔らかさに包まれてしもうたら嫌でも勃起してしま…」  
最後まで聞かずに、この性倒錯者をうっかり蹴り上げてしまった。  
「イテテテ、もう酷いですなぁ。」  
「そのような邪まな考えを持つから、お前は徳が薄いと言われるのだ。」  
ピシリと言ってやるが、五郎坊はやれやれと首をすくめただけだった。  
「お言葉ですが、発情するのは些かも悪いことではありませんよ。」  
ボヨウンと白煙が舞い、白ウサギは眼鏡男に変化した。  
「我らがウサギは人間同様発情期なんぞありません。子を成したいと思った時がこれ即ち発情期です。」  
「……しかしそれは我欲ではないのか?俺らは天狗にならねば…」  
「いえいえ。天狗でも発情しなくては子は残せない。現に秋姫様は誰のお子ですかな?」  
「!」  
脳裏に自分の父親代わりの御方が浮かび、五郎坊の台詞の意味に戸惑いが隠せなかった。  
「お、お前はなんてことを!」  
「自然の理ですよ。次郎坊も一度やっちゃえばわかると思うんですけどねぇー」  
悪びれる事もなく、五郎坊は竹の水筒を取り出しゴクゴクゴクと飲み始めた。  
「次郎坊もどうです?」  
目が泳いでいるであろう俺に向かって竹筒を差し出すと、ニコッと微笑んだ。  
妙に余裕のあるその顔に、俺は半ばヤケクソ気味に中身をあおった。  
空に低く浮かぶ満月が真っ赤に輝いて、やけに不気味に見えた。  
ゴクリと大量の液体が喉から落とされる。  
すると直後に腹の中から、燃えるような熱気がせり上がって来た。  
「………っなっ!!!」  
慌てて竹筒を放ったが、体中の血がドクドクと脈打って目が眩む。  
「あぁこりゃぁ地区長さんとこの新酒ですわ。蔵から頂戴したんで度数はテキーラ並みなんですが。」  
「………お前、先に言え…。」  
胸をかきむしりながら唸る。くそぅ、俺とした事が。  
「邪魔されたんじゃから、責任とってもらわんと、な。」  
 
は?  
 
眼鏡の奥からにっこり微笑むウサギ野郎が、今凄い事言いました?  
「待て。俺はお前の兄弟子だ。」  
「ですよねー。」  
「ですよねーじゃない。兄弟だ。しかも兄だ。」  
ふらつく身体を持ち直しながら、息絶え絶えに諭す。  
「わかっとりますよ。けどわしこういう事なら出来てしまうようになってしもうたんです。」  
 
「??!」  
 
戸惑う俺の前で、ポウンと再び白煙が舞った。  
そしてその煙の中でひょろりとした眼鏡男が、ちんまりとした眼鏡女に変化していた。  
「はい。おなごになりましたー!とゆーことでやっちゃいましょう、次郎坊。」  
次々と起こる異常事態に、思考がついていけない。  
その隙を突かれて、五郎坊は俺を組み敷くと迷わず口付けてきた。  
「!!」  
驚いて何をか言おうと口を開くと、舌がすべり込んできた。うあ、気持ちが悪い。  
自分の喉からも、繋がった五郎坊の舌からもアルコールの熱さが湧き上がる。  
苦しさに目を瞑ると、口内にうごめく柔らかいモノが殊更に生々しく感じる。  
睨み付けようとするが、眉間の感覚が麻痺したように力が入らない。  
首を振って拒もうとしても、両頬を挟まれて顔が動かない。  
その間にも口の中の異物は歯列をなぞり、ねっとりとゆっくりと思う存分楽しんでいるようだった。  
お互いの息が上がった頃、ようやく名残惜しそうに舌が引き抜かれた。  
「ええのう…。思っていた以上に好いカンジですわ。」  
「この…ド変態め………うわっ!!!」  
なんとか開けられた目をしばたかせながら、驚く。  
「眼鏡…!!やめろお前その眼鏡!!」  
「え?眼鏡っ子はお嫌いですか?」  
そうではないが、その眼鏡具合が松中さんにそっくりだったのだ。  
「ふむ。せっかくじゃから、次郎坊の好みに合わせますかの。髪は長い方が?」  
「………」  
急に大きな声を出したら、酔いが余計に回ってしまったらしい。目の焦点が合わなくなる。  
「前にお会いしたちひろ殿のようなストレートの黒髪も、ええもんですなぁ。」  
「……いや、俺は少しクセ毛の方がいい……」  
更にボウとしてしまった頭で、つい応えてしまう。  
五郎坊は俺の顔をじっと見て、ニコッと微笑んだ。  
ポウンと白煙が舞い、髪が背中の中ほどまでうねりながら伸びた。  
「そうですね…目はどんぐり眼で、眉は少し下がり気味の方が良いのでしょう。」  
ポウンポウンと顔のパーツがひとつずつ変わっていく。  
身体全体がグラグラする。腹の上にまたがる五郎坊も結構重い。  
「唇は……小さく薄く、桜色……ですかの?」  
ポウン。  
白煙でぼやける視界から、人の顔が近付いてくる。  
どうにか目を凝らすと、それは見知った顔になっていた。  
「瞬ちゃん。」  
「………その、呼び…方、や…め……」  
小さく呟き拒否するが、その顔が目に入ると力が抜ける。  
それどころか腕を伸ばし、細い肩ごと抱き寄せてしまっていた。  
 
