ルカのカップが壊れた。  
今、タケルがきれいに修繕しようと、悪戦苦闘している。  
 
前触れなく、リビングの電話が鳴った。  
二人に沈黙が流れる。  
 
宗佑かもしれない・・・。最近ではこの緊張感で、シェアハウスに沈黙が多くなった。  
 
「・・・私、出るね」「う、うん、あ、でも」  
 
ミチルは、タケルの言葉を遮る様に、受話器をとった。  
「もしもし?」  
「あ、ミチルちゃーん?」  
「エリー?」  
「うん、今日ね、私とオグリン、帰り遅くなるから3人で食べてて?」  
「分かった、でもなんで?」  
「ルカ、もうすぐ全日本じゃん?内緒ですっごい応援グッズ買おうと思ってw」  
「そっか、じゃあルカには仕事って言っとくね」  
「ありがと!じゃあね」  
 
通話を終了して、タケルが声をかける  
「エリー?」  
「うん、ルカの応援グッズ物色するから、遅くなるって言ってた」  
「ははっ、すっごい派手なの買ってきそうだなー、エリーのやつ」  
「ルカ、顔しかめそうだよね」  
 
二人で笑ってから、  
ミチルが受話器に視線を戻すと、数十分前にも着信があったことに気付いた。  
 
・・・間違いない。宗佑だ。宗佑の番号だ。  
きっとルカがとったのだろう。  
「・・・ルカ」  
 
「ミチルちゃん?」  
「ごめん、タケル君・・・留守番、しててくれるかな」  
「分かったよ、一体どうし」  
 
応えてる余裕は、今のミチルにはなかった。  
 
ルカが。ルカが危ない。もうタケル君のような犠牲者は出したくない。出せない。  
やめて、お願いだから、わたしのルカを、傷つけないで。  
 
シェアハウスを飛び出して、赤い糸に引っ張られるかのように、ミチルは走り出した。  
 
 
暗いマンションの一室。宗佑の家だ。  
ルカが秘所から血を流し、破れた服もそのままに、床で気を失って倒れている。  
宗佑は既に服を身につけ、ベットに座って空虚を見つめていた。  
 
ドンドン、ガチャ  
 
鍵をかけられたドアを誰かが開こうとする。やがて、荒々しく鍵が解除された。  
 
 
この部屋の合鍵を持つ人間はただ一人だ。そうだ、あの人しかいない。  
 
宗佑が立ち上がって、呟く。「・・・ミチル」  
ミチルは宗佑に目もくれず、ルカを見つけて、叫んだ。「ルカ!!!」  
 
呼吸を荒くし、額に汗を滲ませたミチルが、ルカの元に駆け寄って、  
傷つき倒れるルカを抱きしめながら、必死な顔で宗佑を睨み付けた。  
 
 
その表情を見つめながら、  
誰かも、いつかこんな顔をしていたな、と、頭の隅で宗佑は考えた。  
 
 
「なんで・・・?なんでこんなことするの?」  
「これは、違うんだ。誤解なんだ」  
宗佑にとっては、ミチルに他の女を抱いたと思われることが問題だった。  
ほんとうは、君を守るためなのに。この、バケモノである女から。  
 
 
ミチルにとっては、宗佑が他の女を抱こうと、どうでも良かった。  
問題は、ルカを、どうしてこんな目に合わせたのか。許せない。絶対に。  
 
「僕がコイツを部屋に呼んだのは、確かだ。  
だけどそれは、話し合いたかったからで、最初からこうするつもりじゃなかった。  
コイツが言ったことを聞いたら、ミチルだって」  
 
ミチルは、ルカに破れた服を着せながら、宗佑の話を聞いていた。  
 
「ルカは、なんて言ったの?」  
 
 
ミチルの、いまだかつて自分に向けたことのない激しい怒りが、  
背中から、声から、仕草から、伝わってくる。  
その迫力に圧倒されながら、乾ききった唇を舐めて、宗佑は再び話し始めた。  
 
 
「ミチルを本当に愛してるのは、この私だ」  
 
 
ミチルの肩が、ピクリと震えた。手が止まる。動揺している、確実に。  
「性別違和症候群。それがコイツだよ。  
分かっただろ?この女は、男の目で、君を見てる。最初から君を狙ってたんだ。  
ミチルは一人で幸せを探し始めてる、その邪魔を僕には絶対させないって、  
男になった気で、ほざいてたんだ。バカだろ?力なんて、ないくせに」  
 
驚いた。すごく。ルカの手を、握り締めた。  
 
ルカの壁は、それだったのだろうか。  
ルカが垣間見せる、目を伏せて何かを隠した、表情は。  
私とタケル君に見せる笑顔の、違いは。  
 
 
ミチルは、ゆっくりと立ち上がった。  
この男は、最低だ。  
「ここの私の荷物。全部、処分していい。それに、これももういらない」  
 
カチ、と音を立てて、合鍵が机の上に置かれた。  
強い意志を宿して、濡れた瞳で、またもや宗佑を睨み付けた。  
 
 
・・・思い出した。宗佑は思った。  
(わたしのミチルに触んな!)そう言い放ったときのアイツと、同じ表情。  
大切な、本当に大切な人を守る目。  
 
・・・なんて。そんなの。そんなもの、信じない。  
 
 
一人で首を振る宗佑を一瞥して、ミチルはまたルカの側に行き、頭を撫でた。  
「ミチ、ル・・・・」  
「ルカ?」  
ルカが、目を覚ました。まだ意識ははっきりしない様だけども。  
 
「歩ける?シェアハウスに、帰ろう?」  
 
宗佑がはっと頭を上げた。  
「ミチル、君は帰さない。君は、あのシェアハウスの連中に洗脳されてるだけなんだ。  
僕は君を愛してる。君の居場所はここしかない。僕ならきみと一つになれ・・」  
 
パシッ  
 
乾いた音が響いた。  
ミチルが宗佑の頬を叩いた。  
痛みより、衝撃が大きかった。ミチルだぞ。あの、ミチルが?  
 
