クリスは優しい。マヤは本当にそう思っている。娘でもない自分の面倒を見てくれているからだ。
「なあ、マヤ」
クリスは今日もこうしてマヤに話しかけてくる。
「……?」
言葉を発する事は出来ないが、その代わりにじーっと見つめたりすることで、意思の疎通を図ってきた。
「パパはこれから仕事にいかなきゃならないんだ。一人で、大丈夫かい?」
「……」
大丈夫。そう意味をこめてマヤは頷いた。
「そうかぁ、じゃあ頑張ってお仕事に行ってこようかな。よーっし、頑張るぞ」
クリスは気合を注入するかのように、顔を張った。
「いた、強くやりすぎた」
「……」
大丈夫? そう思いながら、マヤはクリスの顔を見た。
「大丈夫大丈夫。じゃあ、マヤ、行ってくるよ」
「……」
行ってらっしゃい。といえたらどんなに良いだろうか。
クリスは喜んでくれるん違いないと、マヤは思った。
だが、それはマヤにとってはつらい現実である。
目の前で両親を殺され、それが原因で言葉を失ったのなら尚更である。
だから、今は、行ってらっしゃいの言葉を込めて、手を振る事しか出来ない。
「……」
クリスがいなくなった後、マヤは朝食の片づけを済ませ、レハスの下へ行った。
「あら、マヤ。何か用かしら?」
「……」
「手伝う事はないか? そうね、今はカリンツ達が出払ってるし、特に無いわ」
「……」
「何か手伝って欲しい事があったら、あなたを呼ぶわ」
「……」
マヤはレハスの部屋から出ると、一人廊下を歩いていた。
暇だ。そう思った。
家に戻ったマヤはふと思う。レハスやエオニスは自分よりも背が高く、スタイルだっていい。
ところが自分はどうだろう。あの二人に比べたら、背だって低いし、胸だってそんなに大きいわけではない。
明らかに見劣りする。
やはりクリスも胸が大きいほうが好きなのだろうか?
何時間たったのだろうか。気が付いたときには、マヤはベッドの上にいた。
どうやら眠っていたらしい。
「ただいま! マヤ!」
「……」
クリスが帰ってきた。今日もまた帰ってきてくれた。
マヤはそれが嬉しい。
思わず抱きつくくらいに。
「おーっとと」
それでもクリスは優しく接してくれる。
「……」
自分はクリスが好きなんだ、と、マヤは思う。
好きだからこそ、死なないで欲しいと思う。
だからこそ、クリスが帰ってくるたびにマヤは安心する。
「どうしたんだいマヤ。今日はいつにもなく甘えんぼさんだなあ」
そう言いながらクリスは優しく頭を撫でてくれる。もちろんちゃんと帽子をはずして。
マヤはクリスに頭を撫でてもらうと安心する。
そこに、クリスの存在を確かめる事ができる。
クリスがそこにいる。
クリスに似た偽者ではなく本物のクリスが。
マヤはもう少しこうしていたいと思った。
でも、あんまりわがままな事はしないと決めている。
もし、自分がこのままクリスを放さなかったら、敵が攻めてきたとき、クリスは戦えなくなる。
出来れば、戦いに入って欲しくない。
もう、大切な人を失うのは嫌だから。
マヤはいつもそう思う。
「よしよし」
マヤはそっとクリスから離れると、その顔を見上げた。
「……」
「ん? 何だいマヤ」
「……」
「え? 胸はでかいほうが好きかって?」
「……(こくこく)」
「そうだなあ、パパは別にそんな事気にしないぞ」
「……」
それを聞いて、マヤは安心した。
「あの〜、お取り込み中のところ悪いんですけど、隊長が呼んでますよ、クリスさん」
「どわあ、いたんなら声かけてくれよアゼル! うちの可愛いマヤがびっくりしちゃうだろ」
「……」
別にマヤは驚いたりはしなかった。
むしろ、驚いているクリスを見て少し可笑しかった。
「どう、声をかけたらよかったんですか? あの状況で」
「む、そりゃそうだけど…で、カリンツが呼んでるって?」
「はい」
「分かった。マヤ、ちょっと行って来るよ」
「……(早く帰ってきてね)」
「オッケー、オッケー、可愛いお姫様のため、王子様は早く帰ってくる事を約束します」
そういいながら、クリスは出て行った。
「すみません、マヤさん。二人の時間を邪魔しちゃって」
「……(大丈夫。仕事だから仕方がない)」
「あはは、じゃあ、マヤさん。僕も隊長に呼ばれてるんで」
「……(行ってらっしゃい)」
アゼルを見送りながら、マヤはふと思う。
自分と似ている。
アゼルはカリンツに追いつこうと必死だ。
憧れを持っているだろう。
自分はクリスに対して好意、いや、それ以上の物を持っているのかもしれない。
親子愛? 恋愛感情? よく分からない。
でも、クリスが他の女にとられるのは嫌だ。
この気持ちは、やっぱり恋愛感情なのだろう。
――好き
その二文字がマヤの頭の中に浮かんだ。
やっぱり、クリスの事が好き。
マヤはそう思った。
だからこそ、こうして一人でクリスの帰りを待ってられる。
クリスがいてくれなければ、今の私はいない。
そう思った。
と、同時にもう一つの思いがマヤの中を駆け巡った。
クリスは私の事をどう思っているのだろうか?