小さい唇が頬にあたる。  
柔らかいな、と思っていたら、それは少し尖ってきてチュッと音を立てた。  
耳に、頬に、瞼に、口の端に、控えめな印を落としていく。  
吸い寄せられるように顔を傾けて、その唇を探し……覆った。  
その顔は変化したものだと頭ではわかっているのに、抗えない。  
……いや、違うな。なんか今は抗いたくない。  
 
俺は、頭がおかしくなってしまったんだろうか。  
このまま天狗道に堕ちてしまうんだろうか。  
 
先程のとは違う、一方的な、俺からの口付け。  
ただ、押し付けるように舌を突き入れ唇を頬張るように喰らいつく。  
うっすらと目を開けると、濡れた睫毛が揺れていた。  
頬が上気した女の顔にクラクラする。  
身体をかき抱き、身体を回転させて組み敷いた。  
目の前の丸い瞳がとろりと溶け、目尻に紅がさしている。  
なんだこの顔は…。  
顔の角度を変えて、さらに深く侵入し舌を絡めとった。  
こんな顔は見た事が無い。  
 
………当たり前だ。そりゃそうだ。  
今日の帰り道だって、しきりと『タケルくん』のメールばかりを気にしていた。  
何かあったら、すぐに俺に泣き付くくせに。  
何かあったら俺には泣きながら抱きついてくるくせに。  
 
粘着質に変わった唾液が糸を引く。口を離して首をかしげ、その顔をじっと眺める。  
何だ?これは……。訳がわからない。  
恥ずかしそうに、嬉しそうに、頬を染めて、その顔の女は俺を見あげている。  
 
『タケルくん』には糸くず一本とってもらっただけで、カレンダーに花丸をつけるくせに。  
俺との寝泊りの時は、『わざわざ別棟にしなくてもー』なんて事を平気で言いやがるくせに。  
 
訳がわからない愚痴が延々と頭を駆け巡る。  
その間にも目前の女はするりと衣服を脱ぎ捨てて、月明かりの下に惜しげもなく素肌を晒していた。  
俺の手をとって自身の胸にいざなうと、重ねた手をやわやわと動かした。  
直に触れている小さな胸のふくらみが、しっとりと俺の手のひらに馴染んでくる。  
指の間から覗く突起が、暗闇の中でも色づいてくるのが見てとれた。  
 
無意識に唇の先で摘むと、肩がピクンと跳ねて  
「ひゃうんっ!」  
と小さく息を吐いた。  
頬と耳とを真っ赤に染めて、そろそろと顔を上げる。  
「…しゅ……ちゃん……もっと……」  
俺の腕の中の女がほわんと呟く。  
 
俺にすがるように。  
俺の熱にあてられているように。  
 
俺は、…なぜか泣きそうになって、その細い首筋に噛み付いた。  
何だろう?胸が痛い。ギュウと心臓が締め付けられる。  
 
………ああ、そうか。これが切ないってヤツなんだろうな。  
 
首の横筋へと唇を落としながら、つらつらとそんな事を考えた。  
 
 
 
「………アイツはこんな事言わん。」  
「!」  
両腕に裸の女をすっぽりと収めたまま、その肩に首を預け、低く呟く。  
「五郎坊、……俺が怒らないうちに、やめとけ。」  
俺の声が暗く響く。腕の中のやわな背中がゾワと逆立ったのを感じた。  
「………」  
地面に仰向けに伏せていた体が一拍おいて、勢いよく起き上がる。  
代わりに再び俺が仰向けにひっくり返ってしまった。無様この上ない。  
「…そう……ですよねぇ。こんな事、言わんでしょうね………」  
思わせぶりに顎に手をかけ、瞳を伏せてニッと哂う。  
 
「あなたには。」  
 
その言葉に、ドンと大きく心臓が跳ねた。  
そんな俺の様子を観察しながら、面白そうにシャツのボタンをはずしてくる。  
「けれど、いつまでもあのままではいられますまい。」  
プチップチッと臍のあたりまで開くと、下着代わりのTシャツをめくりあげた。  
「なにしろ、つきあっとるんじゃからな……『タケルくん』と。」  
 