宗佑は、ルカの肩を支えて部屋を出るミチルに、どうすることもできなかった。  
 
バタン  
 
ミチルが出て行った部屋で、宗佑は一人だった。  
いつの間にか、涙が流れていた。  
 
「愛してる。愛してるんだ」  
 
小さく呟いて。いろんな感情が大きな波のように押し寄せてきて、ぶつかった。  
 
「あああああああああっっ」  
周りなんて見えなくなって、叫んで、机を蹴り飛ばした。  
 
床に崩れ落ちた。頭を床に打ち付けた。何度も、何度も。  
 
ふと我に返って、頭に手をやった。赤く染まった。  
これを見たら、ミチルは戻ってくるだろうか。  
 
 
さっきのミチルの顔がフラッシュバックした。  
 
 
いや。まだだ。まだあきらめない。ミチルは、僕のものなんだ。  
頭を抱え込んで、泣いて呻いて悩んだ。  
 
机を蹴った衝撃で、落ちて割れてしまった二つのマグカップの存在さえ気付かずに。  
 
 
シェアハウスのドアを開けて目に入ったのは、ミチルちゃんに支えられ、  
立つのもやっとの、傷だらけのルカだった。  
 
「ルカ!!何があったんだ」  
「タケル君・・・ごめんね」  
 
タケルは、そう言ったミチルの表情を改めて見つめた。  
「ルカの秘密・・・分かった。ちょっと、二人きりにしてくれないかな」  
「・・・」  
いろんな気持ちを交錯させながら、タケルは頷いた。  
今、ルカの傍にいるべき人間は、ミチルだ。そうタケルは確信した。  
 
「ミチルちゃん」  
「なに?」  
「ルカは・・・、あー、何でもない。ごめんな」  
 
ルカへの気持ちの答えを聞こうとして、止めた。  
そんなことは、振り向いたミチルの顔に描かれてた。  
 
 
家を後にして、ルカに思いを告げた公園の、ブランコに腰掛けた。  
あの頃が、懐かしく思える。  
 
そう、決めたじゃないか。君が誰を好きでもいい。君を支えようって。  
 
「ルカの幸せに」  
缶コーヒーで乾杯をして、一気に飲み干した。  
 
 
止まらない涙は、気付かない振りをして。  
嗚咽の漏れる口を無理やり歪ませて。  
 
君の幸せだけを願ってる。誰よりも、愛してるから。  
こんなに人を好きになれて、良かった。  
 
ルカを、部屋のベットに寝かせて、救急箱を持ってくる間に、  
ルカはまた眠ってしまっていた。  
 
 
ルカの寝顔を、ミチルは見つめた。  
 
ルカと出会ってから、たくさんの出来事があった。  
思い出すだけで、涙が溢れた。  
 
本当に私を守ってくれていたのは誰だ。  
本当に私を支えてくれたのは誰だ。  
本当に私を見続けてくれたのは誰だ。  
本当に、私を愛してくれていたのは・・・  
 
ルカ。ルカルカルカルカ。。。  
 
「ミ・・・チ、ル・・・」  
 
ルカの声に、涙を拭って、ルカを見た。まだ眠っている。  
だけど、眠ったルカの目から、涙が零れ落ちた。  
 
「・・・・」  
 
ミチルは、躊躇いなく、ゆっくり、そっと、ルカに唇を寄せた。  
 
目を開けたら、ミチルの心配そうな顔が目に映った。  
 
もしかしたら、ここは天国かもしれない・・・。  
 
こう思ったことが、前にもあったっけ。  
でも、前と決定的に違うものがあった。他人から見てもきっと分からない。  
私にしか分からない。  
 
どこがどうとか、具体的に言えないけれど、ミチルの顔を見て、全部知られたんだ、と思った。  
 
上体を起こそうとして、下半身を鈍い痛みが襲う。  
慌ててミチルが私の体を抑え、再び私はベッドに横になった。  
「・・・ルカ」  
「なんていうかさ、自分の最後の、本当に最後の砦が、ぶち壊されて、私はそれを、  
どうしようもなく見てる。そんな感じ。今。」  
「ルカ」  
「かっこ悪いよね、私、わた、しっ・・・」  
ミチルの言葉から、逃げたかった。涙が横に流れていく。ますますかっこ悪い。  
 
「好きだよ、ルカ」  
「・・・」  
「ごめんね、今まで、ずっと気付かなかった。もう、遅い、かな?」  
ルカの優しい気持ちに。  
ルカの切ない痛みに。  
ルカの愛に。  
 
ルカが、子どものように泣きながら、ミチルに抱きついた  
「あいしてる」  
耳元で囁かれたその言葉に、ミチルは嬉し涙を零して頷いた。  
 
END  
 
 

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