娘?
可愛そうな子?
カリンツにとってのリースのような存在?
分からない。
いずれにせよ、同情だけで、クリスが自分の面倒を見てくれているとは思えない。
そんな事を考えるの止めよう。
マヤは頭を振ってそんな考えを否定した。
とりあえず、クリスが帰ってきたら聞いてみよう。
そう思った。
「ただいま、マヤ!」
こ1時間ほどたって、クリスが戻ってきた。
「……」
マヤは嬉しそうにクリスの事を抱きしめた。
さっき思っていたことを、今、クリスに聞いてみよう。
なんて思うだろう。
マヤはちょっと聞くのが怖かった、でも、聞かねば自分の気持ちが治まらなかった。
「ん?何だいマヤ」
「……」
「え? 俺がマヤをどう思ってるかって? そんなの決まってるじゃないかって?」
クリスは一度サングラスの位置を元に戻すと言った。
「俺はマヤのことを娘だと思っているよ。マヤがいなかったら、きっといまの俺はないし、カリンツ達だって、ひょっとしたら死んでいたかもしれないしね」
「……」
「それに…」
「……?」
「マヤがいてくれたから、俺はいままで戦えたんだよ。護るもがあるって言うのは、幸せな事だよ。カリンツだって今、リーズの事を護ってやろうと必死だしね。
だから、俺は、マヤ、君を…わがお姫様を護る騎士になるよ。俺が、どんな災いからもマヤを護る」
クリスはそういうと、マヤのことを優しく抱きしめた。
マヤは今、とても嬉しい。クリスガ自分のことを、はっきりと娘と思ってくれていることが。
だとしたら、自分のこの気持ちは、きっと嘘ではない。
――ああ、なんだ。簡単なことじゃないか。私はクリスのことが好きなんだ。
そう気が付いたとき、マヤはクリスにキスをしていた。
「マヤ?」
「……!」
マヤは自分の取っていた行動に驚いて、飛び退いた。
しかし、クリスはそんなマヤをいとしく思ったのか、更に優しく抱きしめた。
「マヤ。正直に言うよ。俺は、マヤのことを娘だと思ってるって言ったけど、本当は…」
「……」
「俺、マヤのことが好きだ!!」
「―――!」
このとき、マヤ自身も思いもしないことが起こった。
「…た……しも………クリスのこ…とが、好き……」
それは、小さくだが、でも確かに、マヤの口から発せられた言葉だった。
「マヤ、声が…」
「ぁ…」
失われていたはずの言葉が戻ってきたのだ。
「ああ…」
「マヤ!」
マヤは自分の声が戻ってきた事で、今なら今まで言えなかったほんとの自分の気持ちを、改めて言える。
そんな気がしていた。
だからかもしれない。
マヤは息の続く限り言い続けた。
「大好き、大好き! クリスの事が大好き! 私は、クリス。あなたを愛してる!」
いまや、マヤの思いを告げるのに、それを隔てるものは何もない。
マヤはただ、自分の思いを一直線にクリスに告げた。
「俺も、大好きだよ。マヤ」
クリスは再び、マヤを優しく抱きしめ、そして、キスをした。
「マヤ…」
「クリ…パパ」
「え?」
「だから、クリスパパ。それとも、パパのほうがいい?」
「えっと…パパで」
「わかった」
いつか声が戻ってきとき、マヤはクリスの事をこう呼ぼうと決めていた。
きっとクリスもこう呼ばれることを望んでいただろうと思うから。
「パパ」
「ん? なんだい?」
「呼んでみただけ」
「そっか」
「パパ」
「ん?」
「呼んでみただけ」
「あ〜もう、可愛いなあマヤ!」
「パパくすぐったい」
マヤは今、とても幸せな気分でいっぱいである。
今、この気持ちを破壊できる者はいない。
今はもうしばらくこの幸せをかみ締めていたい。
「パパ」
「ん?」
「私、今とても幸せだよ」
「ああ、オレもだよ。マヤ」