『ねぇねぇ、あのね、ヨザック。お願いがあるんだけど、聞いてくれる?』  
 そう言って主の最愛の娘がヨザックの部屋のドアを叩いたのは夕べのことだった。  
『明日、グレタと"でーと"して欲しいのっ』  
 
 そして、本日。  
「あっちよ、あっち!」  
 子供特有の底なしの体力で、グレタは力いっぱいヨザックを  
ひきずりまわしていた。  
 二人がいるのは城下街でも、最も活気がある通りだ。  
ひっきりなしに行き交う人ごみにまぎれそうなオリーブ色の頭を、  
ヨザックは必死で追いかけた。  
「姫様、姫様!もーちょいとだけ足を緩めてもらえませんかねぇ」  
 後も見ずに突っ走るところなど、血は繋がっていないくせに主に  
そっくりだ。そんなことを考えながら、グレタのフードの端をつかむ。  
「俺も年なんですよ。ちょっとは労わってくれないと、グリ江泣いちゃう」  
 ヨヨ…と泣きまねをするヨザックをチラリと見ると、グレタは  
ようやく足をヨザックの歩みにあわせてくれた。  
「そーだね。ユーリも『グリ江ちゃんは若く見えるけど、そろそろ  
体にガタがきてもおかしくないから、労わるんだぞ』って言ってた。  
ごめんね、グリ江ちゃん」  
 すごく生意気極まりないことを言いながら、無邪気に微笑んで  
ヨザックの手と自分の小さな手をつないだ。ヨザックもこの小さな姫と  
はぐれないように、しっかりと手を握り締める。  
「へぇー。坊ちゃ…じゃなかった、陛下がねぇ。ふーん」  
 自分から言い出したこととはいえ、年寄り扱いされた恨みをどこで  
晴らそうか。ここはやはり陛下だろう。腹黒い幼馴染の目をかいぐくって  
陛下いじりをするのも、なかなかスリルがあっていい。  
先日『軍人用パンツ』を見せたときの主のビビリぶりを思い出して、  
ヨザックは思わずニヤついた。  
 
「あーヨザック、ここだよ。このお店!」  
 グレタが歓声を上げたのは、一軒の店の前だ。  
「ここ……ですか。間違いじゃなくて?」  
 魔力のないヨザックにも一目でわかる、怪しげな店。  
店全体から『あやしい』オーラが漂っている。  
なぜ、店の前にぐったりしすぎたネコがいるのだろう。しかも複数。  
なぜ、店の前の巨大な水槽は中身が見えないほど緑色の金属光沢の  
水がなみなみと湛えられているのだろう。ついでに中から時々  
『ザベルザベルザベ〜』と、魚ではありえない水音がする。  
屋根からは蔓まで緑色の怪しげな植物が隙間なく垂れ下がっており、  
それが自然の暖簾代わりとなっている。蔓のせいで、看板すら見えない。  
軒先の蔓が風もないのに勝手に動いたのは気のせいだ。  
気のせいだったら気のせいだ。  
 おかしい。ここは城下でも一番活気のある通りのはずだ。  
そんなところにこんな怪しい店があるなんて。これがうらぶれた  
薄暗い通りだったら、ヨザックは間違いなくグレタを抱えて回れ右している。  
が、ここは大通り。怪しげに見えるだけで実はまともな店…であって欲しい。  
 しかし、現実は厳しかった。グレタはこの店の怪しさに頓着せず、  
無邪気に微笑んでのたまった。  
「うん。アニシナ御用達の魔薬材料の店なのっ」  
 逃げようそうしよう。アニシナちゃんは大好きだが、"もにたあ"は好きではない。  
もっとも、魔力のないヨザックにはあまりその役目は回ってこないのだが。  
「えーと、姫様。これは"でーと"ですか?"おつかい"じゃなく?」  
 及び腰の自分をごまかすように、ヨザックは恐々とグレタに質問してた。  
"でーと"に期待していたわけではないが、"アニシナちゃんのおつかい"だったら、  
もっと覚悟を決めてきたのに。たとえば『軍人用パンツ』のヒモを  
締めなおすとか。でも軍人用パンツにはヒモはない。嗚呼、軍人用パンツで  
気持ちを引き締めるにはどうすれば……。  
 関係のない思考で一瞬現実逃避をしてしまったヨザックを尻目に、  
グレタはごそごそとポケットからメモを取り出した。  
「これはれっきとした"でーと"だよ。だって、アニシナに  
頼まれたわけじゃないもん。明日、アニシナの誕生日でしょ?  
だから、アニシナが何を欲しがっているのかグウェンに聞いてもらったの」  
 どうやら、姫様の手に握られたメモにはその"アニシナの欲しいもの"が  
書いてあるらしい。  
「んまー。閣下らしい几帳面な字!」  
 覗きこんで、思わずそう感想を漏らす。そんな感想しか漏らしたくない。  
書いてあったのは『ポレポレの目玉』と『ニュルンベニュの牙』だ。  
聞いたこともない名前だが、目玉と牙ということはきっと生き物に違いない。  
生き物であってくれ。  
「そうそう、ポレポレの目玉は、ちゃんと花弁とガクがついてるもの、だって!」  
 ああ、もうどんな物体なのか想像したくない。  
「じゃ、レッツゴー!」  
 元気な姫にひきずられて、ヨザックは覚悟を決めた。  
 
 夕刻、血盟城。  
 目的の物を買えてご機嫌のグレタと、げっそりと疲れたヨザックが帰城した。  
 店の中は、扱っているものはともかく、ごく普通の店であったのが救いだ。  
店主もにこやかで、買い物はスムーズに済んだ。  
 ただ、店への出入りのときに暖簾の蔦に執拗に耳を嬲られたことだけは  
忘れたいと、心底ヨザックは思った。テクニシャンだった。イヤさ倍増だ。  
 無事にグレタを部屋の前に送り届けると、別れ際にグレタがヨザックの手を引っ張った。  
「ヨザック、今日はありがとう」  
 ペコリと頭を下げる。頭を下げるあいさつは陛下の影響だろうと考えながら、  
「いえいえ。どういたしまして。グリ江も楽しかったわぁ」  
 とシナをつくってみせる。本日の"でーと"において、グレタは「ヨザック」  
よりも「グリ江ちゃん」の方がお好みらしいと判明したからだ。  
 グレタの視線にあわせて背をかがめると、グレタがヨザックの耳に口を寄せてくる。  
「今日の"でーと"、お父様たちにはナイショよ?」  
 かわいらしい言葉にうなずいて、二人で指切りを交わす。最後にグレタは  
そっとヨザックの頬に口付けを落とした。  
「じゃぁね、ヨザック。バイバイ」  
 照れたように部屋の中へ逃げ込むグレタを最後まで見送ったあと、  
年寄りらしく『よっこいしょ』の掛け声で立ち上がる。  
「あーもー。かーわいいなー。」  
 あれでは、陛下とプー殿下が親ばかになるのも分かる気がする。  
 とりあえず、部屋に帰ったらアニシナちゃんへバースディカードを書こう。  
でも、部屋に帰るまでの道のりぐらい、未来の毒女に捧げよう。あの小さな姫は、  
今日の"でーと"をいったい何歳まで覚えていてくれるだろうか。  
 いまだぬくもりが残る気がする頬をなでながら、ヨザックはのんびりと  
兵舎への道を歩いていった。  
 

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