色素の薄い髪を草の上にばら撒いて、彼女は草むらで寝そべっていた。よく聞くと、風の音に混じって鼻歌が聞こえてくる。
彼女は相当ごきげんのようだ。
「ああ、コンラート?」
名前を呼ばれて、改めて彼女に近づいた。自分と彼女の距離は4馬身ほども離れているのに、どうも彼女には誰が傍に
いるかわかってしまうようだった。
「なにを笑っているの、コンラート。」
「どうして、俺が笑ってるってわかったんだ?」
スザナ・ジュリアは得意げに笑って、人差し指をちちちと振った。
「あなたが今どんな顔をしているかなんて、見えなくてもわかるのよ。」
今度こそコンラートはふきだした。あんまり得意げな彼女がおかしくて、嬉しくて。
「こんなところで寝転んで、泥だらけだぞ。ウィンコットに帰ったら皆に叱られるんじゃないか?」
ジュリアは笑った。白い服が泥に汚れたことなど、少しも気にしていないようだ。
「こんなに気持ちのいい日に、草の匂いや風が肌を撫でていくのを感じないなんて、眞王様に申し訳ないわよ。どう?コン
ラートも一緒に。」
「風邪を引く。」
「日が高いうちだけよ。」
ジュリアはまた視線を青い空に向けて、はぁーと息を吐き出した。コンラートは苦笑して、ジュリアの隣に腰を下ろした。
「どう?気持ちいいでしょう。陽がぽかぽかして、あったかくって。」
「そうだな。」
確かに陽は暖かくて、草の匂いはやさしくて、風は緩やかに頬を撫でていくのはとても気持ちいい。けれど、コンラートは
それ以上に満足そうなジュリアの顔を見て、胸の中が暖かくなった。
しばらく二人で、何を話すでもなくそうしていると、突然ジュリアががばりと跳ね起きた。
「たいへん!」
「どうした?」
ジュリアは目が見えるように、コンラートと視線を合わせて困ったように言った。
「アニシナとツェリ様とお茶の約束をしていたのだった!そうよ、何のためにわざわざ血盟城までやってきたのかしら!」
ここは血盟城の庭だった。ジュリアはふらりとこの城にやってきて、母と話をして帰って行くことがあったので、まさか約束を
しているとは思わなかった。
「どうしよう、コンラート!ねぇ、わたくし泥だらけ?」
どうしようもなにも、先程から泥だらけだと言っている。いくら整備された王城の庭とはいえ、母が気に入っているバラ園ほど
丁寧に整備された庭でもない。せいぜい、草が切りそろえられている程度なので、寝転べば泥がつくし、草の切れ端が髪の
いたるところにくっついている。
「そうよね、泥だらけよね。どうしましょう、アニシナの着替えってここにあるかしら。」
「どうしてアニシナの着替えなんだ。」
「だって、ツェリ様の服を着る勇気はわたくしにはないし、アニシナの服ならグウェンダルの部屋にあるかもしれないでしょう?」
ないない。ないから。
コンラートは心の中だけでつっこんで、困ったようにジュリアを見た。
「何かあるだろう。とりあえず、母上たちには連絡を入れて・・・」
「まぁ、いいでしょう。」
「は?」
ひとりで決着をつけたような声を出すジュリアに、困惑の眼差しを送るコンラート。
「わたくしが少し汚れていたくらいで驚かれる方たちでもないし。いつものことだと言ってくれるでしょう。」
うん、そうそうとひとりで納得して、笑顔を向けてくるスザナ・ジュリア。その笑顔だけはまぶしいが、呆れるコンラート。
ちょっと良家の子女としてざっくばらん過ぎやしないか。
「それでは、わたくしはそろそろ行きます。」
「待って。」
立ち上がろうとするジュリアを引き止めた。不思議そうな表情をするジュリアの、色素の薄い髪に手を伸ばす。
「せめて今ついている泥と草を払ってから行ったらどうだ。」
「・・・手伝ってくださる?」
「もちろん。」
コンラートは笑顔で言った。実際、盲目のジュリアはどこに泥がついているとかは知る術がない。手伝うとは言っても、
払うのはコンラートだ。ただ、少し負けず嫌いの彼女は盲目だからと言って、自分に出来ないことがあるのを認めたがら
ない。
コンラートはジュリアに近寄って―――実際、草を取るには必要以上にジュリアの傍に近寄って―――色素の薄い髪に
ついた、青い草をひとつひとつ丁寧に取り除いていく。
「後ろの方がたくさんついてるな。」
そう言って、コンラートはジュリアの後頭部に腕を回して、草を落としていく。その体勢は、まるでジュリアを抱きしめている
ようで―――
「コンラート。」
「何?」
「・・・わたくしをからかっているんでしょう。」
見るとジュリアは、うっすらと頬を赤らめている。近すぎるコンラートの気配を感じたのかもしれない。笑うコンラート。
「まさか。俺がそんなに意地悪に見える?」
「見えるわ。とーっても意地悪そうな顔が、わたくしにはちゃぁんと見えているのよ。」
少しすねたように言うジュリアを見て、コンラートは笑い出した。彼女の傍にいると退屈しない。
今度は顔を近づけてみる。少し動けば、口付けができるかもしれない。ジュリアの青空の色をした瞳を覗き込む。ジュリア
の頬は先程よりも赤く染まって、不機嫌そうに眉根を寄せている。今コンラートに何をされているのか、正確に把握している
のだろう。
「それは困ったな。嫌われた?」
「ちっとも困ってないくせに。嫌われたなんて思ってもないくせに。」
コンラートは苦笑して、へそを曲げたジュリアの髪をそっと撫ぜた。ジュリアにも気付かれないように、そっと、指先だけで。
口を閉ざしたコンラートを、ジュリアは不思議そうに見上げたが、何も言わなかった。
服についた泥を払って、コンラートはジュリアを立ち上がらせた。
「これで少しはましになったよ。母上とアニシナによろしく。」
城の中から爆発音と悲鳴が聞こえてきた。どうもアニシナは元気なようだ。
「ええ。ありがとう、コンラート。」
ジュリアは唐突にコンラートの手をとって、細い指先でその手を撫でた。あまりに唐突で、コンラートの胸は不覚にも高鳴
った。
「また剣だこが増えたわね。訓練のしすぎじゃない?」
「そうかな。」
「そうよ。」
細い指が、コンラートの指にほんの少し絡んで、ジュリアが少しばつの悪そうな顔をして言った。
「嫌いになんて、なってないから。」
コンラートは目を丸くした。その気配を感じたのか、ジュリアはコンラートの指を離し、城へ向かって身を翻した。
「あなたは意地悪だけど、嫌いになんてならないから!」
そう捨て台詞を残して、淑女とは言えない騒々しい駆け足で城へと帰って行った。
ジュリアのぬくもりが未だ残る手のひらを、コンラートはそっと握った。顔がにやけてしかたない。
本当は、きみに嫌われたって構わないと思っていたけれど。自分が想っている感情で、彼女が言っているとは思わない
けど。それでも。
やっぱり、嫌いじゃないと言われたほうが、ずっとずっと、嬉しい。
おわり。