ミチルは美容室の階段の最後の一段を飛ばして、早歩きで歩き出した。
腕時計に目を落とすと、もう10時になろうとしている。
――早く帰らないと・・・
閉店ぎりぎりに駆け込んできた客のカラーと、後片付けを任されてしまった為、すっかり遅くなってしまったのだ。
ルカたち、心配してるかな。
そう考えると、ミチルの足は自然に速くなった。
一方、シェアハウスでは、ルカがコーヒーを飲みながら何度も時計を見上げていた。
そして小さく溜息をつく。
「ミチルちゃん、遅いね」
エリがテレビを消しながら呟いた。
「美容師って、大変だしね」
ルカ自身、そうは言うのものの、やはり何か悪い予感が脳裏をよぎるのだ。
ルカは、ガタリと立ち上がった。
「私、ちょっとそこまで行ってくる」
この時間になると、商店街でも閉まっている店がちらほらと出てきている。
しかし、次の角を曲がると、少しずつ街の喧騒は消えて、閑静な住宅街になってくる。
そこまでくれば、もうシェアハウスは目と鼻の先だった。
すると、その角のところに、男たちがたむろしているのがチラリと見えた。
一目見ただけで、それは酔っ払いの集団だとわかる。
大声で怒鳴り散らしている者もいれば、それを笑いながらなだめる者もいる。
地面にへたりこみ、完全に潰れている中年の男もいる。
ミチルはなるべく絡まれないように、道路の端を歩いていく。
しかし、悪い予感は的中して、男の一人がミチルに近づいてきたのだ。
「ちょっとおねーちゃん、こっち来て俺たちと話そうよ」
「楽しい話、してくれよぉ」
数人の男たちがじりじりとにじり寄ってくる。
「・・・止めてください、どいてください」
ミチルは反射的に頭を腕でガードした。これは元彼氏の所為なのか、癖になっていた。
肩を荒々しくつかまれる。
冷たいものが、背筋を伝って落ちていった。
男はかまわず、口元を歪ませながら顔を近づけてきた。
「やめてっ・・・!」
ミチルは目をつぶり、顔を背けた。
そのときだった。
ドスっと鈍い音がしたかと思うと、今自分の肩をつかんでいた男が派手に転んでいる。
他の男たちは突然の出来事に、何が起こったか良くわからない様子だった。
ミチルは目を見張り、ただ転んだ男に目を向けた。
同時に、パシっと腕をつかまれ、気がついたときには走り出していた。
私の腕をつかんでいるのは・・・
目の前を、短い髪の毛が揺れているのが見えた。
ミチル自身も動揺していて、しばらくその人物がルカだということに気づかなかった。
シェアハウスが見えてくる。
ルカはゆっくりとスピードを落とし、壁に手をついて、乱れた呼吸を整えている。
ミチルも、詰まったような息を吐き出すと、呼吸は荒くなっていた。
「ルカ・・?」ミチルが少しまだ動揺を含んだ声で言うと、ルカがゆっくりと振り返る。
「何やってるんだよ・・・酔っ払い相手に」
ルカはあきれた口調で言ったが、ミチルのまだ何もされていない様子に、内心ほっとしていた。
「・・・シェアハウスに帰ろう?」
そう言って、ルカはミチルの手をとって歩き出した。