ある日、唐突にアニシナが言い出した。  
「わたくし、たまには情熱的なあなたが見てみたいです」  
アニシナがグウェンダルに唐突な無茶を言うのはいつものことだが、  
その内容はいつもよりさらに難題だった。  
「そんな暇があれば仕事をしている。  
というか、アニシナ。お前も手伝え!」  
目の前にうずたかく積まれた書類の山。  
全ては新前魔王と役立たず王佐の仕事のはずだ。  
『眉間の皺が怖い』だの『いやーん、だってフォンヴォルテール卿ったら  
仕事ばかりで構ってくれなさそう』というのが、  
城内の女性によるグウェンダル評らしい(次男調べ)。  
しかし、それもこれも、本来は魔王と王佐のせいではないのかと、  
グウェンダルはますます眉間の皺を深くした。  
ようやく一通の書類に目を通し終え、新たな書類を山から取ろうとし、  
その手をアニシナの小さな手で阻まれる。  
「アニシナ。話なら三百年後あたりに聞いてやる。  
手伝いをしないなら、せめて邪魔はするな」  
深いため息を吐きながら言ってみる。  
アニシナはこれでいてグウェンの生活を(良質なもにたあ確保のために)  
それなりに気遣っている。多分、今のように疲れた声を出せば  
手伝ってくれるだろう。そう考えたグウェンダルだった。  
が、アニシナは阻んだ手をそのままに、いつもどおり  
何か企んでいる微笑でグウェンダルを見つめた。  
「わたくしは、あなたが情熱的になったところを  
見たいと言っているのですよ」  
いつも青く輝いている瞳が、さらに美しく煌いている。  
この瞳を見るためなら、少々の無茶ぐらいは聞いてもいい。  
グウェンダルがいつもそう思ってしまう瞳だ。  
もちろん、その後死ぬほど後悔するのだが。  
「情熱的だと?」  
アニシナが仕事を阻むのをいいことに、  
グウェンダルはとうとう羽ペンを机に放り出す。  
本当はこんな仕事あきあきしていたのだ。  
少しぐらいアニシナの話に乗ってもいいだろう。  
「そう、情熱的です。わたくし、あなたが情熱的になったところを  
最近見ていないのです」  
書類を取ることを阻んでいたはずの手は、いつのまにか指を絡ませ合っている。  
グウェンダルはアニシナの小さな体をそっと自分の膝の上へ引っ張り上げた。  
 
「執務室で昼間からこのような体勢になるのは、情熱的とは言わんのか?」  
ゆっくりと柔らかな体を抱きしめても抵抗はない。  
むしろグウェンダルの疲れた体を包み込むように  
アニシナは体をグウェンダルへ預けてくる。  
「これは休憩であって、情熱とは言わないでしょう」  
なぜかいつもいい匂いがするアニシナの髪に、  
グウェンダルはそっと口付け、暫し熟考する。  
「思うのだがな、アニシナ。私が情熱的になったら困るのはお前だ」  
「まぁ。それはなぜですか?」  
「私が情熱に身を任せれば、きっと朝から夜どころか朝から次の朝まで  
お前を手放さん。お前が常に私を見るよう愛の言葉の限りを尽くし、  
お前の素晴らしさを一日中称え、執務中でもきっとお前がそばにいることを  
求めてしまうだろう。離れたくないのだ。  
だから、お前は好きな実験も出来ず、きっととても困るだろう。  
そして私は、離れがたい想いと自由気ままに生きるお前を見ることが出来ない  
悲しさで板ばさみになる」  
「まぁ、そうですか。ところでグウェンダル」  
「なんだ」  
「お耳が真っ赤ですよ」  
クスクスと耳元で笑うアニシナの声を聞いて、グウェンダルは脱力する。  
もともと、こういうことを口に出すのは自分の性分ではない。  
なれないことをして緊張したから耳が赤くなって何が悪いのだ。  
そう、決して照れているわけではない。  
そんなことをボソボソとグウェンダルはつぶやくが、  
当然のように赤い魔女は聞いていない。  
「それで、その情熱的なグウェンにはいつ会えるのですか?」  
「きっと三百年後あたりだろう」  
「それは残念ですね。もっと早く見たいものです。  
ええ、三日ぐらいならばそれほど困りません」  
「私は出し惜しみをする主義なんだ」  
そう言って、グウェンダルはまだ何か言いたそうな  
赤い唇を自分の唇でふさぐのだった。  
 

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