月が隠れる。目の前が急に暗くなった気がした。  
 
 
一気に視界が霞んでいく俺に構わず、跨った女は胸をさわさわと撫で回してくる。  
「いずれ肌も重ねるんじゃろうし。」  
ペタリと裸の体をくっつけてくる。耳元に口を寄せてささやき続ける。  
「好きな相手には、体も預けようし……受け入れるために、股も開じゃろう……」  
喉がヒリヒリする。息をするたびに乾いて血の味がするようだった。  
「まぐわって、喜ぶようになるのかもしれんな。……このように。」  
「!!」  
下腹部の中心がズンと圧迫される。  
起き上がれないので見えないが、ソコが生暖かい肉に包まれているようだった。  
女の腰が円を描くように動く。それに合わせて根元に血が充満していくのがわかる。  
上半身を離した女は、腕を突っ張って騎乗位になり、ゆるゆると上下運動をはじめた。  
俺…いつの間に脱がされていたんだろう……  
「……ん…!!んんっ……」  
自らの裂け目を片手で割って怒張したモノに差し入れ、根元までねじ込んだら、腰を上げる。  
グズグズ…とまた刺しては繋がった体をブルッと震えさせる。  
ありえない光景をボンヤリと眺めていた。ボンヤリと…でも確実に息が上がっていく。  
再び表れた赤い月がなだらかに輪郭を縁取っていき、女の表情を照らし出す。  
下唇を噛みながら、何かを堪えるように眉をしかめるその顔は、怖いくらい扇情的だった。  
「…お前…こんな…顔、するのか………」  
喉の熱さと目の霞みと頭の揺れと胸の痛みで、意識が遠のいていきそうだ。  
女はハアハアと熱い息を漏らしながら前髪を掻き分け、こちらを見て薄く笑った。  
「うん。……するよ……」  
赤い瞳で答えるのは、アイツの顔とアイツの声。  
体中がザワザワと総毛立つ。  
「お前………殺すぞ。」  
「物騒ですな。」  
会話とは裏腹に、お互いの振動は一段と激しくなっていく。  
じゅぷじゅぷとした淫猥な水音が耳をかすめ、更に興奮を掻き立てる。  
「ひゃあっ!……はうっ…ん…もっ、きて…んっ…タケ…」  
 
っぁああああああああああああああっっ!!!!!!  
 
心の中で思いっきり叫んだ気がした。  
起き上がってその名を呼ぶ口に噛み付いて、腰を突き上げた。  
自身をねじり込むように押し込んで、中を蹂躙した。  
俺でいっぱいになればいい。  
他のヤツが入り込む隙間もないくらい、俺でいっぱいいっぱいになればいい。  
逃げ出さないようにガシリと腰を掴み、柔い腹に汗を落としながら欲望に従った。  
 
 
 
何度も、何度も………気を失うまで。  
 
 
 
 
 
障子越しの朝日が眩しい。  
俺は自室のふとんの上に座っていた。  
チュンチュンとすずめの声も響いてくる。  
喉が、ひどく渇いていた。  
 
あれは………夢、な訳がない。  
 
ゆっくりと辺りを見渡して、のそりと起き上がる。  
手早く着替えて縁側に出ると、眷属達が庭を清めていた。  
「おはようございます。今日も早いですな。」  
「………ああ。俺も手伝おう。」  
「よろしいですよ。それより朝餉を…。」  
有無を言わせず、四郎坊の竹箒を取り庭を掃く。  
「ははん、さては罪滅ぼしのつもりですかな?」  
ぎくりとした。五郎坊がニヤつきながら、こちらを向かってくる。  
「昨夜は大変じゃったからなー。なぁ八郎坊。」  
……………八郎坊?なんのことだ?  
「次郎坊が新酒でひっくり返って、運ぶのが大変だったんですぞ。」  
俺の頭の中の話と辻褄が合わない。  
「ご、五郎坊、お前昨日……俺…」  
五郎坊はウサギらしく口ももにゅもにゅさせながら、  
「せっかくの酒を全部飲まれてしもうて、つまらんかったですよ。」  
「いや、そうではなくて……五郎坊、お前はおなごに変化……」  
「おなごに??わしがですか?」  
赤い目を丸くして、こちらを見る。  
「おなごに……そんなんできたら、ええじゃろうなぁ………」  
五郎坊は、無駄に頬を染めながら中空をうっとりと眺めた。  
「で、わしがなんです?」  
「………いや。なんでもない。すまん。」  
俺は顔の筋肉が動かせなかった。  
しかし、頭の中はハテナマークが凄い勢いで動き回っていた。  
 
 
 
いつも通りの月曜がはじまる。  
駅で秋姫に会うと、気が抜けるくらい普通に間抜け面だった。  
 
 
 
「修行が足りませんなぁ…次郎坊もわしも。」  
緑峰山の皆が乗った電車を見送る一匹のウサギが呟いたとか、呟かなかったとか。  
 
 
 
----------------- 終わり  
 
 

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